伝えたい、伝えられない。

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 創平の職場では時折「慰労会」という名の飲み会がある。大きな現場が終わると、社長が開いてくれるのだ。
 今まで気づかなかったことがあった。
 というより気づこうともしなかっただけなのだが。
 真緒はあまり積極的に会社の飲み会に参加するほうではないが、参加する時はとても気が利くようだ。ビールをついでまわったり、注文をきいたり。言葉を発することはできないが、いつもの筆談癖のおかけで注文もスムーズだった。
(女性に酌させるって、やっぱうちも大概古い体質だよな)
 創平は酒は好きだが強いほうではないし、車で帰るので飲まない。
 真緒も酒は飲まない。
 なのに真緒は酌をしてまわっている。
『いかがですか』
 酌をしてこようとしたが創平が断ると、少し残念そうだったが、そのまま次の席へと移動して行った。
 時間がたち、座が崩れはじめると、真緒はぽつんと一人になっていた。社長をはじめてとした男性陣はわいわいと飲み比べをしている。
 酒を飲んでいない創平は真緒の隣の席につき、ウーロン茶の追加が要るか尋ねた。
「ウーロン茶じゃなくても、何か飲みたいもの、とか」
 真緒は人には気を遣うが、自分のことはうまくできないように見えた。
「あんまり人にばっか気遣ってると損するよ」
『…………』
「ほら、何飲みたいの? グラス、あいてるじゃん」
『オレンジジュースを……』
 メニューを持ち出して、指を差した。
「ちょっと待ってて、頼んでくるから」
 創平は立ち上がり、真緒の飲み物を頼みに行った。店員を呼べばいいものを、なぜそんなに遠慮するのかがわからない。皆の注文は率先して確認して注文していたというのに。
「頼んできた。すぐ来るから待ってて」
『ありがとうございます』
 真緒は手話で礼を言った。
 もうこの手話は覚えた。
「どういたしまして」
 創平も、覚えた手話で返した。
 その後の創平は、真緒と他愛のない話をした。彼女と話をするのはほぼ初めてだった。
 会話、と言っても、創平は真緒の手話は殆ど理解が出来ないので、真緒の持っているメモ帳での筆談を交えながら、二人は会話をしたのだった。
 創平でも覚えられるような、よく使う手話を教えてもらったり、真緒の好きなクマのキャラクターの話をしたり。
 知らない真緒をたくさん知った気がした。


 慰労会はお開きになった。
 真緒は会社に自転車を置いており、一度会社に戻って自転車で帰るつもりらしかった。
「真緒ちゃん、タクシー呼ぶからそれで帰りなさい。会社に戻らなくていいから」
 社長が酔っぱらいながら言う。
(社長も名前に「ちゃん」づけ、なんだ……)
 仕事中に下の名前や渾名を呼ぶことは、あまり好ましくないと考えている創平だが、今は構わないだろうと思った。この会社の皆がそうやってメリハリをつけている。しかし、まさか社長までが彼女のことを「真緒ちゃん」と呼ぶのは意外だった。
 その社長はもう一軒行くつもりらしい。
 千鳥足の社長と社員が店の前で騒いでいると、
「あれっ、草野社長!?」
 誰かが声をかけた。
 全員の視線がそちらを向いた。
「おおっ、どこのイケメンかと思いきや、古川君!」
 その名前にはっとした。
 青葉建設の、古川一真だったからだ。
「あー、今日は慰労会ですか? あの現場、ようやく終わりましたしね」
「うん、そう。社員を労わないとねえ。古川君は一人?」
「今、資材屋の方との食事を終えたところです。しがない営業ですからね。地味に接待してますよ」
 古川一真は社長と話しながらも視線を彷徨わせている。
 真緒を探しているのだとわかった。
 その古川は、真緒の姿を見つけて嬉しそうだった。
「倉橋さんも参加してたんですね」
 躊躇いもなく真緒に歩み寄った。
 真緒は一歩下がり、山岡の斜め後ろで、
『わたしは帰るところです』
 真緒は笑顔を消して応えていた。
「古川くん、これから一緒に飲みに行こう!」
 社長はそんな古川の背後から肩を抱き、二次会にと誘った。
「いえ、自分はもう……」
「あ、真緒ちゃん、タクシー呼ぶから待っててね」
「倉橋さん一人で帰るんですか? だったら僕が送りますよ」
「いやいや、古川くんはオレに付き合いなって、ごちそうするから。二次会行くヤツはついてこいよー」
「いや、あの、ちょっ……」
 二人はわちゃわちゃしている。
 創平はスッと前に出た。
「社長、倉橋さんは俺が送ります。俺、飲んでないし、車で来てるんで」
「あーほんと? それは助かる。悪いなあ、じゃあ頼んだぞ。松浦君なら送り狼の心配もないしなあ。さあ、二次会行くぞー」
 正直、社長は酒癖が悪かった。
 その社長に古川は肩を掴まれたまま、飲み屋街に消えて行った。
「松浦、俺も二次会はパスする」
 山岡が言った。
「じゃあ、おまえも一緒に乗ってけよ」
「俺は里佳子が迎えに来てくれるからいい。この先のコンビニで待ってて、ってさっき連絡来たから」
 山岡は酒を飲んでいる。二次会に行くと遅くなるからと、自分と同じように誘いはパスをしたのだった。
「そうか……」
「だから真緒ちゃんのことは頼んだ」
 わかった、と頷き、真緒を振り返る。
『よろしくお願いします』
「じゃあ、松浦に送ってもらって」
『はい。今日もお疲れ様でした』
「うん、お疲れ。またね」
 山岡と真緒が挨拶をしあうのを見届け、
「じゃあ倉橋さん、行こう。俺が送るから。車は駐車場だから、ちょっと歩くけど」
 彼女を促すと、頷いて付いてきてくれた。
(あの人に送られなくてよかった)
 真緒は古川一真にあまり好感を持っていないような気がした。


 駐車場まで歩いていく二人。
 なぜかもやもやする創平だ。
 古川の、真緒に対する露骨な顔を見てしまったからだ。
 後部座席に乗ろうとする真緒に、どうぞ、と助手席のドアを開けてやった。
「どうしたの」
 助手席に乗っていいのか、と真緒は尋ねる。
「いいに決まってるよ。何か悪いことでもあるの? シートベルト締めるのが苦手なら後ろでといいけど……」
 真緒は首を振り助手席に乗った。ドアを閉めてやると、真緒はぺこりとお辞儀した。
 車を走らせる。
 案内してくれよ、と創平は言ったが、どう案内させるんだと自分の失言を恥じた。
 無言で車を走らせる。
 真緒から言葉を発することはなかった。
「何か、好きな音楽とかある?」
 自分の好きなバンドの曲をかけていたことに気付き、もし彼女の好きな曲があれば、変えようと思っていた。
『この曲、好き』
 真緒はカーステを指さし、どうやら『好き』という手話をした。
「好き、ってこと?」
 いつだったか山岡に教えてもらった『す』『き』という指文字を使って尋ねた。
 真緒は、うんうん、と頷く。
 指文字は伝わったようだ。
(この手話……)
 見覚えがあった。古川が事務所にきた時に、やっていた手話だ。
 真緒を指で示したあと、この手話をしていた。
(あれって……倉橋さんが好きだ、って意味か?)
 真緒は話せないだけで耳は聴こえる。音楽も人並みに聴くことができる。
「音楽は結構聴くの?」
 彼女は頷く。
「俺もこの曲めちゃくちゃ好きでカラオケよく歌うんだ。倉橋さんは何歌うの……あ、ごめん」
 自分を殴りてぇ、と創平は思った。
『謝らなくていいですよ』
 彼女は首を振る。
『自分は歌えないけど、歌っているのを聴くのは好きです』
 創平には「歌う」「好き」の部分しか理解できなかった。
 真緒はメモ帳に文字を書き、信号待ちの創平に見せた。
「そうなんだ……」
『はい』
 またメモをする。
『松浦さんの歌、聴いてみたいです』
「……ほんと?」
 車を走らせる。
(俺の歌……)
「じゃ、今度行こうよ──みんなで」
「……」
「……なんて無理言ってごめんな。もし二次会でカラオケだったりしたときでも。あ、でも倉橋さん、二次会行かないよな? まあ機会があればってことにしとこうよ」
 沈黙が流れる。
「……あの、古川さんって、青葉建設の営業だよね? 営業と言いつつ、社長の息子ってきいたことあるけど」
 真緒は少しぴくりとしたあと頷いた。
(倉橋さんが話せたら返ってくるんだろうけど、おれが一方的にしゃべるだけになってるな……)
 聴きたいことたくさんあるのに……。
「あの人、手話出来るんだよな。倉橋さんと手話で話してたから」
 真緒は頷いたが、困った顔をしていた。
(手話は下心ある感じだけど)


「こ……こ……」
「えっ!?」
「こ、こぅ」
「家ここ!?」
 創平はびっくりし、急ブレーキを踏むところだった。道のはしに寄せて、助手席を開けに走る。
「あぅ、あぅ」
「ここだな、はい、止まるよ」
『ありがとうございました』
 真緒何度もお辞儀をしていく。
「おぅ……やぁ……」
 真緒のかすれた声に、創平はドキリとした。
 そのあとの言葉は音がなかったが、口の動きでわかった。
 まさか彼女がそんな言葉をかけてくれるとは思わなかった。
 声が出せないはずなのに、二つの文字だけは発した。一生懸命紡いだのだろう。
(もしかして、小さい頃は声が出せたのかな)
「お……おやすみ」
 ハザードをつけて創平は真緒の自宅前を後にした。
(おやすみなんて、もうどれくらい言ってないかな……)
 創平は嬉しくなった。

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