92 / 302
第二章 帝国編
第91話 軍事区域③
しおりを挟む
ルーレ・リッヒが氷の剣を得物としているのは、イーターを退治することを前提としている。つまり剣と剣での戦いを想定したものではない。
氷の剣では鉄でできた剣に強度で勝てない。ルーレ・リッヒが最大硬度の氷で発生させた剣でも、三度も打ち合えばヒビが入り、四度、五度も打ち合えばポッキリと折れた。
鉄の剣がルーレの顎下をかすめた。
ルーレは何度でも氷の剣を創造できるが、剣が折れたときの一合で自分が斬られるリスクを考えると、もう剣を創造する気にはなれなかった。
ルーレは両手持ちの分厚い氷盾を創造し、宙を走りまわる鉄の剣の衝撃に耐える。
一歩ずつ後退し、部屋の扉へと少しずつ移動していく。
「追い詰められたな。その扉は内開きだ」
ルーレの背に扉が触れた。しかし扉を開ける余裕がない。
扉を開けるためには、扉の前から移動してドアノブを回し、引かなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を持っていて塞がっているし、宙を舞う剣の猛攻が激しくて自分の立ち位置をずらすことすら容易ではない。
一瞬でも片方の足を浮かせたらバランスを崩して床に倒れるだろう。
ルーレは自分の足元の床を凍らせた。剣の衝撃で少しずつ滑る。どうにか剣を弾く向きを調整して扉の正面から横へと移動した。
だが、ここからはもっと難しい。ドアノブを回さなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を支えていて塞がっている。
「万事休すか。せめて操作型の魔導師だったら……」
――コンコン。
ノックの音だ。これはチャンスと、ルーレは即座に返事をした。
「どうぞ」
扉が開かれる。
ルーレは一度大きく剣を弾き、氷の盾を捨てて、ゆっくりと開いた隙間へと飛び込んだ。その拍子にナクス少将が運んできたドリンクを落としたが、氷のゴミ箱を落下位置に創造してナクス少将の横を通り抜けた。
「せっかくのアイスティーですが、すみません」
ナクス少将は氷の容器内でミックスされたドリンクを呆然と見つめてつぶやいた。
「アイスティーだからって、そこまで冷やさなくても……」
ルーレは銀色の頑丈そうな扉を見つけ、そこへ飛び込んだ。すぐさま鍵をかける。だが敵は鉄の操作型魔導師だ。鍵の構造を知っていたら鍵なしで開錠されてしまう。
そんな心配をしていると、扉がグニャリと変形し、道を空けてしまった。ロイン大将が走ってきている。
ルーレは部屋の奥へと逃げ込んだ。
ルーレが逃げ込んだ部屋は厨房だった。いまは誰もいない。
ルーレは銀色の調理台の下、収納スペースの引き戸を開けて中に身を潜り込ませ、足を抱え込んだ姿勢で再び扉を閉めた。
「できれば物を壊したくないのだがね。仕方ない」
ガシャン、ガシャンと神経を逆撫でするような金属音が響く。大きな空き缶を一瞬でペシャンコに握りつぶすような音。
その音はだんだん近づいてくる。
「……ッ!」
ルーレの背中側から大きな音がした。収納スペースを順に潰していっているのだ。鉄の操作ができるなら、たやすい芸当。
ルーレは即座に自分を囲むように氷の箱を作った。
壁がグニャリと内側へ曲がった。氷が抵抗してルーレは潰されずに済んだ。
「そこだな」
しかし見つかってしまった。
ルーレは氷で小さなハンマーを創り、内側から氷と鉄の板をぶち破り、外へ転がり出た。
瞬間、包丁が三本飛んできた。
即座に氷のブロックを創造して鉄の切っ先を受けとめるが、一本だけ頬を掠めた。
ルーレは振り返り、自分の背後に回った包丁を氷で覆う。しかしロイン大将が魔法のリンクを切らない限り、氷塊は鈍器としてルーレを襲いつづけるはずだ。
ルーレはそれを警戒したが、氷の塊はゴトッと床に落ちた。
ロイン大将は殺傷力の高い武器を好むようで、包丁の刺さった氷のブロックを天井に叩きつけ、氷を割って二本の包丁を自由にした。
ルーレの頭上に氷が降ってくるが、それより先に透明度の低い氷でロイン大将と自分との間に大きな壁を作った。
包丁は二本とも滅茶苦茶に飛びまわった。当てずっぽうでルーレを攻撃しようとしている。
さらに、調理台がグニャリと曲がった。人が一人通れるくらいのスペースを開けた。
ルーレが近くにあったまな板を飛びまわる包丁へ投げつけると、うまい具合に包丁は二本ともまな板へささってそのまま床に落ちた。
ルーレは走った。厨房の奥へと走り、勝手口から外へ飛び出した。
砲撃演習の轟音が反響して空気を震わせる。ビリビリと音の波を肌で感じながら、ルーレは再び駆け出した。
周りは鉄だらけだ。ロイン大将の視界に入った時点で射程圏内に捉えられていることになる。早く身を隠さなければならない。
ゴミ捨て場と倉庫の間を抜けると開けた場所へ出た。
ちょうどそのとき、号令が休憩時間を告げた。
ルーレは迷った。再び建物内に逃げ込んで姿を隠すか、周りに鉄がない演習場の奥まで走るか。
ルーレはロイン大将が追いついてきていないか後ろを振り返って確認した。
ロイン大将はいない。
再び視線を前方へ戻すと、横からキィと扉の開く音がした。そこから出てきたのは紛れもなくロイン大将だった。
「なぜ……」
「ここは私の職場だ。逃亡ルートに検討をつけて周りこむことなど造作もない」
幸いロイン大将は得物を持っていなかった。
ルーレは氷の剣を創造し構えた。
「さすがに複数の巨体を同時に操るのは精神力が削られる」
ロイン大将の視線を辿り、ルーレは驚愕と恐怖を同時に味わった。
演習場に並んでいた戦車が宙に浮き、砲筒をルーレに向けている。
さっきまで演習していた兵士たちは、ロイン大将に促されて建物内へと避難した。
「発射できるのですか?」
「もちろん」
即答。それは発射の号令に等しい。
ルーレは即座にすべての戦車の砲筒内部に氷の塊を仕込んだ。宙に浮く戦車は爆発し、地面に落下して轟音と砂煙を巻き上げた。
風が天然の煙幕を持ち去ったとき、火や黒煙を噴く戦車たちは再び宙に浮いていた。もう砲撃できるような状態ではない。
ルーレの問うた発射とロイン大将の答えた発射は異なるものとなった。廃棄物と化した戦車たちそのものが砲弾となりルーレへ飛んでくる。
ルーレは前方に手をかざす。どれほどの巨大な氷の壁を作ればあれを防げるか。
それを瞬時に決められず、ルーレの魔法は発動が遅れた。氷の壁を創造しようとしたエリアにはすでに戦車が侵入しており、魔法は不発に終わってしまった。
――終わった。
ルーレは自分の生命の終わりを悟った。戦車たちが飛んでくる様がやけにゆっくりに感じた。死の縁に立たされ、感覚だけが鋭敏になっている。
しかし体は動かない。魔法も発動できない。脳裏を自らの人生が駆け巡る。
リッヒ家は騎士の家系であり、ルーレは誰よりも強くあれと教育されてきた。小さいころから心・技・体を英才教育で鍛えられてきた。
彼女は魔導学院に入学してから生徒会長に負けるまでは無敗だった。生徒会長に負けた後も負け知らずだった。
ルーレは己の立ち位置を知り、それを受け入れた。
学院では風紀委員長として学院に貢献してきた。彼女が最も適正だから指名された。
その後はそれが自分の役割だから、務めだから、自らに与えられた責務をこなしてきた。
いつでも全力だった。
しかし、なぜと問われれば理由が見つからない。
魔導学院・四天魔のナンバースリー。
強くあれと教育されたルーレは、その称号が強さの証明として十分なものだと感じていた。
ナンバーワンとは戦ったことがなかったが、生徒会長より強いということは自分よりも強いのだろう。自分より強い者が学院に二人いる。
しかし、それ以外に自分より強い者はいない。彼女が強いかどうか、百人に聞けば百人が強いと答えるだろう。生徒会長も認めてくれている。
彼女は強く在らねばならぬから強くなった。
強くなりたいと思ったことはなかった。
ルーレは自分の力量を知った。魔法の相性、環境との相性、それらを含めての実力。
ルーレ・リッヒはロイン大将より弱い。それは予想どおりのことだった。彼と戦闘になれば負けて死ぬ。
軍事区域に担当を決めたのは自分自身だ。
生徒会長には本丸を担当してもらわなければならない。リオン城の次に危険な軍事区域には自分が適任だ。自分より弱い者を軍事区域に送るわけにはいかないし、リッヒ家の自分なら戦闘にならなずに事を運べるかもしれなかった。
飛んでくる戦車は時間が止まったかのように静止して見えた。己の脳だけが加速して動いている。体も動かないし、加速した脳で魔法を発動したところで、氷の発生自体は加速されずに間に合わない。
ルーレ・リッヒは、このまま、死ぬ。
悔いはないか? やり残したことはないか?
たぶんない。
だから、自分は弱いのだ。
「ゲス・エスト」
そういえば、彼にも負けたのだった。
会長との戦いで自分が負けるときはそれを予想していたが、ゲス・エストだけは予想を超えてきた。学院に自分より強い生徒が三人もいるはずがないと思っていた。
ルーレは彼に負けたとき、勝手に彼を学院のナンバースリーに位置づけた。しかし、彼は生徒会長にも勝ち、またしても彼女の予想を壊してきた。そして、自分の何かが弾けた気がした。
ただ、その感覚は夢のようにボンヤリと消え失せた。
もう一度、彼が何かを成し遂げれば、自分の中の何かが変わるかもしれない。何もかもを決めつけてきた人生を、彼に否定してほしい。それを少しだけ楽しみにしていた。
不意に涙が流れた。最初からいまに至るまで死は覚悟していたのに、急に死にたくなくなってしまった。
さっき誰かが余計なことを言ったからだ。
ゲス・エストの名前を呼んだからだ。
いったい誰が?
それに、思考だけが超加速しているこの状況で、誰が人の名前をフルネームで発言したというのだ。
「ゲス・エストはここにはいない。早く立ち去れ」
ルーレ・リッヒはハッとした。
もはや時間は止まってはいないし、ゆっくり流れているわけでもない。
その証拠に、戦車は宙に静止しているのに、黒煙がモクモクと上空へ舞い上がっている。
「じゃあ、マーリンはいるかね?」
「マーリンもいない。学研、貴様、ここに何をしにきた!」
先ほど最初にゲス・エストの名前を口にしたのは白衣の男だった。ロイン大将が学研と呼んだということは、学研区域の五護臣、ドクター・シータだ。
ルーレは彼を直接目にするのは初めてだった。
「軍事殿、なぜそう私を警戒する? せっかくリッヒ家のお嬢さんにトドメをさせる場面だったのに。こんな丸腰の科学者一人が、廃戦車をケチるほど脅威になりえるのかね?」
空中に静止していた戦車は白衣の男の頭上へ、彼を取り囲むように移動した。
「戦闘の真っ最中に貴様が丸腰で立ち入ってきて、何も警戒しないわけがないだろう」
白衣の男は一度上空で待機している戦車を眺めてから、今度はルーレの方に視線を落とした。
「リッヒ家のお嬢さん、君はゲス・エストの居場所を知っているかね?」
「なぜ彼の居場所を知りたいのですか?」
「最初は待つつもりだったのだがね、待ちきれなくなったのだよ。だから、私のほうから会いに行こうと思ってね。ウィッヒヒヒ! で、先に君の質問に答えたわけだが、君は私の質問に答えてくれるかね?」
ルーレは彼の笑いに寒気を感じた。彼のおかげで命拾いしたが、彼は決して歓迎できる存在ではないと直感した。
さっき勝手な格付けをするのはやめようと決めたばかりなのに、彼女の上位に新しい名前が刻まれたのだった。
氷の剣では鉄でできた剣に強度で勝てない。ルーレ・リッヒが最大硬度の氷で発生させた剣でも、三度も打ち合えばヒビが入り、四度、五度も打ち合えばポッキリと折れた。
鉄の剣がルーレの顎下をかすめた。
ルーレは何度でも氷の剣を創造できるが、剣が折れたときの一合で自分が斬られるリスクを考えると、もう剣を創造する気にはなれなかった。
ルーレは両手持ちの分厚い氷盾を創造し、宙を走りまわる鉄の剣の衝撃に耐える。
一歩ずつ後退し、部屋の扉へと少しずつ移動していく。
「追い詰められたな。その扉は内開きだ」
ルーレの背に扉が触れた。しかし扉を開ける余裕がない。
扉を開けるためには、扉の前から移動してドアノブを回し、引かなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を持っていて塞がっているし、宙を舞う剣の猛攻が激しくて自分の立ち位置をずらすことすら容易ではない。
一瞬でも片方の足を浮かせたらバランスを崩して床に倒れるだろう。
ルーレは自分の足元の床を凍らせた。剣の衝撃で少しずつ滑る。どうにか剣を弾く向きを調整して扉の正面から横へと移動した。
だが、ここからはもっと難しい。ドアノブを回さなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を支えていて塞がっている。
「万事休すか。せめて操作型の魔導師だったら……」
――コンコン。
ノックの音だ。これはチャンスと、ルーレは即座に返事をした。
「どうぞ」
扉が開かれる。
ルーレは一度大きく剣を弾き、氷の盾を捨てて、ゆっくりと開いた隙間へと飛び込んだ。その拍子にナクス少将が運んできたドリンクを落としたが、氷のゴミ箱を落下位置に創造してナクス少将の横を通り抜けた。
「せっかくのアイスティーですが、すみません」
ナクス少将は氷の容器内でミックスされたドリンクを呆然と見つめてつぶやいた。
「アイスティーだからって、そこまで冷やさなくても……」
ルーレは銀色の頑丈そうな扉を見つけ、そこへ飛び込んだ。すぐさま鍵をかける。だが敵は鉄の操作型魔導師だ。鍵の構造を知っていたら鍵なしで開錠されてしまう。
そんな心配をしていると、扉がグニャリと変形し、道を空けてしまった。ロイン大将が走ってきている。
ルーレは部屋の奥へと逃げ込んだ。
ルーレが逃げ込んだ部屋は厨房だった。いまは誰もいない。
ルーレは銀色の調理台の下、収納スペースの引き戸を開けて中に身を潜り込ませ、足を抱え込んだ姿勢で再び扉を閉めた。
「できれば物を壊したくないのだがね。仕方ない」
ガシャン、ガシャンと神経を逆撫でするような金属音が響く。大きな空き缶を一瞬でペシャンコに握りつぶすような音。
その音はだんだん近づいてくる。
「……ッ!」
ルーレの背中側から大きな音がした。収納スペースを順に潰していっているのだ。鉄の操作ができるなら、たやすい芸当。
ルーレは即座に自分を囲むように氷の箱を作った。
壁がグニャリと内側へ曲がった。氷が抵抗してルーレは潰されずに済んだ。
「そこだな」
しかし見つかってしまった。
ルーレは氷で小さなハンマーを創り、内側から氷と鉄の板をぶち破り、外へ転がり出た。
瞬間、包丁が三本飛んできた。
即座に氷のブロックを創造して鉄の切っ先を受けとめるが、一本だけ頬を掠めた。
ルーレは振り返り、自分の背後に回った包丁を氷で覆う。しかしロイン大将が魔法のリンクを切らない限り、氷塊は鈍器としてルーレを襲いつづけるはずだ。
ルーレはそれを警戒したが、氷の塊はゴトッと床に落ちた。
ロイン大将は殺傷力の高い武器を好むようで、包丁の刺さった氷のブロックを天井に叩きつけ、氷を割って二本の包丁を自由にした。
ルーレの頭上に氷が降ってくるが、それより先に透明度の低い氷でロイン大将と自分との間に大きな壁を作った。
包丁は二本とも滅茶苦茶に飛びまわった。当てずっぽうでルーレを攻撃しようとしている。
さらに、調理台がグニャリと曲がった。人が一人通れるくらいのスペースを開けた。
ルーレが近くにあったまな板を飛びまわる包丁へ投げつけると、うまい具合に包丁は二本ともまな板へささってそのまま床に落ちた。
ルーレは走った。厨房の奥へと走り、勝手口から外へ飛び出した。
砲撃演習の轟音が反響して空気を震わせる。ビリビリと音の波を肌で感じながら、ルーレは再び駆け出した。
周りは鉄だらけだ。ロイン大将の視界に入った時点で射程圏内に捉えられていることになる。早く身を隠さなければならない。
ゴミ捨て場と倉庫の間を抜けると開けた場所へ出た。
ちょうどそのとき、号令が休憩時間を告げた。
ルーレは迷った。再び建物内に逃げ込んで姿を隠すか、周りに鉄がない演習場の奥まで走るか。
ルーレはロイン大将が追いついてきていないか後ろを振り返って確認した。
ロイン大将はいない。
再び視線を前方へ戻すと、横からキィと扉の開く音がした。そこから出てきたのは紛れもなくロイン大将だった。
「なぜ……」
「ここは私の職場だ。逃亡ルートに検討をつけて周りこむことなど造作もない」
幸いロイン大将は得物を持っていなかった。
ルーレは氷の剣を創造し構えた。
「さすがに複数の巨体を同時に操るのは精神力が削られる」
ロイン大将の視線を辿り、ルーレは驚愕と恐怖を同時に味わった。
演習場に並んでいた戦車が宙に浮き、砲筒をルーレに向けている。
さっきまで演習していた兵士たちは、ロイン大将に促されて建物内へと避難した。
「発射できるのですか?」
「もちろん」
即答。それは発射の号令に等しい。
ルーレは即座にすべての戦車の砲筒内部に氷の塊を仕込んだ。宙に浮く戦車は爆発し、地面に落下して轟音と砂煙を巻き上げた。
風が天然の煙幕を持ち去ったとき、火や黒煙を噴く戦車たちは再び宙に浮いていた。もう砲撃できるような状態ではない。
ルーレの問うた発射とロイン大将の答えた発射は異なるものとなった。廃棄物と化した戦車たちそのものが砲弾となりルーレへ飛んでくる。
ルーレは前方に手をかざす。どれほどの巨大な氷の壁を作ればあれを防げるか。
それを瞬時に決められず、ルーレの魔法は発動が遅れた。氷の壁を創造しようとしたエリアにはすでに戦車が侵入しており、魔法は不発に終わってしまった。
――終わった。
ルーレは自分の生命の終わりを悟った。戦車たちが飛んでくる様がやけにゆっくりに感じた。死の縁に立たされ、感覚だけが鋭敏になっている。
しかし体は動かない。魔法も発動できない。脳裏を自らの人生が駆け巡る。
リッヒ家は騎士の家系であり、ルーレは誰よりも強くあれと教育されてきた。小さいころから心・技・体を英才教育で鍛えられてきた。
彼女は魔導学院に入学してから生徒会長に負けるまでは無敗だった。生徒会長に負けた後も負け知らずだった。
ルーレは己の立ち位置を知り、それを受け入れた。
学院では風紀委員長として学院に貢献してきた。彼女が最も適正だから指名された。
その後はそれが自分の役割だから、務めだから、自らに与えられた責務をこなしてきた。
いつでも全力だった。
しかし、なぜと問われれば理由が見つからない。
魔導学院・四天魔のナンバースリー。
強くあれと教育されたルーレは、その称号が強さの証明として十分なものだと感じていた。
ナンバーワンとは戦ったことがなかったが、生徒会長より強いということは自分よりも強いのだろう。自分より強い者が学院に二人いる。
しかし、それ以外に自分より強い者はいない。彼女が強いかどうか、百人に聞けば百人が強いと答えるだろう。生徒会長も認めてくれている。
彼女は強く在らねばならぬから強くなった。
強くなりたいと思ったことはなかった。
ルーレは自分の力量を知った。魔法の相性、環境との相性、それらを含めての実力。
ルーレ・リッヒはロイン大将より弱い。それは予想どおりのことだった。彼と戦闘になれば負けて死ぬ。
軍事区域に担当を決めたのは自分自身だ。
生徒会長には本丸を担当してもらわなければならない。リオン城の次に危険な軍事区域には自分が適任だ。自分より弱い者を軍事区域に送るわけにはいかないし、リッヒ家の自分なら戦闘にならなずに事を運べるかもしれなかった。
飛んでくる戦車は時間が止まったかのように静止して見えた。己の脳だけが加速して動いている。体も動かないし、加速した脳で魔法を発動したところで、氷の発生自体は加速されずに間に合わない。
ルーレ・リッヒは、このまま、死ぬ。
悔いはないか? やり残したことはないか?
たぶんない。
だから、自分は弱いのだ。
「ゲス・エスト」
そういえば、彼にも負けたのだった。
会長との戦いで自分が負けるときはそれを予想していたが、ゲス・エストだけは予想を超えてきた。学院に自分より強い生徒が三人もいるはずがないと思っていた。
ルーレは彼に負けたとき、勝手に彼を学院のナンバースリーに位置づけた。しかし、彼は生徒会長にも勝ち、またしても彼女の予想を壊してきた。そして、自分の何かが弾けた気がした。
ただ、その感覚は夢のようにボンヤリと消え失せた。
もう一度、彼が何かを成し遂げれば、自分の中の何かが変わるかもしれない。何もかもを決めつけてきた人生を、彼に否定してほしい。それを少しだけ楽しみにしていた。
不意に涙が流れた。最初からいまに至るまで死は覚悟していたのに、急に死にたくなくなってしまった。
さっき誰かが余計なことを言ったからだ。
ゲス・エストの名前を呼んだからだ。
いったい誰が?
それに、思考だけが超加速しているこの状況で、誰が人の名前をフルネームで発言したというのだ。
「ゲス・エストはここにはいない。早く立ち去れ」
ルーレ・リッヒはハッとした。
もはや時間は止まってはいないし、ゆっくり流れているわけでもない。
その証拠に、戦車は宙に静止しているのに、黒煙がモクモクと上空へ舞い上がっている。
「じゃあ、マーリンはいるかね?」
「マーリンもいない。学研、貴様、ここに何をしにきた!」
先ほど最初にゲス・エストの名前を口にしたのは白衣の男だった。ロイン大将が学研と呼んだということは、学研区域の五護臣、ドクター・シータだ。
ルーレは彼を直接目にするのは初めてだった。
「軍事殿、なぜそう私を警戒する? せっかくリッヒ家のお嬢さんにトドメをさせる場面だったのに。こんな丸腰の科学者一人が、廃戦車をケチるほど脅威になりえるのかね?」
空中に静止していた戦車は白衣の男の頭上へ、彼を取り囲むように移動した。
「戦闘の真っ最中に貴様が丸腰で立ち入ってきて、何も警戒しないわけがないだろう」
白衣の男は一度上空で待機している戦車を眺めてから、今度はルーレの方に視線を落とした。
「リッヒ家のお嬢さん、君はゲス・エストの居場所を知っているかね?」
「なぜ彼の居場所を知りたいのですか?」
「最初は待つつもりだったのだがね、待ちきれなくなったのだよ。だから、私のほうから会いに行こうと思ってね。ウィッヒヒヒ! で、先に君の質問に答えたわけだが、君は私の質問に答えてくれるかね?」
ルーレは彼の笑いに寒気を感じた。彼のおかげで命拾いしたが、彼は決して歓迎できる存在ではないと直感した。
さっき勝手な格付けをするのはやめようと決めたばかりなのに、彼女の上位に新しい名前が刻まれたのだった。
0
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
異世界で世界樹の精霊と呼ばれてます
空色蜻蛉
ファンタジー
普通の高校生の樹(いつき)は、勇者召喚された友人達に巻き込まれ、異世界へ。
勇者ではない一般人の樹は元の世界に返してくれと訴えるが。
事態は段々怪しい雲行きとなっていく。
実は、樹には自分自身も知らない秘密があった。
異世界の中心である世界樹、その世界樹を守護する、最高位の八枚の翅を持つ精霊だという秘密が。
【重要なお知らせ】
※書籍2018/6/25発売。書籍化記念に第三部<過去編>を掲載しました。
※本編第一部・第二部、2017年10月8日に完結済み。
◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。

職業・遊び人となったら追放されたけれど、追放先で覚醒し無双しちゃいました!
よっしぃ
ファンタジー
この物語は、通常1つの職業を選定する所を、一つ目で遊び人を選定してしまい何とか別の職業を、と思い3つとも遊び人を選定してしまったデルクが、成長して無双する話。
10歳を過ぎると皆教会へ赴き、自身の職業を選定してもらうが、デルク・コーネインはここでまさかの遊び人になってしまう。最高3つの職業を選べるが、その分成長速度が遅くなるも、2つ目を選定。
ここでも前代未聞の遊び人。止められるも3度目の正直で挑むも結果は遊び人。
同年代の連中は皆良い職業を選定してもらい、どんどん成長していく。
皆に馬鹿にされ、蔑まれ、馬鹿にされ、それでも何とかレベル上げを行うデルク。
こんな中2年ほど経って、12歳になった頃、1歳年下の11歳の1人の少女セシル・ヴァウテルスと出会う。凄い職業を得たが、成長が遅すぎると見捨てられた彼女。そんな2人がダンジョンで出会い、脱出不可能といわれているダンジョン下層からの脱出を、2人で成長していく事で不可能を可能にしていく。
そんな中2人を馬鹿にし、死地に追い込んだ同年代の連中や年上の冒険者は、中層への攻略を急ぐあまり、成長速度の遅い上位職を得たデルクの幼馴染の2人をダンジョンの大穴に突き落とし排除してしまう。
しかし奇跡的にもデルクはこの2人の命を救う事ができ、セシルを含めた4人で辛うじてダンジョンを脱出。
その後自分達をこんな所に追い込んだ連中と対峙する事になるが、ダンジョン下層で成長した4人にかなう冒険者はおらず、自らの愚かな行為に自滅してしまう。
そして、成長した遊び人の職業、実は成長すればどんな職業へもジョブチェンジできる最高の職業でした!
更に未だかつて同じ職業を3つ引いた人物がいなかったために、その結果がどうなるかわかっていなかった事もあり、その結果がとんでもない事になる。
これはのちに伝説となる4人を中心とする成長物語。
ダンジョン脱出までは辛抱の連続ですが、その後はざまぁな展開が待っています。
おっさんの異世界建国記
なつめ猫
ファンタジー
中年冒険者エイジは、10年間異世界で暮らしていたが、仲間に裏切られ怪我をしてしまい膝の故障により、パーティを追放されてしまう。さらに冒険者ギルドから任された辺境開拓も依頼内容とは違っていたのであった。現地で、何気なく保護した獣人の美少女と幼女から頼られたエイジは、村を作り発展させていく。

迷宮に捨てられた俺、魔導ガチャを駆使して世界最強の大賢者へと至る〜
サイダーボウイ
ファンタジー
アスター王国ハワード伯爵家の次男ルイス・ハワードは、10歳の【魔力固定の儀】において魔法適性ゼロを言い渡され、実家を追放されてしまう。
父親の命令により、生還率が恐ろしく低い迷宮へと廃棄されたルイスは、そこで魔獣に襲われて絶体絶命のピンチに陥る。
そんなルイスの危機を救ってくれたのが、400年の時を生きる魔女エメラルドであった。
彼女が操るのは、ルイスがこれまでに目にしたことのない未発見の魔法。
その煌めく魔法の数々を目撃したルイスは、深い感動を覚える。
「今の自分が悔しいなら、生まれ変わるしかないよ」
そう告げるエメラルドのもとで、ルイスは努力によって人生を劇的に変化させていくことになる。
これは、未発見魔法の列挙に挑んだ少年が、仲間たちとの出会いを通じて成長し、やがて世界の命運を動かす最強の大賢者へと至る物語である。

ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。
夜兎ましろ
ファンタジー
高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。
ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。
バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
スライムすら倒せない底辺冒険者の俺、レベルアップしてハーレムを築く(予定)〜ユニークスキル[レベルアップ]を手に入れた俺は最弱魔法で無双する
カツラノエース
ファンタジー
ろくでもない人生を送っていた俺、海乃 哲也は、
23歳にして交通事故で死に、異世界転生をする。
急に異世界に飛ばされた俺、もちろん金は無い。何とか超初級クエストで金を集め武器を買ったが、俺に戦いの才能は無かったらしく、スライムすら倒せずに返り討ちにあってしまう。
完全に戦うということを諦めた俺は危険の無い薬草集めで、何とか金を稼ぎ、ひもじい思いをしながらも生き繋いでいた。
そんな日々を過ごしていると、突然ユニークスキル[レベルアップ]とやらを獲得する。
最初はこの胡散臭過ぎるユニークスキルを疑ったが、薬草集めでレベルが2に上がった俺は、好奇心に負け、ダメ元で再びスライムと戦う。
すると、前までは歯が立たなかったスライムをすんなり倒せてしまう。
どうやら本当にレベルアップしている模様。
「ちょっと待てよ?これなら最強になれるんじゃね?」
最弱魔法しか使う事の出来ない底辺冒険者である俺が、レベルアップで高みを目指す物語。
他サイトにも掲載しています。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる