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40.反撃開始

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 俺の声掛けにユディトがチラリとこちらを見る。その目は最早見下しているのを隠しもしない。どうやら俺達は、自らの優位を確信した彼女の中で、既に建前でも対等に扱うだけの価値を失っているようだ。

「あら、何かしら。なんでもいいですけど、手短に済ませてくださる? 私は早くこの事を父上にお知らせしないといけないの。父上はきっと、嫁入り前の可愛い末娘に不名誉な噂を植え付けようとした不逞の輩を、決して許しはしないわ」
「お忙しい時にお時間取らせてしまって申し訳ありません。でも、とても大事な話なんです。どうかお聞きください。直ぐに済みますから、ご安心ください」

 そう言って俺が小首を傾げると、ユディトは少し考え込むような仕草を見せる。しかし、直ぐに気持ちは固まったらしい。勝者の見せる情けとして、敗者の最後の哀れな弁舌を拝聴してやろうとでも思ったのだろう。尊大さを隠しもしない仕草で扇を扱い、勿体ぶった動作だけで黙ったまま俺に話の続きを促した。俺はそれに対して端的に礼を述べてから、サクサクと目当ての話をし始める。

「さて、ユディト嬢。あなたは先程茶会の席で俺に、今社交界で流行りのファッションや着こなしについて教えてくださいましたね?」
「あら、それがどうかしたのかしら? まさかお詫びに流行りのドレスを何着か仕立て差し上げるから、この場は不問に……とでも仰るつもり? 冗談じゃないわ。私は公爵令嬢よ? あなた達に恵んでいただかなくても、ドレスくらい自分で好きな時に好きなように好きなだけ仕立てられるもの」
「いえ、そういう事ではなくて。かつては一世を風靡したドレスに手袋を合わせるファッションは、最近では少々流行遅れになりつつあって、今シーズンで1番の当たりと名高い歌劇の中で見られる手に白粉を叩く装いが、今1番旬のトレンドなんですよね? ユディト嬢にそうお話していただいた事を、興味深かったのでよく覚えています。そしてその装いはまだ流行り初めで、特に流行に敏感な令嬢だけが手に白粉を付けているんだとか。ユディト嬢もその流行の最先端を行くお1人ですよね? 丁度今日の茶会から、その流行りを取り入れたと仰っていたと記憶しています」
「ええ、そうね。それがどうかしたのかしら? 魔物の王も斃されて、今はもう物資を節約しなくてはならない理由はないのだから、化粧品の無駄遣いだと非難されるいわれはないわよ。戦時体制下では質素と節制こそが美徳と言われていたけれど、そんなのもう時代遅れだわ。暗い時代が終わったからこそ、私達のような人々を先導する立場の人間から先んじて、積極的に明るく華やかに振る舞わなくてはならないのよ。こういう社交の場では尚の事、自らの立場を弁えて振る舞うべきだわ」

 急に先程茶会の最中に世間話のついでとして話題になったファッションについて語り始めた俺に、ユディトは訝しげな視線を送ってくる。以前までは魔物相手に厳しい戦いを繰り広げ戦線を維持する為に、戦いの最前線により多くの物資を送れるよう、内地の人間が節制していた。

 しかし、魔物の王を斃したのを皮切りに最近ではそろそろそんな制約を、徐々に緩和していこうという動きがある。女性が化粧品等の生命維持に必須ではない贅沢品を大胆に使い始めたのも、その流れの一環だ。これからきっと、この国はもっと明るく豊かになっていく。この国だけでなく、世界中がそうなっていくだろう。

 しかし、それがユディトにかけられた嫌疑となんの関係があるのか。どれだけ深く考えようとも、2つの点と点の間には関連性も何もあったもんじゃない。ヨシュアですらも俺の発言の訳が掴めず困惑しているらしい。それでも、胡乱げな視線の中でも俺はあくまでも落ち着いて、自分のしたい話を続ける。

「確か、ユディト嬢の使っている白粉は、とても特別で珍しい製品なのでしたね?」
「ええ、そうよ。私が白粉を調達している専門店は王家のお墨付きで、使う人と体の部位によって粉の成分量を調節してくれているのを、私は使っているの。手間がかかるけれど、私くらいの令嬢なら、これくらいするのが当然よね。そうでもしないと、周囲に権威を見せられないわ。それがどうかしたのかしら?」
「でしたら、ユディト嬢が使っている白粉の成分は、世界でただ1人特別にユディト嬢にだけ使う事が許された、2つとして同じものがない唯一無二に調合された成分なのですよね?」
「ええ、だからそう言ってるでしょう? それがなんだって言うのよ!」

 要領を得ない俺の話に苛立って声を張り上げるユディトの前で、俺は慎重に先程呪いの痣を見せる為に脱いで腕にかけていた上着を広げる。今日の俺の装いは薄いクリーム色でをベースに纏められていて、この上着も薄いクリーム色。どうせ着る機会なんてそうそうないし、こんな薄い色俺には着こなせないと駄々を捏ねたが、絶対似合うからと言い張るヨシュアに言い切られて仕立てた1着だ。

 仕立て屋からできあがった一着が届いて直ぐにヨシュアに着て見せて欲しいと言われて、ファッションショーの真似事のようなものをさせられたのは、苦くも楽しい思い出の1つである。あの日ヨシュアがとても似合うと手放しで褒めてくれたから、そんなに言うならと今日もこれを着てきた。ヨシュアのお墨付きのこの1着を着ていたら、俺はどんな事でも乗り越えられると思えたから。それこそ、己の死刑を勝ち取る事でさえ。死装束にだってぴったりだろうしな。

 その上着を丁寧に広げ、背中の部分がユディトの方を向くようにしてみせた。俺のこの動作にも、やはりユディトは何も訳が分からないようだ。ヨシュアも同じ様子で、俺を見ている。ユディトは頭でもおかしくなったのかと嫌そうな顔をして俺を見て、呆れた表情で小さく肩を竦めて見せた。相手にしていられないと話を切り上げられる前に、俺は急いで口を開く。

「ユディト嬢、こちらをご覧ください」
「なあに? 私の装いの話をしだしたと思ったら、今度は自分のファッションを見てくれって事かしら? イーライ様、私はあなたが大事な話があると仰るから我慢してお話を聞いて差し上げているのよ? 大事な話と銘打っておきながら、ファッションのお話がしたかったのかしら? あなたがそんなにお洒落に興味があるなんて知らなかったわ。だって先程私達がドレスやお化粧の話をしている時も、さして興味があるようには見えなかったんですもの! 私だってあなたのその貧相な衣服に興味はないわよ!」
「いえ、見ていただきたいのは俺の上着ではなく、正確にはです。よく目を凝らしてご覧下さい」
「あら、先程転んだせいで一張羅に汚れが着いて悲しいとでも訴えるおつもり? それはお可哀想に、ご愁傷様。私から申し上げられるのはこれだ、け……?」

 ユディトの言葉が途中で不自然に途切れた。俺のクリーム色の上着に、一部不自然に色が変わっている所を見つけたのだ。それは明るい色の上着に薄ら着いているだけなのでよく見ないと分からないが、目を凝らせば確かにハッキリと浮かび上がって見えるだろう。

 それは先程骨格標本に突っ込んだ時に着いた埃の灰色でも、骨格標本と擦れてできた黒い汚れでもない。クリーム色によく馴染む、薄く白い色。それこそ、令嬢達が顔や手に満遍なく分厚く叩いている白粉のような……。それがなにか気がついてしまえば、どんな形に汚れているかも直ぐ分かる。俺の脱いだ上着の背中には、白粉でついた少女くらいの大きさの手の跡が2つ、綺麗に揃って残っていたのである。
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