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脈絡もなく現れやがったダグラスは、止める間もなく俺の横まで歩いてきて先程までキキが座っていた席にストンと腰を下ろした。その癖僕を気にする風でもなく、まっすぐ前を向き難しい顔で指を組んで考え事をしている様子である。最初こそ突然のダグラスの登場に呆気に取られていた僕だったが、図々しくも隣を占領しておいてそのくせ僕の事など歯牙にもかけないその態度に元々好感度が高くないのも相まってカチンと来てしまう。苛立ちもそのままに、ダグラスに食ってかかった。
「おい、何勝手に座ってるんだ。そこはお前の席じゃねぇ」
しかし、聞こえている筈なのにダグラスは動かない。その事に益々苛立ちが募る。巫山戯んなよ。そうこうしている間にも、キキが帰ってくるかもしれないってのに。どうしてダグラスがここに居るのかは知らないが、僕が酒場に来て酒を飲んでいるのがバレたのはもう仕方がない。けれど、またいつもみたいにキキを横取りされるのだけは我慢ならなかった。今まで散々婚活を邪魔されてきたんだ。折角いい雰囲気になっていたんだから、今日こそは結婚を見据えた恋人作りを成功させたかった。なんとしてでも、キキが戻ってくる前にダグラスの奴をどこかへ追い払わないと。
「クソボケ殿下。今はあんたに付き合ってる気分じゃねぇんだ。暇潰しなら、どっか他所へ」
「さっきの女性ならここには戻ってこないよ」
「……は?」
僕が言葉を言い切る前にダグラスが重ねるようにして口にしたその台詞に、ポカンと間抜けな顔をして気の抜けた返事をする事しかできない。え……今、何と? ここには戻ってこない? キキが? 何で。どうして。いや、そんな事よりも、何故ダグラスがその事を知っている。……ああ、そうか。分かったぞ。ダグラスの奴、またいつもみたいにキキが僕の傍を離れた隙に粉をかけたんだな? それでキキがダグラスに靡いて、もう僕の所に戻る気をなくしたのが奴からしても見え見えだったから、わざわざ僕のところまで来てあんな事を言ったんだ。そんなのって……。怒りでカッと目の前が赤くなる。
「巫山戯るな!」
ガタン。勢いよく立ち上がったせいで、腰掛けていたスツールが跳ね飛ばされ倒れる大きな音がたった。さっきまで店内に流れる音楽に交じって聞こえてきていた他の客達の落ち着いた話し声が止む。何事かと全身に他人の視線が突き刺さるのが手に取るように分かった。静かで落ち着いた雰囲気の店内で怒って大声を上げたんだ。僕は今、かなり悪目立ちしている。しかし、その事を分かっていても気にする余裕なんてない。激情のままに、僕はダグラスに向かって声を張り上げた。
「なんなんだよ、お前! いつもいつもいつも、僕の邪魔ばっかりしやがって! どうしてこうまで執拗く僕の恋路の邪魔をするんだ!? 折角今日こそは真剣交際できる恋人が出来ると思ってたのに……それなのに……! お前のせいで何もかも台無しだ!」
「バークレー君、落ち着いて。一応人前だから」
「落ち着け? 落ち着けだって? どの口が言いやがる! 誰のせいで僕がこんなに怒ってると思ってるんだ! そもそもの原因は、僕がいい感じになった女性をお前が横からかっさらったからだろうが!」
「……あの女は君に相応しくない」
あまりの言い草に反論も忘れて絶句する。はぁ? 何だよそれ!? そんなの、お前の決める事じゃないだろう! お前は僕の保護者かなにかか? 仮に保護者だとしても、とっくの昔に成人して独り立ちしている大人の男である僕の恋路に口出しするなんてハッキリ言って異常だ。そして、実際は保護者でもなんでもない仕事での同僚かどうかも怪しい関係性なんだから、もう異常なんてもんじゃない。これはもう人権侵害もいい所だ。しかし、僕が再び大声でダグラスを罵倒しようとしたその時、奴の方が先んじてとんでもない事を言い出した。
「バークレー君。さっき君が話していた女は我が国と敵対関係にある某国の秘密工作員だ」
「……何だと?」
「ほら、君の男性妊娠の魔法は、本質的には人体の身体的情報に後から手を加える事を可能にするものだろう? その技術を軍事的に転用して強靭な肉体や豊富な魔力を持った強力な戦闘要員を作らせようと画策していたみたいでね……。さっきの女は君の身柄を攫う為に用意された、言わば撒き餌だ。店の外で待機してた誘拐実行用の人間に連絡を取ろうとしていたところを確保したよ」
そこでやっとダグラスがこちらを向いて、これが証拠だとどこからか取りだした書類を僕に差し出す。反射的に受けとってしまった分厚い束になったそれのページを捲る気にはとてもじゃないがなれなかったが、表紙のないその書類の束は目を落とせば一枚目に書いてある内容が丸見えだ。そこに書いてある事だけでキキの容疑は疑いようのない事実なのだと、僕の優秀な頭は十分に理解できてしまった。たった一枚の書類を読んだだけでこれなのだから、後に控えた束になっている残りにはもっと明確にキキの罪状とその証拠が並べ立てられているに違いない。
男性妊娠の魔法の軍事転用? 確かに理論上は可能だけど、結婚や夢にまで見た家庭を得る事で頭が一杯になっていて、そんな事言われるまでチラッとも考えつかなかった。世の中には馬鹿な事を考える欲深な奴が居るもんだ。でも、待ってくれ。キキがその馬鹿な事を思いついてしまった馬鹿の手先って事は、言わずもがなさっき彼女が僕に興味を持って好意的に接してくれたのも……。信じたくなくて、思わず否定の言葉が口から滑り降ちる。
「でも、ここに僕が来る事なんて今日決めたし誰も知らなかったのに、タイミングよくキキが現れるなんてそんな事」
「君、前々からよく私が傍に居ない時に逃げ出して色んなところで酒を飲んでいただろう。それに、数日前雑誌でオススメの酒場を調べていた。ここまでは君の身辺を少し探れば簡単に分かる事だ。後は読んでいた雑誌に掲載されている酒場全てに魅力的な女性工作員を配置しておけば、私が離れた隙に抜け出した君がノコノコ現れるとでも某国の人間は思ったんだろう。実際その通りになった。この手に引っ掛からなくても、また別の手を使って君に接触を計ってきていただろうな」
「キキは僕の話難しくてつまらないとか言わずに笑顔で聞いてくれたし、本の趣味や食べ物の好みまで全部相性抜群だったのに」
「そりゃあ、立ち回り先を調べるくらいだ。相手に好かれるような話題だって予めリサーチして君に気にいられる事くらい、向こうにとっちゃ御茶の子さいさいだろうさ。本心ではどう思っていようが、相手もプロだ。そんな事微塵も感じさせず、君の心を取り込もうとしたんだろうね。元々セクシャルヒューミントの訓練を設けてたろうし、君が気が付かなかったのも無理ないよ」
「二人っ切りになろうって言ってくれて……。結構いい感じで……」
「そう言って君を人通りのないところまで連れて行って、拐かす気だったらしい。我が国の人間も能無しのボンクラばかりじゃない。あっちの動きはだいたい察していて、もう粗方調べが着いている。ただ、何もしていないうちから証拠もなしに他国の人間を拘束する訳にもいかず、このような形で君に手を出す直前の確保になった。心配と迷惑をかけてしまって済まないと思っているよ」
そんな事言われたって。どんな気持ちで受け止めればいいんだ。幼い頃から夢見ていた暖かい家庭。ようやく夢が叶って自分もその一員になれると思ったのに、その直前で男性不妊が発覚して追い打ちと言わんばかりに婚約破棄までされた。それでもどうしても夢を諦めきれなくて、血の滲むような努力をしてようやく不妊の問題は解決。ようやく後は生涯を共にするパートナーを見つけるだけってところまで来た。
けど、そっからが上手くいかない。なかなかこの人こそ、という相手が現れないのだ。別に僕が高望みをして相手を選り好みしているんじゃない。いつも向こうの目的が僕の資産だったり上司連中の権力争いに巻き込まれたり、ダグラスに邪魔されたりで全然いい相手が捕まらないのである。それでもここまで来て諦めるという選択肢がある訳もなく、色々画策して今日ようやくキキという素敵な運命の女性と出逢えたと思えたのに……。それが、全部策略? 僕の魔法を軍事転用するのが目的? そんな事って……。
「バークレー君。済まない、まず君に一番に知らせるべきだったね。今更言い訳にしかならないが、某国の連中にこちらの動きを気取られないよう情報の共有を控えていたんだ。君に接触するより前に証拠を掴めて確保できる可能性もあったし、無闇に煩わせるのも悪い気がして……」
「もしかして、こういう事って初めてじゃない?」
「……馬鹿な事を考える輩はどこにでも居るものだ。君は何も悪くないよ」
ダグラスは明言を避けたが、それってつまりそういう事だろう? それじゃあ、ダグラスが僕の立ち回り先にいちいち付いてくるのも、僕の前に現れる女性を逐一チェックして結果横取りする形になっているのも、全部……。それに気が付いたからって、心に付けられた傷が浅くなる訳じゃないんだけどね。むしろ、僕が辛い目にあって大変な時には誰も傍について心配なんかしてくれなかったのに、利用価値があると分かった途端蛆虫みたいにワラワラ湧いてくる人間達の醜さに吐き気さえした。
どうしていつもこうなる? 僕はただ、幸せな結婚をして自分の家庭を持ちたいだけ。愛する人と、その人との間に授かった可愛い我が子を幸せにして、僕の方も幸せにしてもらって……そんな、当たり前の人の営み。欲しいのはそれだけなんだ。なのに、たったそれだけの事がこんなにも上手くいかない。暗い家庭環境に男性不妊、挙句の果てには誘拐だって? もう沢山だ。
「っ、バークレー君」
ダグラスの奴が焦った声を出すもんだから、何かと思ったら頬の辺りがやけに熱い。何だろうとそこに手をやれば、指先が濡れた。あ、泣いてる。自分が当事者なのに他人事みたくボンヤリそう思った。泣いているのは僕なのに、目の前で泣かれて焦ったのかダグラスの方がオロオロとして懐から清潔できっちりアイロン掛けされたハンカチを取りだし、それで僕の目元を拭おうとしてくれる。無理だったけど、何故って、理由は簡単。僕が拒否したから。
「え……」
差し出したハンカチを持つ手を静かに片手でいなされて、ダグラスは呆然と目を見開いた。折角優しくしてくれたのにその気持ちを無下にしてしまって良心が痛まない訳ではなかったが、とてもじゃないが今はその優しさを素直に受け取れる気分ではない。ダグラスからの優しさも、どうせ僕と僕の研究や画期的な発明という国益に繋がる諸々を他国に盗られたくないから、離れていかないよう繋ぎ止める為のものだ。一度そう考えてしまうともう駄目で、この世の全てが打算や欺瞞に裏打ちされている気さえしてきて、もう何もかもが受けいれ難くなってしまった。ダグラスはただ親切心からハンカチを出してくれたのだろうに、それに対する態度がこれって。自己嫌悪で益々嫌になる。
「……ごめん。僕、もう帰るよ」
「あ、ああ……。今日は疲れたろうし、それがいいだろう。送ってくよ」
「いや、いい。今はお前の顔見ていたくない」
これ以上ダグラスに八つ当たりしてしまったら、自分の事許せなくなりそうだから。最後の言葉は飲み込んだ。というか、言うだけの気力が残っていなかった。ダグラスの言う通り、色々あって本当に疲れていたんだ。今日はもう何も考えたくない。早く家に帰って、サッサと寝支度を済ませて何も考えず泥のように寝てしまおう。
「……分かった。ただ、護衛はつけさせてくれ。今回の騒動で分かって貰えたと思うが、君の身辺を守る為に必要な事だから、これだけは許容して欲しい」
「勝手にすればいい」
乱暴に指で涙を拭う。幸か不幸か、精神的なショックからか涙はそれ以上溢れる事はなく止まってくれた。財布を出して中から飲みの代金には少し多いお札を出してカウンターに置く。それから釣りも受け取らずにクルリとその場で踵を返し、スタスタとその場を後にした。後ろは一切振り返らない。いや、振り返れなかった。ここを立ち去る以外の余分な動作を一つでもしてしまえば、また涙が溢れてきて今度は止まりそうにない気分だったのだ。ただ、無心に足を動かしてその場を後にする。
酒場の扉をくぐって外に出れば、ヒンヤリと冷たい夜の風が肌を撫でた。暗い夜空にはキラキラと星がいくつも輝いていて、月光が柔らかく辺りの景色を包み込んでいる。夜闇に沈んだ街並みはそれでも分かる程美しく、窓から漏れ出る明かりはそこに住む人々の暮らしを思い起こさせた。本当は、僕もあんな風に街の風景の一部として見過ごされるような、そんな普通の家庭の一員になりたかったのに。
でも……。それはもう、無理かもしれない。心が今にも折れそうだ。いや、もう折れてしまっているのかも。僕はハァーッと大きく溜息をつき、ダグラスが寄越した護衛が向けてくる気遣わしげな視線を振り切るように、夜道を急いで家に向かうのだった。
「おい、何勝手に座ってるんだ。そこはお前の席じゃねぇ」
しかし、聞こえている筈なのにダグラスは動かない。その事に益々苛立ちが募る。巫山戯んなよ。そうこうしている間にも、キキが帰ってくるかもしれないってのに。どうしてダグラスがここに居るのかは知らないが、僕が酒場に来て酒を飲んでいるのがバレたのはもう仕方がない。けれど、またいつもみたいにキキを横取りされるのだけは我慢ならなかった。今まで散々婚活を邪魔されてきたんだ。折角いい雰囲気になっていたんだから、今日こそは結婚を見据えた恋人作りを成功させたかった。なんとしてでも、キキが戻ってくる前にダグラスの奴をどこかへ追い払わないと。
「クソボケ殿下。今はあんたに付き合ってる気分じゃねぇんだ。暇潰しなら、どっか他所へ」
「さっきの女性ならここには戻ってこないよ」
「……は?」
僕が言葉を言い切る前にダグラスが重ねるようにして口にしたその台詞に、ポカンと間抜けな顔をして気の抜けた返事をする事しかできない。え……今、何と? ここには戻ってこない? キキが? 何で。どうして。いや、そんな事よりも、何故ダグラスがその事を知っている。……ああ、そうか。分かったぞ。ダグラスの奴、またいつもみたいにキキが僕の傍を離れた隙に粉をかけたんだな? それでキキがダグラスに靡いて、もう僕の所に戻る気をなくしたのが奴からしても見え見えだったから、わざわざ僕のところまで来てあんな事を言ったんだ。そんなのって……。怒りでカッと目の前が赤くなる。
「巫山戯るな!」
ガタン。勢いよく立ち上がったせいで、腰掛けていたスツールが跳ね飛ばされ倒れる大きな音がたった。さっきまで店内に流れる音楽に交じって聞こえてきていた他の客達の落ち着いた話し声が止む。何事かと全身に他人の視線が突き刺さるのが手に取るように分かった。静かで落ち着いた雰囲気の店内で怒って大声を上げたんだ。僕は今、かなり悪目立ちしている。しかし、その事を分かっていても気にする余裕なんてない。激情のままに、僕はダグラスに向かって声を張り上げた。
「なんなんだよ、お前! いつもいつもいつも、僕の邪魔ばっかりしやがって! どうしてこうまで執拗く僕の恋路の邪魔をするんだ!? 折角今日こそは真剣交際できる恋人が出来ると思ってたのに……それなのに……! お前のせいで何もかも台無しだ!」
「バークレー君、落ち着いて。一応人前だから」
「落ち着け? 落ち着けだって? どの口が言いやがる! 誰のせいで僕がこんなに怒ってると思ってるんだ! そもそもの原因は、僕がいい感じになった女性をお前が横からかっさらったからだろうが!」
「……あの女は君に相応しくない」
あまりの言い草に反論も忘れて絶句する。はぁ? 何だよそれ!? そんなの、お前の決める事じゃないだろう! お前は僕の保護者かなにかか? 仮に保護者だとしても、とっくの昔に成人して独り立ちしている大人の男である僕の恋路に口出しするなんてハッキリ言って異常だ。そして、実際は保護者でもなんでもない仕事での同僚かどうかも怪しい関係性なんだから、もう異常なんてもんじゃない。これはもう人権侵害もいい所だ。しかし、僕が再び大声でダグラスを罵倒しようとしたその時、奴の方が先んじてとんでもない事を言い出した。
「バークレー君。さっき君が話していた女は我が国と敵対関係にある某国の秘密工作員だ」
「……何だと?」
「ほら、君の男性妊娠の魔法は、本質的には人体の身体的情報に後から手を加える事を可能にするものだろう? その技術を軍事的に転用して強靭な肉体や豊富な魔力を持った強力な戦闘要員を作らせようと画策していたみたいでね……。さっきの女は君の身柄を攫う為に用意された、言わば撒き餌だ。店の外で待機してた誘拐実行用の人間に連絡を取ろうとしていたところを確保したよ」
そこでやっとダグラスがこちらを向いて、これが証拠だとどこからか取りだした書類を僕に差し出す。反射的に受けとってしまった分厚い束になったそれのページを捲る気にはとてもじゃないがなれなかったが、表紙のないその書類の束は目を落とせば一枚目に書いてある内容が丸見えだ。そこに書いてある事だけでキキの容疑は疑いようのない事実なのだと、僕の優秀な頭は十分に理解できてしまった。たった一枚の書類を読んだだけでこれなのだから、後に控えた束になっている残りにはもっと明確にキキの罪状とその証拠が並べ立てられているに違いない。
男性妊娠の魔法の軍事転用? 確かに理論上は可能だけど、結婚や夢にまで見た家庭を得る事で頭が一杯になっていて、そんな事言われるまでチラッとも考えつかなかった。世の中には馬鹿な事を考える欲深な奴が居るもんだ。でも、待ってくれ。キキがその馬鹿な事を思いついてしまった馬鹿の手先って事は、言わずもがなさっき彼女が僕に興味を持って好意的に接してくれたのも……。信じたくなくて、思わず否定の言葉が口から滑り降ちる。
「でも、ここに僕が来る事なんて今日決めたし誰も知らなかったのに、タイミングよくキキが現れるなんてそんな事」
「君、前々からよく私が傍に居ない時に逃げ出して色んなところで酒を飲んでいただろう。それに、数日前雑誌でオススメの酒場を調べていた。ここまでは君の身辺を少し探れば簡単に分かる事だ。後は読んでいた雑誌に掲載されている酒場全てに魅力的な女性工作員を配置しておけば、私が離れた隙に抜け出した君がノコノコ現れるとでも某国の人間は思ったんだろう。実際その通りになった。この手に引っ掛からなくても、また別の手を使って君に接触を計ってきていただろうな」
「キキは僕の話難しくてつまらないとか言わずに笑顔で聞いてくれたし、本の趣味や食べ物の好みまで全部相性抜群だったのに」
「そりゃあ、立ち回り先を調べるくらいだ。相手に好かれるような話題だって予めリサーチして君に気にいられる事くらい、向こうにとっちゃ御茶の子さいさいだろうさ。本心ではどう思っていようが、相手もプロだ。そんな事微塵も感じさせず、君の心を取り込もうとしたんだろうね。元々セクシャルヒューミントの訓練を設けてたろうし、君が気が付かなかったのも無理ないよ」
「二人っ切りになろうって言ってくれて……。結構いい感じで……」
「そう言って君を人通りのないところまで連れて行って、拐かす気だったらしい。我が国の人間も能無しのボンクラばかりじゃない。あっちの動きはだいたい察していて、もう粗方調べが着いている。ただ、何もしていないうちから証拠もなしに他国の人間を拘束する訳にもいかず、このような形で君に手を出す直前の確保になった。心配と迷惑をかけてしまって済まないと思っているよ」
そんな事言われたって。どんな気持ちで受け止めればいいんだ。幼い頃から夢見ていた暖かい家庭。ようやく夢が叶って自分もその一員になれると思ったのに、その直前で男性不妊が発覚して追い打ちと言わんばかりに婚約破棄までされた。それでもどうしても夢を諦めきれなくて、血の滲むような努力をしてようやく不妊の問題は解決。ようやく後は生涯を共にするパートナーを見つけるだけってところまで来た。
けど、そっからが上手くいかない。なかなかこの人こそ、という相手が現れないのだ。別に僕が高望みをして相手を選り好みしているんじゃない。いつも向こうの目的が僕の資産だったり上司連中の権力争いに巻き込まれたり、ダグラスに邪魔されたりで全然いい相手が捕まらないのである。それでもここまで来て諦めるという選択肢がある訳もなく、色々画策して今日ようやくキキという素敵な運命の女性と出逢えたと思えたのに……。それが、全部策略? 僕の魔法を軍事転用するのが目的? そんな事って……。
「バークレー君。済まない、まず君に一番に知らせるべきだったね。今更言い訳にしかならないが、某国の連中にこちらの動きを気取られないよう情報の共有を控えていたんだ。君に接触するより前に証拠を掴めて確保できる可能性もあったし、無闇に煩わせるのも悪い気がして……」
「もしかして、こういう事って初めてじゃない?」
「……馬鹿な事を考える輩はどこにでも居るものだ。君は何も悪くないよ」
ダグラスは明言を避けたが、それってつまりそういう事だろう? それじゃあ、ダグラスが僕の立ち回り先にいちいち付いてくるのも、僕の前に現れる女性を逐一チェックして結果横取りする形になっているのも、全部……。それに気が付いたからって、心に付けられた傷が浅くなる訳じゃないんだけどね。むしろ、僕が辛い目にあって大変な時には誰も傍について心配なんかしてくれなかったのに、利用価値があると分かった途端蛆虫みたいにワラワラ湧いてくる人間達の醜さに吐き気さえした。
どうしていつもこうなる? 僕はただ、幸せな結婚をして自分の家庭を持ちたいだけ。愛する人と、その人との間に授かった可愛い我が子を幸せにして、僕の方も幸せにしてもらって……そんな、当たり前の人の営み。欲しいのはそれだけなんだ。なのに、たったそれだけの事がこんなにも上手くいかない。暗い家庭環境に男性不妊、挙句の果てには誘拐だって? もう沢山だ。
「っ、バークレー君」
ダグラスの奴が焦った声を出すもんだから、何かと思ったら頬の辺りがやけに熱い。何だろうとそこに手をやれば、指先が濡れた。あ、泣いてる。自分が当事者なのに他人事みたくボンヤリそう思った。泣いているのは僕なのに、目の前で泣かれて焦ったのかダグラスの方がオロオロとして懐から清潔できっちりアイロン掛けされたハンカチを取りだし、それで僕の目元を拭おうとしてくれる。無理だったけど、何故って、理由は簡単。僕が拒否したから。
「え……」
差し出したハンカチを持つ手を静かに片手でいなされて、ダグラスは呆然と目を見開いた。折角優しくしてくれたのにその気持ちを無下にしてしまって良心が痛まない訳ではなかったが、とてもじゃないが今はその優しさを素直に受け取れる気分ではない。ダグラスからの優しさも、どうせ僕と僕の研究や画期的な発明という国益に繋がる諸々を他国に盗られたくないから、離れていかないよう繋ぎ止める為のものだ。一度そう考えてしまうともう駄目で、この世の全てが打算や欺瞞に裏打ちされている気さえしてきて、もう何もかもが受けいれ難くなってしまった。ダグラスはただ親切心からハンカチを出してくれたのだろうに、それに対する態度がこれって。自己嫌悪で益々嫌になる。
「……ごめん。僕、もう帰るよ」
「あ、ああ……。今日は疲れたろうし、それがいいだろう。送ってくよ」
「いや、いい。今はお前の顔見ていたくない」
これ以上ダグラスに八つ当たりしてしまったら、自分の事許せなくなりそうだから。最後の言葉は飲み込んだ。というか、言うだけの気力が残っていなかった。ダグラスの言う通り、色々あって本当に疲れていたんだ。今日はもう何も考えたくない。早く家に帰って、サッサと寝支度を済ませて何も考えず泥のように寝てしまおう。
「……分かった。ただ、護衛はつけさせてくれ。今回の騒動で分かって貰えたと思うが、君の身辺を守る為に必要な事だから、これだけは許容して欲しい」
「勝手にすればいい」
乱暴に指で涙を拭う。幸か不幸か、精神的なショックからか涙はそれ以上溢れる事はなく止まってくれた。財布を出して中から飲みの代金には少し多いお札を出してカウンターに置く。それから釣りも受け取らずにクルリとその場で踵を返し、スタスタとその場を後にした。後ろは一切振り返らない。いや、振り返れなかった。ここを立ち去る以外の余分な動作を一つでもしてしまえば、また涙が溢れてきて今度は止まりそうにない気分だったのだ。ただ、無心に足を動かしてその場を後にする。
酒場の扉をくぐって外に出れば、ヒンヤリと冷たい夜の風が肌を撫でた。暗い夜空にはキラキラと星がいくつも輝いていて、月光が柔らかく辺りの景色を包み込んでいる。夜闇に沈んだ街並みはそれでも分かる程美しく、窓から漏れ出る明かりはそこに住む人々の暮らしを思い起こさせた。本当は、僕もあんな風に街の風景の一部として見過ごされるような、そんな普通の家庭の一員になりたかったのに。
でも……。それはもう、無理かもしれない。心が今にも折れそうだ。いや、もう折れてしまっているのかも。僕はハァーッと大きく溜息をつき、ダグラスが寄越した護衛が向けてくる気遣わしげな視線を振り切るように、夜道を急いで家に向かうのだった。
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