十の結晶が光るとき

濃霧

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第一章 始動

初めての練習

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 入学初日以来のグラウンドだった。雨だけは降らないようにとの皆の祈りが届いたのか、天気はそれに答えるように雲一つない快晴だ。かといって気温も暑すぎず寒すぎず過ごしやすい。
 この広々としたグラウンドは男子野球部が使っているグラウンドだ。かつて内藤監督もここの男子野球部の監督を四年間務めた。内藤監督は非常勤講師であったが、かつての素田高校OBということもあり監督を任されることとなった。監督就任一年目はベスト8という輝かしい成績を残したが、それ以来三年間は一回戦突破するかしないかというほど厳しい結果に終わってしまった。そうした結果というのもあってか、女子野球部ができるという話があがってきたときに内藤監督の女子野球部への異動が決定したのである。
 当初、内藤監督は女子野球部ができるという話を聞いたときに男子野球部の邪魔になるということであまり好意的に思っていなかった。しかし、まさか内藤監督がその女子野球部の当事者として率いることになるとは夢にも思っていなかった。
 ただ、これは内藤監督にとっても一つのチャンスだと確信していた。なかなか男子野球部のチームの状況を変えられないもどかしさの中にいた彼は新しい環境に踏み込むチャンスを、しかも新設の野球部というこれとない機会をいただいたのである。もちろん迷いはしたが、彼は「引き受けます」と了承した。そのうえで、彼は男子野球部の監督を務めながら暇があれば県内の女子中学野球部や野球チームを回ってはスカウトに走った一年を過ごした。
 ということで、彼にとってはこのグラウンドはもはや本拠地とも呼べる場所であった。設備は意外としっかりしており、ベンチには屋根が完備されており、照明もついている。外野は芝ではないが球場と謙遜ないほどの広さを有している。今回許可されたのは照明以外の使用であった。照明はさすがに費用がかさむためである。しかし、そもそも長時間練習させるつもりはなかった。彼は今回「時間革命」ということを掲げ、短時間練習を目標としていた。毎日の継続が大事であると考え、疲労が溜まらない程度に練習を毎日継続していこうとするのが目的であった。
 彼は男子野球部でやっていた最初の準備運動や柔軟のやり方を一人ひとりに教えた。これだけでも三十分ほどの時間を費やしてしまった。彼女たちは日が暮れる限界までやるものだと思い込んでいたため時間に対する執着はそこまで強くなかったが、短時間練習を掲げる彼にとっては想像以上に準備運動に時間を費やしてしまったことに焦りを感じ、また自身を省みた。そのため、彼は少し強い口調で「次キャッチボールやるよ、急いで」と言ってしまった。別に怒るつもりはこれっぽっちもなかったわけだが、彼女たちの中には少し恐怖に感じてしまった部分があった。特に、男恐怖症であり、中学時代に厳しい指導を受けてきた相馬は監督の声を聞いて少し委縮してしまった。そして、結局野球の指導者は皆同じなんだという風に解釈してしまった。
 ともあれ、準備運動を終えたあとにキャッチボールを開始した。キャッチボールは部屋同士の組み合わせ、通学生は通学生同士でキャッチボールをした。それぞれのレベルに合わせて、それぞれのペースでキャッチボールが進められた。経験者組は、久々に練習ができることに対するうずうずした気持ちもあり、気付けば塁間そしてそれ以上の距離に達していた。一方、通学生組、言いかえれば未経験者の奥炭がいる奥炭成井ペアは短い距離でのキャッチボールを繰り返していた。
当初、奥炭は成井の投げるふんわりとした球も捕れなかった。
「ごめん、こんなボールも捕れないなんて」
「なんで謝る必要あるの?最初なんだから捕れなくて当然だよ!」
成井は一球一球奥炭に対して励ましを送っていた。
 内藤監督も奥炭の方のバックアップに入った。しかし、男子野球部なら生徒の肘など触りながら投げ方の指導などできていたが、女子となるとそうした指導ができない。そのため、教え方も一苦労であった。監督がつきっきりでキャッチボールを教える形であったが、初日はまだそこまで大きな成長は見られなかった。ただ、内藤監督にも奥炭の一生懸命やろうとする姿勢は伝わった。
 「じゃあ、成井奥炭以外のペアはトスバッティングに移ろう」
監督の指示で、成井奥炭以外はトスバッティングに移った。奥炭はトスバッティングってどういう感じでやるのだろうという感じで彼女たちの練習の様子を見ていた。トスバッティングとは二人一組で行い、ピッチャー役の緩い球をワンバウンドでピッチャーに軽く打ち返すという練習である。ウォーミングアップのようなものでそこまで激しい練習ではない。しかし。トスバッティングは出来て「当たり前」のようなものなので、このトスバッティングの精度である程度の実力を見ることができる。そのため、監督は奥炭のバックアップもしつつ、皆のトスバッティングの様子もしっかりと見ていた。
 皆のトスバッティングの様子はあらかた出来ている感じだが、ミスも多く目立った。例えば、塩野は軽く振ろうとするあまり空振りすることを多く見かけた。また角は強く振りすぎてしまい、ピッチャー役の相馬が捕れないといったシーンも見かけた。一方で、銀杏田は全球正確にピッチャーのもとへと軽く打ち返していた。もちろん、それを実現させるためには投げる方もしっかりとしたボールを投げなければならないし、ピッチャー役の守備力も最低限必要になるため、銀杏田比石ペアはともによくできているといった様子だろうか。
 監督はこのトスバッティング一つだけでも、今後どうしていこうかという構想を一人浮かべていった。
 奥炭は、トスバッティングの様子を見ていて凄いなと思うと同時に成井に対して申し訳なさを感じた。なぜなら、私がこうしてキャッチボールの練習を続けていることで成井がトスバッティングなど練習ができなくなるからである。きっと、成井も皆と同じような練習をしたかったのだろう、そう思うと早くうまくならなくちゃという気持ちが彼女の中から駆り立てられた。その焦りが成長の方向へと向かえばいいが、しかしそれが自己否定や自己嫌悪に繋がってしまえば逆効果である。特に奥炭に関しては繊細に、考えすぎるところがあるため、悪影響の方に流される傾向にあるといえた。
 それは成井も何となく察していた。キャッチボールの途中で成井は一旦中断し「休憩しようか」と言った。しかし、奥炭は「まだやりたい・・・・・・」と呟いた。しかし、成井は首を振って「いや、休憩しようよ」と言った。成井の奥炭に対する初めての否定だったかもしれない。続けて彼女はこう言った。
 「私のことなら心配しないで。監督にも言ったの。私に果歩ちゃんの世話役やらせてくださいって。だから、皆と一緒の練習ができないことに対して罪悪感とか感じなくて大丈夫だから!私が決めたこと。だからさ、焦らずにゆっくりやっていこうよ!」
 全て自分のことを見透かしている成井に対して奥炭は本当に凄い人だと感じた。そして、奥炭も成井についていきたいという気持ちがより一段と強まった。
 休憩中も野球の話だけをした。
「はじめはさ、ほらこんなにグローブが硬いから。だからボール捕りにくいっていうのもあるんだよね。一回私のグローブはめてみ?」
奥炭は成井のグローブをはめた。確かに柔らかい。グローブってこんなに柔らかくなるんだ。
「柔らかいでしょ?」
奥炭は頷いた。
「そう、果歩ちゃんも練習ちゃんとやってればグローブこんぐらいになってボールもっと捕りやすくなると思うよ。それに私だって最初全然ボール捕れなくてさ、チームで一番下手だったんだよ?」
「え、すももちゃんが一番下手だったの?」
「そう!いや、これ本当に嘘じゃなくてさ!」
「なんか、そんなに強調されると逆に嘘っぽい・・・・・・」
「いやいや、違うから、私が嘘つきそうな顔に見える?」
「・・・・・・見える」
「えー、じゃあもっと誠実に見えるように練習しなきゃ」
「何を練習するの?」
「んー、敬語とか使ったら誠実に見えるかな?果歩様、実は私がチーム内で一番下手だったのでございます」
「もっと胡散臭くなった」
「たしかにそれな。うわー、じゃあやっぱ素で話すのが一番だね」
二人は笑いながら話していた。十分ほどの休憩であったがあっという間に時間が過ぎた。
 「それじゃあ、十分経ったからまたキャッチボールやろうか」
「うん」
 二人はグラウンドに向かったが、キャッチボールではなく今度は監督の指示で守備練習をすることになった。とはいっても、成井がボールを転がしてそれを奥炭が捕るという形の練習である。ゴロの捕り方をこの練習を通して教えたいということだった。
「いいか、守備はリズムが大事だからな。バウンドの仕方とかも考えて合わせて捕るイメージだ」
時々監督がグローブをはめず素手でゴロの捕り方の見本を見せた。素手というのもあり、何個か取り損ねるところもあり、そのたびに成井が「監督~、何ミスってるんですか」と煽り立てた。別メニューで練習している寮生組もちょうど休憩中だったというのもあり、皆がゴロ練習のほうに注目していた。監督も、長い間野球に携わっていたとはいえ女子だけにこんなに見られることは初めてであり、なぜだか緊張してしまっていた。そして、案の定またボールを取りこぼしてしまった。彼女たちは「監督~、しっかりしてくださいよ」と言った声が聞こえる。まあ、これに関しては速い球を転がしたり、球に回転をかけたりしていた成井が悪いともいえるのだが。監督は「すまん、すまん」と言いながらも照れて笑っていた。チームの雰囲気としては悪くない。監督も選手も一体となってやっている感があった。
 寮生組は休憩ののちにノック練習に移った。一方で、投手の塩野と捕手の相馬はブルペンに向かった。そのタイミングで監督は奥炭のことは成井に任せて一旦ブルペンに向かった。
 塩野は今日もマスクをしていた。ピッチングぐらいマスク外したらどうかと監督は聞いたが、「15球くらいなので大丈夫です」と拒んだ。
 塩野は監督が自らスカウトしてきた一人である。彼女は中学時代は主にリリーフとして登板していた。彼女が投げる様子は二度、三度ほどしか見なかったが球威、コントロールともに安定している様子だった。偵察した試合は女子野球の試合であったが、塩野以外の投手は皆ばらつきがある印象だった。それもあって、塩野のピッチングが一番印象に残ったのである。唯一の懸念である、長いイニングを投げられるかという話であったが、彼女のチームの監督に聞く限り「長いイニング投げるスタミナ自体は問題ない」と言われたため、その点についてもあまり心配はしていなかった。
 ただ、彼女に関しては明確な弱点が幾つかあった。そのうちの一つに、彼女はあまり三振を奪うことができないというところであった。その話は中学の野球チームの監督から伝えられていた情報でもあり、その点は承知している。実際に彼女の投球の様子を間近で見てみて、どのような投手かをじっくり見ようと思った。
 まず、捕手の相馬とサインを確認し合った。塩野はカーブ、スライダー、チェンジアップを投げることができ、変化球の球種に関してはまずまずと言ったところだろう。ただ、球速は100km/hには満たず、直球でも80km/h台になることもある。
 ともかく、相馬とのやり取りが終わった後ついにブルペンで投げることになった。
(ここから始まるんだ)
彼女はセットポジションに入り、一つ息を吐いた。そして、ゆっくりと足をあげてボールをミットに叩き込んだ。構えた位置から寸分のズレもなくボールはミットに吸い寄せられた。
「ナイスボール!」
相馬は声を出して、ボールを塩野に返した。
 相馬にとっても、キャッチャーとして久々にボールを受ける感覚を味わった。相馬は、男子に混じってプレーしていたため、男子の投げるボールよりかは物足りなく感じたが、それでも女子でもいいボール投げるなと感心した。
 塩野は低めにボールを集めて打たせて取るタイプの投手だと監督は推察した。変化球も何球か見たが、スライダーは曲がり具合がそこまで大きくなく、どちらかというと小さい変化で相手の芯を外すようなボール。カーブは曲がり具合こそ大きいが高く浮きやすく空振りを取る期待値はそこまで大きくない。チェンジアップもタイミングを外すのには効果的なボールであるが、空振り率がそこまで高そうなボールには見えない。何より彼女のフォーム自体はすごく綺麗であるがゆえに、特有のボールの見にくさがないために彼女のボールを打つこと自体はそれほど困難ではなさそうに見える。
 しかし、変化球の曲がり具合が小さいといったことも、逆に言えば打たせて取るという点においては効果的に働くといえる。そうしたことも踏まえて、彼女は打たせて取るタイプであろうし、その方向性で育てていくことが効果的であると監督は分析した。
 となれば、うちのチームの必要なのは守備力であることは明白だ。打たせて取るタイプの投手にとって、その投手が炎上するか好投するかは守備にかかっているといってよい。単にエラーするかしないかではなく、いかに守備範囲を広げられるか、そして状況や打者に応じたシフトの組み方など頭脳的な要素も必要になってくる。
 彼女の投球を見て、監督の方針や構想はあらかた決まった。そして、彼女たちがどう成長していくか楽しみがまた増幅していったのである。
 15球を投げ終え、相馬が塩野のもとへ向かった。
「良かったよ。これからよろしくね」
「ありがとう。陽ちゃんの構えすごい投げやすかったよ」
「そういってもらえて嬉しいな。これからバッテリー同士、何でも言い合えるような関係なってこ!」
「うん」

 三時間が過ぎた頃、監督が「集合」の合図をかけた。
「よし、じゃあ今日はそろそろあがろうか」
急な練習終了に皆は戸惑いを隠せなかった。部長の水岡が言った。
「え?もう終わるんですか?まだあと一時間はできますよ」
「うん。まだ日が暮れてないからできるとは思うけど、あまり長い時間やってもね。練習は長くても三時間で終わりにしようかなって思ってる」
しかし、監督の説明に完全に納得し切れなかった松本が口を挟んだ。
「なんで三時間で終わりって言ってくれなかったんですか?まだもう一時間あるって思ってたんですよ、私たちは」
「すまん、それは言ってなかったね。申し訳ない。だが、初日の練習というのもあるし、怪我はしてほしくない。それが僕の想いなんだ。なにしろ、君たちは十人しかいない。つまり、皆が怪我をせずにこの一年間過ごせるかどうかはとても大事なんだ」
監督の意図することは分かる。だが、その監督の理論どうこうより、練習の方針などを事前に示してくれない監督の態度や姿勢に不満を抱いていた。
「それは分かりますけど、そうじゃなくて・・・・・・」
松本が必死に言葉を探ろうとしたとき、比石が口を開いた。
「今度練習ある日は練習メニューをはじめから提示してくれませんか?LINEグルでも何でもいいので。監督の言うことは分かりますけど、そうじゃなくてどういう風に練習するかが分からないまま練習してる私たちの立場になって考えてみてくださいよ。せめて事前に練習メニュー出すくらいしてほしいです」
少し沈黙の時間が続いた。
「そうだな。そこに関しては本当に申し訳ない。僕のこれまでのやり方として、みんなの練習してる様子を見て柔軟にメニューを変更してきたスタイルだったから、そのスタイルをそのまま何も言わずに使ってしまった。皆は、事前に提示してくれた方がやりやすいってことでいいんだな?」
みんなは静かにうなずいた。
「分かった。それじゃあ、その方向でやっていこう。そのうえで、水岡」
「はい」
「練習のある日は、その当日朝までには出しておこうと思うからそのうえでキャプテンが正式に決まるまで水岡が仕切って進めてほしい」
「分かりました」
「よし、それじゃあ今日はこれで終わりにしよう。グラウンド整備をしてあがること」
そう言って監督は校舎内に入り込んでいってしまった。監督は表情一つ変えず彼女たちと接していたが、その心境はいかに。
 一方で、残された十人もその心境は複雑であった。私たちが少し言い過ぎてしまったのではないかという思いに駆られる人もいた。「とりあえずグラウンド整備をしよう」という水岡の掛け声でグラウンド整備を十人で進めた。しかし、グラウンド整備をしている間もその心は晴れなかった。
 顔には出していないが、監督の声のトーンからしても強くあたってしまった感じはある。特に松本は咄嗟に口を挟んで言ったため、自分の行動が本当に正しかったのかを考え続けていた。彼女はいたって真面目な性格であり、それは通常は良い面として働くが、強く言い過ぎてしまうこともある。それは彼女自身も自覚していることであるが、だからこそ自分の言葉を気にしすぎてしまう面があるのだ。
 「私、言いすぎちゃったかな」
松本が水岡に言った。水岡は「そんなことないよ。助かった」と言ってくれた。その言葉を聞けていくらか救われた感じはあったが、とはいえ自分が絶対に悪くないというわけではないことを知っていた。そのため、完全にもやもやが晴れたわけではない。しかも、副部長という立場として監督と気まずい関係になってしまったことはこれからの大きな懸念点である。
 その一方で、同じく監督に強くあたった比石は特に何も思っていなかった。比石からすれば、思ったことをそのまま伝えただけで監督の方に非があったと感じていた。もちろん、伝え方について問題が一切なかったかといえばそうではないと思うが、あの会話をだらだらと続けられるのが気に癪だったため、切り込んでいったのだ。そう、彼女は自分の言動を正当化していた。
 銀杏田にとっては、比石がますます分からない人に見えてきた。そのため、監督に対してというよりもむしろ比石に対してのもやもやが強まったといえる。水岡は彼女のことを「面白い人」と称していたが、本当にそうなのだろうか。深く突き刺すような言葉の一つひとつ、彼女の冷酷さに面白い要素は何一つ感じられなかった。
 グラウンド整備を終えて彼女たちは解散した。通学生組は、二人で今日の練習の本音を互いにぶつけた。
「いやー、今日のはじめての練習色々あったね」
成井が奥炭に言った。
「うん・・・・・・」
奥炭にとっては、今日の監督との最後のやり取りが胸に引っかかっていた。
「あ、やっぱり果歩ちゃんあれ気にしてるんだ」
「うん・・・・・・あんなに強く言っちゃって大丈夫なのかなって」
「んーまあ大丈夫だよ。あの人も大人なんだし、そんなに気にしなくて大丈夫!」
「そっか」
「ところではじめてキャッチボールとかやってみてどうだった?」
「うん。すごい難しいね。あれを平然とやってる皆が本当に凄いなって」
「え、でも果歩ちゃん、後半はちゃんとボールとか捕れるようになってたじゃん。実質、始めて野球やったようなもんでしょ?なんか果歩ちゃんにはセンス感じるな」
「センスなんて、まだまだ私なんて下手だし・・・・・・」
「下手だっていうけど、そりゃまだ初めてばっかなんだし、何より人と比べても何も面白くないよ!今日の練習見て私よりもうまい人しかいないなって思ったけど、だからこそ私にしかできないことなんだろうって考えるのが大事だし、やっぱ自分自身の成長が一番大事だよ」
「うん・・・・・・私ついていけるかな」
「ついていけるかなじゃなくて、ついていくしかないね!大丈夫!私が引っ張るからさ!」
成井の力強い声に奥炭は微笑んで返した。
 寮生組は昨日と変わらず食堂で話が盛り上がっていた。とはいえ、話すのは大体決まっていて水岡、松本、銀杏田、角、相馬の五人であった。塩野、宝田、比石についてはほぼ黙って食事していた。しかし、今回に関しては比石の話題になった。
 「それにしても、春飛すごい切り込んで言ったよね」
水岡が比石に対して言った。先述のように水岡と比石は元同じチームメイトであったが、実は入部してからこの今のタイミングまで水岡が比石に話しかけたのはこれがほぼ初めてであった。
「なんか思ったこと言っただけ。それに強く言わないとあの監督めんどくさいもん」
「監督に嫌われてスタメンから外されたりしてな?」
角が冗談気味に比石に対して言った。
「それが理由で外されたら私野球部辞めるよ」
一同は笑った。すごく皆がいい雰囲気であることを感じた。ただし、この冗談っぽい比石の言葉がある意味で真実味を帯びてくることになるとはこのとき誰も思いはしなかった。
 食堂で喋った後はそれぞれの部屋に戻ることになった。水岡は大変だなと内心思いながらも部長として頑張っていこうとの気概を持ち続けた。そして、水岡が部屋に入ると先に宝田が中にいた。宝田は珍しくメガネを外してくつろいでいた。
「あれ、メガネ外してる。珍しいね」
「どう?メガネ外した姿」
「え、メガネ外すとやっぱ雰囲気変わるね。なんか鈴奈はメガネかけると真面目な雰囲気三割増しぐらいになるからコンタクトにしたら?」
「真面目な雰囲気三割増しになるならむしろメガネするよ、私」
「えー、メガネ外した鈴奈可愛いけどな」
「それにしても話変わるけどさ、やっぱさすが元チームメイトだなって思って」
「元チームメイト?ああ、私と春飛がってこと?」
「うん」
「あれ、私と春飛がチームメイトだってこと話したっけ」
「いや多分部長の口からは伝えられてないと思う。私が調べた」
「調べた?私たちの過去をってこと?」
「うん。基本的に名前で検索したら出てくるんだよね。それで関連動画とか調べたら、大体過去の試合とか出てるよ。みんな全国中学女子野球大会とか出てるだろうし」
宝田がいつの間にか過去を調べていることに対して水岡は驚きを隠せなかった。
「え?いつの間にそんな調査とかしたの?凄くない?」
「別に凄くないよ。一時間もかからずに調べられるし、それにみんなの過去知るの面白くて、気付いたら時間たってたみたいな感じだよ」
「ええ、鈴奈ってそんな特技あったんだ。なんかデータ班とかできそうじゃない?」
「やろうと思えば。てか、中学のとき私それやってたし、むしろそれがメインだったようなものだからね」
「へえ」
「それこそ、水岡さんの所属してたチームからも情報色々と分析してたよ」
「え?そうなの?」
「うん。結局直接戦うことはなかったけど、偵察もしたし、いろいろ情報収集はしてた」
「マジのデータ班じゃん!凄いね。なんか普段の練習とかでも色々と生かせそう」
「あいにく野球の技術的なところのデータについては分からないから普段の練習で使えるか分からないけど、もし本当に必要だったら、もしだよ、もしだけど必要だったら私を頼ってほしいな」
「え、もちろんだよ!なんかみんな本当に凄いな!」
水岡は、思いもしない宝田の特技に興奮した。宝田の新しい一面を知った水岡は、充実感と不安感が混ざり合う中ではあったが、ぐっすりと就寝することができた。その寝ている様子を横目に宝田はパソコンを開いて検索していた。「比石春飛 不足」と。
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