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久々の国外出張から約半月後。忘れた頃にそれはやってきた。
「ん? なんだこれ」
それは、自宅であるアパルトマンで郵便物の仕分けをしていた時の事。ダグラスに懇願されて以前のボロ屋よりもセキュリティのシッカリしている今の家に引っ越してきたのだが、そこの郵便ポストには前の家と違ってチラシばっかポスティングされるな……やっぱり住んでる場所から判断して金持ってると思われると違うのかな? なんて考えていたら、チラシの山の中から一通の封筒がでてきた。
宛名も消印も何もない。見るからにかなり怪しい封筒だ。因みに、僕へと届く配達物の検閲は以前ダグラスが勝手にやっている事が判明して大喧嘩になった末、今では行われていない。どうやら『恋人でもないのに我が物顔で僕を管理しようとするな!』と言ったのが効いたようだ。あの後しばらく落ち込んでいたっけ。それでも、ダグラスの検閲がなくてもこういったいかにも怪しげなものは今まで一切届かなかったのだけれど。一体なんなんだろうか。
ここで封を開けずにダグラスに頼んで処分してもらっていたらまた話は違っていたのだろうが……。この時の僕はそうはしなかった。というのも、最近周期的に来るダグラスの束縛が強まる時期が丁度ピークに達してきていたからだ。そろそろ喧嘩……というか、僕が一方的にキレてダグラスに束縛や管理を止めろと怒って彼は渋々僕への干渉を緩める。ただし、完全に止める事はしない。ここまでがいつものワンセット。そんな時こんなもの見せたら、それ見た事か、やっぱり世の中には危険が溢れてるんだ! と束縛が酷くなってしまうに違いない。それだけは避けなくては。
別に、ダグラスの束縛が嫌なわけではない。むしろ僕は深い仲の相手にならドンドン干渉して欲しいタイプだ。それって向こうが僕に関心がある事の証左だもんね。祖父母に管理されまくって育った習い性で主体性にも乏しいし、過干渉で管理癖のある相手くらいが付き合っていくには丁度いい。
ただ、僕とダグラスは一応まだ友達だからね。友達に私生活任せ切りなんて、独り立ちできてないみたいでなんか情けないじゃん? 僕も一応成人済みのいい歳の大人な訳ですし、ある程度は自立したいんですよ。あと、ちゃんと付き合う前からなあなあで色々許しちゃうのは駄目だと思う。腐っても貴族生まれ貴族育ち、それも考えの古い年寄りに育てられた僕は、結構そこら辺の貞操観念は割とシッカリしてるんだ。線引き大事。ただ、恋人とかその先の関係になったら……どんなに酷い束縛もやぶさかではない。むしろドンと来い若しくはもっとして、だ。
まあ、そんな訳で、僕はチラシはゴミ箱にぶち込みその封筒は手に持ちペーパーナイフで中を開いて見てみたのだけれど……。そこに入っていたのは、封筒と同じく訳の分からない得体の知れないものだった。
「えっと……。雑誌の切り取ったページと、新聞の切り抜き、後これは……」
封筒に入っていたのは数枚の紙切れだ。先ずは紙質から言って雑誌のページと思われるものを見る。そこには大きな太文字で『ダグラス大公子殿下、他国の王女と熱愛発覚!?』と印字されていた。記事本文を要約すると、半月前に公務で訪れた某国の幼馴染みの王女と、ダグラスが最近いい感じ……という事らしい。某国というのはこの間僕が仕事で行った国だ。ダグラスの奴も僕一人にしておけないとか何とか言って公務を無理矢理作り着いてきたから、あの時か。そういえば、迎賓館に女性の来客があってその人の事をダグラスは昔馴染みだと言っていたっけ。ダグラスと熱愛発覚した王女というのは若しかして彼女の事だろうか。
やれやれ、たかだか少し話しただけで熱愛だなんて、高貴な身分の人間は針小棒大なゴシップの犠牲にさせられて大変だな。僕の知る限り、ダグラスが最近あの女性と直接会って話したのはあの一回コッキリだ。そして、ダグラスは僕に隠し事はしない。勘違いされそうな女性関係は特に。僕が過去に婚約破棄になった関係で、恋愛方面でナーバスな心配はさせたくないという奴なりの配慮だ。奇跡的な僥倖の連続でやっと繋がった縁を万が一にでも不注意で切らしてしまったら私は死ぬしかない、とも言っていた。何にせよ、そんな訳でダグラスはあの女性とは疚しい形での接触も何もしていない筈だ。……と、思っていたのだが。
「……何、これ」
雑誌に続いて見た新聞の切り抜き。それが問題だった。切り抜いた位置の関係で日付が印字されている部分も切り取られており、それから一週間前の新聞だと分かる。そこには『某国シンシア王女、極秘裏にエルシャーナ大公家に滞在中』という文字がデカデカと踊っていた。シンシア王女、というのは多分さっきの雑誌にも書かれていたダグラスの幼馴染のあの栗色の髪をした女性の名前だろう。そのシンシア王女とやらが、エルシャーナ大公家……つまりはダグラスの家に滞在中だって? ……そんなの聞いてないんだけど。
下世話なゴシップ紙がでっち上げた事実無根のほら話かとも思ったが、その記事に書かれているシンシア王女がこの国にやって来てそれをダグラスが迎えたという日は、確かに前々から僕と一緒に過ごす予定があったのに急用ができたとかで予定をキャンセルされた日で……。そういえば今気がついたが、いつもは聞いてもいないのに聞かせてくる予定の仔細をあの日ダグラスは話そうとしなかった。立場上国の機密に関わる仕事もする奴だし、と取り立てて問いただそうとはしなかったのだが、まさか……。
更には最近ダグラスが仕事を休みがちなのは、シンシア王女といい感じになって婚約しようとしている為その準備で忙しいからだ、とも書かれていた。仕事の方はどうだか知らないが、最近ダグラスが僕の所に顔を出す頻度が落ち込みがちなのは事実だ。だから、仕事を休むどころか忙しいくらいだと思ってたのに。王宮にはよく行っているようだったから、単に忙しいのかと思っていたのだけれど……。いや、待てよ。ダグラスは大公子だ。そんな立場の人間が婚約するには、先ず国王にお伺いを立てねばならず、それ即ち王宮に行かなければならないという事で……。
「……」
新聞記事から目を逸らし、封筒から出てきたもので最後に残った紙ッペラを見る。それは領収書の控えのようだった。本来店側で保管する筈のものがどうして僕宛ての封筒の中に入っているのか。そこも分からないが今一番の問題はまた別にある。領収書の控えの但し書きの欄に『化粧品代として』と書かれたそれは、明らかにダグラスのものではない。しかし、宛名の所にはダグラスの名前が書かれているし、その筆致は僕もよく見慣れたものだ。
更に言えば発行者のところに書かれた店の名は、確か同僚が最近若い女性に人気の店だと茶飲み話で言っていた所だろう。男系家系出身のダグラスは一人っ子で若い女性の親族は居ない。一番歳が近い現国王陛下の初孫にあたる王女だって、今年でようやく三歳だ。化粧に興味はあるだろうが、まだ必要のない年齢の彼女にダグラスが本格的な化粧品セットを纏めて送るとも思えない。ダグラスの母親世代がいつも愛用している王室御用達の店から鞍替えして、いきなり若い子向けのブランドを使い出すとも思えないし……。だとしたらこれは、そのシンシア王女とかへのプレゼントなのだろうか?
え、マジで? これ本当なの? い、いやいやいや。結論を急ぐな、自分。安易な答えに飛びつくのは早計だ。誰か僕の知らない友人への贈り物かもしれないし、なんならこの控えが偽物の可能性だってある。そうやって疑ってみれば、なんだかこのサインのここのはね具合がおかしい気がするぞ。……あくまでも気がするだけだけど。
それに、総合的に見てかなり怪しいのも事実。一つ一つは些細なものだけれど、それをこうして纏めて一気に目の前へ突きつけられるとまた印象が変わってくる。ただ、出処不明なこの怪しい品々を丸っと信じるというのもちょっと……。どうしよう……。
暫く色々と考えていた僕だったが、最終的に出てきたものは全部封筒に戻して、誰にも見つからないように本棚に入っている分厚い専門書の間に挟んで隠しておいた。ここならまず誰も気が付かないだろうからな。本当はこんな怪しいものが届いたんだ、とダグラスに言うべきなんだろう。隠すなんて絶対間違ってる。だけど……僕は怖かったのだ。
僕には隠し事はしないとダグラスは約束してくれた。だから、この雑誌や新聞に書かれている事なんて、ダグラスが僕に隠し事しているから知らない真実の可能性よりも全部根も葉もない嘘の可能性の方が高い。でも、書かれていることが嘘なんかじゃなくて、全部本当なのだとしたら? どれも小さな違和感だが、やましい所がなければ隠したりなんかしないと思ってしまう。一度疑い始めてしまうともう駄目だった。何もかもが怖くなってくる。綻びは小さなものだったけれど、目に見えない亀裂からジワリと水が漏れ出すかのように、確かに何か良くないものが染み出していくのだった。
怪しい封筒が届いてから一週間。ダグラスと会う機会は何度かあった。……前よりも会える頻度が減っているけど。封筒の事は確かめて肯定されるのが怖くて言えていない。でも、本人に聞けない分自分でできる限り調べはした。極力僕の耳に入らないように手配されていたようだったけど、隠す手段があるのなら当然暴く手段だって存在する。結果、封筒の中身については粗方本当なのだと分かった。少なくとも、領収書等の内部事情以外で、確かめられる限りの事については嘘はないようだ。調べなきゃ良かったと、少しだけ後悔もしたが。
相手の事も多少は調べてみた。某国第一王女シンシア王女。四人兄妹の末っ子で、遅くに生まれたたった一人の女の子という事もあって周囲からとても可愛がられて育ったという。家族ぐるみの付き合いだというダグラスの話の通り、幼い頃から友好関係にある我が国の王族と親交があったらしい。中でも、比較的歳の近いダグラスにはよく懐いていて一時は婚約の話も持ち上がった程だとか。もっとも、婚約については王女本人がダグラスの事は兄のようにしか思えないと言って断ったらしいが。しかし、それもゆうに二十年近く前の事で、王女が学童期の頃の話。結婚や婚約が現実味を帯びてくる今の年齢なら、どうだろう。
年齢的に言って王女はもう結婚適齢期だ。むしろ、平民ならいざ知らず高貴な身分の娘が、この歳で結婚は疎か婚約者もいないのはいささか心配されるくらいの歳頃だと思う。シンシア王女はいい人がいないのだとノラリクラリ追求を躱しているようだったが、いつまでもそうしている訳にもいくまい。とうとう年貢の納め時だと家庭に入る決心をした王女が、結婚相手として一番手頃で親しみのあるダグラスを選んだのだとしたら。そしてダグラスの方も、久しぶりに会った幼馴染みが魅力的な大人の女性に成長していて思わずグラッと来てしまったなんて事があったりして……。
考えたくもないのに、嫌な想像が止まらない。勝手に発展する考えを否定しようにも、それを補強するような事が書かれた書類の入った封筒は毎日のように送られてくる。女性用品の領収書。王女とダグラスの仲の良さを示す雑誌記事。昔二人で立ち上げたという基金のパンフレット。封筒は次々と、毎日のように届く。僕はそれを捨てる事もできず、ただただ蔵書の間に挟んで隠すしかなかった。
いったいこの封筒は誰が出しているのだろう? 僕とダグラスの仲を知っていて、尚且つそれを壊したいと願っている誰かなのだという事は確かだが……。僕とダグラスは対外的にはただの友人という事で通っていて、その友情がその先に真剣交際前提だとはダグラスの家族だって知らない。だから皆、僕の世話を焼くダグラスの事を久しぶりにできた親しい友人にベッタリになっている、と考えているようだ。交際前提なのを知っているのは側近であるジェラルドと、僕と、ダグラス本人くらい。
だから、普通に考えたら封筒を出しているのはこの三人のうち誰かという事になる。僕は勿論違うし、ジェラルドだってこんな変な事をする理由がない。ダグラスは、理由一応考えつくんだよなぁ……。例えば、シンシア王女に鞍替えしたいけど自分から僕に迫った手前、交際をやっぱなし! と言い辛くて僕から言い出すように圧力をかけてる……とか。有り得ないとは思うけど、現状これが一番説明としてシックリくるんだよなぁ……。ああ、考えたくもない。
いっその事僕がダグラスを問い詰めて、真実を確かめられる程強かったらまた話は違ってたかもしれないけれど。残念ながら、一度婚約破棄を経験した事によって、僕はスッカリ臆病になってしまっていた。心の大部分ではダグラスの事を信じているのだけれど、それでもやっぱり……と疑う事を止められない。問いただして万が一疑いが真実になってしまったら、僕は到底耐えられないと思う。
そうこうしている間にも、ダグラスの訪問回数や時間が減っていく。勇気を出して『最近忙しそうだね?』と言ったら『ちょっと立て込んでて。機密が関わってるから、全部終わったら話すよ』と曖昧に笑われて終わった。食事に行こうと誘っても、断られる事が増えたし、久しぶりに会えてもダグラスは疲れた様子で物思いに沈んでいる。前までは、僕と会えたらそれだけであんなに喜んでくれたのに。そもそも心情を偽るのが不得意な僕はダグラスに対する不信感を隠しきれていない筈なのに、僕に関する事はあれ程鋭かったたダグラスが様子がおかしい事に気づいた様子もない時点で、ダグラスの心はもう僕から……。
これから僕は、どうすべきなのだろう。ダグラスの心がこのまま僕から離れていくのをジッと指を咥えて待つ? ……そんなの嫌だ。心を傾けた相手が自分から離れていくのを見るのはもう耐えられない。そうか、僕はダグラスの事を、とうとうただの友達以上に思えるように……。もうちょっと幸せな状況で気が付きたかったな。
でも、そうと分かったら話が早い。まだ僕の所へ来るのを止めていないという事は、多少なりともダグラスは僕に情を残してくれているんだろう。それなら、交際前提の友達になった時みたいに、僕の方からアタックしてみればいい。例えば……そう。『友達関係から発展して、恋人になってください』って頼むとか。ここで一押しして、ダグラスの心を取り戻すんだ!
我ながらなかなか悪くない考えだと思う。これなら上手く行きそうだ。よし。なら、決心が鈍る前に、早速行動に移さなくちゃ! 場を整えて、服装も準備して……。きっと上手くいく。必ず成功させてみせる。全てはダグラスと僕の、明るい未来の為に! 奮起した僕は、今まで酷く落ち込んでいたのが嘘のように張り切って準備を始めた。これが辛い現実からの逃避だという事は多少自覚していたが、仕方がない。この先に明るい未来があると信じなければ、心が折れてしまいそうだったんだ。ただひたすらに、ダグラスに自分の気持ちを伝える為の計画を立てる事で、時間は過ぎていった。
「ん? なんだこれ」
それは、自宅であるアパルトマンで郵便物の仕分けをしていた時の事。ダグラスに懇願されて以前のボロ屋よりもセキュリティのシッカリしている今の家に引っ越してきたのだが、そこの郵便ポストには前の家と違ってチラシばっかポスティングされるな……やっぱり住んでる場所から判断して金持ってると思われると違うのかな? なんて考えていたら、チラシの山の中から一通の封筒がでてきた。
宛名も消印も何もない。見るからにかなり怪しい封筒だ。因みに、僕へと届く配達物の検閲は以前ダグラスが勝手にやっている事が判明して大喧嘩になった末、今では行われていない。どうやら『恋人でもないのに我が物顔で僕を管理しようとするな!』と言ったのが効いたようだ。あの後しばらく落ち込んでいたっけ。それでも、ダグラスの検閲がなくてもこういったいかにも怪しげなものは今まで一切届かなかったのだけれど。一体なんなんだろうか。
ここで封を開けずにダグラスに頼んで処分してもらっていたらまた話は違っていたのだろうが……。この時の僕はそうはしなかった。というのも、最近周期的に来るダグラスの束縛が強まる時期が丁度ピークに達してきていたからだ。そろそろ喧嘩……というか、僕が一方的にキレてダグラスに束縛や管理を止めろと怒って彼は渋々僕への干渉を緩める。ただし、完全に止める事はしない。ここまでがいつものワンセット。そんな時こんなもの見せたら、それ見た事か、やっぱり世の中には危険が溢れてるんだ! と束縛が酷くなってしまうに違いない。それだけは避けなくては。
別に、ダグラスの束縛が嫌なわけではない。むしろ僕は深い仲の相手にならドンドン干渉して欲しいタイプだ。それって向こうが僕に関心がある事の証左だもんね。祖父母に管理されまくって育った習い性で主体性にも乏しいし、過干渉で管理癖のある相手くらいが付き合っていくには丁度いい。
ただ、僕とダグラスは一応まだ友達だからね。友達に私生活任せ切りなんて、独り立ちできてないみたいでなんか情けないじゃん? 僕も一応成人済みのいい歳の大人な訳ですし、ある程度は自立したいんですよ。あと、ちゃんと付き合う前からなあなあで色々許しちゃうのは駄目だと思う。腐っても貴族生まれ貴族育ち、それも考えの古い年寄りに育てられた僕は、結構そこら辺の貞操観念は割とシッカリしてるんだ。線引き大事。ただ、恋人とかその先の関係になったら……どんなに酷い束縛もやぶさかではない。むしろドンと来い若しくはもっとして、だ。
まあ、そんな訳で、僕はチラシはゴミ箱にぶち込みその封筒は手に持ちペーパーナイフで中を開いて見てみたのだけれど……。そこに入っていたのは、封筒と同じく訳の分からない得体の知れないものだった。
「えっと……。雑誌の切り取ったページと、新聞の切り抜き、後これは……」
封筒に入っていたのは数枚の紙切れだ。先ずは紙質から言って雑誌のページと思われるものを見る。そこには大きな太文字で『ダグラス大公子殿下、他国の王女と熱愛発覚!?』と印字されていた。記事本文を要約すると、半月前に公務で訪れた某国の幼馴染みの王女と、ダグラスが最近いい感じ……という事らしい。某国というのはこの間僕が仕事で行った国だ。ダグラスの奴も僕一人にしておけないとか何とか言って公務を無理矢理作り着いてきたから、あの時か。そういえば、迎賓館に女性の来客があってその人の事をダグラスは昔馴染みだと言っていたっけ。ダグラスと熱愛発覚した王女というのは若しかして彼女の事だろうか。
やれやれ、たかだか少し話しただけで熱愛だなんて、高貴な身分の人間は針小棒大なゴシップの犠牲にさせられて大変だな。僕の知る限り、ダグラスが最近あの女性と直接会って話したのはあの一回コッキリだ。そして、ダグラスは僕に隠し事はしない。勘違いされそうな女性関係は特に。僕が過去に婚約破棄になった関係で、恋愛方面でナーバスな心配はさせたくないという奴なりの配慮だ。奇跡的な僥倖の連続でやっと繋がった縁を万が一にでも不注意で切らしてしまったら私は死ぬしかない、とも言っていた。何にせよ、そんな訳でダグラスはあの女性とは疚しい形での接触も何もしていない筈だ。……と、思っていたのだが。
「……何、これ」
雑誌に続いて見た新聞の切り抜き。それが問題だった。切り抜いた位置の関係で日付が印字されている部分も切り取られており、それから一週間前の新聞だと分かる。そこには『某国シンシア王女、極秘裏にエルシャーナ大公家に滞在中』という文字がデカデカと踊っていた。シンシア王女、というのは多分さっきの雑誌にも書かれていたダグラスの幼馴染のあの栗色の髪をした女性の名前だろう。そのシンシア王女とやらが、エルシャーナ大公家……つまりはダグラスの家に滞在中だって? ……そんなの聞いてないんだけど。
下世話なゴシップ紙がでっち上げた事実無根のほら話かとも思ったが、その記事に書かれているシンシア王女がこの国にやって来てそれをダグラスが迎えたという日は、確かに前々から僕と一緒に過ごす予定があったのに急用ができたとかで予定をキャンセルされた日で……。そういえば今気がついたが、いつもは聞いてもいないのに聞かせてくる予定の仔細をあの日ダグラスは話そうとしなかった。立場上国の機密に関わる仕事もする奴だし、と取り立てて問いただそうとはしなかったのだが、まさか……。
更には最近ダグラスが仕事を休みがちなのは、シンシア王女といい感じになって婚約しようとしている為その準備で忙しいからだ、とも書かれていた。仕事の方はどうだか知らないが、最近ダグラスが僕の所に顔を出す頻度が落ち込みがちなのは事実だ。だから、仕事を休むどころか忙しいくらいだと思ってたのに。王宮にはよく行っているようだったから、単に忙しいのかと思っていたのだけれど……。いや、待てよ。ダグラスは大公子だ。そんな立場の人間が婚約するには、先ず国王にお伺いを立てねばならず、それ即ち王宮に行かなければならないという事で……。
「……」
新聞記事から目を逸らし、封筒から出てきたもので最後に残った紙ッペラを見る。それは領収書の控えのようだった。本来店側で保管する筈のものがどうして僕宛ての封筒の中に入っているのか。そこも分からないが今一番の問題はまた別にある。領収書の控えの但し書きの欄に『化粧品代として』と書かれたそれは、明らかにダグラスのものではない。しかし、宛名の所にはダグラスの名前が書かれているし、その筆致は僕もよく見慣れたものだ。
更に言えば発行者のところに書かれた店の名は、確か同僚が最近若い女性に人気の店だと茶飲み話で言っていた所だろう。男系家系出身のダグラスは一人っ子で若い女性の親族は居ない。一番歳が近い現国王陛下の初孫にあたる王女だって、今年でようやく三歳だ。化粧に興味はあるだろうが、まだ必要のない年齢の彼女にダグラスが本格的な化粧品セットを纏めて送るとも思えない。ダグラスの母親世代がいつも愛用している王室御用達の店から鞍替えして、いきなり若い子向けのブランドを使い出すとも思えないし……。だとしたらこれは、そのシンシア王女とかへのプレゼントなのだろうか?
え、マジで? これ本当なの? い、いやいやいや。結論を急ぐな、自分。安易な答えに飛びつくのは早計だ。誰か僕の知らない友人への贈り物かもしれないし、なんならこの控えが偽物の可能性だってある。そうやって疑ってみれば、なんだかこのサインのここのはね具合がおかしい気がするぞ。……あくまでも気がするだけだけど。
それに、総合的に見てかなり怪しいのも事実。一つ一つは些細なものだけれど、それをこうして纏めて一気に目の前へ突きつけられるとまた印象が変わってくる。ただ、出処不明なこの怪しい品々を丸っと信じるというのもちょっと……。どうしよう……。
暫く色々と考えていた僕だったが、最終的に出てきたものは全部封筒に戻して、誰にも見つからないように本棚に入っている分厚い専門書の間に挟んで隠しておいた。ここならまず誰も気が付かないだろうからな。本当はこんな怪しいものが届いたんだ、とダグラスに言うべきなんだろう。隠すなんて絶対間違ってる。だけど……僕は怖かったのだ。
僕には隠し事はしないとダグラスは約束してくれた。だから、この雑誌や新聞に書かれている事なんて、ダグラスが僕に隠し事しているから知らない真実の可能性よりも全部根も葉もない嘘の可能性の方が高い。でも、書かれていることが嘘なんかじゃなくて、全部本当なのだとしたら? どれも小さな違和感だが、やましい所がなければ隠したりなんかしないと思ってしまう。一度疑い始めてしまうともう駄目だった。何もかもが怖くなってくる。綻びは小さなものだったけれど、目に見えない亀裂からジワリと水が漏れ出すかのように、確かに何か良くないものが染み出していくのだった。
怪しい封筒が届いてから一週間。ダグラスと会う機会は何度かあった。……前よりも会える頻度が減っているけど。封筒の事は確かめて肯定されるのが怖くて言えていない。でも、本人に聞けない分自分でできる限り調べはした。極力僕の耳に入らないように手配されていたようだったけど、隠す手段があるのなら当然暴く手段だって存在する。結果、封筒の中身については粗方本当なのだと分かった。少なくとも、領収書等の内部事情以外で、確かめられる限りの事については嘘はないようだ。調べなきゃ良かったと、少しだけ後悔もしたが。
相手の事も多少は調べてみた。某国第一王女シンシア王女。四人兄妹の末っ子で、遅くに生まれたたった一人の女の子という事もあって周囲からとても可愛がられて育ったという。家族ぐるみの付き合いだというダグラスの話の通り、幼い頃から友好関係にある我が国の王族と親交があったらしい。中でも、比較的歳の近いダグラスにはよく懐いていて一時は婚約の話も持ち上がった程だとか。もっとも、婚約については王女本人がダグラスの事は兄のようにしか思えないと言って断ったらしいが。しかし、それもゆうに二十年近く前の事で、王女が学童期の頃の話。結婚や婚約が現実味を帯びてくる今の年齢なら、どうだろう。
年齢的に言って王女はもう結婚適齢期だ。むしろ、平民ならいざ知らず高貴な身分の娘が、この歳で結婚は疎か婚約者もいないのはいささか心配されるくらいの歳頃だと思う。シンシア王女はいい人がいないのだとノラリクラリ追求を躱しているようだったが、いつまでもそうしている訳にもいくまい。とうとう年貢の納め時だと家庭に入る決心をした王女が、結婚相手として一番手頃で親しみのあるダグラスを選んだのだとしたら。そしてダグラスの方も、久しぶりに会った幼馴染みが魅力的な大人の女性に成長していて思わずグラッと来てしまったなんて事があったりして……。
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そうこうしている間にも、ダグラスの訪問回数や時間が減っていく。勇気を出して『最近忙しそうだね?』と言ったら『ちょっと立て込んでて。機密が関わってるから、全部終わったら話すよ』と曖昧に笑われて終わった。食事に行こうと誘っても、断られる事が増えたし、久しぶりに会えてもダグラスは疲れた様子で物思いに沈んでいる。前までは、僕と会えたらそれだけであんなに喜んでくれたのに。そもそも心情を偽るのが不得意な僕はダグラスに対する不信感を隠しきれていない筈なのに、僕に関する事はあれ程鋭かったたダグラスが様子がおかしい事に気づいた様子もない時点で、ダグラスの心はもう僕から……。
これから僕は、どうすべきなのだろう。ダグラスの心がこのまま僕から離れていくのをジッと指を咥えて待つ? ……そんなの嫌だ。心を傾けた相手が自分から離れていくのを見るのはもう耐えられない。そうか、僕はダグラスの事を、とうとうただの友達以上に思えるように……。もうちょっと幸せな状況で気が付きたかったな。
でも、そうと分かったら話が早い。まだ僕の所へ来るのを止めていないという事は、多少なりともダグラスは僕に情を残してくれているんだろう。それなら、交際前提の友達になった時みたいに、僕の方からアタックしてみればいい。例えば……そう。『友達関係から発展して、恋人になってください』って頼むとか。ここで一押しして、ダグラスの心を取り戻すんだ!
我ながらなかなか悪くない考えだと思う。これなら上手く行きそうだ。よし。なら、決心が鈍る前に、早速行動に移さなくちゃ! 場を整えて、服装も準備して……。きっと上手くいく。必ず成功させてみせる。全てはダグラスと僕の、明るい未来の為に! 奮起した僕は、今まで酷く落ち込んでいたのが嘘のように張り切って準備を始めた。これが辛い現実からの逃避だという事は多少自覚していたが、仕方がない。この先に明るい未来があると信じなければ、心が折れてしまいそうだったんだ。ただひたすらに、ダグラスに自分の気持ちを伝える為の計画を立てる事で、時間は過ぎていった。
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