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おまけ2 後編 (モブ視点)
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「ちょっと、ウルリヒ! オーウェン君のことは諦めろって、どういうことよ!」
ダンッ! と大きな音を立てて姉さんに壁に叩きつけられる。胸ぐらを掴み首元を締め上げるのもおまけ付きで。流石に足は浮かないが、それでもシャツの繊維がギチギチ言うくらい締めあげられればかなり苦しい。小さい頃からの習い症で姉さんの恫喝に萎縮しそうになるが、グッと堪えた。
「どういうことって、まんまの意味さ。オーウェンにはラブラブアツアツで相思相愛の恋人がいるみたいだから、人の恋路を邪魔するのは止めなよ、姉さん」
「なによそれ! ウルリヒの癖に私に命令するなんて、生意気な!」
「俺の口調が気に入らないなら別の言い方を考えるから、オーウェンの事は諦めてよ! あんなに幸せそうに恋人のことを惚気けるオーウェンを見てたら、俺には彼と彼の恋人との邪魔なんてできない!」
いつになく反抗的な俺の態度に、姉さんは怒りでカッと顔を赤くして地団駄を踏んだ。前後にガクガクと揺さぶられるせいで後ろの壁に頭を叩きつけられ、頭がグワングワンする。
「キーッ! なによ! 姉の初恋を応援しないなんて、なんて薄情な弟なのかしら! フンッ! いいわ、もうあんたには頼まない! 自分でなんとかする!」
「な、なんとかって、何する気だよ」
「オーウェン君みたいな素敵な子がフリーだなんて、最初っから思っていないわ。さっきも随分なモテようだったもの。今は他人のものでも構わない。行く行くは私のものにしてしまえばいいんだから」
「おい、何言ってるんだ。止めろよ、姉さん!」
それってオーウェンとサリーさんの仲を引き裂くってことか? そんなの絶対に駄目だ! あんなにもお互いを想いあってる2人を引き離すなんて、そんなことあってはならない!
オーウェンはサリーさんにベタ惚れみたいだし茶々を入れられたからって特に心配はないかもしれないが、サリーさんは別だ。俺達より歳上の大人とはいえ、恋人に横恋慕したよく知りもしない女から嫌がらせを受けたら、さぞや怖い思いをするだろう。俺が姉さんとオーウェンを引き合わせたせいでトラブルになったら、サリーさんに申し訳なさ過ぎる。何がなんでも止めないと。
「姉さん、お願いだから止めてよ。自分さえ良ければ他人はどうなってもいいなんて、姉さんはそんな人じゃなかったろ? 『皆の為にもっと便利に、もっと安価に質のいい色んなものを販売できるようになりたい』って、昔からよく言ってたじゃないか。そんな思いやり深い姉さんはどこに行ったの? あの頃の他人を思いやる気持ちを思い出して」
恋とはここまで人を狂わせるのか。なんと恐ろしい。どうか以前のような優しい……とまでは行かないまでも、昔のようなある程度常識的な人間に戻って欲しくて、悲しい気持ちで姉さんに言い募る。姉さんは一瞬言葉に詰まって何か考えているようだったが、口を開いて何かを言う前にお呼びがかかった。
「ちょっとー! ウルリヒー! アンネー! どこにいるの!? 仕事溜まってるわよ!」
アンネとは下の姉さんの名前だ。呼び声の主は母さん。今は父さんの身の回りの手助けをしながら、代打で店を切り盛りしている。2人して返事もできずに固まっていると、母さんの声と足音が近づいてきた。
「ああ、こんな所にいた! まったくもう、忙しい時に勘弁してちょうだい! あんた達、何を企んでいるのか知らないけど、サボりたいならもっと上手くやりなさいよ」
「べ、別に、サボってたわけじゃ」
「言い訳はいいわ! アンネ、店頭に立ってオーウェン君のサポートしてくれる? 彼、器用でなんでもこなすんだけど、来たばかりで流石に商品知識が乏しくて説明まではあまり手が回らないようだから。ウルリヒはいつもの角にある酒屋まで届け物をして欲しいの。店は少し遠いし、荷物は嵩張るけど、1人で持てない量じゃないから頑張ってね」
母さんはテキパキと俺達に仕事を割振る。いつもならその采配に逆らわないのだが、今はまずい。2人きりではないとはいえ、目的の為なら何をするか分からない姉さんとオーウェンを一緒にするのは、得策とは言えないだろう。
「母さん、その」
「さあ、何をボサッとしているの? 早く行った、行った!」
ああ、駄目だ。俺が口を挟む暇もなく、母さんは話を切り上げ姉さんを連れて店に戻ってしまう。届けて欲しいという荷物と一緒に俺は取り残され、無情にも目の前でバタンと扉が閉められた。今までの経験からいって、こうなるともう母さんは仕事を終えるまで俺を店の中には入れてくれないだろう。
……仕方がない。ここは姉さんが大勢の客や従業員の前でことを起こすような早計な真似をしないと信じよう。さっさと届け物をして店に戻って、もう一度姉さんを説得して見せようじゃないか。姉さんも母さんの手前堂々と仕事をサボってオーウェンにアピールなんてできないだろうし、今は自分の仕事を手早く終わらせてここに戻ってくることだけを考えよう。
そうして俺は、届け物の詰まった箱を持ち上げ、少々離れたところにある酒屋を目ざして歩き出すのだった。
酒屋に荷物を届け、対応してくれた店員の長話をやんわりといなし、帰路に着く。最悪の事態を考えて足取りは重いが、ウダウダしているわけにもいかず殆ど駆け足だ。早く早くと気が急いて道を急ぐあまり、俺は急いで曲がり角を曲がった。そして。
「おっと」
「うわっ!」
ドシン、と勢いよく角の向こうに立っていたらしい誰かにぶつかってしまったのである。あまりにも勢いつけてぶつかったのと、相手の体幹が良すぎてビクともしなかったのもあって、反動で跳ね飛ばされ後ろに尻もちをつく。
「痛た……」
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
ぶつかった相手が慌てた様子で俺の前に屈み込む。この場合どちらかといえば安全確認もせず、勢いよく走って見通しの悪い角を曲がろうとした俺の方に非があるだろうに、少しも怒りもせず謝るなんて。相手に申し訳なく思いながら、顔を上げる。
「いえ、こちらの方こそぶつかってしまって、すみません。お怪我はありませ……」
言葉は最後まで言いきれなかった。何故って? 理由は簡単。相手の目を見てキッチリ謝罪しようと視線を向けた先に居たのが、とんでもない美形だったからだ。
綺麗所はオーウェンで見慣れてると思っていたが、俺もまだまだ甘かった。この人はオーウェンとはまた別のタイプの美人だ。例えるならば、オーウェンが夏に太陽に向かって咲く大輪の向日葵で、この人は冬の夜に月明かりに照らし出される楚々とした新雪といったところか。端的にいえば明るい美形と物静かな綺麗系って奴。顔立ちは少し凡庸かもしれないが十分に整っていると言える部類で、そこに浮かぶ憂いを帯びた表情のせいか、いい意味で人目を引く独特の雰囲気がある。更に色素の薄い髪や目が、儚げでどこか危うい美しさに拍車をかけているようだ。
かと言って貧弱という訳ではなく、先程勢いよく突っ込んできた俺を跳ね飛ばしたことから分かるように、体は立派に鍛え上げられていた。長い手足と全体に満遍なくついた筋肉で、引き締まった体はより美しく見える。服の上からでも余裕で分かる、立派な武人の体だ。色素の薄さやあえかな目鼻立ちの印象と逞しい体つきは対立していたがそれがアンバランスに写るということはなく、むしろそれぞれ両者をより引き立てていた。
「あの……やっぱりどこか痛みますか?」
ああ、声までもが蜂蜜のような甘い響きだ! 美しい人は声まで完璧だとは、畏れ入る。ホウッ、と目の前の麗人の声に聞き惚れかけて、そこで俺はハッと自分を取り戻した。
「い、いえ! 本当に大丈夫ですので!」
「でも、どこかお加減が悪いように見受けられますが」
「ちょっと考え事をしてたものですから、申し訳ありません。あなたの方こそ、どこか怪我をしていませんか? 大分酷くぶつかってしまいました」
慌てて立ち上がり彼の美しさと声の響きに感じ入っていたことを悟られないよう、何とか誤魔化そうとした。幸い、麗人はその事に気がついていないらしく、元気に立ち上がった俺の姿を見て強ばっていた表情を緩ませる。
「いえ、私はこの通り体を鍛えておりますので、掠り傷1つおっていません。むしろ、衝撃を全部弾いてあなたを転ばせてしまいましたから、それでお怪我をされていないか心配です」
ヴッ。……ここまで顔面が美しいと、いっそ凶器だな。不安げな様子で顔を覗き込まれただけなのに、トキメキで心臓が止まるかと思った。何とか表面上だけでも平静を保ちつつ、胸を張り自分は大丈夫だとアピールする。
「いや、ほんとうに大丈夫です。私だって仮にも大人の男ですからね。これくらいじゃなんともありません!」
「それならいいのですけれど……。本当にご無理はなさらないでくださいね?」
あー、顔がいいー! それと、声も! あと性格! オーウェン以外にもこれ程までに天から二物も三物も与えられた人間がいようとは! 天の采配は実に気まぐれだ。しみじみと感心していると、俺は麗人が手に地図を持っている事に気がつく。
「おや、ご旅行ですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが。少し用事があって慣れない場所まで来たのですが、お恥ずかしい話、迷ってしまいまして」
麗人はそう言って照れくさそうに笑ってみせる。その表情を見ていたら、放ってなんかおけない。美しい人を目の前に、オーウェンの為にも早く帰らねばという考えは、最早遠く霞んでしまっていた。いや、ほら、あれだよ! 困ってるのはこの人も同じだし! オーウェンの方はまだ余裕があるから! ……多分。どうやら俺も、姉さんと同じで相手の顔の良し悪しで行動する人間だったらしい。
「よろしければ、ご案内いたしましょうか? 俺はこの町の人間ですから、大抵のところは知っていますよ」
「えっ、いやいやそれはちょっと。ぶつかってしまった上にそんなご迷惑まで」
「むしろ、ぶつかってしまったお詫びですよ。心置きなく頼ってください。このままここでいつまでも迷っていても、大変でしょう?」
「……それもそうですね。では、お言葉に甘えて」
よし、この人を案内する権利を勝ち取ったぞ! これでもう少し一緒にいられる! 意気揚々とした気分で、俺は自分よりも頭数個分背の高い相手の為、少し高い位置に手を差し出す。
「ウルリヒ・ノイマンです」
「私はサルヴァトア・ホークショーです。よろしくお願いします」
名前まで異国情緒溢れた不思議な響きで優雅だなんて! 凄いな、どこまで魅力的なんだ、この人は!? そうして目の前の麗人の美しさにウットリするあまり、俺は気がつけなかった。彼のファミリーネームに、どこか聞き覚えがあることに。
ホークショーさんに行先の住所を教えてもらうと、丁度彼は俺の帰る先の、実家の店がある通りに行きたいらしかった。どこまでも都合がいい。ホークショーさんの都合さえつけば店の前を通って彼の姿を姉さんに見せて、こうして世の中には美しく魅力的な人はオーウェンの他にも沢山いるんだから、彼のことは諦めろと言い含めることができるかもしれないぞ。もっとも、これだけ美しい人間は俺も今まで生きてきた中でオーウェンとホークショーさんの2人しか見た事ないので決してそうそうありふれているわけではないのが問題だけど。
「ホークショーさん、どうしてこの通りに行きたいのか、教えて貰ってもいいですか?」
「いえ、実は……恋人が今日この通りにあるお店で働いてるんです。初出勤で心配なので、余計なお世話と思いつつも、物陰からこっそり見ようと思いまして」
過保護ですよね、と笑うホークショーさん。あー、そっか。やっぱ恋人いるよな、うん。いや、残念とかそういうのじゃなくて! こんな素敵な人と恋人関係になれるとか、お相手さんはどれだけ善行を詰んだんだと思っただけ! それにしても、この様子だとホークショーさんも恋人にベタ惚れだな。なんなの? なんで俺の周りの美形は相手に一途で惚れ込んでるのばっかなんだ?
「いえ、それだけ思われて恋人さんも幸せだと思いますよ。ホークショーさんが好きになるくらいですから、きっと素敵な人なんでしょうね」
「ええ、ええ、そりゃあもう! あの子はこの世で1番魅力的な人ですよ!」
パァッと華やいで顔を綻ばせるイケメン。目が! 眩しすぎて潰れる! 思わず目をシパシパさせる俺に気付いた様子もなく、ホークショーさんは嬉しそうに恋人自慢を始めた。
「私の恋人は私よりも年下で、そのことをちょっと気にしてるのがまた可愛くて」
「ふんふん」
「自分も忙しいだろうに私が家のことをしていると必ず手伝ってくれて、むしろ全部自分に任せてと言ってくれるし」
「ほーう」
「ちょっと気にしいだけど細かいことに気がついて他人を尊重する心を持っていて」
「成程」
「年相応に子供っぽいところもあるけど、ふとした瞬間見せる大人びた顔が堪らなく素敵で」
「それで?」
「私の事を、世界で1番に愛してくれるんです」
頬を赤らめ、恥ずかしそうに顔に手を当てるホークショーさん。恋人のことを思い浮かべているであろうその横顔は、とても幸せそうだ。これだけ魅力的な人にここまで愛されるなんて、お相手はどれだけ可愛いんだろうか。凄く気になる。ホークショーさんが態々心配して見に来るくらいだから、そりゃもうとんでもないんだろうな。
「あ、ここだ! この通りですよ! よかった、ノイマンさんのお陰でようやくたどりつけました! ありがとうございます!」
「ついでですから、恋人さんの働いているというお店も一緒に探しましょうか?」
「いえ、それが、あの子から店の名前とか、詳しいことは聞いてなくて」
「それなら、私の働いてる店まで行って、母にここの通りにある店で新しく今日から人を雇い入れたところがないか聞いてみましょう。母はここら辺の店の女将さん方のまとめ役なので、情報通なんです」
「ああ、何から何までご親切にありがとうございます、ノイマンさん」
「いえいえ。これくらいどうってことありません」
仕事から帰ってくるのが遅いと母さんには怒られそうだけど、ホークショーさんの相手ができるのなら納得の犠牲だ。彼には溺愛している恋人がいるみたいだけど、傍からヒッソリ眺めるくらい許して欲しい。
「ほら、見えてきた。あそこが私の実家で今私が働いている『ノイマン商店』です。……って、うわぁ、こりゃまた凄い人集りだ」
さっきよりももっと酷い人集りだ。人だかりに驚いてやって来ていた警備兵が、最早交通整理してるよ。オーウェンを一目見ようと集まったのであろう人々が、長蛇の列を作っている。これ本当に商売できてるのか? ただの握手会になってない? 店に近づくだけで一苦労だ。
「凄い、ノイマンさんのご実家はとても繁盛していらっしゃるのですね」
「いえ、いつもはこんなに人は来ないのですが、今日は俺が友達に手伝いを頼んだんですけど、そいつがあんまりにも美形過ぎて、それを見る為に人が集まって、こんな有様に。それにしても酷いな。午前よりも人が増えてる」
八百屋の堅物のクラウスや、花屋の看板娘で皆のマドンナのゲルダもいる。お前ら自分の仕事ほっぽっていいのかよ。俺が言えた口じゃないが、ちゃんと働け! 人混みをどう乗り越えようかと思案していると、ホークショーさんを見た野次馬達の間にざわめきが広がる。まずいな、どうやらここにも絶世の美形がいることを気が付かれてしまったようだ。
「ホークショーさん、仕方がないですからこの人混みをかき分けていきましょう。少し顔を隠しておいて、俺の後ろを着いてきてください」
言われるがままホークショーさんが顔を隠したのを確認してから、大声を張り上げる。
「さあ、俺はノイマン商店の店員だよ! このままじゃ店に帰れないじゃないか! お願いだから通してくれ!」
はいはい、どいたどいた、と人ごみを掻き分け前に進んだ。チラッと後ろを見遣れば、ホークショーさんは顔を隠したまま付かず離れずの距離を着いてきてくれていた。よし、行きはこの調子で突っ切って、帰りは裏口から送ろう。とてもじゃないが、もう1度この人混みの中を進む元気はない。やがて何度も声を出し過ぎて喉が痛くなってきた頃。ようやく目の前にあった人の壁が途切れた。
「よし、何とか乗りきった。大丈夫ですか、ホークショーさ」
「サリー?」
ホークショーさんにかけた心配の言葉は、途中で遮られる。遮ったのは、他でもないオーウェンの声。ハッとして声のする方を見れば、お客さんに商品を手渡す格好のまま固まってこちらを見る、オーウェンの姿が。その顔には驚きと戸惑いの表情が張り付いている。
「サリー、どうしてあなたがここに?」
再び、オーウェンが口を開く。今度は先程よりも困惑の響きを深めて。どういう事だ? サリーって、確かオーウェンの恋人の名前だったよな。どうしてこちらを向いてその名前を呼ぶ?
慌てて後ろを振り返り当たりを見渡すが、そこにいるのは一目オーウェンを見ようと野次馬根性で集まった、見知ったここらの住人達ばかり。どこにもオーウェンの恋人らしき人影は見当たらない。
……いや、1人、知り合ったばかりで素性がよく知れない人がいた。ホークショーさんだ。でも彼は美人ではあるけれど、確かサルヴァトアという名前で、男の人だ。オーウェンの恋人は綺麗な年上のお姉様。当てはまらないような……ん?
ちょっと待て、ホークショー? 前のもその苗字を聞いたことがある。確か、学校の入学式。入試の点数トップの新入生総代が、そんなファミリーネームだったような。異国の響きを持った名前だったから、覚えてる。そして、その新入生総代とは、オーウェンの事で……。
オーウェン・ホークショーと、サルヴァトア・ホークショー。同じ苗字。今日働き始めたというオーウェンと、ホークショーさんの恋人。オーウェンの恋人は年上で、ホークショーさんの恋人は年下。これってつまり……。
「……ごめん、オーウェン。あなたが上手くやってるか心配で、ついつい見に来ちゃった。迷惑だったかな?」
ああ、やっぱり! ホークショーさんとオーウェンは、恋人関係だった! サルヴァトアって、サリーって愛称があるんだね。異国の名前だから分からなかった。よく考えたらオーウェンも恋人が女性だとは一言も言ってなかったしな。2人の関係について衝撃はあるが、驚きは少ない。だってそうだ。こんな美しくて完璧な2人なら、物凄く納得でお似合いだもの。
オーウェンは手に持っていた商品をお客さんにやんわり押し付け、慌ててホークショーさんのところに駆け寄る。そして勢いもそのままにホークショーさんに抱きつき、顔を覗き込んだ。
「もう、サリー! あなたが来てくれるなんて、嬉しいサプライズだ! 迷惑だなんて思わない、全然構わないよ! でも、今日は勤め先の小学校が校外学習の日で、サリーも教師の1人として引率をするんじゃなかった?」
「それは校外学習で行く予定だった所が急な天候不良で別日に延期になったんだ。今日のところは早めにお弁当だけ食べて、解散になっちゃった。それで、折角暇ができたんだからオーウェンが新しいことに挑戦してなにか困っていないか心配で、見に来たんだよ」
「それは大丈夫。ここの人達はみんな親切で助けて貰ってばっかりだから。それにしても、心配だからってここまで来ちゃうなんて、サリーは本当に俺のことが好きなんだね」
「そんなの、当たり前だろ。何を今更」
「今更でも、嬉しいから何度でも再確認したいの」
2人は互いに相手の腰に腕を搦め、体を密着させ、至近距離で見つめ合いながら囁きあう。漂うのは甘ったるい雰囲気。その目には恋人のことしか写していない。なんというか、完全に2人の世界だ。見ているだけで、滅茶苦茶好き合ってるのが伝わってくる。
「ああ、ウルリヒ。君が俺のサリーをここまで案内してくれたのかい? ありがとう、礼を言うよ」
「オ、オーウェン。その人はやっぱり……」
「紹介がまだだったね。改めまして、彼は俺の恋人のサリーさ。とっても美人だろ? 見た目だけじゃなく、中身もすんごく素敵な人なんだぜ」
「もう、オーウェン。恥ずかしいよ」
「これくらい、いいじゃないか。俺の大切な人を、もっと自慢させておくれ」
そう言ってホークショーさんを引き寄せ、軽くキスをするオーウェン。ホークショーさんは顔を赤らめながらも、オーウェンにキスを返す。ウットリと見つめ合う2人。そのまま益々密着する。バ、バカップルだ……。
「オーウェンも、中身も外見もとってもかっこよくて男前だよ」
「煽ててもなんにも出ないぜ」
「煽ててるんじゃなくて、本心さ」
これだけ堂々と目の前でイチャつかれると普通ならゲンナリとして吐き気を催しても仕方がないのだが、美形同士が仲睦まじくしている光景はとても麗しく、不快感はない。美形パワー恐るべし。いや、人のアツアツっぷりを間近で見せられて、ゲンナリはするんだけどさ。
「あー、2人共、恋人に会えて嬉しいのは分かるけど、ここでは止めようか? 人が見てるよ?」
「俺としてはむしろこの愛しい恋人の存在を世界中に自慢して回りたいんだが」
「もう、オーウェンってば! ……でも、俺も同じ気持ちだよ」
「サリー……」
「オーウェン……」
「お願いだから止めてくれ」
涙目の俺の懇願に、愛し合う2人は渋々体を離す。しかし、ちゃっかり手を繋ぐのは忘れない。指を絡ませあい、幸せそうに見つめあって、本当に相手のことしか眼中にないみたいだな。オーウェンの恋人は恥ずかしがりであまり外で言いふらさないようにしているって話はどうしたんですか、ホークショーさん! あれは恋人を独り占めする為の方便か? メッチャ見せびらかしとるやんけ!
一先ず2人を店奥に引っ込ませる。オーウェン目当てのお客さんは全員帰らせた。これからが面白そうなのに、と多少文句を言われたが、売るものがもうなくなっていたので仕方がない。今までにない売上で、母さんはホクホク顔だ。皆で手早く店仕舞いをし、どこか放心している下の姉さんを連れて、相変わらずイチャついている2人のところに戻った。
「取り敢えず、今日はありがとう、オーウェン。お陰で今日1日だけで店の在庫はスッカラカン、向こう半月分は売り上げたよ。バイト代には色をつけておくね」
「本当かい? 嬉しいな、ありがとう」
「オーウェン、欲しいものがあるなら言っておくれよ。オーウェンの進学に合わせて街中に引越ししたついでに転職して公僕になったから、俺の稼ぎだって少ないわけじゃないんだから」
「でも、サリー。何でもかんでもあなたにおんぶにだっこは俺の男としての矜持が許さないよ。それに、これは本当は秘密だったんだけど……今回俺はあなたへのプレゼントを買いたいんだ。それなら資金は自分の稼ぎから出さないと意味がないだろ?」
「ええっ、本当? それは嬉しいな。楽しみにしているね!」
喜んで破顔するホークショーさんを、愛しげに見つめるオーウェン。ただラブラブしているだけなのに、美形2人がやるとそんな姿さえも絵になる。
「……2人は同じファミリーネームみたいですけど、血縁関係なのかしら?」
「おい、姉さん」
ハートを飛ばしている2人を虚脱感に苛まれながら見ていると、黙って2人を睨んでいるだけだった姉さんが横から口を挟んだ。この国は愛し合う2人の関係には寛容で、同性愛や近親相姦にもわりかし理解がある方だが、それでもあまり近過ぎる血縁関係で愛し合うのは倦厭される。大方姉さんは2人が同じファミリーネームなことから、その近過ぎる血縁関係であることを狙って、それを理由に2人の仲を引き裂けないか目論んでいるのだろう。どう見ても2人は似ていないからあったとしても遠縁だろうに、往生際の悪い。慌てて諌めようとするが、それより先にオーウェンが呆気からんと答える。
「いえ、違います。俺達は血の繋がりなんてない、全くの他人ですよ」
「なら、どうしてファミリーネームが同じなのかしら?」
「ああ、それは俺達が書類上結婚しているからですね」
「えぇっ!?」
け、け、け、結婚!? オーウェンと、ホークショーさんが!? 結婚!? どういう事だ!? さっき恋人って言ってなかったか!? それなのに一足飛びに、結婚してるだって!?
驚きでずっこけそうになる。愕然としたのは姉さんも同じだったらしい。後ろでガタンッ、と大きな物音を立てていた。ちょっかいをかけようとして思わぬボディーブローを食らったのだろう。ここで懲りればいいものを、めげないのが恋する乙女の執念深さというか。俺が驚きで呆然としている間に一足早く立ち直った姉さんは、震える声でオーウェンにまた質問をなげかける。
「しょ、書類上ってことは契約結婚かなにかかしら? 対外的に恋人と言ってるのも、繋がりはあっても夫婦として気持ちは通じていないから仕方なくってこと?」
「いえいえ、結婚するくらいですから、当然深く愛し合っていますとも。俺が15で成人した時に、一生をかけて幸せにするから、ずっとあなたの隣にいてもいいという証として結婚して欲しい、とサリーに泣いて頼み込んで籍を入れてもらったんです。とは言っても俺はまだ若く学生で稼ぎもない。サリーに頼りきりになるのは嫌だったので、俺からサリーに結婚指輪と挙式をプレゼントできるようになるまで、周囲には夫婦ではなく恋人で通しておこうという話になったんです。我慢できなくて先に籍だけは入れさせてもらいましたが、これは俺なりのケジメなんですよ」
ホークショーさんの左の薬指にキスをして、ニコニコと笑うオーウェン。それにまた頬を染めるホークショーさん。2人はイチャイチャとじゃれ合う。
チラッと後ろを見遣れば、完璧に燃え尽きた姉さんが。当然だ。これだけ相思相愛っぷりを供給過多なくらい見せつけられれば、誰だって諦めがつく。まあ、初恋が叶わなかったのは可哀想だが、いささか暴走気味だった姉さんにはいい薬になるだろう。
「……その時が来たら、いいジュエリーショップを紹介してやるよ。こうして商売やってるから、ツテはあるんだ」
「本当かい? ウルリヒは優しいな。ありがとう!」
屈託なく微笑むオーウェンの、邪気のなさといったら。隣で彼に寄り添うホークショーさんの幸せいっぱいな様子と相まって、いっそ神々しい。本当にお似合いの2人だ。この様子を見せられたら、2人の仲を引き裂こうとする不埒者はもう現れないだろうな。
今日は大分騒ぎになったし、休み明けにはきっと学校で質問攻めにあうぞ。いや、休み中にも話を聞きにシンパが押し寄せるかも。そのことに少し気分が遠くなったが、姉さんが失礼な態度をとったお詫びと思って、甘んじて受け入れよう。
真っ白になった姉さんを背に、愛を囁きあう恋人達を見つめながら、俺は苦笑を漏らしつつ、さて、遅ればせながらも結婚のお祝いは何がいいかな? と考えるのだった。
ダンッ! と大きな音を立てて姉さんに壁に叩きつけられる。胸ぐらを掴み首元を締め上げるのもおまけ付きで。流石に足は浮かないが、それでもシャツの繊維がギチギチ言うくらい締めあげられればかなり苦しい。小さい頃からの習い症で姉さんの恫喝に萎縮しそうになるが、グッと堪えた。
「どういうことって、まんまの意味さ。オーウェンにはラブラブアツアツで相思相愛の恋人がいるみたいだから、人の恋路を邪魔するのは止めなよ、姉さん」
「なによそれ! ウルリヒの癖に私に命令するなんて、生意気な!」
「俺の口調が気に入らないなら別の言い方を考えるから、オーウェンの事は諦めてよ! あんなに幸せそうに恋人のことを惚気けるオーウェンを見てたら、俺には彼と彼の恋人との邪魔なんてできない!」
いつになく反抗的な俺の態度に、姉さんは怒りでカッと顔を赤くして地団駄を踏んだ。前後にガクガクと揺さぶられるせいで後ろの壁に頭を叩きつけられ、頭がグワングワンする。
「キーッ! なによ! 姉の初恋を応援しないなんて、なんて薄情な弟なのかしら! フンッ! いいわ、もうあんたには頼まない! 自分でなんとかする!」
「な、なんとかって、何する気だよ」
「オーウェン君みたいな素敵な子がフリーだなんて、最初っから思っていないわ。さっきも随分なモテようだったもの。今は他人のものでも構わない。行く行くは私のものにしてしまえばいいんだから」
「おい、何言ってるんだ。止めろよ、姉さん!」
それってオーウェンとサリーさんの仲を引き裂くってことか? そんなの絶対に駄目だ! あんなにもお互いを想いあってる2人を引き離すなんて、そんなことあってはならない!
オーウェンはサリーさんにベタ惚れみたいだし茶々を入れられたからって特に心配はないかもしれないが、サリーさんは別だ。俺達より歳上の大人とはいえ、恋人に横恋慕したよく知りもしない女から嫌がらせを受けたら、さぞや怖い思いをするだろう。俺が姉さんとオーウェンを引き合わせたせいでトラブルになったら、サリーさんに申し訳なさ過ぎる。何がなんでも止めないと。
「姉さん、お願いだから止めてよ。自分さえ良ければ他人はどうなってもいいなんて、姉さんはそんな人じゃなかったろ? 『皆の為にもっと便利に、もっと安価に質のいい色んなものを販売できるようになりたい』って、昔からよく言ってたじゃないか。そんな思いやり深い姉さんはどこに行ったの? あの頃の他人を思いやる気持ちを思い出して」
恋とはここまで人を狂わせるのか。なんと恐ろしい。どうか以前のような優しい……とまでは行かないまでも、昔のようなある程度常識的な人間に戻って欲しくて、悲しい気持ちで姉さんに言い募る。姉さんは一瞬言葉に詰まって何か考えているようだったが、口を開いて何かを言う前にお呼びがかかった。
「ちょっとー! ウルリヒー! アンネー! どこにいるの!? 仕事溜まってるわよ!」
アンネとは下の姉さんの名前だ。呼び声の主は母さん。今は父さんの身の回りの手助けをしながら、代打で店を切り盛りしている。2人して返事もできずに固まっていると、母さんの声と足音が近づいてきた。
「ああ、こんな所にいた! まったくもう、忙しい時に勘弁してちょうだい! あんた達、何を企んでいるのか知らないけど、サボりたいならもっと上手くやりなさいよ」
「べ、別に、サボってたわけじゃ」
「言い訳はいいわ! アンネ、店頭に立ってオーウェン君のサポートしてくれる? 彼、器用でなんでもこなすんだけど、来たばかりで流石に商品知識が乏しくて説明まではあまり手が回らないようだから。ウルリヒはいつもの角にある酒屋まで届け物をして欲しいの。店は少し遠いし、荷物は嵩張るけど、1人で持てない量じゃないから頑張ってね」
母さんはテキパキと俺達に仕事を割振る。いつもならその采配に逆らわないのだが、今はまずい。2人きりではないとはいえ、目的の為なら何をするか分からない姉さんとオーウェンを一緒にするのは、得策とは言えないだろう。
「母さん、その」
「さあ、何をボサッとしているの? 早く行った、行った!」
ああ、駄目だ。俺が口を挟む暇もなく、母さんは話を切り上げ姉さんを連れて店に戻ってしまう。届けて欲しいという荷物と一緒に俺は取り残され、無情にも目の前でバタンと扉が閉められた。今までの経験からいって、こうなるともう母さんは仕事を終えるまで俺を店の中には入れてくれないだろう。
……仕方がない。ここは姉さんが大勢の客や従業員の前でことを起こすような早計な真似をしないと信じよう。さっさと届け物をして店に戻って、もう一度姉さんを説得して見せようじゃないか。姉さんも母さんの手前堂々と仕事をサボってオーウェンにアピールなんてできないだろうし、今は自分の仕事を手早く終わらせてここに戻ってくることだけを考えよう。
そうして俺は、届け物の詰まった箱を持ち上げ、少々離れたところにある酒屋を目ざして歩き出すのだった。
酒屋に荷物を届け、対応してくれた店員の長話をやんわりといなし、帰路に着く。最悪の事態を考えて足取りは重いが、ウダウダしているわけにもいかず殆ど駆け足だ。早く早くと気が急いて道を急ぐあまり、俺は急いで曲がり角を曲がった。そして。
「おっと」
「うわっ!」
ドシン、と勢いよく角の向こうに立っていたらしい誰かにぶつかってしまったのである。あまりにも勢いつけてぶつかったのと、相手の体幹が良すぎてビクともしなかったのもあって、反動で跳ね飛ばされ後ろに尻もちをつく。
「痛た……」
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
ぶつかった相手が慌てた様子で俺の前に屈み込む。この場合どちらかといえば安全確認もせず、勢いよく走って見通しの悪い角を曲がろうとした俺の方に非があるだろうに、少しも怒りもせず謝るなんて。相手に申し訳なく思いながら、顔を上げる。
「いえ、こちらの方こそぶつかってしまって、すみません。お怪我はありませ……」
言葉は最後まで言いきれなかった。何故って? 理由は簡単。相手の目を見てキッチリ謝罪しようと視線を向けた先に居たのが、とんでもない美形だったからだ。
綺麗所はオーウェンで見慣れてると思っていたが、俺もまだまだ甘かった。この人はオーウェンとはまた別のタイプの美人だ。例えるならば、オーウェンが夏に太陽に向かって咲く大輪の向日葵で、この人は冬の夜に月明かりに照らし出される楚々とした新雪といったところか。端的にいえば明るい美形と物静かな綺麗系って奴。顔立ちは少し凡庸かもしれないが十分に整っていると言える部類で、そこに浮かぶ憂いを帯びた表情のせいか、いい意味で人目を引く独特の雰囲気がある。更に色素の薄い髪や目が、儚げでどこか危うい美しさに拍車をかけているようだ。
かと言って貧弱という訳ではなく、先程勢いよく突っ込んできた俺を跳ね飛ばしたことから分かるように、体は立派に鍛え上げられていた。長い手足と全体に満遍なくついた筋肉で、引き締まった体はより美しく見える。服の上からでも余裕で分かる、立派な武人の体だ。色素の薄さやあえかな目鼻立ちの印象と逞しい体つきは対立していたがそれがアンバランスに写るということはなく、むしろそれぞれ両者をより引き立てていた。
「あの……やっぱりどこか痛みますか?」
ああ、声までもが蜂蜜のような甘い響きだ! 美しい人は声まで完璧だとは、畏れ入る。ホウッ、と目の前の麗人の声に聞き惚れかけて、そこで俺はハッと自分を取り戻した。
「い、いえ! 本当に大丈夫ですので!」
「でも、どこかお加減が悪いように見受けられますが」
「ちょっと考え事をしてたものですから、申し訳ありません。あなたの方こそ、どこか怪我をしていませんか? 大分酷くぶつかってしまいました」
慌てて立ち上がり彼の美しさと声の響きに感じ入っていたことを悟られないよう、何とか誤魔化そうとした。幸い、麗人はその事に気がついていないらしく、元気に立ち上がった俺の姿を見て強ばっていた表情を緩ませる。
「いえ、私はこの通り体を鍛えておりますので、掠り傷1つおっていません。むしろ、衝撃を全部弾いてあなたを転ばせてしまいましたから、それでお怪我をされていないか心配です」
ヴッ。……ここまで顔面が美しいと、いっそ凶器だな。不安げな様子で顔を覗き込まれただけなのに、トキメキで心臓が止まるかと思った。何とか表面上だけでも平静を保ちつつ、胸を張り自分は大丈夫だとアピールする。
「いや、ほんとうに大丈夫です。私だって仮にも大人の男ですからね。これくらいじゃなんともありません!」
「それならいいのですけれど……。本当にご無理はなさらないでくださいね?」
あー、顔がいいー! それと、声も! あと性格! オーウェン以外にもこれ程までに天から二物も三物も与えられた人間がいようとは! 天の采配は実に気まぐれだ。しみじみと感心していると、俺は麗人が手に地図を持っている事に気がつく。
「おや、ご旅行ですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが。少し用事があって慣れない場所まで来たのですが、お恥ずかしい話、迷ってしまいまして」
麗人はそう言って照れくさそうに笑ってみせる。その表情を見ていたら、放ってなんかおけない。美しい人を目の前に、オーウェンの為にも早く帰らねばという考えは、最早遠く霞んでしまっていた。いや、ほら、あれだよ! 困ってるのはこの人も同じだし! オーウェンの方はまだ余裕があるから! ……多分。どうやら俺も、姉さんと同じで相手の顔の良し悪しで行動する人間だったらしい。
「よろしければ、ご案内いたしましょうか? 俺はこの町の人間ですから、大抵のところは知っていますよ」
「えっ、いやいやそれはちょっと。ぶつかってしまった上にそんなご迷惑まで」
「むしろ、ぶつかってしまったお詫びですよ。心置きなく頼ってください。このままここでいつまでも迷っていても、大変でしょう?」
「……それもそうですね。では、お言葉に甘えて」
よし、この人を案内する権利を勝ち取ったぞ! これでもう少し一緒にいられる! 意気揚々とした気分で、俺は自分よりも頭数個分背の高い相手の為、少し高い位置に手を差し出す。
「ウルリヒ・ノイマンです」
「私はサルヴァトア・ホークショーです。よろしくお願いします」
名前まで異国情緒溢れた不思議な響きで優雅だなんて! 凄いな、どこまで魅力的なんだ、この人は!? そうして目の前の麗人の美しさにウットリするあまり、俺は気がつけなかった。彼のファミリーネームに、どこか聞き覚えがあることに。
ホークショーさんに行先の住所を教えてもらうと、丁度彼は俺の帰る先の、実家の店がある通りに行きたいらしかった。どこまでも都合がいい。ホークショーさんの都合さえつけば店の前を通って彼の姿を姉さんに見せて、こうして世の中には美しく魅力的な人はオーウェンの他にも沢山いるんだから、彼のことは諦めろと言い含めることができるかもしれないぞ。もっとも、これだけ美しい人間は俺も今まで生きてきた中でオーウェンとホークショーさんの2人しか見た事ないので決してそうそうありふれているわけではないのが問題だけど。
「ホークショーさん、どうしてこの通りに行きたいのか、教えて貰ってもいいですか?」
「いえ、実は……恋人が今日この通りにあるお店で働いてるんです。初出勤で心配なので、余計なお世話と思いつつも、物陰からこっそり見ようと思いまして」
過保護ですよね、と笑うホークショーさん。あー、そっか。やっぱ恋人いるよな、うん。いや、残念とかそういうのじゃなくて! こんな素敵な人と恋人関係になれるとか、お相手さんはどれだけ善行を詰んだんだと思っただけ! それにしても、この様子だとホークショーさんも恋人にベタ惚れだな。なんなの? なんで俺の周りの美形は相手に一途で惚れ込んでるのばっかなんだ?
「いえ、それだけ思われて恋人さんも幸せだと思いますよ。ホークショーさんが好きになるくらいですから、きっと素敵な人なんでしょうね」
「ええ、ええ、そりゃあもう! あの子はこの世で1番魅力的な人ですよ!」
パァッと華やいで顔を綻ばせるイケメン。目が! 眩しすぎて潰れる! 思わず目をシパシパさせる俺に気付いた様子もなく、ホークショーさんは嬉しそうに恋人自慢を始めた。
「私の恋人は私よりも年下で、そのことをちょっと気にしてるのがまた可愛くて」
「ふんふん」
「自分も忙しいだろうに私が家のことをしていると必ず手伝ってくれて、むしろ全部自分に任せてと言ってくれるし」
「ほーう」
「ちょっと気にしいだけど細かいことに気がついて他人を尊重する心を持っていて」
「成程」
「年相応に子供っぽいところもあるけど、ふとした瞬間見せる大人びた顔が堪らなく素敵で」
「それで?」
「私の事を、世界で1番に愛してくれるんです」
頬を赤らめ、恥ずかしそうに顔に手を当てるホークショーさん。恋人のことを思い浮かべているであろうその横顔は、とても幸せそうだ。これだけ魅力的な人にここまで愛されるなんて、お相手はどれだけ可愛いんだろうか。凄く気になる。ホークショーさんが態々心配して見に来るくらいだから、そりゃもうとんでもないんだろうな。
「あ、ここだ! この通りですよ! よかった、ノイマンさんのお陰でようやくたどりつけました! ありがとうございます!」
「ついでですから、恋人さんの働いているというお店も一緒に探しましょうか?」
「いえ、それが、あの子から店の名前とか、詳しいことは聞いてなくて」
「それなら、私の働いてる店まで行って、母にここの通りにある店で新しく今日から人を雇い入れたところがないか聞いてみましょう。母はここら辺の店の女将さん方のまとめ役なので、情報通なんです」
「ああ、何から何までご親切にありがとうございます、ノイマンさん」
「いえいえ。これくらいどうってことありません」
仕事から帰ってくるのが遅いと母さんには怒られそうだけど、ホークショーさんの相手ができるのなら納得の犠牲だ。彼には溺愛している恋人がいるみたいだけど、傍からヒッソリ眺めるくらい許して欲しい。
「ほら、見えてきた。あそこが私の実家で今私が働いている『ノイマン商店』です。……って、うわぁ、こりゃまた凄い人集りだ」
さっきよりももっと酷い人集りだ。人だかりに驚いてやって来ていた警備兵が、最早交通整理してるよ。オーウェンを一目見ようと集まったのであろう人々が、長蛇の列を作っている。これ本当に商売できてるのか? ただの握手会になってない? 店に近づくだけで一苦労だ。
「凄い、ノイマンさんのご実家はとても繁盛していらっしゃるのですね」
「いえ、いつもはこんなに人は来ないのですが、今日は俺が友達に手伝いを頼んだんですけど、そいつがあんまりにも美形過ぎて、それを見る為に人が集まって、こんな有様に。それにしても酷いな。午前よりも人が増えてる」
八百屋の堅物のクラウスや、花屋の看板娘で皆のマドンナのゲルダもいる。お前ら自分の仕事ほっぽっていいのかよ。俺が言えた口じゃないが、ちゃんと働け! 人混みをどう乗り越えようかと思案していると、ホークショーさんを見た野次馬達の間にざわめきが広がる。まずいな、どうやらここにも絶世の美形がいることを気が付かれてしまったようだ。
「ホークショーさん、仕方がないですからこの人混みをかき分けていきましょう。少し顔を隠しておいて、俺の後ろを着いてきてください」
言われるがままホークショーさんが顔を隠したのを確認してから、大声を張り上げる。
「さあ、俺はノイマン商店の店員だよ! このままじゃ店に帰れないじゃないか! お願いだから通してくれ!」
はいはい、どいたどいた、と人ごみを掻き分け前に進んだ。チラッと後ろを見遣れば、ホークショーさんは顔を隠したまま付かず離れずの距離を着いてきてくれていた。よし、行きはこの調子で突っ切って、帰りは裏口から送ろう。とてもじゃないが、もう1度この人混みの中を進む元気はない。やがて何度も声を出し過ぎて喉が痛くなってきた頃。ようやく目の前にあった人の壁が途切れた。
「よし、何とか乗りきった。大丈夫ですか、ホークショーさ」
「サリー?」
ホークショーさんにかけた心配の言葉は、途中で遮られる。遮ったのは、他でもないオーウェンの声。ハッとして声のする方を見れば、お客さんに商品を手渡す格好のまま固まってこちらを見る、オーウェンの姿が。その顔には驚きと戸惑いの表情が張り付いている。
「サリー、どうしてあなたがここに?」
再び、オーウェンが口を開く。今度は先程よりも困惑の響きを深めて。どういう事だ? サリーって、確かオーウェンの恋人の名前だったよな。どうしてこちらを向いてその名前を呼ぶ?
慌てて後ろを振り返り当たりを見渡すが、そこにいるのは一目オーウェンを見ようと野次馬根性で集まった、見知ったここらの住人達ばかり。どこにもオーウェンの恋人らしき人影は見当たらない。
……いや、1人、知り合ったばかりで素性がよく知れない人がいた。ホークショーさんだ。でも彼は美人ではあるけれど、確かサルヴァトアという名前で、男の人だ。オーウェンの恋人は綺麗な年上のお姉様。当てはまらないような……ん?
ちょっと待て、ホークショー? 前のもその苗字を聞いたことがある。確か、学校の入学式。入試の点数トップの新入生総代が、そんなファミリーネームだったような。異国の響きを持った名前だったから、覚えてる。そして、その新入生総代とは、オーウェンの事で……。
オーウェン・ホークショーと、サルヴァトア・ホークショー。同じ苗字。今日働き始めたというオーウェンと、ホークショーさんの恋人。オーウェンの恋人は年上で、ホークショーさんの恋人は年下。これってつまり……。
「……ごめん、オーウェン。あなたが上手くやってるか心配で、ついつい見に来ちゃった。迷惑だったかな?」
ああ、やっぱり! ホークショーさんとオーウェンは、恋人関係だった! サルヴァトアって、サリーって愛称があるんだね。異国の名前だから分からなかった。よく考えたらオーウェンも恋人が女性だとは一言も言ってなかったしな。2人の関係について衝撃はあるが、驚きは少ない。だってそうだ。こんな美しくて完璧な2人なら、物凄く納得でお似合いだもの。
オーウェンは手に持っていた商品をお客さんにやんわり押し付け、慌ててホークショーさんのところに駆け寄る。そして勢いもそのままにホークショーさんに抱きつき、顔を覗き込んだ。
「もう、サリー! あなたが来てくれるなんて、嬉しいサプライズだ! 迷惑だなんて思わない、全然構わないよ! でも、今日は勤め先の小学校が校外学習の日で、サリーも教師の1人として引率をするんじゃなかった?」
「それは校外学習で行く予定だった所が急な天候不良で別日に延期になったんだ。今日のところは早めにお弁当だけ食べて、解散になっちゃった。それで、折角暇ができたんだからオーウェンが新しいことに挑戦してなにか困っていないか心配で、見に来たんだよ」
「それは大丈夫。ここの人達はみんな親切で助けて貰ってばっかりだから。それにしても、心配だからってここまで来ちゃうなんて、サリーは本当に俺のことが好きなんだね」
「そんなの、当たり前だろ。何を今更」
「今更でも、嬉しいから何度でも再確認したいの」
2人は互いに相手の腰に腕を搦め、体を密着させ、至近距離で見つめ合いながら囁きあう。漂うのは甘ったるい雰囲気。その目には恋人のことしか写していない。なんというか、完全に2人の世界だ。見ているだけで、滅茶苦茶好き合ってるのが伝わってくる。
「ああ、ウルリヒ。君が俺のサリーをここまで案内してくれたのかい? ありがとう、礼を言うよ」
「オ、オーウェン。その人はやっぱり……」
「紹介がまだだったね。改めまして、彼は俺の恋人のサリーさ。とっても美人だろ? 見た目だけじゃなく、中身もすんごく素敵な人なんだぜ」
「もう、オーウェン。恥ずかしいよ」
「これくらい、いいじゃないか。俺の大切な人を、もっと自慢させておくれ」
そう言ってホークショーさんを引き寄せ、軽くキスをするオーウェン。ホークショーさんは顔を赤らめながらも、オーウェンにキスを返す。ウットリと見つめ合う2人。そのまま益々密着する。バ、バカップルだ……。
「オーウェンも、中身も外見もとってもかっこよくて男前だよ」
「煽ててもなんにも出ないぜ」
「煽ててるんじゃなくて、本心さ」
これだけ堂々と目の前でイチャつかれると普通ならゲンナリとして吐き気を催しても仕方がないのだが、美形同士が仲睦まじくしている光景はとても麗しく、不快感はない。美形パワー恐るべし。いや、人のアツアツっぷりを間近で見せられて、ゲンナリはするんだけどさ。
「あー、2人共、恋人に会えて嬉しいのは分かるけど、ここでは止めようか? 人が見てるよ?」
「俺としてはむしろこの愛しい恋人の存在を世界中に自慢して回りたいんだが」
「もう、オーウェンってば! ……でも、俺も同じ気持ちだよ」
「サリー……」
「オーウェン……」
「お願いだから止めてくれ」
涙目の俺の懇願に、愛し合う2人は渋々体を離す。しかし、ちゃっかり手を繋ぐのは忘れない。指を絡ませあい、幸せそうに見つめあって、本当に相手のことしか眼中にないみたいだな。オーウェンの恋人は恥ずかしがりであまり外で言いふらさないようにしているって話はどうしたんですか、ホークショーさん! あれは恋人を独り占めする為の方便か? メッチャ見せびらかしとるやんけ!
一先ず2人を店奥に引っ込ませる。オーウェン目当てのお客さんは全員帰らせた。これからが面白そうなのに、と多少文句を言われたが、売るものがもうなくなっていたので仕方がない。今までにない売上で、母さんはホクホク顔だ。皆で手早く店仕舞いをし、どこか放心している下の姉さんを連れて、相変わらずイチャついている2人のところに戻った。
「取り敢えず、今日はありがとう、オーウェン。お陰で今日1日だけで店の在庫はスッカラカン、向こう半月分は売り上げたよ。バイト代には色をつけておくね」
「本当かい? 嬉しいな、ありがとう」
「オーウェン、欲しいものがあるなら言っておくれよ。オーウェンの進学に合わせて街中に引越ししたついでに転職して公僕になったから、俺の稼ぎだって少ないわけじゃないんだから」
「でも、サリー。何でもかんでもあなたにおんぶにだっこは俺の男としての矜持が許さないよ。それに、これは本当は秘密だったんだけど……今回俺はあなたへのプレゼントを買いたいんだ。それなら資金は自分の稼ぎから出さないと意味がないだろ?」
「ええっ、本当? それは嬉しいな。楽しみにしているね!」
喜んで破顔するホークショーさんを、愛しげに見つめるオーウェン。ただラブラブしているだけなのに、美形2人がやるとそんな姿さえも絵になる。
「……2人は同じファミリーネームみたいですけど、血縁関係なのかしら?」
「おい、姉さん」
ハートを飛ばしている2人を虚脱感に苛まれながら見ていると、黙って2人を睨んでいるだけだった姉さんが横から口を挟んだ。この国は愛し合う2人の関係には寛容で、同性愛や近親相姦にもわりかし理解がある方だが、それでもあまり近過ぎる血縁関係で愛し合うのは倦厭される。大方姉さんは2人が同じファミリーネームなことから、その近過ぎる血縁関係であることを狙って、それを理由に2人の仲を引き裂けないか目論んでいるのだろう。どう見ても2人は似ていないからあったとしても遠縁だろうに、往生際の悪い。慌てて諌めようとするが、それより先にオーウェンが呆気からんと答える。
「いえ、違います。俺達は血の繋がりなんてない、全くの他人ですよ」
「なら、どうしてファミリーネームが同じなのかしら?」
「ああ、それは俺達が書類上結婚しているからですね」
「えぇっ!?」
け、け、け、結婚!? オーウェンと、ホークショーさんが!? 結婚!? どういう事だ!? さっき恋人って言ってなかったか!? それなのに一足飛びに、結婚してるだって!?
驚きでずっこけそうになる。愕然としたのは姉さんも同じだったらしい。後ろでガタンッ、と大きな物音を立てていた。ちょっかいをかけようとして思わぬボディーブローを食らったのだろう。ここで懲りればいいものを、めげないのが恋する乙女の執念深さというか。俺が驚きで呆然としている間に一足早く立ち直った姉さんは、震える声でオーウェンにまた質問をなげかける。
「しょ、書類上ってことは契約結婚かなにかかしら? 対外的に恋人と言ってるのも、繋がりはあっても夫婦として気持ちは通じていないから仕方なくってこと?」
「いえいえ、結婚するくらいですから、当然深く愛し合っていますとも。俺が15で成人した時に、一生をかけて幸せにするから、ずっとあなたの隣にいてもいいという証として結婚して欲しい、とサリーに泣いて頼み込んで籍を入れてもらったんです。とは言っても俺はまだ若く学生で稼ぎもない。サリーに頼りきりになるのは嫌だったので、俺からサリーに結婚指輪と挙式をプレゼントできるようになるまで、周囲には夫婦ではなく恋人で通しておこうという話になったんです。我慢できなくて先に籍だけは入れさせてもらいましたが、これは俺なりのケジメなんですよ」
ホークショーさんの左の薬指にキスをして、ニコニコと笑うオーウェン。それにまた頬を染めるホークショーさん。2人はイチャイチャとじゃれ合う。
チラッと後ろを見遣れば、完璧に燃え尽きた姉さんが。当然だ。これだけ相思相愛っぷりを供給過多なくらい見せつけられれば、誰だって諦めがつく。まあ、初恋が叶わなかったのは可哀想だが、いささか暴走気味だった姉さんにはいい薬になるだろう。
「……その時が来たら、いいジュエリーショップを紹介してやるよ。こうして商売やってるから、ツテはあるんだ」
「本当かい? ウルリヒは優しいな。ありがとう!」
屈託なく微笑むオーウェンの、邪気のなさといったら。隣で彼に寄り添うホークショーさんの幸せいっぱいな様子と相まって、いっそ神々しい。本当にお似合いの2人だ。この様子を見せられたら、2人の仲を引き裂こうとする不埒者はもう現れないだろうな。
今日は大分騒ぎになったし、休み明けにはきっと学校で質問攻めにあうぞ。いや、休み中にも話を聞きにシンパが押し寄せるかも。そのことに少し気分が遠くなったが、姉さんが失礼な態度をとったお詫びと思って、甘んじて受け入れよう。
真っ白になった姉さんを背に、愛を囁きあう恋人達を見つめながら、俺は苦笑を漏らしつつ、さて、遅ればせながらも結婚のお祝いは何がいいかな? と考えるのだった。
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