54 / 302
第二章 帝国編
第53話 作戦会議①
しおりを挟む
職員室の隅にあるパーテーションで仕切られた応接の間。そこには二人掛けのソファーがU字型に配置されており、中央の長方形テーブルには四つの湯のみが置いてあった。
俺はレイジーと向かい合わせになる位置に座った。対面のレイジーの隣には教頭先生が腰を下ろしている。それから、なぜか俺の隣にダースがいた。
「えっと、ここはレイジーが仕切らせてもらいますね」
レイジーが隣を見上げ、教頭は黙って頷いた。
「最初にエスト君が誤解しているかもしれないので、それを解いておきます。エスト君はレイジーたちが帝国と学院や関係諸国との戦争を避けるために君を止めたと思っているかもしれないけれど、そうじゃないんだよ」
「ほう」
戦闘前のダースの口ぶりから、多少なりともそれは察していた。
俺は視線を送り、レイジーに続きを促す。
「学院内で白昼堂々とマーリンちゃんを誘拐されたことは、魔導学院としても大変遺憾なことだし、何よりマーリンちゃんのために、彼女の奪還は必ず果たします。でもね、相手が強大なことを知っているから、準備を万端に整えてからかかろうってわけなんだよ」
「準備? 武器と兵士でもそろえるのか? それなら無駄だ。俺が単身で乗り込んだほうが早い」
「それはないかなぁ。レイジーはものすごく強い人が帝国にいることを知っているからねぇ」
「ほう、それは楽しみだな」
二つの不敵な笑みがぶつかり合う。教頭は隣で目を閉じている。ダースの方は見ない。
「まあ、聞いてよ。君は世界の常識を知らないほど辺境の異国から来たらしいけれど、E3《エラースリー》って知っているかな?」
「知らん」
「知らないかぁ。最強を求めるのにE3を知らないってのは意外だよ。E3ってのはね、世界で最強と謳われる三人の魔導師のことなんだよ」
「三人もいたら最強とはいえないな。最強っていうのはな、すべての中でいちばん強いただ一人のことだ」
「まあそう言いたい気持ちは分かるけれど、この三人の優劣はつけられないんだよ。世界情勢の都合でね。抑止力って言えば分かるかな? 世界最強と呼ばれる魔導師は三国に分散して在籍しているけれど、その一人の力は一国の軍隊以上とも言われていて、もしその三人に優劣がついてしまうと、それは彼らの在籍国そのものの優劣になってしまう。だから世界戦争を起こさせないためにも、E3は互いに戦ってはいけないという世界協定が結ばれているんだよ」
面白い。世界に認められた三人か。
E3同士が戦うのは禁じられていても、そのほかの魔導師とは戦えるわけだ。
もしも俺が誰かに勝てば、その瞬間に世界の均衡は揺らぐことになるだろう。
「悪い顔をしているね、エスト」
ダースが横から水を差す。俺はそれを無視した。催促はすべてレイジーに送る。
「で、そのE3とやらが何だって?」
「リオン帝国・近衛騎士団。その団長がE3の一人なんだよ。つまり、もしも正面から帝国に攻め入ったら、そのE3の一人と戦わざるを得ないってわけ。エスト君だってリスクを冒してマーリンちゃんの救出と自分の趣味とを両立させるより、マーリンちゃんを確実に救出するほうがいいでしょう?」
「そりゃまあ、E3とはマーリンを救出した後に気兼ねなく戦いたいところだ。だが、机上で作戦を練ったところで確実にE3を回避するなんてできないだろう?」
「いやいやいやぁ、できるんだなぁ、それが」
「へぇ。聞こうじゃないか」
レイジーはニッと笑ってみせた。俺の驚く顔を楽しみにしているという顔だ。よほどの策があるのか。俺が驚くなど、そうそうあることではない。
「作戦の要となる特別ゲストをご紹介します。帝国・近衛騎士団団長、ご本人様でーす!」
「はぁ⁉」
パーテーションの向こう側を足音が移動する。そして二人の人間が俺たちの前に姿を現した。
一人は風紀委員長、ルーレ・リッヒ。彼女がゲストをここまで案内してきたのだ。そして、そのゲストは……。
「あんた、あのときの……」
見覚えがあった。
バトルフェスティバルの決勝戦たるレイジー戦の前に、控え室で会った白い女だ。いまもあのときと格好は変わらない。純白のワンピースに、ツバの広い純白のハット。その凛とした佇まいは、説明がなくともタダ者ではないことを明白にさせる。
「すでにご紹介に預かりましたが、改めて自己紹介をさせていただきましょう。私はリオン帝国近衛騎士団団長を務めております、リーン・リッヒと申します。事情は私から話させていただきます」
清涼感のある澄んだ声だ。それでいて、芯が通っているような強さを内包している。見た目の補正がなくとも、その声質と口調がただならぬ者だと名乗っている。
「リッヒ、ということは……」
「ええ、そうです。彼女は私の従姉にあたる方です」
ルーレ・リッヒが補足した。
典麗と秀麗の二人が並んだ様はまさに錦上添花。それが武を極めた家系だというのだから、神はよほど均衡や平等というものが嫌いらしい。
明朗さで食い下がるレイジーが、ルーレの補足にさらに付け加える。
「それで、レイジーの親友でもあるんだよ」
「おう、そうか……」
さり気なく人脈自慢を披露された気もするが、それを口にするようではゲスではなく単なる器の小さい男になってしまう。
実際、俺の興味は敵のエースがなぜ敵地に赴いて自己紹介などしているかということだ。
「まあ、座ってよ」
レイジーが促し、奥手にある上座のソファーにリッヒ家の二人が座った。
「で、その事情というのは?」
俺とダースは右に、レイジーと教頭先生は左に傾注し、ゲストの開口を待った。
「もうある程度は御存知かもしれませんが、リオン帝国はマジックイーターに侵食されつつあります。その侵食は皇室にまで及び、三人いる皇妃のうち二人もがマジックイーターという有様なのです。しかも、皇帝は第二皇妃に生気を搾り取られてモウロクしているため、皇妃や大臣の言いなりも同然の存在となっているのです。だからあなた方には、帝国の皇室に切り込み、マジックイーターたちを排除していただきたいのです」
「それは力ずくでってこと、だよな? それならE3だとかいうあんたがやればいいんじゃないか? 仮にも最強の一角なんだろ?」
他人のことを最強と呼ぶ自分に嫌悪感が走る。最強は俺だと主張したいところだが、さすがにそれは空気を読めていなさすぎる。迂闊なことを言って空気がシラけると、俺のゲスとしての品格も落ちる。
リーン・リッヒは俺のそんな薄汚れた思考など知る由もなく、強い視線に美しい声を載せて俺に語る。
「私は近衛騎士団団長です。いかなる理由があろうと、皇帝家に刃を向けることは許されません」
「だったら近衛騎士を辞めれば?」
俺は単刀直入に指摘する。解決策として最適解だと自負するその下に、リーン・リッヒという女性の顔が狼狽する様を見たいという気持ちが少しあった。
しかし、彼女の表情は鉄芯に貫かれているかのようにブレがない。
「近衛騎士という務めとは別に、リッヒ家は皇帝家に永遠の忠誠を誓っているのです。これは帝国では最も栄誉なことであると同時に、これを蔑ろにすることほど不名誉で恥ずべきことはありません。リッヒ家の当主としても、一介の騎士としても、絶対に皇帝家に背くことはできません」
俺の嗜虐心は溜息へと変質した。
難儀なものだ。堅苦しい家系に生まれ、堅苦しい人間に育った。絶対的に固定化された価値観。しかしそれは、ある種の甘えではないのか。疑問を持たず従順に家系の言いつけに従い、自分の気持ちを殺す。
彼女の苦労は受動的だ。俺も実は厳格な家の生まれなのだが、反発ばかりしていた。厳格な家系だから徹底的に押さえ込まれるが、それでも俺は抵抗しつづけた。俺は納得がいかなければ徹底的に交戦する。
まあ、その結果として生まれたのがこのゲス野郎なわけだから、とても「ほらみろ」とは言えないのが悲しいところだ。
「エスト君には分からないだろうけれどねぇ。でも、忠誠心と誇りがリッヒ家の強さの源だと言ったら、君は『それなら仕方ないな』と思うんじゃない?」
俺に笑ってみせるレイジーの眉は八の字に下がっていた。彼女もリーン・リッヒの境遇に同情しているのだろう。
「まあ、E3とやらのあんたが敵でないっていうのなら、マーリンの奪還もマジックイーターの排除も楽な仕事だな」
俺の言葉を受け、リーン・リッヒが咳払いを一つ入れた。
「えー、そこなのですが、私は帝国皇室を守護する身ですので、あなた方が攻めてきた場合には、全力を持って排除せねばなりません。私はこのたび、レイジーが戦うほどの相手が出てきたと聞いて、好機と直感したのです。その者がレイジーに匹敵する強さを持ち、レイジーとともに私に挑むのであれば、あるいは、と思ったのです。もちろん、私はあなた方が帝国に攻め入る刻に合わせて皇帝とともに城を開けるようには務めますが、もしもそれが叶わなかった折には、力ずくで私を突破してもらわなければなりません。そうなった場合に手を抜けない身であることを本当に申し訳なく思います」
堅い、堅い、と思い呆れながら聞いていたら、いつの間にか俺の闘志に火を点けられ煽られていた。
まるで我こそ王者と言わんばかりではないか。俺が挑戦者? それもレイジーとのタッグを組んでやっと対等に渡り合えるだと?
「攻めてこいと言っておいて、でも自分は邪魔をするって? しかも、天狗ばりにお高くとまっていやがる。なんならここであんたをぶっ潰してそのまま帝国を攻め落としてやろうか? あんたの相手は俺一人で十分だ。ついでに言うと、俺はマジックイーターどころか帝国そのものを乗っ取ってやるから、俺は正真正銘、あんたの敵だぜ。本気の本気でかかってきていい相手なんだぜ」
リーン・リッヒは上品に笑った。その笑みに厭味は感じなかったが、だからこそ、俺の言葉を戯言と捉え、あくまで自分が強いという余裕の上に笑みを浮かべていることが伝わってくる。
「あなたは情報を重要視していると聞きました。私はあなたの戦いを拝見しましたが、あなたは私のことを何も知らないでしょうから、私が帝国に戻る間にレイジーから聞くといいでしょう。帝国の内部事情等の渡せる情報はすべてレイジーに渡しています。そして作戦もレイジーに任せています。期待しているので、十分に準備してお越しください」
リーン・リッヒは終始にわたり、上品な笑みか、あるいは清楚な憂いを顔に浮かべていた。
彼女はルーレ・リッヒに連れられ、応接間を出ていった。
「最後まで余裕をかましてくれやがって。よほどの強い魔法を使うんだろうな。概念種か?」
レイジーが噴き出すように笑う。
何が楽しいのか。橙色の瞳が光っているように見える。
「違うよ。リーンの魔法は現象種、振動の魔導師だよ。それに、余裕っていうのも少し違うかな。親友だからこそ分かるけど、リーンも少し楽しみにしているみたいだったよ。君と戦えることをね。彼女は最強の騎士と呼ばれていて、アークドラゴンを一人で撃退したほどの使い手なんだ。だから、いままで手を抜いて戦うことしかしてこなかったけれど、今度はまともにやりあえる相手が現れたかもって、胸が高鳴っていると思うよ、きっと」
アークドラゴンといえば、ネームド・オブ・ネームド・イーター。最強と謳われた竜型イーターだ。
とはいっても、俺が対峙したことのないイーターを引き合いに出されても指標にはならない。
だが、いいじゃないか、リーン・リッヒ。現象種の振動か。
ちなみに俺の空気の種別は物質種に該当するらしい。水や石は物質種で、火や風や電気は現象種。光も現象種。闇は概念種……。
ダースの闇はたしかに手強かった。だが、概念種以外で俺が苦戦した相手はいない。
「さて、そろそろ作戦について話そうじゃないか」
教頭先生が咳払いを一つ入れた。
閑話休題の指示が出たところで、レイジーは立ち上がり、どこからかホワイトボードをひっぱってきた。
「エスト君は帝国のことをよく知らないみたいだから、常識的な範囲ではあるけれど、帝国についての説明を作戦と合わせて説明するね」
昂ぶってきたところでお預けの座学ときましたか。
あなたもなかなかゲスですね、レイジーさん。
俺はレイジーと向かい合わせになる位置に座った。対面のレイジーの隣には教頭先生が腰を下ろしている。それから、なぜか俺の隣にダースがいた。
「えっと、ここはレイジーが仕切らせてもらいますね」
レイジーが隣を見上げ、教頭は黙って頷いた。
「最初にエスト君が誤解しているかもしれないので、それを解いておきます。エスト君はレイジーたちが帝国と学院や関係諸国との戦争を避けるために君を止めたと思っているかもしれないけれど、そうじゃないんだよ」
「ほう」
戦闘前のダースの口ぶりから、多少なりともそれは察していた。
俺は視線を送り、レイジーに続きを促す。
「学院内で白昼堂々とマーリンちゃんを誘拐されたことは、魔導学院としても大変遺憾なことだし、何よりマーリンちゃんのために、彼女の奪還は必ず果たします。でもね、相手が強大なことを知っているから、準備を万端に整えてからかかろうってわけなんだよ」
「準備? 武器と兵士でもそろえるのか? それなら無駄だ。俺が単身で乗り込んだほうが早い」
「それはないかなぁ。レイジーはものすごく強い人が帝国にいることを知っているからねぇ」
「ほう、それは楽しみだな」
二つの不敵な笑みがぶつかり合う。教頭は隣で目を閉じている。ダースの方は見ない。
「まあ、聞いてよ。君は世界の常識を知らないほど辺境の異国から来たらしいけれど、E3《エラースリー》って知っているかな?」
「知らん」
「知らないかぁ。最強を求めるのにE3を知らないってのは意外だよ。E3ってのはね、世界で最強と謳われる三人の魔導師のことなんだよ」
「三人もいたら最強とはいえないな。最強っていうのはな、すべての中でいちばん強いただ一人のことだ」
「まあそう言いたい気持ちは分かるけれど、この三人の優劣はつけられないんだよ。世界情勢の都合でね。抑止力って言えば分かるかな? 世界最強と呼ばれる魔導師は三国に分散して在籍しているけれど、その一人の力は一国の軍隊以上とも言われていて、もしその三人に優劣がついてしまうと、それは彼らの在籍国そのものの優劣になってしまう。だから世界戦争を起こさせないためにも、E3は互いに戦ってはいけないという世界協定が結ばれているんだよ」
面白い。世界に認められた三人か。
E3同士が戦うのは禁じられていても、そのほかの魔導師とは戦えるわけだ。
もしも俺が誰かに勝てば、その瞬間に世界の均衡は揺らぐことになるだろう。
「悪い顔をしているね、エスト」
ダースが横から水を差す。俺はそれを無視した。催促はすべてレイジーに送る。
「で、そのE3とやらが何だって?」
「リオン帝国・近衛騎士団。その団長がE3の一人なんだよ。つまり、もしも正面から帝国に攻め入ったら、そのE3の一人と戦わざるを得ないってわけ。エスト君だってリスクを冒してマーリンちゃんの救出と自分の趣味とを両立させるより、マーリンちゃんを確実に救出するほうがいいでしょう?」
「そりゃまあ、E3とはマーリンを救出した後に気兼ねなく戦いたいところだ。だが、机上で作戦を練ったところで確実にE3を回避するなんてできないだろう?」
「いやいやいやぁ、できるんだなぁ、それが」
「へぇ。聞こうじゃないか」
レイジーはニッと笑ってみせた。俺の驚く顔を楽しみにしているという顔だ。よほどの策があるのか。俺が驚くなど、そうそうあることではない。
「作戦の要となる特別ゲストをご紹介します。帝国・近衛騎士団団長、ご本人様でーす!」
「はぁ⁉」
パーテーションの向こう側を足音が移動する。そして二人の人間が俺たちの前に姿を現した。
一人は風紀委員長、ルーレ・リッヒ。彼女がゲストをここまで案内してきたのだ。そして、そのゲストは……。
「あんた、あのときの……」
見覚えがあった。
バトルフェスティバルの決勝戦たるレイジー戦の前に、控え室で会った白い女だ。いまもあのときと格好は変わらない。純白のワンピースに、ツバの広い純白のハット。その凛とした佇まいは、説明がなくともタダ者ではないことを明白にさせる。
「すでにご紹介に預かりましたが、改めて自己紹介をさせていただきましょう。私はリオン帝国近衛騎士団団長を務めております、リーン・リッヒと申します。事情は私から話させていただきます」
清涼感のある澄んだ声だ。それでいて、芯が通っているような強さを内包している。見た目の補正がなくとも、その声質と口調がただならぬ者だと名乗っている。
「リッヒ、ということは……」
「ええ、そうです。彼女は私の従姉にあたる方です」
ルーレ・リッヒが補足した。
典麗と秀麗の二人が並んだ様はまさに錦上添花。それが武を極めた家系だというのだから、神はよほど均衡や平等というものが嫌いらしい。
明朗さで食い下がるレイジーが、ルーレの補足にさらに付け加える。
「それで、レイジーの親友でもあるんだよ」
「おう、そうか……」
さり気なく人脈自慢を披露された気もするが、それを口にするようではゲスではなく単なる器の小さい男になってしまう。
実際、俺の興味は敵のエースがなぜ敵地に赴いて自己紹介などしているかということだ。
「まあ、座ってよ」
レイジーが促し、奥手にある上座のソファーにリッヒ家の二人が座った。
「で、その事情というのは?」
俺とダースは右に、レイジーと教頭先生は左に傾注し、ゲストの開口を待った。
「もうある程度は御存知かもしれませんが、リオン帝国はマジックイーターに侵食されつつあります。その侵食は皇室にまで及び、三人いる皇妃のうち二人もがマジックイーターという有様なのです。しかも、皇帝は第二皇妃に生気を搾り取られてモウロクしているため、皇妃や大臣の言いなりも同然の存在となっているのです。だからあなた方には、帝国の皇室に切り込み、マジックイーターたちを排除していただきたいのです」
「それは力ずくでってこと、だよな? それならE3だとかいうあんたがやればいいんじゃないか? 仮にも最強の一角なんだろ?」
他人のことを最強と呼ぶ自分に嫌悪感が走る。最強は俺だと主張したいところだが、さすがにそれは空気を読めていなさすぎる。迂闊なことを言って空気がシラけると、俺のゲスとしての品格も落ちる。
リーン・リッヒは俺のそんな薄汚れた思考など知る由もなく、強い視線に美しい声を載せて俺に語る。
「私は近衛騎士団団長です。いかなる理由があろうと、皇帝家に刃を向けることは許されません」
「だったら近衛騎士を辞めれば?」
俺は単刀直入に指摘する。解決策として最適解だと自負するその下に、リーン・リッヒという女性の顔が狼狽する様を見たいという気持ちが少しあった。
しかし、彼女の表情は鉄芯に貫かれているかのようにブレがない。
「近衛騎士という務めとは別に、リッヒ家は皇帝家に永遠の忠誠を誓っているのです。これは帝国では最も栄誉なことであると同時に、これを蔑ろにすることほど不名誉で恥ずべきことはありません。リッヒ家の当主としても、一介の騎士としても、絶対に皇帝家に背くことはできません」
俺の嗜虐心は溜息へと変質した。
難儀なものだ。堅苦しい家系に生まれ、堅苦しい人間に育った。絶対的に固定化された価値観。しかしそれは、ある種の甘えではないのか。疑問を持たず従順に家系の言いつけに従い、自分の気持ちを殺す。
彼女の苦労は受動的だ。俺も実は厳格な家の生まれなのだが、反発ばかりしていた。厳格な家系だから徹底的に押さえ込まれるが、それでも俺は抵抗しつづけた。俺は納得がいかなければ徹底的に交戦する。
まあ、その結果として生まれたのがこのゲス野郎なわけだから、とても「ほらみろ」とは言えないのが悲しいところだ。
「エスト君には分からないだろうけれどねぇ。でも、忠誠心と誇りがリッヒ家の強さの源だと言ったら、君は『それなら仕方ないな』と思うんじゃない?」
俺に笑ってみせるレイジーの眉は八の字に下がっていた。彼女もリーン・リッヒの境遇に同情しているのだろう。
「まあ、E3とやらのあんたが敵でないっていうのなら、マーリンの奪還もマジックイーターの排除も楽な仕事だな」
俺の言葉を受け、リーン・リッヒが咳払いを一つ入れた。
「えー、そこなのですが、私は帝国皇室を守護する身ですので、あなた方が攻めてきた場合には、全力を持って排除せねばなりません。私はこのたび、レイジーが戦うほどの相手が出てきたと聞いて、好機と直感したのです。その者がレイジーに匹敵する強さを持ち、レイジーとともに私に挑むのであれば、あるいは、と思ったのです。もちろん、私はあなた方が帝国に攻め入る刻に合わせて皇帝とともに城を開けるようには務めますが、もしもそれが叶わなかった折には、力ずくで私を突破してもらわなければなりません。そうなった場合に手を抜けない身であることを本当に申し訳なく思います」
堅い、堅い、と思い呆れながら聞いていたら、いつの間にか俺の闘志に火を点けられ煽られていた。
まるで我こそ王者と言わんばかりではないか。俺が挑戦者? それもレイジーとのタッグを組んでやっと対等に渡り合えるだと?
「攻めてこいと言っておいて、でも自分は邪魔をするって? しかも、天狗ばりにお高くとまっていやがる。なんならここであんたをぶっ潰してそのまま帝国を攻め落としてやろうか? あんたの相手は俺一人で十分だ。ついでに言うと、俺はマジックイーターどころか帝国そのものを乗っ取ってやるから、俺は正真正銘、あんたの敵だぜ。本気の本気でかかってきていい相手なんだぜ」
リーン・リッヒは上品に笑った。その笑みに厭味は感じなかったが、だからこそ、俺の言葉を戯言と捉え、あくまで自分が強いという余裕の上に笑みを浮かべていることが伝わってくる。
「あなたは情報を重要視していると聞きました。私はあなたの戦いを拝見しましたが、あなたは私のことを何も知らないでしょうから、私が帝国に戻る間にレイジーから聞くといいでしょう。帝国の内部事情等の渡せる情報はすべてレイジーに渡しています。そして作戦もレイジーに任せています。期待しているので、十分に準備してお越しください」
リーン・リッヒは終始にわたり、上品な笑みか、あるいは清楚な憂いを顔に浮かべていた。
彼女はルーレ・リッヒに連れられ、応接間を出ていった。
「最後まで余裕をかましてくれやがって。よほどの強い魔法を使うんだろうな。概念種か?」
レイジーが噴き出すように笑う。
何が楽しいのか。橙色の瞳が光っているように見える。
「違うよ。リーンの魔法は現象種、振動の魔導師だよ。それに、余裕っていうのも少し違うかな。親友だからこそ分かるけど、リーンも少し楽しみにしているみたいだったよ。君と戦えることをね。彼女は最強の騎士と呼ばれていて、アークドラゴンを一人で撃退したほどの使い手なんだ。だから、いままで手を抜いて戦うことしかしてこなかったけれど、今度はまともにやりあえる相手が現れたかもって、胸が高鳴っていると思うよ、きっと」
アークドラゴンといえば、ネームド・オブ・ネームド・イーター。最強と謳われた竜型イーターだ。
とはいっても、俺が対峙したことのないイーターを引き合いに出されても指標にはならない。
だが、いいじゃないか、リーン・リッヒ。現象種の振動か。
ちなみに俺の空気の種別は物質種に該当するらしい。水や石は物質種で、火や風や電気は現象種。光も現象種。闇は概念種……。
ダースの闇はたしかに手強かった。だが、概念種以外で俺が苦戦した相手はいない。
「さて、そろそろ作戦について話そうじゃないか」
教頭先生が咳払いを一つ入れた。
閑話休題の指示が出たところで、レイジーは立ち上がり、どこからかホワイトボードをひっぱってきた。
「エスト君は帝国のことをよく知らないみたいだから、常識的な範囲ではあるけれど、帝国についての説明を作戦と合わせて説明するね」
昂ぶってきたところでお預けの座学ときましたか。
あなたもなかなかゲスですね、レイジーさん。
0
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!
あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!?
資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。
そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。
どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。
「私、ガンバる!」
だったら私は帰してもらえない?ダメ?
聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。
スローライフまでは到達しなかったよ……。
緩いざまああり。
注意
いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。
転生貴族のスローライフ
マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた
しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった
これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である
*基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。
彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。
父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。
わー、凄いテンプレ展開ですね!
ふふふ、私はこの時を待っていた!
いざ行かん、正義の旅へ!
え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。
でも……美味しいは正義、ですよね?
2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる