大人の恋愛の始め方

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【第4部】浩輔編

13.会話(前編)

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 土曜日だ。
 ようやく週末だ、と仕事を終え、駐車場に向かい、帰ろうとした時だった。
「三原君っ」
(え?)
 思わず振り返った。
 そこにいるのは小柄な女の子……少女、とまではいかない女の子がいた。
(舞衣……)
「三原君、だよね……?」
 パン屋の店員は、やはり舞衣だ。
 しかし、なぜ職場の駐車場にいるのだろう。
 偶然か、それとも自分がここに勤めていることがわかった上で来たのだろうか。
「三原君」
「……舞衣」
 車に乗り込もうとした腕を引かれた。
「なっ……」
 心臓の動きが早くなる。
 ドッドッドッ……、と。
 なぜだかはわからない。
「待って、三原君」
「…………」
 しばらく無言だったが、浩輔は仕方なく舞衣に言った。
「悪い、今日、このあと予定があるんだ。急いでる」
「あの、ちょっとでいいの!」
「またにしてくれ」
「……また会いに来ていいってこと?」
「勝手にしろ」
「何度かメッセージ送ったけど、既読にならなくて……」
 掴まれた腕を振り切り、浩輔は車に乗り込んだ。
 急いでエンジンを掛け、駐車場を出る。
 舞衣が立ち尽くしたように浩輔の車を見ているのが見えた。
(なんで舞衣が……)
 あまりの驚きなのか、心臓の早鐘は収まらない。
(びっ……くり、したわ……)
 間近で見た舞衣は、最後に会ったときと変わっていない気がした。
 ──そして、舞衣と、思いがけない場所で再び出会うことになるとは思いもしなかった。

***

(なんで……)
 隣に付いたホステスに、浩輔は絶句した。
「ほ……ホノカです、よろしくお願いします」
「よろしく……」
 ちょこん座ったホノカという女性は、少々場違いに思えた。髪をふんわり巻いているが、顔が幼いし、他の女性店員に比べて衣装は露出が少ない。小柄でロリータ趣味の男には好かれそうだ。
 そして。
 どう見ても佐藤舞衣なのだ。
(舞衣だよな……?)
「今日は裕美ママのほうに行くから」
「わかりました」
 そう言って、高虎に付いてきた。
 裏家業(と勝手に思っているのだが)絡みではないようで、浩輔と祐策を連れてきてくれた。今日は三人ともアルコールを摂取予定だ。車は代行業者を依頼するつもりだと高虎は言った。
 裕美、という女性が切り盛りしている店は、ミサやマユカのいる店とは雰囲気が似ていないくもないが、質が違っている。こちらの店は、高虎の伯父の肝煎りのようで、何かと気に掛けているらしい。高虎は、この店の店員には手を出してはいないと聞いて正直驚いてしまった。
「こんばんは」
「いらっしゃいませ、高虎さん」
 扉を開けると、四十代前半と思われる、着物の美しい女性が高虎を出迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
 この店に来るときは事前に連絡をするようで、こうしてママが出迎えてくれる。
「さあ、どうぞ」
 奥の席へと案内される。
 ここでも扱いは丁重だ。
 席に着き、裕美ママがボーイに向かって手をあげると、女性三人が飲み物や食事を持って現れた。
 毎度思うが、この店の店員は、ミサたちの店の女性よりかなりマナーレベルが高い。何度か連れてきてもらって気づいたのが、ママの店員達の呼び方だった。名前を呼び捨てにする時は、その店員への信頼度が高い。「ちゃん」付けをしている店員は……その後、いつの間にか辞めてしまっている。厳しい指導があるようで、続かないらしい。それは高虎が教えてくれたことだが。
 いつも接待をしてくれる二人以外に、もう一人入れ替わっているな……そう思ったら。
(ホノカ……って)
 それが舞衣だ。
「あれ、新人さん?」
 高虎が気づき、ママに尋ねた。
「気づかれました?」
「初々しいなって」
「見習いのホノカですよ」
「ホノカちゃんかあ」
 にっこりと高虎は笑った。この笑顔に大抵の女性は騙されるのだろう。
「ホノカです、よろしくお願いします」
「見習い、と言いたいところなんですけど、実は二週間限定のピンチヒッターですよ」
 ママは苦笑した。
「え? どういうこと?」
「ユリが今入院中で」
「え、そうなの!?」
 浩輔はあまり覚えていないが、以前ユリという女性に高虎はもてなしてもらったことがあるらしく、驚いた声をあげた。
「入院と静養が必要で、先週末から来週までホノカに来てもらうことにしたの。ユリが紹介してくれた女性でしてね、裏方をやってもらってるんだけど、金曜土曜はちょっと人手が必要ですので無理言ってヘルプに入ってもらってます。粗相があったらお詫びしますから、ご容赦いただけたらと」
「ユリちゃん、入院かあ……大丈夫かな」
「経過はいいみたいですよ」
 何人かお気に入りはいるようだが、ユリという店員もお気に入りの一人らしく、高虎は残念そうだった。
「じゃあ、ホノカちゃんに癒やしてもらうかな」
「わたしも癒やしてあげますよ」
 一番人気の店員が、グラスを用意しながら言った。
 この店の店員は、不用意に身体をすり寄せてきたりすることはない。反対に客が卑猥な行為をしてくると、注意を受けたり、悪質だと出禁になるという。
「じゃあ、お飲み物、用意しましょうか。何になさいます? いつもので?」
 裕美ママは高虎、祐策、浩輔の顔を順番に見ていく。
「うん、俺はいつものウイスキーでお願いしますね」
「俺は……ウーロンハイを」
 高虎と祐策がリクエストをする。「いつもの」ではあるが、敢えてちゃんと言うようにしているらしい。
「俺はビールを……」
「承知しました。じゃ、お願いね」
 裕美ママは二人の女性のほうに指示をした。
「ホノカ、こちらの方のグラスにビールを注いでさしあげてね」
「わ、わかりました」
 ピンチヒッターとは言え、ママは《ホノカ》を信頼しているようだ。短期間でも厳しく指導はしているのだろう。
 鈍くさかった舞衣が、こんな大人の店で上手くやれているのか些か疑問ではある。
 だが、昔の舞衣ではないのかもしれない。
 自分に付いてきていた舞衣はもういないだろう。
「あ、大事なこと忘れるところだった」
 ユリちゃんのことでびっくりして、と高虎は手に持っていた紙袋を裕美ママに差し出した。何を持っているのだろうと思っていたが、裕美ママに渡すものだったようだ。
「あら、なんでしょう」
「伯父からです。裕美ママの誕生日が近いから、渡しておいてほしいって。伯父も来たかったみたいですけど、まだ社長業つながりで会合があったりするんですよ。なかなか来られないのが申し訳ないって」
「まあ……ありがとうございます」
 高虎の伯父・神崎氏はこの店も裕美ママもとても贔屓にしているのだと思った。
 誕生日プレゼントの入った紙袋を受け取り、彼女は何度もお辞儀をした。席に着いた女性たちも嬉しそうに笑って見ている。
「社長にくれぐれもよろしくお伝えくださいね」
「はい、伝えますね」
「わたくしも、まずはお礼のメッセージを送らせていただきますから」
「うん」
 高虎は大きく頷いた。
 今日の主な来店目的はこれだったようだ。
 そして裕美ママは、彼女たちに接客を任せて席を外した。
 しばらく三組は雑談を始めた。
「あの……」
《ホノカ》が声をかけてきた。
「はい」
「わたしのこと、わかりますか」
 ホステスがプライベートを話していいのか、と怪訝な顔をした。
「ホノカさんでしょ」
「じゃなくて……」
「わからないって言ったらどうするの」
 浩輔は意地悪く言い返した。
「パン屋の店員さんだろ」
 何時間か前に会ったよな、と冷たく言う。
「そう、です……」
 舞衣の話し方はぎこちない。
 突っ慳貪な浩輔の態度に戸惑っているのもあるかもしれない。
 中学生まではほぼ毎日会っていたが、高校一年生でフラれて、高校を卒業して施設を出た日に会って、この五年強の間で数えるくらいしか会っていない。陽気になれるわけがない。
「そこ、なんかお通夜みたいだよー」
 高虎が空気に気づいて茶化すように言った。
「ホノカは不慣れで、緊張してるんですよ」
 高虎の隣の女性は微笑みながら言う。
「ホノカ、もう少し楽しんでみて」
「……は、はい、すみません」
 確かに不慣れなのだろう。
 だが彼女の同僚達は優しい。二週間限定だからという割り切りもあるかもしれないが。
「すみません」
 舞衣は浩輔に向かって小さく頭を下げた。
「別に」
「…………」
「俺が嫌なら誰かと変わったらいいんじゃない?」
「そ、そんなことない! わたしは、もっと話がしたい……です」
 ぶるぶると首を振った。
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