夢に楽土 求めたり

青海汪

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第三話 始まりにして最後の宴

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夢見の悪さでアタカは目を覚ました。いつもならマキヒに叩き起こされるか、寝相の悪いイチタが上に圧しかかり呻きながら起きるのだが。
(頭イテェ…)
昨夜、祭りの勢いに任せ酔った大人たちが勧める酒を飲んだのが原因だろう。果実を漬け込んだ甘味のあるもので、ナムのお酒とは大違いだ。
酔っ払ってしまえばすべてを忘れられる。自分がどこからきて、誰の腹から生まれた人間なのかわからない。けれどなにも聞かずに受け入れてくれたイチタたちも、ずっとアタカに黙っていた秘密があった。
何者なのかわからない―――
ベロンベロンになるまで飲んだペジュがマメリと仲直りをするのを見て、アタカは救いを求めるかのように酒を煽った。
その結果がこれだ。体が重たく気だるい。やけに喉が渇くので、顔を洗うついでに水を汲みに外の井戸へ向かうと
 「やっと起きたんだぁ」
 洗濯物を取り込むイチタが呆れ顔で彼を迎えた。
 「慣れない酒なんて飲むからだよ。アタカも子どもだなぁー」
 爽やかな陽光の下で輝いて見えるイチタに(お前の所為だし)と内心罵った。
親子ではないのかもしれないという、衝撃的な事実に重なって急に現実味を帯びたマキヒの結婚。クラミチは大好きだが、実際に一緒に暮らすようになれば血のつながりもない自分を疎むようになるかもしれない。
アタカはどうしても複雑な想いを隠せずにいた。桶に映る自分の顔も、どこか青白い。
「母さんはもう仕事にいってるよ」
 いつも通りに家事をこなすイチタの後を追って、アタカも家へ入る。昨夜の御馳走がいまだお腹に残っていたので、生薬を溶いた白湯だけ飲んだ。
 「仕事はきてない?」
 かぶりを振り
「一応、手紙が郵送されていないか検問所に確認しにいこうよ」
と一旦言葉を区切り
「それと……」
 「それと?」
 「母さんたちにも一応、お祝いを用意しておかないとね」
俯きがちに呟くイチタを見て、アタカは胸が締めつけられるような気持になった。
 (たまぁにいじらしいけどさ…)
 相槌を打ちながらイチタが腰から提げている革袋に目がいく。財布にしては妙に膨れ上がっているけれど…
 「すごい気前がいいな。貯金をぜんぶ持ってくの?」
 「まさか。これは昨日、偶然誰かがぼくの目の前で落としたものだよ。探したけど持ち主もわからなかったし、見つかっても財布をちゃんと返せば問題ないもんね」
 右頬がひきつる。
 愛おしげに財布を胸に抱きながら
「日頃の行いがいいと神様は素敵な贈り物をしてくれるんだね。まさにぴったしのタイミングだもん」
 「……お前らしいよ。本当に」
 急にどっと疲れが押し寄せてきた気がしてアタカは深々と溜息を吐いた。
 「そういうアタカも」
近づいてきて顔を覗き込むと
「昨日よりは少し顔色もマシになったかな」
 どうやら彼自身もあの告白で衝撃を受けたアタカを気にかけていたようだ。長い睫毛を上下させ安堵する。その様子に、一人だけ除け者にされているように思っていたことがほんの少し恥ずかしく感じられた。
 
 二人で簡単な昼食をつくり食べ終えた後、早速都へ向かった。村にはまだ昨夜の祭りの痕跡が散らかり黙々と片づける大人たちがいた。
 いつものように作業監督という名目で居座り、なにもせずにうるさく指示だけを出す長老もいたが素通りしようとしたアタカたちを目敏く見つけ声をかけてきた。
 「お前たち、どこへいくのじゃ? 暇ならこっちを手伝っておくれ」
 顔を見合わせ絶対に重労働を強いられるだろうと、長老の性格を思い出してお互いの意思を確認した。
「仕事だよ。都までいくからそんな暇ないんだ」
と答えながらアタカは足元に転がる酒瓶を見て、ふとあのナムと名乗った宣教師のことを思い出した。
 都にある教会にはあんな豪快な酒豪たちが神様の教えとやらを説いているのだろうか。想像してから背筋に冷たいものが走った。
 「ところでさ、ナムって奴がきてただろ? あいつ、どこ泊ってるんだ?」
 「ナム様と呼べ! 恐れ多くもヤヌギ族のお方じゃぞ!」
 「ヤヌギ族ぅ?」
聞き慣れない名前に眉間を寄せ、イチタに問う。
 「ロッキーヴァス総教会を立ち上げた一族」
 「ふぅん…。そう言えば、神様ってなんの神を祀ってるんじゃないの?」
 「と言うよりさ、神はいるけどそれは別次元の存在で、この世を治めるのはイザナム王って感じのことを言ってるよ。教会は老議院と同じ第一級民になるし、老議院が歴史の例を挙げて王を補佐するなら、教皇は未来を予知して王を補佐するんだ」
 「その通りじゃ」
イチタの説明に満足げに頷き
「北の国に住む者なら誰でも知っておるぞ。お前が記憶を失くしているのは知っておるが、ここに馴染み生きていこうと思うのならもっと勉強をせぬかっ!」
唾の飛沫範囲から素早く身を退け、舌を突き出した。
 「耄碌じじぃ! 余計な知識なんかなくても、十分生きていけるんだよ!」
 「アタカッ!」
 長老の叱咤を背に、アタカはイチタの手を引いて駆け出した。
 
 
 午前中の勉強を終えたウリは教材をしまい、一階の居間へ下りていった。
 今日はお伽話りのマキヒがくる日だ。彼女が訪れるだけで母はいつもより機嫌がよくなる。低血圧なので普段も日が高く昇るまで寝ているが、こういう時だけは特別だった。
 滅多に笑い声の響かないこの家に、明るい声が幾重にもこだまする。扉の前に立ち耳を澄ませてからウリはノックをした。
 「入ってらっしゃい」
珍しいウキウキと弾んだ母が言葉を返す。一呼吸を置いてからノブを回した。
 ソファに座る金に近い小麦色の髪を背中まで垂らした、美しい女性が振り返る。元々、目鼻立ちがはっきりしているので化粧をすると余計にその怪しげな魅力が際立った。
 猫のような紫色の瞳がウリを捉え優しげに細められる。
 その向こうで焦点の定まらない視線を漂わせるマキヒが気配を察して立ち上がった。
 「ウリ坊ちゃんですね? ちょうどよかった、これから新しい話を始めるところなんですよ」
快活な口調に申し訳な下げに顔をしかめると
「ごめんなさい、マキヒ。少し外へいこうと思っているんだ」
承諾を乞うようにこちらを見詰める母を見やる。
「いいわよ、でも城へは近づかないようになさいね」
その裏に込められた意味を汲みウリは素直に頷いた。
「坊ちゃんはおいくつになられました?」
場を和ませるようにマキヒが話しかけた。
「十三歳です」
「そう…私の息子たちと二つ違いですね」
「息子は…一人じゃなかったの?」
以前に同じような話題になった時、確か彼女はイチタという息子と二人で暮らしていると言っていた。もしかしたら知らない間にもう一児生んでいたのだろうか。
彼の胸中に気づき、腰に手を当てて豪快に笑うと
「一年前にね、竹藪で見つけたんですよ。まるで竹取りの翁の気持ちでしたよ。以来、私は二児の母なんです」
マキヒが必死に伝えたがっていることは重々承知している。けれどウリは、決してそれに応えることはできないと俯いた。
例え血などつながらなくても、人は家族になれる。けれどそれにはなによりも、絆を超えた気持がなければいけない。
(わかっている…)
ウリは心の中で呟き、居間を後にした。
 
 
 昨夜の遅くにビィシリ村を出たクラミチは、寝不足と二日酔いに苦しみながら休暇をもらった間に溜まってしまった仕事に忙殺されていた。やはり四国の王が集う宴の日が迫っているだけに、警備上の問題が指摘され信じられないような量の書類が彼の元へ送りつけられた。
 (どうしてだ! おれは兵士だぞ! モロトミでもないのに、四六時中机に貼りついて判を捺し続けなければいけないなんて…)
 抱えきれない分を頭に乗せ、更には肩にまで資料の本を積み上げてクラミチは見事な芸当で城の廊下を走っていた。そして目的の部屋の前で立ちどまると、ノックもせずにつま先で乱暴に扉を開けた。
 「モロトミ! 城内の最終配置案だ。もう三国にもこれでいくと伝えてくれ」
 机に向かっていたモロトミが手元の本から目を離し振り向く。三日三晩徹夜をしていると聞いたのに特に憔悴した様子はない。
 鼻先までずれていた眼鏡を直し
「確かに日はないが、スサノオ王とアマテル王の性格も考えて考慮して提案しているのか?」
 口調は冷ややかだが二人の間には、長年培われてきた気兼ねのなさが漂っている。
 「わーかってるさ。カミヨ…っとち、じゃなくてイザナム王にも意見を求めたさ。アマテル王イズサハルはスサノオ王のオクヒマ殿の隣に座を設え、両側をそれぞれの護衛兵二人で脇を固める。あの腹黒いオクヒマは、カミヨも嫌っているし…冷徹なイズサハルの隣なんて鈍いオクヒマしか座れないな」
 クラミチの物言いに呆れながら
「いくらイザナム王であるカミヨ様の幼馴染でも、口のきき方には気をつけろ。それと…問題はツクヨミ王代理のチトノアキフトノミコトだ。彼女の席はどうする?」
 「それが…カミヨの命令でカミヨの隣にすることになった」
頭を掻きながら書類の一枚を取り出し
「どうも教皇フサノリの意見らしいが…連れの護衛も一人しかつけてこないチトノアキフトとやらを間近で見てみたいらしい」
 教皇の名が出た時点でモロトミは反論する気をなくしたらしく黙り込んだ。そんな彼の気持ちを察してか、クラミチが代弁した。
 「いくらヤヌギ族が未来を言い当てるとしても、カミヨは少しフサノリに依存しすぎていないか? 別に老議院の肩を持つつもりもないが、未だに素性を明かそうとしない連中の言うことを全面的に信じるのもなぁ」
 「まったくその通りだな」
 突然、モロトミではない別の人物が合いの手を打ってきた。
 「カミヨ…」
 いつの間にか戸口に佇んでいたカミヨに気づきクラミチはしばし呆然とした。
 「もしわたしが一国の王でなければ、友人であるお前の意見も尊重しただろう」
二人の反応には特に関心を示さず、カミヨは長い衣の裾を持ち上げ敷居をまたぐと椅子に腰をかけたまま動かないモロトミと向かい合った。
 「なにかご用でしょうか、陛下」
上目遣いに睨みながら感情を押し殺した声で呟く。
 「いや、大したことはない」
と言ってカミヨは袖口から宝石で飾られた美しい小箱を取り出した。
 「先月が誕生日だったのを思い出した」
 意味深な口調に、それまで鉄面皮を崩さずにいたモトロミがぴくりと不快そうに眉を動かした。そんな彼の掌に小箱を持たせると唇の端を上げて皮肉な笑みを浮かべた。
 「カミヨ、勘違いしているぞ、モロの生まれ月は……」
 「ウリだ。確か十三歳になる。よく覚えているだろう? 当たり前だ。先代が崩御しわたしが即位してからちょうど、十三年目になるからな」
 ガチャーン
 小さな箱に似合わない大きな音を響かせて、贈り物の箱はモロトミの手から床へ落ちた。
 「カミヨ! ウリは…ウリはモロとジュアンの子どもだ!」
 「あぁ、そうだ。しかしジュアンは父の側室だった。どちらの種の子か…それは戸籍を調べれば一発でわかる。幸いウリは義母に似ているが…どことなくわたしにも似ている。そうは思わぬか?」
 歯痒そうに顔を歪めながら呻く。
「う~…モロ! お前もなにか言ってやれ。ウリは俺の子だと言うんだ!」
 しかしモロトミは表情を変えずただじっと、床に転がる小箱を見詰めていた。痺れを切らしたクラミチがいくら発破をかけても一向に口を開こうとしない。
 「カミヨ様、こんなところにいらっしゃいましたか」
 開け放しになっていた扉の向こうでフサノリが声をかけてきた。
 「そろそろお時間ですぞ」
 「……仕方ないな。わかった」
モロトミを一瞥し、カミヨは口元を緩るめ部屋を出ていった。
 静まり返る場に耐えられず大きく溜息を吐くと
「何故反論しなかったんだ? 例え王であっても、おかしな疑いをかけられたんだ。怒るべきだろ?」
 「…………アレの誕生日など、わたしは覚えていなかった」
 「え?」
 小箱を拾い上げ、埃を吹くとモロトミは眼鏡の位置を直しながら紡いだ。
 「わたしは一度も、アレを息子だと思ったことはない」
 「し、しかし…お前とジュアンは若い頃に」
 「―――だから、だ」
 まるでそれが答えだと言わんばかりに呟くと、モロトミは再び口を固く閉ざした。
 
 
 土埃を上げて行き交う人々の踝を眺めながら、ユサは広場の隅で絵と古着を売っていた。と言っても未だに服一枚と売れていないが。
 針子の仕事をしながら余った布をもらい集めてつくった衣服はそこのできだったが、物で溢れている豊かな都の住民の目にはなかなか留まらないのだろう。絵の方は何人かが立ち止まって見てくれるものの、こちらも買い手はついていない。
 ぼんやりと青く腫れた空を見上げ、悠々と流れていく雲を数えながらユサは
 (そうだ、苗木を買おう)
と思いついた。
 明日の食事にもこと欠く生活なのだが、彼女はよくこうして思いつきで様々な木々の苗を買い、気に入った場所へ植えるという少し変わった趣味を持っていた。
 軒先に吊るした大根を忘れ
ても、自分が育てる木の場所は忘れない。身なりには無頓着だが、木に水をやるのを欠かしたことがない。大して関心を持つこともない彼女がどうしてそんなに植林に積極的なのか、タマ婆にその理由を問われた時。ユサはただ一言
 (やっぱり木がないと、景色が寂しいよ)
 北の国の木工芸品が評判を呼び、一日に何千本もの木々が倒される中。ユサはたった一人でせっせと植林をしている。ショウキを始め村の人たちは彼女の行いを嘲笑の的にしているが、本人からしたらそんなことはどうでもよかった。
 ふっと顔を上げ太陽の位置を確かめる。日が高く昇ったので場所を変えようと荷物をまとめた。この時間帯なら大聖堂の大きな壁がちょうどいい陰をつくってくれる。参拝に訪れる人の目に留まればいいが…そう願い立ち上がった。
 
 
 大きな荷物を抱えて移動を始めるユサを、少し離れたところで見詰めていたナムも素早く彼女の後に続いた。
 昼頃の城下町は買い物客で混み合い、一人ではユサの姿を見失ってしまいそうだった。行く手を阻む集団に苛立ちながら、ナムは慌てて左耳の赤いピアスを押した。
 「ナーム!」
 人垣の向こうで手が挙がる。燦々と輝く彼の明るい橙色の頭を見つけ
「最悪…よりによって、カヒコなの?」
と毒づいた。
 「すっごいよ、これ!」
同じく左耳につけた赤いピアスを指差し
「こんな近くにいてもちゃんと反応したぜ!」
 「近くで反応するのは当たり前でしょうが。これは地球の裏側にいてもデーターを送れるハイテクものなんだから」
呆れ口調で説明しカヒコの腕を掴んでユサを追った。
 「私より三つも下のくせして、デカイし…その頭の色も目立つし追跡には完全に不向きだわ」
 「十七歳! 若者パワーを舐めんなよ。それでさ、この後の決定事項はどうなってるの?」
 「フサノリ様の前ではちゃんと神託って言うのよ。確か二人はこの先の大聖堂で接触する」
 「接触した後は? 一気に進まないもん?」
 「焦るんじゃない。ここでの印象が肝心なの」
と言ってからふと言葉を区切った。
「カヒコはエディック博士の子どもと仲よしだった?」
 「エディックって…この無線ピアス型携帯機を開発したあの天才博士?」
まだあどけなさを残す精悍な顔を歪め
「博士の子どもなんて……生きている訳ないし、俺より年下だからあんまり覚えてない」
ぶっきらぼうに答えた。
 「そんなことより今は、任務遂行に尽力しようぜ」
 「…なに、あんた。妬いてんの?」
ふふっと鼻で笑い
「任務って言っても、これは運命。それを見届けたら一杯やりましょうよ」
 「ゲッ! 昼間っから飲む気! 昨日もどっかの祭りで樽三つは空けたって言ってたくせに…だから下腹が出てるんッウ!」
 みぞうちに鉄拳を食らい倒れるカヒコ。
 「尻も青い糞ガキが…」
 「信じらんねー…怪力……」
 二人が痴話喧嘩を繰り広げている間に、ユサはまっすぐ目的の大聖堂へ向かっていった。
 
 
 昼前の買い物客で賑わう大通りの両脇に軒を連ねる露天商を、アタカとイチタは冷やかしを交え物色しながら歩いていた。
 「宝石とか買えたらいいんだけど、これっぽっちのお金じゃ安物しか無理だからねぇ」
 あくまで自分の貯金は使う気はないのだと再確認しながら、アタカも道端に並ぶイミテーションの宝石たちを一瞥した。
 「新しい服は? マキヒはいつも同じようなやつばっかり着てるし」
 「あんまり凝ったデザインだと一人で着られないよ? 指輪とか腕輪がいいんだけど、ネックレスは下手すれば首を吊っちゃうしね」
 目が見えない人にプレゼントをするというのは、そこまで気を遣わなければいけないのだとアタカは改めてマキヒに同情した。それにしてもクラミチと結婚するのなら、彼に豪華な宝石とかは買ってもらえばいいものを…と自問してから、ふっとイチタの気持ちに気づく。
 (ちょっとはクラに対抗してみたいのかな?)
 息子と言えどもイチタも男だ。母親を奪っていく男になんらかの敵意を抱いても不思議はない。ただそれを素直に口にできないところが、なんとも彼らしいと思った。
 「そうだ、中古でも質のいいやつなら大聖堂の方に売ってるって、マメリが言ってた。貴族とかが使い古した装飾品を寄付して、それを販売しているんだって」
 「ふぅん…まぁ、いってみようか」
 乗り気ではない口調だけどイチタの表情は先ほどよりも明るくなっていた。
 「イチタってたまに可愛いよな」
 「な、なに変なこと言ってるの? 褒めたってビタ一文出さないからね」
顔をしかめながら財布を両手で握り締めるイチタを見て、思わず笑いが込み上げてくる。
 「守銭奴になんも期待してないって」
大袈裟に手を振りながら肩を並べて歩き出す。それでも疑惑が消えないのか、しばらく疑うようにアタカを睨んでいた。
 「俺もカンパさせてよ。ちゃんと自分の、貯金から出すからさ」
 『自分の』と言うところを強調するとようやく態度を崩して顔を綻ばせた。資金が増えたことに素直に喜びながら
「じゃーアタカには七割出してもらおうかな」
 「なんで俺が? あとの三割をそれから出すなら、イチタからのプレゼントになってないし」
 「失礼だなぁ、ちゃんと出してるでしょ。これは、ぼくのお財布になってるんだから」
 「たまにお前の考えについていけねぇよ…。だいたい気になってたけど、袋の内側にペジュって刺繍が入ってるし」
 「あっれぇ、本当だね。アタカって意外と目敏いよね」
笑いながら話題をごまかそうとする。
 「…別にペジュが困るのはどーでもいいけど、そのまま財布入れ替えないでいたらすぐにばれるぞ」
 「あー確かにね。それじゃあこっちにいれよっと」
と言って取り出したのは、昨日の祭りでマメリが売り出していた財布の一つだった。
 青い布に金地の刺繍が入った綺麗な品物で、マメリが店頭で自慢げにアピールをしていたのを覚えている。
 「まさかそれも偶然、目の前で落ちたって訳じゃないだろな」
 「違うよ、これはぼくが欲しいなぁって思って見ていたら通りがかりの女の人が買ってくれたんだ」
 「へぇ…通りがかりの?」
物好きな人もいるものだと感心する。村人ならば名前もわかるだろうけど、もしかしたら祭りにきた旅人だろうか。
 「うん。ほら、アタカと一緒にお酒飲んでた女の人いたでしょ? 宣教師だとか言ってたけど、ぼくの顔が気に入ったみたいで名前まで聞いていったんだ」
 「名前まで……。俺も名前聞かれたけど、なにしてるんだ? ナムは」
 「アタカは単に生意気なガキだから名前だけでも聞いておこうって気分で、ぼくは女の子みたいに可愛い子がいるな。ちょっとこれはキープしておこうってつもりで聞いたんじゃない? ぼくらより年上だし、そろそろ結婚しとかなきゃいけない年頃だろうからさ」
 「……」
 完全に自己中心的な発想に空いた口がふさがらないアタカ。一笑して終わる気にもなれず、胸に残った蟠りを解こうと大きく溜息を吐いた。
 「それにしても都は人が多くって歩きづらいね」
 「大聖堂だからかなぁ。礼拝にいく時間なのかもしれないよな」
 「マメだよね。ぼくらなんて一日の生活で精一杯なのに、都の人は第一級民と上級民ばかりだから」
 「それでも王様は別に神様とかを当てにしてるんじゃないんだろ?」
 「どうして?」
 「だから、イチタも言ってただろ。ヤヌギ族の教皇が未来を予知するとかって。それってなにも神様の権限を使ってる訳じゃなさそーだし。第一、神と王は別の次元だって断言しているあたり、完全に神を都合のよい権力者として印象づけてるよな。普通なら神を絶対者とかにしてその子孫だったりなんかだ! とか言って王様が君臨するもんだろ」
そこまで喋ってからアタカは口をつぐんだ。
 今度はイチタが口を半開きにし、驚いた表情で彼を見詰めていた。
 「びっくりした…今までそんな風に解釈する人間、会ったことないよ。むしろこの国にいる人間なら、絶対にアタカみたいな持論を展開することもないな」
 「えっと…じゃあ、イチタたちはその、神様と王様のことをどう思ってる?」
 「どうって言われても。この国の支配者はイザナム王だし、ぼくら下級平民とは違う存在でしょ? だから…う~ん……神様って言われても、困った時に頼るくらいのものじゃない? 特に信心深いわけじゃないもん」
 「じゃーどうしてこんなに礼拝にいく奴が多いんだ…」
 「どうしてもなにも…神には心の平穏を求め、現実にはイザナム王のように権力者の元の庇護を求めているんだよ。だからアタカみたいに神と王を混合する必要はないし、あくまで両者は別の存在なんだって」
 なんとなく納得しきれないまま頷くも、それは露骨に態度にあらわれアタカはしばらく腕組みをして考え込む様子で歩いた。
 「考えごとして歩いてたらぶつかるよ」
 
 
 別に目的があって外出をしている訳でもないウリは、なんとなく人々の流れに沿って大聖堂へ向かっていた。神に対して普段から篤い信仰心を持っている訳ではないが。この心にかかる靄を吹き払うのは到底自分の力では及ばないだろう。
 長い列をつくる人々に加わり、ふと彼の周りを囲う人たちも同じように眉間に深い皺を寄せ思い詰めるような表情をしていることに気づいた。
 神に祈りを捧げることで、なんらかの救いを見出そうとしているのだろうか。しかし誰もがこの世の絶対者はイザナム王である限り、多くの者が抱える悩みは解決しないことを知っている。
 (不景気が続き労働者たちが次々に職を失っている…。お金が手に入らなければ、口にするものどころか住む場所さえも危うくなる……けれど、王はなんらかの対策を講じようともされない)
 偶然にも庭園で出会ったイザナム王、カミヨの若々しい面立ちを思い浮かべそっと嘆息した。燃えるような赤毛や、その身を飾る数々の宝石が彼の姿を明るく華やいで見せていたが、その顔におさまる二つの瞳は、色が黒いからだけではなく深い翳りを宿していた。
 まるでいつも、死に場所を求めて生きているような―――
 ただ一度だけ拝顔することができた、前王の亡骸を思い出しかぶりを振る。あのような壮絶な最期を遂げた王を父に持ったからと言って、カミヨもまた、同じような道を辿るという訳ではないのだから。
 (だけど王は…いつもあんな顔をされているのかな……)
 希望の光などない漆黒の瞳。永遠に続く絶望の中を彷徨う囚人のような眼差し。いや、そう見えたのはきっと気の所為だろう。妙な後ろめたさを感じ、自らに言い聞かせると長い時間をかけて大聖堂へ進んでいく列を見守った。
 ウリの前に立つ人がようやく大聖堂の敷地を踏んだ頃、どこからか両手に荷物を抱えた少女があらわれ、障壁の前に露店を広げる人々の間に入り商品を並べ出した。
 時間を潰す術もなく退屈しのぎに列から少女が出す品物を見詰める。いくつか服を広げた後に、大事そうに抱えていた紙を板に貼りつけ壁に立てかけた。ちょうどウリの立ち位置からはその絵を眺めることはできなかったが、その絵を風呂敷から取り出した時に見せた少女の表情が温かみを帯び、穏やかになった瞬間を見過ごさなかった。
 「………」
 絵が登場した途端、それまで見向きもしなかった路上の人々が少し立ち止まっていくようになった。なかなか売れる気配はないものの、誰もが絵に関心を持って去っていく。
 少女の方も売りつけようという気持ちもないのかしばらく誰かが立ち止まり絵を鑑賞していても特に声をかけるでもなく、ぼんやりと目を細めて宙を眺めていた。
 その時、ウリはただ絵に興味を持ったのか。それとも明るい日差しを受けキラキラと輝く白銀の髪を持つ少女の横顔に惹かれたのかわからなかった。ただ、自分の意思よりも巨大な運命の流れを感じ、導かれるがままに列を抜け少女の元へ歩み寄った。
不思議なことに彼女に近づくにつれ、辺りの喧騒とした雑音が聞こえなくなっていった。溢れ返らんばかりの人々の姿も、彼女を視界に捉えた時からその存在も薄らいで見える。
今の彼には少女の姿しか見えていない。ただなにかに夢中になり歩くと、毎度同じことが起こりえるのだが―――
「考えごとして歩いてたらぶつかるよ…」
 そう、誰かが言ったのを聞いた瞬間に、ウリの体は大きく後ろに飛ばされた。
 「!」
相手もそうとうの衝撃を受けたらしく、彼と同じくらいに吹き飛び尻もちをついている。
 ガンガンと痛む鼻と頭を押さえ、地面に叩きつけられた際に舞い上がった砂埃を吸って咳き込んだ。つい昨日もこうして見知らぬ少年と出合い頭にぶつかってしまったと言うのに、今更ながら名も知らぬ人の忠告を真摯に受け止めた。
 「ご、ごめんなさい…!」
慌てて立ち上がり彼がぶつかってしまった人物の元へ駆け寄る。
 「あっぶねーな! 気をつけろっ」
 もう一度、ごめんなさい。と言おうとして驚いた。なんと腰をさすりながら起き上るその人物は、昨日彼がぶつかってしまった少年そのものだったのだ。
 
 
 ユサは自分の目の前で人がぶつかりこけてしまったことはどうでもよかったが、その所為で砂埃が高く舞い上がっていることに腹を立てていた。
 ぶつかり合った一方の、小柄できっと彼女より何歳か年下とおぼしき金茶色の髪をした少年は素早く起き上がり咳き込みながらもう一方の方へ駆け寄った。こちらは二人組で揃って黒い髪をしていた。
 「あっぶねーな! 気をつけろっ」
 (自分だって前方不注意のくせに…)
と心の中で呟く。
 「あ~らら、アタカってば大丈夫? 慰謝料はどのくらいにしとく?」
 相方らしき黒い髪がくるくるしている、見るからに愛らしい顔をした少年が尻もちをついている少年に嬉しそうに話しかけた。その間に金茶色の少年が手を貸して彼を起こしていたが、その様子を見守るだけで助力しようともしない。
 と、ユサはなんとなく黒髪の二人組をどこかで見た気がすると思った。元々記憶力もよいとは言えない上に、あまり人の顔を見ない癖があるのでしばらく二人をそれとなく観察していたがやはり思い出せず諦めた。
 仕立てた服に被った埃を払いながら、黒髪の少年が素っ頓狂な声を上げたので意識だけはそちらへ集中させた。
 「あー! お前! 昨日もぶつかっただろ! えっと…ウソ…じゃなくて、ウミじゃなくて……!」
 「もしかして変なガキってこの子のこと?」
 「そうそう! お前、名前なんて言った?」
 「あ、あの…ウリです。確かアタカさんでしたよね?」
 「すっげぇ。俺のことちゃんと覚えてくれてたんだ…」
 「まぁ…インパクトのある人なんで…」
視線を泳がせ無難な言葉を選んで答える。きっと彼の本音では、こんなに出会いをしたこと自体が大きな衝撃だと思っているに違いない。
 二日連続でぶつかったのなら、お互いにそうとう間が抜けていると密かに毒づいた。
 
 
 「な、イチタ。こいつってば上級民のくせして俺にすっげえ丁寧に謝ってきたんだ。それだけで結構な希少価値だよなぁ?」
 『上級民』と『希少価値』という下りに過敏に反応し、それまで大してウリに興味を持とうともしなかったイチタは目を大きく見開け、愛くるしい笑顔を振りまいた。
 「怪我はない? ごめんねぇ、こいつってば本当に馬鹿だからさ。腰とか痛くないかな? もし歩きづらいようだったらお屋敷までぼくらが連れていくよ」
 露骨な態度の変化にウリも後ずさりをしながら苦笑いを浮かべた
「だ、大丈夫…ぼくの方こそ、別のことに注意がいっていたので」
 と言って、すぐ目の前に店を構える露天商を見た。
 つられてアタカたちもそちらを見やる。さっきからずっと俯いているものの、その限りなく白に近い銀髪と、間から覗く生気のない漆黒の瞳は紛れもない。チノリコの村にいた超の上にウルトラがつくぐらい愛想のなかったユサと名乗る少女だった。
 「うわっ! 出た!」
 大袈裟にのぞけるアタカに向って「お知り合いですか?」と、彼女の横に飾られる絵画を眺めながらウリが嬉しそうに尋ねた。
 (仲よしとか思われたかも…)
 目を輝かせるウリの純粋さに恥じ入るアタカ。
 「こんにちは。ぼくらのこと覚えてる?」
よそいき用の顔をつくるイチタの後ろで、アタカも彼女の反応を待った。
 「…………忘れた」
 長い沈黙を我慢して得た答えはただその一言のみ。
昨日あれだけ悪態をついたくせにもう脳みそからは記憶が消去されているのか。アタカは頬がぴくぴくと痙攣するのを意識した。
「ビィシリ村からショウキに手紙を届けにきた文使いだよ」
なおも食い下がらないイチタだが、きっとそれも相手が女の子だからだろう。彼の努力も儚く消えるのは火を見るより明らかだったが。
「……それで?」
(やっぱり…)
内心直感が当たり、アタカは溜息を吐いた。
「あの、この絵はどこを描かれたんですか?」
先ほどからじっと一枚の絵を注視していたウリが頬を蒸気させ訪ねた。
「どこでもない空想の世界」
口調は素っ気ないものだったが急に刺々しさが消え、ユサは初めて穏やかな表情を見せた。
 「すごい…こんな作品、見たことない!」
 手放しに称賛するものだからアタカも気になり、ウリの傍らに移動してみた。
 「へぇ……」
と言った限りそれ以上の言葉が思いつかず黙り込んだ。確かにそこに描かれた世界観はこれまで見たこともない類のものだった。水色か透明か、その中間くらいの薄さの空を背景に続く灰色の箱みたいな建物の群れ。合間から覗く痩せた木々の緑の色もくすんでとても綺麗とは思えない。
 見方を変えれば無機質な風景画の中に、一種のノスタルジーを見出し褒めることもできたかもしれない。しかしアタカにとってこの絵は、何故か無性に彼を苛立たせる要素を秘めていた。
 「買ってもいいですか?」
 アタカが必死に正体の知れない怒りを抑えつけようと奮闘している傍で、ウリが財布を取り出した。
 「……買って…くれるの?」
 どうやらこれまで立ち止まって見てくれる客はいても、お金を払ってまで絵を評価してくれる者は出てこなかったらしく、ユサは茫然と彼を見詰めた。
 「ん~ぼくも欲しいな。ね、いくら?」
 「え、イチタまで?」
あまりに意外だったので声が掠れるくらい大声で問い返した。
 「だってなんか見ていたら欲しくなったんだもん。それにこれを母さんの結婚祝いにしたっていいじゃない?」
 「……マキヒじゃ、見えないし」
 ユサに十五ワルペを支払おうとしていたウリが突然立ち上がり
 「もしかしてマキヒの、息子……さん?」
大きな目を瞼が見えなくなるまで見開け訪ねた。
 
 
 先にお金を渡してくれた金茶色の少年が形相を変えて叫んだので、ついユサも彼の視線につられて黒髪の少年を見た。どうやら三人には共通点があったらしく『マキヒ』とか言う女性の名を連呼しながら互いに顔を綻ばせて語り出した。
 「驚きました…ちょうど今、マキヒが家にきてくれているんです」
 「ぼくらもびっくりだよ。じゃあきみがモロトミ様の息子なんだ」
 「ウリです。改めてよろしくお願いします」
 丁寧な物腰に見かけだけではなく生まれ備わった教養の高さを感じる。年は自分より一、二歳下だろうが育ちの違いがこんな何気ないところで出るのだとユサはなんとなしに思い知らされた。
 「別に敬語じゃなくていいよな。せっかく知り合ったんだから友だちでいいだろ」
 「アタカの言う通り。ぼくはイチタ。ついでだからきみも、覚えておいてね?」
 完全に話題から関心を失いぼんやりしていたユサに突然話をふっかける。
 「…私?」
数秒遅れてから反応すると、いつの間にか自分に集中していた三人の視線を順番に見詰め返した。
 そしてふと、そう言えば昨日きた文使いの二人に似ていると思い出す。しかしそれが似ているのではなく当人だという結論には至らず、まるで初対面のように距離を置いて頷いた。
 「私、ユサ」
 「……完全に昨日も会ったこと忘れてる」
 アタカの呟きも耳に入らず目を輝かせて彼女を見上げるウリに顔を向ける。
 「ウリ?」
無意識のうちに聞き取っていた会話から得た、彼の名前を確認するとウリは嬉しそうに頷いた。
 「ユサ、アタカ、イチタ……ぼくら、友だちなんです…じゃなくって友だちですね!」
 「ほら、また敬語になってる」
イチタの指摘に頬を赤らめて頭を掻くと
「初めてだから。友だちってつくろうと思ってつくれるものじゃないんだね」
彼らと親しくなれたことが、歓喜の極みと言わんばかりのウリの態度にユサも表には出さないものの心が和むのを感じた。
 
 
 物陰から四人の友情が誕生するまでのなりゆきを見守っていたナムとカヒコは、つい顔を見合せて吹き出した。
 「ウリってすげぇ可愛い性格してんな」
 「いやぁ参っちゃうわ。私なんか年上からしたら、つい構ってあげたくなるタイプね」
 「……やっぱ年増はガキが好きかよ」
 「なにか言った?」
 青筋の入った気迫ある顔に驚き、無言で首を横に振るカヒコ。身の危険を感じ咄嗟に話題をすり替えた。
 左耳のピアスに触れ電波を送信すると
「ほら、今フサノリ様に報告したからさ。これで任務は完了したよな」
 任務終了後に酒を飲むのを楽しみにしていたナムだが、どうも納得いかない表情をしている。腕組みをしながら
「どうも納得いかないのよねぇ」
とぼやいた。
 「なにが? ちゃんと決定事…じゃなくて神託通りでしょ?」
 「そうじゃなくてさ。あの黒髪の二人、いるでしょ? 昨日私がいった村の子なんだけど、気にかかるのよ。二人とも両親がいないみたい。と言うか、あの可愛い顔の子は盲目の母親がいるけど全然似ていなくて、本当に親子か周囲でも疑問を持っているのね。それで目つきの悪い方。喋ったらあんたに似て、見てくれの通り生意気だったけど彼も捨て子だったのを可愛い子の母親に拾われたらしいわ」
 「別に珍しくないじゃん? それなら俺がこの前いった国なんて孤児院ばっかだったし」
 「だーからさ、フサノリ様も仰ってたじゃない。念には念を入れなくてはいけないって。もし彼女の子孫が私たちが見当をつけていた子とは違ったら……この計画は失敗してしまうんだから」
 「わかってるけど……でも、もしそれで俺らの予想とは違ったら。例えばさ、性別からして違っても計画は実行できなくなるだろぉ。ナムはちょっと神経質なんだって。フサノリ様が調べたんだから十中八キュウ、大丈夫」
 「十中八九」
すかさず訂正すると腕組みをし、しばし考え込むように口を閉ざした。
「彼女と同じくチノリコ村にショウキとか言う孤児の少女が住んでいるのよ。アタカ、イチタ、ユサ、そしてショウキは今後も私がマークして事後経過をフサノリ様に伝えるわ」
 「孤児に出会うたびにそんなことしてたらキリがないや」
呆れた口調で返すと
「ヤヌギ族の女連中は糞真面目な奴が多いよね」
とぼやいた。
 
 
 焼却炉の掃除をしていたぼくの後ろで、台所からくすねてきたバナナをくわえたグリフが親しげに話しかけてきた。
 「いやぁ~毎日やることって変わらないッスねぇ」
 「三時に定期便の地下鉄が通るけど…」
 週に一度しか通らない電車の時刻を思い出し、さっさとこのうるさいだけの男が帰ってくれるのを願った。
 「大丈夫ッスよ。もう荷物の準備もできてるし、あっシルパさんもバナナ食いまッス? 他にも林檎とか梨とか西瓜も補充しといたんで」
 季節感がゼロの選択だ。どうせバナナ以外はすべて瓶詰めのものばかりだろう。ぼくの干からびた体型を見て、急遽ビタミンが必要だと言い張った彼のお陰で三日前に政府から果物が支給された。
 「どうせならサプリと果物だけじゃなくて、米とか肉も送ってくれたらいいんッスけどねぇ。どーも天候不良とかでうまく育たないらしいんッスよ。その点、俺ら公務員はまだ救われてまッスけどね」
 けらけらと乾いた笑い声を上げる彼の話を、ただ一方的に聞き流すのも疲れ雑巾を持つ手を止める。掃除も溜めていた洗濯も、グリフが帰ってからやろう。そう心に決め座り込んだ。
 「その髪も、栄養失調で抜けちゃったんッスか? 俺も一度白髪になりかけて、マジ焦っちゃいましたよ~」
 自慢げに金色の髪を指先でつまみ、交互にぼくの頭を見た。
 頭の色が何色かなんてどうでもいい。ここで人目を気にすることもないし、彼のように服装に気を遣う余裕もなかった。
 「そうだっ! 俺、ブリーチ持ってるんッスよ。どーせだからシルパさん、一部だけメッシュやっちゃいましょーよ」
思いつくが早いか無理やりぼくを立たせると、こちらが拒む隙も与えず二階にある洗面所へ連れていかれた。
 冷蔵庫の横に備えつけられた鏡の前にぼくを立たせると、早速、荷物の中からピンク色の髪染めを取り出す。
 「いやぁ、シルパさんって白髪の上に目が金色だからどーも怖いんッスよねぇ。だからこんな風にピンク入れたら結構似合いまスよ」
 人懐っこい緑色の瞳を細め、鏡に向って微笑む。その顔を見ながら、どうしてこんなにお節介で気の利かない奴がぼくの元に送られたのか苛立ちを隠しながら考えた。
 「そーいやぁ、俺ってこう見えても意外と勉強好きだった頃があったんッスよ」
 前髪の一部にクリームを塗布しながら突発的に回顧を始めた。別に聞きたくもなかったけど、髪を染められるのに抵抗するのが面倒だったように、実行することが面倒だったので黙っておく。
 どうせ三時には定期便で帰るのだから。それまでは大人しくしておこう。
 「それで、ほら…ユエの奴らがイザナム王とか奉って騒いでるって言った時、シルパさんも反応したじゃないッスかぁ。普通はイザナム王とかなんとか言っても誰も『へ? なにそれ。食い物?』って感じなんッスよね。だから……」
 ふっと言葉を区切り、鏡越しにぼくの金色の瞳を捉えると
 「嬉しかったッス」
 と呟いた。
 「俺の両親は例のウィルスで死んじゃったんッス。それでユエにいった顔も知らない親戚に葬式の様子を無線で送ったら、こんな醜いモノノケみたいな奴とは関係ないって。ほら、ウィルスに感染したらすっげぇ醜い顔になるじゃないッスかぁ」
 口調は努めて明るいものだったが、ぼくの前髪を持つ指がわずかに怒りで震えていた。
 「同じ……人間なのに、ただ、環境が違うからそうなっただけで、悔しいッスよ。すげぇ悔しい…」
 クリームが他の部分にもつかないよう、サランラップを塗布した髪に巻きつける。そして手を洗いながら
「シルパさんは、四天王時代の歴史について知ってまッスか?」
 前髪で放つ染色剤のきつい香りについ顔をしかめる。ラップ部分を目にかからないようどけながら
 「学校もろくにいけてなかったから、あんまり」
と答えた。
 「まぁ、そうッスよねぇ」
 あと三十分ほど髪は放置しておかなければならないので、グリフは一つしかないテーブルの椅子に腰をかけた。仕方なくぼくもその場に腰を下ろし、向こう側の壁を見詰める。
 彼が口を閉ざしている間だけはこの塔に元の静寂が訪れる。普段そんなことを気にしたこともなかったが、もしかしたらグリフもそんな沈黙を恐れて喋り続けているのかもしれない。
 「俺……」
 再び口火を切ると、グリフはここにきて恐らく初めて見せる思い詰めた表情をしていた。
 「あの、四天王が行った…会談が―――その後の世界の未来を決めたと思ってるんッスよ」
 
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