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失恋から逃げ出した魔女は愛を得る

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◇◇
 銀の閃光が収まり、瞳が視界を取り戻すと、エミリーは瞳を見開いた。
 そこは、まるで一つの部屋のように閉じられた空間だった。閉じられていても、空間には淡い銀の光が満ち、心地よい明るさがある。空間の端には、窓のようにジャックオランタンの目と口の形が薄っすらと浮かび上がっている。

――ジャックオランタンに魔空間を封じていたのね

 封印が解かれ、エミリーはこの空間に招かれてしまったのだと、状況は把握できても、目の前に美しい姿勢で悠然と佇む空間の作り主がここにいる理由は分からなかった。
 ジャックオランタンに隠されていた美は露わにされ、今日も容赦なくエミリーの魂を虜にする。
 空間に満ちている彼の魔力を受けて、銀の髪は眩しいまでに輝き、サファイアの瞳は魔力が帯び、視線を吸い込まれてしまう。
 この美は、王城で魔界の女性たちを、彼が選んだ女性を、魅入っているはずだった。
 エミリーは声を絞り出した。
 
「殿下…、どうして…、ここに…」

 ジェラルドは細く美しい銀の眉を、微かに動かした。そして、深く染み込むような声が空間に響く。
「殿下?そのような呼び方を君に許してはいないはずだけれど?」

 優美に笑んでいるものの、彼の声音には真剣さが滲み、エミリーは何かが違うと思いながらも、言い直す。
「ジェラルド。どうしてここに?」

 彼女の呼びかけに目元を緩ませて小さく頷いた後、ジェラルドは血のように赤い唇を僅かに上げ、美しい容貌に色香を添えた。
「話したはずだよ。君に逃げられてしまったからだと」

 まさか人間界にまで逃げられてしまうとは思わなかったよ――とクスリと笑う彼に見惚れながら、エミリーは必死に思考を取り戻した。
 確かにジャックオランタンの彼は話していた。告白するつもりだったと、想いは通じているはずだと。

「そんな…、でも…」 

 ずっと、8年の間、「大人にならないでおくれ」と言われ続けてきたのだ。その度に、彼にとっての自分の立ち位置を思い知らされ、痛みを覚えてきた。8年味わい続けたその痛みに慣れることはできなかった。彼への想いが深くなるにつれ、覚える痛みは強くなったから。
 エミリーは子どものように嫌だと首を振った。
 彼は残酷だ。こんな期待を持たせないで欲しかった。こんな夢を見てしまった後に、裏切られれば、耐えられる自信がなかった。
 ジェラルドは僅かに眉を顰めて、溜息を吐いた。

「私の想いは、そこまで信じられない?」

 エミリーは口を開き、そして初めて、自分が期待と、期待が裏切られる絶望の恐怖で震えていることに気づいた。震える唇から言葉も声も出せなかった。
 彼は一瞬寂し気に眉を寄せた後、長い銀の睫毛で表情を隠した。
 そして、小さく、けれども決然とした声が空間に響く。

「ならば、やはり教え込むしかないね。君の身体に」

 再び現れたサファイアの瞳には、獲物を見定めた強さがあった。 はっとジェラルドの身体を見遣れば、彼の身体から溢れ出す銀の彼の魔力に、エミリーの緑の魔力がまとわりついている。
 催淫のおまじないが発動していたのだ。
 
 異性に慣れ、恋愛にも長けた女性ならば、その情欲の強さの奥にある、深い愛情を見過ごすことはなかっただろう。
 けれども、魔女の郷で女性に囲まれ、女性に護られ、歳の近い異性はジェラルドしか知らずに育ったエミリーには、初めて晒される異性の視線は、恐怖を芽生えさせるものだった。
 彼はゆっくりとエミリーに歩を進めた。
 エミリーは高まる恐怖に喘ぎ、後退ろうとして息を呑んだ。
 彼女の脚は緩やかに彼の銀の魔力で縛られていた。咄嗟にジェラルドを見て、エミリーは愕然とする。サファイアの瞳から魔力がはっきりと意志を持って放たれている。彼はさらに「魅了」まで彼女にかけたのだ。
 ジェラルドは悪びれず、微笑みすら浮かべて、エミリーの動揺を跳ねのけた。

「もう君を逃がすことなど、したくない。もちろん、たとえ逃げられても捕まえるけれど。必ず」

 穏やかな口調でありながら、彼の深い声は魔力を帯びていた。彼は言霊を使い、エミリーの動きを一段と封じたのだ。
 8年の間、彼がこのように彼女の意思を縛ることなど、一度もなかった。いつも陽だまりのような穏やかな温かさで彼女を受け止め、包み込んでくれていた。
 いつもとは違う、まるで知らないジェラルドに、エミリーは気が付けば、辛うじて動かせた震える手で、胸元の銀の魔法石を握り締めた。
 冷厳とした声が投げかけられた。

「無駄だよ。エミリー。この空間ではね」

 彼の作り出した空間で、彼の作り出した守護の魔法石を、彼の意思に反して発動させることはできない。この空間では彼は全能の支配者なのだ。
 分かってはいても、エミリーは8年自分の想いの縁としてきた魔法石から手を離せなかった。
 意味のない行為に縋る彼女に苦笑を浮かべながら、ジェラルドの眼差しは獲物を射抜くような鋭さで、彼女を見据える。すっと彼女に詰め寄り、彼女を抱きかかえた。抱きかかえられた拍子に、エミリーの帽子は、はらりと床に落ちた。呆然と帽子の動きを目で追った
エミリーに囁きが落とされる。

「捕まえた」
 
 嬉しさと愛しさを声に滲ませながら、けれども言霊を使い、彼はエミリーへの封じを強める。
 自由を奪われ、混乱するエミリーには、彼の喜色は恐怖を増すだけだった。
 戦慄が身体を駆け巡る。エミリーは声にならない悲鳴を上げた。

 瞬間――、

 彼女の胸元から銀の光が瞬き、薄っすらと彼女に光の膜が張られた。
 結界に柔らかく押し退けられたジェラルドは呆然と目を瞠る。
 しばらく、空間の作り主を退けた銀の結界を見つめた彼は、やがて目を伏せサファイアの瞳を隠すと、感嘆の息を吐いた。

「さすがだね。まさか、ここまでとは…」

 空間の空気から緊張が消え去り、エミリーにはなじみ深く大好きな陽だまりの空気が戻ってきた。
 安堵から力の抜けたエミリーは、ゆっくりと床に頽れた。彼女の安堵に呼応して、淡い銀の結界も消える。ぽろぽろと涙を零す彼女に苦笑しながら、ジェラルドも膝をつき、彼女に視線を合わせる。サファイアの瞳はいつもの澄んだ輝きだった。

「この魔法石に施したおまじないは、作り手の一番大切な想いに忠実なようだ」

 エミリーは目を瞬かせた。おまじないの補助魔法の根幹は、施す相手の望みに寄り添うこと。施す相手が自分自身であっても、それは変わらないはずだ。ジェラルドがわざわざ言葉にする意図が分からなかった。

 彼は僅かに口の端を上げ、言葉を足す。
「どんなものからも君を護りたい、それが私の想いだった」

 彼の愛情の真摯さと深さを知り、エミリーの胸にゆっくりと温かいものが広がる。
 ジェラルドは目を細めて、魔法石を指さした。

「君の気持ちを置き去りにして先に進もうとした、今の私に惑わされず、私の最も大切な想いの為に私の支配を抜け出した。――強くて素晴らしい魔法だ」

 瞬間、彼女は8年前と同じように、抱き着いた。
「ジェラルド、ありがとう」

 いつものジェラルドだった。8年前、彼女の魔法を認め、光をくれた彼だった。彼女が想いを募らせた彼だった。
 彼が知らない人に変わったわけではなかった。今まで知らなかった彼を知っただけだった。
 おまじないが発動しなくとも、きっと彼はどこかで踏みとどまってくれたはずだ。
 そんな彼だから、おまじないは彼の支配を抜けることができたのだろう。

 そこまで考えが至るほどに落ち着いたエミリーは、一つの事実に気が付いた。
 彼女が恐怖した、あの時の彼は、エミリーが焦がれた愛を、家族ではなく異性としての愛をぶつけてくれたのだ。
 事実はゆっくりと彼女の中に沁み込んでいった。

 彼女は目を瞑り、小さく息を吸い込んだ。
 彼女を受け止め、抱きしめ返してくれる彼の温もりを感じながら、彼女は8年秘めてきた想いを初めて言葉にした。

「…あなたが好き」

 それは小さな囁きだったが、ジェラルドが愛しい魔女の言葉を聞き逃すことはなかった。
 ジェラルドは髪に口づけを落とし、そっと彼女の身体を離すと、告白に頬を染めた彼女の瞳を絡めとった。

「愛しているよ。私の可愛い魔女。腕輪を受け取ってくれるかい?」

 エミリーは瞳を潤ませ、耳まで真紅に染め上げ、小さく頷いた。
 そして、エミリーは目を見開いた。
 彼女の返事を受けたジェラルドは、銀の魔力を放ち、輝くような満面の笑みで幸せを体現していた。


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