死に戻ったけど、やり直したい事は特にありません

我利我利亡者

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45.諍い

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「は……? 今、なんて……」
「だから、近々戦線に復帰するつもりだと言ったんだ。俺の体の回復具合を思えば、復帰の時期としてはむしろ遅いくらいだろう。ヨシュアの優しさに甘えて、危うく自分の役目を忘れるところだった」
「駄目だ! 復帰するなんて、絶対許さない!」

 大声に俺が眉を顰めると、ヨシュアは若干怯んだ様子を見せる。ヨシュアが俺に対して大声を出す事はこれまでなかった。きっと彼なりに気をつけていたんだろう。俺は別に気にしないが、声を荒らげて俺に向かって怒鳴るなんてしたくない、という彼なりの配慮だろう。

 その為、こんな態度を俺に向かって取ってしまった事で、ヨシュアは自分で自分の行動にショックを受けているようだった。しかし、それはそれとして同時に俺の決定は看過できないという判断も下したらしい。直ぐにグッと持ち直して、決意に満ちた表情と焦りの滲む口調で俺を説得しにかかってきた。

「どうして戦線復帰なんてしようとするんだ? 今の暮らしになにか不満でも? 争い事とは無縁な穏やかで平和な毎日じゃないか。何か欲しいものがあれば揃えるし、叶えたい願いがあれば叶えるよ。面倒事は私が全部やろう。イーライは一切嫌な事はしなくていい。なんだって君の思いのままだ。だから、ほら。復帰なんてしなくていいだろ?」
「ヨシュア。あなたはなんの権利があって俺が戦線に戻ろうとするのを止めるんだ。俺には生まれついての力がある。魔物を斃すのに最適な聖魔力が、歴代一と言われる程にあるんだ。力を持って生まれたからには、世の為人の為にその力を行使するのは当然で、それは最早義務と言ってもいい。魔物の王の討伐だって、自惚れに聞こえるかもしれないが俺の存在がなければ成し得なかった。そして魔物の残党はまだ残っていて、脅威は去っていない。俺が戦線に戻ればそれだけで、俺の代わりに引っ張り出されたより力のない人間が家に帰れる。家族に会える。幸せに暮らせる。それも1人や2人じゃない。大勢だ。俺は今更ながらその事に思い至ったんだ。その事実を自覚したからには、もうここで安穏とはしていられない」

 確かにヨシュアの庇護下で守られながらノンビリ過ごす時間は、とても穏やかなものだった。けど、休んでいる俺の代わりにヨシュアが討伐に出たように、俺という強大な力を持つ者が最前線に居なければ、別の誰かがその分犠牲を払わされる。

 前回の人生ではほぼ俺1人で魔物の残党狩りをしたが、流石に俺以外の人間にはそこまで無理はさせられず、俺が休んでいる今回の人生では隊が組まれ複数人が討伐に出ていた。伝え聞くに人死はまだ出ていないらしいが、絶対に怪我くらいは何人かしているだろう。言うなれば、その傷は本来俺が背負うべきものだったものだ。

 それこそおれが本当に死にたいのなら、態々死刑を仕掛けずとも戦線に戻って、そこで魔物の牙にでもかけられていれば良かったんだ。王都の号車に調えられた部屋でボヤボヤと早く死刑になりたいなぁ、なんて夢想している場合ではなかったのに。もっと自分の頭で考えるべきことが沢山あったんだ。俺は本当に何も分かっていなかった。

「どんなに強力な道具も、飾っておくだけじゃ駄目だ。実際に使わなくては意味がない。俺には力がある。役目を果たさなくては」
「イーライ、君は道具じゃない。私達と同じ人間だ。君にだって他の人達と同じように、家に帰って家族に会って、幸せに暮らす権利があるんだぞ」
「そうかもしれない。でも、立場だけは決定的に違う。この力も立場も望んで得たものではないが、仮にも俺は魔物の王を斃すだけの力を持った勇者だ。他人とは生まれながらに背負っている重責が根本的に違っている。これは自惚れに聞こえるかもしれないが、純然たる事実だ。俺が我が身可愛さに課された役目を放棄したら、その分他の誰か大勢が割を食う。そんなの真っ平御免だ! 誰かに犠牲となる事を押し付けてまで、自分だけ平和に暮らしていたくはない」
「でも! 君だってこれまでずっと犠牲になってきた! いつもいつもいつも、誰かの分まで傷を負って、血を流して、苦しんで。そうやって君は自らを捧げてまで、背後に庇った数え切れない程大勢の平和を守ってきてくれたじゃないか。イーライには今までにあまりにも多くの人間が救われてきた。私だってその1人だ。だから君が私達を守ってくれたように、今度は私達に君を守らせて欲しい。私と共に討伐に参加した人間だって、君のこれまでの活躍に感謝こそすれ、自らが代わりに戦線に出る事に対する不満なんて1度も聞いた事はない。皆君に深く感謝していて、恩返しがしたいんだ。もう、君が傷つけられるところは見たくない。お願いだから、少しくらい守られてくれよ! 私達が大切に守りたいと思っている君を、君自身が蔑ろにしないでくれ……!」

 何故か辛そうな表情をして、切々と訴えてくるヨシュア。その目には薄ら涙さえ浮かんでいる。しかし、俺には彼の主張が全く理解ができない。代わりも何も、犠牲を払うのは俺の、俺だけの役目だ。その役目は誰にも代わる事はできない。俺の存在価値そのもので、意義でもある犠牲になるという役目。いや、正確に言うのなら犠牲ではなく、対価と言うべきか。

 世を乱す魔物を斃す。その為には当然対価が必要だ。魔物を退ける力が、瘴気を浄化する能力が、何者にも負けない強い意志が要る。俺はそれら全てを備わって生まれた。対価を払う為に、天からこの世に遣わされたのだ。例えば父として、兵士として、誰かの友として。世人が生活の営みの中で自らの役目を果たしていくのなら、俺の役目は戦場にこそある。

 俺には帰る家もないし、会いたい家族も居ない。それならきっと、俺の為の幸せだって戦場以外のどこにもないのだろう。最初から用意されていないのなら諦めるまでもなく、俺はを果たす為だけの俺で居られる。

 欲しい物? 叶えたい願い? そんなもの、この世のどこにもある訳ないだろう。これまで考えた事すらないのは、必要がないからだ。ヨシュアが並べ立てた可能性は、俺にとっては荒唐無稽で毒にしかならないものだった。分不相応な願いは魂を腐らせ、精神を惰弱に腐らせる。

 誰かの享受する幸せの為の対価となるのが俺の生きる意味だ。それなら、死ぬ意味だって同じだろう。この体、この力、この命、最後の一欠片まで惜しみなく対価として支払い尽くして、全てを勝ち取ってやる。

「そもそも俺は誰かに守られたいと思っていない。誰かに守られる事ではなく、誰かを守る事こそが俺の価値であり、役目だ。だって俺は、魔物という脅威を切り捨てる為の剣のようなものだから。剣はそれで敵を切り捨ててこそ意味を成す。それとも何か? 鞘に収めて飾っておく事で、この剣を抜く必要がない程平和だと言い張るのか? 代わりに別の剣を抜き放って戦ってまで? 力を与えられながらそれを奮わないなんて、怠慢としか言いようがない。そして、その怠慢で誰かが代わりに傷つき時に死に瀕するのなら、それは許し難い罪になる。俺の持つ力は戦いの最前線で行使してこそ意味が生まれるもの。俺はあなたの都合1つで、見せかけの平和の為に飾られるだけの剣になる気はないよ」

 今この瞬間にここの所俺の思考を鈍らせていた影は一気に晴れ、静かに燃える信念の炎を胸に抱きただただ真っ直ぐヨシュアを見つめる。俺は別に優しい人間じゃないが、他人が傷つくのは耐えられない。それこそ、自分が傷つけられるより辛いと思う程度には。そして、その代わりに傷つく相手が他ならぬヨシュアだったら……。それはもう考えるだけで到底言い表せないような、深い絶望を感じる。

 ヨシュアは俺の人生で初めてちゃんと優しくしてくれたし、真っ当に人間扱いもしてくれた。たったそれだけと言えばそれまでだが、乾き切って茫漠とした人生を送っていた俺は、それがとても嬉しかったんだ。いつか死ぬ事はまだ諦められない。それでも、どうせ死ぬならこんな自分にできる限りの何かを、彼に遺してしまいたい。

 きっとヨシュアはそれを喜ばない。ヨシュアは俺に生きて欲しくて、俺は早々に死んでしまいたい。彼の望みと俺の望みは、対局の位置にある。それをわかった上で、ヨシュアの1番の願いを叶える気は更々ない癖に、俺は彼に図々しくも幸せになって欲しいのだ。

 生まれて初めてという十把一絡げの周囲にではなく、という一個人に対して抱いた暖かな思い。俺はその救いのなさに内心苦い笑みを浮かべる。晴れ晴れとした思いで見つめる先のヨシュアは何を考えているのか、悲しんでいるような、苦しんでいるような……なんとも形容しがたい悩ましい表情で俺を見返した。そして彼の戦慄く唇から、震えた弱々しい声が紡がれる。

「どうして、どうして君はいつも……。私はただ、守りたいのに。傷ついて欲しくないのに。たったそれだけなのに……。ああ、私は……」
「……?」

 おかしな物言いだ。そんな、以前に俺を失った事があるみたいな言い方。天どうしてだかから2度目を与えられたらしい俺と違って、この人生はヨシュアにとっては1度目の筈だ。俺は違和感に小首を傾げる。そうして疑問を抱いて佇む俺に、ヨシュアがソッと近づく。そして、黙って見返すばかりの俺に今にも泣きそうな顔を向け、そのまま優しく抱き締めてきた。何がしたいのか分からないが、特に拒む理由はないので受け入れる。どうせ感傷かなにか抱いて行動しただけだろうと思ったのだ。……それが、間違いだった。

バチンッ

「っ!?」

 項の辺りで何かが鋭く弾ける音がして、同時に同じ部位に焼け付くような衝撃を感じる。瞬間的に全身に力が入らなくなり、脱力した俺の体をヨシュアが当然の様に優しく抱き留めた。それはまるで、俺が倒れるのが最初から分かっていたかのような、一切慌てた様子のない自然な仕草だった。

 そのまま体を寝台に横たえられ、流れるような動きで上からヨシュアが覆い被さってくる。起き上がろうとしたが、無理だった。指先から何から一切力が入らない。驚愕しつつも必死になって何とか体を動かそうとする俺に、無感情で平坦なヨシュアの声が真上から響く。

「こんなにも思っているのに。大切で堪らないのに。だからこそあなたには、せめてこれから先くらい優しい世界で生きていて欲しかったのに。なんで分かってくれないんだ……?」

 見上げたヨシュアの瞳は、俺に向けられる時にはいつも宿っていた眩しい輝きをなくし、ゾッとする程濁っている。その事実に俺が愕然としている事に気がついているのかいないのか。ヨシュアは黙って、俺のシャツのボタンに手をかける。

「分かってくれないのなら……体に直接教え込むまでだ」
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