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 こうして俺の目の治療もとい、主人の研究が始まった。
 まず最初にあったのは、俺の目の検査。取り敢えずは患部を見ないことには何も始まらないだろうとの事だ。
 それはそうなのだが……。
「どーーーしても、お見せしなければなりませんか?」
「当たり前だ。お前の目をみなくては、治療方針も何も立てられないだろう! 何をそんなに渋るんだ。まさか、私に見せられない理由でも?」
 目を何重にも覆う包帯を取るのを渋る俺に、主人が苛立った声を上げる。
 さっきからこの押し問答が、かれこれ半時間ほど続いているのだ。キレやすい主人にしては気が長く持っている方である。
「見せられないと言いますか……。まあ、有り体に言えば、その通りですね。私の目は魔法兵器によって発生した瘴気で爛れて潰れたので、見た目が見ていてあまり気持ちのいいものではないらしいんですよ」
 何せ自分で鏡を見て確認できるわけもないのでこれは伝聞の情報だが、確かなことだ。
 俺の目を治そうとしてくれた医者がコレを見て息を呑むのを聞いたことがあるし、遠くの物陰でここなら俺には聞こえないと思い込んだ看護師が、恐ろしい恐ろしいと囁き合うのを聞いたこともある。
 事実、手で触れてみると俺の目のあったところはケロイド状になり盛り上がっていて、どこが瞼で眼瞼裂だったか分からない程グチャグチャだ。
 正直、仲良くなりたいと思っている相手に見て欲しいものではない。
「ふん、お前が何を心配しているのかは知らないが、安心しろ。私は様々な文献で数え切れないほどの症例写真を見てきた。その中には目を覆いたくなるようなものも沢山あった。だが、私は知を探求する学者だ。何があっても目をそらすことはしない。お前も安心して私に目を見せろ」
 ……ちょっとズレてるけど、この人なりに俺のことを鼓舞してくれているんだろう。
 あの尊大で不敵な主人に、気を使わせてしまった。これはちょっとした事件である。
「今、見せないというのならそれでも構わないが、その場合はお前が寝ている間に縛りあげて勝手に見るからな。遅いか早いか、無理矢理かそうでないかの問題なら、私は早くて無理矢理じゃない方が面倒がなくていいと思うんだが、お前はどうだ?」
 前言撤回。やっぱりこの人はこの人だ。
 まあ、仕方がない。主人なりに真摯に俺に向き合ってくれていると捉えよう。誠意には誠意で答えるのが俺の流儀だ。
「……分かりましたよ、お見せします」
 ちょっと溜息をつきたいのを堪えつつ、後頭部の包帯の結び目に手をかける。
 一瞬、躊躇いで手が強ばったが、直ぐに気力でそれを振り払い、スルスルと包帯を解いていく。
 やがて、包帯を全部取り去り、普段外気に晒されることのない部分が顕になった。
 正面を向いた顔は、強ばっていないだろうか? 柄にもなく緊張する。
 潰れた目の部分の皮膚は傷のせいか感覚が鈍かったが、それでもそこに主人の視線が注がれているのが痛いほどに感じられた。
「ふむ、少し触るぞ」
 言葉と共に、目尻だった部分にそっと温かいものが触れる。おそらく、主人の手だろう。
 医療用手袋をしているらしい。主人の手が大きくて暖かいことが、手袋越しにも十分に伝わってくる。
 主人の手は俺の目のあたりを暫く彷徨いていたかと思うと、ゆっくりと目のあった所を撫でた。
「眼瞼裂が爛れてくっついてしまっているな。前の担当医は再建手術や検査のために切開しなかったのか?」
「どうせ眼球がやられているのは分かっていたし、下手に切開して義眼を入れる手術をする暇も金もなかったんです。瘴気の中では殆ど目を瞑っていたので、失明はしていても摘出しなけりゃいけないほど眼球は痛んでいませんでしたしね」
「これだけ酷い傷だ。瘴気の原液の飛沫でもかかったのか?」
「いえ、ただ浴びた新型魔法兵器の瘴気の威力がすごかっただけですよ。瘴気が発生した時、空気を吸うだけで周りの仲間がバタバタ倒れていくの見て、こりゃまずいと思ってヘルメットを深く被り、口を布で覆ったんです。それで目以外の皮膚は殆ど爛れなかったんですが、一刻も早く瘴気から抜け出すために安全な場所を探して周りを見渡さなくちゃいけなかったので、目だけは覆う訳にはいかなくて。目を瞑り瞑り進んだのですが、生憎その時まで瘴気を使った攻撃を受けたことのなかった我が国の兵士の支給品には、ゴーグルやガスマスクがなく、こんな有様に」
「……よく生きて帰れたな」
「運が良かったんです。目だけで済んで、御の字だ。あの時の戦いで、同じ部隊の戦友は全員死んでしまいましたからね」
 そう言ってから、少し重い話をしてしまったなと思って、苦笑で誤魔化す。
 そんな俺の仕草をどう思ったのか分からないが、主人は暫く何も喋ろうとしなかった。
「……治療のためには中の眼球を見なくてはならないから、切開が必要だな。明日……いや、今日の午後に手術をしよう」
「ええっ、気が早くないですか?」
「五月蝿い。お前、元兵士なんだろう。今までに大小問わず怪我をしたことだってある筈だ。ちょっと瞼を切るくらいでガタガタぬかすな」
「いやいや、それにしたって、心の準備ってものが」
「なら今しろ、直ぐしろ、さっさとしろ。今から私が1人でする手術に必要な準備の多さと大変さに比べれば、殆ど苦労の内にも入らないぞ」
 それだけ言うと、話は終わりだと主人は席を立つ。
 俺は目の診察をしていた主人の研究室らしきところから、邪魔だと言って追い出されてしまった。
 ええー、本当に? 本当にこんな急に手術すんの? 戦争で怪我をしたり手当されたりする時なんかいつもあっという間で、覚悟なんてしたことないのに。
 ていうか、これから痛い思いをしますよーって分かってて体を切られるのはまた別種の恐怖じゃねえ?
 そうでなくとも俺、怪我をする度に痛い、痛い、って蹲ってた質なのに!
 ああ、憂鬱だ。
 これからどうしよう。
 俺の目の治療は、こうして始まった。



 屋敷の主人の腕がいいというのは自称ではなく、本当のことだったらしい。
 俺の目を検分した屋敷の主人は、眼球の治療よりもまず目の周りを治して、眼瞼裂を再建することが先だと言って、ケロイドの治療に取り掛かった。
 毎日主人が調合した塗布薬の染み込んだガーゼを貼っては剥し、貼っては剥し。強烈な薬草の匂いで、敏感になった鼻が効かなくなるかと思った。
 だが、それよりも恐ろしかったのは細かい手術。
 駄目になったところの代わりに他所から持ってきた皮膚を植皮する手術が、まー怖いのなんの。だって、見えなくなってるとはいえ、目元にメスを入れるんだぜ!? 最後には慣れたが、初めの方はピーピー嫌がって何度も主人をキレさせてしまった。
 手術の後に飲まされる腫れや赤味を抑える薬は、体に合わないのか飲んでいて具合が悪くなるし、注射も痛い。
 正直、何度もういいやめてくれと言おうと思ったことか。
 だが、研究のためという側面があるとはいえ、俺のために家中の資料をひっくり返し、あーでもないこーでもないと頭を悩ませて、日々より良い治療法を模索する主人の前では、口が裂けてもそんなことは言えなかった。
 唯一の癒しといえば、治療の合間や食事の時なんかに主人と交わす会話。
 殆ど俺が昔し見聞きした話を一方的に聞かせているだけで、たまに返事があったと思っても、やはり主人の口は悪く悪口スレスレだったが、それでも俺は十分楽しかった。
 余程俺は対等な関係の人との触れ合いというものに飢えていたようだ。
 主人は俺の目を治してやっているのだと恩着せがましくしてくることはなかったし、その豊富な知識をひけらかしてふんぞり返ることもない。普段の態度は俺を見下していると言えなくもないものだったが、変に虐げようとすることもなかった。
 本当、口の悪ささえ目をつぶれば理想の話し相手だったのだ。
 さて、話を戻そう。
 とにかく治療の過程は俺にとって苦痛そのものだったが、日を追う事に確かに目の周りの傷が薄くなっていって、それは指先で触れるだけでもよく分かった。
 そしてとうとうこの間、俺は約1年ぶりに自分で自分の瞼が動かせるようになったのだ。
 まだ目は見えないが、これは格段な進歩である。
 包帯が取れて、眼輪筋(なんでも、瞼を動かす筋肉らしい)は傷ついていないはずだから、動かせるはずだと言う主人の言葉に従って、久しぶりに瞬きをした時の、あの衝撃! あまりの感動に思わず笑ってしまった。
 主人は俺の眼球を見て、これから治療をしても見えるようになる確率は五分五分だと言っていたけれど、俺にしてみればこうして見れる見た目になったらしいというだけでも十分だ(自分では見えないが)。
 この多大なる恩を返す方法が分からないのが実に口惜しい。
 かくして、今度はようやく眼球の治療に取り掛かったのだが……。
「ううー、気持ち悪い……」
「薬の副作用だな。だが、それが一番副作用が弱いやつなんだ。今のところ、それ以上楽なものはない。我慢しろ」
 視界が塞がれていて他の感覚が人より敏感になっているせいだろうか。
 内臓をひっくり返されているような吐き気は全身隅々まで染み渡るようだし、俺の言葉に答えてくれた、主人の声は頭にガンガン響く。
 この気持ちの悪くなってしまう薬は炎症作用を抑えるもののため、手術で眼瞼裂を切開したり植皮をしたりした俺は、毎日飲まなくてはならないのが余計辛い。これのせいで食べ物もろくに喉を通らず、おかげで軍を辞めてからこっち、落ちる一方の体重が余計に落ち気味なのが自分でも分かるほどだ。
「ほら、そこの寝台に少し横になっていろ。目の診察が終わったら、吐き気止めの薬を出してやるから」
「横になると余計吐きそうになるので、座ったままでお願いします……」
 あまりにも俺が弱っているせいか、心做しかいつもより主人の態度も軟化しているような気がする。なんだかかけられる声が優しいような気がするのだ。
 その事で胸に込み上げるものがあって、悲しいことに余計に気持ち悪くなった。
「うっ」
「吐くなよ。この部屋の床を汚したら、舐めてもいいくらいになるまでお前に掃除させるからな」
 ……矢張り、もしかしたら主人の優しさは、薬の副作用でヤバくなった俺の頭の見せる幻影だったかもしれない。
「今日からは魔法治療をしようと思う。体への負担が大きいから、今まではなるだけ投薬と物理的な手術だけで治療してきたが、お前の今の眼球の状況だと、もう魔法でやるくらいしか回復が見込めそうにない。辛いだろうが堪えろ。私の研究のためだ」
「えっ、それって私、治療されちゃっても大丈夫なんですか? 今の投薬治療でさえ、しんどくて死にそうなんですけど」
「お前は傷の治りは早いが、薬は尽く体が受けつけない体質のようだから、どうだろうな……。正直分からん。劇的に効いて直ぐに光を取り戻すかもしれんし、あまりの拒絶反応に眼球が爆発するかもしれん」
「爆発!?」
「爆発はただの冗談だが、それくらい辛いことも有り得るということだ。ま、お前なら大丈夫だろう」
「ちょ、待って、待って! 待ってください!」
「いいから始めるぞ」
 言葉と共に肉厚で大きな手がガシリと肩に乗せられる。
 一瞬体が逃げをうちそうになったが、逞しい主人相手に過酷な治療で痩せてしまった体では、それが到底無理なのは分かり切ったことだ。
 俺は早々に逃げることを諦めた。
「お願いですから、痛くしないでくださいね?」
「無理だ」
 ああ、無慈悲!
 それからのことは……あまり考えたくない。



 そして、魔法治療を初めてから数日がたった。
 朝起きて、もう毎日の日課になっていた薬の塗布と、包帯の取り換えを行おうとしていた時のことだ。
 何の気なしに窓辺でその作業をしていると、驚くべきことが起こった。なんと、あるはずのない視界になにか白いものがチラついたではないか!
 久しく忘れていた、この感覚。長く使われていなかった視神経が、悲鳴をあげる痛み。
 俺は日課のことも忘れて慌てて部屋を飛び出し、この時間いつも主人がいる食堂へと駆け込んだ。
「ご主人! 光が! 光が見えます!」
「なに! それは本当か!」
 興奮冷めやらぬまま、俺は辺りを見渡す。
 まだ物の形は見えず、色も何もわからない。
 それでも、外の音が漏れ聞こえてくる窓の方を見やれば、僅かながらも確かに視界が明るくなるのだ。
 そうして感動して無心に明るい方を見つめる俺の顔をなにか大きなものが包み込み、顔を上向かされる。
 視界が再び暗くなった。
「おい、どうした。何かおかしいところでもあるのか?」
 聞こえてくる主人の声が、いつになく近い。
 空気の揺れる、気配もだ。
 数回瞬きしてからようやく俺は、主人が俺の顔を手で掬いあげて、彼がこちらに顔を寄せているのだと理解した。
「いえ、ただ久しぶりに感じた明るさに感じいっていただけです。昨日までは完全な暗闇だけの世界だったのに、今は僅かながらも確かに光の明暗がわかります!」
「そうか、そうか! でかしたぞ!」
 耳元で主人が高らかに笑う声がする。
 この人はこんな優しい声で笑うのか。
 顔を挟む手が温かい。
 今まで治療のために近づいた時は痛みや恐怖、周囲の薬品のせいで気が付かなかったが、近くまで寄った主人からは薬草と消毒液の匂いがした。
「お前は薬が効きにくいやら副作用が強く出るやらで薬物治療の結果が芳しくなくて、一時はどうなることかと思ったが、魔法治療の方は上手くいってよかった。それにしても、まさかこんなに早く結果が出るとは! だが、その分体への負担も大きいはずだ。気持ちは悪くないか? どこか痛むところは?」
 頬に置かれていた手が体の表面を移動して、全身をペタペタと触られる。
「フフッ、ご主人。擽ったいですよ」
「ただ触診しているだけだ、馬鹿者。それより体の調子はどうなんだ? もったいぶってないで教えろ」
 だって、擽ったいものは擽ったいのだ。
 ただでさえ主人の手は大きくて温かいので、触られると変な意味ではなくうっとりしてしまう程気持ちがいいのに。もし痛むところがあったらそこに強く触らないよう、気遣いながら優しく触れられるのは、なんだか悪くはない感覚だ。
 俺のふざけ半分の抗議の声を無視して、主人は俺の手を、体を、頭を、触ってくる。その事になんだか心まで擽ったい気持ちになってきた。
 そこで俺はふと、あることに気がつく。
 痛い思いをさせないように。それでも、少々無遠慮に全身を触ってくる主人の手の感触が、こんな時まで素手ではなく手袋越しのものだったのだ。
 その言葉が口から滑り出したのはほとんど無意識だった。ただ、彼の素肌に触れたいと、そんな邪な思いから来た言葉だということは認めよう。
「あれ、治療中だけでなく、お食事の時も手袋をなさっていらっしゃるんですね。珍しいですね、なにか理由でも?」
 その言葉の効果は劇的だった。
 俺に触れていた手がピクリと反応し、その動きを止める。ご主人が纏っていた空気が、ガラリと変わったのが感じ取れた。いい意味でなく、悪い意味で。空気がサーッと冷たくなるのを感じたのだ。
「……ご主人?」
 俺が言葉をかけてから、ゆうに数分間固まったまま動かないご主人に不安になって、呼びかけてみる。
 そこで彼はようやく自分を取り戻したのか、ハッと小さく息を詰める音がしたかと思うと、両肩のあたりに添えられていた手が静かに、そして素早く遠ざかって行く。
「……急用を思い出した。今朝中に摘み取らねばならない薬草があったんだった。薬草を取りに少し出てくる。お前はここで食事を摂ったあと、部屋に戻って大人しくしていろ」
「えっ、ちょっと待っ……」
「っ、触るな!」
 引き留めようと、慌てて伸ばした手が指先に動物の毛皮のように柔らかい髪の毛の感触を感じた瞬間に振り払われる。強く払われた手がジンジンと痛い。突然のことに驚きで呆然とする俺に、主人は躊躇うような気配を見せたが、それも一瞬だった。
「……他人に触られるのは好きじゃない。不愉快だ」
「も、申し訳ありません。とんだご無礼を……」
 俺が言葉を最後まで言い終わるのも待たずに、主人はとても急いた音を立てながら部屋を出ていった。
 小鳥の囀り。腹の空いてくるスープの匂い。
 俺は目が見えるようになり始めた喜びと、主人の不可解な態度に困惑した思いとを綯い交ぜにした複雑な胸中のまま、突然1人食堂に取り残されたのだった。
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