夢に楽土 求めたり

青海汪

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第五話 栄華に隠れた憂鬱

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 その日、都は物々しい雰囲気に包まれ夜明けを迎えた。
 国境から城へ続く道は交通規制が行われ、下等平民だけではなく貴族たち上級民らも外出禁止を解く鐘が鳴るまで家の外へ出ることが禁じられていた。
 例にも漏れず村長の厳しいお達しによって家にこもるよう命じられたビィシリ村に住むアタカとイチタは、今朝から家の中でマキヒの手伝いをさせられていた。
 「お皿を洗ったら拭いて大きさごとに分けて棚に戻すのよ。それとイチタは床を掃いてから雑巾で拭くこと」
 二人が家にいる機会を逃してなるものか、とばかりに大掃除を始められた。もちろんアタカたちに拒否権など与えられていない。起きたばかりの二人は顔を洗うのもそこにそれぞれが命じられた仕事に取りかかった。
 「こんな日に限って手紙もこないんだよなぁ」
 欠伸を噛み殺しながら皿を洗うアタカに箒を持ってきたイチタが答えた。
 「まぁ、宴の間に仕事はなくても、終わったら一斉に都宛にくるよ」
 きっと彼の読みは正しいだろう。四国の王が集う宴の行方を国中が全神経を集中させて期待しているのだから。
 「そういえば……今度、初めて女性の王様が誕生するかもしれないのよねぇ?」
 窓拭きをしていたマキヒが口を挟む。
 「えっとツクヨミ王だろ? 西国の」
 「現在の王様が病気になってもう先も長くないって言ってるよね」
 「マキヒは他の王がどんな奴か知ってる?」
 「私も噂でしか聞いたことがないからねぇ。でも…まぁ……スサノオ王は…根性悪だとか…」
妙に言葉を濁す。なんとなくそれを聞いてアタカは、きっとクラミチがスサノオ王の悪口を言っていたのだろうと察した。
「たまに…オボマ国がどうのって聞くけど、それってなに?」
「えーアタカって意外となんにも知らないんだね」四隅のゴミを集めてきたイチタが、彼の足元でそれを塵取りに移しぼやく。
思わずむっとしたので
「だから今教えてくれればいいだろ」
と、イチタの顔に爪を弾いて水を飛ばした。
 「オボマ国って言うのはね、ナラヴァスⅡ世とかいう気取った奴が治めるいやぁな話しか聞かない国のことだよっ」
 最後の『よっ』というところで、箒の柄の部分でアタカの足を踏みつけた。
 あまりの痛みにアタカも
「ぎゃっ」
と悲鳴を洩らしたがマキヒには聞こえなかったらしい。
「これまでもずっと四国がこの地を治めて、平和だったんだ。だからいきなり出てきたオボマ国とどう付き合っていくか、それを決める為の大切な宴なんだよ」
指の腹で表面をキュキュと鳴るまで、マキヒは丁寧に窓を一枚一枚磨いた。
「ふぅん。でも俺だったらさっさと戦争してやっつけちゃうけどな」
「これだからアタカは子どもなんだよ。暴力で訴えても平和にはならないでしょ」
白々しい科白を紡ぐイチタを憎々しげに睨みながら
「…いつの時代だって問題は戦争で解決させてんじゃん」
 とぼやいた。
 
 
 太陽が頭上近くまで登った頃、それまで静かだった都に盛大な音楽が流れ始めたので自室から窓を開けて城へつながる大通りを眺めていたウリは身を乗り出した。
 街路樹と建物に隠れてしばらく見えなかったが、草葉の陰から青い国旗に描かれたスサノオ王の紋章を捉え納得をする。行列の先頭に南の国で生まれたバルバと言う、大きな巻貝を加工した笛を吹奏し、その後に民族衣装に身を包んだ踊り子たちが観客のいない道路を舞台に艶やかな踊りを披露している。南国が誇る絹を手足に巻きつけ、それが回転するたびに風になびき溜息が出るような美しい光景だった。
 きっと大勢の人々が路上に詰めかけていると予想していたのだろう。派手好きなスサノオ王のオクヒマらしい発想だと、密かに笑った。
 踊り子たちの後ろに兵を侍らせ四方を固めた当の王は、宝玉で飾られた大きな動物に跨っている。見たことのない動物だけど肌が薄紅色で、その上に真珠をめいいっぱい貼りつけている。恰幅のいいオクヒマを乗せるのにはちょうどいい具合に立派な体格をしているが、やや肥え過ぎているようにも見えるのも裕福が故にかもしれない。
 最初に訪れたのも国民にその姿を第一に印象づけようとしてのことだろう。
 窓枠に肘をつきながら、ウリはこれから順番に訪れる各国たちの王の性格を想像し微笑みを浮かべた。
 道路にはクラミチが指揮を務める護衛兵たちが一堂に並んでいる。いくら踊り子たちが美しい踊りを見せても、オクヒマが珍しい動物に跨っていても眉ひとつ動かさない。日頃から厳しく精神訓練もされているのだろう。
 派手な音楽と共にイディアム城の城壁に消えていく行列から、ウリは続いてやってきた真っ赤な国旗に目を奪われた。
 今度は先にきたスサノオ王と比べてとても静かな進行だった。先陣を切る一群は真っ赤な衣装を身につけ足音を消して歩いている。甲冑をまとっていない付き人たちまでもが、腰や腕に剣や弓というものを持ち警戒心をあらわにしていた。
 「……ここからだと、行列がよく見えるのね」
 驚き振り返るといつの間にか開いていた戸口に母ジュアンの姿があった。
 「あ…ごめんなさい。これから勉強を」
咄嗟に窓を閉めようとするウリを制し、肩を並べて東国アマテル王の行列を見ると小さな溜息を洩らした。
「何故アマテル王がこのように警戒しているか、あなたは…わかる?」
「え…?」
意外な質問に驚く。これまで一家の中では、特にウリの前に於いては四国の王たちに関する話題など一切取り扱われたことがなかったのだ。
 「えっと…」
質問に隠された意味を読み取ろうと時間を稼ぎながら、やっとあらわれた王を乗せた御輿を一瞥した。
やはり御輿も豪華なつくりではあるが、表面は鉄で覆われ防御を第一に考えられたつくりをしていた。窓ひとつないので外から王の姿を垣間見ることも叶わない。
 「……イズサハル様は…冷酷非情と聞きます。年間に処刑される罪人の数も四国で一番に多く、次に南の国、我が国と…最後に西の国。なにかと西の国の王と対照的に取り上げられます」
 「そうね、あなたの知識に間違いはないわ」
 小さく相槌を打つと窓枠に腰をかけ天井の辺りを見上げた。
 「ただ…今でこそイズサハル王が権力を握り、民を支配しているけれど、ちょうど十五年前に内乱の危機があったのよ」
 「内乱?」
 意外な情報にウリの注意はジュアンに完全に向けられた。
 彼の素直な反応にフフッと笑みをこぼし「どうやら家庭教師のみなさんも、そこまで教えていないようね」一人納得したように頷く。
 「けれど…東では王を神聖視して、ロギヌシ教会の信者たちが常に国民を監視していると聞きました。そんな状態で」
 「監視すると言うことは、それだけ王が民の力を恐れていると言うこと」
 凛とした口調で彼の言葉を遮ると再び表情を崩し我が子の頭を軽く撫ぜた。
 子ども扱いされたことに恥じらい顔を赤く染めながら
「では、その内乱を機に王と民の関係に変化があったのですか?」
と尋ねた。
 「―――えぇ、その通り」
 賢明な答えに応じ、ジュアンはこれまで語られることのなかった事実を口にした。
 「十五年前。一人の女性が投獄されたことで、あの国は変わってしまった…」
 
 
 都のすぐ近くに位置するチノリコ村では、ユサが昨夜からタマ婆の家に滞在していた。ちょうど昨日の夕方から生花を買いにきた客がショウキの家にいるからだ。鐘が鳴るまで外出を許可されないので、壁越しに聞こえてくる閨の戯言に悩まされるよりはと思いタマ婆に頼んで宿泊させてもらった。
 先日西国に住む息子から手紙をもらったと話すタマ婆はすこぶる機嫌がよく、あれほど気にかけていた宴にもさほど不安を見せなかった。
 「そりゃあ心配はあるけど、あれだけ息子が王として立派に職務をまっとうされるお方だって褒めてるからねぇ…。今はもう、祈るしかないだろう」
 「婆ちゃんはそうだろうけど、みんな、同じ気持ちにはなれないよ」
 昨日残した煮汁に麦飯を加え雑炊をつくったユサは、二人分のお椀によそいながら答えた。
 「質素な装いを好み、争いを嫌うって言ってもそれを外の人間から見たらただの貧乏人に見られるか、それとも臆病者と取られるかの違いだ。特に人の上に立つ者なら、権力を誇示する必要があるのに、同情と優しさだけでは人を支配できない」
 辛辣な彼女の意見にさすがのタマ婆も眉間に皺を寄せる。
 「だけどねぇ…そんな王が今までいたかい? 民の為に命懸けになってくれるような支配者なんて、これまで色んな国を回ってきたけど……」
かぶりを振り
「それに若い姫君はむかし国家に反逆したアケヒ族の生き残りを処刑しようとした時も、泣きながら父王に恩赦を乞うたと聞いたよ」
 「……王が民の為に泣いていいのは、国が滅びる時だけだ」
 容赦のない言葉に返すこともできず窮する。
 雑炊を啜るユサの横顔を眺め溜息を吐いた。そして独り言のように
「たまにユサは天上人のようなことを言うんだねぇ。あんたが王になったら…国はどうなるのか見てみたいよ」
 「……」
 彼女の独り言にではなく、遠くから聞こえてくる小さな鐘の音に反応し顔を上げた。
 
 
 ヤヌギ族の一員でもあり宣教師として神に仕えるナムは、宴が終わるまでの間教皇フサノリに従事することを命じられていたのだが、そのフサノリは宴がもうすぐ始まろうとしているのに自室にこもったきり出てこようとしない。
 何度か王の使者が、宴に出席するよう促しにきたが扉を開けもせず中から
「後に参ります」
と断ってばかりいた。
 ナムでさえ部屋に入れない理由がわからなかったが、まさかこの歴史にも残る一大行事を見過ごすつもりなのかとハラハラしながらフサノリが出てくるのを待った。
 「ナーム!」
 廊下の端から橙色の頭を振り乱したカヒコが、満面の笑顔を浮かべて駆けてきた。その様子はまるで愛犬のようでもあり、尾っぽがついていないのが不思議なくらいだ。
 「まだフサノリ様、出てこないの?」
 「そっ、大丈夫かなぁ」
 フサノリがこうして部屋に閉じこもることは珍しくない。時に何日も飲まず食わずに、本の解読に夢中になることがあった。殊にこのような日だからこそ、これから起こる未来を確実に予測しておきたいのだろう。
 「あぁ…教皇はまだ閉じこもってるんだ~」
 どこか間の抜けた声に振り返る。
 「困ったなぁ」
ポリポリと栗色の髪を掻く、目の細さが彼の人柄の良さをあらわしているハザンが苦笑いを浮かべて立っていた。
 「あら、ハザンも用があるの?」
 「うぅん。違うけど~ほらこれを返しそびれていたから」
 懐から布に包まれた物体を取り出すと、二人の前でおもむろにそれを見せた。
 「なにこれ?」
 カヒコの質問に答えるように布を解くと中から見事な装飾の施された、ルビーの首飾りが姿をあらわした。
 「あぁ、ピアスの受信機か」
納得したように頷くと、首を傾げるカヒコに捕捉をした。
「この前酔っぱらったあんたがフサノリ様にぶつかって、これ落としたでしょ? 念の為にハザンに壊れていないか見てもらったの」
 「あぁ…」
気まずそうにその時のことを思い出すと
「だってあの時は…ナムが、カマスが帰ってきた祝いに飲もうって言うから。それも樽三本も空けて」
 「あのくらいで酔うってどうなの? カマスはあの後もう一本空けてたよ」
 「あいつは人間離れしてるからそんなキッコウができるんだよ! 第一ナムだって夜明けまで飲み明かすから」
 「何回も吐いて顔も蒼褪めてきたから、途中でもうやめろて何度も忠告したのに、それを聞かなかったあんたが悪い」
 「だいたい三十路男と二十歳そこそこの女が夜遅くまで一緒にいること自体悪いだろ!」
 「どっこが悪いの! カマスは奥さんもいるし、娘だっているじゃない! そりゃあ、あの体格にはそそられるものはあるけどぉ…」
 「うわっ、変態! 近寄んな!」
 緊迫した雰囲気で睨み合う二人。次の一言で殴り合いの喧嘩が始まろうとしたその時
 「ハハハハハ~」
 まるで緊張感のないつくり笑いのような声が響く。
 「ナムもカヒコもよく喧嘩をするね~。ハハハハハ」
細目で表情もよくわからないハザンが、口を大きく開けて笑った。
 「それとカヒコ。キッコウじゃなくて奇行だよ」
 間違いを指摘されウッと黙り込むカヒコ。それを見てナムがガッツポーズをつくった。
 「それじゃあナム。これ渡しておいてもらえるかな~?」
 首飾りを受け取り「ハザンは宴に出ないの? せっかくだから見学しておいたら?」
 「う~ん、だってものものしい雰囲気でしょ? ぼくの肌には合わないと思うからやめておくよ~」
 ヒラヒラと手を振り「それじゃ~ねぇ」と去っていくハザンの後ろ姿を見送り、ナムとカヒコは同じことを思った。
 「あいつ……今、二十八か七だよな」
 「…馬鹿なあんたも心配だけど、ハザンの場合。なんとしてもしっかりした奥さんを見つけてあげなくちゃって思っちゃうわ」
 「いや、その前に自分の身を心配しろよ」
 ナムの鉄拳を脳天にくらい目を回し倒れると、ようやく扉が開き中からフサノリが自信に満ちた表情であらわれた。
 「待たせたな」
 床に倒れるカヒコを一瞥し
「ここで寝ていては邪魔になるな。端に寄せておきなさい」
と命じた。
 「客人は揃ったのか?」
 「あ、いえ…まだ西国のツクヨミ王が……」
 彼女の言葉を遮るようにして頭上の彼方から大きな鐘の音が響き渡った。
 四国が揃い国民たちの外出禁止令が解かれたのだ。
 「…ふっ」
唇の端を歪め思わず笑いを洩らすと、カヒコを壁際に移動させていたナムに向って
「いくぞ。宴の始まりだ」
 力強い口調で言い放った。
 
 
 北の国には元々床に直接料理を置いて食べる習慣があった。今では古木を使ったテーブルや、大理石の豪華なテーブルを使った生活が主流ではあるが、国賓を招く際には古いしきたりに従う習わしがある。
 本日の宴の為に特別に織らせた緋色の絨毯の上にそれぞれの席を設え、最後の客人ツクヨミ王代理が客間に訪れるのを他の二人の王と待った。
 何種類かの果物を発酵させてつくった特製の酒に舌鼓を打ちながら、カミヨは久しく会う王たちの様子をそれとなく観察していた。彼の目の前に座るスサノオ王、オクヒマは酒に添えて出されたドライフルーツをいたく気に入ったようで、先ほどからそればかりを摘まんでいる。
確か五十一歳の誕生日を既に迎えたと聞いたが、長旅のわりに疲れを見せることもなくやや酒の力で饒舌になったのか、隣に座るアマテル王にしきりに話しかけている。
 彼が治める南の国は四国で最も資源に富み、国内での需要も安定し国全体が豊かだった。しかしそれだけに彼には発言力は三国にも大きく影響を及ぼす。自己顕示欲が強くなにかと派手好きな性格には相容れないものを感じるが、彼とは今後とも友好的な付き合いを持続させていかなければいけないと、土産に持ち参じてくれた国産の見事な絹を眺めながらカミヨは覚悟した。
 それからオクヒマの隣に座するアマテル王イズサハルに視線を移す。先日より立て続けに起こる暗殺行為は、この長い銀髪に縁取られた四十五ながら整った面立ちの男の命令によって行われているのだ。国教と定められているロギヌシ教会が暗殺に加担していると聞いたが、今回は教会関係者の者は同行していないと報告があった。
 フサノリの神託によるとこの宴の間は決して死者は出ないらしいが、それでもカミヨの不安が軽減されることはなかった。
 「イザナム王よ、先ほどから酒が進まぬようですが」盃を覗き「甘い果実酒に飽きたのなら、我が国から持ってきました酒がありますよ」
 恐らく愛想よく笑ったつもりなのだろうが、眼尻の皺が刻まれ細くなった目は変わらず鋭い眼差しを発し、両隣を近衛兵で固めているにも関わらず一分の隙も見せなかった。
 「いや、失礼を致しました。つい考え事をしておりましたので」
 さり気なくイズサハルが取り出そうとしていた酒から手元を遠ざけて断ると、オクヒマがくっきりと分かれた二重顎を上下に動かし
 「確かにわたしも気にしておることだ。西国と言えば最も北に近い国なのに、姫君はなんと遅いのか」
 露骨に不快を表情に出すオクヒマを見てイズサハルが眉間を寄せる。警戒心の強い彼は、こうして簡単に内面を露出するオクヒマを嫌っていた。また近衛兵の他にも国から連れてきた女を脇に侍らせる態度に、嫌悪を抱いているようでもあった。
 「……」
 耳を澄まし遠くで鐘が鳴る音を捉える。外出禁止令が解かれたということは、ようやく西の国の使者たちがこの城へ入ったのだろう。胸を撫で下ろしもうしばし世間話をして彼らの機嫌を損ねないよう努力した。
 楽師たちが新しい音楽を奏で始めた頃、ようやく客間の大扉が開かれ侍女たちがツクヨミ王代理の一行を案内した。
 扉が閉まる直前に滑り込むようにフサノリとナム。そしてたまに見かける赤毛の長身の男を連れて現れた。ヤヌギ族はあと二人の男ですべてだが、今回はどうやら出席しないようだ。
 フサノリの登場に安堵するのも束の間、侍女に招かれカミヨの隣に設えた席へ向かう少女に一同の注目が集まり、緊迫した空気が流れた。
 赤い衣のようなものをベール代わりに頭から被っていたので、近くにくるまで顔がわからなかったが、純白の衣装から覗く黒く艶やかな髪が動くたびに静かに音を奏でた。
 匂い立つような花の香りを嗅ぎつけた瞬間から、カミヨは心臓が高鳴るのがわかった。
今年で御年十七歳になるはずが、なだらかに曲線を描く肩は小柄でどこか頼りなさを感じる。傍らに立つ黒髪の近衛兵の背が高いからだろうか。まるで兄と妹のような雰囲気だった。
 白い華奢な手首が衣の下から伸びて被っていた赤い衣を外す。すかさず近衛兵がそれを受け取ると、顔にかかる長い黒髪を掻き揚げ一同を見回して腰を低くして頭を垂れた。
 「この度はお招き頂き誠にありがとうございます。ツクヨミ王代理として参りました第一王位継承者チトノアキフトにございます」
 凛と鈴が鳴るような声で口上を述べると宴の主催者であるカミヨを、その青い瞳で捉えた。
 視線が一つになっても彼女はにこりとも笑わない。着席の許可をもらおうと沈黙しているのだとわかってはいたが、カミヨはこの姫の青すぎる瞳に注意を奪われ言葉を失った。
 「おぉ! これは、これは…噂に違わず美しい」
肉厚の手を叩き黄色い声を上げた。
「さぁさ、立ちっぱなしにさせる理由などない。お座りなさい」
 「恐れ入ります」
 低頭しカミヨの隣にある席に腰を据える。正面に座るイズサハルがすかさず盃を渡し、オクヒマが酒を注いだ。
 すかさず近衛兵の男も彼女の背後に回る。その音もない所作に気づいたカミヨは、まだ二十歳前後の若き男の顔をしげしげと眺めた。
 涼しげな目元に収まる黒い瞳は、カミヨが不躾に観察をしているにも関わらずじっとチトノアキフトへ向けられている。瞬きをする時以外を除きほとんどの時間、彼の眼差しはこの若き姫君に集中していた。
 「―――お噂はかねがね耳にしております」
 オクヒマとイズサハルの虚栄心をくすぐる褒章の数々を操り、ぎこちないながらも微笑みを浮かべるチトノアキフト。ここで三王に認められなければ彼女が王位に就くことはないが故に懸命になっているのだろうが、拙いながらも一端の世辞を使い、面白くもないオクヒマの冗談に笑いイズサハルの厳しい進言にも神妙に頷いた。
 少しきついが大きな瞳が瞬きをし、再びカミヨを見詰める。
 「イザナム王より賜りました薬のお陰で、王の体調も回復の兆しが見えております」
 「…それは……なによりです」
言葉少なく応えると、カミヨは盃に残る酒を煽った。
 何故かこの時の酒ほど、味がわからなかったことはなかった。
 
 
 鐘が鳴るなりアタカもイチタも家を飛び出した。ちょうど少し前に大掃除を終え、マキヒから暇を言い渡されたところだった。
 心地よく晴れ渡った空を見上げ一気に丘を駆け下りる。村に住む人々も鐘の音を聞きつけ、各々の家から出てきた。
 「あっ、アータカァ!」
 「イッチタァ!」
 丘を下りると近くに住む彼らと同じ年頃の子どもたちが集まってきた。
 「ねっ聞いたよ。アタカたち、上級民とついに友だちになっちゃったって本当?」
マメリの姪っ子のカノンが、アタカの肩に抱きつきながら問いかけた。まだ九歳になったばかりで一人っ子ということもあり、よくこうして誰かに抱きつく癖があった。
 「あたしもー! すごいね! どうやって友だちになったの?」
 「別に特別なことなんてしねないよな、イチタ」
 「うん。ただぼくらが、友だちになろうって言ったら感涙むせび泣きながら承諾したんだよね。ほら、上級民って満ち足りているが故に孤独って言うの?」
 いつの間にそんな感動的な出会いをしたんだ、とぼやきながら「変な設定をつけるな」と怒った。
 「いやぁだなぁ…ほら、こういうところはアタカって夢がないよね」
 「やだ、やだぁ! アタカってばイチタを怒んないで!」
 「アタカ! 弱い者いじめはだめっ」
 口々にイチタを庇う少女たちから避難を受け、深々と溜息を吐く。どうやらこの村は女性が常に主導権を握っているようだ。
 数少ない男たちが苦笑いを浮かべながらアタカの元に集い慰めた。
 「仕方ないって。みんな、イチタのことが好きだからさ」
 「どこがいいんだ? あんな守銭奴…」
 「女って堅実だし…イチタみたいに経済観念のしっかりした子の方が、将来が安泰だって見越しているんだろうなぁ」
 その意見に多くの賛同の声が集まった。
 (でも、まっ…それだけじゃねぇんだろうけど)
 ポリポリと頭を掻きながら女子たちに囲まれるイチタを見てぼやく。
 「あーんしんしてっ。私はアタカ派よぉ」
しぶとく肩にしがみつきながらカノンが耳元で叫ぶ。
キンキンの金切り声を出されたので、思わず両耳をふさいで怒鳴ってしまった。
 「うるさい! 耳の近くで叫ぶな!」
 静まり返る一同。咄嗟にその沈黙が、アタカにこれから起こる悲劇を予想させた。
 「うっ…うぅ……◎△□〒▲◆☆♨※〒‼‼‼‼」
 なにを言っているのかも判断できないくらいの大音量。意味不明な怪獣の悲鳴が辺りに大きく響き渡った。
しかしこの惨状は更なる悲劇の序章だった。
 「ごぉるぅらあぁぁぁぁ! アタカァ」
 包丁を片手にマメリが家のドアを蹴破って飛んでくる。左手には血抜きの途中だった首のない鶏が握られ、その血飛沫が彼女の般若のような顔をより恐ろしく演出している。
 「――――っ!」
 生命の危機を感じたアタカはすぐさまイチタの手を取ると、一目散に駆け出した。
 少女の一人に手作りお菓子をもらっていたイチタは、唖然と佇む少女の手に残されたお菓子を悲しげに見詰め
「後で食べるから~」
と叫んだ。
 
 マメリから命からがら逃げ切ったアタカは、肩で呼吸をしながら道の外れに座り込んだ。
 「はぁはぁはぁ……マジで死ぬかと思った…」
額の汗を拭ったが服も腕もぜんぶびしょ濡れだ。
 「もぉアタカの所為で無駄に走っちゃったじゃん。省エネって言葉を知らないのぉ?」
 「馬鹿! あの状態のマメリはやばいぞ! 絶対にまたペジュがどっかの女のとこいって帰ってないんだって! 錯乱してお前まで切りつけられていたって!」
 「あぁ…もうペジュの浮気にはうんざりだよねぇ。もうちょっと遠くまでいってくれたら、遠方加算できるのにさ」
 「……」
 喉元まで出かかっていた言葉を溜息に変えて吐き出すと、夢中で走ってきた道を振り返り笑いかけた。
 「どうせだからこのまま都にいっちまおうぜ」
 「あ、それならどうせだからこのままチノリコ村にも寄っていこうよ。最近ユサともご無沙汰しているから、ちゃんと会わないと友だちとして申し訳ないしね」
 友だち…じゃなくて、顧客候補として、だろ。という言葉を飲み込むアタカ。イチタが少女たちにもてる理由は恐らく、このマメさにあるのだろう。
 どの家に住む少女たちもいずれは大人になり家庭を持つ。そうなるとあの村に住む限り、どう足掻いても主導権を握るのは妻たちだ。いつかきたるその時の為に、イチタは日頃から少女たちにこまめに接触をして機嫌をとっていた。
 「まっ、どうせ都の近くだからいーけど」
 大きく伸びをしながらアタカたちは歩きだした。
 
 
 宴は昼食を前に一端休憩に入った。久方ぶりの再会の緊張も程よく解け、当初の見込み以上に雰囲気もよく進行している。有名なイディアム城を案内するということで提案した休憩だったが、オクヒマは今宵泊まる部屋で少し休みたいと言い、チトノアキフトもやんわりと断りを申し出た。
 侍女の一人にオクヒマを部屋まで案内させてから、イズサハルを連れて席を立つと両国の近衛兵が同時に立ち上がり彼らの後をついていった。
 各国の付き人たちと並び立っていたナムは、カミヨが客間を去った後も動こうとしないフサノリの顔を覗き込んだ。
 「王につかれなくていいんですか?」
 「構わない。わたしが不在の方がアマテル王も話しやすいからな」
 直立したまま目も動かさずに答える。気になって彼の視線を辿ると、フサノリもまたチトノアキフトを注視していた。
 一人席に残った姫は盃を両手で包むように持ち、考え込むように俯いていたが近衛兵が近づきなにごとかを耳打ちした。
 「……」
すると長い黒髪を肩から滑り落としながら振り向き、真っ先にナムと目を合わせると物言いたげに彼女を凝視した。
まさか自分が姫に見詰められるなど思ってもいなかったナムは当惑をあらわにし、救いを求めるようにフサノリを仰いだ。
 「姫がお呼びだ。いきなさい」
 あっさりと彼女の願いを切り捨て素っ気ない態度で促す。隣にいたカヒコの方がナムに近い心境で彼女の動向を見守っていた。
 高を括りチトノアキフトの元へ近づくと低く頭を垂れた。すると俯くナムの顔に口を近づけ
 「手洗いを…借りたい」
 ほとんど消えてしまいそうなか細い声で囁いた。
 
 
 それまで静まりかえっていた街も昼までには完全に、いつも以上の喧騒とした雰囲気が戻っていた。人気のなかった道路もあっという間に人で埋め尽くされ、城で行われている宴への関心の高さが伺えた。
 これで宴が終われば父はなにを表立った理由にして帰らなくなるのだろうか。そんな冷めた思いで街の様子を眺めるウリ。
 傍らにいたジュアンは鐘が鳴り響くと共に、無言で部屋を出ていてしまった。
 (あの宴でなにが変わるんだろう。四人の王が今後とも協力して大陸を支配するとでも約束するの?)
自問してから、ウリはそれも楽観的な考えだと否定した。
 ただ漠然と、知らないうちに不安が膨れ上がっていくような恐怖。木材を使った工芸品を大量に輸出する反面で、鉱山をいくつも閉鎖していく。国土の三分の二が森と山で覆われている北の国ならば案じることもないかもしれないが、何故かウリは一日に何千本とも切られていく木々を思うと不安で堪らなくなった。
 閉山に伴い職を失った人々の中には工芸家の元に弟子入りしたり、樵の仕事をして糊口をしのいでいると聞いた。それでも食べていけるのならいいだろう。だけど、本当にその道が正しいのか誰もわからなかった。
 未来がわかれば…と嘆息する。
 未来を予見するヤヌギ族を囲ったイザナム王。これから進む道がわかれば、なにも不安なんてないだろう。けれど、どうして彼の瞳はあぁも暗澹とした闇を宿していたのだろうか。
 (…だめだ、あの時の王様の印象だけで決めつけている)
かぶりを振り否定しようとしたけれど、うまくいかなかった。それどころか逆に、余計に頭の中は王のことでいっぱいになった。
 前王の側室だった母は、王の壮絶な最期を見届けた唯一の人としても知られている。亡くなるまでの七日間を、彼女は王と共に玉座の間で過ごしたらしい。しかし、その間のできごとを母は、今も城の奥でひっそりと隠れるように暮らす正妃にでさえ明かさなかったと言う。
 不安で胸がいっぱいになる。自分を含め、多くの人々がこの秘密を守ろうとしている。けれど知りたいという欲求と、その知識を得ることで失うものの大きさを測りきれずにいた。
 それは、弱冠十三歳の子どもが抱えるには大きすぎる悩みだった。
 
 
 太陽が高く昇る頃、ユサはタマ婆の家からショウキに見送られて帰っていく男の姿を確認した。ここ最近よく同じ男がきているのだが、ユサにはその判別もできていなかったので村の入口で顔を合わせても、ショウキの家の扉を叩くまで何者かさえ気づかないことが多い。
 先ほどから囲炉裏の傍でうたた寝をしているタマ婆に一声かけようかと思ったが、言葉よりも毛布を肩にかけてやってから家を出る。昨日から帰っていないので部屋に溜めている繕いものを片づけてしまいたかった。
 立てつけの悪い戸を開けて中に入ろうとすると、彼女が帰ってきた気配を聞きつけショウキが顔を覗かせた。
 「―――よぉ!」
 ショウキが口を開けたのに聞こえてきたのは何故か少年の声だった。訝しんで首を傾げていると、すぐ背後から今度は別の声で
 「久しぶりぃ」
と肩を叩かれた。
 「あぁ、イチタくんじゃない!」
 ユサが振り向くよりも先に家の前に出ていたショウキが笑いかける。
 一瞬その笑みが、自分自身に向けられたのかと思い、ユサはドキッとしてしまった。
 「お久しぶりだねぇ。元気だった?」
 ユサの肩を叩いていた人物が、彼女の脇を通ってショウキの元へ向かう。くねくねと曲った黒髪と、なで肩しか見えなかったがなんとなく覚えのある気がした。
 「もしかしてまた忘れた?」
 素っ頓狂な声が発せられる。今度は彼女を素通りしてしまうことはなかったが、声の主を見てもなかなかそれが誰だか思い出せない。
 前髪だけ少し短い黒髪に、鋭い黄金色の瞳は一見して大人びた印象を受ける。今は笑っているけど、なんとなくこの顔を見るとあまり楽しい気分にはなれない。
 「ほら、大聖堂前で会っただろ? あと、ここにもきて大根腐らせたって喋ってただろぉ」
呆れた口調でぼやく。
 その馴れ馴れしい態度に触発され、記憶力の悪いユサもようやく二人の顔を思い出した。
 「………ウリ、は?」
 何故第一声に彼の名前が出てきたのか、ユサ自身もわからなかった。が、真っ先に記憶から蘇った彼のことが無性に気になった。
 「いきなりそれかよ」
 肩を落とし溜息を吐くと
「これからウリのところにいこうかって言ってるんだけど、くる?」
 「…家、知らない」
 「いや、だから俺たち知ってるから。この前いったし」
 「私はいってない」
 「だっかっら! 俺たちが! 案内するって!」
 「………俺、たち?」
 苛立ったように頭を掻きむしると、二人を忘れて楽しげに話をしている後ろのイチタに助けを乞うた。
 「イチター、もうこいつ置いていこ。話になんない!」
 ショウキに笑いかけ話を区切ってから
「心を穏やかに会話しないと喧嘩になるって、さっき確認してたでしょ。せっかくここまできたんだから、ユサもいこうよ」
 女の子みたいな顔で笑いかけられたものの、ユサはいまいち話の趣旨が掴みきれず曖昧に頷いた。
 「へぇ…仲、いいんだ?」
 感情を抑制した口調に思わずユサの顔色が変わる。あれはショウキが苛立ちを堪えている時に出す類のものだ。
 「この前ちょっと都で会ってね。ショウキもお隣さんだから仲良しじゃないの?」
 怖いもの知らずのイチタがいつもの調子で笑いかける。イチタとアタカには優しい眼差しを向けるけど、ユサを見る時の目つきはとても残酷だった。
 「私の方がユサに嫌われているから」
 顔中の筋肉を弛緩させて満面の笑みを浮かべる。
 そんなはずない、と心の中で叫んだけれど、もちろんのことながら誰の耳にも届かなかった。
 
 
 赤茶色の瞳をやや潤ませてショウキは肢体を媚びるようにイチタに寄せると
「私もいきたいなぁ。そのウリって子のお家に」
 なにを企んでいるか見え見えの態度が鬱陶しいとアタカは思った。さっきイチタと喋っている時に、ウリという上級民の友だちがいると言っていたからこれをチャンスだと思い食いついてきたのだろう。
 同じことをイチタがやっても呆れながら、まだ笑って流せることなのにどうしてか、栗色のカールした毛先を指でいじくり上目遣いに彼らを見詰めるショウキだと、無性に腹が立った。二人の会話を聞いていると精神的によくないと判断し、なんとなしにユサに視線を向ける。
 「……」
 再びユサが黙り込む。今度はやや俯いて視線を誰とも合わせないように地面ばかりを見ていた。
 ショウキが言う通り、二人は仲が悪いのだろうけどショウキの方がユサを徹底的に嫌っているような気がした。でも名指しされた本人が反論しないので、いまいち断言できない。
 「じゃあ一緒にいこうか?」
 アタカに意見を求めるように言うイチタ。途端にユサの体がぎゅっと硬く縮こまった気がした。
 両手を挙げて大げさに喜ぶショウキとは対照的に、右手で左腕を握りずっと足元ばかり見ている。好きとか嫌い以前に、彼女を恐れているのではないかとさえ思える。
 「……じゃあ俺、どうせだからクロエにも会ってからいきたいし二手に分かれて後で合流しようよ」
 「そう? アタカってば仕事熱心だねぇ」
 その科白の裏には暗に、ただクロエの顔を見てくるだけではなく外からの郵便物がないかをしっかり確認し、もしあれば配達してからこいよ。と示唆してもいた。
 「ハハハハ……」
ついつくり笑いを浮かべながらも
「んじゃーまた後で」
と素早く案山子のように突っ立たままのユサの手首を握り、余計な用を言いつかる前に踵を返して走り出した。
 
 
 チトノアキフトがトイレから出てくるまで、ナムは近衛兵の若い男との間に流れる気まずい沈黙に悩まされた。背は彼女より高いが年は同じ頃だろう。涼しげな目元が好印象の、それなりに整った顔立ちをしている。
 (これで筋肉隆々だったら申し分ないんだけどな)
 多少の注文はあるものの、ナムの好みの部類であることに違いはない。しかし彼女は殊西国の人間とは親しくしないと心に決めていたし、一族の中でもそれは取り決められていた。
 ただ、だからと言っていつまでも沈黙が続くのも心情としては辛いものがある。加えてこういう時に限って、中和剤になり得そうなチトノアキフトはなかなか出てこない。
 「名前はなんと言われるんですか?」
 できるだけあたりさわりのない話題を選んで摘まみ出す。
 それまで憮然と構えていたが、軍人らしくすぐにナムの方へ体勢を変えると
「オノコと申します」
と恭しく礼儀をした。
 「あ、そんなにかたっ苦しく構えなくて結構ですよ。私もただの宣教師ですから」
慌てて顔の前で手を振ると、唇の端を上げて愛想のよい笑みを浮かべた。
 「いえ、ロッキーヴァス総教会の方ならば、なお更無礼は許されません」
 短い間を置き
 「…ヤヌギ族のお方ですね」
 確信に満ちた両目は静かな炎を秘めているかのように、怪しく光った。
 その瞬間ナムは、この若く見た目もいいだけの男と見做していたオノコという近衛兵が、ただならぬ洞察力をも持ち併せていたことを悟った。
 「未来を読み王の信頼も厚い教皇フサノリ殿の、片腕とも言われるお方が…なにを謙る必要がありましょう?」
 従順そうに見えたそれまでの仮面を脱ぎ棄て、オノコは牙を隠し持ち獲物をなぶる猛獣のような迫力が漂わせた。
目の当たりにして初めて知る、死線を乗り越えてきた者たちの気迫。全身を駆け巡る戦慄を覚えながら、ナムは足が竦むのがわかった。
 「―――オノコ」
 凛とした声がそれまでの鬼気迫る雰囲気を払拭する。
 「私の目の届かぬところで要らぬ話をするな」
 チトノアキフトがあらわれた途端、威圧的な空気が一瞬にして消えた。踵まで届きそうな長い黒髪を束ねたこの若き姫は、近衛兵をひと睨みするとナムの前に立ち謝罪をした。
 「礼儀作法も知らぬ不届き者故、このような失礼を許して欲しい。なにぶん私と同じく初めて貴国へ足を踏み入れた為いささか気が立っているようだ」
 「…いえ…そんな……」
と言ってからナムはつなげる言葉を失った。
 十七歳という年のわりになんて小柄な少女なのだろう。外見だけで判断するなら、十四、五歳でも十分に通用するくらいだ。それにこんなに強い眼差しを持つ子を初めて見た。彼女の一声でオノコは口を閉ざし、その威厳と貫録に溢れる立ち姿は王族ならではのものだった。
 (綺麗な…青い目をしている。違う。ただのブルーじゃない。まるでサファイアみたいに…)
 「遅くなってしまったな。イザナム王たちが戻られるよりも先に戻りたい」
つい彼女の瞳に見入ってしまいそうになったが、慌てて我に返ると頷いた。
「どうぞ、こちらへ」
 最初に通った道とまったく同じ通路を使い二人を案内する。事前にフサノリから、王やその付き人たちを案内する時はあまり多くの回廊を使わないよう注意されていた。あくまで他国の者に、城内の情報を容易に提供するなということだろう。
 「ナム…と言うたな」
 「はい?」
首だけをひねりチトノアキフトを見ると、彼女もじっとこちらを凝視していたらしく目が合った。
 「私はまだまだ未熟者で…知識にも乏しい。故に各国の王たちの前で恥を掻く前に、お前に聞いておきたいことがある」
 できることなら断りたい願いだったが、オノコもいる手前もあり無碍にもできず首を縦に動かした。
 「以前北の国ではいくつか宗教が分断し、その中でもゴルゴン教会が大きな力を持っていたはずだ。しかしたった四年前にぽっと出にあらわれた、お前たちヤヌギ族が宗教統一を成し遂げたと聞いた時は私も驚いた。群衆をも魅力させるだけの、つまり未来を予見するその力は、一体どうやって手に入れた? 聞けば教皇のみがその術を知ると言うが」
 予感は的中だった。権力者たちが興味を持つのも当り前の話ではあるが、毎度毎度、誰もが飽きもせずに聞いてくる話題にいささかナムはうんざりしていた。
 「それは神と信仰心の問題です」
 何度も繰り返してきたので感情も入らず、諳んじてしまった台本を読むように単調に答えた。
 「我々は異世界に存在する神と、常に心を通い合わせこの国の行く末を案じ願っています。神は認めた者にしかその御力を示されません。その中で、教皇は選ばれたのです」
 そして胸の前で両手を組むと、ナムは観客の視線を一身に浴びた女優になりきったつもりで厳かに言い放った。
 「祈りなさい。さすれば偉大なる神は、真の道を教えて下さいます」
 
 
 城内の装飾や豪奢な壁画を堪能したイズサハルは極めて機嫌がよかった。中でも最高級の木彫像の数々には、素直に感嘆の声を上げた。
 「衣の襞ひとつとっても、素晴らしいできだ。今にも動き出しそうだ」
齢三百年の古木を大地に植えたままの姿で彫り上げた、前王と妃の彫刻像をひとしきり感心した様子で眺めると当初よりもぐっと距離の縮まった親しみある笑みを見せてきた。
 「余程腕のいい工芸師がいるのですね」
 そろそろ客間へ戻り始めながらカミヨも頷いた。
 「我が国の冬は長く、毎年背丈ほどの雪が積もるので長くこもって行える仕事が伝統として残っています。特に焚き火などにも使える木彫は、冬ごもりの際にできるのでむかしから重宝されていますよ」
 「なるほど。いや、それにしても楽しめました。北の木工芸品などは我が国でも今流行となっていますが、これほどの技量があるとは思わなかった」
 イズサハルの称賛を聞きながらカミヨは満足そうに頷いた。
 フサノリの予言通りここで王たちに北の伝統工芸を披露し、その技術の高さを十分印象づけさせることで、手先の器用な職人たちを多く抱える北の技術量を思い知らせることができた。これで近年より開発を始めている兵器の製造能力も高く評価されるだろう。精巧な技術を用いてつくられる新種の兵器は、設計の通りに完成したらこれまでにない破壊力を生むはずだった。
 しばし談笑を交えながら客間へ近づいていくと、ふいにイズサハルから足を止めた。
 「イザナム王よ」
 振り返りイズサハルの端正だが、温かみに欠ける面立ちを見詰め返す。銀色の長い髪が彼の血の気のない顔を縁取り、余計に冷めた眼差しを印象づけている。
 「あのような細かい芸当…到底我が国の者たちには真似できまい。そこで相談があるのだが…」
 二十八歳になるカミヨと比べイズサハルには四十五歳と言う年相応の貫録がある。一回りほど年の離れた二人の間に、いつの間にか見えない上下関係のようなものが生まれていた。
 「鉄を提供するので我が国に相応しい武器を開発して欲しい」
 その途端、カミヨは雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
 「知っての通り、我が国は南国より鉄を輸入している。だが風土の関係上、雨季が長い。その為にせっかく鉄の武器を手にしても、細かい手入れがなければすぐに錆びて使い物にならなくなる。そこで貴国の腕を見込んで頼みたい。湿気や雨にも負けない立派な武器を開発して欲しい」
 (あのイズサハルが―――わたしに頼んでいる?)
 冷酷非情で血も涙もない鉄の仮面の男と知れるアマテル王が下手に出ていることも驚いたが、それ以上にこの会話さえも、フサノリが事前に神託として予言していた事実に戦慄に近い驚異を覚えた。
 だがそんな内心の動揺をおくびにも出さず、カミヨはわざと悠然とした態度をとると落ち着き払った対応を見せた。
 「これは…このような友好の場にふさわしからぬご相談でありますな」
 じりじりと逸る気持ちを必死に抑え、カミヨは目で年配の相手を敬いながら口元を綻ばせた。
 「仮にもし、そのお話をお受けしたのなら…東国は、我が国に大きな弱みを見せることになります。それは同時に、わたしの自身の命を危険にさらすことにもなりかねません」
 実際に東国ロギヌシ教会はイザナム王の暗殺を企てて実行している。それも、今目の前に立つこの王の命を受けて。
 イズサハルは北の国がどういう経済状況に陥っているかをよく理解している。それも閉山が続き日に日に増えていく浮浪者たちに対し、国家としての対策を一切行わず放置している理由も。
 国内の需要が低下し供給とのバランスが乱れつつあるのだ。失業という問題に煽られ人々の財布も硬くなり、盗みなどの悪行が横行し始めいよいよ不景気に拍車をかけていく。
 何度も救済処置を出そうとしていたカミヨを踏みとどまらせてきたフサノリには、この時がわかっていたのだろう。宴の前夜。彼に未来を占わせた時、いつもの力強い口調で断言をした。
 『明日、東国アマテル王が経済支援を申し出ます』と―――
 長すぎる静寂が辺りを包む間、イズサハルは眉ひとつ動かさず宙を睨んだまま瞑想に耽っていた。だがカミヨは、この静寂が長引けば長引くほど北が有利になると確信していた。
 彼の真の目的は別にある。鉄を輸入させることで堂々と東国のスパイが侵入できる。そこで確かめたいのは、フサノリが持つあの四冊の本だ。未来を予言する本を手に入れる為ならば多少の無理は通そうとするはずだろう。
 「…アマテル王。わたしは、これからあなたの未来を予知してみましょう」
 唐突な申し出にイズサハルは露骨に眉を顰めた。だがすぐに冷笑を浮かべると促すように尖った顎を引いた。
 「これより…宴の席にて隣に座られるスサノオ王から、衝撃的なことを聞きます。それもツクヨミ王代理チトノアキフトの姫君について」
 「ほぅ……それは興味深い話だな」
 腕を組みもはや年下とばかりに見下した口調で頷く。だが内容を気にした様子で、早く次の句を述べよと鋭く睨んだ。
 小さく息を吸い込み、カミヨは言葉と共に吐き出した。
 「チトノアキフトノミコトは不老不死の秘密を手に入れたと、あなたに告げるでしょう」
 「!」
 さすがのイズサハルも不老不死という言葉には過敏に反応を示した。両目を大きく見開けると信じられないとばかりにカミヨを見る。それから言葉を選ぶようにしばし視線を漂わせると
 「それも……ヤヌギ族たちの予言ですかな」
 「えぇ、神託です」
 漫然と微笑み返しカミヨは再び歩き出した。
 もう答えなど聞かなくてもわかっている。これまでも予言は一度たりとも外れたことがなかった。なによりも、彼は決して、嘘を言わない。
 カツン、カツンとカミヨの足音だけが響き渡る中、再び黙していたイズサハルが口火を切った。
 「オボマに対する防衛の為にもより優れた武器が必要だ。製造にかかる費用とは別に経済支援も考えている」
 衣を翻し振り向く。居丈高な態度はあくまで崩しはしていないが、イズサハルの目は懇願していた。
 「………」
 口元を綻ばせ答えを返すも、そこから発せられた言葉は開け放った客間から奏でられる音楽に掻き消され届かなかった。
 だが読唇し意味を解した様子のイズサハルに向って、優勢に立ったカミヨは余裕に満ちた面差しで―――席に座るよう促した。
 
 
 ひと足先に都の検問所に着いたアタカは初めて見る光景に目を見張った。
 「すっげぇ…誰もいないなんてあるんだ…!」
 いつもは検問所まで長蛇の列ができ、日が暮れるまでそれは続くのだが今日に限っては人っ子一人として見当たらない。せっかく久しぶりに順取り屋のクロエと会えると思っていただけに不満が残る。
 「…どうして、人がいないの?」
 「さぁな…どーせみんな、宴が気になって城にでも集まってんじゃないの?」
こんなことなら、宴など催さなければいいのにとばかりに皮肉をこめて呟く。
 「でも宴があるからって…極端過ぎる。今日は検問を閉めているのかもしれない」
 まぁ、確かにそうだ。と相槌を打ってからアタカは更に驚いた顔でユサを見た。
 「お前! 十文字以上喋れるんだ!」
 「……数えてない」
 「いや、ま、そうだけど。なんだ…普通に喋れるんじゃねーかよ」
 ぶつくさ言いながらもやっとユサと一般的な会話ができることにささやかな喜びを感じた。できることならこの気持ちも、イチタと分かち合いたかったがあのショウキとかいう少女が傍にいると嫌悪の方が勝った。
 「あいつ、ショウキって奴。お前が嫌ってるんじゃなくってあっちがお前を嫌ってるんだろ?」
 「…私が……ショウキでショウキがアタカで、私?」
 「違うって! だから、お前はどう思ってんの?」
 端的に要点だけを抜粋して聞くと、今度は意味が通じたのかぐっと眉間に皺を刻み返答するまでかなりの時間を要して答えた。
 「私は…ショウキが好き。だけどショウキの大切なものを、奪った。ショウキは私を……許さない」
 「なんだ、仲よかったんだ」
 青く晴れた空に向って両腕を伸ばすと、大きく欠伸をした。
 「よかったな。お前があいつのこと嫌いなら、絶対に友だちにはなれないけど。お前が好きでいるならいつかはなれるもんな」
 「……どうして?」
 「どうしてって…友だちになりたいって思った瞬間から、友だちなんだよ。ほら、俺たちが友だちになったみたいにさ」
 
 
 目の前で笑う少年の無邪気な顔に、ユサは虚を衝かれる思いだった。
 彼とイチタ、そしてウリに友だちを宣言されたあの瞬間もそうだった。これまで触れたことのないような新しい風が吹き抜けていくような感覚。ずっと一つの事柄に固執し続けるユサの肩を、それは優しく叩いて振り向かせてくれた。
 友だちに戻れるのだろうか。彼女が諦めない限り。だけどショウキは違う。ショウキは彼女のことを憎んでいる。
 「…でも、私、憎まれているから」
 大切に。大切に守り続けてきたものが、ユサの所為で奪われてしまった。それは一生をかけても償えない罪であり、彼女が受けたショックは到底拭い切れないものだと知っている。
 アタカの温かい言葉に励まされ、せっかく芽を出したばかりの勇気が一気に萎びた。それでも、実際の苗木たちのように手厚い手入れを加えれば立派に成長するかもしれない。しかしユサには枯れた芽を前に、それ以上の勇気を注ぐ気にはなれなかなかった。
 (どうせ……過去なんて、変えられないんだから)
 つい涙ぐみそうになりアタカから目を逸らす。それをどう捉えたのか、不機嫌そうに頬を膨らませ
 「お前って本当に愛想悪いな。考えも暗いし…別に、俺に関係ないからいいけど」
 「…私は暗くない。それより」
と言いかけて口をつぐむ。思わずまた『ウリ』の名前を口走りそうになっていた。
 アタカに指摘されるまでもなく、どうして自分自身でもこうもウリのことを気にかけてしまうのか不思議でもあった。だけど確かに彼が傍にいる時。心から安心することができる。
 まるで型通りに切り抜かれていた符号が、定位置へ戻った時のような安心感と連帯感。そこにあるべきものが、逆らうこともなくそこに収まったとでも言うべきだろうか。イチタともアタカとも違う。彼が持つ独自の空気とあの優しさに包まれた時、ユサは極上の絹にくるまれたような心地よさを覚えることができた。
 「それより?」
 言葉尻を捉えてなんだ、と聞いてくる。
 まだ一度しか会っていないのに、こんなにもウリにだけ心を許してしまいそうになる自分を素直に明かせなくて、ユサはなんでもないと無言で首を振った。
 「クロエもいないし…イチタとの待ち合わせ場所いこうか。ユサがいきたがってた、ウリの家だぜ」
 後半の冷やかしはまったく彼女の耳に届いていなかったらしく、キョトンと口を開けて
 「クロエって……誰」
 「いや、それ今更聞くところじゃないって。会話のキャッチボールをちゃんとしような」
 呆れ返りながらもウリの家へ向かう道中、アタカは丁寧に説明をしてくれた。
 その中から彼ら二人が文使いをしていることや、順取り屋のクロエという少年とは仕事を始めた時からの仲であること。弟のいないアタカがとても可愛がっているなど伝わってきた。
 「アタカは、弟欲しいの?」
 イチタと兄弟と思い込んでいるユサは、そんなに欲しいのなら親に頼めばいいのにと安易に考えていた。しかし対するアタカの返事は意外と現実的で、彼女の夢想を見事に叩き切った。
 「俺、捨て子だもん。去年の春頃に拾われて親も家族もいないし、それに育て親のマキヒだってまだ未婚だし、どう考えても無理だろ」
 「……アタカは誰の子ども?」
 「それは俺が聞きたいし。そーゆうお前こそ、なんであんなところで一人で暮らしてんの?」
 「………孤児院、追い出された」
 「無愛想過ぎて?」
 またもや彼の冗談を聞き流し
 「ショウキと一緒に、出ていった。それで、一緒に暮らすつもりだった…」
一言一言を噛み締め、当時の記憶を辿りながら紡ぐ。
 「楽し……みだった。孤児院が嫌いだったから。ショウキ、手先が器用だから造花をつくって、私は、絵を売って…暮らすつもりだったのに」
 今でもあの時のことをはっきり覚えている。忘れたことなんてない。いつも、どうして? 何故? と後悔をして、終わることのない後悔と懺悔を延々と繰り返し続けていた。
 「…………私…が、殺されていたらよかった」
 彼女の独り言を、今度はアタカが無言で聞き流してくれた。
 
 
 窓を開け放したまま勉強をしていたウリは、すぐに門前で彼を呼ぶ友の声に気がついた。
 今朝の時のように身を乗り出すとイチタともう一人、アタカでもユサでもない栗色の髪の少女が顔をそろえてこちらに向って手を振っていた。
 「ウリィ! ひさしぶりぃ」
 手を振り返してから急いで部屋を出て、門の前で待つ二人の元へ駆け寄った。
 「突然どうしたの?」
 これまでも何度か来訪してくれていたことは知っていたが、初めて見る少女になんとなく疑問を抱く。
 特に彼女の存在を弁解するでもなく
「ついでのついでって感じで遊びにきたんだ。あとからアタカとユサもくるよぉ」
と、いつもの調子で微笑んだ。
 それから少女とウリを交互に自己紹介をさせ、ウリを友だち、ショウキと名乗る少女を最近のお得意様だとおちゃけて説明した。
 「えぇ、私がお得意様?」
 語尾をそり上げてショウキが笑う。
 「ほら、ビィシリ村のペジュからの手紙をよく届けてるでしょ」
 「……あぁ、そうだったわねぇ」
ふいに視線が宙を漂う。触れて欲しくなかった話題だったのだろうか。
 そうして二人で並んでお喋りをしていると、どうしてもイチタが女の子に見えてしかたない。それにこの二人はなんとなく持っている空気が似ている。本人たちも気づいているのだろうか?
 「ここってばイディアム城のすぐ近くなんて最高ね」
 「本当に。そうだ、なにか面白いものでも見えた? 例えば王様たちの行進とか」
 「あ…うん……部屋から見えたよ」
曖昧に頷くもすかさずショウキが反応した。
 「え、うっそぉ! すごぉい! 私も見たかったな。ねぇ、どんな感じなの?」
 急に接近してきた彼女から一歩離れ
「とても、えっと、綺麗でしたよ」
 「いやぁん! すごいっ」
大袈裟に驚いて見せ、そのあと軽く地面の上を跳ねて羨ましがった。
 慣れない女性の対応に追われながら、ウリはどうしてイチタが彼女を連れてきたのか考えた。
なんとなくさっきから見せる彼女の反応も、表情も言葉づかいもどれもどこか着飾っていて上辺だけをすくったような印象が残る。本当に笑っているのか、本当に心からそう思っているのか、ショウキが相槌を打つたびに疑問が湧いた。
(悪い人ではないけど…少し、変だ)
疑問が確信に近づき始めた頃、ふいにショウキが表情を変えて呟いた。
「でも…私も近くすっごいことになるんだから」
「へぇ、どういうこと?」
すかさずイチタが合いの手を入れる。
するとどこか自慢げに胸を張り
「ここだけの話だけど、私。ただの孤児じゃなかったの」
言っていることがよく理解できずイチタと共にショウキを凝視した。
「ただの孤児じゃないって……」
恐る恐る言及すると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせた。
「私は王族だったのよ!」
 
 
 昼食を囲みながら王たちは、近年急激に力を伸ばしてきているオボマ国について語り合った。中でも特に発言力のあるオクヒマは、床に広げられた北の料理の数々に舌鼓を打つばかりでなかなか議論に率先して入ろうとしなかったが、オボマの侵略が今後も続けば確実に南国の領土も奪われるという話になると、皿を落とすぐらいの憤りを見せた。
 代理という立場にあるチトノアキフトは終始聞き役に徹する様子だったが、その分、彼女の背後で近衛兵のオノコが警戒心をあらわにした表情で、各国の王たちが懸念するオボマ国の話に聞き入っていた。
 遠巻きにそれらを観察しているナムは、あまりに予想通りにことが運ばれていくこと喜びを隠せずにいた。四書の予言を疑っている訳でもないが、それでも当のフサノリは常に百パーセントという言葉はないのだと日頃から説いていただけに、こうも見事に予見が当たるとそれもあるかもしれない。という気持ちなってしまいそうになる。
 それにハザンが心配していたような物々しい雰囲気もなく、このまま無事に夕食まで持ち越せたならあとは寝て翌日に帰るだけだ。
すべて順調に進んでいる。
 ナムはそっと胸を撫で下ろした。
 安堵するあまりその目は知らず知らずのうちに、チトノアキフトの姿を追っていた。これから起きる悲劇を知っているナムは、なにも知らず、ただ残酷なまでに押し寄せる運命に流されていく彼女たち四人の王を見詰め―――
 「…ナム」
 カヒコに肩肘を突かれ我に返る。
 いつの間にか視界がぼやけて、驚いて顔を上げた先にあったカヒコの顔も、涙で歪んでよく見えなかった。
 「顔、洗ってこいよ」
 彼に言われるまでもなく袖で目元を隠しながら退室した。
 
 
 パタンッと扉が開閉する音が聞こえたが、侍女でも出ていったのだろう。空になったオクヒマの盃に新しく酒を注ぎながら彼の講釈に聞き入った。
 「オボマ国王ナラヴァスⅡ世に一度、四天王として顔を合わせるべきだな。これまでのように我ら四人が大陸を治める為にもこの際、上下関係をはっきりとさせなければならぬ」
 「しかしその前に軍事力を見極める必要がありましょう」
 「使いを出すのも一つでしょうが…」
今の四国の状態では、使いを出すよりも先に新たな同盟を結ぶ方が先決だとカミヨは思っていた。
 オクヒマもイズサハルも四国の為、と言う大義名分の下に行動しようとしているが実際は先にオボマ国と接触をはかりたいが故の言い訳だろう。
 (いい…それならば、わたしにも考えがある)
 酒が全身にいきわたりまどろみ始める頭を押さえ、カミヨは隣に座ったままほとんど喋ろうとしないチトノアキフトを見た。
 既に食事を終えた彼女は、両手を膝の上に置いてじっとオクヒマたちの会話に耳を澄ましている。
 勧められるたびに少しずつ酒を飲んでいたようだが、その頬は薄らと赤みがさして青い瞳がほんのり潤んでいた。
 カミヨはこれまで彼女が見せてきた一面を思い出せる限り再現し、つなぎ合わせて考えてみた。ちょっとした仕草から、王としての意見を述べる時の凛とした声に似合わない落ち着かなげな目。どれをとってもやはりどこか頼りなくて、不甲斐なさを感じる。西国の王として民を治められるのだろうか。四天王の一人として対等に我らと渡り合えるのだろうか。
 (頼りない……ただの、小娘だ…)
 ようやく空けることのできた皿を床に置き、カミヨも食事を終える。いつも以上に食事が喉を通らなかったが、食欲がないところなど見せる訳にはいかない。勧められた酒ならばどんどん煽り、意識が朦朧としても呂律の回らない失態など決して披露してはいけない。
 王としての威厳。王としての誇り。王としての―――使命。それを彼女は理解しているのか。理解しているのならば、何故、どうして…
 『チトノアキフトノミコトは不老不死の秘密を手に入れたと、あなたに告げるしょう』
 自分が発した言葉に心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受ける。馬鹿馬鹿しい、とかぶりを振ろうとしたが、しかし、と心の奥で声が聞こえる。
 十七の姫がこんなにも小柄で、また外見的にも幼いというのはどうだろう。不老不死ならばそれを確かめる術もあるだろうか。
(致命傷でも負わせてみるか…?)
 思わず失笑する。そんなことをしたならば、ただちに後ろに控えるこの若き近衛兵に首を掻き切られるだろう。
片時も主から目を逸らさず常に周囲の動向に耳を傾けている衛兵。ただ一人の護衛を連れてきたと言っていたが、そのただ一人の兵が彼である理由は……
 (それだけ腕の立つ、また信頼のおけるものだということだ)
 ただそれ以上に彼の目はいつも姫を見ていた。まるで大切な宝を片時も離さず、守り続ける守人のように。
 
 
 アタカがユサを連れてウリの家にくると、今度は入れ違いにショウキが帰ると言い出した。
 ユサとショウキが顔を合わせた途端に、気の所為か空気が硬直したように感じたウリは、さっきからずっと黙り込んだままのユサを不安に思った。
 「じゃあねぇウリ。今度、私がつくった造花持ってくるわ~」
 愛想よく手を振りながら帰っていくショウキ。大通りの入口までイチタが送ると申し出たので、後にはウリを含めた三人が残った。
 「ユサ…気分でも悪いの?」
 顔を覗き込み黒目がちの瞳を見詰める。しかし彼女はただ首を横に振るだけで答えなかった。
 手持ち沙汰ない様子のアタカを一瞥し、外に立たせておくのも可哀想に思え敷地内へ移動した。門をくぐってすぐに庭がある。母がよく手入れをしているので花や木々が咲き乱れ、日が高く昇るとちょうどいい木陰をつくってくれる。
 むかしよく使っていたハンモックのすぐ傍に植えた月桂樹の苗木まで二人を案内した。アタカはすぐにハンモックに気づくと、面白そうに飛び乗り揺らして遊び始めた。
 彼のはしゃぎ方を見て声を上げて笑う。少し、ユサの表情も和らいだように見えた。
「あ、これが月桂樹だよ」
 ユサの手を引いて苗木の元に座り込むと、興味を示して目を輝かせた。
 「葉を香料に使うこともできるんだ。元々南の国に自生していたらしいけど、ツクヨミ王がこの葉を使った料理を気に入って栽培するようになったんだって」
 「…食べれるんだ」
 驚嘆した口調で呟くユサ。
 「他にもたくさん木を植えてるから見てくる?」
 彼の申し出にユサはすかさず頷いた。
 
 広い庭には背丈のある植物も多く植えられている。小さい頃、ウリもよく迷路のような庭で遊んだ記憶があった。
 ユサの姿が草陰に消えたのを確かめ、ハンモックに寝そべり悠々と過ごすアタカの元に立つ。ショウキと顔を合わせても自己紹介をしなかったので恐らく知り合いだろうと察し尋ねた。
 「先ほどいらっしゃった…ショウキさんって方は、アタカの友だち?」
 「俺は別に仲よくないよ。イチタが常連だってことで大切にしてるだけだし、あとは…ユサの隣人ってくらいしか接点ないから」
 「そぅ…」
あまり親しい間柄には見えないと思った予感は当たっていた。けれどユサの隣人ということならチノリコ村に暮らしているのだろう。
 自分は王族の子どもだと自信ありげに言ったショウキが気にかかる。もしかしたら本当に前王の私生児が下等平民に混じって暮らしている可能性もある。
 彼女にも姓は与えられていないのだろうか。もしそうだとしたら、やはり確かめる為にも国記官によって管理される戸籍箱を開けるしかない。
 なにか確信した口調。だが、どこでそんなことを知ったのか。
 (城の誰かが…手引をした?)
 まさかそんなはずはない。国民たちの戸籍は厳重に管理されている上、前王が亡くなって以来一度もその箱は開かれていないと言われている。新しく戸籍を加えることはできても、書類を収めた箱からそれらを取り出すことはできない。その箱に入れた時点で、秘密はほぼ完全に守られるのだから。
 けれど―――この世に百パーセントはない。
 「ねぇアタカ」
 ウリに呼びかけに、アタカは眠たそうに瞼をこすりながら応えた。
 「ぼく……ショウキと友だちになりたいんだ」
 確かめていいのか、わからない。けれどウリは、どうして父モロトミがこんなにも彼を疎むのか。自分は何者なのか納得できるだけの理由が欲しかった。
 (傷ついてもいい。確かめられるものなら知りたい。ぼくの、真実を)
 彼がつくった精一杯の笑顔にアタカは素直に頷いた。
 「わかった。じゃあまた、あいつを連れてくるよ」
 
 
 客間だなんて気取ったものもないので、ぼくはとりあえず彼を二階の台所へ通した。
 一つしかない椅子に座るよう促すと屈強な体を縮込ませても、申し訳なさそうに腰を下ろした。木製の椅子が鈍い悲鳴を上げたけど、なんとか彼の体重を支えることはできそうだ。
 「……なにか、飲みますか」
 つい機械的な口調だったが、構うもんか。彼は別にぼくの『友だち』でもなんでもない。
 「あ…」
と呟き、粗末な台所を見てなになら出せるか考えているようでもあった。
 短く刈り上げた金髪の頭を軽く手で押さえ、蚊の鳴くような声で
「こ、ココアを…」
と答えた。
 「……」
 この男、意外に甘党かもしれない。顔中に傷痕を残した強面だったので、第一印象と実態のギャップがやけに気持ち悪く思えた。
 ちょうどグリフがココアは栄養分が豊富だから、とか言って置いていってくれたところだったので粉をお湯とホットミルクで溶いてさっさとつくると、それ以上の歓迎はする気もないとばかりにシンクに凭れかかり男を見詰めた。
 「あ…あぁ、ありがとう」
 大きな手に比べれば小さな子どもようにも見えてしまうマグカップを掴み、ちびちびと飲み始める。
 さっさと要件を述べて欲しかったけれど、久しぶりに会う親戚にそこまで無碍な対応はできなかった。
 「…元気そうだな」
 少しずつ飲んでいると思ったのにもうカップの中身を空にして呟く。
 元気そうに見えるなら、それはただの思い込みに違いない。それとも視力が極端に悪いのだろうか。ただの他人だったグリフは、会った当初からぼくの体調を気遣ってくれていた。
 お陰様で、と言うだけの義理もない。別に彼らに何ら恩恵を受けて生活をしている訳でもないのだ。むしろ亡くなった母さんは一族とほぼ絶縁状態だった。今更なにをしにきたんだって言うんだ。
 ぼくが小さい頃に会ったとか言うだけで、全然覚えてもいない推定で三十代の男。肩から首にかけての筋肉がすごくて、いったいどんな仕事をしたらそこまで鍛えられるのだろうと訝しんだ。
 定例の挨拶を述べたっきりなにも喋ろうとしない。元々寡黙なのか、それとも本題に入る準備をしているのか…
 どちらにせよ、長居してもらっては迷惑だ。さっさと帰って欲しい。
 長過ぎる沈黙を経てようやく男は口を開いた。
 「久しぶりにきて挨拶もそこに、こんな話をしてすまない。あまり時間がないので、単刀直入に尋ねるが…」
 と、間を置いてぼくの反応を確かめるように茶色い瞳を向けてきた。
 「母親から、なにか大切なことを言いつかっていないか? いや、ものでもいい。絶対に誰にも渡すなと言われているものがあるはずだ」
 突然きて今度は遺産の話? どんどん卑屈になっていく心を抑えきれず、頬がひきつるのを感じながら答えた。
 「なにか財産でも残っていたらそれを使って、もっと別の…ずっとマシな仕事に就いているよ」
 「!」
 目を大きく見開くと申し訳なさそうに視線を床に落とした。
 その様子を見て、こいつは今になってぼくの仕事内容を思い出したに違いないと確信する。
 大の大人が落胆する姿は見ていて嫌気が差す。馬鹿馬鹿しくて腹が立つ。
 なにをそんなにショックを受ける必要があるんだ? 納得いかない現実に苛立ってどうしようって言うんだ。この現実をつくりだしたのは、今の大人たちなのに。お前たちがこの未来をせっせと築いてきたんだから。
 今更後悔をしても遅い。未来は決して変えられない。
 「……帰ってもらえませんか。仕事が溜まって、忙しいです」
 時計を確認して退去を促そうとしてハッとする。左手首につけたこの手巻き時計が、唯一母から受け継いだものだった。
 咄嗟に男の視界から時計を隠す。ありがたいことにも彼は、ぼくの発見に気づいたようでもなく無言で立ち上がると項垂れたまま戸口まで歩み
 「すまなかった…シルパ」
 と、頭を軽く叩いて出ていった。
 擦れ違いざまに見た苦悶に満ちた表情。まるで希望のすべてを取り上げられてしまったような、虚ろな眼差しに良心の呵責を受ける。
 部屋を出て階段を下りていく音が聞こえてきた。
 どうする? こんな時計が役に立つのかわからないけど、伝えるべきなのか?
 だけど―――
 ぼくの手元で時計の歯車は一秒の狂いもなく回っていく。チッチッチッという、小さな音を鳴らして。
 『シルパ…』
 竜頭を巻きながら母さんはぼくの顔を見た。
 『これはね、母さんの大切なものなの。だから絶対に時計を止めたりしないでね』
 チッチッチッと動く秒針を目で追うぼくの頭を優しく撫ぜながら
 『時計は前にしか進めないもの』
 時が進んでいく。グリフがいた時間も、音信のなかった親戚が訪ねてきてくれた時間も、過去に変わりどんどん新しい未来へ向ってとどまらず前進していく。
 『後ろを見ないで、前へ進みなさい』
 時は、新しく刻まれる。
まるであらかじめ決められていた答えをようやく見つけたように、ぼくは男の後を追って部屋を飛び出した。
 「待って!」
 塔の中にもう彼の姿はない。出口に人影が伸びて、少しずつ遠ざかっていくところだった。
 「待って! 叔父さん!」
 階段を一気に飛び降りて出口に駆けつけるけれど、何故かそこには叔父さんの姿どころか人影ひとつ…なかった。
 索漠と続く荒野に吹く乾いた風が虚しく目の前をかすめていく。
 誰も…いない……
 その事実を向き合うまで、ぼくは茫然とその場に立ち竦んだ。
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