大人の恋愛の始め方

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【第2部】22.絶望

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 廃屋から出る直前、一度聡子を下ろし、彼女の身なりを整えてやり、髪を撫でた。髪が血で汚れていると思ったら、頭皮まで怪我をさせられていることに気づいた。
 聡子の身体を支え、外に出る。
 車を止めている場所まで、ゆっくり歩かせた。
 あのー、とおずおずとカズが声をかける。
「俺、お邪魔ですよね」
「なわけないだろ」
 トモは否定した。
 カズがいなかったらどうなってたか、とトモは頭を下げた。
 カズの追跡のおかげだった。
 聡子と同じく仕事帰りのカズは、聡子を見かけたのだ。聡子がアルバイトをしていた時にホステス姿ではあるが会ったことがある。それ以外は面識はないが、トモにちらりと写真を見せてもらったことがあったため、なんとなく覚えていたのだ。
 しかし聡子を見かけただけでは、追跡は考えることはなかった。
 何より、カズが広田のことを覚えていたおかげで、気付けたことだった。カズは解体した組とは全く関係がない青年だ。だが、広田は当初は、神崎会長の世話になっていた。口利きで仕事もしていたが、その頃はカズも顔見知りになっていたので覚えていた。結局水が合わなかったのか、堅気になれずに離れて行ったわけだが。
 カズは人の顔を覚えるのが得意で、聡子よりも広田のほうをよく記憶していた。
 その広田が聡子に接触し、気を失わせて、そのまま車に乗せる所に出くわしたのだ。
 カズが走ったり、タクシーを使った追跡をしながら、トモに連絡を何度もしてくれていたおかげで、駆けつけることができた。夜の営業が始まった時間だったが、まださほど忙しくはなく、たまたまスマホを見て、カズからの無数の着信に驚いたのだ。
「ありがとう、ございました……」
 聡子がおずおずと頭を下げた。
「いや……俺は全然お役に立てなくて……彼女さんが無傷ってわけじゃなかったし……」
 カズは居たたまれない様子で、聡子に詫びていた。
「カズ、聡子が広田にされたことは絶対に口外するなよ」
「も、もちろんです!」
 トモはカズの耳に口元を寄せた。
「広田のことは……会長に相談しようと思う。けど聡子のされたことは、軽々しく口にしたくないってのもある。何より本人が深く傷ついてる。口外しようものなら聡子がさらに傷つく。聡子の傷をえぐるようなまねはしたくねえし、聡子の意志を尊重する。サツに届けるにも、俺からは無理だ。会長にも迷惑がかかるし。けどこのままにはしたくないから、会長にはいずれ相談する。それまで口外しないでくれ、頼む」
「わ、わかりました」
 きっと聡子の耳にも聞こえている。しかし例えこの三人しかいなくても、大きな声では言いたくなかったのだ。
 手足や顔に傷を負った聡子に、トモはまずは治療が必要だと感じた。
 時間的にもうクリニックは閉まっている。総合病院の救急に行くべきかと考えた。しかし、こんな暴行の痕があっては、救急でも事件にされてしまう。
「あ、そうだ……」
 トモは心当たりの医者がった。
 聡子を、組が解体する前から世話になっている前組長の知人の診療所に連れていくことにした。かつては組の者たちが怪我をした時などに行っていた所だ。神崎会長とも面識があったらしく、今でも世話になっている。時間外だが顔見知りなので、きっと対応してくれるはずだった。
「まずは聡子を医者に診せないと……診療所に連れて行こう」
 トモが聡子を抱き上げようとすると、
「……智幸さん、お仕事に戻らないと」
 ぼそりと彼女は言って、抱き上げられるのを拒んだ。
「バカ、おまえを置いて戻れるかよ」
 こんな時に聡子は何を言うのか理解ができなかった。
「でも忙しい時間帯ですよね?」
 もう外は暗くなっていた。
 仕事は店長がいるからなんとかしてくれる、そう安易に考えていた。
「仕事を放棄したらダメですよ……信用がなくなります。ずっと前わたしに言ったこと覚えていますか? 仕事を投げ出すなって」
 いつだったか、自分がそう言ったことがあった気がした。そうだ、彼女のいる店に行き、当たり前のように指名ができると思ったら別の男が《ミヅキ》を指名していた。苛立って店を後にしたトモを聡子が寒空の下追いかけてきた……あの時のことだろう。まだ彼女への好意があったかなかったか、記憶はないが、聡子は自分を慕ってくれていたのだろう。覚えてくれているのだ。
「けどよ……」
「わたしは大丈夫です。一人でも行けます」
「一人でなんて行かせられるかよ」
「智幸さんが来てくれただけで充分、嬉しいですから……」
 お願いだからお仕事に戻ってください、と聡子は作ったような笑みを浮かべた。
「智幸さんが来てくれたから、もう大丈夫です」
 聡子は自分のことより、トモの心配をしている。トモは呆れると同時に、こんな時まで他人優先の彼女が心配でたまらなかった。
「聡子」
 握った聡子の手は震えている。
「じゃあ、店に一緒に来るか。休憩室を借りれば良い」
「遠慮しますね。迷惑をかけるなんてできませんよ」
「こんな時くらい、甘えてくれよ……」
「いつもたくさん甘えていますよ」
 彼女はトモに仕事に戻るようしきりに言った。
 しかしトモは彼女が心配だ。
 ひどい目に遭わされたあとなのだ、一人にさせるわけにはいかないと考えるのも当然のことなのだ。
「じゃあ、ひとつ、我儘言っていいですか?」
「ああ。……って言っても、どうせおまえのは我儘じゃないだろ」
 トモは微笑みかける。
「お仕事終わったら、来てほしいです……遅くなるってわかってます、それでもいいから」
「……わかった、行く。必ず行くから」
 聡子の頭をぽんぽんと撫でた。
「それじゃあ……そうだ、カズ」
「はい」
 苦肉の策を思いついた。
「カズなら……。なあ、聡子を頼めるか?」
「もちろんです」
「聡子、カズは信頼も信用もできるから、怖がらなくていい」

 ──トモはカズに任せて仕事に戻ることにした。トモは自分の車を鍵をカズに渡し、万札を一枚握らせた。診察代のつもりだった。
 トモはどうするのかと問われ、タクシーで店に戻ると告げた。
「聡子、一緒にいられなくて悪い」
「智幸さんが来てくれたから……大丈夫です」
「仕事終わったらおまえの部屋に行くから。急いでいく。絶対行くから」
「はい。でも、無理しないでくださいね」
「それはこっちの台詞だ。部屋に戻ったら一応は連絡入れといてくれな」
「……はい」
 行ってらっしゃい、と聡子はトモを見上げた。
 トモは両手で聡子の頬を包むと、キスをする。
 カズが慌てて背を向けるのが見えた。
 汚れた髪を撫で、抱き締めて背中を撫でた。
「ごめんな」
「……大丈夫ですよ」
 カズがいるというのに、トモにしては大胆な行動だった。
 終わったかな、とカズが身体を元に向ける。
「トモさん、代わりにはなれませんけど、彼女さんのこと、トモさんのかわりにちゃんと送り届けます」
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