上 下
11 / 11

番外編1 夜会にはドレスが必要です

しおりを挟む
 王位継承権1位を解せない経緯で譲られてしまったフェリシアだが、継承権が来てしまったことは、どれだけ認めたくはなくとも事実だ。

 彼女は責任を放棄することはなかった。
 今も、来たるゲニアス国最大の夜会について、侍従長からの説明を受けていた。
 新しく護衛に就いたダスティンは、この時間も慣れたものなのだろう。冷然とした様子を崩すことなく、出席者と広間の配置を確認している。
 方や、昔からの彼女の護衛であるヴィクターは退屈を隠さず、護衛としてあるまじき事だが、先ほどから欠伸を繰り返している。
 もの悲しい気持ちを抱かせる光景を視界の端に収めながら、フェリシアは職務を投げ出さず、真摯に説明に耳を傾けていた。

「――以上が主だった出席者です」

 出席者の近況をまとめてくれた丁寧な説明に耳を傾けながら、フェリシアは北の辺境伯の参加が見送られたことに、内心で溜息をついた。
 最大の夜会を欠席するとなると、辺境伯の状態が広まるのも時間の問題となるだろう。
 決断の時が迫っている。
 
 フェリシアの内奥を知るはずもない侍従長は、別の説明に入っていた。

「カーテンや花などは、王妃殿下のドレスの色と合わせて、青を基調としたものにする予定です。妃殿下のドレスの生地見本がこちらです。今回、妃殿下が青を選ばれたのは――」

 色についてまで配慮がなされる準備の周到さを知り、改めて感心しながら、侍従長が示した鮮やかな濃い青の小さな生地を目にした。
 美しい青だ。妃殿下の華やかな顔立ちと気品を引き立てるドレスにな――、
 
 ドレス?
 
 フェリシアの思考は、はたと止まった。
 
 ドレス――!!
 
フェリシアの心の悲鳴は、今回は侍従長に届いたらしい。彼は瞠目し、説明を止めている。フェリシアは、もう心どころではなく血の気も引いているのをはっきり自覚したけれど、それを抑え込む余裕はなかった。
 
 ドレスなのだ。
 
 夜会にはドレスが必要なのだ。
 
 誰もが知っていることに今更ながら思い至り、フェリシアは頭を抱える思いがした。
 ドレスの用意を、そもそも用意するという段取りすら忘れていた。
 敢えて言い訳をしたい。
 今まで夜会に向けてドレスの用意をしたことがなかったのだ。
 いつも夜会のドレスはレイモンドが贈ってくれていたから。
 けれど、先日、婚約破棄をしたレイモンドは、今回の夜会で「元」婚約者にドレスを贈ってくれることはないだろう。
 
 夜会まで1ヶ月を切っている。
 普通に今から手配しても間に合わない。
 
 せめて夜会が終わってから婚約破棄をして欲しかったと、自分の不手際を棚に上げて、つい愚痴を零しながら、フェリシアは考えを巡らせた。
 
 お母様の昔のドレスを仕立て直す――、いえ、流行から外れているから、それは無理ね。
 
 今回、フェリシアは王位継承権1位として陛下夫妻のすぐ近くに立つことになる。
 それでなくとも、婚約を破棄され注目を浴びることは必至だ。
 たかがドレスではあるが、「たかが」で済ませてくれないのが社交界である。
 流行から外れたドレスを選んだ姿を見せれば、どんな謗りや侮りを受けるか分からない。
 将来の施政にまで要らぬ支障を負うことになりかねない。
 
 急病にて欠席?
 
 姑息な策が過ったが、瞬時に却下した。高潔さを気取るわけではない。ドレスの問題を回避できるなら、喜んで今すぐにでも急病になる覚悟はあるものの、婚約破棄された身としては悪手だと気がついたのだ。
 傷心で公務を果たせない印象を持たれれば、やはり今後に影響するだろう。

 あぁ、もう、あと1ヶ月待ってくれても良かったのでしょうに、と詮無き愚痴をまた零しながら、この手詰まりから思考を解放するべく、一先ず手合わせをしようとヴィクターに視線を向けた。
 彼は姿勢良く椅子に座っているが、目を閉じている。
 いや、彼女の視線に気づきもせず、規則正しいやや大きな呼吸をし続けていることを考えれば、寝ていると表現した方が正しいだろう。
 絶対に手合わせをする、とフェリシアが意気込んだとき、ふとヴィクターの隊服に目が行った。

「隊服よ!」

 喜色に満ちた声で、フェリシアは解決策を叫んだ。
 軍属であるフェリシアは、式典用の儀礼服を支給されている。これならば礼に失することはない。何しろ式典用に作られているのだから。

 フェリシアの叫びに身体を跳ねさせて目を覚ましたヴィクターの隣で、端然と座していたダスティンが穏やかに言葉を挟んだ。

「殿下はドレスを用意なさっています」
「え?」

 耳を疑うフェリシアの前で、侍従長はようやくフェリシアの悩みに追いついた。

「はい、殿下は手配なさっています。この生地見本を既に2ヶ月前にお渡ししています。その場には懇意になさっている仕立屋もお呼びになっていました」

 じわりと胸に温かさが広がった。
 
――今までの焦りは徒労だった、
――2ヶ月前から僅か一月で何が婚約破棄まで動いてしまったのか、
 
 そのような諸々の考えを全てかき消して、温かさはフェリシアを満たしていた。
 侍従長は、フェリシアの輝くような笑顔に頬を緩めた後、瞬き一つで表情を戻すと説明を再開したのだった。
 
 
 それからしばらくして、夜会が1週間前に迫った頃、屋敷に戻ったフェリシアに件のドレスが届けられたことが伝えられた。
 トルソーに飾られたドレスを見て、フェリシアの胸にまた明かりが灯る。
 
 光沢のある銀を基調とし、青の流線のアクセントが入ったそのドレスは、溜息が漏れるほど美しいものだった。
 フェリシアは、そっと青の流線を指でなぞった。
 銀の中に入ると、濃い青はレイモンドの瞳の色ととてもよく似た色になっていたのだ。

 元婚約者であっても、お礼を言うことは許されるわよね

 お礼を言う、その一瞬だけは、わだかまり無く、心からの笑顔を交わせるだろうか。
 フェリシアは大好きなレイモンドの柔らかな笑顔を思い浮かべながら、微笑んだのだった。


番外編1 完結

 お付き合い下さり、ありがとうございました。
 一旦、また完結とします。
 
 この後、書き貯まりましたら、また投稿します。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

もう終わってますわ

こもろう
恋愛
聖女ローラとばかり親しく付き合うの婚約者メルヴィン王子。 爪弾きにされた令嬢エメラインは覚悟を決めて立ち上がる。

塩対応彼氏

詩織
恋愛
私から告白して付き合って1年。 彼はいつも寡黙、デートはいつも後ろからついていく。本当に恋人なんだろうか?

冷遇された王妃は自由を望む

空橋彩
恋愛
父を亡くした幼き王子クランに頼まれて王妃として召し上げられたオーラリア。 流行病と戦い、王に、国民に尽くしてきた。 異世界から現れた聖女のおかげで流行病は終息に向かい、王宮に戻ってきてみれば、納得していない者たちから軽んじられ、冷遇された。 夫であるクランは表情があまり変わらず、女性に対してもあまり興味を示さなかった。厳しい所もあり、臣下からは『氷の貴公子』と呼ばれているほどに冷たいところがあった。 そんな彼が聖女を大切にしているようで、オーラリアの待遇がどんどん悪くなっていった。 自分の人生よりも、クランを優先していたオーラリアはある日気づいてしまった。 [もう、彼に私は必要ないんだ]と 数人の信頼できる仲間たちと協力しあい、『離婚』して、自分の人生を取り戻そうとするお話。 貴族設定、病気の治療設定など出てきますが全てフィクションです。私の世界ではこうなのだな、という方向でお楽しみいただけたらと思います。

勝手にしなさいよ

恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。

ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。 ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も…… ※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。 また、一応転生者も出ます。

【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。

airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。 どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。 2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。 ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。 あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて… あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ★9/3『完全別居〜』発売
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

女体化してしまった俺と親友の恋

無名
恋愛
斉藤玲(さいとうれい)は、ある日トイレで用を足していたら、大量の血尿を出して気絶した。すぐに病院に運ばれたところ、最近はやりの病「TS病」だと判明した。玲は、徐々に女化していくことになり、これからの人生をどう生きるか模索し始めた。そんな中、玲の親友、宮藤武尊(くどうたける)は女になっていく玲を意識し始め!?

処理中です...