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待ちわびた逢瀬(前編)

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 最低限の挨拶だけを終わらせると、フィンリーは私の手を引いて、会場を後にした。

「まだ早いですけれど……。良いのですか?」
「これ以上あの空間にいたら息が詰まって死んでしまいます」

 どこまで本気なのだか、軽口を叩いたフィンリーは、歩くスピードを緩めさえしない。

 後でエドさんにでも怒られるのではないかと思ったが、声をかけても聞き入れてくれない。

 フィンリーの部屋に連れ込まれた時、初めて危機感を覚えた。誰もいない部屋に二人きりになったことは今までに一度もない。

 そもそもまだ婚約段階で、必要な儀式も終えていないのにいいのだろうか。

「ふぃ、フィンリー?」
「やっとあなたと一緒にいられる……」

 ため息を吐いたフィンリーは私を抱きすくめた。身動きがとれないほどの力で抱きしめられて、ときめきよりも戸惑いが勝ってしまう。

「もう少しだけ、こうさせていてください」
「……いいですよ」

 あまりに切羽つまった声をしているから、ダメとも言えない。

 おとなしく抱きしめられていると、だんだん胸が高鳴ってきた。ようやく思考が状況に追いつき始めたらしい。

 嬉しいけれど、恥ずかしい。もぞもぞと身体を動かす。

「ありがとうございます。少し落ち着きました」

 フィンリーはあっさりと私を放した。名残惜しいような気もしたが、そんなそぶりを見せることなんてできるはずもない。

 促されるまま応接用の椅子に座った。フィンリーは向かいの席に腰をおろす。

「でも、フィンリー。本当に良かったのですか?」
「何の話です?」

 私は嬉しかったけれど、あの場にはすでに側室になることが決まっている人の縁戚もいたはずだ。それこそカナリッチ侯爵もそうだ。

 恨みを買ってしまったら大変なことになるかもしれない。

 何と伝えるべきか思案していると、構いませんよ、とフィンリーが笑う。聞き返したものの、予想はついていたらしい。

「あなただけでいいのです。いや、あなただけがいい」
「フィンリー……」
「これ以上あなたを泣かせるわけにはいかない。何かを失わせるわけにもいかない。国も、居場所も、家族も」

 フィンリーが、私のことをそんな風に思ってくれていたとは知らなかった。

 よく考えると、迎えに来てくれたあの時も、こんなつらい思いをさせたなんて、と自分を責めていたような気がする。

「私はここでのことは覚えていませんから」

 だから気にしないで、と伝えようとするも、フィンリーの顔は浮かない。

「本物の両親の元でなら、あなたは皇女として何不自由なく暮らせたはずなんです。それが、あんなところで過ごさせてしまうなんて」

 フィンリーのせいではないのに。優しい人だとつくづく実感する。

 皇女として生まれ、皇女として育った自分を想像してみる。たしかにその生活は幸せそうだった。少なくとも、あんなみじめで寂しい思いはしなくて済んだのかもしれない。

「選べるのなら、皇女としての人生も歩んでみたかったです」

 でも、もしもを口にしたところで、何も変わらない。

「でも、少しだけ、いいこともありました」

 私が私として生きたから、できたことだってたくさんあるはずなのだ。そのおかげで得られたものだってきっとある。

「なにより、あなたが私をさらってくれたから、いいんです」
「アイリス……」

 哀しげにうつむいていたフィンリーが、目を見開く。私のために胸を痛めてくれる愛しい人に、笑顔を向ける。

「あなたの心は、本当に例えようがないほどに美しい。……それと同時に、まぶしくなるのです」
「まぶしく……?」

 一度も評されたことのない言葉で褒められる。まぶしく思うような何かを私は持ち合わせていないと思うのだけれど。

「皇都から落ちて生き延びた時、世界中の幸せを憎みました。どうしようもなく子どもだったんです」
「……え?」
「荒んでいくのを見かねたジェシカが、あなたに会わせてくれました。危険を承知で」

 憎むとか荒むという言葉が、あまりにもフィンリーに似合わなくてじっと顔を見つめる。

 苦笑いを浮かべた彼は、昔の話です、とつぶやいた。

 私は皇女としての生活を何も覚えていない。それは、ある意味で幸せなことだったのかもしれない。

 隣国での生活は苦しかった。寂しかった。

 でも、フォンリーにはフィンリーのつらい日々があったのだ。

「初めてあなたに会った時、神の使いだと思った。愛らしくて、純粋で。憐れみの混じらない視線は久しぶりだった」
「それは、私が何も知らなかったから」

 全てを知っていたら、きっと反応も変わったはずだ。過分な評価を受けているようで居心地が悪い。

「それでも、あなたに恋をしたんです。……実を言うと、帝国を立て直したのはあなたを守り、迎え入れるためだったんです」

 本当なら、国を取り戻す戦いには、私だって参加しなければならなかったはずだ。

 私の分までフィンリーが頑張ってくれたから、私は自分のことだけに頭を悩ませていられたのだ。

「あの時渡したネックレス。あれは本来伯父上……あなたのお父上から賜ったものです。紫の瞳を持って生まれた記念にと」

 いまだに身に付けているネックレスを、服の中から引っ張り出す。フィンリーとの繋がりの証で、心の支えになっている宝物。

 顔も覚えていない実父。直接もらったものではないけれど、実父と私を繋いでくれている気がした。

「アイリス、あなたがいなければ今のこの国はありません。あなたがずっと心の支えだった」

 その言葉はまっすぐに私の耳を打った。

 いつも守られているばかりだと思っていた。何も知らされず、ただ守られるだけ。そして、実際にそうなのだろう。

 でも、それだけではないとフィンリーは言う。私の存在がフィンリーの支えになれる、と。

 それなら、私がここにいる意味は確かにあるのだろう。

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