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13 完

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 ここは心地のいい場所だ。
 体を包む柔らかい感触。全身に残る気だるさ。静かな空間。程よく霞がかって難しいことは何も考えずにいられる鈍った思考のおかげで、それらを十分に堪能できる。このままここでこうしているのも悪くないだろう。
 だが、なんだか少し、寒いような気がする。あるべきものが隣にない不足感。俺が欲しい感触は、ただ柔らかいだけのこんなものじゃない。もっと別のものだと体の底から欲求が湧く。多少暑くたって構わないから、感じたいと思う温かさだってある。
 何が原因かも分からないその不足感が、俺を夢と現のあわいから連れ出した。



「……」
 パチリ、と案外簡単に目は開いて、俺は室内を満たす魔導式ランプの暖かい光に目を細める。
 目が覚めてその先に広がるのが暗闇じゃないことに先ず驚いた。少し意匠を凝らしただけの何の変哲もない天井だって、今の俺の目には新鮮に映る。何度か瞬きを繰り返したあと、ようやく自分の目が見えるようになったこと、包帯をしていないことを思い出した。目が見えるようになって暫く経つが、これには未だに慣れないのだ。
 ここは、主人……じゃなくてロランの私室か。そうか、俺、2人で抜きあって、あまりのことに意識を飛ばしちまったんだな。
 仔細を思い出して、顔が熱くなる。恥ずかしさに身動ぎして、そこで俺は全身が綺麗にされていることに気がついた。あれだけ沢山出したのに、体には何もついていない。ロランがやってくれたのだろうか。後ろの方もサッパリしている。俺が寝ている間に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたであろう愛しい狼のことを思って、また顔に血が登った。
 そういえば、当のロランは? 同じベッドの中には、あの柔らかい毛並みの感触も、俺より少し高い体温もない。
 首を左右に動かして、俺は窓辺に置いてある椅子に座り、こちらを見つめる彼の姿を見つけた。
「おはよう、マルセル」
「おはよう、ロラン。俺が起きる前にベッドを抜け出すなんて、酷いじゃないか。思いを確かめあったあと、どうせ目覚めるならあなたの隣がよかったのに」
 体を起こし、頬を膨らませてそういじけてみせる。窓枠に頬杖を着き、気だるげに前を開けたシャツを羽織って、こちらを見やるロランの姿は何もかも計算し尽くされた様に美しい。絶世の美女じゃなくてもこの光景を見られるようになっただけで、目を治してもらったのは素晴らしい価値があるというものだ。
「体、拭いてくれたんだろう? ありがとう、病み上がりなのにごめんよ」
「別に、これくらいどうということはない。マルセルが心配性なだけで、怪我なんてもう治ったようなもんだ。それに……昼間は服を脱ぐ暇もないくらい2人で熱中してしまったから、汚れも殆ど服についていて、清拭するのは楽だった」
 ああ、そういえばそうだったな。確かにあの時は俺はズボンと下着を脱いだだけ、ロランに至っては前を寛げただけで事に及んでしまったんだった。今にして思えは、我ながら随分余裕のない行為だったと思う。でも、それだけお互いに相手のことを求めて仕方がない状態だったんだろうな。
「体は大丈夫? 俺の体を支えたりした時に傷口は痛まなかったか? 恥ずかしい話、俺結構よがって暴れたから支えるの大変だったと思うんだけど」
「だから、平気だと言っているだろう。仮にも私は獣人だぞ? 腕力も回復力も人間のマルセルの想像の上を行くんだ。……正直、包帯だってもう随分と前にとってもよかったのを、世話を焼かれるのが嬉しくてまだ治ってないフリをしていたくらいだから、実質的にはもう治ってる」
 おう、それは、それは。そんな事しなくても、言ってくれれば存分に甘やかしたのに。まあ、そういうことが面と向かってできない不器用な人なんだよな。そういう所も好きだ。
「それより、マルセルの方こそ、体はなんともないか? 指を1本だけしか入れてないが、体格差もあるしそこそこ激しくしてしまったと思うんだが」
 言われてみてベッドの中でモゾモゾ動いてみたが、尻の方はなんともない。ロランはそれだけ優しく俺を扱ってくれたのだろう。
「特になんともないね。強いて言うならロランに弄られて感じまくったところがちょっと違和感あるくらいかな。でも悪い感じじゃない。多分沢山よくしてもらった名残だろう」
「う、その、すまなかった」
「どうして謝るのさ、俺はめちゃくちゃよかったって言ってるんだぜ? 男が感じる場所があそこにもあるなんて、知らなかった。あんな隠し玉を持ってるなんて、なかなか悪い奴だな。また今度やってよ」
「また、今度?」
「そうだよ、今度だよ。だって今日は最後までできなかったじゃないか。おいおい何だよその言い草。もしかして、俺ロランをよくできなかった? もう俺とは寝たくない?」
 なんだよ、寝てみたら思ってたのとは違ったから、このまま最後まではせず俺とはこれでバイバイしたいわけ? 俺にあんな未知の快感を教えこんどいて? でも、ロランが俺ともう寝たくない理由が俺がロランをよくできなかったからだとしたら、それは俺の責任だ。大人しく引き下がるしかない。
 なんだか悲しくなってしまって、それが表情に出ていたのだろう。落ち込んで少し俯いた俺に、ロランは慌てて声を上げた。
「ち、違う! よくなかったなんて、そんなこと! 私だってマルセルの痴態を見ながらそのほっそりした綺麗な手で擦られただけで、もう自分でも引くぐらい高ぶったし、2度目があるなら是非お願いしたいと思っている!」
「ふーん、よかった。でもそれならなんで、さっき躊躇ったのさ。不安があるなら言いなよ。溜め込んでまたおかしなすれ違いになって、今度こそ俺たち破局、なんてなったら目も当てられないぜ」
「は、破局!?」
 何気なく呟いたその2文字はロランにとってよっぽど恐ろしいものだったらしい。耳と尻尾をピンッと立て、ワナワナと震えさせた。
「それは、嫌だ。絶対に嫌だ! マルセルに捨てられたら、私は、私は……」
「あー! ごめん、ごめん! 変な事言ってごめん! だからそんな怯えないで! 大丈夫、ロランが不安に感じていることを教えてくれたら、なんにもならないんだからさ!」
 慌てて言い繕う俺に、ロランは少し落ちつきを取り戻す。だが矢張り『破局』という言葉がよっぽど恐ろしかったらしい。耳がパタンと後ろに倒れて項垂れてしまっている。
「ほら、話してごらん。ロランは何がそんなに不安なの?」
「私は、その。マルセルが、また私と寝たいと思ってくれるなんて、思っていなくて……。それで、あんな含みのある言い方になってしまったんだ」
「それは、ロランが自分に自信が持てないから? それとも、俺の事信用できないから?」
「マ、マルセルを信用できないなんて、そんなこと!」
「じゃあ、やっぱり自信が無いから?」
「……そうだな。その通りだと思う」
 ロランの顔から、スッと感情が抜け落ちた。こちらを向いていた視線が外される。琥珀色の目玉は窓の外へと向けられた。俺にはただの真っ暗闇にしか見えない外の景色は、獣人の彼の目にはまた違う風に映っているのだろうか。
「前にも話した通り、私は幼い頃の事件をきっかけに、人と触れ合うのが怖くなった。また何かをきっかけに暴走して他人を傷つけてしまうのが怖くて、今度こそ人を殺してしまうんじゃないかと思って、そんな自分の不安に押し潰されそうになっていた。大切な人を傷つけてしまうようなら、もう一生誰も特別な相手は作りたくないとも思ってるくらい誰かを傷つけるのが怖い。自分のことはある程度客観視できているつもりだ。私は気持ちが弱くて自己肯定感が低い後ろ向きな獣人なんだ。自分で自分を大切にすることができない。だから、自分なんかがマルセルと一緒にいてもいいのか不安になる。マルセルが心を傾けてくれているのに、自分がふさわしい相手だと思えない」
 静かな声で淡々と、ロランは胸中を明かす。その凛々しい横顔からは、絶望と孤独の気配がした。
「すまない、こんな話。けど、だからマルセルが悪いんじゃないんだ。いつか自分の中で決着がつく日が来ると思うからそれまで待っていてもらえると」
「はあ? 待つわけないでしょう」
「えっ」
 窓の外を向いていたロランの顔が、驚きを顕にこちらを向く。ロランが次の動きをするのを待たず、俺はベッドを降り、窓辺に座る彼の元へと近寄った。ロランが俺の動きを目で追うことしかできないのをいいことに、その膝の上に跨って乗り上げる。そのまま自分がロランを見下ろす形にして、下から彼の顔を掬い上げ、自分の視線と彼の視線がかち合うように固定した。
「いいか、ロラン。俺はあなたのことが好きなんだ。嬉しいことがあれば分かち合いたいし、悲しいことがあれば寄り添いたいと思う。だから、自分一人で耐えるなんて言うな。俺を頼れ。存分に甘えろ。あなたは1人じゃないんだ。遠慮は要らない。人を好きになって、愛されるって、そういうことなんだよ」
 一言、一言、注ぎ込むように言葉を紡ぐ。魔導式ランプの暖色の光で、琥珀色の瞳が深みを増す。ささやかな輝きが今、確かにその宝石の中に点った気がした。
「マルセル……」
「ロラン、改めて申し込む。俺と付き合ってくれ。あなたの抱える痛みも、苦しみも、悲しみも、その全てを隣で癒すのは俺がいいんだ。それだけじゃなく、あなたが治してくれたこの目でこれから先見るものを、あなたと共有したい。あなたの笑顔を1番近くで見たい。ずっとあなたの体温を感じたい。あなたに幸せをもたらす存在でありたい。ロラン、どうか頷いて。俺をあなたの忠実な恋人にしてくれ」
 夜の帳が下りた静かな部屋に、俺の告白だけが響く。美しい獣の目は、黙ってこちらに向けられていて、俺はそれに飲み込まれそうになる。なんの音もしない静寂が、どれほど続いただろうか。ゆっくりと1度瞬きをしたあと、ついにロランが口を開いた。
「本当に、私でいいのか?」
「あなたじゃないといけない」
「お前よりも大きな男なのに?」
「愛の前にそんなのは些細なことだ」
「私は、醜い獣人で」
「そもそもその認識がおかしいんだ。あなたは自分で思っているような醜い怪物ではないし、獣人であることは悪ではない。深く人を思いやる心を持つあまり、ついつい自分をないがしろにしてしまった、優しすぎる獣人。それがあなただ」
 いつか彼がしてくれたように、親指の腹で優しくロランの目の下を撫でる。ロランは少し目を細めて俺のその指の動きを受け入れた。また、しばし目を伏せ、なにか考えるような仕草をしたあと、今度は真っ直ぐこちらを見つめ返す。
「マルセル、私は今まで長い間自分を卑下し、人を遠ざけて生きてきた。それが正しい考えだと信じて疑わなかった。これからも、そう簡単にその考え方を払拭することはできないだろう。それでも、お前さえよければ少しずつそんな生き方を変えていきたいと思う。もちろん、お前の隣で。私がお前の隣で生きていくことを、承服してくれるか?」
「もちろん、喜んで!」
 ああ、この瞬間をどれほど待ちわびていたことだろう! ロランは俺だけを見つめ、俺はロランだけを見つめていた。ソッと静かに俺の腰にロランの腕が絡みつく。そのままゆっくりと抱き寄せられ、2人の唇が重なり合った。合わせるだけの、なんの欲もないキス。ただお互いを労り合うためだけのそれは、今までしたキスの中で、1番心が満たされるように感じられた。
 静かな夜だ。静寂が満ちている。まるでこの世界に2人だけになったみたいだ。やがて、ようやく2つの影が離れても、お互い相手の体に手をかけたまま、見つめあっていた。満面の笑みを向ければ、ロランも躊躇うようにだが、確かに微笑み返してくれる。なんて幸せなんだろうか。目の前の愛しい獣人の存在は、俺にとって何ものにも変え難い宝物だ。
「ほら、夜明けまでまだ時間がある。もう一眠りしよう」
「そうだな」
「さっきは隣にロランがいなくて寂しかったよ。もうあんなのはゴメンだぜ?」
「済まない、マルセルに受け入れてもらえるか不安で、暗澹たる思いのままお前の隣にいるのが耐えがたかったんだ」
「今度はそんな心配ないから、朝まで離さないでいてくれよ」
 手を繋いだままベッドまで行き、2人で掛け布団の下に滑り込む。肌蹴られたシャツの隙間から除く胸に顔を埋めれば、少し躊躇して弱々しく抱きしめられたので、それ以上の力で抱きしめ返した。しばらくもぞもぞと体を動かし、お互いに収まりのいい位置を見つけて、抱き合いながら眠りにつく。
 柔らかく肌触りのいい毛皮に頬擦りをしながら、その奥に詰まった美しい心に思いを馳せる。真実、愛や美しさとは目で見えるものばかりではないのだ。でも、根深いトラウマを抱えたこの人にはまだそのことは信じられないに違いない。
 今はそれでもいいさ。今は、ね。
 そのことは、これからゆっくり教えこんでいくことにしよう。焦ることはない、2人の時間はたっぷりあるのだから。
 俺はロランのゆっくりとした鼓動を聴き、背中に回った大きな腕の存在を感じながら、目を閉じた。
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