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 穏やかに時間が流れている。王宮の一室で、僕はお嬢様に紅茶を給仕していた。

 王宮は、国の顔とも言える建物だ。その役割に相応しく、置かれた家具や調度品はどれも一級品ばかり。綿密に計算され尽くしたインテリアは、感嘆のため息が出るほどだ。

 しかし、僕の胃はかつてないほどに痛んでいる。ストレスの元凶とも言える人は、目の前で優雅に紅茶を楽しんでいるのだが。

「あの、フェリシアお嬢様」
「よくわかったわね、デイヴィッド。紅茶をもう一杯お願いするわ」

 紅茶のお代わりを差し出すと、お嬢様は満足そうに目を細める。その姿があまりに普段通りすぎて、いっそ夢なのではないかとさえ思う。

 そう、平然とお茶を楽しむ彼女は、わずか半刻前に婚約破棄を受けたばかりだ。

 ここは王宮の特別貴賓室きひんしつ……と言えば聞こえはいいが、身分の高い罪人を滞在させるための部屋だ。

 貴人のための部屋だから、物々しい雰囲気はないが、廊下には屈強な衛兵が複数人体制で警護している。部屋の隅で慎ましく控えている侍女も、戦闘訓練を受けているらしく隙のない構えだ。

 裁かれる内容が内容だから命の危険はないはずだが、主が咎人とがびととして扱われるのを見るのは想像以上にこたえる。

「美味しいわ。さすがはわたくしのデイヴィね」

 お嬢様はすっかり寛いだ様子で、僕に賛辞を贈る。確かに嬉しいのだが、それ以上に戸惑とまどいがまさる。

「ありがとうございます。……いえ、そうではなく」
「では、婚約破棄のことを聞きたいの?」

 不意打ちの正解に、言葉に詰まってしまう。人間は、心の中を見事に言い当てられると何も言えなくなるものなのだな、と何とも場違いなことを思った。

 無言を貫いたまま瞬きを繰り返す僕を見て、お嬢様はコロコロと笑った。

「わたくしは大丈夫よ。むしろスッキリしているくらい」
「ですがお嬢様」
「そうね、もうお嫁には行けないわ。貴族でもなくなってしまったし、一人きりですのね」

 そう言った彼女が浮かべているのはいつも通りの笑顔なのに、今にも泣き出してしまいそうに見えるのはなぜだろう。

 リリス様とフェリシアお嬢様は、親友と呼び合うほどに仲が良かった。近くで見てきた僕だからわかる。彼女たちの友情は本物だった。

 それが、まさかこんな形で壊れてしまうなんて。こうなった今でも信じられない。

 目の前のお嬢様に、ふと幼い頃の彼女が重なった。孤児院にいた僕をお屋敷に迎え入れてくれたときの、満面の笑み。15年経っても、鮮明に思い描ける。

 あの時は、大勢の孤児の中でなぜ僕が選ばれたのかも、なぜ公爵家に連れてこられたのかも、何もわからなかったっけ。

 まさか、そのまま15年も公爵家で過ごすことになるなんて、想像もしていなかった。

 公爵家ではたくさんの恩を受けた。

 娘の気紛れに付き合うことにした公爵夫妻は、実子のように僕を育てた。食に、衣服に、教育に、惜しみなく金銭を払い、溢れんばかりの愛情を注いでくれた。

 使用人たちも、僕をねたむこともさげすむこともなく、公爵家の一員として扱った。成長した僕がこの家に仕えたいと申し出たときも、親切に仕事を教えてくれた。

 でも、その全てがお嬢様から与えられたものだ。僕を見出して、名前をつけて、大切にしてくれた。僕が公爵家にいられたのは、お嬢様のおかげ。

 僕は両親の顔を知らない。そのことを寂しいと思ったことがないと言えば嘘になるが、公爵家に引き取られてからは一度もなかった。

 フェリシアお嬢様を、これから一人きりにする? そんな恩知らずな真似まね、できるはずがない。

 彼女がライバルに嫌がらせをしていようと、婚約破棄されようと、公爵家から追い出されようと関係ない。

 お嬢様は、僕にとっての神様であり、天使なのだから。

「いいえ。決してお嬢様の邪魔は致しませんから」
「邪魔はしないから、何かしら?」

 優しく微笑みながら、お嬢様は続きを促す。本当に彼女が、他の王太子妃候補に嫌がらせなんてしたのだろうか。いや、これは今考えるべきことではないか。

「お嬢様。貴女が貴族ではなくなったとしても、どうか僕を」
「フェリシアさまぁぁぁ!」

 お嬢様のお側に置いてください。そう続けるはずだった言葉は、突然の闖入者ちんにゅうしゃに遮られ、行き場を失った。
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