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第一章 学院編

第30話 ルーレ・リッヒ①

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 キーラを連れて黄昏寮へ戻ったとき、俺はひどく不快な光景を目の当たりにした。
 俺が住み、リーズが寮長補佐を務めるこの寮が、傷や泥にまみれて無残な姿になっていた。窓はことごとく割れ、壁紙は剥がれ落ち、リーズが高級品と言っていた絨毯じゅうたんやぶれている。おまけに家具という家具が叩き潰されていた。

「ひどい……」

 そうつぶやくキーラはいまにも吐きそうだった。もっとも、キーラが吐きそうなのはレールのないジェットコースターを約十分も堪能していたせいだろう。
 もしかしたら彼女のつぶやきは寮の惨状ではなく俺のことを言ったのかもしれない。

「イーターか? だが、単なる食欲の塊みたいな奴らがここまで荒らすとは思えん。あのゴブリンみたいなイーターの仲間が復讐しにきたのか。あるいは……」

 ティーチェの仕業しわざか。
 ジム・アクティを使って俺を誘き出し、その間に何かいろいろと策謀を巡らせたのか。

「見て! そこ、血が付いているわ。あ、そっちにも」

 寮生のものだろう。
 そういえば寮生の姿が見あたらない。血の量の少なさからして、ここでイーターに食われたとは考えにくい。おそらく拉致らちされたのだ。
 つまり、イーターではなく人間の仕業ということになる。

「おい、足音だ」

 バタバタと重なる足音は、集団が駆けつけてくる音だ。
 俺とキーラはその足音の方に注意を向け、身構えた。
 寮生たちを連れ去った者たちが残党狩りをしているのかもしれない。

「来るぞ」

 そしてついに、その集団が廊下の角を曲がり俺たちの視界に入った。
 人間の集団だ。集団の先頭には見覚えのある人物がいた。
 つやのある黒く長い髪がなびき、細身長身を際立たせる。凛とした瞳には何者も触れることのできない強い信念の光が宿っている。凄絶せいぜつとも言えるほどの美女。シワひとつない制服の白いシャツが眩しい。
 彼女の名はルーレ・リッヒ。リーズの姉で、魔導学院の風紀委員長様だ。

「ゲス・エスト。あなたを殺人の容疑で拘束します」

「殺人の容疑だと? おいおい、俺はいま、ここに来たばかりだ。この惨状には俺も驚いているんだぜ?」

「それとは別件です。黄昏寮の被害および寮生たちの行方については調査中です。ゲス・エスト、あなたにはジム・アクティ殺害容疑がかかっているのです」

「なにっ⁉」

 いちおう俺はジム・アクティを殺していない。そんな言い訳が通じないくらい事情を把握しているのだとしたら、俺の思考やら記憶やらをジャックされたとしか考えられない。
 空気で空を飛ぶという高速移動ができるのは俺くらいのものだろうし、ついさっきの出来事を俺とキーラとエアとメターモ以外が知りえるわけがない。
 しかし魔導学院の敷地内に入ってから魔術師には一度も会っていない。
 となると、ティーチェが嘘の目撃証言でもしているのかもしれない。

 ルーレ・リッヒが俺に近づいてくる。そして俺の両の手首を取り、腰の高さで左右をくっつける。そこに分厚い氷が精製された。
 俺は即座に空気を固めてペンチを作り出し、氷の錠を割り砕いた。

「拘束を拒みますか」

「ああ、拒むね。俺はジム・アクティを殺していない。それに、仮に殺したとしてもここには殺人者を拘束できるという法はないはずだ」

 ルーレ・リッヒは驚いていた。氷の錠を破壊したときには見せなかったその表情を、俺の言葉を聞いて初めて見せた。
 これまで彼女の意向を拒否した者などいなかったのかもしれない。

「たしかに、学院内に法は定められていない。しかし、殺人の容疑者を自由にさせておくわけにはいかない。仕方ありません。四天魔権限であなたを拘束します!」

「俺はいかなる権力にも屈しない。やるなら力ずくでやってみろ」

 ルーレ・リッヒの目には、おろしたての包丁のような冷たい鋭さが宿っていた。彼女は部下たちに下がれと言った。俺もキーラを邪魔だと追い払った。

 本当は一時間後に開かれるバトルフェスティバル準決勝のカード。俺にとっては、それが少し早まったにすぎない。
 ただ、ルーレ・リッヒにとっては同じではない。彼女は仕事として俺を捕らえなければならない。それはつまり、本気度が違うということだ。いや、本気度ではなく本気の種類か。相手に向けるものが敬意か、正義にもとづく敵意かの違い。
 ルーレ・リッヒが本気で相手をしてくれるならば願ったり叶ったりだが、どこかモヤモヤするものがある。

「バトルフェスティバルのことを考えていますか? バトルフェスティバルは延期、もしくは中止になるでしょう。我が学院は早急に解決しなければならない問題を一度に複数抱えてしまいました」

「ぜひその情報を俺にも共有してほしいね」

「その問題の一つはあなたですよ、ゲス・エスト」

 足元に冷気を感じた。
 俺の足は床にへばりついていた。

 なるほど。冷気を感じるのは氷づけにされた後か。
 当たり前といえば当たり前だ。発生した氷が冷気を放ち、それを俺の皮膚が感じ取る。
 つまり、冷気によって氷魔法発生の気配を探ることはできないということだ。

「それなら問題が一つ解決したも同然だな。ただし、そのためにはあんたは俺を拘束するのではなく協力を要請するべきだった」

「もしあなたが私の立場であってもそうしましたか?」

「いいや、あんたと同じようにしただろう。いや、むしろ問答無用で拘束したかもな。だが、あんたみたいな聡明そうな人間が俺みたいなゲスと同じ判断を下すとは意外だ」

「あなたもなかなか聡明のようです。いえ、狡猾こうかつというべきでしょうか。私の状況もすでに察しているようですね」

「ああ、まあな」

 ルーレ・リッヒは任務として俺を拘束しに来た。つまり、彼女は自分よりも上にいる人間の命令に従っているということだ。
 それはおそらく、学院の先生であるティーチェか、同じ魔術師として彼女の言葉に信頼を寄せるほかの先生の誰か。

「ならば、ここは私に従ってくれませんか? あなたがプライドの高い人物であることはリーズから聞き及んでいます。ですが、事を穏便に進めるためにも格好の悪い姿を晒すことには目をつぶってください」

「ルーレさんよ、俺のプライドは実はそんなにお高くはないんだぜ。相手を出し抜くためなら土下座だろうが何だろうが平気でする男だ。だが、そのお願いはお断りする。俺がバトルフェスティバルに参加した理由、何だと思う? それは優勝するためなんかじゃない。人に認められるとか、権力や名誉を手にするとか、そういうのはいらないんだ。俺はただ、魔導学院でいちばん強い奴と戦い、叩き潰す。ただそれだけを目的としている。そしていま、目の前に強者の一人がいる」

「なるほど。どうあがいてもあなたを連行するには、力ずくしかないということですか」

「ああ、そういうことだ。あんたは俺に妹を助けてもらった恩義を感じているかもしれないが、そんなものは捨て去って構わない。俺はリーズを助けたわけじゃない。俺が敵を蹂躙じゅうりんした結果、リーズが助かったにすぎない」

「ではこうしましょう。妹を助けていただいたお礼として、私は本気であなたを叩き潰し、屈従くつじゅうさせます!」
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