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第六話
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第六話
トウタの屋敷を出てしばらく都の上空を漂っていた。次第に月が傾き東の空から太陽が昇り始めると雀たちが姿を現し始めた。どこかで鶏が鳴いている。朝日に照らされた空気は透明で、深い眠りから覚めた清涼な匂いを漂わせていた。
優しく吹きつける風を受けながら俺は結局一睡もせずにいたことに気づいた。でも頭が覚醒して全く眠たくない。それに秘密基地に戻ったって、誰もいないんだ。
大きく伸びをしこのままずっと浮いていたら日中の日差しで焼き鳥になっちゃうな、と思い人気の少ない場所を探して降りることにした。そういえばこうして改めて都を見るのは初めてだ。中心に大きな朱色の宮廷がありその周りを囲うように大臣や貴族たちの屋敷がある。その隙間を埋めるように小さな屋根が軒を連ねている。まるでこの世界の仕組みを縮小したみたいだ、と思った。
監禁を解かれ言葉を教え込まれた時、大君制度の成り立ちや構造を教えられた。すべての根源に大君がいて、俺たちは大君という大樹に生える葉っぱなんだと言われた。大臣たちは動けない大樹に様々な情報をもたらす小鳥たちだと。樹が枯れれば俺たちも道連れになる。普段感情なんて一切見せない泣き黒子の男が、口から泡を飛ばし熱心に説く姿はても怖かった。
「……」
ふいにあの男の娘といったコマリを思い出した。サトルが殺すと断言していたあの人は、ミズハの存在を知って何を思ったんだろう。人の死が見えるサトル。同じ一族を手に掛けてまで果たそうとしている目的って…
触れようとして泣きながらそれを拒んだサトルの顔が脳裏に浮かぶ。
『触らないで…』
あの一言に込められた様々な感情は、どれも悲しげなものばかりな気がした。同時に何故か胸がちくちくと痛んだ。初めて味わう種類の痛みに、ついおかしな物でも食べたかなと危惧した。
眩い光が高く昇る。足元に広がる見覚えある屋敷の庭園にそっと降り立った。あの日は夜遅くて周囲の景色も見えなかったけど、明るい太陽の下で眺める庭は絶景だった。小さな花が咲く木の下を通り飛び石を渡る。水色の空を映した池に赤い鯉が優雅に泳いでいた。
このまま石伝いに歩いていけばミズハの隠れ家に辿りつく。そこに行けばライとサトルがいる。無意識に駆け出そうとする想いを抑え立ち止まった。それでも木々の間から覗く道場を見詰めていると、温かい風が俺を慰めるように頬を撫ぜた。
誰かを想う喜びがあるから人は大人になれる。ライはサトルを想うから一人で立ち上がれたのかもしれない。じゃあサトルは……俺を想うなら、どうして、離れていっちゃったんだろう。
木漏れ日が眩しく輝く。ふいに背後から伸びた影に気づき振り返った。
「ピリ…ではないですか」
美しく装ったコマリが驚いた様子で呟いた。
「無断で敷地内に立ち入るなど本来許されませんよ。私ではなく下女たちにでも見つかっていたら、厳しく処罰されていたところです」
優しく諭すコマリを見上げ、喉元で痞えていた言葉を吐き出してみた。
「人を好きになるって、誰かを想うってことなの?」
一瞬面食らった顔をしたがすぐに相好を崩し、コマリは口元を手で押さえ吹き出した。そして笑いがある程度収まるまで苦しそうに笑った。
「何を藪から棒に…」
「トウタが言ってた。誰かを想う喜びがあるから、大人になれるんだって。でも好きって気持ちがこれまであったものを壊していくなら、大人なんて……」
ゆっくりと太陽が昇り気温が肌に感じて高くなっていく。近くに立つ木の陰から蝉の鳴き声が聞こえてきた。
コマリは手を翳して天を仰ぎながらどこか遠くを眺めるように視線を遠くへ向けた。
「むかし…大人になりたくないと言った方がいたわ…」
懐かしげに語るその顔を見詰め、俺と同じ悩みを抱えた誰かの話に耳を傾けた。
「歪めた世界の中で、真実を貫くことはできなくて…。偽りでも語り継がれた言葉には、人々の想いが込められ、覆そうとするにはあまりにも重すぎた」
そして俺を正面から見詰めるとコマリは続けた。
「世界を憎む限り大人にはなれない、と。けれど恋する気持ちが、大人になることを拒むのは無理でしょう。恋しく想う気持ちが関係を崩していくのは、それが持つ力が強いから」
「でも、なら好きなら傍にいて欲しいんだろ? サトルは俺が嫌いだからミズハに行っちゃた訳じゃない。サトルは――」
と言いかけて言葉を区切った。脳裏にサトルの声が蘇ったからだ。
『あの男が王位を継ぎ婚約者と結ばれることで確定する、この世の結末を変える為に』
『だからぼくは』
悲しげな眼差しでサトルは呟いた。
『ナルヒトの宮と、コマリ殿を殺す』
復讐の為に。世界の終末を変える為に、サトルはこの人とその婚約者を殺そうとしている。
鼓膜にこびりついた赤子たちの泣き声。俺は一生この声に責められて、自分の罪を自覚して生きていかなきゃいけない。それがどれだけの苦痛か、知っているのは俺だけだ。だからサトルまでそんな辛い想いをして欲しくない。
「サトルが…ミズハ寮へ?」
俺がサトルを想い悩む傍らで、コマリは大きく目を見開き震えながら呟いていた。
早朝から侍女に起こされ、謁見を申し出ている者がいると告げられた。見ればまだ夜が明けて間もないのに、一体誰だろうと訝しみながら眠たい顔を洗い寝間着を着替えた。
広間で待っているかと思いきや、連れられた先は朝露に濡れた庭園だった。
「藤棚でお待ちです」
一礼して去って行く侍女を見送りゆっくりと足を動かした。青々とした木々の向こうに佇む藤棚の下に薄絹姿のコマリと――栗色の髪をした少年が待っていた。
警戒する様子の少年を一瞥しわたしは彼女を見詰めた。
「覚えておいでですか? 彼があの空を飛ぶ少年です」
相槌を打ちながら何故彼を連れてきたのか尋ねた。
「……薬師サトルがミズハへ加入したと申しておりました。それで直接宮様にご対面頂きたく思い」
彼女の真っ直ぐな意思に触れ力なく頷いた。そして今だ警戒心を顕わにする少年に向かって微笑むと
「ならば場所を変え、二人で語ろう」
そして物言いたげなコマリに声をかけた。
「この先にある露台に向かう。案ずることない」
数歩置いてからついてくる少年の姿を確認しわたしは背筋を正した。
濃い陰影の落ちる小道を歩くうちに背中がほんのりと汗ばみ始める。蝉の鳴き声に触発され暑さが更に激しさを増していく。こめかみを伝う汗を拭って顔を上げると、木々に囲まれ涼やかな影の中に綺麗に掃除された露台があった。
「貴方の名は?」
額に小さな水玉を浮かべながら少年は落ち着かない様子で答えた。
「ピリ…レイス……」
露台に腰を掛け彼にもそうするように促がしたが首を横に振り断った。徹底して警戒する態度はミズハ寮で経験した過去が大きく影響しているのかもしれない。
空を飛べたが故に自由な翼を奪われた少年――目の前の怯える姿に、どうしても過去の自分が投影された。
「……トウタにサトル殿について調べさせた。北の部族出身との答えだったが…もしそれが真ならば、我らを憎む理由もわかる。だがミズハは大君を、不滅の身体へさせる為に研究を進めていた」
ピリの反応を伺うも、こちらに向ける固い表情は一点を睨んだまま動かない。
「これはわたしの憶測だが彼女は寮を壊滅させる為に加入したのではないか?」
唇を一文字に結び黙り込んでいた。否定とも肯定とも取れるその態度に、頑なにわたしを拒む意思を感じた。
「…貴方も空を飛べるように、わたしもかつてあの青い世界を自由に飛び回った」
過敏に反応すると信じられないと言いたげに目を見開いた。初めてわたしに対し関心を抱いた様子に内心喜びを噛み締め
「今はもう飛び方を忘れ、飛べない……」
と締め括った。
短い沈黙の後、視線を落としていたピリが静かに口火を切った。
「ミズハは、俺が飛べるから沢山俺の子どもをつくった」
咄嗟に外見から彼の年齢を推測する。どう考えても成人に満たないまさに多感な年ごろの彼が一体どんな想いでそれを受け止めたのだろう。
「でもすぐに死んじゃうから、小分けにして山に埋めたんだ。五体満足に生まれなかった子どももいた。出来損ないはすぐに殺されていった」
淡々とした口調で語るこの少年はかの寮でどのような扱いを受けたのだろうか。決して、時間が傷を癒してくれるような生ぬるい経験ではなかっただろう。
「サトルは……大君一族を滅ぼす」
偽りのない澄んだ瞳を凝視するうちに動悸が早まった。そして沸々と何か大切なことを思い出しそうになった。
「…十二部族の出身である可能性があると思い…サトル殿を監視する意味もあって、エグリの大臣に養女にと打診したが…意味を成さなかったのだな」
卑屈に歪めた唇からこぼれた言葉にピリは怪訝そうに首を傾げた。
「サトルが…十二部族?」
疑問符を浮かべる彼を眺め違和感を覚える。まさかトウタの報告を疑うつもりはないのだが、頭の隅で激しく訴えかけてきた。忠誠を誓った彼を信じたい。それは建前の願いだ。本当は時折り垣間見る彼の狡猾な表情に畏怖していたではないか? わたしを想っているコマリでさえその胸の底には関知しない考えを持っている。誰もが本音だけで生きている訳ではないのだから。
「トウタがそう、言ったの?」
それまでとは打って変わった静謐とした態度に相槌を返した。すると眉間に深く皺を刻み思案に暮れた。その様子を眺め、冷めた思いでトウタとの間に知らず知らずのうちに生まれつつある軋轢を想像した。
見たくなければ目を閉ざせばいい。聞きたくなければ耳を塞げばいい。そうして逃げてきたことから、もう逃げ場はないのだと自覚させられた。立ち止まらなければならない。そして目を見開き、すべてを受け入れなければならないのだ。
「……大君になる為に、剣の巫女を探さないといけないんだろ?」
敢えて何故彼が王位継承の条件を知っているのかは言及せず、頷いた。
「巫女を見つけて、ナルヒトは、どうするんだ?」
核心を衝く言及につい目を逸らした。大君の願いが巫女の絶命ならば、それが王位に就く一番の方法。しかし巫女はこの世界の真実を知る手がかり。
「――大君は、孤独を知る者しかなれない、ってトウタは言ってた」
冷たい響きを含んだその言葉は、静かに足元の影へ落ちていった。
それまで横溢としていた感情はまるで冷や水をかけたみたいに一気に凍てつく。改めて落ち着きを取り戻すとわたしは、自分の願いとも言えるその想いを口にしていた。
「わたしは大君になりたい訳ではない…」
この世を治めたいとも、最高の名誉と富を手に入れたいとも思えない。いずれ大君の座を継ぐ者として育てられながらも、わたしは一度たりとも大君になったわたし自身を想像できた試しがなかった。
「わたしは、大君を……憎んでいるのだ」
困惑する眼差しを斜めに流し眩い日差しから目を逸らした。暖かな風に吹かれざわめく葉の擦れる音や、空高く舞う鳥たちの羽ばたきもこの世のすべてが同等に存在していた頃。わたしは世界に枷をかける支配者を疎んでいた。
「だが大君を慕う者たちを、憎むことはできなかった」
視線を向けた樹木の影から項垂れたコマリが現れた。彼女の登場にピリは怯えたように視線を彷徨わせた。
「貴方が大臣を憎むが故にわたしに近づいてきたとしても……貴方を信じたかった」
「…真実を貫くと、仰られたではないですか」
コマリの潤いを湛えた瞳が光を反射させながらわたしを睥睨する。
「約束したではないですか! 共に世界を変えると…万人が、万人の為に生きる世界を造ろうと!」
怒る声に勢いをつけるとコマリはピリを指し示し、更に訴えかけてきた。
「彼のような罪のない子どもたちが、権力の食い物になるような秩序を…摂理を覆し、誰もが夢を持てる……永遠の理想郷を…」
「―――俺が、可哀想だと、思うの?」
投げられた一石は静かに反響した。頬を赤く染め我を失いかけていたコマリも、ハッと息を飲み改めて彼を見た。
「俺がいたから、ライが生まれた。両親がいたから、俺は生まれてライに出会えた。父親がこの国にきたのは、ミズハに呼ばれたから。この世界に、大君がいなかったら…俺も生まれていなかった。でも大君がいたから……サトルにも会えた」
息を吸い毅然とした態度でピリはわたしたちを見た。
「俺を可哀想だと思うのは……全然違う所から見ているから、そう思うんだ」
その瞳に映る自由な空が有無を言わさぬ迫力を伴った。敵意を顕わにする彼を、偉大な指導者の為に陰で泣いてきた者たちの恨みが生んだのなら、何故その瞳は尚美しく輝いているのだろう。
「言い訳に使ってる…だけだ。俺やライを、反抗する理由に使っているだけで、本当の理由はもっと別にある」
「!」
本心を言い当てられ返答できずにいたコマリを見て、初めて、鎧を脱いだ彼女に触れた気がした。必死に言葉を組み立て試行錯誤する姿は、そう。あの日と何一つ変わらず幼い少女を秘めたまま。
わたしは噛み締めた唇を歪めた。長い髪のかかる肩に手を伸ばそうとした刹那、コマリは踵を返し走り去っていった。彼女の残り香が漂う宙を見詰め腕を下ろした。
背中に集中する彼の視線を意識し、無理やり笑顔をつくろうとしたが無垢な表情を目にした途端つぶさに剥がれ落ちてしまった。出会って間もないというのに、何故か彼にはどんなに自分を取り繕ったところで無意味であると察したのだ。
「……少し、話を聞いてくれないか?」
ピリはただ黙って頷いた。気の所為か先程よりも縮まっていた距離を眺め、苦しいまでに堪えてきた想いの丈を吐き出した。
「わたしは大君の御子ではない。だから一族が隠し続けた真実を暴くことができると、信じていた……」
ふっと溜息を漏らし膝の上で組んだ指に注目する。
「己の本当の名も、父の名も母の顔も何も知らない。無知だからこそ恐れなく偽りを暴き白日の下に一切を明らかにできる。そして心のどこかで大君一族の破滅を望んでいた」
木漏れ日の下に広がる斑な陰影に照らされ、彼の彫りの深い顔が不思議な表情をつくりだした。まるでこちらの胸中をすべて見抜くような青い慧眼。言葉をそのまま受け取るだけではなく、そこから様々な思考を読み取る才能が秘められている気がした。
「だが今のわたしは悩んでいる。例え偽りでもそれが罷り通るこの世界を…愛しく思う者たちがいるのに、変革することは果たして正義となり得るのかどうか。真実が平和をもたらすのか………わからない」
真摯な瞳を直視し更に言葉を繋げた。
「彼女は己の父を恨むが故に歴史や、大君一族に疑問を持つようになった。嘘で固められた歴史を正すことが、虐げられてきた者たちへの償いであり大臣へ対する反抗であった」
「あの人が…好きなのか?」
直入な意見に素直に頷いた。
「好きって気持ちがそれまでの関係を壊すのは、それが持つ力が大きいからだって言ってた。だから……欲しいなら、持っているものがなくなる覚悟がないと駄目なんだと思う」
長い睫の下に薄っすらと影ができる。両脇に垂れた腕が小刻みに震え、燦々と降り注ぐ光を受け茶色の髪の毛が金色に輝いて見えた。このまま彼は空を背景に飛び立っていくような気がして、わたしは咄嗟にこの地に留める言葉を探した。
「俺……剣の巫女を知ってる。だけど誰にも教えない」
刹那、彼の言っている意味がわからなかった。だが翳りを宿した表情を目にした途端、心臓を一刺しされたような鋭い痛みが走った。
「もう誰かに利用されるなんて嫌だ。なんでもなかったことに価値を求めているのは、全部大人だけだ……。ウロ峠も剣の巫女も、大して意味もなかったのにそれを利用しようとしているだけだろ!」
迸る激情を浴び、初めて彼の顔が悲嘆に暮れていることに気づいた。
「――ウロ峠に行く」
一切の大人を拒絶した冷たい眼差し。だがすぐに涙でそれを曇らせると
「もう……サトルも…ライも…傷つけたくない……」
と嗚咽を漏らした。小さな身体を覆う巨大な悲しみに言葉を失い黙り込む。そうして俯くうちに焦点がぼやけ脳裏にある光景が思い浮かんだ。
―――草花の育たない荒れた小高い丘の上に集まる人影。どれも見覚えがある者たちばかりだった。わたしは古来より咲き続ける菜の花畑に佇み、これから起きることを観賞しようとしていた。
兄たちは両手を広げ勢いよく丘を駆け下りていくと、向かい風が吹き彼らに白い翼を与え空へ誘った。空中を旋回するうちに人の姿から完全に鳥へと変わり――懐かしい故郷との別れを惜しむように、悲しげな泣き声を響かせどこかへ飛び去っていってしまった。
兄たちを追い駆けるわたしを拒むように冷たい風が吹きつける。地面に映った鳥たちの影はいつの間にか消えていた。
大人になることを頑なに否定していたあの頃のわたしとそっくりの少年が今、ここにいる。未知の世界に怯え、過去を乗り越えずに過ごしてきたわたしと同じくウロを求めている。
愛情に飢えていたクレハを救えなかった大君たちに、万人を統治できる訳がない、と嘲笑していた。ならばわたしに――彼を救えるだろうか。子どもという殻に閉じこもる彼を救うことは、かつての自分を乗り越えると言う二重の意味を持つのだから。
差し出した手に、ピリは戸惑ったように涙を止め視線を浮遊させた。
「大君となり、ウロ峠をこの世に再現してみせる。だから貴方も約束して欲しい」
怪訝そうに眉を寄せる彼にわたしは大きく頷いて見せる。
「過去を…受け入れると。わたしが王位を諦めない限り、貴方も過去の自分を否定せずに生きて欲しい」
逡巡する彼に、真っ直ぐな視線を投げかけた。
「……もう誰かを失わなくて済む世界を造ってくれるの?」
もう一度大きく頷くと、ピリは目を細めて微笑んだ。
峠には剣を守る乙女の骸が祭られていた。それは祖である剣の巫女と結ばれた乙女が、鳥に姿を変えた巫女と再び出会うことを望んで自ら剣でその身を貫いたと伝えられている。
豊かな黒髪を伸ばした骸の傍らには、巫女の化身である白い鳥の骸が共に安置されていた。二人が埋められた墓に刺さった質素な剣。何人も触れることを許されない聖なる剣は――ある日少年と共に神隠しに遭い、永遠に消え去ってしまった。
「…以上がこの設備の使い方だ」
イシベの大臣は、鋭い眼差しを向けぼくの反応を伺うように見詰めてきた。
「ええ。こんなに素晴らしい所で研究ができるなんて、夢みたいです」
珍しい薬草を眺めながら感嘆して見せる。下町のしがない薬師には手の届かない高級品ばかりだ。
「大君の特別なご配慮のお蔭だ」
いささか気をよくしたのか語尾が上がっていた。
「ではそろそろ屋敷に戻る時間だな。約束通り月が西に傾く前にここへくるように」
「わかりました。今日は――店に急患が来る予定ですものね」
一旦大臣の屋敷に戻り皆が寝入った頃に再び寮に戻る手筈となっている。念の為の理由が急患という訳だ。
「入り口まで送らせよう」
緑色の瞳をした女性に薬を塗られていたライに声をかけると
「サトル殿を上まで送ってこい」
と命じた。彼の命令は絶対的なのか、立ち上がり服を着ると二、三言女性と言葉を交わし能面のような表情でぼくに向かってきた。そしてイシベの大臣を一瞥すると、黙り込んだまま部屋を出ていった。大臣に一礼しその後を追う。それまで無関心を装っていた周囲の研究者たちの視線を感じ背中が痛くなった気がした。
薄暗い石畳の上を己の速さで歩くライを追い、そっと手を握った。恥ずかしそうに俯く彼の横顔を眺め小声で
「一気に片をつけよう」
と囁いた。
「今夜やるのかよ?」
「……新しく住む所はもう手配した。都から離れた安全な地だし、逃走の手順もばっちりだよ。あとはぼくとライが行くだけだ」
返事に迷う様子に発破をかけるようにゆっくりと、しかし表情は傷ついたかのようにふりをして問うた。
「ぼくと生きていくのは嘘だったの?」
「そんなこと…」
それでも逡巡する裏には、きっとピリのことがあるのだろう。そう思うと胸がひどく痛んだ。地上に繋がる階段の前で手を離すと、ライは手中に収まる小さな袋を見詰めた。
「中身をすべて水に溶くだけでいい」
「……本当に俺を、好きなのか?」
唐突な質問に少々面食らう。それでも真剣な面持ちの彼に心底悲しげな表情をつくった。
「ぼくを…信じてくれないの? ただきみと二人、平穏な日常を望んでいるだけなのに」
「いつも…ピリを見てたんじゃ」
「きみと一緒にいたからそう見えたんだよ」
物言いたげに動く唇を重ね、赤面する彼に笑みを浮かべて見せた。
「薬の調合法もすべて暗記した。必要な薬草は後で盗めばいい。もう…何も怖がる必要なんてないんだよ」
石段を上りふと後ろを振り向いた。壁にかけられた蝋燭に照らされ深い陰影を生み出す顔を見詰めしばし黙り込む。
「……好きだ」
不覚にも心臓が大きく飛び跳ねた。
はにかみ、それでも真っ直ぐこちらを見上げる様子は――
「俺はやっぱり、サトルが大好きだ」
脳裏に浮かぶ懐かしいあの姿を忘れようと、心の底から嘘を吐いた。
「ぼくもだよ」
貼りつけた笑顔が取れないうちに踵を返し石段を駆け上った。いくつかある隠し通路の中で最も店に近い入り口から外に這い出た。無人の小さな家屋から橙色に染まる建物を眺め、もう夕方になっていたのだと気づく。
ツクツクボウシの鳴き声に彩られた仄かに熱気が漂う喉かな風景。どこからか風鈴の音がこだましている。立てつけの悪い戸を開けると、買い物客たちのざわめきに混じって子どもの笑い声が聞こえてきた。この当たり前の光景が、当たり前としてあるのは変わらぬ秩序があるからだ。そして永続的な存在はいずれ綻びを生み出す。
特に用はないのだが明日の準備でもしようと店に向かって足を進めた。
行き交う人々の顔の中に近いうちに訪れる死を見つける。幸せそうに顔を緩ませる子どもや母親。日々の労働に限界を感じつつある痩せこけた男。裕福そうに肥えた老夫婦。富める者にも貧する者にも死だけは平等に訪れる。
『大君こそこの世の救世主だ』
普段はひどく冷めたその瞳に恍惚とした表情を滲ませ、大臣は呟いた。
『混沌とする無秩序な世界を救う神の子孫……そう、我らは神に仕えている』
洗脳教育を受けた世代の思想に時代の較差を思い知った。不死の薬はまだ不完全だ。いくつか副作用があるが、それを克服する為に優秀な人材を集めている。王位継承の決着がつく前に完成させねば意味がないのか? それとも現大君の体調でも優れないのか? 様々な危険要素を玩味した上でぼくに協力を仰ぐその背景には、予断を許さない事情があるのだろう。
ふいに思い浮かんだライの笑顔。このぼくと共に暮らすことを、本当に夢見ているのであろう嬉しそうな顔に一縷の罪悪感を覚えた。都から離れた所に家を借りたのは事実だった。エグリの大臣の名義で借りたその家に、ライを住まわせぼくは都に逗留し本来の目的を果たすつもりだった。そして万に一つ。大臣がその家に気づいた時トウタを通して……彼に伝わるかもしれない。そんなことを片隅で考えながら、いつの間にか店に辿り着いた。
戸口に佇む見慣れた姿。しかしライとは地下で別れたはず。そう判断するや否や、頬が急に熱を帯び胸が締めつけられるように苦しくなった。店の前を通る人影に怯え、落ちつかなげに漂わせていた視線がふいにこちらに向けられる。
「サトル……」
まるで飼い主を見付けた捨て犬のように、瞬時にその顔は喜びに満ちた。
――もう会わないと決めたのに、どうして今更……
相反する感情に戸惑いながら成す術もなく立ち尽くした。
たった数日会わなかっただけなのに、サトルは驚く程綺麗になっていた。細かっただけの身体にほんのりと曲線が生まれ、ただそこにいるだけで花の香りがした。
俺を見詰める顔が夕焼けに照らされとても悲しげに見える。もう会わないって言っていたのに、会いにきたことを怒っているのかもしれない。何故か胸がドキドキするのにとても痛かった。怒られるのが怖い訳でもないのに、サトルの口から飛び出てくる言葉が何よりも重み持ったものに思えて話しかけるのが躊躇われた。
「………」
踏み出せば数歩で辿りつけるはずの距離が途方もなく彼方に見える。沈黙が長引く程肩に圧しかかる緊張が増していく。まるでそんな緊張から逃れようとするかのように、サトルは踵を返し走り出した。
「!」
周囲に溢れる人を忘れ思わず後を追い駆けた。今追わなきゃ、きっともう手の届かない所に行ってしまうと、直感したから。
色々な人にぶつかりながらサトルの背中だけを見て走った。
「待って!」
ようやくその腕を掴んだ時には俺たちは人気のない通りの外れにきていた。サトルは苦しげに前屈みになって呼吸する。サトルの肩が荒々しく上下する様子をしばらく眺めてから尋ねた。
「どうして逃げるんだよ」
何度も息を吸いながらか細い声でサトルも答えた。
「…会いたく……ない…」
「俺は会いたかった」
即座に答える。しかしサトルは卑屈な笑みを浮かべ俺を睨んだ。
「今夜……きみにライを返して、ぼくは…消えるはずだったのに…」
ライの名前を聞いた途端、それまでとは違う感情が沸き立ってきた。無事でいるのか、辛い目に遭わされていないかどうか、もっと詳しく聞きたくてうずうずした。でもサトルはそんな俺を眺めまるで抜け殻のような表情になった。
「……彼は…元気だよ」
まるで俺から逃れようとする言い訳のように冷たく言い放つ。
「きみにライを返してあげるよ」
なんで…なんでそんなに冷たい目をするんだろう。この世のすべてを疎むあまり感情が消え去ってしまったような虚無感さえ見え隠れするその瞳に、サトルの内に潜む絶対的な憎悪を感じた。だけど次の瞬間、深い青色の上に透明な膜ができた。それは瞬きと共に頬を伝う水滴へと変わり
「……お願いだから…これ以上、ぼくに関わらないで」
粉々に崩れ落ちていく。サトルを奮い立たせていた何かが、音を立てて崩れていった。
「きみといると…自分がいかに汚れた存在か…思い知らされる……。所詮ピリとは違う。ライとも違う。二人のように素直に笑えない。誰にも心を許せない。でもそれは自分で決めたことだから」
淡々と呟くその姿は俺の知らないサトルだった。けれど掴んだ腕をそのままにしておけなくて力を緩めた。途端サトルは身を翻し僅かな隙をついて俺から離れた。
強い逆光でサトルの表情が読めない。もう一度追いかけてみたところで、サトルが次も捕まってくれる自信がなかった。
「……さよなら」
乾いた声が風に乗って届いた。金縛りに遭ったみたいに動けなくなった俺を尻目に捉え、サトルは静かに立ち去った。
握り締めた拳が小刻みに震える。俺は何を伝えたくて店に行ったんだ? 言いたかった言葉が……まだあるはずだ。
「俺!」
突発的に叫んだ声に反応し、サトルはおもむろに振り向いた。
「俺……ミズハに行く。過去を…乗り越えて、サトルとライを…助けたい」
救いを求める子どもたちの泣き声が鼓膜の中で大きくこだました。だけど、それは全部俺が勝手に抱いている幻聴なんだ。
「もう、後悔して生きたくない、から」
「―――」
何か言いたげに口を開いたがサトルは黙り込んだまま空を仰いだ。そして紫がかった景色に溶け込む黒い鳥の群れを見た。
俺の注意も群れに向けられたと同時に、サトルはぽつりと漏らした。
「今更、無理だよ…」
暗澹とした余韻を残しサトルは二度と立ち止まらずに駆けていった。それを見送り、心が引き裂かれそうな苦しみの原因を考えた。
「おかえり。今日は早くに店を閉めたんだね」
屋敷に辿り着くなり部屋から出てきたトウタと出くわせてしまった。息を切らして帰ってきたぼくを不審そうに眺めたが、機嫌がいいのか口元が緩んでいる。関わり合いたくない一心で無視を決め込む。大臣とヒロマ様と共に摂る食事の為に着替えなければならないので、早速部屋に戻ろうとしたがそれを呼び止められた。
「近いうちにナルヒトの宮に会わせてあげるよ」
と、今度はこちらが眉を寄せるような内容を口にした。
「もうすぐ王位に就かれる宮に、ぼくらの婚儀を申し伝えておこうと思ってね」
「随分と……気の早い話だね」
「そんなことないよ。だってすべての準備は整っているんだから」
不穏な気配を察知し足早に彼の脇を通り抜けようとしたその時
「剣の在り処も、目星はついている」
心臓が早鐘を打ち全身に冷や汗が浮かんだ。まさかクサヒルメを、彼が既に見つけていた? そんな馬鹿な。剣がこの世界に存在するのかどうかさえ疑問が残るのに。
困惑するこちらの反応を楽しむかのように目を細めると、わざとらしく肩を揉み溜息交じりに勝手に語りだした。
「それにしても疲れたよ。古参の大臣って、随分頑固者が多くってさ…なかなか相手にしてくれなかったんだ」
「……ナルヒトの宮を支援するよう、他の大臣を脅してきたのか…?」
彼は黙ったまま笑みを浮かべた。
会話のない夕餉を終え自室に戻ろうとする大君に思い切って声をかけた。
「大君、これよりお時間を頂けましょうか?」
訝しげにわたしを見る目元には無数の皺が走っていた。いつも見上げていた大君が意外にも大差ない背の高さであったことに改めて驚きを覚える。白い物の混じった顎の辺りを見詰め、確かに訪れていた時の流れを実感した。
肩越しにわたしたちの会話に聞き耳を立てるヌヒを一瞥し、大君は静かに頷いた。
「よかろう」
一瞬緊張が解れた気がしたが、側近たちを従えて歩く大君の後ろに追ううちに別の種類の緊張感が全身を支配していった。足を一歩前進させる度に、周囲の空気も密度を増しいつの間にか側近たちの顔にまで恐怖に曇った表情が貼りついていた。
「人払いをお願い致します」
部屋の前で立ち止まり願い申し出る。互いに目配せをする側近たちに向かって手を振ると、蜘蛛の子を散らす勢いで消えていった。
完全に人気がなくなるまで待ちおもむろに扉を開ける。豪奢でとても頑丈な扉だった。最初の扉を開けて数歩進むと同じような扉が道を遮っていた。再びそれも押し開くとようやく大君の部屋へと繋がった。
大后が調合した香炉の芳しい匂いがそれとなく染みついた部屋は、わたしやクレハの部屋とも違い多くの宝玉で飾られたとても華美な内装。蓮の咲く水槽の脇にある漆塗りの椅子に座ると、早速腕を組みこちらが口火を切るのを待つ大君。その飽く迄威圧的な態度に萎縮しそうになりながらも用意してきた言葉をもう一度反芻し、沈黙が流れる二人の間に第一声を投じてみた。
「ミズハ寮の解散を求めます」
波紋は静かに広がりを見せた。無表情であった大君の顔に、僅かだが変化が訪れた。
「不老不死の研究は争いの火種となり、我々の子々孫々を脅かすこととなりましょう。そして何故に今更不死が必要なのでしょうか? わたしかヌヒの宮のいずれかが次期大君となるのではないのですか?」
鯉が跳ねて飛沫が上がる。大君は威圧的な光を宿す双眸を睫毛を伏せることで隠し、片肘をついて首を傾げると大君は大きな水槽の中で悠々と泳ぐ鯉の姿を目で追い始めた。その横顔に浮かぶ皺を手元の灯りが濃く陰影をつける。
大君の背後に伸びる影を見上げると同時に、鈍い頭痛が走った。
―――足元に映る影を追い駆け先立った兄たちの名を叫んだ。
いつかぼくも空を跨ぐ翼を手に入れる。けれどそれにはこの肉体を捨てなければならない。
誰にでも訪れる選択。
そう。強制する者はどこにもいない。けれど先駆者たちの面影が人として一生を終えることを拒ませる。峠の為に。この地に生きる子孫の為に大義名分の下に選ばなければならない。
自由を得るはずの翼は形を変え、未来永劫ぼくらを束縛し続ける鎖でしかない…
「……我が望むことは、ただ一つだ」
唐突に口を開き落ち着く払った口調で呟いた。忽ち意識は元の世界に引き戻され、薄暗い闇に浮かび上がる大君の顔を捉えた。
「剣の巫女の絶命ですか?」
一瞬怪訝そうに太い眉根を寄せたがすぐに苦笑を漏らすと
「イシベなら考え及びそうなことだ」
かぶりを振りこめかみを軽く親指で押さえる。頭を動かす度に王冠の飾りが小さな音を立てて揺れた。
「真実を貫く意思こそ大君の資質と説いたそなたには、この世の最後を見届ける勇気もあるか?」
「この世の最後?」
その言葉に衝撃を受けた。心のどこかで、大君もミズハの滅亡を望んでいると信じていた。ただ主を思うが故に独走する大臣の独りよがりで研究は続けられていると思いたかった。
だが大君は視線を固定させたまましばらく黙り込むと――初めて聞く一切の感情を排除した色のない声を吐きだした。
「歴史を築いてきたのが我らならば、この世の最後を見届けるのも我らの使命。その覚悟のある者こそ、誠に大君に相応しい」
冷たく凍てついた眼差しがわたしに向けられる。そこには決して他者と交わることのない絶対的な孤独が渦巻いて見えた。
大君は億劫とした動作で懐から朱色の紐に通した錆びた鍵を取り出した。直感でその鍵こそ、あの禁書が集められた部屋の物だと思った。
「剣の巫女は真実を伝える剣を携え我らの滅ぼしにやってくる。しかし大君一族の滅亡はこの世に生きる万物を道連れにすることになる。その意味を踏まえた上で、そなたは信念を貫くか?」
ただ一つの鍵で、世界は変わる。
左右に揺れるそれを手に入れわたしは事実を知る。開けてはいけない箱を開き、己の知識欲を満たし――
……世界は変われる? 善なる方へ双六は進むのだろうか。
「世界は」
思わず語尾が震える。覚悟、責任、重圧感。意識すればするほど喉の奥が閊えた。
「…いずれ人々はわたしたちを見捨てるでしょう。ウロという理想郷を求め、前進できないわたしたちは取り残されていく」
「それでも王位を求めるのは、自らが歪められた過去を持つからであろう」
鋭い言及と共に鍵は音を立てて床に落とされた。
「それを過去と認めなければ、そなたはおらぬ。歩んできた軌跡がなければ、確かに存在するものが、必ずなければならぬ」
短い溜息を吐く。かつては鍛え抜かれた大君の巨体も、年月を経て今や痩せ細り服の襞の多さが老いを実感させたが座り直し背筋を正す態度に迫るものを感じた。
「ヌヒの宮は若いながらも統治力に秀でている。あの者ならば変わらぬ支配を続けられるだろう」
そしてと続けわたしの心を見抜くように見詰めた。
「そなたには何も見えない。善も悪もなく、好奇心に左右され動く子どものようでもあり……破滅と再生の狭間を揺れ動いている。だがそなたが心底一族の繁栄と、国に捧げる覚悟したなら―――類まれなる才能を発揮するだろう」
「わたしに才能があると?」
予想外の評価につい自嘲しながら紡いだ。卑屈な想いが蠢き姿を変え、言葉に刃を伴い吐きだしていく。
「何よりこの身体に流るる血が、貴方たちと異なるわたしを受け入れる者がいるでしょうか? 所詮は神話の力を借り、神の子孫と崇められこの地位に立つだけが…どこの者とも知れぬわたしに」
「神の血は途絶えてはおらぬ」
わたしの言葉を遮り力強く断言する大君。その自信に溢れた態度に、舌先にまで出ていた想いが急に意味をなくし消えてしまった。
毎日の恒例である上辺だけの笑顔が狂い咲く夕餉が始まった。
「この頃他の大臣にもサトル殿の薬を所望する者もおってな、ワシも鼻が高い」
髭に米粒をつけながら大臣は豪快に笑った。
「私も娘ができて毎日楽しゅうございますのよ。今度サトル殿に似合う着物を見立てる約束をしておりますの」
妻の相の手に上機嫌に頷くと大臣は一気に杯の中身を空にした。
「次期大君にナルヒトの宮が就いた暁には、トウタに官位を譲り二人の祝言を挙げるつもりだ」
「父上はお気が早すぎます。ぼくもサトルもまだ子どもですよ」
白々しく恥らう素振りを見せる。そして同意を求めるようにぼくを見たが、その瞳に映るのは確固たる自信だった。
「何を言う。早くに子をもうけ、そして早くに官位を退き…悠々自適の生活を送るのが近年の理想とされておる」
「そうですよ、子どもの次は孫ですもの。あぁ早く顔が見たいものだわ」
女物のひらひらした袖が鬱陶しい。慣れない着物に肩が凝ってきた。まだ皿の上に料理が残っていたが、箸を置くと目敏くそれを見咎めたヒロマ様が
「おや、もう食べないのですか?」
と問いかけきた。
他の二人の視線も集中し居心地の悪さを感じながら――ぼくは頬を上気させ胸に手を当てた。
「えぇ。先のことを考えると胸がいっぱいになってしまって」
ふっと吹き出し
「何よりサトル殿が一番乗り気のようね。婚儀の衣裳はすべて私が見立てましょう」
口角を上げて彼らの笑顔を真似して席を立った。
月明かりに照らされ今宵はとても明るかった。日中の暑さが少し残るが、涼しさを醸し出そうと軒下の風鈴が凛とした音を鳴り響いている。まだ月が西に傾くには少し時間がある。着替えようと部屋に向かったが、ふいに背後から伸びる影に気づき振り向いた。
「相変わらず小食だね」
作り笑いを浮かべたトウタが歩み寄る。相槌も打たず黙り込むぼくと肩を並べ歩き出す。光の加減で不敵な光を宿す瞳を睨み
「……結婚も、子どもも、きみにとっては出世の為の道具でしかないんだね」
「そういうサトルこそ、例の薬の服用を止めているんだろ? 最近女人の兆候が見られるようになったってヒロマ様が喜んでいたよ」
どこまでも筒抜けの事情に恥辱と共に激しい憤りを覚え、唇を噛み締めた。
「…ぼくが女だと公表したお蔭で、面倒が増えた」
部屋の前で立ち止まり戸を開ける前に彼の表情を伺う。するとただ一人、涼風を受けているかのような穏やか眼差しでぼくを見詰めていた。
「きみに似て、子どもはきっと美しく育つよ」
不気味な予感が頭を過ぎる。爽やかだった風鈴の音が、今や恐怖を増幅させる警鐘に聞こえた。後退りしてから背後にあるのは自室の戸だと気づく。ぼくの反応を楽しむように、口端に余裕を乗せるトウタの顔が月を背景に空恐ろしく見える。
いつの間にか背筋に汗が溜まりじっとりと湿った匂いがした。
「何を怯えているの?」
その言葉に改めて女人の非力さを憎んだ。薄色の衣がふわりと舞い、意外にも精悍な腕が近づいてきた。瞼を強く閉じた刹那、軽く頭を叩かれた。
「……今、共通の目的を持つのは、ぼくだ」
心を見透かされた気がして思わず顔を上げた。底の見えない瞳が間近に迫ってくる。吐きだす息の暖かさも感じる程近くにあるのに、心は恐怖と警戒心でいっぱいだ。
「ミズハを、滅ぼしに行くんだろ?」
違う。
彼が望む滅亡はあの二人を道連れにしたもの。次期大君に立つナルヒトの宮が、不死の身体を手に入れたなら彼の野望に於いて大きな障害となる。すべての証拠と共に―――ミズハを闇に葬り去ることが彼の望む姿。例え共通の目的を持ったとしても、ぼくらは決して理解し合えない。
―――。
月が屋根に隠れ見えなくなった。真上に昇りこれからゆっくりと西へ傾いてく。
「あぁ…これから、行ってくるよ」
木の葉の隙間からこぼれる月の光が今日はやけに温かみを帯びて見える。気温が高い所為かもしれない。夜も更け深い眠りが人々を飲み込んでいるのに、眠気は一向に訪れる気配を見せず脂汗ばかりが浮かんでいた。
今夜、何かが起こる。妙な胸騒ぎに不安な想いを抱き額の汗を拭って空を見上げた。幹に腰をかけて、俺はさっきからずっと反芻していたサトルの言葉の意味を考えていた。
『今夜……きみにライを返して、ぼくは…消えるはずだったのに…』
サトルは本当にミズハを滅ぼす為に…引き抜きに応じたのか? 俺にライを返して、サトルはどこへ行こうとしてるんだろう。
あの人たちを、殺シニ…?
嫌な予感がする。追い討ちをかけるように木々が不気味にざわめいた。上下に大きく揺れる不気味な黒い影を見るうちに、不安が確信に近づいた。
足裏に木肌を踏む感覚がなくなる。暑さを吹き飛ばそうとするみたいに空には風が強く吹いていた。その勢いに乗ろうと身体を重力から解き放った。
いつの間にか風が吹いていた。
大臣の屋敷に侵入し、あの夜と同じように腰を屈めるとぼくは木々に囲まれた道場へ音を立てずに歩み寄った。コマリ殿は地下にミズハがあると知って以来、更に大臣と距離を置くようになったらしい。互いに心を閉ざし合う親子。亀裂の根本にはやはり大君という存在があるのだろう。
母屋と道場の間に黒い粉を風に飛ばされないよう、植木の根元を伝って撒いた。そして線状に撒いた粉の端に火を焚く。事前に計算していた延焼時間を思うと一切の余裕はない。頭上の月の位置を確認し足早に道場に駆け込んだ。
地下の研究寮に入ると珍しく慌てた様子で走り回る研究員たちの姿があった。蒼褪めた顔のライを見つけて、さり気なく近づき声をかける。
「薬は?」
「……夕餉の時に、出した」
一度安堵する。が、この事態はどうしたのだろう。ぼくの疑問に答えるかのように、ライは怯えた口調で呟いた。
「盗まれたんだ…不死の薬が……」
「え?」
ざわめきと喧騒で掻き消されそうになりながら大声を出した。
「どうして? 一体いつ?」
同じ質問を繰り返し受け続けたのか、動揺しながらライは両耳を手で覆った。
「わかんねぇんだよ! サトルが帰って、あいつが薬の保管場所を確認した時にはもう」
「!」
右往左往する人々の波の向こうに立つイシベの大臣がぼくを見つける。帰った後には既に薬は消えていた。つまり、最も疑われるのは……ぼくだ。
研究員たちを掻き分け標的を定め前進してくる大臣を見据え、隣に立つライに折り畳んだ紙と金銭を入れた財布を握らせた。そして周りの騒音に揉まれないよう
「落ちついて聞いて」
できるだけ明確に小声で発音し、隠し持ってきた小瓶をさり気なく床に落とた。爪先で壁に向かって蹴る。中の液体は空気に触れると発火する性質がある。
「爆発と同時に東の入り口から逃げるんだ。地図を見て先に新しい住処に行って」
不安げに逡巡するライに向かって笑みを浮かべた。
「後から必ず行くよ」
大臣がぼくの腕を掴むと同時に、一瞬壁側が白く光った。
「伏せて――」
ほぼ同時に耳を貫く爆発音が響く。濛々と立ち上る黒い煙に、人々は渾沌と脅威に陥った。ライがぼくを一瞥し駆け出す姿を確認し、二つ目の瓶を勢いよく蹴り上げた。
第二の爆破に押さえ込まれていた悲鳴が上がる。誰もが最も近い西の入り口へ殺到し、大臣も急な展開にしばし呆然とした。その隙を突いて股に蹴りを入れる。悶絶する大臣の手を振り払い流れを逆走する。怒声を浴びせる大臣に向かってもう一瓶投げると、人々は更に勢いを増して逃げ惑った。
手当たり次第に戸を開けて瓶を放る。中には火気を帯びた薬品もあり、火は徐々に大きく広がっていった。すべてが炎に飲まれていく。不完全な不死を得た老人や、子どもたちの泣き声が崩れていく地下に響いた。
瓦礫が降り注ぐ中、記憶を頼りに濛々と辺りを覆い尽くす黒い煙の中を彷徨う。指先に迫る灰色の闇は、長い間閉じ込めていた思い出の数々を引き起こしていった。
―――乾いた大地を耕す父の背中が好きだった。子どもたちに毎夜子守唄を聞かせてくれた母の声が好きだった。
父にも母にも兄弟や姉妹は沢山いた。昨日まで並んで食事を共にしていた伯父や叔母が、ある日突然姿を消すことがあっても、従姉が今日から姉として育てられるようになっても、心では疑問を抱きながらも目の前にある幸福に夢中になっていた。
本当は語り継がれていた伝説がぼくらの家族を奪い去ってきたと知りつつも、決定的なあの日の出来事を目撃するまでは、どこか他人ことのようにしか考えていなかった。
――美しく装った姉者たち。きっと誰よりも美しく、その姿は気高かったに違いない。
ぼくも……
『いつか姉者たちみたいになれる?』
寂しげに笑っただけで彼女たちは何も言わなかった。そして列を成して黄色い花畑に向かった。厳かに行われる儀式にぼくは興奮のあまり高鳴る胸を軽く押さえ、きっと花畑を越えて祖先の墓へ向かうのだと思った。神聖で滅多に近寄ることのできないそこへ美しく装った彼女たちは参拝に行くのだと。
しかし列は花畑の前で立ち止まり姉者たちの顔は真剣さが宿った。その時、初めて白く化粧を施した横顔に重なるようにして安らかな死に顔が見えた。
「!」
静かに先陣を切って歩き出す。一人。また一人…とゆっくりと長い衣の裾を持ち上げ、まるで花畑という大海原を渡ろうとする船のようだった。
しかし誰もその海を渡りきった者はいなかった。
歩く度に身体は花畑の中に沈んでいくその光景は、底なし沼に溺れる人形のようでもあった。誰もがその先にあるなだらかな丘の上の墓を見据え、永遠の静寂に身を投じ消えていった。
「!」
凄まじい勢いの熱風に煽られ我に返る。いつの間にか周囲は元ある姿を悉く崩し、赤々と燃える火種となっていた。喉が焼けるように痛い。腰を屈め出口を探し歩き出した。途端、天井が大きく揺れ地響きが鳴った。剥がれ落ちてくる瓦礫を避け、次第に行く手が阻まれていく様を気の抜けた思いで眺めていた。
都の一部が夜なのに怪しく光っている。胸騒ぎがした。だってそこはコマリの屋敷がある辺りだったから。突風に後押しされ俺は速度をつけた。
まるで天を焦がすかの如く敷地内にある建物がすべて燃えていた。周囲に沢山の野次馬が集まっていたが、そこにはライもサトルの姿もなかった。
恐怖が全身を貫き声にならない悲鳴となって吐きだされた。
遥か上空にいるのに熱気が届く。もう助からないかもしれない。だけど行かなくちゃいけい。地面に降り立つと人々の叫び声が聞こえた。けれど頭の中は別のことでいっぱいだった。
池の周りに避難した住人の中から寝間着姿のコマリが小走りにやってきた。
「ピリ!」
風に煽られ火の粉が降り注ぐこの位置から、俺を移動させようと手を取ったがそれを振り払った。
「まだ二人がいるんだ!」
叫ぶなり驚愕し目を見開くコマリを一瞥する。もう一度道場を見る。炎が噴き出す入り口に黒い人影が映った。
「サトル?」
咄嗟に駆け出したが火達磨になって倒れ込んだ人相を確認した途端、声が詰まった。
「……お…父さん」
炭で真っ黒になった顔。でも見間違えるはずがない。睫まで焼けた青い瞳が虚空を見詰めたまま静かに閉ざされた。
「…―――!」
息ができない。呼吸をしようと肺は動いているのに、訳のわからない感情がどんどん大きくなってのた打ち回る。立ち尽くしていたコマリが息を飲んだ。現実を見詰めきれず焦点の合わないまま顔を上げて見ると、今度は誰かを背負って炎の中から這いでてくる者がいた。
もはや黒焦げになっていたが辛うじて長く伸びた髪から、女だとわかるその人物を背負ったそいつは、赤く火照った顔を一瞬嬉しそうに歪め―――力なく前屈みに倒れた。
栗色の髪に火の粉が舞い降り、小火が起きる。
「ラ…」
名前を呼ぼうとしたが喉が痙攣する。
「水を!」
コマリの命令に近くにいた奴らが池から汲んだ水を持ってきた。それを奪うように受け取りライと倒れたままの女にかけた。ジュっと音を立て、女の身体から湯気が上がる。もはや目鼻も判別できない顔を悲しげに眺め
「母さんも…結局…俺を、ピリの子どもとしか扱ってくれなかった」
と呟いた。
ライの母親が死んだ。そして俺の父親も、最期の最後まで俺を見てくれることなく息を引き取った。俺たちにはもう家族はいない。どこを探しても、どんなに求めても。欲しかったあの温もりは手に入らない遠い場所へ飛んでいった。
「……一緒に行くか?」
初めてライは俺を正面から捉えると、ずっと握り締めていた拳を解いた。皺くちゃになった紙を見た。
「俺には、ピリが必要で、今はサトルも必要だ。三人で」
と、唐突に言葉を区切り周囲を見回した。そして険しい表情で
「サトルは?」
と叫んだ。
「サトルはまだ下にいるのか?」
わからない。頭が混乱して、間近にあるはずのライの顔も輪郭がぼやけて見えた。ただやけに落ち着いたもう一人の俺が、今にも崩れ落ちそうな道場を見上げ――もう助からないと、呟いていた。
「サトル…」
朦朧とする意識のまま立ち上がり、巨大な火の塊と化した道場へ駆け込もうとした。刹那、力強く腕を掴まれ引き戻された。
「馬鹿! そのまま行けば死んじまうぞ!」
「――でも、サトルが! サトルがいるから」
それまで黙り込んでいたコマリが、ヒッと音を立てて息を飲んだ。
明るく照らされていたライの顔に黒い影が重なる。恐る恐ると俺たちを見下すように立ち尽くす男を見て、恐怖のあまり言葉を失った。
「ピリ・レイ…ス……」
黒くなった顔の中で白目がギョロリと動く。見覚えのある泣き黒子を確認したと同時に、光を反射させ剣が俺目がけて振り落とされた。
咄嗟に腹を蹴られ俺の身体は後方に大きく飛び跳ねる。
「ピリ!」
草の上を転がる俺を誰かが止めてくれた。温かい手の感触に、相手の顔を確かめるよりも早くそいつの名前が口を突いて飛び出た。
「サトル!」
即座に起き上がりライの安否を確認する。泣き黒子の男は片肘を就いて口元を押さえている。揃えられた指の間からは赤い液が伝っていた。
「……やっと効果が出た…」
冷たく言い放つサトルを見て嫌な想像が脳裏を掠めた。まさか、この火事も全部、サトルが計画した…?
「無事だったのか」
相好を崩しライも駆け寄ってくる。心底安心したその顔に、ライがどれだけサトルの身の上を案じていたのかが伝わった。
「…あの騒ぎの中で、よく西から出てこれたね」
返答に窮するように唇を曲げると、ライは困ったように答えた。
「それでも……見捨てられない女がいたからさ」
口角を上げたいつもの笑みが、寂しげだった。ライが今、何を想っているのか考えるとまた心がギュッと握りしめられているみたいに苦しくなった。やっぱりどんなことがあっても、もうライにはこんな辛い想いなんてして欲しくない。今度こそ幸せになって欲しい。できることなら、俺もライの幸せな姿をずっと見ていたいんだ。
「…あ…サトル、俺も…俺もライと一緒に」
視界の端から温かい水が飛沫する。驚愕したサトルの顔にも何か、赤いものが斑についていた。
目の前にゆっくりと誰かが倒れていく。さっきまでライがいたその場所に、ギラギラと鈍く光る刃があった。
―――ドサッ
無音の世界に音が蘇る。
建物が次々と崩れていく震動と人々の叫ぶ声。阿鼻叫喚とした地獄絵図。蒼褪めたサトルが目の前に倒れる何かを見詰めている。俺は周囲を見回しライの姿を探した。でも見つけたのはライの笑顔ではなく、少し離れた所から金切り声で絶叫する、コマリの泣き顔だった。
「……所詮は…失敗、作か…」
赤く血に染まった歯を覗かせ泣き黒子に嬉しさを滲ませ崩れ落ちる。その貼りつけた笑顔を追って、俺は視線を足元に向けた。
サトルが必死に傷口を塞いでぐったりとしたライに呼びかけている。
「ライ! ライ!」
地面に突き刺さった剣に映る自分の顔が、何にもない。空っぽの人形のものとなっていた。生まれて初めて武器に触れた。だけど荒々しく肩を上下させ呼吸する男を見て、身体は自然と動いていた。
血で濡れた柄を握り持ち上げる。地面に這い蹲って苦しげに喉を掻き毟る男のうなじに焦点を定め、力の限りを尽くして剣をかざし
「ピリ……」
弱々しげに震えるライの手が俺に向かって差し伸べられる。
「………わりぃ…」
いつの間にか剣を握る手から力が抜けた。緊張の糸がふいに切れ、自由になった感情が涙腺を緩ませ熱い涙を流した。
「ライ!」
手を掴みライの傍に座り込む。雪のように冷たくなった指が激しく上下に震えていた。
「だっせぇ……大好きな奴らを…幸せにできないまま……逝くなんて」
無理やり笑おうとしたみたいだったけど、身体を痙攣させ血の塊りを吐き出し激しく咳き込んだ。
「喋らないで! 止血するから!」
傷口を押さえるサトルの手を握り、ライは歯をカチカチと震わせながら首を振った。
「……本当に…好きだった…」
と呟くライの目尻から流れる涙がきらきらと光った。
「ピリと同じくらい…好きになれる人間なんて、いないって思ってた……だけど、俺は、ピリを好きなサトルが、一番………好きだった…」
涙目で微笑みながらライはサトルを見詰めた。まるで、これが最後の見納めだとでも言わんばかりに。
「もっと…素直に……自由になれよな…」
「やだよ! ライ、最後みたいなこと言わないで!」
ライの手足から急速に血の気を失っていく。その身体から湧き上がる真っ赤な血潮が、を嘲笑うようにどれだけ必死に止めてもその指の隙間から溢れてくる。
「約束しただろ! 離れたら、俺を殺すって! 殺してよ! 俺も一緒に!」
瞼の裏に浮かぶライの姿がゆっくりと輪郭から消えていく。何度もその上から記憶を辿りライの笑顔を重ねたけど、すぐに陽炎のように薄らいでいった。
ライはまだここにいる! まだ生きている! 言い聞かせるように繰り返した。
そして目の前にいるサトルを仰いだ。人の最期が見えるサトルの目に、まだライの姿は映っていたけど、青い瞳が更に深みを増した気がして絶望を覚えた。
「…約束は…ずっと守る……」
半開きの唇から乾いた声が漏れる。
「お前が生きている限り、俺も…兄弟も……ずっと傍にいる…」
雲の隙間から顔を覗かせた月を見詰め、ライは涙を流し続けた。
「本当に…頼りなくて……泣き虫な親父だよ…なぁ…」
語尾が掠れていた。ほんの僅かな動作にも苦しそうに傷口を押さえ、押し殺した声を吐き出した。
「―――本当は…もっと一緒にいたかった」
サトルの腕にしがみつき起き上がると、震えながら俺に血まみれのもう片方の腕を伸ばした。その手に抱きつくとライは涙を流しながら叫んだ。
「死にたくない……! もっとピリと生きたかった! ピリが……誰よりも…大切だったから……」
一言呟く度に胸の出血は激しさを増す。陶器のように冷たくなった手に縋り、ライの顔が歪むまで涙を流した。
ライはサトルから手を離し俺を両腕で抱き締めた。
この一瞬が、永遠に感じられた。
熱い涙と一緒にライの匂いが香る。傍にいるだけで心が浮き立つ安心感に満ちたその匂いに、今は死の香りが混じっていた。いつの間にか細くなっていた背中に腕を回す。力いっぱい抱き締めても何故か腕が余った。それがやけに現実味を帯びて、すぐそこまできている死神の息吹を肌で感じた。
「駄目だよ…。一人で……逝くなよぉ」
突然ライの身体が一瞬宙に浮いたように軽くなった。見えない翼がライに与えられたように、不思議な引力がライを持ち上げようとした。
触れ合った頬に二人の涙が一つになって流れ落ちる。
「……一緒に…ウロ、に……行きたかったなぁ」
そっと顔を離し口角を上げたまま、微笑んだ。次の瞬間、それは蒼褪めた寝顔へと一転した。
でも、いつもの顔ではない。並んで眠ったときのように、鼾なんてかかない。朝がきても起き上がらない。ライの作った鳥料理も、もう食べられない。死は、一緒に歩むはずだった俺たちの道を奪い去る。
地面に這い蹲り苦しげに喘いでいた男も、ピクリと動かなくなった。乾いた血の痕の上にいくつもの水滴が落ちる。悲しげに上げられた口角も硬く閉ざされた瞼も決して動き出さない。ライが求めてやってきたこの場所なのに、どうして、こんな結末が待っていたの?
「…大人に…つくられて……」
いつもの笑い声がすぐ傍を駆けて行った気がした。
「望んでなんか…ないのに……。生んでくれなんて、誰も言っていない。勝手につくって、勝手に育てただけなのに……」
今までにない激しい頭痛と一緒に涙が滝のように迸る。これまでの記憶が走馬灯のように蘇り、暗く淀んだ世界から沢山の泣き声が聞こえた。
「どうして……いつも…そんな簡単に、いらないって言い切れるの――?」
ライはもうどこにもいない。手を伸ばしても、決して届かない世界へ一人で行ってしまったんだ。
「ライ―――!」
ライがいて、俺がいた。失敗とか成功とか関係なく、俺たちはいつも傍にいて、それがずっとずっと続くんだと思っていた。どんな時も、例え離れて暮らしていても、心のどこかでいつもライを感じていた。
『……一緒に行くか?』
あの笑顔に、二度と出会えない。
握り締めた拳から血が流れていた。ピリは声を殺して冷たくなったライの上に顔を伏せ泣いていた。
これがぼくの望んだ結果? 赤く染まった掌を広げて見てみる。その向こうにはつい先程まで体温を持って動いていた彼が、永久の沈黙の中に倒れていた。彼はすべてを知った上で、敢えてぼくに協力してくれていた。彼の好意を利用し、ミズハを滅ぼそうとしていたことも何もかも――
涙で歪む視界を持ち上げ全壊した建物を眺める。黒くなった残骸を飲み込み未だ燃え上がる炎を見て、既に自分がもう戻れない所まで辿りついているのだと改めて思い知らされた。
明日には焼け跡から何人もの焼死体が発見される。地下の研究寮は焼き払ったし、恐らく呆然と座り込む彼女は、ミズハが敷地内に存在したことを隠蔽するだろう。そして婚約者という立場を考慮しても、きっと宮廷で暮らすに違いない。
これであの二人を同時に始末できる。予想外の被害はあったが、本来の目的は到達したじゃないか。及第点だと、自分が於かれた状況をできるだけ冷静に判断する。
「……」
泣き伏すピリの背中をもう一度見詰める。ミズハにやってきてもライを通じて、彼との繋がりを感じていた。だけど今、ここで一切を捨てなければならない。愚かな未練は捨てろ。結局彼の中にはライしかいない。ライを手に入れて、間接的に想いを満たしていただけで、ぼくには何もない。
そっと立ち上がり踵を返した。足裏の火傷が全身を貫く激痛に唇を噛み締め堪えたが、目元に溜まっていた涙が一斉にこぼれ落ちた。
「…また、一人で行くのか?」
掠れた声がかけられる。
ぼくを憎んでいるかもしれない。彼を騙して殺したのは、誰でもない。ぼくだから。振り向くのが憚れ、背を向けたまま
「もう引き返せない」
と呟いた。
「ライが、ライがずっと握っていた地図…。この家…一緒に暮らすつもりだったんじゃないのか?」
「……まさか」
卑屈な笑顔を浮かべ彼にとって憎むべき大人を演じた。
「利用しただけだよ。不死の薬なんてあったら、これからの計画に支障をきたすからさ」
「――また嘘を吐く」
「嘘なんか」
ぼくの語尾に重ねるように叫んだ。
「嘘吐きだろ! どうして自分からそんなに嫌な方へ行こうとするんだよ!」
その真っ直ぐな言葉を受け止めるうちに、歪んだ唇から言葉が漏れた。
「…ぼくが死ねば、誰が一族の無念を伝えるの?」
炎の中で回想した姉者たちの顔を脳裏に描き出す。何度でも何度でも思い出し、自分自身に言い聞かせるんだ。この憎しみを、あの絶望を決して忘れない為に。魂に刻めと心に命じたぼくの復讐劇。
「誰も知らない。あいつらが行ってきたことを。ぼくらが生きていたことも、すべて否定され…ぼくが自分を認められないのも、全部、全部あいつらの所為だ!」
逃げ出した罪悪感。ぼくは姉者たちのように、峠の為に一生を捧げる選択なんてできない。生きたかった。ただ生きて、当たり前のように自分の人生を全うしたかった。
「……そうやって過去に拘ったって、生きていけない。もう終わったことは変えられない。だからライはサトルが好きだったんだ! 自分で選んだ、最高の人間だったから」
地響きと共に轟音が周囲を覆い包んだ。ミズハ寮が完全に崩壊し、土台を失った道場の残骸が地下に崩れ落ちていった。人々の悲鳴や泣き叫ぶ声を、どこか遥か彼方の出来事として眺めながら
「未来を変えることが…ぼくの復讐だ」
と答えた。
「森に積もる落ち葉のように地面を覆い尽くす死体が、この先待っている。大飢饉、大寒波。異常気象が生態系を乱していき……食べる物もなく、死人から肉を奪い食べては飢えをしのぐ。疫病が流行り薬を買う金がない為に、生まれてすぐに死に返る赤子たち。それでも、幸せは権力と金で、簡単に買えるんだよ」
熱を帯びた風が吹きつける。赤々と飛ぶ火の粉に彩られ、今宵の月はひどく禍々しく見えた。
「好きだった…」
感情が麻痺した心で淡々と想いを紡ぐ。
「ピリが、とても、好きだった」
耳元でライがふっと笑った気がした。
『もっと…素直に……自由になれよな…』
ごめんね、ライ。でもぼくは素直になれない。これ以上醜く染まった世界を、彼には見せたくなんてない。
だから、また嘘を吐く。渾身の力を込めて、一世一代の演技で貫いてみせる。そしてきみを利用した代償に約束する。どんな手を使ってでも、この歪んだ世界を変えてみせると。
「今は、世界で一番―――大嫌いだ」
だけど誰かを幸せにする嘘なら、それは真実になれるかもしれない。
トウタの屋敷を出てしばらく都の上空を漂っていた。次第に月が傾き東の空から太陽が昇り始めると雀たちが姿を現し始めた。どこかで鶏が鳴いている。朝日に照らされた空気は透明で、深い眠りから覚めた清涼な匂いを漂わせていた。
優しく吹きつける風を受けながら俺は結局一睡もせずにいたことに気づいた。でも頭が覚醒して全く眠たくない。それに秘密基地に戻ったって、誰もいないんだ。
大きく伸びをしこのままずっと浮いていたら日中の日差しで焼き鳥になっちゃうな、と思い人気の少ない場所を探して降りることにした。そういえばこうして改めて都を見るのは初めてだ。中心に大きな朱色の宮廷がありその周りを囲うように大臣や貴族たちの屋敷がある。その隙間を埋めるように小さな屋根が軒を連ねている。まるでこの世界の仕組みを縮小したみたいだ、と思った。
監禁を解かれ言葉を教え込まれた時、大君制度の成り立ちや構造を教えられた。すべての根源に大君がいて、俺たちは大君という大樹に生える葉っぱなんだと言われた。大臣たちは動けない大樹に様々な情報をもたらす小鳥たちだと。樹が枯れれば俺たちも道連れになる。普段感情なんて一切見せない泣き黒子の男が、口から泡を飛ばし熱心に説く姿はても怖かった。
「……」
ふいにあの男の娘といったコマリを思い出した。サトルが殺すと断言していたあの人は、ミズハの存在を知って何を思ったんだろう。人の死が見えるサトル。同じ一族を手に掛けてまで果たそうとしている目的って…
触れようとして泣きながらそれを拒んだサトルの顔が脳裏に浮かぶ。
『触らないで…』
あの一言に込められた様々な感情は、どれも悲しげなものばかりな気がした。同時に何故か胸がちくちくと痛んだ。初めて味わう種類の痛みに、ついおかしな物でも食べたかなと危惧した。
眩い光が高く昇る。足元に広がる見覚えある屋敷の庭園にそっと降り立った。あの日は夜遅くて周囲の景色も見えなかったけど、明るい太陽の下で眺める庭は絶景だった。小さな花が咲く木の下を通り飛び石を渡る。水色の空を映した池に赤い鯉が優雅に泳いでいた。
このまま石伝いに歩いていけばミズハの隠れ家に辿りつく。そこに行けばライとサトルがいる。無意識に駆け出そうとする想いを抑え立ち止まった。それでも木々の間から覗く道場を見詰めていると、温かい風が俺を慰めるように頬を撫ぜた。
誰かを想う喜びがあるから人は大人になれる。ライはサトルを想うから一人で立ち上がれたのかもしれない。じゃあサトルは……俺を想うなら、どうして、離れていっちゃったんだろう。
木漏れ日が眩しく輝く。ふいに背後から伸びた影に気づき振り返った。
「ピリ…ではないですか」
美しく装ったコマリが驚いた様子で呟いた。
「無断で敷地内に立ち入るなど本来許されませんよ。私ではなく下女たちにでも見つかっていたら、厳しく処罰されていたところです」
優しく諭すコマリを見上げ、喉元で痞えていた言葉を吐き出してみた。
「人を好きになるって、誰かを想うってことなの?」
一瞬面食らった顔をしたがすぐに相好を崩し、コマリは口元を手で押さえ吹き出した。そして笑いがある程度収まるまで苦しそうに笑った。
「何を藪から棒に…」
「トウタが言ってた。誰かを想う喜びがあるから、大人になれるんだって。でも好きって気持ちがこれまであったものを壊していくなら、大人なんて……」
ゆっくりと太陽が昇り気温が肌に感じて高くなっていく。近くに立つ木の陰から蝉の鳴き声が聞こえてきた。
コマリは手を翳して天を仰ぎながらどこか遠くを眺めるように視線を遠くへ向けた。
「むかし…大人になりたくないと言った方がいたわ…」
懐かしげに語るその顔を見詰め、俺と同じ悩みを抱えた誰かの話に耳を傾けた。
「歪めた世界の中で、真実を貫くことはできなくて…。偽りでも語り継がれた言葉には、人々の想いが込められ、覆そうとするにはあまりにも重すぎた」
そして俺を正面から見詰めるとコマリは続けた。
「世界を憎む限り大人にはなれない、と。けれど恋する気持ちが、大人になることを拒むのは無理でしょう。恋しく想う気持ちが関係を崩していくのは、それが持つ力が強いから」
「でも、なら好きなら傍にいて欲しいんだろ? サトルは俺が嫌いだからミズハに行っちゃた訳じゃない。サトルは――」
と言いかけて言葉を区切った。脳裏にサトルの声が蘇ったからだ。
『あの男が王位を継ぎ婚約者と結ばれることで確定する、この世の結末を変える為に』
『だからぼくは』
悲しげな眼差しでサトルは呟いた。
『ナルヒトの宮と、コマリ殿を殺す』
復讐の為に。世界の終末を変える為に、サトルはこの人とその婚約者を殺そうとしている。
鼓膜にこびりついた赤子たちの泣き声。俺は一生この声に責められて、自分の罪を自覚して生きていかなきゃいけない。それがどれだけの苦痛か、知っているのは俺だけだ。だからサトルまでそんな辛い想いをして欲しくない。
「サトルが…ミズハ寮へ?」
俺がサトルを想い悩む傍らで、コマリは大きく目を見開き震えながら呟いていた。
早朝から侍女に起こされ、謁見を申し出ている者がいると告げられた。見ればまだ夜が明けて間もないのに、一体誰だろうと訝しみながら眠たい顔を洗い寝間着を着替えた。
広間で待っているかと思いきや、連れられた先は朝露に濡れた庭園だった。
「藤棚でお待ちです」
一礼して去って行く侍女を見送りゆっくりと足を動かした。青々とした木々の向こうに佇む藤棚の下に薄絹姿のコマリと――栗色の髪をした少年が待っていた。
警戒する様子の少年を一瞥しわたしは彼女を見詰めた。
「覚えておいでですか? 彼があの空を飛ぶ少年です」
相槌を打ちながら何故彼を連れてきたのか尋ねた。
「……薬師サトルがミズハへ加入したと申しておりました。それで直接宮様にご対面頂きたく思い」
彼女の真っ直ぐな意思に触れ力なく頷いた。そして今だ警戒心を顕わにする少年に向かって微笑むと
「ならば場所を変え、二人で語ろう」
そして物言いたげなコマリに声をかけた。
「この先にある露台に向かう。案ずることない」
数歩置いてからついてくる少年の姿を確認しわたしは背筋を正した。
濃い陰影の落ちる小道を歩くうちに背中がほんのりと汗ばみ始める。蝉の鳴き声に触発され暑さが更に激しさを増していく。こめかみを伝う汗を拭って顔を上げると、木々に囲まれ涼やかな影の中に綺麗に掃除された露台があった。
「貴方の名は?」
額に小さな水玉を浮かべながら少年は落ち着かない様子で答えた。
「ピリ…レイス……」
露台に腰を掛け彼にもそうするように促がしたが首を横に振り断った。徹底して警戒する態度はミズハ寮で経験した過去が大きく影響しているのかもしれない。
空を飛べたが故に自由な翼を奪われた少年――目の前の怯える姿に、どうしても過去の自分が投影された。
「……トウタにサトル殿について調べさせた。北の部族出身との答えだったが…もしそれが真ならば、我らを憎む理由もわかる。だがミズハは大君を、不滅の身体へさせる為に研究を進めていた」
ピリの反応を伺うも、こちらに向ける固い表情は一点を睨んだまま動かない。
「これはわたしの憶測だが彼女は寮を壊滅させる為に加入したのではないか?」
唇を一文字に結び黙り込んでいた。否定とも肯定とも取れるその態度に、頑なにわたしを拒む意思を感じた。
「…貴方も空を飛べるように、わたしもかつてあの青い世界を自由に飛び回った」
過敏に反応すると信じられないと言いたげに目を見開いた。初めてわたしに対し関心を抱いた様子に内心喜びを噛み締め
「今はもう飛び方を忘れ、飛べない……」
と締め括った。
短い沈黙の後、視線を落としていたピリが静かに口火を切った。
「ミズハは、俺が飛べるから沢山俺の子どもをつくった」
咄嗟に外見から彼の年齢を推測する。どう考えても成人に満たないまさに多感な年ごろの彼が一体どんな想いでそれを受け止めたのだろう。
「でもすぐに死んじゃうから、小分けにして山に埋めたんだ。五体満足に生まれなかった子どももいた。出来損ないはすぐに殺されていった」
淡々とした口調で語るこの少年はかの寮でどのような扱いを受けたのだろうか。決して、時間が傷を癒してくれるような生ぬるい経験ではなかっただろう。
「サトルは……大君一族を滅ぼす」
偽りのない澄んだ瞳を凝視するうちに動悸が早まった。そして沸々と何か大切なことを思い出しそうになった。
「…十二部族の出身である可能性があると思い…サトル殿を監視する意味もあって、エグリの大臣に養女にと打診したが…意味を成さなかったのだな」
卑屈に歪めた唇からこぼれた言葉にピリは怪訝そうに首を傾げた。
「サトルが…十二部族?」
疑問符を浮かべる彼を眺め違和感を覚える。まさかトウタの報告を疑うつもりはないのだが、頭の隅で激しく訴えかけてきた。忠誠を誓った彼を信じたい。それは建前の願いだ。本当は時折り垣間見る彼の狡猾な表情に畏怖していたではないか? わたしを想っているコマリでさえその胸の底には関知しない考えを持っている。誰もが本音だけで生きている訳ではないのだから。
「トウタがそう、言ったの?」
それまでとは打って変わった静謐とした態度に相槌を返した。すると眉間に深く皺を刻み思案に暮れた。その様子を眺め、冷めた思いでトウタとの間に知らず知らずのうちに生まれつつある軋轢を想像した。
見たくなければ目を閉ざせばいい。聞きたくなければ耳を塞げばいい。そうして逃げてきたことから、もう逃げ場はないのだと自覚させられた。立ち止まらなければならない。そして目を見開き、すべてを受け入れなければならないのだ。
「……大君になる為に、剣の巫女を探さないといけないんだろ?」
敢えて何故彼が王位継承の条件を知っているのかは言及せず、頷いた。
「巫女を見つけて、ナルヒトは、どうするんだ?」
核心を衝く言及につい目を逸らした。大君の願いが巫女の絶命ならば、それが王位に就く一番の方法。しかし巫女はこの世界の真実を知る手がかり。
「――大君は、孤独を知る者しかなれない、ってトウタは言ってた」
冷たい響きを含んだその言葉は、静かに足元の影へ落ちていった。
それまで横溢としていた感情はまるで冷や水をかけたみたいに一気に凍てつく。改めて落ち着きを取り戻すとわたしは、自分の願いとも言えるその想いを口にしていた。
「わたしは大君になりたい訳ではない…」
この世を治めたいとも、最高の名誉と富を手に入れたいとも思えない。いずれ大君の座を継ぐ者として育てられながらも、わたしは一度たりとも大君になったわたし自身を想像できた試しがなかった。
「わたしは、大君を……憎んでいるのだ」
困惑する眼差しを斜めに流し眩い日差しから目を逸らした。暖かな風に吹かれざわめく葉の擦れる音や、空高く舞う鳥たちの羽ばたきもこの世のすべてが同等に存在していた頃。わたしは世界に枷をかける支配者を疎んでいた。
「だが大君を慕う者たちを、憎むことはできなかった」
視線を向けた樹木の影から項垂れたコマリが現れた。彼女の登場にピリは怯えたように視線を彷徨わせた。
「貴方が大臣を憎むが故にわたしに近づいてきたとしても……貴方を信じたかった」
「…真実を貫くと、仰られたではないですか」
コマリの潤いを湛えた瞳が光を反射させながらわたしを睥睨する。
「約束したではないですか! 共に世界を変えると…万人が、万人の為に生きる世界を造ろうと!」
怒る声に勢いをつけるとコマリはピリを指し示し、更に訴えかけてきた。
「彼のような罪のない子どもたちが、権力の食い物になるような秩序を…摂理を覆し、誰もが夢を持てる……永遠の理想郷を…」
「―――俺が、可哀想だと、思うの?」
投げられた一石は静かに反響した。頬を赤く染め我を失いかけていたコマリも、ハッと息を飲み改めて彼を見た。
「俺がいたから、ライが生まれた。両親がいたから、俺は生まれてライに出会えた。父親がこの国にきたのは、ミズハに呼ばれたから。この世界に、大君がいなかったら…俺も生まれていなかった。でも大君がいたから……サトルにも会えた」
息を吸い毅然とした態度でピリはわたしたちを見た。
「俺を可哀想だと思うのは……全然違う所から見ているから、そう思うんだ」
その瞳に映る自由な空が有無を言わさぬ迫力を伴った。敵意を顕わにする彼を、偉大な指導者の為に陰で泣いてきた者たちの恨みが生んだのなら、何故その瞳は尚美しく輝いているのだろう。
「言い訳に使ってる…だけだ。俺やライを、反抗する理由に使っているだけで、本当の理由はもっと別にある」
「!」
本心を言い当てられ返答できずにいたコマリを見て、初めて、鎧を脱いだ彼女に触れた気がした。必死に言葉を組み立て試行錯誤する姿は、そう。あの日と何一つ変わらず幼い少女を秘めたまま。
わたしは噛み締めた唇を歪めた。長い髪のかかる肩に手を伸ばそうとした刹那、コマリは踵を返し走り去っていった。彼女の残り香が漂う宙を見詰め腕を下ろした。
背中に集中する彼の視線を意識し、無理やり笑顔をつくろうとしたが無垢な表情を目にした途端つぶさに剥がれ落ちてしまった。出会って間もないというのに、何故か彼にはどんなに自分を取り繕ったところで無意味であると察したのだ。
「……少し、話を聞いてくれないか?」
ピリはただ黙って頷いた。気の所為か先程よりも縮まっていた距離を眺め、苦しいまでに堪えてきた想いの丈を吐き出した。
「わたしは大君の御子ではない。だから一族が隠し続けた真実を暴くことができると、信じていた……」
ふっと溜息を漏らし膝の上で組んだ指に注目する。
「己の本当の名も、父の名も母の顔も何も知らない。無知だからこそ恐れなく偽りを暴き白日の下に一切を明らかにできる。そして心のどこかで大君一族の破滅を望んでいた」
木漏れ日の下に広がる斑な陰影に照らされ、彼の彫りの深い顔が不思議な表情をつくりだした。まるでこちらの胸中をすべて見抜くような青い慧眼。言葉をそのまま受け取るだけではなく、そこから様々な思考を読み取る才能が秘められている気がした。
「だが今のわたしは悩んでいる。例え偽りでもそれが罷り通るこの世界を…愛しく思う者たちがいるのに、変革することは果たして正義となり得るのかどうか。真実が平和をもたらすのか………わからない」
真摯な瞳を直視し更に言葉を繋げた。
「彼女は己の父を恨むが故に歴史や、大君一族に疑問を持つようになった。嘘で固められた歴史を正すことが、虐げられてきた者たちへの償いであり大臣へ対する反抗であった」
「あの人が…好きなのか?」
直入な意見に素直に頷いた。
「好きって気持ちがそれまでの関係を壊すのは、それが持つ力が大きいからだって言ってた。だから……欲しいなら、持っているものがなくなる覚悟がないと駄目なんだと思う」
長い睫の下に薄っすらと影ができる。両脇に垂れた腕が小刻みに震え、燦々と降り注ぐ光を受け茶色の髪の毛が金色に輝いて見えた。このまま彼は空を背景に飛び立っていくような気がして、わたしは咄嗟にこの地に留める言葉を探した。
「俺……剣の巫女を知ってる。だけど誰にも教えない」
刹那、彼の言っている意味がわからなかった。だが翳りを宿した表情を目にした途端、心臓を一刺しされたような鋭い痛みが走った。
「もう誰かに利用されるなんて嫌だ。なんでもなかったことに価値を求めているのは、全部大人だけだ……。ウロ峠も剣の巫女も、大して意味もなかったのにそれを利用しようとしているだけだろ!」
迸る激情を浴び、初めて彼の顔が悲嘆に暮れていることに気づいた。
「――ウロ峠に行く」
一切の大人を拒絶した冷たい眼差し。だがすぐに涙でそれを曇らせると
「もう……サトルも…ライも…傷つけたくない……」
と嗚咽を漏らした。小さな身体を覆う巨大な悲しみに言葉を失い黙り込む。そうして俯くうちに焦点がぼやけ脳裏にある光景が思い浮かんだ。
―――草花の育たない荒れた小高い丘の上に集まる人影。どれも見覚えがある者たちばかりだった。わたしは古来より咲き続ける菜の花畑に佇み、これから起きることを観賞しようとしていた。
兄たちは両手を広げ勢いよく丘を駆け下りていくと、向かい風が吹き彼らに白い翼を与え空へ誘った。空中を旋回するうちに人の姿から完全に鳥へと変わり――懐かしい故郷との別れを惜しむように、悲しげな泣き声を響かせどこかへ飛び去っていってしまった。
兄たちを追い駆けるわたしを拒むように冷たい風が吹きつける。地面に映った鳥たちの影はいつの間にか消えていた。
大人になることを頑なに否定していたあの頃のわたしとそっくりの少年が今、ここにいる。未知の世界に怯え、過去を乗り越えずに過ごしてきたわたしと同じくウロを求めている。
愛情に飢えていたクレハを救えなかった大君たちに、万人を統治できる訳がない、と嘲笑していた。ならばわたしに――彼を救えるだろうか。子どもという殻に閉じこもる彼を救うことは、かつての自分を乗り越えると言う二重の意味を持つのだから。
差し出した手に、ピリは戸惑ったように涙を止め視線を浮遊させた。
「大君となり、ウロ峠をこの世に再現してみせる。だから貴方も約束して欲しい」
怪訝そうに眉を寄せる彼にわたしは大きく頷いて見せる。
「過去を…受け入れると。わたしが王位を諦めない限り、貴方も過去の自分を否定せずに生きて欲しい」
逡巡する彼に、真っ直ぐな視線を投げかけた。
「……もう誰かを失わなくて済む世界を造ってくれるの?」
もう一度大きく頷くと、ピリは目を細めて微笑んだ。
峠には剣を守る乙女の骸が祭られていた。それは祖である剣の巫女と結ばれた乙女が、鳥に姿を変えた巫女と再び出会うことを望んで自ら剣でその身を貫いたと伝えられている。
豊かな黒髪を伸ばした骸の傍らには、巫女の化身である白い鳥の骸が共に安置されていた。二人が埋められた墓に刺さった質素な剣。何人も触れることを許されない聖なる剣は――ある日少年と共に神隠しに遭い、永遠に消え去ってしまった。
「…以上がこの設備の使い方だ」
イシベの大臣は、鋭い眼差しを向けぼくの反応を伺うように見詰めてきた。
「ええ。こんなに素晴らしい所で研究ができるなんて、夢みたいです」
珍しい薬草を眺めながら感嘆して見せる。下町のしがない薬師には手の届かない高級品ばかりだ。
「大君の特別なご配慮のお蔭だ」
いささか気をよくしたのか語尾が上がっていた。
「ではそろそろ屋敷に戻る時間だな。約束通り月が西に傾く前にここへくるように」
「わかりました。今日は――店に急患が来る予定ですものね」
一旦大臣の屋敷に戻り皆が寝入った頃に再び寮に戻る手筈となっている。念の為の理由が急患という訳だ。
「入り口まで送らせよう」
緑色の瞳をした女性に薬を塗られていたライに声をかけると
「サトル殿を上まで送ってこい」
と命じた。彼の命令は絶対的なのか、立ち上がり服を着ると二、三言女性と言葉を交わし能面のような表情でぼくに向かってきた。そしてイシベの大臣を一瞥すると、黙り込んだまま部屋を出ていった。大臣に一礼しその後を追う。それまで無関心を装っていた周囲の研究者たちの視線を感じ背中が痛くなった気がした。
薄暗い石畳の上を己の速さで歩くライを追い、そっと手を握った。恥ずかしそうに俯く彼の横顔を眺め小声で
「一気に片をつけよう」
と囁いた。
「今夜やるのかよ?」
「……新しく住む所はもう手配した。都から離れた安全な地だし、逃走の手順もばっちりだよ。あとはぼくとライが行くだけだ」
返事に迷う様子に発破をかけるようにゆっくりと、しかし表情は傷ついたかのようにふりをして問うた。
「ぼくと生きていくのは嘘だったの?」
「そんなこと…」
それでも逡巡する裏には、きっとピリのことがあるのだろう。そう思うと胸がひどく痛んだ。地上に繋がる階段の前で手を離すと、ライは手中に収まる小さな袋を見詰めた。
「中身をすべて水に溶くだけでいい」
「……本当に俺を、好きなのか?」
唐突な質問に少々面食らう。それでも真剣な面持ちの彼に心底悲しげな表情をつくった。
「ぼくを…信じてくれないの? ただきみと二人、平穏な日常を望んでいるだけなのに」
「いつも…ピリを見てたんじゃ」
「きみと一緒にいたからそう見えたんだよ」
物言いたげに動く唇を重ね、赤面する彼に笑みを浮かべて見せた。
「薬の調合法もすべて暗記した。必要な薬草は後で盗めばいい。もう…何も怖がる必要なんてないんだよ」
石段を上りふと後ろを振り向いた。壁にかけられた蝋燭に照らされ深い陰影を生み出す顔を見詰めしばし黙り込む。
「……好きだ」
不覚にも心臓が大きく飛び跳ねた。
はにかみ、それでも真っ直ぐこちらを見上げる様子は――
「俺はやっぱり、サトルが大好きだ」
脳裏に浮かぶ懐かしいあの姿を忘れようと、心の底から嘘を吐いた。
「ぼくもだよ」
貼りつけた笑顔が取れないうちに踵を返し石段を駆け上った。いくつかある隠し通路の中で最も店に近い入り口から外に這い出た。無人の小さな家屋から橙色に染まる建物を眺め、もう夕方になっていたのだと気づく。
ツクツクボウシの鳴き声に彩られた仄かに熱気が漂う喉かな風景。どこからか風鈴の音がこだましている。立てつけの悪い戸を開けると、買い物客たちのざわめきに混じって子どもの笑い声が聞こえてきた。この当たり前の光景が、当たり前としてあるのは変わらぬ秩序があるからだ。そして永続的な存在はいずれ綻びを生み出す。
特に用はないのだが明日の準備でもしようと店に向かって足を進めた。
行き交う人々の顔の中に近いうちに訪れる死を見つける。幸せそうに顔を緩ませる子どもや母親。日々の労働に限界を感じつつある痩せこけた男。裕福そうに肥えた老夫婦。富める者にも貧する者にも死だけは平等に訪れる。
『大君こそこの世の救世主だ』
普段はひどく冷めたその瞳に恍惚とした表情を滲ませ、大臣は呟いた。
『混沌とする無秩序な世界を救う神の子孫……そう、我らは神に仕えている』
洗脳教育を受けた世代の思想に時代の較差を思い知った。不死の薬はまだ不完全だ。いくつか副作用があるが、それを克服する為に優秀な人材を集めている。王位継承の決着がつく前に完成させねば意味がないのか? それとも現大君の体調でも優れないのか? 様々な危険要素を玩味した上でぼくに協力を仰ぐその背景には、予断を許さない事情があるのだろう。
ふいに思い浮かんだライの笑顔。このぼくと共に暮らすことを、本当に夢見ているのであろう嬉しそうな顔に一縷の罪悪感を覚えた。都から離れた所に家を借りたのは事実だった。エグリの大臣の名義で借りたその家に、ライを住まわせぼくは都に逗留し本来の目的を果たすつもりだった。そして万に一つ。大臣がその家に気づいた時トウタを通して……彼に伝わるかもしれない。そんなことを片隅で考えながら、いつの間にか店に辿り着いた。
戸口に佇む見慣れた姿。しかしライとは地下で別れたはず。そう判断するや否や、頬が急に熱を帯び胸が締めつけられるように苦しくなった。店の前を通る人影に怯え、落ちつかなげに漂わせていた視線がふいにこちらに向けられる。
「サトル……」
まるで飼い主を見付けた捨て犬のように、瞬時にその顔は喜びに満ちた。
――もう会わないと決めたのに、どうして今更……
相反する感情に戸惑いながら成す術もなく立ち尽くした。
たった数日会わなかっただけなのに、サトルは驚く程綺麗になっていた。細かっただけの身体にほんのりと曲線が生まれ、ただそこにいるだけで花の香りがした。
俺を見詰める顔が夕焼けに照らされとても悲しげに見える。もう会わないって言っていたのに、会いにきたことを怒っているのかもしれない。何故か胸がドキドキするのにとても痛かった。怒られるのが怖い訳でもないのに、サトルの口から飛び出てくる言葉が何よりも重み持ったものに思えて話しかけるのが躊躇われた。
「………」
踏み出せば数歩で辿りつけるはずの距離が途方もなく彼方に見える。沈黙が長引く程肩に圧しかかる緊張が増していく。まるでそんな緊張から逃れようとするかのように、サトルは踵を返し走り出した。
「!」
周囲に溢れる人を忘れ思わず後を追い駆けた。今追わなきゃ、きっともう手の届かない所に行ってしまうと、直感したから。
色々な人にぶつかりながらサトルの背中だけを見て走った。
「待って!」
ようやくその腕を掴んだ時には俺たちは人気のない通りの外れにきていた。サトルは苦しげに前屈みになって呼吸する。サトルの肩が荒々しく上下する様子をしばらく眺めてから尋ねた。
「どうして逃げるんだよ」
何度も息を吸いながらか細い声でサトルも答えた。
「…会いたく……ない…」
「俺は会いたかった」
即座に答える。しかしサトルは卑屈な笑みを浮かべ俺を睨んだ。
「今夜……きみにライを返して、ぼくは…消えるはずだったのに…」
ライの名前を聞いた途端、それまでとは違う感情が沸き立ってきた。無事でいるのか、辛い目に遭わされていないかどうか、もっと詳しく聞きたくてうずうずした。でもサトルはそんな俺を眺めまるで抜け殻のような表情になった。
「……彼は…元気だよ」
まるで俺から逃れようとする言い訳のように冷たく言い放つ。
「きみにライを返してあげるよ」
なんで…なんでそんなに冷たい目をするんだろう。この世のすべてを疎むあまり感情が消え去ってしまったような虚無感さえ見え隠れするその瞳に、サトルの内に潜む絶対的な憎悪を感じた。だけど次の瞬間、深い青色の上に透明な膜ができた。それは瞬きと共に頬を伝う水滴へと変わり
「……お願いだから…これ以上、ぼくに関わらないで」
粉々に崩れ落ちていく。サトルを奮い立たせていた何かが、音を立てて崩れていった。
「きみといると…自分がいかに汚れた存在か…思い知らされる……。所詮ピリとは違う。ライとも違う。二人のように素直に笑えない。誰にも心を許せない。でもそれは自分で決めたことだから」
淡々と呟くその姿は俺の知らないサトルだった。けれど掴んだ腕をそのままにしておけなくて力を緩めた。途端サトルは身を翻し僅かな隙をついて俺から離れた。
強い逆光でサトルの表情が読めない。もう一度追いかけてみたところで、サトルが次も捕まってくれる自信がなかった。
「……さよなら」
乾いた声が風に乗って届いた。金縛りに遭ったみたいに動けなくなった俺を尻目に捉え、サトルは静かに立ち去った。
握り締めた拳が小刻みに震える。俺は何を伝えたくて店に行ったんだ? 言いたかった言葉が……まだあるはずだ。
「俺!」
突発的に叫んだ声に反応し、サトルはおもむろに振り向いた。
「俺……ミズハに行く。過去を…乗り越えて、サトルとライを…助けたい」
救いを求める子どもたちの泣き声が鼓膜の中で大きくこだました。だけど、それは全部俺が勝手に抱いている幻聴なんだ。
「もう、後悔して生きたくない、から」
「―――」
何か言いたげに口を開いたがサトルは黙り込んだまま空を仰いだ。そして紫がかった景色に溶け込む黒い鳥の群れを見た。
俺の注意も群れに向けられたと同時に、サトルはぽつりと漏らした。
「今更、無理だよ…」
暗澹とした余韻を残しサトルは二度と立ち止まらずに駆けていった。それを見送り、心が引き裂かれそうな苦しみの原因を考えた。
「おかえり。今日は早くに店を閉めたんだね」
屋敷に辿り着くなり部屋から出てきたトウタと出くわせてしまった。息を切らして帰ってきたぼくを不審そうに眺めたが、機嫌がいいのか口元が緩んでいる。関わり合いたくない一心で無視を決め込む。大臣とヒロマ様と共に摂る食事の為に着替えなければならないので、早速部屋に戻ろうとしたがそれを呼び止められた。
「近いうちにナルヒトの宮に会わせてあげるよ」
と、今度はこちらが眉を寄せるような内容を口にした。
「もうすぐ王位に就かれる宮に、ぼくらの婚儀を申し伝えておこうと思ってね」
「随分と……気の早い話だね」
「そんなことないよ。だってすべての準備は整っているんだから」
不穏な気配を察知し足早に彼の脇を通り抜けようとしたその時
「剣の在り処も、目星はついている」
心臓が早鐘を打ち全身に冷や汗が浮かんだ。まさかクサヒルメを、彼が既に見つけていた? そんな馬鹿な。剣がこの世界に存在するのかどうかさえ疑問が残るのに。
困惑するこちらの反応を楽しむかのように目を細めると、わざとらしく肩を揉み溜息交じりに勝手に語りだした。
「それにしても疲れたよ。古参の大臣って、随分頑固者が多くってさ…なかなか相手にしてくれなかったんだ」
「……ナルヒトの宮を支援するよう、他の大臣を脅してきたのか…?」
彼は黙ったまま笑みを浮かべた。
会話のない夕餉を終え自室に戻ろうとする大君に思い切って声をかけた。
「大君、これよりお時間を頂けましょうか?」
訝しげにわたしを見る目元には無数の皺が走っていた。いつも見上げていた大君が意外にも大差ない背の高さであったことに改めて驚きを覚える。白い物の混じった顎の辺りを見詰め、確かに訪れていた時の流れを実感した。
肩越しにわたしたちの会話に聞き耳を立てるヌヒを一瞥し、大君は静かに頷いた。
「よかろう」
一瞬緊張が解れた気がしたが、側近たちを従えて歩く大君の後ろに追ううちに別の種類の緊張感が全身を支配していった。足を一歩前進させる度に、周囲の空気も密度を増しいつの間にか側近たちの顔にまで恐怖に曇った表情が貼りついていた。
「人払いをお願い致します」
部屋の前で立ち止まり願い申し出る。互いに目配せをする側近たちに向かって手を振ると、蜘蛛の子を散らす勢いで消えていった。
完全に人気がなくなるまで待ちおもむろに扉を開ける。豪奢でとても頑丈な扉だった。最初の扉を開けて数歩進むと同じような扉が道を遮っていた。再びそれも押し開くとようやく大君の部屋へと繋がった。
大后が調合した香炉の芳しい匂いがそれとなく染みついた部屋は、わたしやクレハの部屋とも違い多くの宝玉で飾られたとても華美な内装。蓮の咲く水槽の脇にある漆塗りの椅子に座ると、早速腕を組みこちらが口火を切るのを待つ大君。その飽く迄威圧的な態度に萎縮しそうになりながらも用意してきた言葉をもう一度反芻し、沈黙が流れる二人の間に第一声を投じてみた。
「ミズハ寮の解散を求めます」
波紋は静かに広がりを見せた。無表情であった大君の顔に、僅かだが変化が訪れた。
「不老不死の研究は争いの火種となり、我々の子々孫々を脅かすこととなりましょう。そして何故に今更不死が必要なのでしょうか? わたしかヌヒの宮のいずれかが次期大君となるのではないのですか?」
鯉が跳ねて飛沫が上がる。大君は威圧的な光を宿す双眸を睫毛を伏せることで隠し、片肘をついて首を傾げると大君は大きな水槽の中で悠々と泳ぐ鯉の姿を目で追い始めた。その横顔に浮かぶ皺を手元の灯りが濃く陰影をつける。
大君の背後に伸びる影を見上げると同時に、鈍い頭痛が走った。
―――足元に映る影を追い駆け先立った兄たちの名を叫んだ。
いつかぼくも空を跨ぐ翼を手に入れる。けれどそれにはこの肉体を捨てなければならない。
誰にでも訪れる選択。
そう。強制する者はどこにもいない。けれど先駆者たちの面影が人として一生を終えることを拒ませる。峠の為に。この地に生きる子孫の為に大義名分の下に選ばなければならない。
自由を得るはずの翼は形を変え、未来永劫ぼくらを束縛し続ける鎖でしかない…
「……我が望むことは、ただ一つだ」
唐突に口を開き落ち着く払った口調で呟いた。忽ち意識は元の世界に引き戻され、薄暗い闇に浮かび上がる大君の顔を捉えた。
「剣の巫女の絶命ですか?」
一瞬怪訝そうに太い眉根を寄せたがすぐに苦笑を漏らすと
「イシベなら考え及びそうなことだ」
かぶりを振りこめかみを軽く親指で押さえる。頭を動かす度に王冠の飾りが小さな音を立てて揺れた。
「真実を貫く意思こそ大君の資質と説いたそなたには、この世の最後を見届ける勇気もあるか?」
「この世の最後?」
その言葉に衝撃を受けた。心のどこかで、大君もミズハの滅亡を望んでいると信じていた。ただ主を思うが故に独走する大臣の独りよがりで研究は続けられていると思いたかった。
だが大君は視線を固定させたまましばらく黙り込むと――初めて聞く一切の感情を排除した色のない声を吐きだした。
「歴史を築いてきたのが我らならば、この世の最後を見届けるのも我らの使命。その覚悟のある者こそ、誠に大君に相応しい」
冷たく凍てついた眼差しがわたしに向けられる。そこには決して他者と交わることのない絶対的な孤独が渦巻いて見えた。
大君は億劫とした動作で懐から朱色の紐に通した錆びた鍵を取り出した。直感でその鍵こそ、あの禁書が集められた部屋の物だと思った。
「剣の巫女は真実を伝える剣を携え我らの滅ぼしにやってくる。しかし大君一族の滅亡はこの世に生きる万物を道連れにすることになる。その意味を踏まえた上で、そなたは信念を貫くか?」
ただ一つの鍵で、世界は変わる。
左右に揺れるそれを手に入れわたしは事実を知る。開けてはいけない箱を開き、己の知識欲を満たし――
……世界は変われる? 善なる方へ双六は進むのだろうか。
「世界は」
思わず語尾が震える。覚悟、責任、重圧感。意識すればするほど喉の奥が閊えた。
「…いずれ人々はわたしたちを見捨てるでしょう。ウロという理想郷を求め、前進できないわたしたちは取り残されていく」
「それでも王位を求めるのは、自らが歪められた過去を持つからであろう」
鋭い言及と共に鍵は音を立てて床に落とされた。
「それを過去と認めなければ、そなたはおらぬ。歩んできた軌跡がなければ、確かに存在するものが、必ずなければならぬ」
短い溜息を吐く。かつては鍛え抜かれた大君の巨体も、年月を経て今や痩せ細り服の襞の多さが老いを実感させたが座り直し背筋を正す態度に迫るものを感じた。
「ヌヒの宮は若いながらも統治力に秀でている。あの者ならば変わらぬ支配を続けられるだろう」
そしてと続けわたしの心を見抜くように見詰めた。
「そなたには何も見えない。善も悪もなく、好奇心に左右され動く子どものようでもあり……破滅と再生の狭間を揺れ動いている。だがそなたが心底一族の繁栄と、国に捧げる覚悟したなら―――類まれなる才能を発揮するだろう」
「わたしに才能があると?」
予想外の評価につい自嘲しながら紡いだ。卑屈な想いが蠢き姿を変え、言葉に刃を伴い吐きだしていく。
「何よりこの身体に流るる血が、貴方たちと異なるわたしを受け入れる者がいるでしょうか? 所詮は神話の力を借り、神の子孫と崇められこの地位に立つだけが…どこの者とも知れぬわたしに」
「神の血は途絶えてはおらぬ」
わたしの言葉を遮り力強く断言する大君。その自信に溢れた態度に、舌先にまで出ていた想いが急に意味をなくし消えてしまった。
毎日の恒例である上辺だけの笑顔が狂い咲く夕餉が始まった。
「この頃他の大臣にもサトル殿の薬を所望する者もおってな、ワシも鼻が高い」
髭に米粒をつけながら大臣は豪快に笑った。
「私も娘ができて毎日楽しゅうございますのよ。今度サトル殿に似合う着物を見立てる約束をしておりますの」
妻の相の手に上機嫌に頷くと大臣は一気に杯の中身を空にした。
「次期大君にナルヒトの宮が就いた暁には、トウタに官位を譲り二人の祝言を挙げるつもりだ」
「父上はお気が早すぎます。ぼくもサトルもまだ子どもですよ」
白々しく恥らう素振りを見せる。そして同意を求めるようにぼくを見たが、その瞳に映るのは確固たる自信だった。
「何を言う。早くに子をもうけ、そして早くに官位を退き…悠々自適の生活を送るのが近年の理想とされておる」
「そうですよ、子どもの次は孫ですもの。あぁ早く顔が見たいものだわ」
女物のひらひらした袖が鬱陶しい。慣れない着物に肩が凝ってきた。まだ皿の上に料理が残っていたが、箸を置くと目敏くそれを見咎めたヒロマ様が
「おや、もう食べないのですか?」
と問いかけきた。
他の二人の視線も集中し居心地の悪さを感じながら――ぼくは頬を上気させ胸に手を当てた。
「えぇ。先のことを考えると胸がいっぱいになってしまって」
ふっと吹き出し
「何よりサトル殿が一番乗り気のようね。婚儀の衣裳はすべて私が見立てましょう」
口角を上げて彼らの笑顔を真似して席を立った。
月明かりに照らされ今宵はとても明るかった。日中の暑さが少し残るが、涼しさを醸し出そうと軒下の風鈴が凛とした音を鳴り響いている。まだ月が西に傾くには少し時間がある。着替えようと部屋に向かったが、ふいに背後から伸びる影に気づき振り向いた。
「相変わらず小食だね」
作り笑いを浮かべたトウタが歩み寄る。相槌も打たず黙り込むぼくと肩を並べ歩き出す。光の加減で不敵な光を宿す瞳を睨み
「……結婚も、子どもも、きみにとっては出世の為の道具でしかないんだね」
「そういうサトルこそ、例の薬の服用を止めているんだろ? 最近女人の兆候が見られるようになったってヒロマ様が喜んでいたよ」
どこまでも筒抜けの事情に恥辱と共に激しい憤りを覚え、唇を噛み締めた。
「…ぼくが女だと公表したお蔭で、面倒が増えた」
部屋の前で立ち止まり戸を開ける前に彼の表情を伺う。するとただ一人、涼風を受けているかのような穏やか眼差しでぼくを見詰めていた。
「きみに似て、子どもはきっと美しく育つよ」
不気味な予感が頭を過ぎる。爽やかだった風鈴の音が、今や恐怖を増幅させる警鐘に聞こえた。後退りしてから背後にあるのは自室の戸だと気づく。ぼくの反応を楽しむように、口端に余裕を乗せるトウタの顔が月を背景に空恐ろしく見える。
いつの間にか背筋に汗が溜まりじっとりと湿った匂いがした。
「何を怯えているの?」
その言葉に改めて女人の非力さを憎んだ。薄色の衣がふわりと舞い、意外にも精悍な腕が近づいてきた。瞼を強く閉じた刹那、軽く頭を叩かれた。
「……今、共通の目的を持つのは、ぼくだ」
心を見透かされた気がして思わず顔を上げた。底の見えない瞳が間近に迫ってくる。吐きだす息の暖かさも感じる程近くにあるのに、心は恐怖と警戒心でいっぱいだ。
「ミズハを、滅ぼしに行くんだろ?」
違う。
彼が望む滅亡はあの二人を道連れにしたもの。次期大君に立つナルヒトの宮が、不死の身体を手に入れたなら彼の野望に於いて大きな障害となる。すべての証拠と共に―――ミズハを闇に葬り去ることが彼の望む姿。例え共通の目的を持ったとしても、ぼくらは決して理解し合えない。
―――。
月が屋根に隠れ見えなくなった。真上に昇りこれからゆっくりと西へ傾いてく。
「あぁ…これから、行ってくるよ」
木の葉の隙間からこぼれる月の光が今日はやけに温かみを帯びて見える。気温が高い所為かもしれない。夜も更け深い眠りが人々を飲み込んでいるのに、眠気は一向に訪れる気配を見せず脂汗ばかりが浮かんでいた。
今夜、何かが起こる。妙な胸騒ぎに不安な想いを抱き額の汗を拭って空を見上げた。幹に腰をかけて、俺はさっきからずっと反芻していたサトルの言葉の意味を考えていた。
『今夜……きみにライを返して、ぼくは…消えるはずだったのに…』
サトルは本当にミズハを滅ぼす為に…引き抜きに応じたのか? 俺にライを返して、サトルはどこへ行こうとしてるんだろう。
あの人たちを、殺シニ…?
嫌な予感がする。追い討ちをかけるように木々が不気味にざわめいた。上下に大きく揺れる不気味な黒い影を見るうちに、不安が確信に近づいた。
足裏に木肌を踏む感覚がなくなる。暑さを吹き飛ばそうとするみたいに空には風が強く吹いていた。その勢いに乗ろうと身体を重力から解き放った。
いつの間にか風が吹いていた。
大臣の屋敷に侵入し、あの夜と同じように腰を屈めるとぼくは木々に囲まれた道場へ音を立てずに歩み寄った。コマリ殿は地下にミズハがあると知って以来、更に大臣と距離を置くようになったらしい。互いに心を閉ざし合う親子。亀裂の根本にはやはり大君という存在があるのだろう。
母屋と道場の間に黒い粉を風に飛ばされないよう、植木の根元を伝って撒いた。そして線状に撒いた粉の端に火を焚く。事前に計算していた延焼時間を思うと一切の余裕はない。頭上の月の位置を確認し足早に道場に駆け込んだ。
地下の研究寮に入ると珍しく慌てた様子で走り回る研究員たちの姿があった。蒼褪めた顔のライを見つけて、さり気なく近づき声をかける。
「薬は?」
「……夕餉の時に、出した」
一度安堵する。が、この事態はどうしたのだろう。ぼくの疑問に答えるかのように、ライは怯えた口調で呟いた。
「盗まれたんだ…不死の薬が……」
「え?」
ざわめきと喧騒で掻き消されそうになりながら大声を出した。
「どうして? 一体いつ?」
同じ質問を繰り返し受け続けたのか、動揺しながらライは両耳を手で覆った。
「わかんねぇんだよ! サトルが帰って、あいつが薬の保管場所を確認した時にはもう」
「!」
右往左往する人々の波の向こうに立つイシベの大臣がぼくを見つける。帰った後には既に薬は消えていた。つまり、最も疑われるのは……ぼくだ。
研究員たちを掻き分け標的を定め前進してくる大臣を見据え、隣に立つライに折り畳んだ紙と金銭を入れた財布を握らせた。そして周りの騒音に揉まれないよう
「落ちついて聞いて」
できるだけ明確に小声で発音し、隠し持ってきた小瓶をさり気なく床に落とた。爪先で壁に向かって蹴る。中の液体は空気に触れると発火する性質がある。
「爆発と同時に東の入り口から逃げるんだ。地図を見て先に新しい住処に行って」
不安げに逡巡するライに向かって笑みを浮かべた。
「後から必ず行くよ」
大臣がぼくの腕を掴むと同時に、一瞬壁側が白く光った。
「伏せて――」
ほぼ同時に耳を貫く爆発音が響く。濛々と立ち上る黒い煙に、人々は渾沌と脅威に陥った。ライがぼくを一瞥し駆け出す姿を確認し、二つ目の瓶を勢いよく蹴り上げた。
第二の爆破に押さえ込まれていた悲鳴が上がる。誰もが最も近い西の入り口へ殺到し、大臣も急な展開にしばし呆然とした。その隙を突いて股に蹴りを入れる。悶絶する大臣の手を振り払い流れを逆走する。怒声を浴びせる大臣に向かってもう一瓶投げると、人々は更に勢いを増して逃げ惑った。
手当たり次第に戸を開けて瓶を放る。中には火気を帯びた薬品もあり、火は徐々に大きく広がっていった。すべてが炎に飲まれていく。不完全な不死を得た老人や、子どもたちの泣き声が崩れていく地下に響いた。
瓦礫が降り注ぐ中、記憶を頼りに濛々と辺りを覆い尽くす黒い煙の中を彷徨う。指先に迫る灰色の闇は、長い間閉じ込めていた思い出の数々を引き起こしていった。
―――乾いた大地を耕す父の背中が好きだった。子どもたちに毎夜子守唄を聞かせてくれた母の声が好きだった。
父にも母にも兄弟や姉妹は沢山いた。昨日まで並んで食事を共にしていた伯父や叔母が、ある日突然姿を消すことがあっても、従姉が今日から姉として育てられるようになっても、心では疑問を抱きながらも目の前にある幸福に夢中になっていた。
本当は語り継がれていた伝説がぼくらの家族を奪い去ってきたと知りつつも、決定的なあの日の出来事を目撃するまでは、どこか他人ことのようにしか考えていなかった。
――美しく装った姉者たち。きっと誰よりも美しく、その姿は気高かったに違いない。
ぼくも……
『いつか姉者たちみたいになれる?』
寂しげに笑っただけで彼女たちは何も言わなかった。そして列を成して黄色い花畑に向かった。厳かに行われる儀式にぼくは興奮のあまり高鳴る胸を軽く押さえ、きっと花畑を越えて祖先の墓へ向かうのだと思った。神聖で滅多に近寄ることのできないそこへ美しく装った彼女たちは参拝に行くのだと。
しかし列は花畑の前で立ち止まり姉者たちの顔は真剣さが宿った。その時、初めて白く化粧を施した横顔に重なるようにして安らかな死に顔が見えた。
「!」
静かに先陣を切って歩き出す。一人。また一人…とゆっくりと長い衣の裾を持ち上げ、まるで花畑という大海原を渡ろうとする船のようだった。
しかし誰もその海を渡りきった者はいなかった。
歩く度に身体は花畑の中に沈んでいくその光景は、底なし沼に溺れる人形のようでもあった。誰もがその先にあるなだらかな丘の上の墓を見据え、永遠の静寂に身を投じ消えていった。
「!」
凄まじい勢いの熱風に煽られ我に返る。いつの間にか周囲は元ある姿を悉く崩し、赤々と燃える火種となっていた。喉が焼けるように痛い。腰を屈め出口を探し歩き出した。途端、天井が大きく揺れ地響きが鳴った。剥がれ落ちてくる瓦礫を避け、次第に行く手が阻まれていく様を気の抜けた思いで眺めていた。
都の一部が夜なのに怪しく光っている。胸騒ぎがした。だってそこはコマリの屋敷がある辺りだったから。突風に後押しされ俺は速度をつけた。
まるで天を焦がすかの如く敷地内にある建物がすべて燃えていた。周囲に沢山の野次馬が集まっていたが、そこにはライもサトルの姿もなかった。
恐怖が全身を貫き声にならない悲鳴となって吐きだされた。
遥か上空にいるのに熱気が届く。もう助からないかもしれない。だけど行かなくちゃいけい。地面に降り立つと人々の叫び声が聞こえた。けれど頭の中は別のことでいっぱいだった。
池の周りに避難した住人の中から寝間着姿のコマリが小走りにやってきた。
「ピリ!」
風に煽られ火の粉が降り注ぐこの位置から、俺を移動させようと手を取ったがそれを振り払った。
「まだ二人がいるんだ!」
叫ぶなり驚愕し目を見開くコマリを一瞥する。もう一度道場を見る。炎が噴き出す入り口に黒い人影が映った。
「サトル?」
咄嗟に駆け出したが火達磨になって倒れ込んだ人相を確認した途端、声が詰まった。
「……お…父さん」
炭で真っ黒になった顔。でも見間違えるはずがない。睫まで焼けた青い瞳が虚空を見詰めたまま静かに閉ざされた。
「…―――!」
息ができない。呼吸をしようと肺は動いているのに、訳のわからない感情がどんどん大きくなってのた打ち回る。立ち尽くしていたコマリが息を飲んだ。現実を見詰めきれず焦点の合わないまま顔を上げて見ると、今度は誰かを背負って炎の中から這いでてくる者がいた。
もはや黒焦げになっていたが辛うじて長く伸びた髪から、女だとわかるその人物を背負ったそいつは、赤く火照った顔を一瞬嬉しそうに歪め―――力なく前屈みに倒れた。
栗色の髪に火の粉が舞い降り、小火が起きる。
「ラ…」
名前を呼ぼうとしたが喉が痙攣する。
「水を!」
コマリの命令に近くにいた奴らが池から汲んだ水を持ってきた。それを奪うように受け取りライと倒れたままの女にかけた。ジュっと音を立て、女の身体から湯気が上がる。もはや目鼻も判別できない顔を悲しげに眺め
「母さんも…結局…俺を、ピリの子どもとしか扱ってくれなかった」
と呟いた。
ライの母親が死んだ。そして俺の父親も、最期の最後まで俺を見てくれることなく息を引き取った。俺たちにはもう家族はいない。どこを探しても、どんなに求めても。欲しかったあの温もりは手に入らない遠い場所へ飛んでいった。
「……一緒に行くか?」
初めてライは俺を正面から捉えると、ずっと握り締めていた拳を解いた。皺くちゃになった紙を見た。
「俺には、ピリが必要で、今はサトルも必要だ。三人で」
と、唐突に言葉を区切り周囲を見回した。そして険しい表情で
「サトルは?」
と叫んだ。
「サトルはまだ下にいるのか?」
わからない。頭が混乱して、間近にあるはずのライの顔も輪郭がぼやけて見えた。ただやけに落ち着いたもう一人の俺が、今にも崩れ落ちそうな道場を見上げ――もう助からないと、呟いていた。
「サトル…」
朦朧とする意識のまま立ち上がり、巨大な火の塊と化した道場へ駆け込もうとした。刹那、力強く腕を掴まれ引き戻された。
「馬鹿! そのまま行けば死んじまうぞ!」
「――でも、サトルが! サトルがいるから」
それまで黙り込んでいたコマリが、ヒッと音を立てて息を飲んだ。
明るく照らされていたライの顔に黒い影が重なる。恐る恐ると俺たちを見下すように立ち尽くす男を見て、恐怖のあまり言葉を失った。
「ピリ・レイ…ス……」
黒くなった顔の中で白目がギョロリと動く。見覚えのある泣き黒子を確認したと同時に、光を反射させ剣が俺目がけて振り落とされた。
咄嗟に腹を蹴られ俺の身体は後方に大きく飛び跳ねる。
「ピリ!」
草の上を転がる俺を誰かが止めてくれた。温かい手の感触に、相手の顔を確かめるよりも早くそいつの名前が口を突いて飛び出た。
「サトル!」
即座に起き上がりライの安否を確認する。泣き黒子の男は片肘を就いて口元を押さえている。揃えられた指の間からは赤い液が伝っていた。
「……やっと効果が出た…」
冷たく言い放つサトルを見て嫌な想像が脳裏を掠めた。まさか、この火事も全部、サトルが計画した…?
「無事だったのか」
相好を崩しライも駆け寄ってくる。心底安心したその顔に、ライがどれだけサトルの身の上を案じていたのかが伝わった。
「…あの騒ぎの中で、よく西から出てこれたね」
返答に窮するように唇を曲げると、ライは困ったように答えた。
「それでも……見捨てられない女がいたからさ」
口角を上げたいつもの笑みが、寂しげだった。ライが今、何を想っているのか考えるとまた心がギュッと握りしめられているみたいに苦しくなった。やっぱりどんなことがあっても、もうライにはこんな辛い想いなんてして欲しくない。今度こそ幸せになって欲しい。できることなら、俺もライの幸せな姿をずっと見ていたいんだ。
「…あ…サトル、俺も…俺もライと一緒に」
視界の端から温かい水が飛沫する。驚愕したサトルの顔にも何か、赤いものが斑についていた。
目の前にゆっくりと誰かが倒れていく。さっきまでライがいたその場所に、ギラギラと鈍く光る刃があった。
―――ドサッ
無音の世界に音が蘇る。
建物が次々と崩れていく震動と人々の叫ぶ声。阿鼻叫喚とした地獄絵図。蒼褪めたサトルが目の前に倒れる何かを見詰めている。俺は周囲を見回しライの姿を探した。でも見つけたのはライの笑顔ではなく、少し離れた所から金切り声で絶叫する、コマリの泣き顔だった。
「……所詮は…失敗、作か…」
赤く血に染まった歯を覗かせ泣き黒子に嬉しさを滲ませ崩れ落ちる。その貼りつけた笑顔を追って、俺は視線を足元に向けた。
サトルが必死に傷口を塞いでぐったりとしたライに呼びかけている。
「ライ! ライ!」
地面に突き刺さった剣に映る自分の顔が、何にもない。空っぽの人形のものとなっていた。生まれて初めて武器に触れた。だけど荒々しく肩を上下させ呼吸する男を見て、身体は自然と動いていた。
血で濡れた柄を握り持ち上げる。地面に這い蹲って苦しげに喉を掻き毟る男のうなじに焦点を定め、力の限りを尽くして剣をかざし
「ピリ……」
弱々しげに震えるライの手が俺に向かって差し伸べられる。
「………わりぃ…」
いつの間にか剣を握る手から力が抜けた。緊張の糸がふいに切れ、自由になった感情が涙腺を緩ませ熱い涙を流した。
「ライ!」
手を掴みライの傍に座り込む。雪のように冷たくなった指が激しく上下に震えていた。
「だっせぇ……大好きな奴らを…幸せにできないまま……逝くなんて」
無理やり笑おうとしたみたいだったけど、身体を痙攣させ血の塊りを吐き出し激しく咳き込んだ。
「喋らないで! 止血するから!」
傷口を押さえるサトルの手を握り、ライは歯をカチカチと震わせながら首を振った。
「……本当に…好きだった…」
と呟くライの目尻から流れる涙がきらきらと光った。
「ピリと同じくらい…好きになれる人間なんて、いないって思ってた……だけど、俺は、ピリを好きなサトルが、一番………好きだった…」
涙目で微笑みながらライはサトルを見詰めた。まるで、これが最後の見納めだとでも言わんばかりに。
「もっと…素直に……自由になれよな…」
「やだよ! ライ、最後みたいなこと言わないで!」
ライの手足から急速に血の気を失っていく。その身体から湧き上がる真っ赤な血潮が、を嘲笑うようにどれだけ必死に止めてもその指の隙間から溢れてくる。
「約束しただろ! 離れたら、俺を殺すって! 殺してよ! 俺も一緒に!」
瞼の裏に浮かぶライの姿がゆっくりと輪郭から消えていく。何度もその上から記憶を辿りライの笑顔を重ねたけど、すぐに陽炎のように薄らいでいった。
ライはまだここにいる! まだ生きている! 言い聞かせるように繰り返した。
そして目の前にいるサトルを仰いだ。人の最期が見えるサトルの目に、まだライの姿は映っていたけど、青い瞳が更に深みを増した気がして絶望を覚えた。
「…約束は…ずっと守る……」
半開きの唇から乾いた声が漏れる。
「お前が生きている限り、俺も…兄弟も……ずっと傍にいる…」
雲の隙間から顔を覗かせた月を見詰め、ライは涙を流し続けた。
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語尾が掠れていた。ほんの僅かな動作にも苦しそうに傷口を押さえ、押し殺した声を吐き出した。
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この一瞬が、永遠に感じられた。
熱い涙と一緒にライの匂いが香る。傍にいるだけで心が浮き立つ安心感に満ちたその匂いに、今は死の香りが混じっていた。いつの間にか細くなっていた背中に腕を回す。力いっぱい抱き締めても何故か腕が余った。それがやけに現実味を帯びて、すぐそこまできている死神の息吹を肌で感じた。
「駄目だよ…。一人で……逝くなよぉ」
突然ライの身体が一瞬宙に浮いたように軽くなった。見えない翼がライに与えられたように、不思議な引力がライを持ち上げようとした。
触れ合った頬に二人の涙が一つになって流れ落ちる。
「……一緒に…ウロ、に……行きたかったなぁ」
そっと顔を離し口角を上げたまま、微笑んだ。次の瞬間、それは蒼褪めた寝顔へと一転した。
でも、いつもの顔ではない。並んで眠ったときのように、鼾なんてかかない。朝がきても起き上がらない。ライの作った鳥料理も、もう食べられない。死は、一緒に歩むはずだった俺たちの道を奪い去る。
地面に這い蹲り苦しげに喘いでいた男も、ピクリと動かなくなった。乾いた血の痕の上にいくつもの水滴が落ちる。悲しげに上げられた口角も硬く閉ざされた瞼も決して動き出さない。ライが求めてやってきたこの場所なのに、どうして、こんな結末が待っていたの?
「…大人に…つくられて……」
いつもの笑い声がすぐ傍を駆けて行った気がした。
「望んでなんか…ないのに……。生んでくれなんて、誰も言っていない。勝手につくって、勝手に育てただけなのに……」
今までにない激しい頭痛と一緒に涙が滝のように迸る。これまでの記憶が走馬灯のように蘇り、暗く淀んだ世界から沢山の泣き声が聞こえた。
「どうして……いつも…そんな簡単に、いらないって言い切れるの――?」
ライはもうどこにもいない。手を伸ばしても、決して届かない世界へ一人で行ってしまったんだ。
「ライ―――!」
ライがいて、俺がいた。失敗とか成功とか関係なく、俺たちはいつも傍にいて、それがずっとずっと続くんだと思っていた。どんな時も、例え離れて暮らしていても、心のどこかでいつもライを感じていた。
『……一緒に行くか?』
あの笑顔に、二度と出会えない。
握り締めた拳から血が流れていた。ピリは声を殺して冷たくなったライの上に顔を伏せ泣いていた。
これがぼくの望んだ結果? 赤く染まった掌を広げて見てみる。その向こうにはつい先程まで体温を持って動いていた彼が、永久の沈黙の中に倒れていた。彼はすべてを知った上で、敢えてぼくに協力してくれていた。彼の好意を利用し、ミズハを滅ぼそうとしていたことも何もかも――
涙で歪む視界を持ち上げ全壊した建物を眺める。黒くなった残骸を飲み込み未だ燃え上がる炎を見て、既に自分がもう戻れない所まで辿りついているのだと改めて思い知らされた。
明日には焼け跡から何人もの焼死体が発見される。地下の研究寮は焼き払ったし、恐らく呆然と座り込む彼女は、ミズハが敷地内に存在したことを隠蔽するだろう。そして婚約者という立場を考慮しても、きっと宮廷で暮らすに違いない。
これであの二人を同時に始末できる。予想外の被害はあったが、本来の目的は到達したじゃないか。及第点だと、自分が於かれた状況をできるだけ冷静に判断する。
「……」
泣き伏すピリの背中をもう一度見詰める。ミズハにやってきてもライを通じて、彼との繋がりを感じていた。だけど今、ここで一切を捨てなければならない。愚かな未練は捨てろ。結局彼の中にはライしかいない。ライを手に入れて、間接的に想いを満たしていただけで、ぼくには何もない。
そっと立ち上がり踵を返した。足裏の火傷が全身を貫く激痛に唇を噛み締め堪えたが、目元に溜まっていた涙が一斉にこぼれ落ちた。
「…また、一人で行くのか?」
掠れた声がかけられる。
ぼくを憎んでいるかもしれない。彼を騙して殺したのは、誰でもない。ぼくだから。振り向くのが憚れ、背を向けたまま
「もう引き返せない」
と呟いた。
「ライが、ライがずっと握っていた地図…。この家…一緒に暮らすつもりだったんじゃないのか?」
「……まさか」
卑屈な笑顔を浮かべ彼にとって憎むべき大人を演じた。
「利用しただけだよ。不死の薬なんてあったら、これからの計画に支障をきたすからさ」
「――また嘘を吐く」
「嘘なんか」
ぼくの語尾に重ねるように叫んだ。
「嘘吐きだろ! どうして自分からそんなに嫌な方へ行こうとするんだよ!」
その真っ直ぐな言葉を受け止めるうちに、歪んだ唇から言葉が漏れた。
「…ぼくが死ねば、誰が一族の無念を伝えるの?」
炎の中で回想した姉者たちの顔を脳裏に描き出す。何度でも何度でも思い出し、自分自身に言い聞かせるんだ。この憎しみを、あの絶望を決して忘れない為に。魂に刻めと心に命じたぼくの復讐劇。
「誰も知らない。あいつらが行ってきたことを。ぼくらが生きていたことも、すべて否定され…ぼくが自分を認められないのも、全部、全部あいつらの所為だ!」
逃げ出した罪悪感。ぼくは姉者たちのように、峠の為に一生を捧げる選択なんてできない。生きたかった。ただ生きて、当たり前のように自分の人生を全うしたかった。
「……そうやって過去に拘ったって、生きていけない。もう終わったことは変えられない。だからライはサトルが好きだったんだ! 自分で選んだ、最高の人間だったから」
地響きと共に轟音が周囲を覆い包んだ。ミズハ寮が完全に崩壊し、土台を失った道場の残骸が地下に崩れ落ちていった。人々の悲鳴や泣き叫ぶ声を、どこか遥か彼方の出来事として眺めながら
「未来を変えることが…ぼくの復讐だ」
と答えた。
「森に積もる落ち葉のように地面を覆い尽くす死体が、この先待っている。大飢饉、大寒波。異常気象が生態系を乱していき……食べる物もなく、死人から肉を奪い食べては飢えをしのぐ。疫病が流行り薬を買う金がない為に、生まれてすぐに死に返る赤子たち。それでも、幸せは権力と金で、簡単に買えるんだよ」
熱を帯びた風が吹きつける。赤々と飛ぶ火の粉に彩られ、今宵の月はひどく禍々しく見えた。
「好きだった…」
感情が麻痺した心で淡々と想いを紡ぐ。
「ピリが、とても、好きだった」
耳元でライがふっと笑った気がした。
『もっと…素直に……自由になれよな…』
ごめんね、ライ。でもぼくは素直になれない。これ以上醜く染まった世界を、彼には見せたくなんてない。
だから、また嘘を吐く。渾身の力を込めて、一世一代の演技で貫いてみせる。そしてきみを利用した代償に約束する。どんな手を使ってでも、この歪んだ世界を変えてみせると。
「今は、世界で一番―――大嫌いだ」
だけど誰かを幸せにする嘘なら、それは真実になれるかもしれない。
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