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第一章 学院編

第1話 精霊(※挿絵あり)

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 さて、と。
 もしこれがライトノベルの中の世界だったなら、次に出くわすのはおそらく、裸の女の子。
 茂みの奥に秘境の温泉があって湯浴ゆあみをしているとか、建物の扉を開けたら着替えの最中だとか、あるいは、空から降ってくるとか。

 ふと、俺の頭上に影が差した気がした。
 三番目のパターンか!
 空を見上げると、やはり裸の女の子。
 受けとめたら腰がやられそうだが、俺が受けとめなければ女の子は即死するだろう。
 じゃあ受けとめるしかない。
 俺は自分が下敷きにならぬよう一歩後退し、そして女の子を受けとめるべく、両手を前に出した。

 ストン。
 手応え、なし。

 女の子は俺の両腕の中には落ちなかった。
 頭を地面に叩きつけて即死した、なんてことはない。
 女の子はスタッと体操選手みたく綺麗に着地した。現実ならきっとありえないが、ここは重力を幾分軽視できる世界なのかもしれない。
 身の丈からしてよわい十四、五くらいかと推定される細身の少女に怪我はない。

 だが裸だ!
 一糸まとわぬ完全な裸だ!

 ただ、少女の裸を見た瞬間に、大きな違和感が俺を襲った。
 それは違和感と呼ぶには明白すぎる怪奇であった。

「おまえ、人間か?」

 裸の少女にかけた俺の第一声がこれである。
 ぶしつけすぎる、と普通なら思うだろう。だが、俺の疑問は俺の性格の悪さを抜きにして、自然と発せられたものだし、妥当なものだろう。
 少女は裸だったが、その細部には女性の、いや、ヒトの特徴が見られなかった。
 輪郭だけがはっきりしていて、人体に必要な器官が多く抜け落ちている。
 例えば顔は、目蓋を閉じているように見えるが、そこに切れ目はなく開眼できそうにない。
 鼻にも穴がない。
 口はあるが唇がない。
 透き通るような白い髪だけははっきりしている。いや、はっきりとはしているが、実際に少しだけ透き通っている。
 耳は髪に隠れて分からない。
 四肢の関節の場所が曖昧だ。
 鎖骨はない。
 乳房はあるが、そこに突起はない。
 ヘソもない。
 股からは足が二本生えていて、その根元にあるはずのものがない。

「人間じゃない。私は精霊」

 ほう、精霊とな。
 俺の知る精霊の定義は、草木・動物・人・無生物などの個々に宿っているとされる超自然的な存在、である。

「何の精霊だ?」

「私は、空気の精霊」

 彼女の声は、そよ風のような涼やかな声だった。
 弱々しいが、どこか耳の奥に響いてくるようだ。

「で、なんでおまえは空から降ってきたんだ? それも俺の頭上にピンポイントで」

「それは、こうするため」

 少女の姿を模した精霊の顔が、突然、俺の顔へギュンと近づき、そして柔らかい感触が俺の唇を覆った。
 まるで空気のように柔らかかった。

 あ、実際に空気だ。

 俺が彼女を押し戻そうと押しても、そよ風程度の抵抗を皮膚に感じるだけで、簡単に彼女の身体を通り抜けてしまった。
 彼女を押し戻すことはできなかった。
 少し長いエアキッスが終わると、彼女はフワリと俺から距離を取り、ニコリと笑った。表情ははっきりしないが、笑った気がしたのだ。
 さっきよりも人っぽくなった気がする。よく見ると、目の部分に切れ目が入り、そこにまつ毛が生えていた。唇もある。

「契約完了」

「契約?」

 俺はたったいま、とてつもない厄介ごとに巻き込まれた気がした。

「そんな勝手な契約があるか! そんな一方的なものは契約とは言わない。だが、いちおう聞いておいてやる。契約って何だ? 具体的に俺とおまえとの間でどういう条項を取り交わしたつもりだ?」

「あなたは私を使役できるようになった。つまり、空気を自在に操ることができるようになった」

「ほう、そこまでは素晴らしいことだ。だが、その対価は何だ? 空気を操るなんて壮大な能力の対価ともなれば、きわめて大きなリスクを背負わされることになるのだろうな、俺は」

「あなたが対価を支払うのではない。私が報酬をもらうだけ。あなたは何も失わない」

「報酬とは?」

「私はあなたから感情を分けてもらう。厳密には、あなたと行動をともにすることによって、あなたから感情を学ぶ」

 とてつもない厄介ごとは気のせいだったようだ。
 それどころか、濡れ手にあわというやつだ。

「ああ、おまえはあれか。無感情系ヒロインか。ま、暴力系ヒロインや口悪系ヒロインじゃなくてよかったよ。初対面の相手をしばかなくて済む。言っておくが、俺は女の子が相手だろうと子供が相手だろうと容赦しないからな。変な感情のつけ方はすんなよ」

 そう、俺はゲスだ。
 よくあるラノベの主人公みたく善人ではない。
 お人好しどころか、偽善者ですらないし、ヘタレでもないし、女の子にヘコヘコもしない。
 ムカつく奴は容赦なくしばく。
 元の世界では善人の形をよそおっていたが、力さえ手にすれば、建前など俺には必要のないものだ。

「私の感情はあなたの行動を観察した結果によって形成されていく」

「ああ、それは残念なことだ。言っておくが、俺の性格は最悪だ。相手はもっと慎重に選ぶべきだったな。これも言っておくが、一方的に契約を交わしたおまえが悪い」

「私、悪い?」

「ああ。おまえが、悪い」

「分かった。覚えた」

「あっそう……」

 駄目だ。こいつ、分かっていない。
 分からせるためには、こいつに良識というやつを叩き込まなければならないではないか。
 それはこいつの思うツボなのか?
 いや、こいつはべつに計算とかしていないだろう。何も考えられない《精霊》という存在なのだから。
 こいつは己の性質に従って動いているだけだ。
 いわばすべてが自然現象。

 それにしても、空気を操る能力というのはなかなかに素晴らしいものだ。
 俺は空気を圧縮して板を作ってみた。
 想像力がものを言うのか、いともたやすく空気を操ることができた。自在だ。練習など必要なさそうだ。
 これが少年向け漫画なら、努力成分が足りない、と編集者が頭を抱えるだろう。
 それほど俺はいともたやすく空気を操ってやった。
 俺は透明な板に寝そべった。
 板だと硬くて痛いので、柔軟性のある絨毯に変え、空高くへと飛ばした。
 はたから見れば俺は空を飛んでいるように見えるだろうか。

 ところでこれから何をしようか。
 とりあえずほかの人間を探そう。
 この世界がライトノベルの中の世界なのか、それともどこかの異世界なのか、あるいは実在しない幻の世界なのかよく分からないが、この世界の俺の体は一丁前に腹を空かせてきやがった。
 人のよさそうな人間を見つけて、食べ物をたかってやろう。

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