悪役令息の結婚相手として、断罪も兼ねて野獣侯爵と悪名高い俺が選ばれましたが、絶対幸せにします!

我利我利亡者

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 ハァー……。地の底まで届くような深い溜息をつく。応接間のソファに座り込んで項垂れていた頭を上げてボーッと空中を見てから、また項垂れる。ハァー……。そしてまた、もう何度目か分からない溜息を繰り返した。
 婚約者にスゲなくされてからずっと、俺はこうして茫然自失としている。婚約者。美人。あの人と結婚。とんでもない僥倖。冷たくされた。悲しい。そんな考えが断片的に頭の中をグルグルと縦横無尽に駆け巡る。
 やっぱり、婚約者は俺みたいなムサい大男、気に入らなかったのかな。ここまで来て婚約破棄されたらどうしよう。こればっかりは相手の居る事だから俺の頑張りだけではなんともならないし、仕方がないとはいえ、破談になったらそれだけでショック死する自信がある。一目見ただけなのに、俺はもうあの美しい人の虜だった。
「あの……。ヴィッドルド侯爵様。大丈夫、でしょうか……?」
 あんまりにも溜息をつきすぎたらしい。未だ俺に脅えているティエポロにまで、心配されこうして声をかけられる始末。ああ、情けない。
「いや、平気だ。それより、申し送りの続きをしよう」
「そ、そうですね。分かりました」
 俺の言葉に促され、ティエポロは今回の婚姻で必要な伝達事項を口頭で説明したり、書状を渡したり、俺が直筆で書き込まねばならない必要書類を提示したり、といった作業を再開した。際限なく落ち込み続けているよりは気が紛れる気がして、俺もその作業に集中する。
 婚約者のルカさんは屋敷に着くなり、周囲に必要最低限の挨拶だけして彼の為に用意された部屋に引っ込み、そこから出る事も誰かを招き入れる事もしていない。荷物運びですら魔法で荷物を浮かばせて運び、自力で済ませてしまった。アイスブレイクに昼食でも一緒に……とでも思ったが、それも長旅で疲れてるからの一言でアッサリ断られてしまったし……。誰の手も借りず、1人で淡々と全てをこなす美しい婚約者の印象は、嫁入りに来たと言うよりは死を覚悟して敵地に踏み込む兵士のそれだ。その様子を見ていると、夢にまで見た温かな家庭がだんだん遠のいていくのが分かる。ああ、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
「……ヴィッドルド侯爵様。婚約者殿の事が気がかりですか?」
「ん? ああ、いや。うーん……そうだな。彼は慣れない土地に1人で嫁いで来て、緊張しているようだからな。なにか不自由な思いをしていないか、心配だ」
 婚約者は輿入れに際して大勢共の者を連れて来ては居たが、それは全てファルネア公爵家が用意した人員。婚約者の生家のカノーラ公爵家からの使用人は何故か1人も居なかった。引渡しが済めばファルネア公爵家の人間は全員引きあげる予定だし、そうなれば婚約者はこのヴィッドルド侯爵家の屋敷に1人ぼっち。馴染みの人間を1人も連れてこないことを奇妙には思ったが、ティエポロが『ルカ様は甘える先を排除して、背水の陣でヴィッドルド侯爵家に馴染んでいこうと意気込んでおられるのです』と言っていたので、まあ無理にでもそういう事で納得しておく。
 それでもやっぱり、気の置けない間柄の人間を1人くらいは連れてきた方がいいと思うんだけどなぁ。それに、結婚する時に実家から馴染みの使用人を連れてくるのはよくある話だと思うんだが。変に遠慮しているなら、その必要はないししなくていいのだけれど。根を詰めるのもいいが、頑張り過ぎて体調を崩したら本末転倒だし。まあ、折角婚約者が覚悟を決めてくれたんだ。俺がそれに水を差すわけには行かないのだが……。
「ヴィッドルド侯爵様が不安に思われるのも無理ありません。ルカ様の今日の態度は、流石にちょっと、ねぇ……?」
「え? ああ、素っ気ない素振りの事か? いや、別にそれはいいんだ。慣れない場所で彼も緊張していただろうし」
「初めて顔を合わせた時のあの態度の事は勿論、ルカ様は元々あまり宜しくない噂がお有りですから、不安も一入でしょう?」
 あれ? なんか俺の話聞いてなくない? 自分が話したいから話してません? ていうか、婚約者に纏わる宜しくない噂って何? 俺は社交界から締め出されててそういうの一切詳しくないから、同意求められても困るんだけど。色々と困惑してる俺の事をどう見たのだろう。キラリと目を光らせたティエポロが、体を乗り出し声を潜めながらも嬉々として話し始める。
「おや、ご存知ありませんか? それはいけない。これから夫婦になる間柄なのに、を知らないなんて! いえ、ここだけの話なのですけれどね……。カノーラ公爵の三男であるルカ様は、元々は我がファルネア公爵家の嫡子であるご長男のネヴィオ様とご婚約されていたのです。当時、ネヴィオ様は誠実にルカ様と向き合っておられたのですが、ルカ様の方はと言うと……」
 そうして態とらしく表情を曇らせ、言葉を濁すティエポロ。大袈裟な仕草で伏し目がちになってから、チラッとこちらを見る。俺が話に興味を持って、続きを促してくるのを期待しているのが見え見えだ。興味関心を望まれているところ悪いが残念ながら、肝心の俺はといえばあんまりにも演技がかったティエポロの身振り手振りにヒいてしまってそれどころではない。ティエポロは俺から続きを促す声がかかるのを待ってポーズを決めていたが、いつまでも黙ったままの俺に痺れを切らしたらしくまた話し始める。
「本当はこのような事、とてもではありませんが私の口からは申し上げられないのですが……。ヴィッドルド侯爵様はルカ様の婚約者ですからね、真実を知る権利があります。特別にお教えしましょう。ルカ様は、なんと言いますか、生粋の快楽主義者でして。今が楽しければそれでいい、愉悦こそが正義だ、それを追い求める事こそが生きる事において至上の命題だ。という信念を元に、幼い頃から様々な享楽に耽っていたんです。それが狩りや読書など一般的な楽しみの範疇に収まっていたら良かったのですが、長じるにつれて良くない遊びを覚えていってしまわれたようでして……」
 ここでティエポロは1度口を噤む。表向きは何かを言い淀んでいるかのように。実際はここから先口にする事をより印象付けようと、勿体ぶっているのだ。どうだ? 続きが気になるだろう? とでも言いたげにこちらを見たティエポロは、結局俺が何か反応する前に自分が待ちきれなくなってまた口を開く。
「そうですね。端的に申し上げますと、ルカ様は男遊びを覚えてしまわれたのです。ほら、ルカ様はあの見た目でしょう? 美しさを利用して男と見れば誰彼構わず誘惑し、自分の寝室に引っ張りこんで、そこで朝から晩までズーッと、複数人でくんずほぐれつ……」
 ティエポロの言葉に、俺は驚いて目を剥いた。え、それってつまり……。俺の婚約者は夜方面が経験豊富って事!? どうしよう、俺モテなさ過ぎて当然童貞なんだけど!? 性生活を満足させてあげられる気がしないんだが!?
 しかも、夜のお戯れが好きって……。結婚するからには伴侶の責務として、向こうが納得いくまで付き合わなきゃじゃん! いや、別に嫌ってわけじゃないんだけどさ。複数人相手に朝から晩までハッスルする程元気な伴侶を、果たしてこの歳になってまでも全く経験のない俺が満足させてあげられるものなのか? 婚約者の事は大事にしたいと思ってはいるが、それが自分にできるのかと今から不安で仕方がない。
 突然降って湧いた心配事に顔を曇らせる俺を、ティエポロはどうやら変な風に勘違いしたらしい。漸く俺から思ったような反応を引き出せて嬉しいのか、溢れ出す喜びを隠しきれていない中、無理矢理真剣な空気を作ろうとした変な表情で、こちらに身を乗り出す。
「ルカ様は生家であるカノーラ公爵家の権力を使って長い間好き放題。しかし、カノーラ公爵家の後ろ盾を使い、醜聞は揉み消して表向きは清廉潔白な美しい公爵令息として振る舞いました。そうして周囲を騙して、美しく穢れを知らない令息として、まんまとネヴィオ様の婚約者の座に収まったのです。けれど、婚約者ができてからもルカ様の男癖の悪さは収まらず、相変わらず隠れて取っかえ引っ変え。それはルカ様の品行を不審に思ったネヴィオ様に、乱交現場を押えられるまで続きました。ああ、お可哀想なネヴィオ様。婚約者の浮気現場を、それも、寄りにもよって複数人を相手にするところを目撃してしまわれるなんて!」
 ひぇー! 取っかえ引っ変え、それも複数人なんて、俺の婚約者は本当にモテるんだな! ただでさえ俺は非モテなのに、それ程性欲旺盛な彼の相手が務まる気が全くしない。あんた相手だと満足できそうにないから婚約破棄で! なんて言われた日にゃ、絶望のままに首を括ってしまいそうだ。
「婚約者が居る身でありながら不特定多数の相手と淫らな行為をしたのですから、本来であればルカ様は姦通罪に問われて処罰され、上流社会から永久追放されてもおかしくなかった筈です。しかし、ネヴィオ様はそうはしなかった。ルカ様に温情を与え、ルカ様が今後一切不貞行為は行わないという約束と引き換えに、今までの事を不問にして更には自分の婚約者の座もそのままにして差し上げたのです。なんとお優しいんでしょうか! ルカ様もこの裁定に涙を浮かべて感謝したと聞き及んでおります。……しかし、不届きな事にルカ様のその涙は偽りのものでした。密通が露見し監視がついて、今までのように好き勝手色事に耽れなくなったのを不満に思い、あろう事かネヴィオ様を嵌めようとなさったのです!」
「と、言うと?」
「なんと、ネヴィオ様とネヴィオ様と仲のよかったある後輩を、あべこべに姦通罪で訴えようとしたのです! 信じられますか? 罪を犯した自分を寛大な心を持って許してくれた相手を、貶めたんですよ! なんという邪悪さでしょう! 幸い事が表沙汰になる前に目論見が露見して先手を打つことができましたが、ここまでされては流石にネヴィオ様も庇い立てができません。当然婚約関係だってそのままにしておく訳には行かなくなりました。優しいネヴィオ様は心を痛めつつも、自分の身を守り潔白を証明する為、仕方なく学園の卒業記念パーティーの場でルカ様を断罪されました」
 うわぁお、満足させてあげられないと、拗ねちゃって意地悪されるのか。とんだ小悪魔ちゃんだな。俺、被虐性欲の嗜好は持ち合わせてないんだけど、どうしよう。夜の運動、ちゃんと付き合ってあげられるかな? どんどん不安要素が増えていく。いや、彼と結婚したいのならやるしかないんだけどさ。
「結果としてルカ様の悪事が全て明るみになり、ルカ様は社交界を追放、体面的にご実家とも縁を切らざるを得なくなりました。それで今回このようにファルネア公爵家が全面的に取り仕切る形で、輿入れされたのです。事実上、貴族としてのルカ様は死にました。当然、ネヴィオ様とルカ様の婚約は破棄となってしまいましたが、ここでもネヴィオ様は思いやりの心を忘れなかった。温室育ちのルカ様はこのまま市井に放り出されては野垂れ死んでしまうしかなさそうだから、そうならないようにと身を寄せる先を探してさしあげたのです。社交界からは遠く、しかし今までの生活レベルを維持できて、静かに暮らせる場所。そんな条件の元で、今回ヴィッドルド侯爵様の奥方の座に白羽の矢が立ったという訳でございます」
 なんと……。婚約者がそんな苦労をしていたとは。道理で荷物も最低限で嫁入り道具も少なく、馴染みの使用人の1人も連れてきていないわけだ。実家との縁が切れているのなら仕方がない。俺は家族を早くに亡くした分、家族を頼れない辛さは良く分かっているつもりだ。
 確かに領民は俺を慕い、良くしてくれているが、それでも彼等と俺の帰る場所は違う。例えば夜なんかに広い自室で他に誰も居ない現実が、とても辛く思える時があるのだ。あれと同種の寂しさを、婚約者も感じていたら。あの綺麗な人が胸を痛めるのは、想像するだけで悲しくなる。どうか俺が、彼の寂しさを拭ってあげられたらいいのだけれど。
「と、まあそんな訳で、ルカ様はこのヴィッドルド侯爵家に嫁いでこられたわけでございます。お分かりいただけましたか? 何分ルカ様は多情なお方ですので気苦労が多いかもしれませんが、ヴィッドルド侯爵がご自分なりので手綱を取って差し上げれば、直ぐに従順になると思いますよ?」
 ティエポロの助言に、俺は内心首を傾げた。俺なりのやり方で婚約者の手綱を取る? どういう事だ? 俺は馬や犬みたいな家畜を訓練して馴致させるのは得意だけど、人間である婚約者の手綱を取る、とは? 人間って馴致する物じゃなくない? んん?
 どういう事だ……?
 あ! 若しかして、外仕事で鍛えに鍛えたこの体と、有り余る体力を駆使してハッスルしろって事!? それで婚約者を満足させろって事か!? 確かに俺の体力は底なしだ。無限と言ってもいい。そうか、テクがないなら数打ちゃ当たるの精神でトライアンドエラーしつつ最適解を導き出せって事だな!? まさか不安に思っていた夫婦生活のコツがそんな事だったとは! 俺の心の内の不安までお見通しなんて、やっぱり都会の人って凄い! しかも、その解決策まで教えてくれた! 夫婦円満の秘訣を伝授してもらっちゃったぞ!
「侯爵様は嗜虐趣味がおありなのでしょう? ああ、大丈夫。みなまで言わなくてもいいんです。お噂はかねがね伺っておりますから。音に聞こえた貴方様の手腕をもってすれば、ルカ様なんて直ぐに調教できます。遠慮なんていりません。首を絞めようが鞭で痛めつけようが、泣きついて帰る実家などあの男にはないのですから。相手はあの阿婆擦れ。なにをしたって泣いて喜」
「ティエポロ!」
「ハッ、ハイッ!?」
 勢いよく応接用のソファから立ち上がり、相変わらず何事かをベラベラと喋っていたティエポロの手を掴む。彼は俺の恩人だ。親切にも人生の先駆者として、婚約者と俺の夫婦生活を円滑に進める為のヒントを与えてくれた。なんて親切なんだ! いくら礼を言っても言い足りない! 努めて作っていた無表情も忘れて、俺は満面の笑みを浮かべる。
「!? ヒィッ!?」
「有難う、ティエポロ。君のお陰でなんだか胸の閊えが取れたよ。君の助言を活かして、必ずや俺はルカさんと誰もが羨む温かな家庭を築く!」
「ヒ、ヒェ……」
 美しい伴侶に、有難い助言、素晴らしい見通し。ああ、俺の未来は明るい! 待ってろ家族団欒! 待ってろ鴛鴦夫婦生活!
 幸せな空想で胸をいっぱいにする俺は、気が付かなかった。俺に手を握られ笑顔を向けられたティエポロが、恐ろしさのあまり泡を吹いて失神している事に。
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