1 / 2
ここまで読めばメリバ
しおりを挟む
産まれながらに顔に汚い大痣があった。そのせいで忌み子だなんだと言われて、産みの親に嫌われ散々だ。産まれて3日と経たずに遠縁にあたるろくでなし夫婦の元に端金と共に捨てられた。どうせ捨てるなら道端に捨ててくれりゃそのまま死ねたのに。幼い頃はよくそんな事を考えた。
養父は酒浸りで毎日暴力三昧。養母は貧乏子沢山で苛立っていて、いつも子供にあたり散らしてた。そんな所で捨てられっ子で醜い俺が大切にされる筈もない。養父母から義理の兄弟姉妹、それどころか住んでいた村ぐるみで石を投げつけられたり泥を擦り付けられたりしていた。反応すると面白がられて益々暴力が酷くなるから、泣かずにじっと耐えるようになったのはこの頃からだ。
12の歳に隣国との戦争が始まり、その翌年に俺は養父のたった数日の遊興費の為に年齢を偽り、ほんの少しの入隊の祝い金と引替えに無理矢理軍に入れられた。そのまま上官に役立たずのうらなりだと怒鳴られ、顔の痣を理由に愚鈍だと仲間に馬鹿にされ、ズルズル死に損なってしまい約4年。俺は今年で17になる。飯もろくに食わせて貰えない環境で、それでも背丈は馬鹿みたいに伸びた。俺は今日も1人、前線基地の端っこで黴かけたパンをモソモソと食っている。
「ブルース、お前に辞令だ! 喜べ、栄転だぞ。荷運び係から間諜に大出世だ!」
ブルースというのは俺の渾名だ。本名じゃない。痣があるから、ブルース。なんと安直な。でも、皆そう呼んでいるし今更誰も俺の本名を覚えちゃいないから構わない。
それより、今は目の前の上官から告げられた辞令の方が大事だ。間諜? こんな、顔にある痣が目立ってしょうがない俺が? しかも入隊してからこっち荷運びや雑役ばかりで、特殊な訓練も受けていない。全く適役と思えなかった。
要は人員不足なのだろう。ここの所小競り合いは全部うちの国が負け越しているし、戦線も後退し始めている。有り体に言えばジリ貧なのだ。敗色濃厚のこの戦況でそれでも負けを認められない上層部が一発逆転を狙い、しかしまともな兵は死ぬか怪我するかして使えないから俺みたいな人間にまでお鉢が回ってきた……。つまりはそういう事だ。なんにせよ俺に選択権はない。結局俺はこの辞令を拝命し、単身敵地へと向かう事となった。
間諜の役目、最初は俺なんかと思っていたが、存外才能があったらしい。どうやら常に卑屈で顔の痣の目立つ俺は、敵の間諜と言うよりはただの醜男にしか思えなかったようだ。お陰でかれこれ数ヶ月、多少虐めにあいながらも敵国の人間だと殺される事は全くない。どこの国でも軽んじられるのだけは一緒でまともな情報は持って帰れなかったが、それでも何とか生きていた。
「オラッ、ボンクラ! 夜までにここ全部片付けとけよ!」
形勢不利な母国とは違って、調子のいい敵国は配給にも人員にも余裕がある。ただ、だからと言って流石に戦争中だ。心の余裕まではどうにもならないようで、ここでも俺は顔の痣を理由にしょうもない虐めにあっていた。俺に任せられたのは騎龍兵の操る騎龍の世話。ともすれば戦局の要となる騎龍兵だったが、その大事な道具である騎龍の世話は重労働でなり手が居ない。自然と新入りで醜く虐められやすい俺に全ての世話が押し付けられていた。だが、存外俺はこの役目が嫌いではない。
「クルルル……」
「よしよし、マックス。待ってろよ、今鱗を磨いてやるからな。ワッ! コラ、舐めるなよ、擽ったい!」
「ギャウッ!」
「セイディは相変わらずお転婆だな。順番に構ってやるから、もうちょっと待ってな」
騎龍1匹1匹に声をかけながら、丁寧に世話をしていく。俺はこの時間が好きだ。騎龍は人と違ってこの痣だけを見て俺の内面まで判断し、虐めない。熱心に世話をすればするだけ懐いてくれる。こいつ等の面倒が見れるだけで、敵国に潜入した価値があったようなものだ。1匹また1匹と世話をしていき、そして最後は。
「よう、ヒュー。お前はいつも綺麗だな」
俺の言葉に騎龍のヒューが当たり前だ、とでも言いたげに横目でこちらを見、フンッと鼻を鳴らした。こいつは騎龍の中でも頭1つ抜けて優秀だが特に気難しく、俺も気に入って貰えるまでかなり苦労した。他の世話当番は最低限龍房の掃除と餌やりしかできないのに、ヒューに触らせて貰えるのは俺とヒューの担当騎龍兵だけだ。
「グウゥ」
「ああ、頭の後ろが痒いのか? よし、磨いてやるから頭を下げな」
龍は賢いので人間の言葉は簡単に分かってくれる。大人しく頭を下げてくれたヒューの鱗を磨く。そのうちヒューが俺に体をぶつけて甘えだしたので、こちらからも笑いながら体を思いっきりぶつけてやった。力の強い騎龍を相手にするなら人間は全力でかからなくてはならない。手加減なんかしようものなら手を抜くなと怒られてしまう。そうして俺が夢中になってヒューと戯れていると。
「貴様! 何をやっている!?」
突然背後から怒鳴られ、同時に首根っこを掴まれて地面へと引き倒された。目を白黒とさせている間に横っ面を思いっ切り殴られる。相手が続く二の矢でまた拳を固めた所で、ヒューの大きな威嚇の声が響いた。
「グギャーッ!」
瞬間、俺の上に股がっていた相手が横に吹き飛んだ。ポカンと呆気に取られている俺の頭の上にあるのは、ヒューの太い尻尾。俺を殴り飛ばした相手を、ヒューが怒って尻尾で吹き飛ばしたのだ。相手は堅牢な龍房の石造りの壁に激突し、呻き声を上げ動かなくなる。
「ギャアッ! ギィーッ!」
「っ! ヒュー、落ち着け! 皆も!」
俺は慌てて立ち上がり、怒り狂うヒューとそれに呼応し興奮し始めた騎龍達を宥めた。この大騒ぎに他の兵達もなんだなんだと集まってくる。しかし、興奮した騎龍の犇めく龍房に入ってこれる者は1人も居ない。自分しか頼れる者が居ない、ここで己が何とか騎龍を落ち着かせなければ先程吹き飛んだ男が殺される。そんな考えの元、俺は必死になって騎龍達を宥め続けた。
時間はかかったが、なんとか騎龍達を落ち着かせる。まだ気の立っているヒューへの警戒はとかないようにしながらも、俺は先程殴ってきた男の元へと急いだ。男は先程からピクリともしない。無理もない、あれだけの勢いで石壁に叩きつけられたのだ。伸びてるか最悪死んでいるのだろう。どうか命ばかりは無事であってくれと祈りながら、俯せの男を抱き起こす。そして、その顔を見て俺はハッと息を飲んだ。
「ランドン中尉……!」
抱き起こして現れた美しい顏には見覚えがあった。名のある貴族の子息であり、花形である騎龍兵のエースでもあり、この前線基地の羨望の的で英雄でもある、戦果華々しいアシュレイ・ランドン中尉。ゴミ虫のような俺とは違う、殿上人。彼の纏う騎龍3番隊隊長の証である紺碧のマントは、兵士達の憧れの的だ。しかし、何故この人が倒れている。中尉は名うての騎龍兵であり、なによりヒューの担当騎龍兵だ。俺を除けばたった1人気難しいヒューに気にいられた人を、何故ヒューは薙ぎ倒した?
混乱が深まったが今はそれどころではない。中尉は息はあるものの意識を失っているし何より石壁に叩き付けられたのだ。即刻医官に見せねばなるまい。ランドン中尉を横抱きに、俺は慌てて龍房の外へと飛び出した。
「ええい、往生際の悪い! いい加減吐かんか!」
「ですが、俺は何も」
言葉の途中で有無を言わさず顔面に拳が飛んでくる。力一杯殴り飛ばされ、俺は縛り付けられた椅子ごと後ろに吹き飛んだ。意識のない中尉を医官に引き渡して直ぐ、俺は営倉にぶち込まれこうして折檻なのか拷問なのか分からない仕打ちを受けている。間諜だとバレたのではない。手練の中尉が自分の騎龍に吹き飛ばされるなんて、お前が何か仕出かしたのだろうと言われのない疑いを向けられたのだ。
ヒューが怒った理由は分かっている。ヒューと俺がじゃれている時に、横から来た中尉がいきなり俺を殴り飛ばして邪魔したからだ。賢い騎龍は俺の事を対等な友達だと思ってくれている。中尉がいくら心を許した相棒とは言え、いきなり友達の俺を傷つけられ憤慨したに違いない。だが、いくらそう説明しても気高い騎龍がお前ごとき相手に心を許す筈がないと一笑に付されて信じて貰えず、結果俺はこうして殴られ続けている。
「どうせ自分とは天と地程も違う中尉に身の程知らずにも嫉妬して、騎龍に何か細工したんだろう!? さっさと認めろ!」
殴られ過ぎて口を開くのも辛く黙って首を横に振ると、詰問している上官の顔が怒りに染った。今度は拳ではなく、硬い木の棒をふりかぶられる。次に襲い来る痛みを予想して、俺は固く目を瞑った。その時。
「そこまでだ!」
営倉の扉が開け放たれ暗闇の中に光が差し込み、同時に鋭い一声が響いた。殴られ過ぎて視界がボヤける俺には誰がやってきたのか分からない。代わりに、俺を殴っていた上官が相手の名を呼んだ。
「ラ、ランドン中尉……、どうしてここに……!」
やって来た人物……それは中尉だった。さっきの今騎龍に石壁へと叩き付けられたばかりなのに、片腕を吊りながらもちゃんと自分の足で立っている。彼は逆光の中でも分かる程怒った表情をしていた。
「中尉、お体はもうよろしいのですか?」
「俺の事はいい。それより、早くそいつを自由にしろ」
「しかし、こいつは騎龍をけしかけ中尉に害を」
「いいから即刻縄を解け!」
中尉に怒鳴られ、困惑した様子ながらも上官は黙って言葉に従う。直ぐさま手足の縄が切り落とされ、中尉が連れてきたらしい医官が俺の手当を始めた。何が起こったのか理解できず呆然とする俺の隣に中尉が跪き、申し訳そうな顔でこちらを覗き込んでくる。
「お前、名前は?」
「……ブルースです」
「ブルース、俺のせいで済まない。お前には要らぬ迷惑をかけたな」
「中尉は全てをご存知で?」
「いや……。だがだいたい察しは着いている。何にせよ、俺がお前に殴りかかったことが原因なんだろう? 済まない、お前がヒューに無体を働いていると思ったんだ」
だが、冷静に考えればそれはないな。ヒューみたいな気難し屋に悪さをしたら、お前は今頃挽肉だ。そう言って中尉は気まずそうな表情をする。成程、どうやらヒューに体当たりしてじゃれる俺を巫山戯て騎龍に悪戯をしていると早とちりしたらしい。それで自分の相棒に何をしているんだ、と咄嗟に殴りかかってきたと。それを見たヒューが怒って暴れて……。要は全ては勘違いの産んだ不幸な事故だ。
「おい、何故こいつをここまで酷く殴った。いくら何でもやり過ぎだろう」
「し、しかし、先程までそいつは中尉に対する殺人容疑が」
「言い訳をしている場合か! ハァー……全く度し難い。おい、いいからこいつに謝れ」
「へっ!?」
「ちゅ、中尉。それはもういいですから」
「全く良くない」
「それより、ヒューの事を聞かせてください。あいつは何か処分を受けるんですか?」
俺を痛めつけていた上官に食ってかかった中尉を慌てて止める。本人は親切心のつもりなのかもしれないが、ここで上官の機嫌を損ねたら後で当たられるのは俺だ。そんなの堪ったもんじゃない。水を向けると中尉は渋々ながらも俺の話題に乗ってくれる。ヒューの事が気になっていたのは本当だったので、助かった。
「ヒューは龍房で元気にしてる。ただ、今は気が立っていて俺でも近付けない。今回の事は俺の不手際による事故だと上に伝えたから、処分は受けない筈だ」
「そうですか、よかった」
「……お前は変わった奴だな。こんな酷い目に会ったのに、真っ先に騎龍の心配をするなんて」
「それは、まあ。ヒューに限らずですが、騎龍達は俺のいい友達ですから」
俺のこの言葉に中尉は驚いた様子で目を見開く。本当に思っている事だけれど、騎龍兵の前で龍が友達だなんて、ちょっと言い過ぎただろうか。騎龍兵は誇り高く、ともすれば傲慢だ。自分の龍を友達だなんて言い張る雑兵が居たら、馴れ馴れしいと気を悪くするかも。不安が頭を過ぎり前言を撤回しようかと思ったが、その前に目の前の中尉がカラリと笑う。
「ハハッ! なんだそれ。お前は本当に変わった奴だ」
中尉はカラカラと明るく笑い続ける。それを見て、俺もヘニャリと力が抜けて顔が笑ったような形になった。何となく張りつめていた空気が緩む。傷の痛みに耐えながらも、何とかやり過ごせたようだと俺は内心胸を撫で下ろした。
その一件以来、中尉は俺の事をいたく気に入ったらしい。手首の骨に入った罅が治るまでの間休むか書類仕事をするしかなくて暇なのか、やたら俺に構ってくるようになった。俺の姿を探して龍房近くを彷徨き、見つければ嬉しそうに声をかける。あの中尉のお気に入りとなれば同輩達も俺の事をこれまで通り虐める訳にはいかない。自然と俺の待遇は良くなっていき、それどころか俺は中尉の采配で出世までさせられ龍房の管理担当責任者になってしまった。本当は中尉は俺を自分とヒューの専属にしたかったし、更に言えば騎龍兵の見習いに取り立てたかったようだが、俺がヒューの世話しかしなくなったら他の騎龍が拗ねて暴れるし身分の卑しい俺を騎龍兵にするのは周りの反発が酷くてできなかったようだ。
「もうギプス取れたんですね。よかった」
「ああ、後遺症もないし、後何日かリハビリして筋力を戻したら戦線復帰だ。その祝い酒に酒保からいいのを買ってきたんだが、お前も飲まないか?」
「中尉、ですから俺は酒はからきしなんですよ」
「良いじゃねぇか、無理には飲ませねぇから、俺が飲むのに付き合えよ」
憧れの中尉と気安く話す俺に、周囲から羨望と嫉妬の入り交じった視線が向けられる。そんなに睨まないでくれ。俺が変に畏まるとこの人が不機嫌になるんだから仕方がないだろう。この場で裏に何の思惑も持っていないのは、明るく笑う中尉ばかりだ。
「夕食が終わったら直ぐ部屋に来いよ。俺とお前の仲だ、手土産は要らんからな」
笑顔の中尉と別れ、俺は業務に戻る。龍だけでなく変に中尉にまで懐かれたせいで、本来の仕事の間諜がやり難くってしかたがない。兎に角どこへ行ってもあの中尉のお気に入りだと目立ちまくるのだ。戦況は未だ祖国が不利。そのせいか連絡係の配備も遅れに遅れて、俺がまともな情報を持ってこなくても向こうがその事に苦言を呈する余裕がないのが良いのか悪いのか。そんな事を考えつつも、俺にできる事なんてない。ただただ騎龍の世話だけが癒しだ。
いや……癒しと言えば、最近は騎龍の世話以外にも心安らぐ瞬間がある。中尉と共に過ごしている時だ。中尉は本当に俺に優しい。俺なんかは食った事もないような菓子をくれたり、真っ当に扱って取り立ててくれたり、顔の醜い痣なんか見えてないみたいに眩しそうにこっちを見てくれる。その1つ1つが、俺の心を波立たせた。高貴な身分の美しく優秀な中尉に宝物のように扱われ、まるで自分が価値ある人間になったみたいな錯覚をしそうになる。いつしか俺が中尉を1人の人として慕うようになったのも当然の流れと言えよう。
そうしている間にも時間は進み、季節は移ろっていく。中尉は戦線復帰してから快進撃で、祖国の軍は壊滅状態らしい。戦線はどんどん祖国の内部へと前進していき、俺も何度か拠点を移った。その度に必ず中尉と同じ拠点に配属されるのだが、もう何も言うまい。どうも中尉は俺を大事な騎龍を任せるに足る、信頼の置ける人間だと思っているらしい。ほぼ機能していないとは言え、実際は敵国の間諜なのに。自分ではどうしようもない事だが、産まれて初めて俺なんかにも優しくしてくれた彼を欺き続けないといけないのは、とても心苦しかった。
そんなある日の事である。珍しく祖国の軍が徹底抗戦したらしく、激しい戦闘となったらしい。全ての情報が混乱し錯綜する中、敵国の騎龍が一匹撃墜されたという情報が入った。それもただの騎龍ではなく、隊長格の騎龍らしい。騎乗していた騎龍兵は死亡。隊長格が死ぬなんて大事だ。誰が死んだのかと俺の控えていた策源地まで酷く混乱していた。どうかあの人じゃありませんように、無事帰ってきてくれますように。必死に祈る。知らず握りしめた拳のせいで、掌には血が滲んでいた。
「騎龍隊が帰ってきたぞー!」
その叫びにハッとして慌てて駆けだす。押し合い圧し合いの人混みを無理に抜け、転ぶようにして前に出て帰ってきた兵士達の顔を必死に確認した。どれ程の激戦だったのだろう。どの兵も龍も皆汚れてボロボロだ。不安がどんどん膨らんでいく。だから、あの紺碧のマントを見た瞬間、俺は何だか無性に泣きそうになってしまった。
「ランドン中尉!」
思わず上げた叫び声に、中尉が弾かれたようにこちらを見る。殆ど転がり落ちるようにして下龍した中尉がこちらに向かって大きく腕を広げた。俺は真っ直ぐその腕の中に飛び込んで、ギュッと血腥いその体を抱き締める。周りの目なんて気にならない。その時ばかりは、自分達2人だけが世界の全てだった。
あの瞬間、確かに俺達2人の間で何かが変わったのだ。中尉は戦支度も解かぬまま自室に俺を連れ込み、部屋の扉が閉まると同時に俺を壁に縫い付けかぶりつくようにして唇を奪った。こちらからも必死になってそれに応える。あの戦いで俺も中尉も死に別れて二度と会えないかもしれないという恐怖を味わった。後悔は残したくない。そんな必死の思いで、夢中になって互いを求めた。
「あっ、ぃ、んんっ! ちゅ、中尉、そこは、あぁっ!」
「なぁ、ブルース。閨の中でくらい名前で呼べよ」
「でも」
「頼むよ」
「ヒィッ! ア、アシュレイ! んぅ、ゃ、いぃ……!」
中尉がペニスをグップリと俺の後孔に填めたまま、腰をグリグリと押し付けてくる。彼のペニスが最奥を刺激して快感が湧き上がり、俺はあまりの事に善がりながら泣き叫んだ。龍の世話で力仕事に慣れていて逞しい筈の俺の体を、中尉はいとも簡単に押さえ付け下から何度も腰を突き上げる。片手で俺の両手を纏め上げ、残った手でグジュグジュになったペニスを扱かれればもう訳が分からない。息を止めようとでもするかのように、何度も執拗くキスをされるのが堪らなかった。ブルースという忌まわしい渾名ですら、彼に甘く呼ばれれば堪らない響きを孕む。
「ブルース、ブルース、──ッ!」
「はぁ、んんっ、ああぁ──!」
ドクリと大きく中尉のペニスが膨れ上がり、俺の腹の中で熱が弾ける。同時に俺のペニスからも熱い飛沫が飛び散った。拘束が緩み、ドサリと重くて硬い体が上にのしかかってくる。ハァハァと耳元に聞こえる荒い息に何故か酷く安堵しながら、背中に回していた腕でギュッと中尉の体を抱き締め直した。
「中、んむっ」
彼を呼ぶ前に唇が降ってきて、キスをされる。そのまま唇を割られ舌が口内に入り込んできた。ヌメヌメと動き回るそれに慣れないなりに一生懸命応える。長い時間かけて味わった名残りのキスは、最後にチュッとリップ音を立てて終わった。
「ハハッ、なんて顔をしやがる。もう1回したくなるから止めてくれ」
「……俺は別にあと何回したって構いませんけど」
「馬鹿、お前の方が負担がデカいんだから、今日はここまでだ」
「今日はという事は、また別の日にお情けを期待してもいいんですか?」
「お前さえ良ければ、な。でも、俺からのお情けじゃなくて、お互い求め合ってやろうぜ」
そう言って中尉は俺の顔にキスをする。醜い痣のある顔に、愛しげに。それだけで俺は酷く舞い上がるような気持ちになった。思わず破顔すると、中尉の方も幸せそうに笑い返してくれる。祖国も戦争も、課せられた重い役目だって関係ない。この時ばかりは目の前の愛しい人の事だけを考えていたかった。
これが破滅の始まりだ。それから俺達は時間を見つけては何度も愛し合った。中尉は何度も俺にのしかかって揺さぶり、感じ入って流す俺の涙を舐め取って、醜い痣にキスをしてくれる。俺からも応えて彼のペニスを頬張ったり、何度も後ろで締め付けたり、2人で互いの体を味わい尽くした。体を重ねる度、思いも深まる一方だ。俺達はただただ互いに溺れていった。
「この戦争が終わったらさ、俺の故郷に来いよ。自然が豊かで恵みの多い素晴らしい所なんだ。俺は三男だからちゃんとした仕事は兄貴の手伝いくらいしかないだろうけど、お前と2人、ヒューに乗って荷運びもすれば皆で食べてける」
「神聖な騎龍を荷運びなんかに使ったら怒られますよ」
「構うもんか! どうせこの戦争が終わったら戦いもなくなって俺達はお払い箱だ。それなら好き勝手生きて何が悪い。なぁ、ブルース。約束してくれ。いつか俺と一緒に、故郷で暮らすって」
「フフッ、ええ。約束ですよ」
寝物語に俺が柔らかく微笑んで誓いを立てれば中尉は子供みたいな顔で嬉しそうに笑い、ギュッと俺の体を抱き締める。そうしてもう癖になっているらしい俺の痣へのキスを繰り返した。馬鹿な事を。俺は笑顔の裏で己自身に冷めた視線を向ける。例えこの戦争が終わろうが、俺と彼が無事生き残ろうが、俺が彼と共に故郷に帰る日は永遠に来ない。それを分かっていながら嘘をついたのは、誰よりも俺自身がその嘘を信じたかったからだ。本当に、いつか彼の故郷に行けたらいいのに。愛される度、嘘が増えていく。
この愛しい日々がいつか終わると知っていた。それでも何も策を講じなかったのは、何も俺が全てを諦めていたからじゃない。ただ、どうせいつか終わってしまうのなら、最後の瞬間まで彼だけを一心に愛していたかった。それだけだ。何とも愚かで浅ましい。そして、終わりの瞬間は前触れもなくやってきた。
「おい、聞いたか? 敵国が忍ばせた間諜の連絡係が捕まったって」
「今拷問にかけてるんだろう? そう待たずに間諜の正体も分かるだろうさ」
騎龍を運動場に連れ出した時、同輩がそう噂しているのを聞いて心臓が止まりそうになる。何とか自然な動作でその場に立ちどまり、それとなく聞き耳を立てた。いや、違う。俺じゃない。間諜は俺以外にも数人居る筈だ。情報漏洩を防ぐ為にそれぞれに担当の連絡係が付き、横の繋がりはなく担当の間諜以外は連絡係は名前も顔も知らない。俺の担当の連絡係が捕まったとは限らないんだ……。殆ど祈るようにして自分に言い聞かせる。しかし。
「おい、あれ情報部の」
「どうしてこんな所に」
その言葉に顔を上げると、間諜や捕虜の処罰を担当する部署の上官が遠くに姿を現したところだった。嫌な汗が湧き、口の中がカラカラに乾く。上官は誰か探すように辺りを見渡し、そう待たずに騎龍の影に隠れていた俺を見つけ後ろにいた部下に何かを命じた。直ぐに部下達が俺を目指して走り出す。その前にはもう、俺は走り出していた。
「そいつを捕まえろ! 間諜だ!」
背後から大勢の足音と怒鳴り声が追いかけてくる。ただただ走った。足もちぎれんばかりに、肺が潰れんばかりに。背後で騎龍の嘶きと、人の悲鳴が聞こえる。チラリと振り返ると、運動させようと連れていた騎龍が立ち上がり威嚇して追っ手の行く先を阻んでいた。逃がしてくれるのか。俺なんかにそんな価値はないのに。そう思っても足は止まらなくて、また前を向いてひた走った。
それからどこをどう抜けたのか分からない。ただ、気がつくと俺は記憶の中より随分とみすぼらしくなった設備の祖国の策源地で保護されていた。大した手柄もなく逃げ帰ってきた嫌われ者の俺を誰もが疎んだ。どうせなら重要な情報の1つでも伴って帰って来ればいいものを。隠しもせずにそう言われた。しかし、何も頭に入ってこない。俺の頭を支配するのは、きっともう二度と会えない、愛しい彼の事だけだった。
本当に逃げるのが正解だったのだろうか。最後には拷問死する事になっても、あの時捕まっていればあと1度だけでも中尉の顔を見る事ができたかもしれないのに。それがどんなに蔑んだものでも、裏切りに傷つき憎しみを湛えたものでも、身勝手な俺はまた彼に会いたくて堪らなかった。ただ最後に愛した男を一目見れるのなら、命だって差し出して構わないとすら思える。ああ、もう何も分からない。
「現在戦局は悪化の一途を辿っている。それにより残念だがこの策源地に配備された人員は、本隊との合流が叶わなくなった。明晩、我々は敵の砦に突撃をし、名誉と共に剣の下で玉砕をする! 最後に奴等に、目にもの見せてやろう!」
俺が戻って数日後、残った兵全員を広場に集めて策源地の最高司令官がそう鼓舞した。忠義心に酔った同輩達が地鳴りのような雄叫びを上げる。皆祖国の為に死ぬつもりなのだ。熱気の渦の中で俺ばかりが呆然としていた。その後俺は個別に上官に呼ばれ、何かと思えば敵国の砦の中を案内しろと言われる。どうやら他の間諜から俺と中尉が好い仲なのを伝え聞き、それなら中の構造に詳しいだろうと思ったらしい。その時の俺にはもうどうにでもなれとしか思えなかった。どうせ中尉にはもう会えない。その事はここ数日静かに考え続けてつくづく思い知っていた。
あっという間にその時が来る。申し訳程度に剣を握り、敵の砦に夜襲をかけた。意外な事に敵国はもうこの戦争は勝ったも同然と思っていたのか、油断をしていたようで自軍は当初の想定通り即座に全滅とはならず、あっという間に混戦となった。騎龍兵避けの煙幕が炊かれ、視界が利かない。あちこちから降ってくる血塗れの剣を何とか躱す。予期せぬ襲撃に狼狽える敵軍と、死ぬ覚悟で剣を振るう自軍。数と地の利では劣るが善戦をしている。俺は案内役なのに導いていた自軍とはとうの昔に逸れた。もう自分が何をすべきかも分からない。ただただ逃げ惑う。
「騎龍兵が来るぞー!」
誰かが叫び、同時に強風が吹いて一瞬煙幕が晴れる。地面スレスレを1匹の騎龍兵が飛んで、その風で煙幕を飛ばしたのだ。だが、これは危険な策である。空高くを飛びヒットアンドアウェイで一方的に敵を蹂躙するのが利点の騎龍兵が地面近くまで降りてくると、自ずと歩兵にやられてしまう。案の定……。
「ギャァッ!」
「やった! 騎龍に一太刀くれてやったぞ!」
誰かが振り上げた槍か剣か何かが装甲の隙間から騎龍の柔らかい腹を傷つけたらしい。鮮血を迸らせながら、騎龍がフラフラと飛んでいく。
「暫くすれば落ちる筈だ! そこを一気に攻め込むんだ!」
フラつく軌道の騎龍を眺める。危険な役目を負わされたくらいだから、新兵だろうか。可哀想に。騎龍兵は天高くから見下しやがってと歩兵に憎まれるから、捕まっても捕虜にもなれずなぶり殺しにされるだけだ。せめて自軍の多い場所に堕ちようという最後の足掻きだろう。何とか砦の向こうに飛んでいこうとする騎龍の、その背中。忘れもしない、紺碧が翻っていた。
「……中尉」
ダッとその場を走り出す。切っ先が肌を掠めようが近くで悲鳴と血飛沫が上がろうが、関係ない。ただ、騎龍の落ちていく先、砦の上へとひた走る。
「中尉!」
息を切らしようやく駆け込んだ砦のてっぺんの部屋は、騎龍の衝突で崩れかけ、空が見えていた。もう夜が明け始めている。早暁の青い光が辺りを照らしていた。その光の真ん中に血塗れで倒れているのは、夢にまで見た彼で……。
声も出せずに駆け寄って、慌てて静かに抱き起こす。酷い怪我だ。足を砦の支柱だった破片が貫いている。この傷ではもう騎龍には乗れまい。手早く処置をする。よし、これで暫くは持つだろう。
チラリと周囲を見ると、俺の自軍の兵は寄って来る気配はあるのに、中尉の仲間の敵軍は誰も助けに駆けつけていない。中尉は捨て駒にされたのだ。きっと俺のせいだろう。間諜の俺と深い仲だったから、捨て身の先陣を切らされたんだ。中尉は貴族で優秀だが忠義が疑わしいなら話は別だし、ヒューもいい個体だが気難しく中尉の言う事しか聞かない。俺のせいで、彼等は仲間に切り捨てられてしまった。
「ゴホッ、ブルー、ス……?」
「喋らないで。肋骨が折れてる」
ここに来るのは全てを見越していの一番に駆け出した俺が1番早かったが、自軍の気配は直ぐそこの階下にまで迫っている。途中申し訳程度に物を崩してバリケードも作ったが、どこまで持つか。もう時間がない。この状況から、中尉を確実に逃がすには……。
「ハハ、最後にお前の幻が見れるなんて……。まあ悪くないかも……ウッ!」
傷の処置が終わった中尉を抱き上げる。部屋の隅、簡単には崩れそうにない瓦礫の影まで行き、安全を確かめてからそこに中尉を下ろした。土埃を使って死体に見えるように偽装する。中尉の軍服は血塗れだったので簡単だった。仕上げに脇に避けておいた紺碧のマントを剥がして身に纏えば、完成だ。
「ブルース? お前、何を……」
墜落の衝撃が薄れ、中尉はだんだん頭がハッキリしてきたらしい。俺が幻ではなく現実の存在だと気がついたようだ。ボロボロになった紺碧のマントを翻す俺を、呆然と見上げている。俺は彼の足元に跪き、もう終わってしまったあの日々によく見せていた笑顔で優しく語り掛けた。
「ここから動かないで。黙って死体のフリをしていてください。大丈夫、必ず迎えが来ます。あなたは生きるべき人だ」
「ブルース……?」
「あなたの故郷、見たかったな。俺は一緒に行けないけど、ちゃんと帰って親孝行して下さいね。最初は1人ぼっちでも、あなたならきっとその内好い人が見つかります。必ず幸せになってください」
「ブルース!」
言葉は使わずニッと笑う。それだけで十分だ。待て、行くな、と俺の名を呼ぶ中尉の絶叫を背中に聞き流し、俺はヒューに駆け寄った。幸か不幸か中尉は足を中心に全身を怪我しているので喚くだけでやっとだ。俺を止められる人間はこの場に居なかった。可哀想なヒューは腹に傷を負い翼も少し穴が空いていたが、賢い子なので瞬時に俺の意図を汲み取ってくれたらしい。まだ飛べる、という意思表示に体を持ち上げた。
巻き込んでごめん。一緒に地獄に落ちてくれ。ヒューの耳にそう囁く。騎龍に乗った事はないが、大丈夫。ヒューは賢いし、俺は誰より近くで沢山騎龍兵達を見てきた。それに、寝物語に何度も中尉から乗り方を聞いてきたんだ。きっとやれる。騎龍用のゴーグルをつけ痣を隠し、鐙に足をかけ鞍に跨って、その時を待つ。やがて、大きな音を立ててバリケードが破られ、自軍が雪崩こんできた。
「居たぞ、騎龍兵だ! マントを羽織ってるという事は隊長格だぞ!」
「我こそは騎龍3番隊隊長、アシュレイ・ランドン中尉! 俺の首級、取れるものなら取ってみるがいい!」
自軍の前でそう高らかに叫び、俺はヒューの手綱を引く。ヒューは大きく咆哮して、瓦礫を巻き上げながら飛び立った。視界の端に瓦礫の影になった本物の中尉が無事なのをチラリと一目だけ確認して、後は脇目もふらずに前だけを向く。手負いの討ち取りやすい騎龍兵としてフラフラと旋回し自軍を引き付けながら、できるだけ中尉から注目が遠ざかるように飛んだ。
今、やっと分かった。あの日俺が逃げ出し生き延びた、いいや、この世に生まれた本当の意味を。きっとこうして彼の身代わりになる為に、俺は彼に出会い、今日この時までを生きてきたんだ。騎龍を駆りながら空高くへと舞い上がる。防寒具を一切付けていないので息も凍るこの高さは吸い込む冷気で肺が痛い。それでも不思議と、体は高揚感で熱を持っていた。
そっと纏ったマントを手繰り寄せ、そこについた中尉の血の染みに微笑みと共に口付けを落とす。中尉、せめて最後にこれだけは持っていく事をお許しください。喉を鳴らした頑張り屋のヒューの首を優しく叩き、再び前を向いて空を飛ぶ。この背中ではためくマントさえあれば、俺はきっとどこまでも飛んでいけるだろう。高らかに笑い声を上げ、俺は空を飛び続けた。遠く高く、どこまでも果てのない自由な空を。
「騎龍が落ちたぞー!」
養父は酒浸りで毎日暴力三昧。養母は貧乏子沢山で苛立っていて、いつも子供にあたり散らしてた。そんな所で捨てられっ子で醜い俺が大切にされる筈もない。養父母から義理の兄弟姉妹、それどころか住んでいた村ぐるみで石を投げつけられたり泥を擦り付けられたりしていた。反応すると面白がられて益々暴力が酷くなるから、泣かずにじっと耐えるようになったのはこの頃からだ。
12の歳に隣国との戦争が始まり、その翌年に俺は養父のたった数日の遊興費の為に年齢を偽り、ほんの少しの入隊の祝い金と引替えに無理矢理軍に入れられた。そのまま上官に役立たずのうらなりだと怒鳴られ、顔の痣を理由に愚鈍だと仲間に馬鹿にされ、ズルズル死に損なってしまい約4年。俺は今年で17になる。飯もろくに食わせて貰えない環境で、それでも背丈は馬鹿みたいに伸びた。俺は今日も1人、前線基地の端っこで黴かけたパンをモソモソと食っている。
「ブルース、お前に辞令だ! 喜べ、栄転だぞ。荷運び係から間諜に大出世だ!」
ブルースというのは俺の渾名だ。本名じゃない。痣があるから、ブルース。なんと安直な。でも、皆そう呼んでいるし今更誰も俺の本名を覚えちゃいないから構わない。
それより、今は目の前の上官から告げられた辞令の方が大事だ。間諜? こんな、顔にある痣が目立ってしょうがない俺が? しかも入隊してからこっち荷運びや雑役ばかりで、特殊な訓練も受けていない。全く適役と思えなかった。
要は人員不足なのだろう。ここの所小競り合いは全部うちの国が負け越しているし、戦線も後退し始めている。有り体に言えばジリ貧なのだ。敗色濃厚のこの戦況でそれでも負けを認められない上層部が一発逆転を狙い、しかしまともな兵は死ぬか怪我するかして使えないから俺みたいな人間にまでお鉢が回ってきた……。つまりはそういう事だ。なんにせよ俺に選択権はない。結局俺はこの辞令を拝命し、単身敵地へと向かう事となった。
間諜の役目、最初は俺なんかと思っていたが、存外才能があったらしい。どうやら常に卑屈で顔の痣の目立つ俺は、敵の間諜と言うよりはただの醜男にしか思えなかったようだ。お陰でかれこれ数ヶ月、多少虐めにあいながらも敵国の人間だと殺される事は全くない。どこの国でも軽んじられるのだけは一緒でまともな情報は持って帰れなかったが、それでも何とか生きていた。
「オラッ、ボンクラ! 夜までにここ全部片付けとけよ!」
形勢不利な母国とは違って、調子のいい敵国は配給にも人員にも余裕がある。ただ、だからと言って流石に戦争中だ。心の余裕まではどうにもならないようで、ここでも俺は顔の痣を理由にしょうもない虐めにあっていた。俺に任せられたのは騎龍兵の操る騎龍の世話。ともすれば戦局の要となる騎龍兵だったが、その大事な道具である騎龍の世話は重労働でなり手が居ない。自然と新入りで醜く虐められやすい俺に全ての世話が押し付けられていた。だが、存外俺はこの役目が嫌いではない。
「クルルル……」
「よしよし、マックス。待ってろよ、今鱗を磨いてやるからな。ワッ! コラ、舐めるなよ、擽ったい!」
「ギャウッ!」
「セイディは相変わらずお転婆だな。順番に構ってやるから、もうちょっと待ってな」
騎龍1匹1匹に声をかけながら、丁寧に世話をしていく。俺はこの時間が好きだ。騎龍は人と違ってこの痣だけを見て俺の内面まで判断し、虐めない。熱心に世話をすればするだけ懐いてくれる。こいつ等の面倒が見れるだけで、敵国に潜入した価値があったようなものだ。1匹また1匹と世話をしていき、そして最後は。
「よう、ヒュー。お前はいつも綺麗だな」
俺の言葉に騎龍のヒューが当たり前だ、とでも言いたげに横目でこちらを見、フンッと鼻を鳴らした。こいつは騎龍の中でも頭1つ抜けて優秀だが特に気難しく、俺も気に入って貰えるまでかなり苦労した。他の世話当番は最低限龍房の掃除と餌やりしかできないのに、ヒューに触らせて貰えるのは俺とヒューの担当騎龍兵だけだ。
「グウゥ」
「ああ、頭の後ろが痒いのか? よし、磨いてやるから頭を下げな」
龍は賢いので人間の言葉は簡単に分かってくれる。大人しく頭を下げてくれたヒューの鱗を磨く。そのうちヒューが俺に体をぶつけて甘えだしたので、こちらからも笑いながら体を思いっきりぶつけてやった。力の強い騎龍を相手にするなら人間は全力でかからなくてはならない。手加減なんかしようものなら手を抜くなと怒られてしまう。そうして俺が夢中になってヒューと戯れていると。
「貴様! 何をやっている!?」
突然背後から怒鳴られ、同時に首根っこを掴まれて地面へと引き倒された。目を白黒とさせている間に横っ面を思いっ切り殴られる。相手が続く二の矢でまた拳を固めた所で、ヒューの大きな威嚇の声が響いた。
「グギャーッ!」
瞬間、俺の上に股がっていた相手が横に吹き飛んだ。ポカンと呆気に取られている俺の頭の上にあるのは、ヒューの太い尻尾。俺を殴り飛ばした相手を、ヒューが怒って尻尾で吹き飛ばしたのだ。相手は堅牢な龍房の石造りの壁に激突し、呻き声を上げ動かなくなる。
「ギャアッ! ギィーッ!」
「っ! ヒュー、落ち着け! 皆も!」
俺は慌てて立ち上がり、怒り狂うヒューとそれに呼応し興奮し始めた騎龍達を宥めた。この大騒ぎに他の兵達もなんだなんだと集まってくる。しかし、興奮した騎龍の犇めく龍房に入ってこれる者は1人も居ない。自分しか頼れる者が居ない、ここで己が何とか騎龍を落ち着かせなければ先程吹き飛んだ男が殺される。そんな考えの元、俺は必死になって騎龍達を宥め続けた。
時間はかかったが、なんとか騎龍達を落ち着かせる。まだ気の立っているヒューへの警戒はとかないようにしながらも、俺は先程殴ってきた男の元へと急いだ。男は先程からピクリともしない。無理もない、あれだけの勢いで石壁に叩きつけられたのだ。伸びてるか最悪死んでいるのだろう。どうか命ばかりは無事であってくれと祈りながら、俯せの男を抱き起こす。そして、その顔を見て俺はハッと息を飲んだ。
「ランドン中尉……!」
抱き起こして現れた美しい顏には見覚えがあった。名のある貴族の子息であり、花形である騎龍兵のエースでもあり、この前線基地の羨望の的で英雄でもある、戦果華々しいアシュレイ・ランドン中尉。ゴミ虫のような俺とは違う、殿上人。彼の纏う騎龍3番隊隊長の証である紺碧のマントは、兵士達の憧れの的だ。しかし、何故この人が倒れている。中尉は名うての騎龍兵であり、なによりヒューの担当騎龍兵だ。俺を除けばたった1人気難しいヒューに気にいられた人を、何故ヒューは薙ぎ倒した?
混乱が深まったが今はそれどころではない。中尉は息はあるものの意識を失っているし何より石壁に叩き付けられたのだ。即刻医官に見せねばなるまい。ランドン中尉を横抱きに、俺は慌てて龍房の外へと飛び出した。
「ええい、往生際の悪い! いい加減吐かんか!」
「ですが、俺は何も」
言葉の途中で有無を言わさず顔面に拳が飛んでくる。力一杯殴り飛ばされ、俺は縛り付けられた椅子ごと後ろに吹き飛んだ。意識のない中尉を医官に引き渡して直ぐ、俺は営倉にぶち込まれこうして折檻なのか拷問なのか分からない仕打ちを受けている。間諜だとバレたのではない。手練の中尉が自分の騎龍に吹き飛ばされるなんて、お前が何か仕出かしたのだろうと言われのない疑いを向けられたのだ。
ヒューが怒った理由は分かっている。ヒューと俺がじゃれている時に、横から来た中尉がいきなり俺を殴り飛ばして邪魔したからだ。賢い騎龍は俺の事を対等な友達だと思ってくれている。中尉がいくら心を許した相棒とは言え、いきなり友達の俺を傷つけられ憤慨したに違いない。だが、いくらそう説明しても気高い騎龍がお前ごとき相手に心を許す筈がないと一笑に付されて信じて貰えず、結果俺はこうして殴られ続けている。
「どうせ自分とは天と地程も違う中尉に身の程知らずにも嫉妬して、騎龍に何か細工したんだろう!? さっさと認めろ!」
殴られ過ぎて口を開くのも辛く黙って首を横に振ると、詰問している上官の顔が怒りに染った。今度は拳ではなく、硬い木の棒をふりかぶられる。次に襲い来る痛みを予想して、俺は固く目を瞑った。その時。
「そこまでだ!」
営倉の扉が開け放たれ暗闇の中に光が差し込み、同時に鋭い一声が響いた。殴られ過ぎて視界がボヤける俺には誰がやってきたのか分からない。代わりに、俺を殴っていた上官が相手の名を呼んだ。
「ラ、ランドン中尉……、どうしてここに……!」
やって来た人物……それは中尉だった。さっきの今騎龍に石壁へと叩き付けられたばかりなのに、片腕を吊りながらもちゃんと自分の足で立っている。彼は逆光の中でも分かる程怒った表情をしていた。
「中尉、お体はもうよろしいのですか?」
「俺の事はいい。それより、早くそいつを自由にしろ」
「しかし、こいつは騎龍をけしかけ中尉に害を」
「いいから即刻縄を解け!」
中尉に怒鳴られ、困惑した様子ながらも上官は黙って言葉に従う。直ぐさま手足の縄が切り落とされ、中尉が連れてきたらしい医官が俺の手当を始めた。何が起こったのか理解できず呆然とする俺の隣に中尉が跪き、申し訳そうな顔でこちらを覗き込んでくる。
「お前、名前は?」
「……ブルースです」
「ブルース、俺のせいで済まない。お前には要らぬ迷惑をかけたな」
「中尉は全てをご存知で?」
「いや……。だがだいたい察しは着いている。何にせよ、俺がお前に殴りかかったことが原因なんだろう? 済まない、お前がヒューに無体を働いていると思ったんだ」
だが、冷静に考えればそれはないな。ヒューみたいな気難し屋に悪さをしたら、お前は今頃挽肉だ。そう言って中尉は気まずそうな表情をする。成程、どうやらヒューに体当たりしてじゃれる俺を巫山戯て騎龍に悪戯をしていると早とちりしたらしい。それで自分の相棒に何をしているんだ、と咄嗟に殴りかかってきたと。それを見たヒューが怒って暴れて……。要は全ては勘違いの産んだ不幸な事故だ。
「おい、何故こいつをここまで酷く殴った。いくら何でもやり過ぎだろう」
「し、しかし、先程までそいつは中尉に対する殺人容疑が」
「言い訳をしている場合か! ハァー……全く度し難い。おい、いいからこいつに謝れ」
「へっ!?」
「ちゅ、中尉。それはもういいですから」
「全く良くない」
「それより、ヒューの事を聞かせてください。あいつは何か処分を受けるんですか?」
俺を痛めつけていた上官に食ってかかった中尉を慌てて止める。本人は親切心のつもりなのかもしれないが、ここで上官の機嫌を損ねたら後で当たられるのは俺だ。そんなの堪ったもんじゃない。水を向けると中尉は渋々ながらも俺の話題に乗ってくれる。ヒューの事が気になっていたのは本当だったので、助かった。
「ヒューは龍房で元気にしてる。ただ、今は気が立っていて俺でも近付けない。今回の事は俺の不手際による事故だと上に伝えたから、処分は受けない筈だ」
「そうですか、よかった」
「……お前は変わった奴だな。こんな酷い目に会ったのに、真っ先に騎龍の心配をするなんて」
「それは、まあ。ヒューに限らずですが、騎龍達は俺のいい友達ですから」
俺のこの言葉に中尉は驚いた様子で目を見開く。本当に思っている事だけれど、騎龍兵の前で龍が友達だなんて、ちょっと言い過ぎただろうか。騎龍兵は誇り高く、ともすれば傲慢だ。自分の龍を友達だなんて言い張る雑兵が居たら、馴れ馴れしいと気を悪くするかも。不安が頭を過ぎり前言を撤回しようかと思ったが、その前に目の前の中尉がカラリと笑う。
「ハハッ! なんだそれ。お前は本当に変わった奴だ」
中尉はカラカラと明るく笑い続ける。それを見て、俺もヘニャリと力が抜けて顔が笑ったような形になった。何となく張りつめていた空気が緩む。傷の痛みに耐えながらも、何とかやり過ごせたようだと俺は内心胸を撫で下ろした。
その一件以来、中尉は俺の事をいたく気に入ったらしい。手首の骨に入った罅が治るまでの間休むか書類仕事をするしかなくて暇なのか、やたら俺に構ってくるようになった。俺の姿を探して龍房近くを彷徨き、見つければ嬉しそうに声をかける。あの中尉のお気に入りとなれば同輩達も俺の事をこれまで通り虐める訳にはいかない。自然と俺の待遇は良くなっていき、それどころか俺は中尉の采配で出世までさせられ龍房の管理担当責任者になってしまった。本当は中尉は俺を自分とヒューの専属にしたかったし、更に言えば騎龍兵の見習いに取り立てたかったようだが、俺がヒューの世話しかしなくなったら他の騎龍が拗ねて暴れるし身分の卑しい俺を騎龍兵にするのは周りの反発が酷くてできなかったようだ。
「もうギプス取れたんですね。よかった」
「ああ、後遺症もないし、後何日かリハビリして筋力を戻したら戦線復帰だ。その祝い酒に酒保からいいのを買ってきたんだが、お前も飲まないか?」
「中尉、ですから俺は酒はからきしなんですよ」
「良いじゃねぇか、無理には飲ませねぇから、俺が飲むのに付き合えよ」
憧れの中尉と気安く話す俺に、周囲から羨望と嫉妬の入り交じった視線が向けられる。そんなに睨まないでくれ。俺が変に畏まるとこの人が不機嫌になるんだから仕方がないだろう。この場で裏に何の思惑も持っていないのは、明るく笑う中尉ばかりだ。
「夕食が終わったら直ぐ部屋に来いよ。俺とお前の仲だ、手土産は要らんからな」
笑顔の中尉と別れ、俺は業務に戻る。龍だけでなく変に中尉にまで懐かれたせいで、本来の仕事の間諜がやり難くってしかたがない。兎に角どこへ行ってもあの中尉のお気に入りだと目立ちまくるのだ。戦況は未だ祖国が不利。そのせいか連絡係の配備も遅れに遅れて、俺がまともな情報を持ってこなくても向こうがその事に苦言を呈する余裕がないのが良いのか悪いのか。そんな事を考えつつも、俺にできる事なんてない。ただただ騎龍の世話だけが癒しだ。
いや……癒しと言えば、最近は騎龍の世話以外にも心安らぐ瞬間がある。中尉と共に過ごしている時だ。中尉は本当に俺に優しい。俺なんかは食った事もないような菓子をくれたり、真っ当に扱って取り立ててくれたり、顔の醜い痣なんか見えてないみたいに眩しそうにこっちを見てくれる。その1つ1つが、俺の心を波立たせた。高貴な身分の美しく優秀な中尉に宝物のように扱われ、まるで自分が価値ある人間になったみたいな錯覚をしそうになる。いつしか俺が中尉を1人の人として慕うようになったのも当然の流れと言えよう。
そうしている間にも時間は進み、季節は移ろっていく。中尉は戦線復帰してから快進撃で、祖国の軍は壊滅状態らしい。戦線はどんどん祖国の内部へと前進していき、俺も何度か拠点を移った。その度に必ず中尉と同じ拠点に配属されるのだが、もう何も言うまい。どうも中尉は俺を大事な騎龍を任せるに足る、信頼の置ける人間だと思っているらしい。ほぼ機能していないとは言え、実際は敵国の間諜なのに。自分ではどうしようもない事だが、産まれて初めて俺なんかにも優しくしてくれた彼を欺き続けないといけないのは、とても心苦しかった。
そんなある日の事である。珍しく祖国の軍が徹底抗戦したらしく、激しい戦闘となったらしい。全ての情報が混乱し錯綜する中、敵国の騎龍が一匹撃墜されたという情報が入った。それもただの騎龍ではなく、隊長格の騎龍らしい。騎乗していた騎龍兵は死亡。隊長格が死ぬなんて大事だ。誰が死んだのかと俺の控えていた策源地まで酷く混乱していた。どうかあの人じゃありませんように、無事帰ってきてくれますように。必死に祈る。知らず握りしめた拳のせいで、掌には血が滲んでいた。
「騎龍隊が帰ってきたぞー!」
その叫びにハッとして慌てて駆けだす。押し合い圧し合いの人混みを無理に抜け、転ぶようにして前に出て帰ってきた兵士達の顔を必死に確認した。どれ程の激戦だったのだろう。どの兵も龍も皆汚れてボロボロだ。不安がどんどん膨らんでいく。だから、あの紺碧のマントを見た瞬間、俺は何だか無性に泣きそうになってしまった。
「ランドン中尉!」
思わず上げた叫び声に、中尉が弾かれたようにこちらを見る。殆ど転がり落ちるようにして下龍した中尉がこちらに向かって大きく腕を広げた。俺は真っ直ぐその腕の中に飛び込んで、ギュッと血腥いその体を抱き締める。周りの目なんて気にならない。その時ばかりは、自分達2人だけが世界の全てだった。
あの瞬間、確かに俺達2人の間で何かが変わったのだ。中尉は戦支度も解かぬまま自室に俺を連れ込み、部屋の扉が閉まると同時に俺を壁に縫い付けかぶりつくようにして唇を奪った。こちらからも必死になってそれに応える。あの戦いで俺も中尉も死に別れて二度と会えないかもしれないという恐怖を味わった。後悔は残したくない。そんな必死の思いで、夢中になって互いを求めた。
「あっ、ぃ、んんっ! ちゅ、中尉、そこは、あぁっ!」
「なぁ、ブルース。閨の中でくらい名前で呼べよ」
「でも」
「頼むよ」
「ヒィッ! ア、アシュレイ! んぅ、ゃ、いぃ……!」
中尉がペニスをグップリと俺の後孔に填めたまま、腰をグリグリと押し付けてくる。彼のペニスが最奥を刺激して快感が湧き上がり、俺はあまりの事に善がりながら泣き叫んだ。龍の世話で力仕事に慣れていて逞しい筈の俺の体を、中尉はいとも簡単に押さえ付け下から何度も腰を突き上げる。片手で俺の両手を纏め上げ、残った手でグジュグジュになったペニスを扱かれればもう訳が分からない。息を止めようとでもするかのように、何度も執拗くキスをされるのが堪らなかった。ブルースという忌まわしい渾名ですら、彼に甘く呼ばれれば堪らない響きを孕む。
「ブルース、ブルース、──ッ!」
「はぁ、んんっ、ああぁ──!」
ドクリと大きく中尉のペニスが膨れ上がり、俺の腹の中で熱が弾ける。同時に俺のペニスからも熱い飛沫が飛び散った。拘束が緩み、ドサリと重くて硬い体が上にのしかかってくる。ハァハァと耳元に聞こえる荒い息に何故か酷く安堵しながら、背中に回していた腕でギュッと中尉の体を抱き締め直した。
「中、んむっ」
彼を呼ぶ前に唇が降ってきて、キスをされる。そのまま唇を割られ舌が口内に入り込んできた。ヌメヌメと動き回るそれに慣れないなりに一生懸命応える。長い時間かけて味わった名残りのキスは、最後にチュッとリップ音を立てて終わった。
「ハハッ、なんて顔をしやがる。もう1回したくなるから止めてくれ」
「……俺は別にあと何回したって構いませんけど」
「馬鹿、お前の方が負担がデカいんだから、今日はここまでだ」
「今日はという事は、また別の日にお情けを期待してもいいんですか?」
「お前さえ良ければ、な。でも、俺からのお情けじゃなくて、お互い求め合ってやろうぜ」
そう言って中尉は俺の顔にキスをする。醜い痣のある顔に、愛しげに。それだけで俺は酷く舞い上がるような気持ちになった。思わず破顔すると、中尉の方も幸せそうに笑い返してくれる。祖国も戦争も、課せられた重い役目だって関係ない。この時ばかりは目の前の愛しい人の事だけを考えていたかった。
これが破滅の始まりだ。それから俺達は時間を見つけては何度も愛し合った。中尉は何度も俺にのしかかって揺さぶり、感じ入って流す俺の涙を舐め取って、醜い痣にキスをしてくれる。俺からも応えて彼のペニスを頬張ったり、何度も後ろで締め付けたり、2人で互いの体を味わい尽くした。体を重ねる度、思いも深まる一方だ。俺達はただただ互いに溺れていった。
「この戦争が終わったらさ、俺の故郷に来いよ。自然が豊かで恵みの多い素晴らしい所なんだ。俺は三男だからちゃんとした仕事は兄貴の手伝いくらいしかないだろうけど、お前と2人、ヒューに乗って荷運びもすれば皆で食べてける」
「神聖な騎龍を荷運びなんかに使ったら怒られますよ」
「構うもんか! どうせこの戦争が終わったら戦いもなくなって俺達はお払い箱だ。それなら好き勝手生きて何が悪い。なぁ、ブルース。約束してくれ。いつか俺と一緒に、故郷で暮らすって」
「フフッ、ええ。約束ですよ」
寝物語に俺が柔らかく微笑んで誓いを立てれば中尉は子供みたいな顔で嬉しそうに笑い、ギュッと俺の体を抱き締める。そうしてもう癖になっているらしい俺の痣へのキスを繰り返した。馬鹿な事を。俺は笑顔の裏で己自身に冷めた視線を向ける。例えこの戦争が終わろうが、俺と彼が無事生き残ろうが、俺が彼と共に故郷に帰る日は永遠に来ない。それを分かっていながら嘘をついたのは、誰よりも俺自身がその嘘を信じたかったからだ。本当に、いつか彼の故郷に行けたらいいのに。愛される度、嘘が増えていく。
この愛しい日々がいつか終わると知っていた。それでも何も策を講じなかったのは、何も俺が全てを諦めていたからじゃない。ただ、どうせいつか終わってしまうのなら、最後の瞬間まで彼だけを一心に愛していたかった。それだけだ。何とも愚かで浅ましい。そして、終わりの瞬間は前触れもなくやってきた。
「おい、聞いたか? 敵国が忍ばせた間諜の連絡係が捕まったって」
「今拷問にかけてるんだろう? そう待たずに間諜の正体も分かるだろうさ」
騎龍を運動場に連れ出した時、同輩がそう噂しているのを聞いて心臓が止まりそうになる。何とか自然な動作でその場に立ちどまり、それとなく聞き耳を立てた。いや、違う。俺じゃない。間諜は俺以外にも数人居る筈だ。情報漏洩を防ぐ為にそれぞれに担当の連絡係が付き、横の繋がりはなく担当の間諜以外は連絡係は名前も顔も知らない。俺の担当の連絡係が捕まったとは限らないんだ……。殆ど祈るようにして自分に言い聞かせる。しかし。
「おい、あれ情報部の」
「どうしてこんな所に」
その言葉に顔を上げると、間諜や捕虜の処罰を担当する部署の上官が遠くに姿を現したところだった。嫌な汗が湧き、口の中がカラカラに乾く。上官は誰か探すように辺りを見渡し、そう待たずに騎龍の影に隠れていた俺を見つけ後ろにいた部下に何かを命じた。直ぐに部下達が俺を目指して走り出す。その前にはもう、俺は走り出していた。
「そいつを捕まえろ! 間諜だ!」
背後から大勢の足音と怒鳴り声が追いかけてくる。ただただ走った。足もちぎれんばかりに、肺が潰れんばかりに。背後で騎龍の嘶きと、人の悲鳴が聞こえる。チラリと振り返ると、運動させようと連れていた騎龍が立ち上がり威嚇して追っ手の行く先を阻んでいた。逃がしてくれるのか。俺なんかにそんな価値はないのに。そう思っても足は止まらなくて、また前を向いてひた走った。
それからどこをどう抜けたのか分からない。ただ、気がつくと俺は記憶の中より随分とみすぼらしくなった設備の祖国の策源地で保護されていた。大した手柄もなく逃げ帰ってきた嫌われ者の俺を誰もが疎んだ。どうせなら重要な情報の1つでも伴って帰って来ればいいものを。隠しもせずにそう言われた。しかし、何も頭に入ってこない。俺の頭を支配するのは、きっともう二度と会えない、愛しい彼の事だけだった。
本当に逃げるのが正解だったのだろうか。最後には拷問死する事になっても、あの時捕まっていればあと1度だけでも中尉の顔を見る事ができたかもしれないのに。それがどんなに蔑んだものでも、裏切りに傷つき憎しみを湛えたものでも、身勝手な俺はまた彼に会いたくて堪らなかった。ただ最後に愛した男を一目見れるのなら、命だって差し出して構わないとすら思える。ああ、もう何も分からない。
「現在戦局は悪化の一途を辿っている。それにより残念だがこの策源地に配備された人員は、本隊との合流が叶わなくなった。明晩、我々は敵の砦に突撃をし、名誉と共に剣の下で玉砕をする! 最後に奴等に、目にもの見せてやろう!」
俺が戻って数日後、残った兵全員を広場に集めて策源地の最高司令官がそう鼓舞した。忠義心に酔った同輩達が地鳴りのような雄叫びを上げる。皆祖国の為に死ぬつもりなのだ。熱気の渦の中で俺ばかりが呆然としていた。その後俺は個別に上官に呼ばれ、何かと思えば敵国の砦の中を案内しろと言われる。どうやら他の間諜から俺と中尉が好い仲なのを伝え聞き、それなら中の構造に詳しいだろうと思ったらしい。その時の俺にはもうどうにでもなれとしか思えなかった。どうせ中尉にはもう会えない。その事はここ数日静かに考え続けてつくづく思い知っていた。
あっという間にその時が来る。申し訳程度に剣を握り、敵の砦に夜襲をかけた。意外な事に敵国はもうこの戦争は勝ったも同然と思っていたのか、油断をしていたようで自軍は当初の想定通り即座に全滅とはならず、あっという間に混戦となった。騎龍兵避けの煙幕が炊かれ、視界が利かない。あちこちから降ってくる血塗れの剣を何とか躱す。予期せぬ襲撃に狼狽える敵軍と、死ぬ覚悟で剣を振るう自軍。数と地の利では劣るが善戦をしている。俺は案内役なのに導いていた自軍とはとうの昔に逸れた。もう自分が何をすべきかも分からない。ただただ逃げ惑う。
「騎龍兵が来るぞー!」
誰かが叫び、同時に強風が吹いて一瞬煙幕が晴れる。地面スレスレを1匹の騎龍兵が飛んで、その風で煙幕を飛ばしたのだ。だが、これは危険な策である。空高くを飛びヒットアンドアウェイで一方的に敵を蹂躙するのが利点の騎龍兵が地面近くまで降りてくると、自ずと歩兵にやられてしまう。案の定……。
「ギャァッ!」
「やった! 騎龍に一太刀くれてやったぞ!」
誰かが振り上げた槍か剣か何かが装甲の隙間から騎龍の柔らかい腹を傷つけたらしい。鮮血を迸らせながら、騎龍がフラフラと飛んでいく。
「暫くすれば落ちる筈だ! そこを一気に攻め込むんだ!」
フラつく軌道の騎龍を眺める。危険な役目を負わされたくらいだから、新兵だろうか。可哀想に。騎龍兵は天高くから見下しやがってと歩兵に憎まれるから、捕まっても捕虜にもなれずなぶり殺しにされるだけだ。せめて自軍の多い場所に堕ちようという最後の足掻きだろう。何とか砦の向こうに飛んでいこうとする騎龍の、その背中。忘れもしない、紺碧が翻っていた。
「……中尉」
ダッとその場を走り出す。切っ先が肌を掠めようが近くで悲鳴と血飛沫が上がろうが、関係ない。ただ、騎龍の落ちていく先、砦の上へとひた走る。
「中尉!」
息を切らしようやく駆け込んだ砦のてっぺんの部屋は、騎龍の衝突で崩れかけ、空が見えていた。もう夜が明け始めている。早暁の青い光が辺りを照らしていた。その光の真ん中に血塗れで倒れているのは、夢にまで見た彼で……。
声も出せずに駆け寄って、慌てて静かに抱き起こす。酷い怪我だ。足を砦の支柱だった破片が貫いている。この傷ではもう騎龍には乗れまい。手早く処置をする。よし、これで暫くは持つだろう。
チラリと周囲を見ると、俺の自軍の兵は寄って来る気配はあるのに、中尉の仲間の敵軍は誰も助けに駆けつけていない。中尉は捨て駒にされたのだ。きっと俺のせいだろう。間諜の俺と深い仲だったから、捨て身の先陣を切らされたんだ。中尉は貴族で優秀だが忠義が疑わしいなら話は別だし、ヒューもいい個体だが気難しく中尉の言う事しか聞かない。俺のせいで、彼等は仲間に切り捨てられてしまった。
「ゴホッ、ブルー、ス……?」
「喋らないで。肋骨が折れてる」
ここに来るのは全てを見越していの一番に駆け出した俺が1番早かったが、自軍の気配は直ぐそこの階下にまで迫っている。途中申し訳程度に物を崩してバリケードも作ったが、どこまで持つか。もう時間がない。この状況から、中尉を確実に逃がすには……。
「ハハ、最後にお前の幻が見れるなんて……。まあ悪くないかも……ウッ!」
傷の処置が終わった中尉を抱き上げる。部屋の隅、簡単には崩れそうにない瓦礫の影まで行き、安全を確かめてからそこに中尉を下ろした。土埃を使って死体に見えるように偽装する。中尉の軍服は血塗れだったので簡単だった。仕上げに脇に避けておいた紺碧のマントを剥がして身に纏えば、完成だ。
「ブルース? お前、何を……」
墜落の衝撃が薄れ、中尉はだんだん頭がハッキリしてきたらしい。俺が幻ではなく現実の存在だと気がついたようだ。ボロボロになった紺碧のマントを翻す俺を、呆然と見上げている。俺は彼の足元に跪き、もう終わってしまったあの日々によく見せていた笑顔で優しく語り掛けた。
「ここから動かないで。黙って死体のフリをしていてください。大丈夫、必ず迎えが来ます。あなたは生きるべき人だ」
「ブルース……?」
「あなたの故郷、見たかったな。俺は一緒に行けないけど、ちゃんと帰って親孝行して下さいね。最初は1人ぼっちでも、あなたならきっとその内好い人が見つかります。必ず幸せになってください」
「ブルース!」
言葉は使わずニッと笑う。それだけで十分だ。待て、行くな、と俺の名を呼ぶ中尉の絶叫を背中に聞き流し、俺はヒューに駆け寄った。幸か不幸か中尉は足を中心に全身を怪我しているので喚くだけでやっとだ。俺を止められる人間はこの場に居なかった。可哀想なヒューは腹に傷を負い翼も少し穴が空いていたが、賢い子なので瞬時に俺の意図を汲み取ってくれたらしい。まだ飛べる、という意思表示に体を持ち上げた。
巻き込んでごめん。一緒に地獄に落ちてくれ。ヒューの耳にそう囁く。騎龍に乗った事はないが、大丈夫。ヒューは賢いし、俺は誰より近くで沢山騎龍兵達を見てきた。それに、寝物語に何度も中尉から乗り方を聞いてきたんだ。きっとやれる。騎龍用のゴーグルをつけ痣を隠し、鐙に足をかけ鞍に跨って、その時を待つ。やがて、大きな音を立ててバリケードが破られ、自軍が雪崩こんできた。
「居たぞ、騎龍兵だ! マントを羽織ってるという事は隊長格だぞ!」
「我こそは騎龍3番隊隊長、アシュレイ・ランドン中尉! 俺の首級、取れるものなら取ってみるがいい!」
自軍の前でそう高らかに叫び、俺はヒューの手綱を引く。ヒューは大きく咆哮して、瓦礫を巻き上げながら飛び立った。視界の端に瓦礫の影になった本物の中尉が無事なのをチラリと一目だけ確認して、後は脇目もふらずに前だけを向く。手負いの討ち取りやすい騎龍兵としてフラフラと旋回し自軍を引き付けながら、できるだけ中尉から注目が遠ざかるように飛んだ。
今、やっと分かった。あの日俺が逃げ出し生き延びた、いいや、この世に生まれた本当の意味を。きっとこうして彼の身代わりになる為に、俺は彼に出会い、今日この時までを生きてきたんだ。騎龍を駆りながら空高くへと舞い上がる。防寒具を一切付けていないので息も凍るこの高さは吸い込む冷気で肺が痛い。それでも不思議と、体は高揚感で熱を持っていた。
そっと纏ったマントを手繰り寄せ、そこについた中尉の血の染みに微笑みと共に口付けを落とす。中尉、せめて最後にこれだけは持っていく事をお許しください。喉を鳴らした頑張り屋のヒューの首を優しく叩き、再び前を向いて空を飛ぶ。この背中ではためくマントさえあれば、俺はきっとどこまでも飛んでいけるだろう。高らかに笑い声を上げ、俺は空を飛び続けた。遠く高く、どこまでも果てのない自由な空を。
「騎龍が落ちたぞー!」
95
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
メゴ ~追いやられた神子様と下男の俺~
てんつぶ
BL
ニホンから呼び寄せられた神子様は、おかしな言葉しか喋られない。
そのせいであばら家に追いやられて俺みたいな下男1人しかつけて貰えない。
だけどいつも楽しそうな神子様に俺はどんどん惹かれていくけれど、ある日同僚に襲われてーー
日本人神子(方言)×異世界平凡下男
旧題「メゴ」
水嶋タツキ名義で主催アンソロに掲載していたものです
方言監修してもらいましたがおかしい部分はお目こぼしください。
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
闇を照らす愛
モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。
与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。
どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。
抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。
君と秘密の部屋
325号室の住人
BL
☆全3話 完結致しました。
「いつから知っていたの?」
今、廊下の突き当りにある第3書庫準備室で僕を壁ドンしてる1歳年上の先輩は、乙女ゲームの攻略対象者の1人だ。
対して僕はただのモブ。
この世界があのゲームの舞台であると知ってしまった僕は、この第3書庫準備室の片隅でこっそりと2次創作のBLを書いていた。
それが、この目の前の人に、主人公のモデルが彼であるとバレてしまったのだ。
筆頭攻略対象者第2王子✕モブヲタ腐男子
仮面の兵士と出来損ない王子
天使の輪っか
BL
姫として隣国へ嫁ぐことになった出来損ないの王子。
王子には、仮面をつけた兵士が護衛を務めていた。兵士は自ら志願して王子の護衛をしていたが、それにはある理由があった。
王子は姫として男だとばれぬように振舞うことにしようと決心した。
美しい見た目を最大限に使い結婚式に挑むが、相手の姿を見て驚愕する。
独占欲強い系の同居人
狼蝶
BL
ある美醜逆転の世界。
その世界での底辺男子=リョウは学校の帰り、道に倒れていた美形な男=翔人を家に運び介抱する。
同居生活を始めることになった二人には、お互い恋心を抱きながらも相手を独占したい気持ちがあった。彼らはそんな気持ちに駆られながら、それぞれの生活を送っていく。
【完結】我が国はもうダメかもしれない。
みやこ嬢
BL
【2024年11月26日 完結、既婚子持ち国王総受BL】
ロトム王国の若き国王ジークヴァルトは死後女神アスティレイアから託宣を受ける。このままでは国が滅んでしまう、と。生き返るためには滅亡の原因を把握せねばならない。
幼馴染みの宰相、人見知り王宮医師、胡散臭い大司教、つらい過去持ち諜報部員、チャラい王宮警備隊員、幽閉中の従兄弟、死んだはずの隣国の王子などなど、その他多数の家臣から異様に慕われている事実に幽霊になってから気付いたジークヴァルトは滅亡回避ルートを求めて奔走する。
既婚子持ち国王総受けBLです。
貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~
倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」
大陸を2つに分けた戦争は終結した。
終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。
一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。
互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。
純愛のお話です。
主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。
全3話完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる