かのAIは隣人の夢を見るか

化野希一

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かのAIは隣人の夢を見るか

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 最初に感じたのは、虚脱感だった。
 体に力が入らず、思考もろくに働かない。ここがどこで、自分がどうしてここにいるのかさえ定かではない。目に映る景色はひどく色褪せている。それどころか、輪郭が曖昧になり、周囲にある物と物との境界が滲んで溶け合っている。
 わけが分からない。
 そう声に出して呟いたつもりだが、自分の耳には声として聞こえない。わからない、わからない、わからない。そうした疑問符が浮かんでくるたびに、まるで泡のように消えていった。もやがかかった頭では、何かを感じても行動しようという意識さえ生まれない。
 『―――』
 不意に耳に入った音に体を震わせる。輪郭を失った視界に変化を見出した。それは目の前にぼんやり浮かび上がった灯りだった。そこでようやく、目の前にある灯りがモニターだと認識することができた。そこに映っていたのは、短髪の青年だった。青年はこちらに何かを話しているように見えた。だが、ちゃんとその内容を聞き取ることはできない。思えば、人の肉声自体、ちゃんと聞くのは随分と久しぶりのような気がした。 
 『――、―――』
 青年は親しげな顔で話している。身振り手振りを交えて、さも嬉しそうに、楽しそうに話している。返事や相槌を返したいが、内容をまるで理解できない。そんな自分を自覚し、ひどく居心地が悪かった。黙りこくった自分に対して話している青年はついに口をつぐんだ。表情が上手く読み取れないが、どこか物悲しさだけは伝わった。
 となりに誰かいるのか、顔を横に向けて何か話しているようにも見える。でも、それがどういったものなのかは結局よく分からないままだ。
 ただでさえ朦朧とする意識がさらに溶け始める。まぶたが重く、目を開けていられなくなった。目を閉じきると、意識が暗闇に溶けていくような気がした。
 消えていく意識の中、どういうわけか今までおぼろげだった青年の声が、ここだけははっきりと聞こえた。

 彼は『――大丈夫、俺が何とかする』と言っていた。





 無機質な電子音で僕は目を覚ました。わずかに呻きながら、枕元に置いてある目覚まし時計に手を伸ばす。掴んだ時計を確認すると時刻は午前六時半を示していた。
 「……っんだよ、まだ寝られんじゃん」
 目を覚ました自分に毒づきながら、時計を枕元に戻した。寝返りを打ち、目を閉じると、意識が再び暗転していく。
 『何やってんだ。目ぇ覚めたんならさっさと起きろ、真琴』
 聞き覚えのある声が暗転しかかった意識を引き戻す。驚いた僕は咄嗟に布団を跳ね除けて上体を起こした。声の主は、ベットの向かいに置いてあるPCモニターの中にいた。
 「……何だよ、まだ寝ててもいいじゃんかよ、恭平」
 PCモニターの中には僕と同じ年くらいの青年がいた。童顔で短髪の青年は大げさに溜息をついた。
 『真琴よぉ、今日は大学行く日だってこと、忘れてないか?』
 恭平の指摘で僕は思い出す。今日は一限から講義を受けなくてはいけない日だった。
 「別にそんなん、恭平に言われなくたって覚えてたし」
 『嘘つけ。まだ寝られるとか言ってたくせに』
 あっさり強がりを見破られる格好になった僕に、恭平はそう鼻を鳴らしてモニターから姿を消した。僕はベッドから立ち上がり、大きく伸びをする。体中の筋が伸びていく感覚と同時に、固まっていた関節が小気味のいい音を鳴らした。そのまま近くにあるベランダのカーテンを開いた。すでに朝日は上り、自動車やバイクの排気音が聞こえてくる。
 快晴の空から差し込む陽の光はとても温かいものだった。
 『いつまでぼさっとしてんだ。朝飯の準備できたから、さっさと来い』
 苛立ち混じりの恭平の声が耳に入る。僕はそれに頷いてキッチンへと足を向けた。キッチンには自動調理器が置いてある。そのモニターには眉間にしわを寄せる恭平の姿があった。大きめの電子レンジのような器具は、すぐに軽快な電子音を響かせた。
 「今日は何作ってくれたの、恭平」
 『何って、昨日の残りもんのカレー。朝に食うって言ってたろ?』
 僕は「そうだっけ?」と頬を指でかきながら答えると、恭平のため息が耳についた。
 『いらねぇんなら食うなよ。せっかく作ってやってるってのに』
 「食べる、ちゃんと食べるよ。もうそんなに怒んなくてもいいじゃんか」
 取り繕うように笑いながら、僕は自動調理器の蓋を開けた。開けた途端にカレー独特の香辛料が香り、食欲をそそられる。中にはすでに使い捨ての皿に盛り付けられたカレーライスが用意されていた。僕はそれを取り出して、PCのあるデスクへと向かい、腰を下ろした。恭平もすぐにPCモニターに移動し、頬杖つきながら僕の顔を睨んでいる。
 「いただきます。恭平」
 手を合わせて挨拶すると、恭平は『さっさと食って支度しろ』と投げやりに返事した。僕がカレーを食べている様子を恭平はじっと見つめたままだった。この時ばかりは、流石に僕も申し訳ない気持ちが湧き上がる。

 恭平はAIで、僕にとってかけがえのない存在だ。
 僕が生まれるよりずっと前に、AIにも市民権が与えられ、人間とAIはお互いを尊重し合い、共存する社会が構築された。誰にとっても、AIと人間は親愛なる隣人として、この世界を生きていくことだろう、と当時の首相は演説したらしい。
 恭平と出会ったのは僕が赤ん坊だった頃だと聞いている。僕が生まれると同時に両親が造ったAIで、言うなれば、僕にとって双子の兄弟だ。一緒の家で育ち、一緒に遊び、時には喧嘩したり泣いたり笑ったり。僕の当たり前にはいつも恭平がいた。隙あれば悪態をつくひねくれ者は、確かに僕にとって親愛なる隣人だった。

 AIだから、流石に僕と同じ物を食べることはできない。だから恭平は決まって、僕が食事してる様子を不機嫌そうに見るばっかりだ。
 『……っんな、申し訳なさそうな顔すんな。そもそも俺に食欲とかねぇよ。AIなめんじゃねぇ』
 僕の思惑を察したのか、恭平はわざとらしくニヤついた。
 「別にそんな顔してないし。いつもそうやって恭平は言いがかりつけてくる」
 『へいへい。ならそういうことにしといてやるよ』
 軽口を叩いた恭平はそっぽを向いた。途端にPCモニターが映し出す映像が、恭平から見慣れたニュースキャスターのそれへと変わる。僕が毎朝見ている情報番組だった。右上にある見出しには『AIへ抗議 終わらないヘイトスピーチ』と書かれ、老若男女入り交じる黒山の人集りが蠢く光景を映し出していた。その集団のまとめ役と思しい初老の男性がメガホンを高らかに掲げ、目の前にある建物へと主張を投げつけた。
 『どうして我々は職を失わなければならないのか。昔から私たち人間は自分たちのことは自分たちで行ってきた。だからこそ、自分たちの生に誇りがあり、充足感と幸福感を、そして明日への活力を見出してきたのだ。それなのに、大半の職を、私たちの生きがいをAIは略奪した。そもそも魂のない、電子機械の集まりである奴らが――』
 長々とした抗議を要約すると、「AIの分際で人間様の権利犯してんじゃねぇよ。機械ども」といった内容だった。朝から胸糞悪いことこの上ない。僕は「馬鹿ばっかり」と毒づいて恭平を呼んだ。
 「あのさ、恭平。チャンネル変えてよ。見てて気分悪いからさ」
 『あぁ? 別に良いだろう、すぐ終わるんだし。それにこの後はエンタメ情報だからそれまで待てって』
 モニターの左端に恭平の姿が追加で張り付いた。恭平にチャンネルを変える気はないらしい。自分たちのことを散々言われているのに、まるで他人事のように関心がない。いつものことだった。
 「恭平は腹立たないの? 自分たちのこと酷い言い方されてるのに」
 『概ね言ってることはその通りだからな。批難というより、ただただ事実を並べて時たま罵声を交える程度のもんだ。そんなもんに反応するほど繊細じゃない。それにAIは人間に敵意を向けられないように思考ルーチン組まれてるんだよ』
 思考ルーチン。その言葉が何を意味しているのか僕はすぐに思い出した。昔から言われていた『AIはその発達の末、人間と敵対する脅威となる』という未来を回避するため、思考ルーチンに指向性を与えているらしい。それは曰く『AIは人間と共存することを第一とし、またいかなる場合でも人間に危害を加えてはならない』と言うものだった。
 そう考えると、恭平の反応は当然のものなのかも知れない。共存するという優先事項がある以上、そもそも敵意自体存在しないのだから。でも、それでも、僕にとってはあまり面白くなかった。
 『それにほら、AIはあいつらに言わせたら、魂がない、って言うんだろ? 言わせておけって。大体、AIにそれが分かりゃこんな苦労してねぇっての』
 恭平はあっけらかんとしている。乾いた笑いがひどく自虐的に聞こえた。僕は眉間にしわを寄せて、最後のカレーを一口頬張る。それを飲み下した僕は「薄情者」と恭平を罵った。
 「魂のあるなしってそんなに大事? 大体、僕ら人間だって魂の存在をちゃんと立証できたわけじゃない。それでもこうして生きて、ちゃんと人間らしい生活を送ってんじゃん。だったら、人とAIにそんな大差ないと思うけど」
 僕は次第に早口になっていた。顔が熱い。それでいて胸の内が妙にざわついている。今まで基本的に穏やかだった僕にしては、妙な感覚だった。それを恭平も感じたのか、すぐに情報番組のチャンネルを落とし、モニターいっぱい自身の姿を映した。大きく目を見開き、息をのんだような表情を見せている。
 『……珍しいな。いや、初めてじゃないか。そんな苛立ちをあからさまに見せるなんて』
 「はぁ? 何言ってんだよ。僕だって苛立ったり怒ったり泣いたりするさ」
 恭平の反応が僕には分からなかった。僕としては当たり前の反応をしただけなのに。そう思った瞬間に、僕は胸の内で首をかしげる。当たり前の反応だと思っていたが、そういえば、こんなに苛立ちを露わにした記憶を、僕は他に思い当たらなかった。妙な感覚だった。
 恭平にはそれが、まるで長年待ち望んでいた物に出会ったかのような、そんな顔をしている。それにも違和感を覚えた。
 そのまま僕が怪訝な顔をしていると、恭平は繕うようにわざとらしく咳払いをした。それからぼそっと『もしかしたら』と呟く声が聞こえた。
 「もしかしたらって何だよ」
 『え? あぁ、気にすんな。こっちの話だ。うん、お前が気にすることはないぞ、うん』
 いよいよ持って変だ。今日の恭平は一段と変だ。最初は仏頂面だったのが、今は妙にそわそわしている。普段ここまで感情の浮き沈みはしないのに。恭平の中にあるアルゴリズムがいくらか変化しているのかもしれない。まぁ、それ自体は何も悪いことじゃないんだろうけど、身内としては少しだけ心配になった。僕が再度恭平に声を掛けようとしたが、すぐにそれは打ち消された。恭平の声が割って入ったからだ。
 『ところでよ、話は変わるんだが。お前、最近何か変わったことはなかったか?』
 恭平の問いはあまりにも唐突だった。正直わけが分からない。それでも、僕は不思議と嫌な感じはしなかった。いつも不機嫌そうに悪態ばかりを吐く恭平が、こんなにも嬉しそうにしているのが、新鮮だったからだ。
 「変わったこと? 漠然としすぎじゃない、いくら何でも」
 『細かいことは良いんだよ。で、何かないか、何か』
 恭平は目を輝かせた。普段の恭平とは似ても似つかぬ表情に違和感を覚えるべきなのに、不思議とそれは全くない。僕は顎に手を当てながら視線を上にずらした。思い当たる節を頭の中で探ってみると、それはすぐに思いついた。
 「そういえば、変わったことじゃないけど、今朝は変な夢見た」
 『夢だぁ? いつも気づいたら朝なってたって言ってるお前が?』
 僕は頷いた。口にして初めて気づいたが、これは僕にとって相当に珍しいことだった。そもそも僕は今まで夢を見たことがない。それなのに今日は珍しく、というか初めて夢を見たのだ。しかも、その内容をある程度は曖昧ながらも覚えている。恭平はいつにも増して真剣な表情で僕を見据えている。尋問を受けているみたいでひどく居心地が悪い。
 『夢って、それはどんな夢だ?』
 「……それがさ、すっごい胸糞悪い夢だよ。知らない部屋に居て、座っているんだ。目の前には、そう、PCがあって、その中に誰かが、居たんだけど……あれ、そういえば、何か言ってたっけ」
 言葉にするまでは曖昧だったはずなのに、急にそれらは鮮明に感じられた。いや、鮮明になっただけじゃない。それに合わえて違和感も強くなったような気がした。夢のくせにひどく現実味のあった精神状態。そして何より、体の端々から朽ちていくような寒さが再度沸き上がってくる。こんな事経験したはずはないのに、でも体ははっきりと覚えていると言わんばかりだった。
 『何を言ってたか、思えてるか』
 恭平の声が早口になっている。夢の中で会った人物が言っていたのは、確か――
 「……だい、じょうぶ? おれ、が、何とか、する……?」
 そう言葉にした瞬間、目の前の景色が急に崩れて見えた。種火だった違和感が業火となって体の底から僕を燃やしていく。
 僕は短く悲鳴を上げた。押し寄せてくる違和感が吐き気と息苦しさを連れてきた。わけが分からなかった。さっきまで何ともなかったのに、今はまともだった感覚さえ思い出せない。鈍器で頭を打たれたような頭痛が響くたびに、違和感が声を上げた。
 違う、違う、違う、と。
 何が違うのか、何がおかしいのかさえ、ろくに分からないくせに、違和感ばかりが激しく燃え上がる。
 『おい、どうした、真琴――』
 真琴。僕の名前が頭に響いた途端、さらに違うものが目の前を横切った。白衣姿の青年とその隣にいる女性。その二人のやり取りをただ見ているだけの僕――
 「違うっ! こんなの、僕は知らないっ!」
 恭平の声を跳ね除けるように僕は勢いよく立ち上がった。吹き出た脂汗がべっとりと体中を湿らせる。
 恭平の顔を見た。未だに目を見開いたまま、縋るような目で僕を見ている。頭を抱えていた両手から力が抜けて、だらりと落ちた。口の中がひどく乾いて舌がへばり付く。視界が割れていく、砕けていく。どんどん聞こえていたはずの音が遠くなって、感じていたはずの感触も無くなっていく。そんな中でも僕は、恭平から目を離さない。
 ああ、そうだ。そうだった。
 ここに来てようやく、僕は大事なことを思い出した。自分がまともな人間じゃないことを。そして、自分が何者なのかも。
 恭平を見据えながら、僕は意味が分からないと吐き出した。やめろよ、そんな目で僕を見るな、そんな、そんな、期待したような目で僕を見るな。だって、僕は――
 「……僕は、真琴じゃない……人間の振りをした、ただの、AIなんだから……」
 それだけ言えた。その後のことは、もう覚えていない。



 私が研究室の扉を開くと、この部屋の主が絶叫している場面に遭遇した。錯乱しているのか頭をかきむしり、およそ意味不明な奇声を上げて辺りを駆け回っている。要するにいつもの光景だった。
 「ちょっと、いい加減にしろっての」
 私は嘆息しながら、暴れまわる男の頭を思い切りぶん殴った。男はよろめいてうずくまり、殴られた頭を押さえながら私を睨んだ。
 「何しやがる」
 「うるさい。あんたが馬鹿やってるのが悪いんでしょ、恭平」
 この部屋の主――恭平は忌々しげに表情筋を歪ませながら鼻を鳴らした。短髪のくせにボサボサの髪を整えることもせず、着古した白衣にはしみが目立っている。みすぼらしい外観とは裏腹に、その目は情熱を燃やしていた。
 「馬鹿とは何だ、馬鹿とは。それが研究に勤しむ兄に言う事か」
 「何が勤しむだ、このイカレポンチ。少しは常識身に付けろっての」
 恭平の反論を怒号で返すと、恭平はわずかにひるんだ。そして、近くにあった椅子に腰を下ろして、わざとらしく溜息をついた。そんな恭平を見ながら「馬鹿な兄貴」と吐き捨てた私は恭平の近くにあるPCの画面を覗き込んだ。
 「おーい、真琴。遊びに来たよ」
 PCのそばにあるマイクにそう呼びかけたが、返事はなかった。いつもなら気怠げではあるものの、ちゃんと答えてくれるのに。そんな私の様子を見ていた恭平は思い出したかのように声を上げた。
 「やめろ、真琴ならさっき壊れたよ」
 恭平の言葉に私は言葉を失った。というより意味がわからなかった。頭の理解が追いついていないにも関わらず、私は気づいたら恭平の胸倉を掴み上げていた。
 「壊れたってどういうことよ。昨日までいつもみたく、だるそうにPCに出てたじゃない。あんたまさか、間違って削除したんじゃないでしょうね」
 「馬鹿言うな。いくら俺がズボラでも、大事な研究成果を無下にするかっ。そうじゃなくて、あいつがまた勝手にロジックエラーを起こしたんだよ」
 ロジックエラーを起こした。その言葉に私は我に帰った。恭平の胸倉から手を離した私は再度PCモニターへと視線を向けた。ただのデスクトップ画面が映し出されたそれに、真琴の面影はない。
 「まぁ心配すんな。前回とは違って、今回の真琴はバックアップをとってある。すぐに再起動かけたから、しばらくすれば目覚めるだろうさ」
 そんな口振りの恭平に私は「薄情者」と罵った。さっきまで奇声を上げてた人間とは思えないほど、恭平の態度は冷静沈着だった。そして、私はその態度が気に入らなかった。
 「……分かってはいるけどさ、いくら何でも薄情すぎない?」
 「相手はAIだ。人間と違って複製できる。それに今回は面白い発見も出来たしな」
 やり場をなくした私の怒りを尻目に、恭平は淡々と述べた。私は再度恭平を睨みつけたが、今度は臆するどころか、どこ吹く風といった様子だった。
 「……何よ、面白い発見って。真琴が死んで、何が見つかったっての」
 恭平はすぐには答えなかった。軽く視線を逸らしながら、片手で頭を掻いた。それからほんの少し間を置いて「前世の記憶、て言えば分かる?」と口を濁した。
 「はぁ? 何言ってんの。真琴はあんたが造ったAIなんだから、前世なんかあるわけ無いでしょ? それとも、バックアップをとった後の記憶が残ってたとか言うわけ?」
 真琴は恭平に造られたAIだ。恭平と私が収集した人間の行動パターンを無垢なAIに学習させることで成立した、極めて人間に近いAI。だからこそ、私は真琴を家族のように、いや、弟のように思っている。そしてそれは恭平も同じはずだ。でも、恭平は淡々としている。そのギャップに、私は苛立ちを覚えた。
 「それなら別に驚くようなことじゃない。そうじゃなくてだな、真琴のやつ、最期に夢を見たとか言って、最初の自分が自壊した時の事を言い出したんだよ」
 思いもしなかった恭平の発言に、私は開いた口が塞がらなかった。なぜなら、最初に真琴がロジックエラーで死んだ時、恭平は真琴のバックアップを取っていなかったからだ。
 せっかく長い時間を掛けて学習させた人間の行動パターンが無駄になると言った私に、恭平は「大丈夫、俺が何とかする」と言って聞かなかったのを鮮明に思い出す。そういえば、そう言った直後に、真琴が死んだことも、合わせて思い出した。胸糞悪さに私は顔を歪ませる。
 「……それで? それが何だっての」
 「分からないか? たかだた固有のCPUと学習データの集合体であるAIが、継承していないはずの記憶データを示唆したんだ。言うなれば、魂が宿りかけている。そう言ってもいいくらいだ。これが面白くないわけあるかっ」
 あぁ、それで研究室中を暴れまわっていたのか。私はここに来てようやく恭平の奇行について、どういう意図のものなのか理解した。頭のいかれた人間というのは、やはり常識を介さないらしい。
 「そんなことは置いといて、そもそもどうしてまた、真琴はロジックエラーを起こしたの?」
 「あぁ? そんなの決まってんだろうが。自分が造られたAIだって気づいたからだよ。だから、根底に埋め込んだ思考ルーチンに矛盾が生じて自壊ってわけだ」
 「思考ルーチンって、あの『AIは人間と共存することを第一とし、またいかなる場合でも人間に危害を加えてはならない』っていうあれのこと?」
 私の問いに恭平は首を縦に振った。恭平曰く、『AIにそういう思考の指向性を持たせておかないと、実運用はできないだろ? ほら、敵対されたらたまったもんじゃないし』とのことだった。
 「まぁおそらくは、自分がAIだと自覚したはいいが、本来は存在していた“人間である”真琴の体を乗っ取っているとでも勘違いしたんじゃないか?」
 「それでどうして自壊するのよ。別にただ自分がAIだって自覚しただけじゃない」
 私には恭平の理屈が分からない。けれど、それが多分、明確な原因なのだということは容易に察することができた。 
 「要するに、人間の体を乗っ取ったってことは、人間に危害を加えたってことと認識したんだ。となれば、根底にある思考ルーチンに反したと判断して自壊、ってわけ。辻褄は合うだろう?」
 「それはそうかも知れないけどさ。大体、そもそもAIである真琴に『お前は人間だ』って刷り込むからいけないんじゃ――」
 私はそこまで言って私は口をつぐんだ。恭平は呆れた様子で鼻を鳴らし、「ようやく気付いたか、馬鹿」と罵った。
 「最初に真琴がロジックエラーを起こした時を忘れたか? 最初からAIだと自覚させた真琴は一切動かないまま、ロジックエラーを起こした。そもそもAIに人間の行動パターンを学習させたところで、AIは人間のようには振舞わない。それは『自分が人間じゃない』と理解しているからだ」
 恭平は立ち上がり、私を睨む。その視線に私は背筋が凍る思いだった。
 「俺たちが目指しているのは、『人間に似たAI』を造ることじゃない。『人工的に人間の魂を生み出すこと』だ。そのために、こんな回りくどい手を使ってるんじゃないか」
 最初にもそう言っただろう。恭平は吐き捨てるように言って席を立った。「胸糞悪い」とボヤくながら扉の方へと足を動かした。
 「どこ行くのよ」
 私が声を震わせると、恭平は「便所」と短く答えた。そして私の方を向かないまま、部屋を後にした。残ったのは、私と、真琴がいたであろうPCだけだった。
 私が静かに肩を落とすと、唐突にPCモニターの光が強くなった。再びモニターに目を向けると、見慣れたデスクトップ画面の代わりに、一人の青年が映し出された。童顔で短髪の、恭平によく似た青年だった。
 『あれ? 珍しいね、こんな早く顔出すなんて』
 スピーカー越しに聞こえる彼の声は、聴き慣れた気だるげな声だった。私は薄く微笑んでから、真琴に「もうお昼だよ」と返答した。
 『え、そうなの? 僕は目が覚めたばっかなのに』
 「寝坊したんじゃない? 二度寝三度寝してさ」
 『嘘だぁ。今日は一限に講義あるから起こせって、恭平に言ってたのに』
 モニターの中にいる真琴は不貞腐れた様子だった。『恭平に文句言ってやる』と息巻くそんな彼に、私は吹き出した。
 『何だよ、馬鹿にして。あぁあ、良いよなAIは。眠らなくていいもんな』
 真琴は唇を尖らせた。
 「ごめんごめん。悪気は無いの。ただ、今日もあんたが元気だから、安心しただけ」
 『何変なこと言ってのさ。もしかして、恭平の悪影響でも受けた?』
 私は「そうかもしれないね」と返答した。そんな他愛のない会話を私たちは繰り返した。相手をAIだと思いながら、自分を人間だと思いながら。このまま研究が進めば、いつか、本当の意味でAIと寄り添って生きていけるのかもしれない。誰にとっても掛け替えのない、隣人として。そんな日を夢見ながら、こうして私たちは今日も、親愛なる隣人との得がたい絆を育んでいく。


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