悪役令息の結婚相手として、断罪も兼ねて野獣侯爵と悪名高い俺が選ばれましたが、絶対幸せにします!

我利我利亡者

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 何が起きたのか分からない、いや、分かりたくない、若しくは信じられない。そんな表情で騒ぎの起こった方を見るギャラリー。然もありなん。彼等の驚きも理解できる。騒ぎのど真ん中、今しがた信じられない行動をとった渦中の人物に、その場に居合わせた全員の視線が集まった。皆の視線の先に居る、その人とは。
 怒りでワナワナと震える拳を握り、美しい顔を美しいままに、恐ろしい程に憤怒の表情を浮かべるルカ。先程までの感情を波立たせる事なく相手からのちょっかいをいなしていた冷静さはどこへやら。ルカは、それだけで人を殺せそうな禍々しいオーラを背負い、床へと無様に転がったロレンツォを睨みつけていた。
「いいか、ロレンツォ! テメェがネヴィオを寝取ろうが、そのまま結婚しようが、なんなら山程餓鬼拵えようが繁栄しようが没落しようが、僕はどおーっだっていい! だがなぁ! アルフォンソに手を出すなら話は別だ! この人に手を出してみろ!? 僕はお前を地獄の果てまで追いかけて、拷問の限りを尽くしてから殺すからな!」
 怒りの勢いのままに今にもロレンツォに飛び掛りそうなルカを、ソッと体の位置をズラしてさり気なく向こうから距離を取らせる。別にロレンツォはどうなってもいいが、奴に手を出して伴侶の美しい手に傷ができてしまうのが心配だ。骨でも折れたら一大事。気が収まらないのなら俺が代わりに殴るから、1発だけで我慢してもらいたい。ロレンツォの方もいつまでもみっともなく転がったままでいてルカをこれ以上刺激して欲しくないのだが、願いも虚しくヨロヨロと起き上がって更に憎まれ口を叩き始める。
「ふ、ふん。そんなのどうせ、負け惜しみだ。『野獣侯爵』よりも、王家に連なる公爵家の嫡子の方が、若さも美しさも立場も、何もかも勝ってる! 僕の婚約者の方がそっちより上だ! あんただってその事を分かってるから、見劣りする『野獣侯爵』と子作りできないんだろう!」
「ハァ? お前は脳みそ持っとらんのか? 僕達に子供ができんのはなぁ、避妊しとるからだわボケェ! 脳みそ腐り過ぎて避妊の概念も忘れたんかクソムシ野郎! 子供が産まれたらアルフォンソの事を子供に取られちまうから、まだ暫く作らねぇんだよ! 僕達くらいの高頻度で避妊もせずにやってたら、今頃婚姻期間と妊娠週数がバッチバチに一致しとるわ! それに、婚約者が居る身で性行為に釣られてホイホイ浮気するような男が、アルフォンソより上? 婚約者が居ながら昔婚約破棄した相手に粉かけるような男が、アルフォンソより上? 若さ故の愚かしさしかなくてこれから先も期待できない男が、アルフォンソより上ぇ? むしろどこが勝ってるんですかぁ? ぜぇんぜん理解できなぁい! 分かるように教えて欲しいですぅ!」
「はぁ!? おい、ルカ! そんなムサい醜男が、この俺よりも魅力的だって言うのかよ!」
「醜男? テメェ、今アルフォンソの事醜男っつったか、あぁん? アルフォンソのどこが醜男だってんだよ、言ってみろやゴラァ!? この誠実な顔立ち! 恵まれた体躯! 何よりもこのタユンタユンの雄っぱい!!! どこか1つでも自分の方が勝ってると思うのかテメェは!? 全部負けとるわお生憎様! 一昨日来やがれこの唐変木!」
 途中でネヴィオが口を挟んできたが、ルカの流れるような罵倒は止まることがない。スラスラ噛まずにノンブレスで言葉を紡いでいく。俺が援護する余裕もないし、その必要もなさそうだ。それにしても、美人が怒ると怖いって本当だったんだな。こんな鬼の形相のルカを前にして反駁できるとは、なんだかんだネヴィオとロレンツォは根性だけはあるのかもしれない。
「き、筋肉くらい私だってあるさ!」
「どっかの誰かさんみてぇな鏡の前でウットリする為のチャちくてペラいファッション筋肉と同じにするんじゃねぇ! アルフォンソのは、領地運営する為に働いてついた、実務に基づいた立派な筋肉だ! 鏡見ながら婚前交渉してそこに映る自分へ見蕩れる為に、薄ら腹筋割ってる程度のテメェとは雲泥の差だわ!」
「ちょ、何言って」
「五月蝿ぇ! 『結婚前だけど鏡の前で見ながらしたい』とか言って誘ってきたの、忘れたとは言わさんぞキモナル野郎!」
 待って。今世界一どうでもいい上に知りたくない情報入ってきた。婚前交渉の事は知ってたけど、鏡の前でしたいって、えぇ……。しかもそれ断られて、これだけ男前な性格をした極上の美人から、仮にも婚約者が居るのにホイホイ人の旦那に誘いをかけるような相手に流れたんでしょう? うわぁ……。なんか、うん。残念なオツムをしてらっしゃるんですね。
「今の聞いた? ファルネア公爵家の嫡子って、変態だったのね……」
「前々からあまり素行が宜しくないとは聞いていましたけれど、まさかそこまでとは」
「鏡見ながらしたがるのは、ちょっと、ねぇ?」
「というかさっき、一方的に断罪してまで無理矢理婚約破棄した相手を誘ってたぞ。婚前交渉を迫った話も本当なら、まるで盛りのついた犬……。いいや、それ以下だな」
「しかもアッサリ振られてるし。情けないにも程がある」
「あのロレンツォとか言うの、オルレアテ子爵家の次男だろう? あれも中々に残念な頭をしているな」
「ファルネア公爵家の嫡子と一緒になって『尻軽』だのなんだのルカ殿の悪口を言いふらしておいて、全部自分の事だったみたいね」
 いつの間にか周囲に集まっていたギャラリーから聞こえる、ヒソヒソ話。一応渦中のルカと俺をスっ飛ばしてネヴィオとロレンツォ両名に集まる、侮蔑の目。ある者には笑われ、ある者には顔を顰められ、プライドの高いロレンツォはそれ等に耐えかね顔を真っ赤にして吹き上がる。
「ちょっと! ネヴィオ先輩! あんたのせいで僕まで恥かいたじゃんか! どうしてくれるんだよ!」
「ハァ!? それはこっちの台詞だ! 婚約者である俺の目の前で他の男にしなだれかかっていたのはお前の方だろう!? 自業自得だ!」
「五月蝿い五月蝿い五月蝿い! 元はと言えば、あんたがルカ先輩なんかにまた靡くからいけないんじゃないか!」
「だって、俺達は婚約してたんだぞ! ちょっと話くらいして何が悪い! お前も俺の婚約者ならそれくらい理解して許容しろ! そもそも、元を正せばお前が邪魔さえしなけりゃ今でもルカは俺の婚約者だったのに!」
「はぁ!? 何それ! 『ルカなんかよりお前の方が可愛げがある』って言って乗り換えたのそっちじゃん! あれ嘘だったわけ!?」
「お前がこんなふしだらな奴だとは思わなかったんだ! 俺は騙された被害者だ!」
「巫山戯ないでよ! このヤリチン!」
「何を」
「はい、そこまで」
 と、そこで、醜い婚約者同士の喧嘩に、凛とした女性の声で待ったがかかった。周囲を気にする余裕がない程に白熱して言い争っていたネヴィオとロレンツォだったが、その女性の声は不思議と無視できない強さがある。お互い怒りで息を荒らげながらも、声のした方を見た。そして、そこに立っている人物に目を見張る。その人とは。
「ソフィア王妃殿下……」
 現国王の妻にして、ファルネア公爵家先代当主の娘であり、この国で国王に次ぐ絶大な権力を持つ女性。ネヴィオの叔母でもある。俺達夫婦もギャラリーも、ネヴィオとロレンツォですら、その場に居る者全員が床に膝を着いた。ソフィア王妃殿下はそんな俺達に柔らかく微笑み、楽にして、と言って礼を解かせる。先程の自分を偉いと勘違いしたネヴィオのものとは違う、真に立場と思い遣りを伴った仕草だった。
「全く、新年のパーティーでなんて騒ぎかしら、ネヴィオ? あなたとあなたの婚約者のみっともない大声が、玉座に座る夫と私のところまで聞こえていたわよ?」
「は、はい。申し訳ありません、叔母様……。しかし、これには訳が」
「お黙りなさい」
 あくまでも穏やかに、優しく、王妃は言ってのける。突き放すでもなく、ただ淡々と。サラリと口にしただけのその一言で、ネヴィオはもう何も話せなくなってしまった。公爵家嫡子のネヴィオにとって叔母とは言え、彼女は一国の王妃だ。天と地程も立場が違うし、なにより王妃には権力を抜きにしても他人を掌握するだけの力がある。この場における決定権は、既に王妃1人のものだった。
 あれ程五月蝿かったネヴィオとロレンツォを黙らせた王妃は、2人を見て呆れたような顔で上品に溜息をついた後、ツイッと俺達夫婦に視線を向ける。そのまま静かに歩み寄ってきた。再び礼をしようとした俺達だったが、王妃はこれを今度は手を振っただけで押し留める。ネヴィオとロレンツォに背を向け、王妃は俺とルカに向き合った。
「ごきげんよう、ヴィッドルド侯爵。そしてルカ」
「拝顔の栄に浴しまして、大変ご幸甚に存じます」
「有難う、2人共。私もあなた達に会えて嬉しいわ。本当なら2人と楽しくお話したいところなのだけれど……。どうも私の甥っ子とその婚約者があなた達に迷惑をかけて、それどころじゃないみたいね」
「いえ、そのような事は」
「誤魔化さなくていいのよ。甥っ子の愚かな行いは、私の耳にも入っているわ」
 どうやらルカは、王妃殿下から気軽にファーストネームで呼ばれる程度には親しい間柄らしい。まあ、仮にも彼女の甥っ子の婚約者だったわけだし、王妃殿下の生家繋がりで公爵家同士の付き合いもあるだろうから、当然かもしれないな。その事は、次に王妃は殿下が口にした言葉で裏付けされた。
「ルカ、元気そうで何よりよ」
「申し訳ありません。少々取り乱しました」
「いいのよ、愛する伴侶を守る為ですものね。それにしても、あなたの行動力には本当に驚いたわ。ネヴィオが勝手にあなたを言いがかりで断罪するものだから、慌てて取り消させようとした時にはもう、断罪を受け入れて処罰されようとしていたのだもの。当事者のあなたが断罪を受け入れたから、一方的で身勝手な断罪の払拭もままならないし……。ネヴィオの叔母としてあなたと私は付き合いがあって知らない仲じゃなかったのに、頼ってくれなかったのは寂しかったわ」
「申し訳ありません」
「まあいいわ。大方あなたの妹のリザと、私の息子である王太子を婚約させたくなかったんでしょう? 聞いたわよ。彼女、好きな相手が居るそうね。それなら王太子が相手とは言え婚約を嫌がるのも無理ないわ。確かにあなたの家の立場じゃ断りにくかったかもしれないけれど、私だって分からず屋じゃないんだから、相談してくれたら良かったのに」
「……申し訳ありません」
「フフッ、何を言ってもあなたを謝らせてしまうから、駄目ね。……ルカ、私はあなたの事を気に入ってるの。だからこそあなたとネヴィオの結婚を楽しみにしていたし、だからこそあなたの妹と息子を結婚させる気になった。それなのに、ネヴィオが全部台無しにしちゃった。私、あなたが義甥になってくれるのが楽しみだったのに、本当に残念」
「僕も、ソフィア王妃殿下と義理とは言え家族になれなかったのは、残念です。あなたのような聡明な人は、滅多にいらっしゃいませんから。……でも、今の夫と結婚できた事は、一切後悔していません。彼のように心身共に素晴らしく、僕の事を心から愛してくれる相手と出会えたのは、またとない僥倖ですから」
 王妃殿下の目を真っ直ぐに見ながら、ハッキリと言い切るルカ。王妃殿下がその強気な態度に気を損ねないかと一瞬だけヒヤッとしたが、それは杞憂だったようだ。王妃殿下は軽く目を見開いて驚きの表情をしたものの、それは直ぐに微笑を湛えたものになる。更にはクスクスと軽い笑い声まで上げていた。
「あら、惚気を聞かされちゃった。新婚っていいわね、見てるこっちまで幸せになっちゃう」
 横でハラハラとした思いでルカと王妃殿下のやり取りを見ていたが、屈託なく笑っていた王妃殿下が不意に俺の方を見た。ルカを見ていた時の視線よりも些か優しさを排除したそれにドキリとしたが、表情には出さない。俺は今、ルカの伴侶として相応しいのか、この人に見定められている。なんとなくだが、直感的にそう思ったからだ。
「ヴィッドルド侯爵」
「はい」
「あなた、ルカのことを愛してらっしゃる?」
「はい、心から」
「それはルカの見た目の美しさに惹かれているのではなくて? 彼の事を1人の人として愛していると言える?」
 成程、どうやら王妃殿下は、俺がルカの見た目に惚れて結婚生活を続けているのではないかと思っていらっしゃるらしい。無理ない事だ。ルカは本当に美しいから。
 別に見た目で惹かれ合うのが悪いとは言わないが、人とは時が経てば変化するものだ。ルカは歳をとっても美しいだろうが、それは若い今と同じ種類の美しさではない。ましてや、もしこれから先突然の事故や病気にでもあってルカの見た目が変わったら? そんな可能性だってある。そうなった時でも、俺がルカを愛する覚悟があるのか、つまりは死ぬまで添い遂げる覚悟があるのか。王妃殿下は、そういった事を確かめたいのだろう。
 ここまで質問の意図が分かっているのだから、俺は『見た目など関係なく、最初からルカの内面に惹かれた』とでも言うべきなのかもしれない。しかし、俺はあえてここで、真実を告げる。取り繕われた嘘よりも、有りの侭の真の方が、俺の思いが正しく伝わると思ったからだ。
「……確かにルカの名前を聞くと、世の人々はその美しさを思い出すかもしれません。俺も最初はそうでした。先ず自分と一緒になってくれるのならそれだけで他には一切望まないと思い、次に彼の美しさに目を惹かれ逆上せ上がったのは事実です。しかし、俺はルカの見た目だけでは止まらず、彼の飾らない心も見ました。純粋で、思い遣り深く、シッカリ自分を持っている、凛として芯の通った、彼の心を。見た目の美しさに隠されて多くの人が見落とすルカのその魂の有り様に、俺は心奪われたのです。始まりは目に見える美しさでも、今の俺は等身大のルカ自身を思い、彼の全てに惚れ込んでいるのです。……俺は確かに、ルカを愛しています」
 王妃殿下は何も言わない。黙って俺の両眼を見詰める。俺も黙って彼女を見詰め返す。どれ程そうしていた事だろう。体感でとても長い時間が経った後、王妃殿下はフッと笑を零した。対外的なものではない、ルカに向けていたのと同じような、心からの笑みだ。
「どうやら、心配する必要はないみたい。ルカ、素敵な旦那様を捕まえたわね。今度2人でお茶でも飲みにいらして。歓迎するわ」
「分かりました。その時にはうちの領地で作っているフルーツをいくつか持ってきますね。とっても美味しいんですよ」
「あら本当? 楽しみだわ、期待しているわね」
 王妃殿下はまた一層優しい笑みを深めて、クスリと笑った。そうしてクルリと踵を返し、コツコツと玉座のある方へと歩いていく。そうしてその途中で、ネヴィオとロレンツォの横で立ち止まった。
「ああ、そうそう。そこの2人は、即刻この城から出ていきなさい。再び王の住まいであるこの敷地に足を踏み入れる事は許さないわ」
 彼等には見向きもせずそれだけ言い置いて、直ぐにまた王妃殿下は歩き出す。そうして今度こそ立ち止まらずに、自分の居るべき場所へと帰っていった。後に残されたのは静まり返った空間だけ。その静けさも次第に緩んで解けていき、やがてまた人々の談笑の声が聞こえ始める。笑顔で語らい合う人々の影で、衛兵に両脇を抱えられたネヴィオとロレンツォが、魂が抜けたまま静かに運ばれて行った。
 貴族の身分を剥奪こそされなかったが、王宮への出入りを禁じられたあの2人は事実上貴族としては終わりだ。出世はできないし、役職にも就けず、表舞台にはもう立てない。これから先短くない人生を、日陰者として過ごす事になる。見放されて家から放逐されたらまだいい方で、これ以上馬鹿をしないよう下手したら死ぬまで部屋に閉じ込められ、いつか死んでも墓が立つかどうかも怪しい。若さ故の愚かさの代償としてはなんとも高くついたが、全ては自業自得。助ける義理もなければその気にもならなかった。
 全ては自分の欲求に従ってルカを言われのない罪で貶めた事に対する天罰だ。自分達がどれ程罪深い事をしてしまったのか、愚かな頭で精一杯考えて気がつけばいい。表舞台に立てないのなら、これからその時間はきっとタップリある。俺は意地悪にもそう思ったのだった。
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