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おまけ1

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「ダー、ヴー」
「フニャフニャ、暖かい、小さい、軽い、可愛い……。これが、幸せの重み……。モトくーん、パパでちゅよー。ベロベロバァー」
「椎名、赤ちゃん言葉とか使うんだ……」
 カッコつけでスカしのあの椎名が、赤ちゃん言葉……。似合わねぇ……。腕に我が子を抱いてデレェーッと相貌を崩すその姿は、以前のキメキメにキメ過ぎた夜遊び人ではなく、1人の父親のそれだ。椎名は初めてまともに触れ合う息子が可愛くて仕方がない様で、もう顔面の筋肉が緩みっぱなし。元がイケメンじゃなけりゃ見てられないことになってただろう。
 今日は切迫早産で予定より早く生まれて、長く入院してた息子、基の退院日。今は病院から帰ってきて椎名からの逃亡生活中過ごしていた五十嵐に提供された家に集まって、皆で一休みしているところ。椎名が息子の周りをウロチョロして鬱陶しいので、どうせならと息子を抱かせてみたのだ。
 触れたいけど傷つけそうで怖い、と渋る椎名に、なんだそれラブソングの歌詞かよと無理矢理抱かせてみたら、これだ。ここ最近椎名の『抱っこの練習』に付き合ってやったおかげか、赤ん坊を抱くのは初めてなのに、結構サマになってる。危なげない手つきで抱き上げ、あやす姿を見ていると、これは筋金入りの親バカになりそうだなぁと思う。いや、もうなってるか。
「モト君は織部に似て可愛いでちゅねぇー。食べちゃいたいくらい。俺みたいな情けない男じゃなくて、ママみたいな美人さんに育つんでちゅよー」
「椎名、それ俺も恥ずかしいから止めて」
 別に俺は美人じゃねぇよ。チベスナ顔だって言ってるだろ。椎名目腐ってるんじゃないか? 俺はむしろ椎名に似て欲しい。椎名イケメンだし、俺椎名の顔好きだから。あと、椎名は情けなくなんかないし、行動力もあってシッカリしてるから椎名に似ても全然問題ない。ま、健康で元気に育ってくれたらそれ以上はないんだけどさ。
 そうして息子に変な事言って、ベロベロバァーッと変顔をする椎名を、厳しく見つめる目が一対。五十嵐である。
「クソッ、お前があのまま俺の情報に辿り着かなけりゃ、俺が織部と結婚して基の父親になるつもりだったのに」
「ちょ、五十嵐!? 誤解を招く冗談は止めてね!?」
 いや、五十嵐は本気だ。俺は知っている。妊娠中も、出産後も、ずーっと『子供の為にも、織部の為にも、父親や夫の役目を果たす存在がいた方が有利だ。俺と結婚しないか?』と言われていた。
 成程、確かにその通りだ。片親で未婚の母で幼馴染なる立場の男性から何故か色々と援助を受けている状態よりも、結婚してて血は繋がってないけどお父さんが稼いでくるお金でお母さんは専業主婦してるって方が、世間的にも心情的にも色々と都合がいい。五十嵐はβだから、俺の項に噛み跡がなくて誰とも番ってないことも『好きになって結婚した相手がβで番えなかったから』で辻褄が合うし。五十嵐ならきっと、俺の息子の基のこともやれるだけ精一杯可愛がってくれる筈だ。俺にしてみれば願っても無い申し出である。
 おっと、誤解しないでくれ。別に俺は五十嵐とはそういう関係じゃない。お互い相手に対して友情を超えた愛情とも呼ぶべき感情はあれど、それは決して椎名に抱いた類の愛情ではなく、2人の関係は同じ『機能不全家族』という地獄を乗り越えた戦友の様なもの。五十嵐の申し出も純粋に俺と息子の将来を憂いて、少しでもその露払いをしたいという親切心からきたものだ。五十嵐とは兄弟のようなものだし、惚れた腫れたは俺達の間に限って有り得ない。
 その事は五十嵐も認めており『気持ちはありがたいけど、俺と結婚とか正気か五十嵐?』と聞くと『お前と結婚すれば俺は自動的に既婚者で子持ちという肩書きを得られる。そうすればもう見合いを勧められないし、セックス無しで子育ての喜びまでついてくる。夫婦なら合法的に織部のことを傍に置いて守れるし、お前以上に俺のトラウマに引っかからない結婚相手はいない。最高じゃないか』と半ば本気で開き直って言われた。
 ノンセクシュアルで尚且つ幼少期のトラウマから家庭を持つことに否定的な五十嵐だが、根は子供好きで愛情深い人間だ。寂しがり屋なところもあって、だからこそ唯一気の許せる相手の俺を構い倒してもいた。言い方は悪いが、俺が子供をお腹に宿したまま未婚で自分のところに逃げ込んできたのを見て、これはなんの苦痛もなく大手を振って自分の家族を得られる千載一遇のチャンスと思ったのだろう。幼少期のことがなければ五十嵐もいい父親になれていたのかもしれないのに、もうそれが叶わないことが少しだけ苦しい。もし、俺が五十嵐のプロポーズ(?)に頷けば、仮初でも暖かい家庭を五十嵐に与えてやれただろう。
 だが、俺は五十嵐とは結婚しなかった。いや、できなかったと言うべきか。椎名が必ず俺を迎えにきてくれると信じているとか、五十嵐に対して血の繋がらない子を育てさせるのが申し訳ないとか、そういう綺麗な理由じゃない。ただ単に、俺が椎名以外の相手と結婚したくなかった。それだけ。これで住居や生活のことや切迫早産の時の入院のサポートなんかも五十嵐に頼んでいたのだから、薄情な上に面の皮が厚すぎて涙が出てくる。俺に愛想をつかさない五十嵐は、本当に優しい。五十嵐が困っている時は、必ず助けねば。
 まあ、そういう事だから、五十嵐の今の発言は半分冗談、半分本気、といった感じだろう。椎名のことを元から俺を酷い目に合わせたとよく思っていないのもあって、忌々し気に睨んでいる。傍から見ているだけで怖い。しかし、その恐ろしい双眸から逃げず真っ直ぐ見つめ返して、椎名はこう言った。
「いくら織部を助けてくれた恩人でも、それだけは駄目だ。基のパパは俺だけだから」
 守る様に、息子を抱え直す椎名。その様子を見て、五十嵐はそれはそれは凶悪な顔をした。
「チッ! 分かってるよ、このおたんこなす! そのまま基にデレデレし過ぎて顔面崩壊しろ!」
 五十嵐はそう言い捨ててプイッと顔を背ける。椎名と再会するまで、心情はどうあれ頼れる人間は五十嵐しかいなかったので、五十嵐は基の父親役として頑張ってくれていた。あれで結構五十嵐も基にデレデレしていたし、基の父親扱いも満更でもなさそうだったと思う。なんなら率先して俺達親子の面倒を見てたし。それが椎名が来たことで、その父親役を降りなくてはならなくなって、五十嵐も寂しいのだろう。
「あ、そうだ椎名。出社来週からだよね? お弁当いる?」
「えっ! 作ってくれるのか!?」
「基がいるから基本前夜の残り物詰めるだけの簡単なものだけどね。それでも作れない時の方が多いかも」
「それでもいい! 織部の負担にならない程度でいいから、欲しい!」
「分かった。用意するね。前に買い物に行った時、お弁当箱色違いで悩んで余分に買っといてよかった」
 そう、椎名は俺との結婚が決まった後、子供もいるのだしとさっさと正社員の仕事を見つけてきたのだ。それも、結構大手。
 なんでも椎名の実家のライバル会社で、同じ業界だから大学時代に得た資格や経験を生かせるらしい。曰く、椎名はSGFの内情をよく知る者として、SGFを打倒するべく雇われたそうだ。ライバル会社なので、当然椎名の実家は裏から手を回せない。椎名はこれでもう実家に圧力をかけられることはないと喜んでいた。椎名は実家を潰して一族郎党路頭に迷わせてやると息巻いている。務めている社員には罪はないのだから、迷惑かけないように吸収合併して経営陣総入れ替えで許してやれとだけ言っておいた。
「あーあ、織部の弁当は俺だけの特権だったのに」
「えっ、ということは五十嵐さんはもう、織部の弁当を」
「ああ、食ったことあるぜ。織部が入院する前は毎日作って貰って職場に持ってってた」
「……」
「そんな恨めしそうな目で見ないでよ、椎名。世話になってんだからこれくらいするでしょ、普通。お前だって店で俺の手料理食ってたじゃん」
「弁当はまだだ」
 男の嫉妬って面倒臭いなぁ。五十嵐も得意げな顔して煽らないでくれ。椎名ってばどうせこれから先外食でもしない限り殆ど俺の作った食事を摂ることになるんだから、それでいいだろうに。そんなこと言ったら、椎名が喜んで面倒臭いことになりそうだから、絶対言ってやらないけど。
「ていうかお前ら、そろそろ苗字で呼び合うのやめろよ。もうどっちも『椎名』なんだろ?」
 五十嵐の言葉に、思わず椎名と見つめ合う。五十嵐の言う通り、俺達は基が退院して忙しくなる前に、と数日前に五十嵐とその知り合いで俺を助けてくれた深山さん達を証人に、とっとと婚姻届を提出していた。俺は正確にはもう『織部 理』ではなく『椎名 理』なのだ。認知届も出したので、準正されて晴れて基も『椎名 基』として椎名の息子となっている。なので、確かに五十嵐の言う通り俺達は苗字呼びを止めるべきなのだが……。
「えー、でも、なんか恥ずい」
「だな」
「お前等もっと恥ずいことして子供まで作ってるし、とっくのとうに夫婦だろうが! 仮面夫婦と思われるぞ! 基が大きくなって疑問を持つ前に、今から呼び慣れとけ!」
 そう言われるとグウの音もでない。五十嵐の言うことは反論の余地もなく正しいことだ。今は事情を知っている五十嵐の前だからいいが、外ではそんな甘えたこと言ってられない。意を決して、俺は椎名と向き合う。
「よ、よ、よ、頼比古……」
「理……」
「待って、なんで椎名はサラッと言えんの?」
「頭ん中で何度もアンタと呼びあったから」
「はぁ? お前一心不乱に俺のことを探してるだけかと思ったら、人のことオナペットにしてたのかよ!」
「なんで『頭ん中で何度も呼びあってる』って言っただけでバレてんだ!?」
「バカ、カマかけられたんだ! お前ぇが今口滑らさなきゃバレてなかったよこの薄らトンカチ! てか呼び方戻ってる!」
 呆れた声で天を仰ぐ五十嵐。失言に気がついて青ざめる椎名。照れ隠しと混乱が入り交じって適当に言ったことがバチあたりして困惑する俺。三者三様だ。どうしよう、と椎名を見ると、椎名は息子を抱いたまま器用に首だけでガクッと項垂れて見せる。
「うっ、すまん織部。お前のことを考えていると、どうしても我慢できない時があって」
「……いいよ、別に。俺も同じ男だ。生理的にしょうがないって分かってる。むしろ一途に思って貰えて嬉しいよ。ただ、頭ん中だけでも俺以外が椎名に抱かれたってのはムカつくなぁ」
「結局どっちもお前だぜ?」
「それでも! この半年間、寂しかったのは椎名だけじゃないんだぞ!」
「織部……」
 椎名がちょっと目を細めて微笑み俺を見た。最近分かってきたんだ。これは椎名が俺のことを『可愛い』って思ってる時の顔だって。そういう顔をしている時の椎名はとてつもなく魅力的だ。軽く言い合っていたのも忘れて、ウットリと見つめ合う。
「ハイハイハイ! ストップ! ストップ! 甘い空気になるな! そういうのは子供の前以外で、夜中にやれ! 基! お前も空気読むな! 雰囲気ぶち壊す為に泣いたりウンコしたりしていいんだ! こういう時は!」
「アヴー」
「あ、返事した」
「基は五十嵐のこと好きだね、ホント」
 この月齢で人の判別ができるのかどうか知らないが、基は五十嵐が保育器を覗き込むと手足をパタパタ動かして嬉しそうにしていたと思う。こんなんだから尚更、五十嵐も俺と結婚して基を息子にしたがったんだよな。赤子の魅力は絶大だ。
「モトくーん、パパにもお返事できるかなぁー?」
「……」
「あ、目逸らした」
「やっぱ俺が父親になった方がいいんじゃねぇの?」
「モト君……! それでもパパはお前のことが大好きだぞ……!」
 椎名……哀れなり。Ωや女性相手に散々浮名を流したらしい椎名だが、赤子にはその魅力は無効のようだ。名実共に基のパパとなれるよう、精々頑張ってくれ。椎名は息子の気を引こうと、ヨチヨチと言いながら左右にユッタリ揺れている。基のお気に入りの動作だ。案の定、基はそれに反応して声を上げた。
「うみぃー、ぷー」
「はぁ、声までも可愛い……。さては天使?」
「椎名、なんか前よりバカになってない?」
「むしろ織部たちはこんな可愛らしい存在を前にしてどうしてそこまで冷静でいられるんだ!?」
「そりゃぁ、生まれた時からどころか産まれる前から知ってますから」
「……」
 虚ろな目をする椎名。気のせいかその後ろにはズーン、というオノマトペが。ああ、哀れなり。強く生きろ、椎名。我が子の日々の成長の最初のキラメキを逃したのは、正直お前の自業自得だ。俺からかける言葉はない。
「いいんだ、最初の数週間くらい。これから何十年もかけて取り戻してってやる」
「いやぁ、赤子の生まれてからの数週間はデカいぞ?」
「……」
「もー、五十嵐。虐めないで。椎名泣いちゃうじゃん」
「俺は泣いてない!」
「ふみゅっ! うぅ、うー」
「あ、もう! 大声出すから基の方が泣いちゃったじゃん! まったく、泣き止ますから返して?」
 完全な自分の落ち度で泣かせてしまって見るからに狼狽する椎名から、基を受け取る。別に俺が抱いたからといって泣き止むわけじゃないが、少なくとも椎名よりは息子をあやすことに関してのアドバンテージがある筈だ。腕に抱いた息子の顔を覗き込み、話しかける。
「おー、よしよし。パパが大きな声出して怖かったねぇ。ほら、椎名謝って」
「すまん」
「うぁー!」
「駄目だ、全然泣き止まねぇ」
 まあ、赤ちゃんだもんな。泣くのが仕事だし、普通に謝られても困るだろう。だが、そんなこと構わず椎名はオロオロと俺の顔を見たり息子の顔を見たりを繰り返している。泣かれる度にそんな狼狽えてたら体もたんぞ。
「基、ほら、こっち見な」
 俺が息子を抱いたままゆったり左右に揺れて、椎名が顔を覗き込んでいないないばぁをする、という2人がかりのコンビネーションであやしていると、どこかに行っていた五十嵐がビニール袋を持って戻ってきた。五十嵐が基の耳元でガサガサとビニール袋を鳴らすと、基はピタッと泣くのを止めて、五十嵐を見る。
「あぅ」
「おお凄ぇ、泣き止んだ」
「ネットの知識だけど、結構効くな、コレ」
 興味津々に手を伸ばす基からビニール袋を遠ざけつつ、五十嵐が呟く。どうやら基のために予め調べておいてくれたみたいだ。用意がいい。そんな1発で基を泣き止ませたり、返事をしてもらえたりした五十嵐を見て、椎名は完全に父親としての自信を喪失して項垂れている。
「ううっ、俺なんか……俺なんか……」
「もー、椎名。いじけないの。そんなに焦らなくても、子供は世話してくれる人に懐くもんだから、椎名がこれから一生懸命お世話すれば、その愛情に応えてくれる日がきっとくるよ。勿論、基のことタップリ可愛がってくれるんでしょ、パパ?」
「織部……」
 お、感動してる。基の前だとなんだか感情がストレートでホント分かりやすいな、椎名。セフレ時代にもこんだけ分かりやすかったらあんな酷く拗れなかったろうに。そんなことを考えながら腕の中でモゾモゾする基に顔を向けた俺は、俺はあることを思いついた。
「あ、今思いついたんだけど、名前呼びは恥ずいしムズいから、パパ、ママって呼びあわない?」
「それだ! 織部、試しになんか言ってみてくれ!」
 なんかって、なに? 咄嗟に出てこない。えーっと、えーっと、取り敢えず率直に行こう。
「愛してるよ、パパ」
「俺も愛してるぜ、ママ」
「おっし、これいけるぞ!」
「問題解決だな!」
「俺はお前らの羞恥心の基準が分からんよ……」
 呆れた様子でため息をつく五十嵐と、元気が回復して基にパパでちゅよーと再び話しかける椎名、それを笑って見ている俺、椎名を無視してウゴウゴと動く基。4人で過ごす午後の時間は、穏やかに流れていった。
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