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54.婚約破棄の結果

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「分かりました。婚約破棄を受けいれます。解消ではなく破棄という事は、俺側はそちらの用意した書類にサインをすればいいだけなんですよね?」
「勿論だとも! どの道お前にはもう後ろ盾となる貴族の実家はもうない。解消だろうが破棄だろうが、あまり違いはなかっただろうな! さあ、書類はもう用意してある。サッサとサインを済ませるんだ!」

 いや、解消と破棄はかなり違うぞ? 簡単に言うなれば、ただの解消なら円満の元に、どちらかからの破棄ならば不和の元に、関係が破綻したという事になる。手順1つで後に残る禍根が段違いだ。

 国法では解消と違って破棄は国王の承認なしに行えるからと安易に選んだのかもしれないが……。どちらも瑕疵が着くのには変わりないが、それで受けるダメージだって全然違う。慰謝料やなんかだって、額の桁からして変わってくるに違いない。

 今回の場合王太子から俺への一方的な破棄なので彼は俺にだけ落ち度があるものとして主張し、世間もそれを認めてくれるものと決め込んでいるのかもしれないが、果たしてどうなるか。だって、現状これまでの行いが祟って王太子の世間からの評価は最悪最低の性悪我儘野郎、俺の評価はどんな不遇にも健気に耐える清廉な人、と言った所だ。

 これで王太子が『イーライが全面的に悪い!』と主張しても、どこまで周りに信じてもらえるやら。正直、十中八九世間の大半は俺の味方に着くと思う。王太子の言う通り確かに実家のフレネル子爵家はもうないが、実質的により家格が上のヨシュアの実家のベンデマン公爵家が後ろ盾になっているのだから、尚更。あーあ、どうせまた王太子が横暴を働いて、勇者様が仕方なく従わされているんだ……とでも思われて更に評価が下がる可能性だって大いに有り得る。そうとなると、今のところ王太子の未来はかなり暗いな。

「前々からお前なんかが尊い身の上の私の婚約者だなんて、気に入らなかったんだ。体は傷だらけで汚いし、いつもニコリともせず無表情だから人形みたいで愛想も悪い。私の見舞いをサボって何をするかと思えば、呪いで伏せっている私に当て付けるかのように国中を旅行している。こんな外見も中身も下の下のお前相手に、愛情なんて持てる訳がない! こうして関係を切る事ができて、本当に清々する!」
「それはまた……。多大なご迷惑とご心労をおかけして申し訳ありませんでしたね」
「フンッ! どうせ謝るのなら、キッチリと地面に手を付き頭を下げて謝ってもらいたいものだな!」

 用意周到にも事前に準備されていた何枚もある必要書類に俺がサインをしている間も、王太子の文句は止まらない。返事が欲しいのかと思って相槌ついでに流れで適当に謝罪すれば、向こうは益々図に乗ってふんぞり返りまた文句を言ってくる。全く、どこまでも自分本位な人だな。

 だんだん相手にするのが面倒になってきて、心が一切篭っていない謝罪を繰り返しつつ手早くサインをし続ける。王太子は俺を罵りたいだけなのか、それとも俺がどんな反応を返そうとも全部気に入らないのか、それからもずーっと飽きもせずに悪口を言っていた。勉強はできないのに、俺に対する罵詈雑言だけはバリエーション豊かだ。その情熱をもっと自己研鑽に向けていればよかったろうに。

「……はい、これで全部ですね。サインは全て書き終えましたよ」
「よし、これで晴れて私とお前は、婚約関係ではなくなったという訳だな?」
「ええ、そういう事になりますね」
「……ククク……ハァーッハッハッハッ! この時を! 待っていたぞ!」

 いきなりカッコつけて高らかに叫び出したので、王太子は喜びのあまりその場で飛び跳ねでもするのかと思ったが、どうやら違うらしい。王太子は喜びの声を上げながらグッと天高く拳を掲げたかと思ったら、次の瞬間懐からを取りだした。俺はそれを見て、なんでそんなものを……と小首を傾げる。そりゃあ、誰だってそうなると思う。俺に限らず、目の前の人間に歓喜の声と共に懐から扱いやすそうな手頃な刃渡りのナイフを取り出されたら、誰だってそうなるんじゃないかな?

「イーライ! 狡賢いお前の事だ、どうせ私との婚約を破棄しても、それなら愛人であるヨシュア・ベンデマンに乗り換えればいいとでも思っているんだろう! そうは行くか! 私をコケにしたお前が今後少しでもいい思いをするなんて、絶対に許容できない! お前とヨシュア・ベンデマンのせいで、私の評価はだだ下がりだ! 前までは呪いにかかった可哀想な王太子で、できない事があっても呪われてるんだから仕方がないと目零しして貰えていたのに、今では我儘で気分屋の無能な王太子だと言われている! そのせいで王太子の位だって最近では揺らいでいるんだ! それもこれも全部、お前が勇者なんて呼ばれて調子に乗り始めたからで、全部お前が諸悪の根源なんだよ! ちょっとばかし聖魔力があるだけの卑しい平民生まれのお前なんかに、馬鹿にされたままでいるのは我慢ならない! 婚約関係でなくなったのなら、今ここでお前が死んでも私は喪に服してユディトとの結婚を待たされる事はない! むしろ、勇者の死でできた暗い空気を吹き飛ばす明るい話題として、私達の結婚は後押しされる筈だ! 邪魔なお前が居なくなって更には愛する恋人と待たされる事なく結婚できるなんて一石二鳥! さあ! 私達の輝かしい未来の為に、今ここで潔く死ね!」

 と、やけに長々と自らに酔った様子で口上を語った王太子。言い追えるや否や、ナイフを構えてこちらに向かってくる。俺にとってはこの上ない好機だ。ここでこのナイフに倒れれば、死にたいという欲求が満たされる。この時俺がすべきだったのは、無抵抗で王太子に刺される事だった筈だ。

 ただ……。この時の、俺は王太子のあまりに幼稚で身勝手な理論にとてもとても呆れていた。それこそ、呆れて呆れて呆れ尽くして、呆れるあまり半ば茫然自失とするくらいには。あまりの阿呆さ加減に、一瞬現実逃避気味に意識が遠のいた……とも言う。何にせよ俺は王太子のお馬鹿発言に呆れるあまり暫し思考能力を失ってしまって、その間も王太子の構えたナイフは俺に近づいてきていて……。その結果。

「グアッ!」
「あ、ヤベッ」

 王太子が俺の腹にナイフを突き刺そうとした正にその瞬間。俺は魔物相手に磨き続けた人間離れした反射神経を遺憾なく発揮し、脳みそは一切使わず気がつくと無意識の内に王太子の腹に鋭い蹴りを1発お見舞して、相手を制圧していた。

 元々なんの訓練も積んでいない上に最近までベッドの上でばかり過ごしていて、体を動かし慣れていない王太子が相手だったので、避けるまでもなかったのがなんだか侘しい。聖魔力は込めていないし無意識に手加減していたとは言え、軽く魔物を屠るだけの威力を持った俺の前蹴りである。食らった王太子は軽々と吹っ飛んで、ゴロゴロ床を転がり無様に向こうの壁へビターン! と叩きつけられた。手応えはなかったから骨折とか内臓破裂とからなってないと思うけど……。あ、でもこっちから見る限り白目剥いて泡吹いてる。あーあ、やっちゃった。

 まあ、あのまま雑魚馬鹿王太子に殺されてたら流石に恥なので、これはこれで良かったのか……? 勇者の名折れどころじゃなかったろうし。なんにせよ、この場をどう収めなくては。どうしたものかと思案する俺だったが、その思考を遮るが如く、その場の空気を切り裂く甲高い悲鳴が辺りに響き渡る。

「キャー! なんて事! 王太子殿下が襲われたわ!」

 驚いて声のした方を向くと、そこには青褪めた顔色のユディトが両手で口を覆っていた。なんで彼女がこんなところに。確かこの間俺にした事が原因で、まだ謹慎中だったんじゃ……。悠長にそんな事を考えている間にも、ユディトはキャーキャーと大騒ぎ。王宮中に聞こえそうな大声で、喉が割けんばかりに悲鳴を上げ続ける。

「ジェレマイア王太子殿下をイーライ・フレネルが殺そうとしているわ! 誰か! 誰か来てちょうだい! 早くー!」

 ユディトの悲鳴を聞き付けたらしい人達がこちらへ向かってくる足音を遠くに聴きながら、俺はそこでようやく悟った。成程。どうやらこれは、嵌められたらしいぞ、と。
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