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 ど、どうしようかこれ。
 どうした方がいいんだ。
 どうするのが正解なんですか。
 いや、仕方ないよ?
 主人だって男だもの。そりゃあご自身をご自身で慰めたりも致しますよ。ええ、そりゃ仕方がないことです。なんてったって男ですから。当然の欲求というもんですよ! 思えば最近主人には俺が付きっきりで看病したりしていて1人きりの時間はなかった筈だし、やるとするなら怪我が回復してきて俺の手が離れ始めた今しかなかったのだろう。
 成程、それで最近なんだか様子がおかしかったのも納得がいくぞ。あれは抜きたくても抜けなくて、諸々の感情が溜まりに溜まっていたからだったのか。
 それはなんというか、同じ男として申し訳ないことをした。発散したい時に発散できなかったのは、さぞや辛かったに違いない。ことが事だけに俺に直接『1人でシたいから、少し外に出てきてくれ』とも言えないだろうし。かと言って遠回しに言おうとも、俺は主人を口説くために何かと理由を作って傍に付きまとっていたから、追い払うのもほぼほぼ無理。夜中にこっそりするという手もあるが、後始末のために屋敷を彷徨いたら俺に気が付かれるし、かと言って朝は朝でここのところ整理整頓に目覚めた俺が無駄に早起きして屋敷を掃除しまくってるから駄目。
 うん、どこをどう見ても完璧に詰んでますね。これはどう考えても、全面的に気がつけなかった俺が悪い。主人よ、気の回らない男ですまない。俺は今、猛烈に反省している。
 言い訳をさせてもらえるのなら俺は女性への興味同様自分ですることに淡白で、自分で殆どシないから配慮が至らなかったんだ。まあ、最近は
 それはそれで置いといて。
 主人が今日事に及んだのは大方、怪我が回復してきてそっち方面に気が回るようになってきた、昼飯時まで俺が外に出ていて屋敷に戻る予定はない、食事の準備を口実に屋敷の中をうろつける、万が一シーツ類を汚しても誰の目も気にすることなく水場に行けるから普通に手洗いできる、等々の理由からだろう。我慢に我慢を重ねた主人にとって、今日はまたとないチャンスだったのだ。
 そこに俺が意図せず帰ってきちゃって……まあ、この悲劇に繋がっちゃったというわけ。うん、これも薬草籠を忘れた俺が悪いですね。ごめんなさい。これからは気をつけます。
 なんにせよ、いつまでもここでこうしている訳にはいかない。主人の1人遊びをコッソリ盗み聞きなんて、趣味が悪すぎるしなにより罪悪感がヤバい。というか主人だって嫌だろうし、こんなこと俺に盗み聞きされてるなんて知ったら、恥ずかしさで死ねるだろう。せっかく魔物の襲撃から生還したのに、こんなことで死なれるのは嫌だな。ここはさっさと退散するに限る。
 というか、ぶっちゃけこのままここに居続けるのは辛い。だってそうだろ、考えてもみろよ。主人の1人遊びのネタ、十中八九俺の知らない女の人だぜ? そういう本の登場人物か、主人の好みを詰め込んだ空想上の理想の女性か知らないが、絶対そうだろう。主人は元々はノーマルでしかも恋愛経験すらほぼないみたいだし、最近だって俺の口説き文句に狼狽えはすれど、俺の事を性的な目で見てくれるようになるにはまだ早いと思うんだ。
 そりゃあゆくゆくはそういう仲になりたいとは思っているけれど、まだまだ時期尚早。意識してはもらえてるだろうが、それだけで抜きネタにはしてもらえる程現実は甘くない。ならばネタはどっかの手頃な女の人に違いなかろうて。
 ああ、言っててなんだか虚しくなってきた。そもそも好きな人がよその知らん女の人をネタに1人遊びしているのを扉越しに耳を澄ませて聞いているなんて、どういう状況だよ。謎すぎるわ。ここでこんなことしててもなんの益もない。とっとと籠をとって、薬草を取りに戻ろう。
 そうして音を立てずに静かに扉の前から立ち去ろうとした、その時。
 扉から話そうとした耳に、主人の発した信じられない言葉が届いた。
「ハァッ、マルセルッ……」
「……!」
 今、なんと?
 その言葉を聞いた瞬間、全身にカッと血が上った。瞬時に思考能力がなくなって、後先考えずにバンッと音を立て扉を開ける。そうして勢いもそのままに部屋の中へと踏み込んだ。
「マッ、マッ、マッ、マルセル!?」
 案の定、そこにはベッドの端に腰掛け、下半身を寛げたご主人がいた。最中に突然現れた俺に驚きすぎて、口はあんぐりと開け、耳が後ろにパタリと倒れ、目を大きく見開いている。そんな主人の様子に構うこともなく、俺は彼の目の前に立った。
 扉越しでぎりぎり聞き取れるか聞き取れないかという程小さなこえだったが、間違いない。俺は確かに聞いたぞ。主人が最中に『マルセル』と、俺の名前を呼ぶのを確かに聞いた。
 あなたって人は、普段は『お前』だの『おい』だのとしか呼んでくれないのに、よりによって今、こんな状況で、俺の名前で呼ぶなんて! これはどういうことかな? ぜひともご説明頂かなくてはね!
 眉を吊りあげ、腰に手を当て主人を見下ろす俺に、主人の主人が萎むのが見えた。
「なんで萎えるんですか!」
「えっ、なんでって……」
 それを私に言わせる気か!? と、言外に言われたのには気がついているが、今は無視だ。俺は怒っているんだぞ! 今ばかりは一切配慮をしてやるもんか! なんだ、最中にポロリと俺の名前を呼んだくせして、本人が目の前にいちゃ無理ってか!? あーっ、ムカつく!
 そのまま怒りに任せて声高に主人を問いただす。
「そもそも、どうしてこんな時に限って私の名前呼んでるんですか!」
「どうしてって、だって、それは……」
「普段は呼んでくれないのに! どうして! 今! 呼ぶんですかっ! こっちはあなたが女性をネタに1人遊びしてると思ってしょんぼりしてたのに、はあ? それってつまり、そういう事だよな? なんだよそれ! 意味わかんねえ! ふざけんな! ていうかよくよく考えてみたら俺はあなたの名前すら知らない! 不公平だ!」
「いや、ちょっ、違う! 聞いてくれ!」
「何が違うんだ! 納得のいくように説明してみろ! さもなきゃあなたの立派なそれ、根元から圧し折るからな!」
「折っ……いやいや、そんなことよりも、聞いてくれ! これはその、あれだ! 暫くシていなかったから溜まっていて、それで思わず出来心で」
「ほーう、あなたは溜まってたらなんとも思っていない奴でも手近にいたらネタにしちまうんだな。それはそれは、ご大層なことで」
 動揺も顕に琥珀の目を右に左に動かす主人に、俺はさらに詰寄る。容赦はしない。何度も言うが、今俺は怒っているんだ。
 そりゃあご主人が二進にっち三進さっちもいかなくなるくらい溜まるまで窮屈な環境に置いてしまったのは俺だ。
 だが! だがしかし! だからって普段から好きだ好きだって言ってる奴相手にこんな思わせぶりなことするなんて酷いじゃないか! いや、分かってるよ? 主人が俺がここにいるなんて想定しなかったことくらい。だから絶対俺にはバレないと思っていたんだろうさ。それでもムカつくものはムカつくんだよ!
 だが、主人の口から飛び出したのは思いもよらぬ言葉だった。
「なっ、なんとも思ってないってなんだ! 勝手に私の気持ちを決めるな!」
「は?」
 口にしてから、主人はしまった! という顔をする。聞いた方の俺も、きっと同じような顔をしていると思う。『なんとも思ってないってなんだ』? 『勝手に私の気持ちを決めるな』? どういうこと? その言い方じゃまるで、主人の方も俺の事……。
「えっと、いや、違くて。いや、違うってのはお前のことをなんとも思ってないってことが違うとかじゃなくて。その、なんというか、うん、あの」
「いやっ、えっ、でも。それってつまり、ご主人、俺の事……」
「……」
「ちょ、黙んなよ……」
 部屋に重苦しい沈黙が充ちる。主人は絶望的な表情で呆然と俺の方を見ているし、俺の方は混乱で頭が回ってくれなくて喋るどころじゃない。お互いに固まっておし黙る。やがてその沈黙に耐えきれなくなったのか、主人が重苦しく口を開く。
「ちょっと待ってくれ。状況を飲み込ませてくれ」
「飲み込んだら飲み込んだで色々と辛くなると思うんだが」
「それもそうだな……。ていうかお前、素はそんな喋り方だったんだな」
「まあ、一応今までは招かれた立場の客として失礼の無いようにしてたから。おかげ様で全部吹っ飛んだけどな」
「そうか……」
 また、沈黙。会話が止まってしまった。気まずっ。えっ、これどうしたらいいんだろう。いつまでもこうして2人押し黙っている訳にもいかないし。仕方なしに今度は俺から口を開く。
「えーっと、いつからかとか、聞いても? 正直俺、しつこく口説いてるだけでウザがられはしても、あなたにそんなに好かれるようなことした覚えがないんだけど」
「いや、それが原因だよ。そもそも結構前からお前のこと、気になっていはしたんだ。自分で言うのもなんだが、世捨て人で人に好かれること自体に耐性のない私が、気になってる人間に甘い言葉を囁かれたり、毎日甲斐甲斐しく世話を焼かれたりして、どうにもならないとでも?」
「俺の事気になってたのかよ」
「最初の方はただ久しぶりに他人と交流して興味が湧いただけだったが、接してみれば話が合うし、性格も好ましいしで、気にするなと言う方が無理だ」
「それこそ久しぶりに他人と接して、人恋しさを勘違いしただけなんじゃ」
「勘違いだけで抜けるとおもうか?」
「あー、それ言われると言い返せない」
 めっちゃ側に居たのに、全然気が付かなかった。て言うか主人も俺の事気になっていたのなら言ってくれよ! そしたら俺めっちゃ喜んだのに! いや、それは無理か。主人はそういうことに慣れていないんだから、いきなりそんなの求めるのは酷すぎる。
「だとしてもなんでそれで俺に告白する前にこうして1人遊びに興じることになるんだよ」
「いや、私だってお前に言おうとしたんだ。ただ、いざ言おうとなるとどうしても決心がつかなくて……。どうしようどうしようと迷いに迷い、最終的に悶々としてこんなことに」
「それこそ、名前を呼ぶところから始めて段階を上げていけばよかったのに」
「私はそれすらできなかったんだよ!」
 わーお、それは重症だな。予想以上に主人は世間から遠ざかりすぎていたらしい。今度1から世の常識というものを教えないと。
 そうやってもの思いに耽る俺を、主人が『もういっそ殺してくれ』といった表情で見上げる。
「あー、この話はこれくらいにしてもいいか? なんか心を抉られるというか、色々としんどいというか、そろそろこれをしまいたいというか……」
 そう言って主人はモジモジと足を擦り合わせた。そういえば、そうだ。俺の乱入で主人の主人は萎えてしまったが、主人は場の流れで下半身を寛げたままだった。もちろん、この話の最中も出しっぱ。なんということでしょう。
 それにしても恥ずかしがって視線を落とす主人可愛いな。心做しか耳が倒れ目も潤み可愛さがいつもの10割増だ。その様子を見ているうちに、俺の心の中でムクムクと悪い考えが頭をもたげる。
「……それ、抜いてやろうか?」
「へっ!?」
 間抜けな声。だがそれも可愛い、俺には効く。
 俺の突飛な言葉に、主人は言葉も発せずにアワアワと目に見えて挙動不審になる。その様子に調子に乗った俺は、さらに追撃をして畳み掛けた。
「だってほら、元々するつもりだったんでしょう? 俺で、そういうこと。だったら丁度都合よくここにいる俺本人が手伝っても良くない?」
「いやっ、でもっ、そんな、お前にそんなことさせる訳には……」
「何を今更恥ずかしがっているんだ? ご主人が俺に隠したかったことはもう、見た目も気持ちも全部バレてるんだぜ? 俺だってご主人とそういうことしたいし、だったらいっそ、ここは開き直って相手してもらうのがお互いにいいんじゃないか?」
「でも、でも……」
「なあ、自分に素直になれよ。俺は今最高に機嫌がいいんだ。今ならなんだってできる気分だ。なんてったって生まれて初めての恋が実ったんだからな!」
 1歩、ご主人の座っているベッドに近寄る。ご主人は体をピクリと動かして反応したが、逃げたりはしない。また1歩、近寄る。ピクピクと小刻みに尻尾が震えた。そんな期待に充ちた目でこっちを見るなよ、問答無用で襲っちまうぞ。
 腰を屈め、ご主人の顔に自分の顔を近づけた。ご主人はプルプルと震えてぎゅっと目を閉じている。あー、可愛い。本当、食っちまいたいくらいだ。大きな耳に息を吹き込むようにして、その言葉を囁く。
「なあ、どうして欲しい? いっそ抜くだけじゃなくてもっとしようか? 例えば……最後までやっちまうとか」
「っ!」
 お、いい反応した。俺の囁いた言葉の内容が余程衝撃的だったのか、仰け反った主人の体を追いかけ、そのままベッドに両手をつく。お互い体は一切触れていないが、まるで俺が主人を押し倒したみたいだ。上から驚きのあまり狼狽えることすらできなくなった黒い狼を眺めるのは、とっても楽しい。この美しい獣は今、他でもない俺の事で胸をいっぱいにしているのか。
 そんな自分の考えに堪らなくなった俺がさらに体を近づけると、主人は慌てて堰を切ったように喋り始めた。
「私は、その、お前とは、なんというか、こういったことは、人種間の力の差とか、体格の差とか、そういったものがあるからできないと思うというか! ほら、どうしても努力だけじゃどうにもできないことって有るだろう?」
「つまり、あなたは俺を傷つけるのが怖いから、プラトニックな関係でいたいと?」
「まあ、そういうことになる」
 俺とになることについては言及しないけど、それはいいんだ。ふーん。これって調子乗ってもいいやつだよな?
「というか、体の小さい俺の方が入れられる前提か」
「あっ、確かにそう言われてみれば……。お前に私が入れられるという可能性を失念していた。……やっぱりお前も男だから、入れられるより入れる方がいいか?」
「いや、別に。俺は正直ご主人を気持ちよくさせられるのなら、どっちでもいいかな。あー、でも。ぶっちゃけ入れられる方に興味ありかも。逆の方が色々と都合がいいんだろうけど、あなたになら押し倒すより押し倒されたいって思っちまうから」
 だってそうだろう。俺の言葉に一喜一憂して狼狽える主人も可愛いくて好きだが、いつも自信満々で目の前の難しい問題をぱぱっと解決し、俺の目を治してくれた時の主人は、男ながらに抱かれたいと思うほどカッコよかった。最近は可愛いところばっかり見ているが、割合としてはそのカッコいい主人と過ごした時間の方が長いんだ。主人も俺を抱く気だったようだし、自ずと『抱かれてもいいか』という考えになるのはおかしなことじゃない。
「ま、なんにせよ我慢はなしだ。体に良くない、あなたもそう思うだろ?」
 そう言って主人の体にしなだれかかる。本の虫のくせに、逞しい胸筋に頬を擦り寄せると、主人は尻尾をピーンッと伸ばしてカチコチに固まった。
「いや、でも、しかしだな」
「大丈夫。痛いことなんてしない。気持ちいいことだけだ。正直さあ……ここ最近あなたの事考えると体が疼いて仕方がなくってさ。あなたに抱かれることを想像して後ろを弄ったりしてたんだよ? そんな俺の気持ち、汲んでくれよ」
 頬を寄せた胸が動いて、主人がクッと小さく息を吸ったのが伝わる。室内が静かなのと体を密着させているので、思わず喉を鳴らした音がここまで丸聞こえだ。主人の我慢を伝えるように、大きな耳が落ち着きなくピクピク動く。さあ、もう一押しだ。
「ねえ、もう名前で呼んでくれないの? 俺をあなたのものにしてくれよ」
 吐息を混ぜながら、そう囁く。視界の端で、主人の手が持ち上がるのが見え、その手が俺の背中に添えられる。
 勝負に勝ったのは、俺の方だった。
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