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【第3部】祐策編
22.条件(前編)
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スーツを着るのはいつぶりだろう。
正確に言うと、ビジネススーツを着るのがいつぶりなのか。
神崎組に属していた時は、いかにもというスーツを着たことはあったが、こんなサラリーマンのようなスーツは久しぶりだった。
(あ、俺、今はサラリーマンか……)
入社前の面接と、入社時に着て以来か。
幸い、体型が変わったわけではないので、問題なく着ることができた。
その久しぶりに着用したスーツ姿で、今日は真穂子の実家へ行き、彼女の両親に挨拶をする。
既に雪野家の居間に通され、祐策は緊張の面持ちで、真穂子の両親と対面している。両親というか、実際は主に彼女の父親とだ。母親のほうは、お茶を出してくれたり、祐策をもてなすために立ったり座ったりを繰り返している。
「母さんも座りなさい」
「はいはい」
落ち着かない妻を宥めるように、真穂子の父親は言った。
祐策の隣には真穂子、そしてその向かいの真穂子の両親と対峙している。真穂子の父親は、厳格な雰囲気はないが、だからといって気安く接することができそうにも見えない。母親のほうは人なつっこそうな、真穂子と似た雰囲気があった。
予め真穂子は用件を伝えてくれているらしく、祐策が許可を得るだけの状態だ。しかしそれを切り出すのが難しいところだ。
世間話をすべきか、といろいろ考えていたが、さっさと用件を言ってしまおうと決意した。
「あの、今日はお時間を割いていただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ、お会いできるのを楽しみにしていたんですよ」
訪問時の最初に挨拶をした時も、真穂子の母親にはそう言われた。にこにことした顔で言われ、これは社交辞令ではなく、歓迎してくれているのだろうと思った。
「真穂子さんとは真剣にお付き合いをさせていただいています。それ今日は、真穂子さんと同棲を考えておりまして、その承諾を得たく、ご挨拶も兼ねてお時間をいただいた次第です」
「……うん」
父親が相づちを打つのが聞こえた。
暫くの沈黙のあと、祐策は身の上を尋ねられた。ある程度は真穂子は話したというが、訊かれることは想定していた。嘘を言うこともなく、正直に自分のことを話した。
元は神崎組の組員であり、解体したことにより堅気になったこと。真穂子と同じ会社に入って、そこで彼女と知り合ったこと。自分には身寄りがいないこと。身元は、元組長の兄である神崎が保証人であること……。訊かれたことが全て答えた祐策だった。
元ヤクザということで、危険な目に遭うことはないのかと尋ねられたが、これは真穂子の身の危険を不安視しているであろうことは感じられた。もちろんほぼないことは伝えたつもりだ。目立つ構成員でもないし、基本警察の世話になったことはないし、高虎の教えが後々役に立ったことを今痛感していた。
「娘と、結婚する気はありますか」
「は、はい、もちろんです」
「いつ」
「……はい、同棲をしてから時期を考えようと……思っています」
「……そうですか」
父親はにこりともせず言った。
もう既に喉がカラカラで、次に口を開くと上手く喋ることが出来るか不安になる。
「娘との結婚を考えているなら、同棲をするのはと良いと思います」
真穂子の父親は淡々と言った。
にこりともせず、本当にあの高虎と酒を酌み交わしているのか甚だ疑問だ。
「ありがとうございます」
「結婚がいつになってもいいし、子供が出来てからでもいいし、それはわたしはとやかく言わないでおきます」
「は、はい……」
子供が出来てからでも、というのはかなり寛容だと感じた。真穂子の姉のことがあったからだろうか。
「二つ条件があります」
「は、はい、なんでしょうか……」
「宮城さん、酒は飲めますか」
「はい、嗜む程度ですが……」
「わかりました。一つ目の条件は、時々うちに来てわたしと酒を飲むこと」
「へ」
想定外の条件に祐策は拍子抜けした。
飲み過ぎて記憶を無くした前科のある祐策だが、嗜む程度、という答えなら大丈夫はずだと考えた。
(飲み過ぎなかったら……大丈夫)
「は、はい、わかりました」
「残念ながら娘達は酒が強くないので、出来れば誰かと飲みたいと思いましてね」
それが高虎や自分なのか、と思うと不安だった。きっと高虎は定期的に一緒に飲んでいるだろう。しかしあの男も仕事は暇ではないはずで『時々』の頻度がどれくらいなのかがわからない。
「宮城さんは何が好きですか、ビール、ワイン、日本酒、焼酎……」
「特にこれと言って、というのはないのですが、普段は専らビールか発泡酒ですね……」
「わかりました。何か用意しておきましょう」
やはり笑いもせずに言った。
「お父さん、自分の好きなものを押しつけないで」
「別に押しつけてはいない。美味いものを一緒に飲みたいだけだ」
真穂子の父親は酒好きのようだ。娘の言葉に、顔色一つ変わる様子はない。
「もう……」
不服そうな彼女に、祐策はかける言葉がなかった。父親に何か話しかければいいのかもしれないが、その言葉も出ない。訊かれた事に答えるだけで精一杯の状況だった。
「二つ目の条件ですが」
祐策はごくりと息を飲む。
「よく考えてもらってからで構わないが」
そして真穂子の父親の要望に、祐策も真穂子も驚くこととなった。
正確に言うと、ビジネススーツを着るのがいつぶりなのか。
神崎組に属していた時は、いかにもというスーツを着たことはあったが、こんなサラリーマンのようなスーツは久しぶりだった。
(あ、俺、今はサラリーマンか……)
入社前の面接と、入社時に着て以来か。
幸い、体型が変わったわけではないので、問題なく着ることができた。
その久しぶりに着用したスーツ姿で、今日は真穂子の実家へ行き、彼女の両親に挨拶をする。
既に雪野家の居間に通され、祐策は緊張の面持ちで、真穂子の両親と対面している。両親というか、実際は主に彼女の父親とだ。母親のほうは、お茶を出してくれたり、祐策をもてなすために立ったり座ったりを繰り返している。
「母さんも座りなさい」
「はいはい」
落ち着かない妻を宥めるように、真穂子の父親は言った。
祐策の隣には真穂子、そしてその向かいの真穂子の両親と対峙している。真穂子の父親は、厳格な雰囲気はないが、だからといって気安く接することができそうにも見えない。母親のほうは人なつっこそうな、真穂子と似た雰囲気があった。
予め真穂子は用件を伝えてくれているらしく、祐策が許可を得るだけの状態だ。しかしそれを切り出すのが難しいところだ。
世間話をすべきか、といろいろ考えていたが、さっさと用件を言ってしまおうと決意した。
「あの、今日はお時間を割いていただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ、お会いできるのを楽しみにしていたんですよ」
訪問時の最初に挨拶をした時も、真穂子の母親にはそう言われた。にこにことした顔で言われ、これは社交辞令ではなく、歓迎してくれているのだろうと思った。
「真穂子さんとは真剣にお付き合いをさせていただいています。それ今日は、真穂子さんと同棲を考えておりまして、その承諾を得たく、ご挨拶も兼ねてお時間をいただいた次第です」
「……うん」
父親が相づちを打つのが聞こえた。
暫くの沈黙のあと、祐策は身の上を尋ねられた。ある程度は真穂子は話したというが、訊かれることは想定していた。嘘を言うこともなく、正直に自分のことを話した。
元は神崎組の組員であり、解体したことにより堅気になったこと。真穂子と同じ会社に入って、そこで彼女と知り合ったこと。自分には身寄りがいないこと。身元は、元組長の兄である神崎が保証人であること……。訊かれたことが全て答えた祐策だった。
元ヤクザということで、危険な目に遭うことはないのかと尋ねられたが、これは真穂子の身の危険を不安視しているであろうことは感じられた。もちろんほぼないことは伝えたつもりだ。目立つ構成員でもないし、基本警察の世話になったことはないし、高虎の教えが後々役に立ったことを今痛感していた。
「娘と、結婚する気はありますか」
「は、はい、もちろんです」
「いつ」
「……はい、同棲をしてから時期を考えようと……思っています」
「……そうですか」
父親はにこりともせず言った。
もう既に喉がカラカラで、次に口を開くと上手く喋ることが出来るか不安になる。
「娘との結婚を考えているなら、同棲をするのはと良いと思います」
真穂子の父親は淡々と言った。
にこりともせず、本当にあの高虎と酒を酌み交わしているのか甚だ疑問だ。
「ありがとうございます」
「結婚がいつになってもいいし、子供が出来てからでもいいし、それはわたしはとやかく言わないでおきます」
「は、はい……」
子供が出来てからでも、というのはかなり寛容だと感じた。真穂子の姉のことがあったからだろうか。
「二つ条件があります」
「は、はい、なんでしょうか……」
「宮城さん、酒は飲めますか」
「はい、嗜む程度ですが……」
「わかりました。一つ目の条件は、時々うちに来てわたしと酒を飲むこと」
「へ」
想定外の条件に祐策は拍子抜けした。
飲み過ぎて記憶を無くした前科のある祐策だが、嗜む程度、という答えなら大丈夫はずだと考えた。
(飲み過ぎなかったら……大丈夫)
「は、はい、わかりました」
「残念ながら娘達は酒が強くないので、出来れば誰かと飲みたいと思いましてね」
それが高虎や自分なのか、と思うと不安だった。きっと高虎は定期的に一緒に飲んでいるだろう。しかしあの男も仕事は暇ではないはずで『時々』の頻度がどれくらいなのかがわからない。
「宮城さんは何が好きですか、ビール、ワイン、日本酒、焼酎……」
「特にこれと言って、というのはないのですが、普段は専らビールか発泡酒ですね……」
「わかりました。何か用意しておきましょう」
やはり笑いもせずに言った。
「お父さん、自分の好きなものを押しつけないで」
「別に押しつけてはいない。美味いものを一緒に飲みたいだけだ」
真穂子の父親は酒好きのようだ。娘の言葉に、顔色一つ変わる様子はない。
「もう……」
不服そうな彼女に、祐策はかける言葉がなかった。父親に何か話しかければいいのかもしれないが、その言葉も出ない。訊かれた事に答えるだけで精一杯の状況だった。
「二つ目の条件ですが」
祐策はごくりと息を飲む。
「よく考えてもらってからで構わないが」
そして真穂子の父親の要望に、祐策も真穂子も驚くこととなった。
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