大人の恋愛の始め方

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【第4部】浩輔編

31.早鐘

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 ミサの噂を聞いた。
 懲役二年といくらかの判決で、刑務所で服役しているということだった。薬物中毒の症状は軽いほうだということで、治療も順調らしい。
(よかった……)
 元気でいてくれるならそれでいい、と思ったのは本心だ。
 ミサには経験をさせてもらったし、いい思いをした分、感謝のほうが多い。
 相変わらず性欲に溺れて、今は舞衣と関係を持っている自分だが。


 舞衣は大学を無事に卒業し、内定先の市役所に入庁し、毎日仕事を頑張っているようだ。
 疲れているのだろうか。
 舞衣からの連絡が少なくなっていた。
 倒れていやしないかと不安に思って連絡をすれば、ぽつりぽつりと返ってくる。
 その程度だ。
 本当に大変な毎日を過ごしているのだろう。
 いつだったか高熱で倒れて寝込んだことを思い出した。
 新しいアパートの住所も教えてもらったので、土曜日の昼間に訪ねてみると、彼女は寝ていたのか、ぼさぼさ頭でドアを開けてくれた。
「舞衣……無事か? 一応事前にメッセージは入れたけど……」
「三原君、ごめん、寝てた……」
「何も食ってないかと思って、とりあえずサンドイッチ買ってきた」
「ありがとう……入って……」
 引越後の舞衣の部屋は初めてだった。
 学生アパートの時とほぼ変わらない部屋のなかだった。
「倒れてなくてよかったけどな」
「うん……」
「……安心した」
 あの時のように体調が悪いだとか、連絡がない理由が悪いものでなくて良かったと心底安心した。
「心配かけてたらごめん」
「心配するだろ……」
 すっかり自分の日常に舞衣という存在が占めていることに気づいた。
「あ、わたしすっぴん……」
「いいだろ別に。そのままでも可愛いし」
「……たらしなんだから」
 ふくれっ面の舞衣は、顔を洗いに行く。
 適当に座らせてもらい、舞衣が戻るのを待つことにした。
 舞衣の素顔を見たことがないわけではないが、よくよく考えてみれば、ほぼないに等しいことに気づいた。再会してからは、彼女は化粧をしている。寝込んでいたあの時だけだろう、身体の関係を持っても、泊まったことはないし、彼女の素顔を見る機会は……そういえばなかった。
(気にするのか……)
 あんまり変わらない気もするけどな、と思うが言わないでおくことにした。
 顔を洗い、化粧をした舞衣が浩輔の前に座った。
(やっぱあんまり変わらないと思うけど)
 メイクしたな、程度にしか思えないが、言うと「化粧が下手だと言いたいのか」と叱られる可能性がある。
 ミサやマユカの時は考えたこともなかったが。
 彼女たちはいつも完璧な装いで「女」という仮面を外すことはなかった。
 しかし舞衣は違う。
(いつまでもこれじゃ駄目だよな……)
 わかってはいるけど、とこっそり溜息をついた。
 サンドイッチの入った袋を改めて渡すと、舞衣は思い出したように立ち上がって、野菜ジュースをコップに注いできてくれた。
「野菜ジュースだけど」
「ありがと。健康的だな」
「結構カロリーあるけど、朝食はね。……ってもうお昼過ぎてるけど」
 いただくね、と言い、彼女はサンドイッチを取り出した。
「三原君は?」
「軽く朝も昼も軽く飯は食べたよ。だからこれは舞衣が食べていいからな」
「ありがとう」
 浩輔の買ってきたサンドイッチを平らげると、
「ごちそうさまでした。三原君、ありがとう」
 改めて礼を言われた。
「うん」
 食べながらも話したが、舞衣は毎日覚えることがたくさんある上、研修にも参加することが多く、想像以上に疲労がある、と話してくれた。当たり前のことだが、市役所というところも楽ではないということだ。
「でも、知らなかったことを吸収できるのはいいなって思えるよ。まだまだ楽しいとかいう境地には達しないけどね」
「その気持ちはわかるな。俺も……車のこと、まだまだ知らないこと多いし、新しいこと知った時は嬉しいし」
「働くって大変だけど、得るものも大きいね」
 頑張らなくっちゃ、と舞衣は笑った。
「頑張るのもいいけど、無理するなよ。まだ入庁したばっかだろ。気負いすぎるな」
「……うん」
 ありがとね、と彼女は笑った。
 しばらく話をしたあと、それじゃあ帰る、と浩輔は立ち上がった。
「えっ」
 舞衣は驚いて浩輔を見上げた。
「もう、帰るの?」
 昼を過ぎに来たが、すぐ帰るなどこれまでにはなかったからだろう、驚いている様子だ。
「ああ、何かあったんじゃって心配になって来ただけだから。疲れてるだろうし、ゆっくり休め」
「え……でも」
「無事なのがわかれば安心だから」
 腰を折って、舞衣の頭を撫でた。
「……うん」
「暇な時、また連絡くれよ」
「……うん」
 舞衣は暗い面持ちで頷いた。
「……どうかしたか?」
「え……なんでもない……」
 彼女は首を振って、小さく笑った。
(……?)
 何か言おうとしているような、それでいて笑う顔は無理矢理作ったもののようにも見える。
「どうした? 何かあんだろ?」
 浩輔は無意識のうちに舞衣の顔を覗き込んだ。
 驚いた舞衣は一歩後ろに下がってしまった。
「悪い」
「ううん……」
「どうした」
 ぽんぽんと頭を撫でると、舞衣の耳が赤くなっていく。
(え……)
 彼女と身体の関係を持つ時はいつも恥ずかしそうで、浩輔はそれですら見慣れてしまったが、頭を撫でただけでこんなに赤くなるのは「今更」な気がした。
「三原君……」
「ん?」
「き……き……」
「き?」
「キス、したい」
「!?」
 驚いた。
「ダメ、かな……」
 顔を上げ、おずおずと言う。
 上目遣いで言う彼女に、胸がドキリとした。
「する、時だけじゃなくて……その、キス、したい」
 セックスの時に義務的にするキスではなく、ということを言っているらしかった。
「ああ……うん」
 浩輔は頷いた。
 舞衣は、浩輔の両肩に手を置き、背伸びをする。
 浩輔がしようかと思ったのに、彼女からキスをしてきた。
 意表を突かれた。
 舞衣はふにゃりと笑い、浩輔を見上げた。
「…………」
「…………」
 無言で見つめ合った。
「ご、ごめんね」
「い、いや……」
(なんだ、この感覚……)
 甘酸っぱいような、胸の奥がずきずきするような痛みのような感覚だった。
「また……な」
「うん、また」
「連絡する」
「うん」
 さっきは自分が舞衣に「連絡をくれ」と言ったのに、今度は自分からそう言った。
 それじゃあ、と舞衣の部屋を出た。
 ドッドッドッ……と胸が早鐘を打つ。
(なんだこれ……)
 急いで自分の車に戻った。
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