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【第2部】19.約束
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しおりを挟む仕事を終え、聡子の部屋に行くと、彼女はもう就寝しようとしていたところだった。今日はトモが来ないと思ったのだろう。
部屋に招き入れてくれはしたが、自分との温度差を感じた。
「お疲れ様でした」
「ああ」
「お茶、入れましょうね」
「いいよ。もう寝るんだろ? 明日月曜だしな。すぐ帰るよ」
お茶くらい入れますから、と遠慮するトモの手を引いて促した。
ローテーブルのいつもの位置に座ると、
「今日、ほんとに悪かった」
と声を発した。
「別に智幸さんは悪くないですよ」
キッチンからそう返ってきた。きっとそう言うと思っていた。
電気ポットで湯をすぐに沸かすと、緑茶を入れてくれた。
「どうぞ」
「サンキュ」
ずずず、と熱い緑茶を一口飲むと、再び口を開いた。
「店長が、聡子に詫びといてくれって。倒れた親父さん、意識はあるけど、しばらく入院することになったらしい。でも元気だから安心してくれ。とさ」
「……そうですか、安心しました」
聡子は安堵した表情を見せた。
心底から店長の家族のことは心配していたようで、これは偽りのないものだと感じた。
聡子は、残った食材は冷凍して弁当用にしたらしい。トモは「俺も食べようか」と申し出たが、彼女は断り、食材の行方についてそう答えたのだった。
聡子は終始作り笑いだった。
「聡子、無理すんなよ」
「無理?」
申し訳なさもあったが、終始無表情の彼女に次第に苛立ちを覚え始め、つい口から出てしまった。
「ムカついてんだったら怒ればいい、悪いのは俺なんだから」
「別に……智幸さんが悪いことなんて全くないですから」
「じゃあなんでそんな態度なんだよ。店長に腹が立つんなら、俺に当たればいい」
「誰も悪くないです」
聡子はそう言った。
店長さんは悪くない、智幸さんも悪くない、そう言った。
「ご家族の一大事なんだし、智幸さんが代打できてそれでよかった。それでみんな丸く収まった、智幸さんだって店長さんの代わりをして、しかもお手当がついて、お店も助かって、お客さんを満足させてあげられて、バイトさんの賄いも作ってあげられて……いいことしかないじゃないですか」
「じゃあ、なんでそんな怒ってんだよ」
「怒ってません」
トモには、彼女が怒気をはらんでいるように聞こえる。
「怒ってる」
「怒ってません。悪いのはわたしです」
「なんでだよ」
わけがわからない、と言ったふうにトモは言った。
「わたしが我慢すればいいだけなのに、ずっともやもやしてて、仕方ないことだしって納得はしてるのに、消化しきれなくて、そんな自分がすっごく嫌なんです。わたしはなんて自分勝手なんだって」
トモは驚いた。
「わたしは嫌な女だ」
「そんなこと全くない」
「智幸さんと遊びに行けるって、喜んで、張り切りすぎて、落ちて、ふっ切れられない自分が本当に嫌、醜いし、汚い」
聡子は泣き出す。
高ぶった感情を抑えきれないでいるようだ。
「バカだな、全然そんなこと思わない」
こっちに来い、とトモは聡子を手招きし自分の腕のなかに抱き寄せた。
「おまえはいい女だな」
「嘘ばっかり」
「ドタキャンされてんのに、自分に腹をたてる奴なんて聞いたことねえ」
「…………」
「人のことばっかだよな、聡子は」
だからいいんだけどな、とトモは聡子の頭を撫でる。
「嫌な女じゃないですか」
「全然嫌な女じゃねえ。気が強いけど、他人に優しいよ、おまえは」
初めて会った時、おまえが俺の連れにつっかかってきたこと思い出したよ、とトモは笑った。
「悪いのは俺だ。守れない約束ばっかで、おまえの優しさに甘えてよ。おまえが許してくれるってわかってて、いつもこんな結果だ」
「そんなことないです」
「我慢しなくていい、俺に当たればいい」
「人に当たるなんて、できません」
「俺には当たっていい」
「そんな嫌なことしたら……智幸さんに嫌われる」
「なるかよ。俺のほうが散々おまえに嫌なことばっかして、嫌われても仕方ねえことしてきたんだ」
聡子の好意を利用して、自分の性欲のはけ口にしてきたし、自分の女になれと言って承諾してもらったその日に外で彼女の身体を辱めたり。
「別に、それは、わたしが……」
「嫌いになる理由なんてねえよ」
聡子の後頭部をそっと押して、自分に胸に押しつけた。
「はあ……俺はおまえに相応しくねえんだろうなあ」
聡子は、がばっとトモの身体から身体を起こした。
「そんなことない!」
「はは……神様なんか信じちゃいねえけど、神様がおまえと俺を引き裂こうとしてんのかなあ」
「そんなこと、ないです!」
聡子はぶんぶんと首を振った。
「おまえには釣り合う男はもっとたくさんいるよな」
頬を撫でると、聡子は首をさらに横に激しく振る。
「……いやだ、智幸さんがいい!」
「おまえがそう思ってもな」
「じゃ、じゃあ、わたしが智幸さんに釣り合わないってこと……」
「はは、そうなのかもな」
聡子は泣くのをこらえていたようだが、また涙を零し始めた。
「神様が、釣り合わないっていうなら、わたしがもっと努力します! 智幸さんの隣にいられるように頑張るから……だから……別れるなんて」
「別れねえよ」
そんなこと一言も言ってねえだろ、とトモは苦笑した。
「俺が、おまえに相応しい男になるよ」
「…………」
「おまえが釣り合わないんじゃねえ。おまえはそのままでいい。おまえは俺にはもったいねえくらいいい女だよ」
「そんなこと……」
「そんなことあるんだよ」
聡子の髪を撫でる。
すうっと聡子の表情が落ち着きだした。
「おまえに惚れた俺がもっと努力すればいい。ちゃんと……いつか遊園地もリベンジするから。チャンスくれないか?」
涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔で、彼女は頷いた。
「……うん、うん、うん」
「ありがとな」
トモは聡子の額に自分の額をくっつけた。
「ごめんな」
「智幸さんが謝らないでください」
ぽたぽたとトモの胸に、雫が落ちていく。
「店長がさ、彼女ちゃんによろしくって」
「……え?」
「店のバイトもさ、今日はおまえとデートだったんだろって、察してたみたいでさ」
「えー……」
「バレバレだったんだよな」
吹き出す聡子。
「恥ずかしいですね……もう日曜日にお休みもらうのは無しにしましょう。わたしが、月曜日に有給取ればいいんですよ」
「……そっか。じゃあ、そうしてもらうか」
「はい」
聡子を抱きしめ、後頭部に手を当て、そっと髪を撫でた。聡子はとても嬉しそうで、トモの首に腕を回し、トモの耳で囁く。
「嫌われてなくてよかった」
「これくらいで嫌うかよ」
「別れるのかと思った」
「ねえよ。むしろ、俺がほっとしたわ」
さらにぎゅっと抱きしめた。
「おまえはほんと、いい女だな」
「へへへ……」
「あ、うっかり『おまえ』って言ってたわ、ごめん」
ううん、と聡子は首を振る。
「大丈夫ですから、わたしは平気だって前にも言いましたでしょ?」
「……そうだったな。気を悪くしないでくれよ」
「しませんよ」
聡子の顔を、トモは指で拭ってやった。
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