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シンと静まり返った室内。ダグラスは俯いたまま動かないし、僕も何と言うべきかまたは何をすべきか分からなくて固まっている。完全なる膠着状態だ。しかし、いつまでもこうしている訳にも行かないだろう。チラッとだけ見えるダグラスの顔色が真っ白で、ダラダラ謎の汗をかいているのを見た僕は、ここは自分が勇気をだして状況を打破するべきだな、と考えた。
「……座っても?」
「あっ! はい! どうぞ!」
僕の言葉に反応したダグラスが大慌てで自分の向かいの席の周りに置いてある酒瓶を片付け始めたが、少し考えてから僕は奴の座っている長椅子の隣に腰かける。向き合って座るのも話しやすいとは思うが、この机大きくて向かい合う席だと少し距離ができるんだよね。何となく、今はダグラスの近くで彼の存在を感じながら話し合いをしたい気分だった。
僕が隣に座ったらダグラスは「ピ」とよく分からない鳴き声をあげて固まってしまう。大丈夫かな? と思って顔色を伺ったら、目をガン開きにして油汗かきながら真っ赤になってた。それでようやく実感を持って理解する。この焦りよう……こいつ、本当に僕の事好きなんだって。ダグラスが錆びた玩具みたいなぎこちない動きで何とか座り直すのを待ってから、僕達は話を始める。相変わらずダグラスは話せるような状況ではなかったので、やっぱり口火を切ったのは僕だった。
「……僕の事、いつから好きだったんだ?」
「えと……。十二年前……」
「は? そんな前!? 待ってくれ、その頃僕学生だよね? 僕達まだ会ってすらなくないか?」
「……。君は覚えてないみたいだけど、私達会った事あるよ……」
そう言って目に見えてションボリするダグラス。二人の出会いを僕が覚えてない事に落ち込んでいるのだろう。罪悪感に襲われるが、マジでなんの心当たりもない。十二年前と言えば、早く祖父母との縁を切る為に独り立ちがしたくって、その為にも将来食うに困る事がないよういいところに就職しようと決意し、成績をあげようと頑張っていた頃だ。有難い事に将来有望と教師に目をかけられていて、しかしそのせいで雑用を沢山言い付けられ印象を悪くしたくないが故にそれを断れもせず、かなり忙しかった思い出しかない。
まさか、忙しさに忙殺されて存在を忘れた? こんなキラキラした王子様というあまりにも強烈な印象の奴を? 僕結構記憶力いい筈なんだけど、そんな事あるかなぁ? そうして内心僕が首を捻っているのを察したのだろう。ダグラスが横から助け舟を出す。
「君、教師に頼まれて期間限定の聴講生の面倒見た事なかった?」
「ああ、何度かあるけど」
「その中に『ダッキー』って名前の黒縁メガネが野暮ったい奴が居たの、覚えてる?」
「勿論。印象深かったからよく覚えてる。少し知識に偏りがあったけど、最初からかなり優秀な聴講生だった。学習意欲も旺盛で、時間のある時によく一緒に勉強したっけ。期限の三ヶ月が終わる頃には教師も舌を巻く程の知識を身につけて、本当に頭のいい人間だった。仲良くさせてもらったしできれば今後も友達になりたかったんだけど、国が遠いから遣り取りできないって連絡先交換できなかったんだよね。彼がどうかしたのか?」
「それ、私」
「……は?」
やや気まずそうな顔をしながらも、おずおずと挙手するダグラス。待ってくれ、こいつがあのダッキーだって? 嘘だろ、全然違うじゃないか。だってダッキーはド近眼だからっていつも分厚いレンズの眼鏡をかけていて、猫背で頭はボサボサで身に付けているものも不潔ではないけどボロボロで、全然今のキラキラしているダグラスとは似ても似つかない。あ、でも、髪の色は似てるな……。レンズの奥にちらっと見えた瞳の色も。ていうか、今気がついたけど手首の所にある小さな黒子。袖に隠れて見えたり見えなかったりするそれは、あの頃一緒に勉強をしている時に飽きる程見たものだ。ダグラスには近づこうとも思わなかったから、全然気が付かなかった。と、いう事は……。
「本当に……。ダッキー、なの……? でも……何もかも違くない?」
「あの時は生徒は疎か、教師陣にも正体を隠して学びに来てたんだ。バレないように偽名を使って変装もしてた。正体を明かす訳にもいかないから、今まで隠してたんだ」
「どうしてそんな事を」
「当時私はもう少しで成人で、それに伴い他の王族からいくつかの公務を引き継ぐ事になっていた。今やっている国立魔法研究所の名誉顧問の立場もその一つだ。名誉職だろうと国の研究機関の長となるんだから、ある程度専門知識をつけておいて損はない。頭のいいお前なら余裕だろう。身分がバレていると忌憚ない指導が受けられないから、正体は隠したまま学校に通いなさい。そう言われてダッキーという偽の身分で君の通っていた学校の聴講生になったんだ」
成程、それで。まあ確かに、身分が高い人間への学問的指導はなかなか難しいもんね。普通にこの考えは正しくありませんよって指摘しただけなのに、間違いを正された事を恥に思って自分の社会的立場を利用し理不尽な報復を指摘した教師にしてくる身分やプライドばかりが高くて知能は低い幼稚な奴って結構居る。ダグラスは賢い奴だから指摘と批判の区別が着くだろうけど、理不尽な怒りを燃やす奴等は馬鹿故に判別がつかないのだ。そういう理不尽からの自衛手段として、社会的高位の人間には適当におだてるだけで指導そのものをせずトラブルを避けるってのはままある事だった。真面目に学びたいという意欲を持つ人間からしたら堪ったもんじゃないが、教師達も悪気があってやってる訳じゃないし自分の命が惜しいだけなので如何ともし難い。
「私はね、自慢じゃないが昔から人並み以上に勉強ができて、周りはそれを褒めるし自分でも優秀だと自惚れていたから、己はとても賢い人間なんだと正直天狗になっていたんだ。だから研究所の名誉顧問就任の話が来た時も自分なら余裕だと思ったし、学校に行って勉強をし直すって話だってどうせ簡単にできてしまうから成人前の最後の余暇だと舐め腐った気持ちでいた。所がどうだ、実際のところは全然違う。意気込んで学校に乗り込んでみたら、私程度の賢さと知識量の人間なんて巨万と居る。それまで教師と言えば私を褒めそやす者しか居なかったのに、肩書きを隠してしまえば今まで誤魔化されていた見識不足を指摘されまくる。私はそれで自分が、周囲の優しさ故に間違いをちゃんと指摘されないだけなのに、自分は間違いを犯さない天才なのだと思い込んでいる間抜けなのだとようやく理解したんだ」
「いや、何言ってんだよ、あんたは充分賢いさ。あそこの先生方は学問フリークだから、見込みのある生徒の前だと気合いが入っちまって一見当たりがきつくなるんだよ。それで心が折れる奴が毎年多いから、短期の聴講生とか下級生には僕がやってたみたいなサポート役が付けられるんだ。自分で言うのもなんだけど、僕の母校は国際的に見てもレベルが高いから、あそこである程度やってけてた時点で十分だって。実際お前、途中で逃げ出さずに期間一杯勉強して論文も書いて難しい学位を取ってたじゃないか」
「いやいや、それこそ君のお陰だよ。君に助けられて私はあそこでやっていけていたんだから」
「僕のお陰ぇ?」
何それ。全く心当たりないんだが。確かに僕はダッキーのサポート役だったけど、言ってしまえばそれだけ。やった事といえば一緒に勉強をしたり、雑用をしたり、お昼を食べたり……。当時の僕は教師の金魚のフンだなんて言われて同級生達から煙たがられてたから、期限付きの聴講生で友達が居ないダッキーとよく一緒に居たんだよな。正体がバレないようにかダッキーは物静かな奴だったから、生来あまり活発な方じゃなく家の事もあって遠巻きに見られがちで人付き合いに慣れていない僕にとっては、とても付き合いやすい相手だった。でも、本当に特別な事は何もしてない。マジで一緒に居ただけ。あれのどこがダグラスの助けになったって言うんだ?
「僕、ダッキーと一緒に毎日のほほんと過ごしてた思い出しかないんだけど」
「それが良かったんだよ。君は現実に打ちのめされて落ち込む私をさりげなく励まし、一緒に勉強をして、分からないところがあっても決して馬鹿にせず一緒に考えてみようと二人三脚でやっていって寄り添ってくれただろ。変に気を使われるより、当たり前の顔をしてサラッと助けてもらえるのがこれくらい大丈夫だ、って言われてるみたいで余っ程良かった。そんな君の態度に私がどれだけ励まされた事か。君と一緒に勉強したあの時間は、今でも私にとって大切な思い出の一つだ。今でも何か落ち込む事があったら、あの時の事を思い出して元気を出しているよ」
「……まさか、それで僕を?」
「まあ……そうだね。好きになったんだよね」
えー、マジか。そんな事で? 確かに弱ってる時に優しくされて……っていうのは恋バナのド定番だろうけど、まさかそれが自分の身に降りかかるなんて。全く予想もしなかった。というか、一応大公子がそんな惚れっぽくて大丈夫? ドラマチックな演出したら、僕よりも余っ程セクシャルヒューミント引っ掛かりそうじゃない?
「ダグラス、赤詐欺にだけは気をつけろよ?」
「何だそれ、私が誰彼構わず惚れそうだからって事? 言っとくけど、私が好きになったのは君が最初で最後で、君の事ずっと一途に思い続けてるからね? 後、君はあれくらい誰にでもできると思ってるのかもしれないけど、できないから。自分は駄目な奴なんだってウジウジ落ち込んでる面倒臭い奴を優しく立ち直らせて、付きっきりで勉強のサポートして、なんてそこまでやってくれるの君だけだよ?」
「またまたぁ、そんな事ないって。お前は大公子なんだから、今まで助けてくれる奴は沢山居たろ?」
「君が信じようと信じまいと、本当の事だから。確かに私が大公子だから助けてくれた人は沢山居たよ。でも、何の肩書きも持たないただのダッキーを助けてくれたのは君だけだ。君のその相手の肩書きに惑わされず親切にできる優しさに私は惚れたんだ。弱ってるところを助けられたからって、それだけじゃ惚れない。そしてそんな君に相応しい自分になれるよう、肩書きに甘えない自分になろうと勉強も公務も全部頑張ってきたんだ」
「……最近の僕の態度は全然優しくなかったから、幻滅したでしょう」
「全然。元を正せば悪いの全部私だし。それに、正直言うと優しいだけじゃなくちゃんと貫き通す信念を持っている素の君を見せて貰えて、嬉しかった」
それでも、好きな相手から辛辣に当たられるのは辛かったろう。それが十年以上片思いしている相手なら尚更だ。それでもめげずに僕を思い続けていたなんて、ダグラスは凄い。今更ながら、自分の取っていた嫌な態度を少し反省する。婚活に必死になるあまり、みっともない態度を取ってしまった。
……ん? ちょっと待てよ。ダグラスが僕に惚れたのは、学生時代だって言ったよね? それって僕が国立魔法研究所に就職内定する前だ。そして、僕はダッキーに将来いい所に就職したいと零した覚えがある。さらに言えばダグラスは国立魔法研究所の名誉顧問だ。これって、つまり……。
「若しかして……。僕が国立魔法研究所に就職できたのは、お前のお陰?」
「え? 違う違う、それは正真正銘君の実力だ!」
「本当?」
「本当だとも! 依怙贔屓で受かっても、真面目な君は喜ばないだろ? そりゃあ君が国立魔法研究所に就職志願してくれて嬉しかったのは本当だけど……。でも、私は最初この恋を叶えるつもりはなかったし、それなら君が傍に居てくれても苦しいだけだから、積極的に動こうとは思わなかったな」
「叶える気、なかったって……」
「だって君、ダッキーにもよく言ってたじゃないか『将来は誰かいい人と結婚して、子供を授かって、普通でいいから幸せな家庭を築きたいんだ』って。男の私相手では、結婚も子供も君の希望を叶えられない。君には幸せになって欲しかったから……だから、私は自分の恋を諦める事にしたんだ」
そう言って弱々しく笑うダグラス。相手の幸せを考えて、自分は身を引く。言うのは簡単だが、それを実行するのはどれ程大変な事か。自分だけが幸せになりたい、自分が幸せならそれだけでいい。そんな利己的な考えの者も多い中で、ダグラスは僕を優先させてくれた。愛してるから。だから、幸せになって欲しい。例え、それが自分の望みとは異なる形であっても、それが相手の幸せに繋がるのなら……。ダグラスのその献身に、僕は胸を打たれた。
「まあ、カッコつけてこんな事言ってる癖して、結局上手くいかなかったけどね。君が最初の婚約者と仲良さそうにしている所までは時々コッソリ見守る程度で済んでたんだけど、その婚約が破棄になって君が男性妊娠の魔法に活路を見出し研究に没頭するようになってからは、あまりのやつれ具合に見てられなくて思わず手を出しちゃった。それからは、ご存知の通りの結果に……」
「あー、成程ねぇ……」
大体流れが分かったぞ。何と言うか、ダグラスの気持ちは分からんでもない。自分が身を引いてまで幸せになって欲しいと願った相手がズタボロになってたら、思わず手を出してしまうのも納得だ。そりゃあそんだけ思い入れがあったら、今度こそ確実に幸せになってもらいたいと願って、僕に近づいてくる女性のチェックもしちゃうよなぁ。隠されていた事情などが明らかになっていくにつれ、どんどんダグラスに対する怒りが引いていく。色々とのっぴきならない事情があったんだな、と納得してしまったのだ。だからこそ、ダグラスが次に言ったあの台詞に、僕はあんな言葉を返した。
「……色々ぶっちゃけたらなんだかスッキリしたな。今なら、気持ちの整理がつけられそうだ。安心して。もうここまで来たら君の婚活の邪魔はしないから。今まで勝手な思い入れでちょっかい出してて本当にごめんよ。これからは大人しく最初の考えとおり遠くから君の幸せを見守って」
「え、告白はしてくれないの?」
「……は?」
「……座っても?」
「あっ! はい! どうぞ!」
僕の言葉に反応したダグラスが大慌てで自分の向かいの席の周りに置いてある酒瓶を片付け始めたが、少し考えてから僕は奴の座っている長椅子の隣に腰かける。向き合って座るのも話しやすいとは思うが、この机大きくて向かい合う席だと少し距離ができるんだよね。何となく、今はダグラスの近くで彼の存在を感じながら話し合いをしたい気分だった。
僕が隣に座ったらダグラスは「ピ」とよく分からない鳴き声をあげて固まってしまう。大丈夫かな? と思って顔色を伺ったら、目をガン開きにして油汗かきながら真っ赤になってた。それでようやく実感を持って理解する。この焦りよう……こいつ、本当に僕の事好きなんだって。ダグラスが錆びた玩具みたいなぎこちない動きで何とか座り直すのを待ってから、僕達は話を始める。相変わらずダグラスは話せるような状況ではなかったので、やっぱり口火を切ったのは僕だった。
「……僕の事、いつから好きだったんだ?」
「えと……。十二年前……」
「は? そんな前!? 待ってくれ、その頃僕学生だよね? 僕達まだ会ってすらなくないか?」
「……。君は覚えてないみたいだけど、私達会った事あるよ……」
そう言って目に見えてションボリするダグラス。二人の出会いを僕が覚えてない事に落ち込んでいるのだろう。罪悪感に襲われるが、マジでなんの心当たりもない。十二年前と言えば、早く祖父母との縁を切る為に独り立ちがしたくって、その為にも将来食うに困る事がないよういいところに就職しようと決意し、成績をあげようと頑張っていた頃だ。有難い事に将来有望と教師に目をかけられていて、しかしそのせいで雑用を沢山言い付けられ印象を悪くしたくないが故にそれを断れもせず、かなり忙しかった思い出しかない。
まさか、忙しさに忙殺されて存在を忘れた? こんなキラキラした王子様というあまりにも強烈な印象の奴を? 僕結構記憶力いい筈なんだけど、そんな事あるかなぁ? そうして内心僕が首を捻っているのを察したのだろう。ダグラスが横から助け舟を出す。
「君、教師に頼まれて期間限定の聴講生の面倒見た事なかった?」
「ああ、何度かあるけど」
「その中に『ダッキー』って名前の黒縁メガネが野暮ったい奴が居たの、覚えてる?」
「勿論。印象深かったからよく覚えてる。少し知識に偏りがあったけど、最初からかなり優秀な聴講生だった。学習意欲も旺盛で、時間のある時によく一緒に勉強したっけ。期限の三ヶ月が終わる頃には教師も舌を巻く程の知識を身につけて、本当に頭のいい人間だった。仲良くさせてもらったしできれば今後も友達になりたかったんだけど、国が遠いから遣り取りできないって連絡先交換できなかったんだよね。彼がどうかしたのか?」
「それ、私」
「……は?」
やや気まずそうな顔をしながらも、おずおずと挙手するダグラス。待ってくれ、こいつがあのダッキーだって? 嘘だろ、全然違うじゃないか。だってダッキーはド近眼だからっていつも分厚いレンズの眼鏡をかけていて、猫背で頭はボサボサで身に付けているものも不潔ではないけどボロボロで、全然今のキラキラしているダグラスとは似ても似つかない。あ、でも、髪の色は似てるな……。レンズの奥にちらっと見えた瞳の色も。ていうか、今気がついたけど手首の所にある小さな黒子。袖に隠れて見えたり見えなかったりするそれは、あの頃一緒に勉強をしている時に飽きる程見たものだ。ダグラスには近づこうとも思わなかったから、全然気が付かなかった。と、いう事は……。
「本当に……。ダッキー、なの……? でも……何もかも違くない?」
「あの時は生徒は疎か、教師陣にも正体を隠して学びに来てたんだ。バレないように偽名を使って変装もしてた。正体を明かす訳にもいかないから、今まで隠してたんだ」
「どうしてそんな事を」
「当時私はもう少しで成人で、それに伴い他の王族からいくつかの公務を引き継ぐ事になっていた。今やっている国立魔法研究所の名誉顧問の立場もその一つだ。名誉職だろうと国の研究機関の長となるんだから、ある程度専門知識をつけておいて損はない。頭のいいお前なら余裕だろう。身分がバレていると忌憚ない指導が受けられないから、正体は隠したまま学校に通いなさい。そう言われてダッキーという偽の身分で君の通っていた学校の聴講生になったんだ」
成程、それで。まあ確かに、身分が高い人間への学問的指導はなかなか難しいもんね。普通にこの考えは正しくありませんよって指摘しただけなのに、間違いを正された事を恥に思って自分の社会的立場を利用し理不尽な報復を指摘した教師にしてくる身分やプライドばかりが高くて知能は低い幼稚な奴って結構居る。ダグラスは賢い奴だから指摘と批判の区別が着くだろうけど、理不尽な怒りを燃やす奴等は馬鹿故に判別がつかないのだ。そういう理不尽からの自衛手段として、社会的高位の人間には適当におだてるだけで指導そのものをせずトラブルを避けるってのはままある事だった。真面目に学びたいという意欲を持つ人間からしたら堪ったもんじゃないが、教師達も悪気があってやってる訳じゃないし自分の命が惜しいだけなので如何ともし難い。
「私はね、自慢じゃないが昔から人並み以上に勉強ができて、周りはそれを褒めるし自分でも優秀だと自惚れていたから、己はとても賢い人間なんだと正直天狗になっていたんだ。だから研究所の名誉顧問就任の話が来た時も自分なら余裕だと思ったし、学校に行って勉強をし直すって話だってどうせ簡単にできてしまうから成人前の最後の余暇だと舐め腐った気持ちでいた。所がどうだ、実際のところは全然違う。意気込んで学校に乗り込んでみたら、私程度の賢さと知識量の人間なんて巨万と居る。それまで教師と言えば私を褒めそやす者しか居なかったのに、肩書きを隠してしまえば今まで誤魔化されていた見識不足を指摘されまくる。私はそれで自分が、周囲の優しさ故に間違いをちゃんと指摘されないだけなのに、自分は間違いを犯さない天才なのだと思い込んでいる間抜けなのだとようやく理解したんだ」
「いや、何言ってんだよ、あんたは充分賢いさ。あそこの先生方は学問フリークだから、見込みのある生徒の前だと気合いが入っちまって一見当たりがきつくなるんだよ。それで心が折れる奴が毎年多いから、短期の聴講生とか下級生には僕がやってたみたいなサポート役が付けられるんだ。自分で言うのもなんだけど、僕の母校は国際的に見てもレベルが高いから、あそこである程度やってけてた時点で十分だって。実際お前、途中で逃げ出さずに期間一杯勉強して論文も書いて難しい学位を取ってたじゃないか」
「いやいや、それこそ君のお陰だよ。君に助けられて私はあそこでやっていけていたんだから」
「僕のお陰ぇ?」
何それ。全く心当たりないんだが。確かに僕はダッキーのサポート役だったけど、言ってしまえばそれだけ。やった事といえば一緒に勉強をしたり、雑用をしたり、お昼を食べたり……。当時の僕は教師の金魚のフンだなんて言われて同級生達から煙たがられてたから、期限付きの聴講生で友達が居ないダッキーとよく一緒に居たんだよな。正体がバレないようにかダッキーは物静かな奴だったから、生来あまり活発な方じゃなく家の事もあって遠巻きに見られがちで人付き合いに慣れていない僕にとっては、とても付き合いやすい相手だった。でも、本当に特別な事は何もしてない。マジで一緒に居ただけ。あれのどこがダグラスの助けになったって言うんだ?
「僕、ダッキーと一緒に毎日のほほんと過ごしてた思い出しかないんだけど」
「それが良かったんだよ。君は現実に打ちのめされて落ち込む私をさりげなく励まし、一緒に勉強をして、分からないところがあっても決して馬鹿にせず一緒に考えてみようと二人三脚でやっていって寄り添ってくれただろ。変に気を使われるより、当たり前の顔をしてサラッと助けてもらえるのがこれくらい大丈夫だ、って言われてるみたいで余っ程良かった。そんな君の態度に私がどれだけ励まされた事か。君と一緒に勉強したあの時間は、今でも私にとって大切な思い出の一つだ。今でも何か落ち込む事があったら、あの時の事を思い出して元気を出しているよ」
「……まさか、それで僕を?」
「まあ……そうだね。好きになったんだよね」
えー、マジか。そんな事で? 確かに弱ってる時に優しくされて……っていうのは恋バナのド定番だろうけど、まさかそれが自分の身に降りかかるなんて。全く予想もしなかった。というか、一応大公子がそんな惚れっぽくて大丈夫? ドラマチックな演出したら、僕よりも余っ程セクシャルヒューミント引っ掛かりそうじゃない?
「ダグラス、赤詐欺にだけは気をつけろよ?」
「何だそれ、私が誰彼構わず惚れそうだからって事? 言っとくけど、私が好きになったのは君が最初で最後で、君の事ずっと一途に思い続けてるからね? 後、君はあれくらい誰にでもできると思ってるのかもしれないけど、できないから。自分は駄目な奴なんだってウジウジ落ち込んでる面倒臭い奴を優しく立ち直らせて、付きっきりで勉強のサポートして、なんてそこまでやってくれるの君だけだよ?」
「またまたぁ、そんな事ないって。お前は大公子なんだから、今まで助けてくれる奴は沢山居たろ?」
「君が信じようと信じまいと、本当の事だから。確かに私が大公子だから助けてくれた人は沢山居たよ。でも、何の肩書きも持たないただのダッキーを助けてくれたのは君だけだ。君のその相手の肩書きに惑わされず親切にできる優しさに私は惚れたんだ。弱ってるところを助けられたからって、それだけじゃ惚れない。そしてそんな君に相応しい自分になれるよう、肩書きに甘えない自分になろうと勉強も公務も全部頑張ってきたんだ」
「……最近の僕の態度は全然優しくなかったから、幻滅したでしょう」
「全然。元を正せば悪いの全部私だし。それに、正直言うと優しいだけじゃなくちゃんと貫き通す信念を持っている素の君を見せて貰えて、嬉しかった」
それでも、好きな相手から辛辣に当たられるのは辛かったろう。それが十年以上片思いしている相手なら尚更だ。それでもめげずに僕を思い続けていたなんて、ダグラスは凄い。今更ながら、自分の取っていた嫌な態度を少し反省する。婚活に必死になるあまり、みっともない態度を取ってしまった。
……ん? ちょっと待てよ。ダグラスが僕に惚れたのは、学生時代だって言ったよね? それって僕が国立魔法研究所に就職内定する前だ。そして、僕はダッキーに将来いい所に就職したいと零した覚えがある。さらに言えばダグラスは国立魔法研究所の名誉顧問だ。これって、つまり……。
「若しかして……。僕が国立魔法研究所に就職できたのは、お前のお陰?」
「え? 違う違う、それは正真正銘君の実力だ!」
「本当?」
「本当だとも! 依怙贔屓で受かっても、真面目な君は喜ばないだろ? そりゃあ君が国立魔法研究所に就職志願してくれて嬉しかったのは本当だけど……。でも、私は最初この恋を叶えるつもりはなかったし、それなら君が傍に居てくれても苦しいだけだから、積極的に動こうとは思わなかったな」
「叶える気、なかったって……」
「だって君、ダッキーにもよく言ってたじゃないか『将来は誰かいい人と結婚して、子供を授かって、普通でいいから幸せな家庭を築きたいんだ』って。男の私相手では、結婚も子供も君の希望を叶えられない。君には幸せになって欲しかったから……だから、私は自分の恋を諦める事にしたんだ」
そう言って弱々しく笑うダグラス。相手の幸せを考えて、自分は身を引く。言うのは簡単だが、それを実行するのはどれ程大変な事か。自分だけが幸せになりたい、自分が幸せならそれだけでいい。そんな利己的な考えの者も多い中で、ダグラスは僕を優先させてくれた。愛してるから。だから、幸せになって欲しい。例え、それが自分の望みとは異なる形であっても、それが相手の幸せに繋がるのなら……。ダグラスのその献身に、僕は胸を打たれた。
「まあ、カッコつけてこんな事言ってる癖して、結局上手くいかなかったけどね。君が最初の婚約者と仲良さそうにしている所までは時々コッソリ見守る程度で済んでたんだけど、その婚約が破棄になって君が男性妊娠の魔法に活路を見出し研究に没頭するようになってからは、あまりのやつれ具合に見てられなくて思わず手を出しちゃった。それからは、ご存知の通りの結果に……」
「あー、成程ねぇ……」
大体流れが分かったぞ。何と言うか、ダグラスの気持ちは分からんでもない。自分が身を引いてまで幸せになって欲しいと願った相手がズタボロになってたら、思わず手を出してしまうのも納得だ。そりゃあそんだけ思い入れがあったら、今度こそ確実に幸せになってもらいたいと願って、僕に近づいてくる女性のチェックもしちゃうよなぁ。隠されていた事情などが明らかになっていくにつれ、どんどんダグラスに対する怒りが引いていく。色々とのっぴきならない事情があったんだな、と納得してしまったのだ。だからこそ、ダグラスが次に言ったあの台詞に、僕はあんな言葉を返した。
「……色々ぶっちゃけたらなんだかスッキリしたな。今なら、気持ちの整理がつけられそうだ。安心して。もうここまで来たら君の婚活の邪魔はしないから。今まで勝手な思い入れでちょっかい出してて本当にごめんよ。これからは大人しく最初の考えとおり遠くから君の幸せを見守って」
「え、告白はしてくれないの?」
「……は?」
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