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突然の婚約破棄

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 バルヒェット伯爵家のタウンハウスで開かれた夜会。緩やかに管弦が奏でられ、きらびやかに着飾った貴族たちが、歓談する。

「イーリス・フォン・バルヒェット! 貴様との婚約を破棄させてもらう!」

 和やかな雰囲気は、その一言で崩れ去った。

 貴族の社会では、婚約の「解消」さえも醜聞になる。だから、婚約した男女が結婚しないことはほとんどない。あるとしてもひそやかに交渉が進められるのが当たり前。

 大声で、それも人の目のある場所で、婚約「破棄」を一方的に告げるなど、常識外れもいいところだ。参加者の数人はあからさまに眉をひそめている。

 私も、社交界の常識を平然と無視するような男性とは関わり合いになりたくない。……のだが、そうもいかない。

 残念ながら、あの男性、ゲレオルク様は私の婚約者であり、彼が呼んだのは私の名前だから。

「婚約破棄……でございますか? 解消ではなく?」
「当然だ。貴様のような下賤な女と婚約を結んでいたことすら嘆かわしい」
「ですが……婚約破棄には相応の理由が必要です。私に大きな問題がなければ、破棄というのは」

 こんなこと、本来ならば説明する必要すらないのに。冷ややかな目に晒されながら、泣きたくなった。

 しかし、周囲の非難は、半分以上私に向けられている。その理由は単純明快だ。

「下賤な血の持ち主だ、仕方があるまい」
「ああ、あれが伯爵と血の繋がりもないのに、伯爵令嬢を名乗る恥知らずか」 
「何をやったのでしょうね? こんなところで婚約を破棄されるくらいですもの」

 私が、貴族の血を引いていないから。

 一時期父が面倒を見ていた愛人の娘、それが私なのだという。実母は若くして命を落とし、残された私を哀れに思った伯爵が娘として引き取った。

 私に母の記憶はないが、そんな卑しい娘を愛おしんでくれる人は屋敷にひとりもいなかった。それでも最低限の世話をしてもらえただけありがたい。

 伯爵……お父様が引き取ってくださらなければ、私はきっと死んでいたから。

 普段ならば、このように夜会に出ることもない。ゲレオルク様が、どうしても、とおっしゃったから出席したのだが、その理由はこれだったらしい。

「貴様のような女を婚約者にするだけで我慢していたというのに……。こんな性悪だとは思わなかった」

 ゲレオルク様が何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。

 別に自分で性格が良いと思っているわけではない。でも、性悪と言われるほど、悪いとも思えない。

「何のお話でしょうか……?」
「とぼけるな! 己に高貴な血が一滴も流れていないことを逆恨みでもしたのか!」

 逆恨み?

 あまりに心当たりがない罵倒に、反論さえできない。せめて、何の話をしているのかだけでも教えてくれればいいのに。

 婚約を結んでから、ゲレオルク様とは少なくない日数を共に過ごした。だからこそ、彼が本心から私を憎んでいることも肌で感じる。

 何も身に覚えがないのだから、堂々としていればいい。

 わかっているのに、大勢の人の前で断罪されるのは、身体を切り刻まれるような痛みを与えた。

 ねぇ、あなたは、本気で私が性悪だと信じこんでいるの? 一緒に過ごした時間の積み重ねは、どこに消えてしまったの?

 せりあがってくる涙を、舌を噛んで耐える。泣くものか。泣いてたまるものか。
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