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43.ヨシュアの傷
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相手の目を真っ直ぐ見据え俺が冷たく強ばった鋭い声で指摘をしても、ヨシュアは一切狼狽えたりはしなかった。ただ、ほんの僅かに目を見開いて、それから直ぐに困った様子で微笑んでくる。しでかした悪戯がバレた子犬みたいな素振りだが、俺のこの怒りはそんな事では誤魔化されない。
何もかもがムカつく。きっと俺の為に急いだせいで着いたであろう傷も、その事を隠していたヨシュアも、その事にこの時まで気がつけなかった俺も、全部。控えめに香る薬草の香り。先程までは令嬢達の使う香りのキツイ香水で誤魔化されていたとはいえ、それでも気がつける程には距離が近づいていたのに。こんな失態、絶対に許されない。
沸き立つ怒りを爆発させないように何とか御しつつも、掴んだ腕をそのまま引いて怪我人の負担にならないながらも出せる限りのスピードで自室を目指す。ヨシュアはそんな俺に特に抵抗もせず黙って着いてきた。誰に対するものなのか分からない怒りで早まりそうな足取りを、俺は必死にコントロールしようとする。
部屋について直ぐ侍従に手当に必要な道具を一式持ってくるように指示を飛ばし、ヨシュアを寝室へと連れ込んだ。別に主室で手当をしてもいいのだが、その為には不特定多数の使用人達にヨシュアの肌を晒さねばならない。貴族というものはいついかなる時でも不用意に他人に対して肌を晒さないという知識は、肩書きだけの貴族である俺にも一応あった。寝室で手当をしようとしているのは、ヨシュアの為にも人目を避けようという俺なりの配慮である。そんな俺の気持ちを汲んでか、部屋まで着いてきていた護衛やヨシュアの手勢数人は寝室までは着いてこようとしなかった。
「イーライ、気持ちは有難いけど、手当はもうやってあるんだ。君も嗅ぎ取ったからこそ、私が怪我をしている事に気がついたんだろう?」
「大急ぎで行って帰ってきたあなたが、きちんとした手当を受けたか疑わしいから確かめるんだ。そうでなくとも昼あたりから長時間拘束されていたんだし、念の為傷の具合を見ないと」
まさか拒否なんてしないよな? 言外にそんな圧をかければ、ヨシュアは暫し困った顔で立ち尽くしてから、苦笑しつつも上衣を脱ぎ始める。丁度そのタイミングで寝室の扉がノックされたので出てみれば、手当の為の器具が入った薬箱を持った侍従が居た。薬箱を受け取り後はやっておくからと言って、今日はもう俺付きの侍従達には全員帰るように言っておく。
俺の部屋に詰めていたヨシュアの手勢には主人が心配なら残っていてもいいと言ったのだが、変な遠慮をしてか1人も残らなかった。俺とヨシュア以外が居なくなってから、流石に何もないのを証明する為に見届ける人間を1人くらい残しておくべきだったかと思い直したが、今更だ。
いつまでかかるか分からないものに付き合わせるのも悪いし、ヨシュアには言いたい事も沢山あるから余計な耳目がないのはいい事なんだと納得しよう。既に愛人関係だと噂が立っているのだし、何もかもが遅過ぎる。上衣を脱ぎ終えたヨシュアをベッドの縁に座らせ、傷の具合をジックリ観察する。
「……これくらいの傷」
「大した事ない、とでも?」
俺があまりにも慎重に時間をかけて傷の具合を見ていたものだから、勝手に気まずくなったらしいヨシュアが誤魔化すような事を口にしかける。勿論俺はそれを許さない。やり返すようにチクリと皮肉っぽく言った言葉は、思っていたよりも怒りで強ばっていた。それを聞いてヨシュアはまた困った笑顔を見せてくる。……そんな顔をさせたい訳ではないのに。
「受傷した経緯を説明してくれ」
「……強い魔物に複数で囲まれたんだ。何とか1匹ずつ切り捨てて勝ちはしたけど、その過程でどうしても攻撃を避けきれず、爪でザックリと」
「1人で突っ走さえしなければ、受傷しなかったという事だな?」
「いや別に、そういう訳じゃない。ただ単に私の実力不足で」
「実力が足りていようと足りていなかろうと、怪我をする時は誰にだってある。受傷した事自体は責めていない。避けようがない時もあるしな。ただ、複数人でかかれば強い魔物の群れでも比較的安全に倒せる。囲まれる程に数の差があったのなら、尚更多人数で相対するべきだろう。その戦術が取れなかったのは、ヨシュアが1人切りで討伐に乗り出して居たからに他ならない。俺の知ってるあなたの実力なら、フォローし合う仲間さえ居れば怪我なんて殆どしない。……違うか?」
「……仰る通りです」
ふむ、魔物に囲まれ避け切れず爪でザックリ、か。傷の付き方からして、そこに関しては嘘はなさそうだ。魔力の淀みである瘴気から生まれてくる魔物は、瘴気を生み出す力を持っている。そんな魔物が負わせる傷には、多かれ少なかれ瘴気がこびりつく。その瘴気がもたらす効果は体質や付着量によって様々だが、傷の治りを遅らせたり傷口を腐らせたり酷く痛みを発したりと、少なからず悪影響があった。
俺が瘴気を元に作った呪い相手にやったように聖魔力を保持する人間は放っておいてもだいたい瘴気を浄化できるが、一般人は違う。1度受けた瘴気は外的に除去するまでいつまでも勝手に消えたりはせず残り続け、先に上げたような害を振りまいていく。それこそ、聖魔法での治療ができなければ、肉を抉ったり四肢を切り落としたりして、命だけは落とさないようにする方法が視野に入ってくるくらいだ。
俺とは違ってヨシュア達が使っているような普通の魔法でどうにかできない事もないが、それには聖魔法でやるよりも遥かにたくさんの魔力と体力、気力を消費させられる。一定以上の技術力も要るし、放っておくだけで終わりな俺とは違い決して簡単な事ではないのだ。ヨシュア程の術者でも、大量の魔物との戦闘で魔力を消費してから途中まででもこんなに深い傷を治療するのは、なかなか難しかったに違いない。
魔物相手の先頭に慣れていて、手練であるヨシュアがこんなにも深い傷を負った。そしてそれを自ら治療する余裕すらなくしていた。その事実に、俺は頭を強い力でガツンと殴られたような錯覚を起こす程に衝撃を受ける。治療を施す手が知らない内に小さく震えているのに気が付いて、俺はそれをヨシュアに察知されないよう静かに力を込めて意識的に止めた。
何もかもがムカつく。きっと俺の為に急いだせいで着いたであろう傷も、その事を隠していたヨシュアも、その事にこの時まで気がつけなかった俺も、全部。控えめに香る薬草の香り。先程までは令嬢達の使う香りのキツイ香水で誤魔化されていたとはいえ、それでも気がつける程には距離が近づいていたのに。こんな失態、絶対に許されない。
沸き立つ怒りを爆発させないように何とか御しつつも、掴んだ腕をそのまま引いて怪我人の負担にならないながらも出せる限りのスピードで自室を目指す。ヨシュアはそんな俺に特に抵抗もせず黙って着いてきた。誰に対するものなのか分からない怒りで早まりそうな足取りを、俺は必死にコントロールしようとする。
部屋について直ぐ侍従に手当に必要な道具を一式持ってくるように指示を飛ばし、ヨシュアを寝室へと連れ込んだ。別に主室で手当をしてもいいのだが、その為には不特定多数の使用人達にヨシュアの肌を晒さねばならない。貴族というものはいついかなる時でも不用意に他人に対して肌を晒さないという知識は、肩書きだけの貴族である俺にも一応あった。寝室で手当をしようとしているのは、ヨシュアの為にも人目を避けようという俺なりの配慮である。そんな俺の気持ちを汲んでか、部屋まで着いてきていた護衛やヨシュアの手勢数人は寝室までは着いてこようとしなかった。
「イーライ、気持ちは有難いけど、手当はもうやってあるんだ。君も嗅ぎ取ったからこそ、私が怪我をしている事に気がついたんだろう?」
「大急ぎで行って帰ってきたあなたが、きちんとした手当を受けたか疑わしいから確かめるんだ。そうでなくとも昼あたりから長時間拘束されていたんだし、念の為傷の具合を見ないと」
まさか拒否なんてしないよな? 言外にそんな圧をかければ、ヨシュアは暫し困った顔で立ち尽くしてから、苦笑しつつも上衣を脱ぎ始める。丁度そのタイミングで寝室の扉がノックされたので出てみれば、手当の為の器具が入った薬箱を持った侍従が居た。薬箱を受け取り後はやっておくからと言って、今日はもう俺付きの侍従達には全員帰るように言っておく。
俺の部屋に詰めていたヨシュアの手勢には主人が心配なら残っていてもいいと言ったのだが、変な遠慮をしてか1人も残らなかった。俺とヨシュア以外が居なくなってから、流石に何もないのを証明する為に見届ける人間を1人くらい残しておくべきだったかと思い直したが、今更だ。
いつまでかかるか分からないものに付き合わせるのも悪いし、ヨシュアには言いたい事も沢山あるから余計な耳目がないのはいい事なんだと納得しよう。既に愛人関係だと噂が立っているのだし、何もかもが遅過ぎる。上衣を脱ぎ終えたヨシュアをベッドの縁に座らせ、傷の具合をジックリ観察する。
「……これくらいの傷」
「大した事ない、とでも?」
俺があまりにも慎重に時間をかけて傷の具合を見ていたものだから、勝手に気まずくなったらしいヨシュアが誤魔化すような事を口にしかける。勿論俺はそれを許さない。やり返すようにチクリと皮肉っぽく言った言葉は、思っていたよりも怒りで強ばっていた。それを聞いてヨシュアはまた困った笑顔を見せてくる。……そんな顔をさせたい訳ではないのに。
「受傷した経緯を説明してくれ」
「……強い魔物に複数で囲まれたんだ。何とか1匹ずつ切り捨てて勝ちはしたけど、その過程でどうしても攻撃を避けきれず、爪でザックリと」
「1人で突っ走さえしなければ、受傷しなかったという事だな?」
「いや別に、そういう訳じゃない。ただ単に私の実力不足で」
「実力が足りていようと足りていなかろうと、怪我をする時は誰にだってある。受傷した事自体は責めていない。避けようがない時もあるしな。ただ、複数人でかかれば強い魔物の群れでも比較的安全に倒せる。囲まれる程に数の差があったのなら、尚更多人数で相対するべきだろう。その戦術が取れなかったのは、ヨシュアが1人切りで討伐に乗り出して居たからに他ならない。俺の知ってるあなたの実力なら、フォローし合う仲間さえ居れば怪我なんて殆どしない。……違うか?」
「……仰る通りです」
ふむ、魔物に囲まれ避け切れず爪でザックリ、か。傷の付き方からして、そこに関しては嘘はなさそうだ。魔力の淀みである瘴気から生まれてくる魔物は、瘴気を生み出す力を持っている。そんな魔物が負わせる傷には、多かれ少なかれ瘴気がこびりつく。その瘴気がもたらす効果は体質や付着量によって様々だが、傷の治りを遅らせたり傷口を腐らせたり酷く痛みを発したりと、少なからず悪影響があった。
俺が瘴気を元に作った呪い相手にやったように聖魔力を保持する人間は放っておいてもだいたい瘴気を浄化できるが、一般人は違う。1度受けた瘴気は外的に除去するまでいつまでも勝手に消えたりはせず残り続け、先に上げたような害を振りまいていく。それこそ、聖魔法での治療ができなければ、肉を抉ったり四肢を切り落としたりして、命だけは落とさないようにする方法が視野に入ってくるくらいだ。
俺とは違ってヨシュア達が使っているような普通の魔法でどうにかできない事もないが、それには聖魔法でやるよりも遥かにたくさんの魔力と体力、気力を消費させられる。一定以上の技術力も要るし、放っておくだけで終わりな俺とは違い決して簡単な事ではないのだ。ヨシュア程の術者でも、大量の魔物との戦闘で魔力を消費してから途中まででもこんなに深い傷を治療するのは、なかなか難しかったに違いない。
魔物相手の先頭に慣れていて、手練であるヨシュアがこんなにも深い傷を負った。そしてそれを自ら治療する余裕すらなくしていた。その事実に、俺は頭を強い力でガツンと殴られたような錯覚を起こす程に衝撃を受ける。治療を施す手が知らない内に小さく震えているのに気が付いて、俺はそれをヨシュアに察知されないよう静かに力を込めて意識的に止めた。
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