84 / 222
【第2部】19.約束
2
しおりを挟む
日曜日。
トモが朝起きると、店のオーナー兼店長から電話の着信があることに気付いた。メッセージが入っている。
起きたら電話をくれないか、と。
昨日は遅くまで今日の準備をしたため、帰りがいつもより遅くなり、つい寝過ごしてしまいそうになった。
「もしもし、影山です。お電話があったのにすみません」
『いや、こっちも夜中にごめん。寝てて当然だ』
店長からの電話に内容に、トモは言葉を失い掛けた。
家族が倒れたということで実家に戻らなければならないという。自分のかわりを任せられるのはトモしかいない、ということだった。
「今のおまえなら出来る」
臨時休業でもいいが、人数のある予約分だけはキャンセルをこちらから伝えることができない。「本日貸切」にして、昼十一時半に来られるそのお客様たちだけはもてなしてもらえないか、という店長の要望だった。ギリギリまで店長は準備をしておくから、と話した。今も店にいるらしい。店長の妻も、店でデザートの準備をしているとのことだった。
「わかりました、店長、早くご実家に帰ってあげてください」
『本当に申し訳ない、彼女とデートなのはわかってんだけど……』
「いやいや、それはいいですから。自分の予定は今日でなくてもいいけど、お父さんのことは今行かないと、取り返しつかないことになってほしくないですから」
『本当にすまない』
「自分も支度して、すぐ行きますから。早く」
仕込みのことや、出す料理のことは昨日聞いていた。聞いて一緒に仕込みをしたわけだが、聞いていてよかったと思った。念のため、注意事項はメモをしておく、と店長は言った。
伝言を託かったトモは、支度をすると聡子のアパートへ向かった。
聡子の部屋を訪ねると、彼女は準備をしているところだったようで、ドアを開けると、
「あっ、もうそんな時間ですか!? 早いですね」
と驚いた。
朝の七時だ。それは早いに決まっている。
「あと詰めるだけですからね! もうちょっとだけ待っててくださいね」
「いや……その、聡子」
「はい」
「悪い……」
トモの顔に、聡子は真顔になった。
「今日のことなんだけど。ごめん」
謝るトモに、聡子はいくらか察したようだった。
事情を話すと、聡子の表情は完全に消えた。
「ほんっとに悪い……!」
「……悪くないですよ」
彼女は精一杯表情を作っているようだ。
「店長さんのご家族のほうが大事に決まってるじゃないですか。大事にならないといいんですけど……」
彼女ならそう言ってくれると思っていた。
「それに、不謹慎かもしれませんけど、店長さんのかわりを任せられたなんて、すごいじゃないですか」
思っていたからこそ心苦しい。
こんな感情が自分にあったことも不思議だった。
「あ、ああ……そう、なの、かな」
「じゃあ早く行かないと。仕込みもあるんですよね!」
「大方の仕込みはしてる。あとは、まあ、準備しないといけないな」
「じゃ、早く早く、こっちのことはいいですから」
「あの……弁当、もう作ったんだよな」
せっかくなら持って行ってみんなで食べるよ、とトモは提案した。
「そんな、料理人さんたちに食べさせられるようなものじゃないから」
「けど、たくさん作って……」
「いいんです! こんなの食べさせたくない!」
聡子が叫んだ。
思いがけず大きな声が出たことで、彼女は口元に手を当てた。
「あ、いえ……恥ずかしくて見せられるものじゃないし……。智幸さんのためだけに作ったものだし……」
「悪い……だったら、俺が昼に食べさせてもらう」
「いいです、別に。智幸さんのところ、賄いあるんですよね。これ、わたしがお昼と夜に食べますから」
「けどこんなに……」
「わたしが食べるって言ってるんです! もうほっといてください」
聡子はヒステリックに言った。
(やっぱり、すっげえがっかりしてるよな……)
今回こそ大丈夫だ、と言ったのに。
しかし彼女はトモを責めることはなかった。
「本当にすまない……」
「謝る必要なんてないですから、大丈夫ですよ」
乾いた笑いだった。いつもの喜怒哀楽の表情がない。怒りも哀しみも見えなかった。
「早くお仕事行かないと」
「お、おう……」
「店長さんのお父さん、大事に至らなければいいですね」
「……うん」
「店長さんから連絡あったら、状況教えて下さいね。お会いしたことがなくても、わたしだって心配ですから」
聡子はトモを玄関先で見送る。
両手で、行ってらっしゃいと手を振ってくれたが、顔には陰があった。
頭をぽんぽんと撫でたが、やはり顔に色はない。キスをしようとしたが、すっと避けられてしまった。
トモがドアを閉めてややあと、ドンッと激しく何かをぶつけられる音がした。
(え)
彼女がドアに向かって何かを投げつけたと思われた。
(怒ってる……そりゃ、そうだよな……)
***
聡子は、トモの予想通り、落胆していた。
ぶつけようのない、怒りのような、もやもやした気持ちが溢れていた。
(せっかく、朝早起きして作ったのに……)
ぽろぽろ涙を流す。
(仕方ないってわかってるし、納得も出来るるけど……)
なんでいつもいつも、と聡子がは苛立つ。
普通の恋人同士がしているようなことをしたいだけなのに。
***
トモは忙しく働いた。
聡子の悲しそうな顔を思い出しては、申し訳なさでいっぱいになる。
無事に昼の営業時間を終えた。
ひと組とはいえ八人のグループ、予めランチのコースを予約されていたので、店長と自分の仕込み、バイトの助けでなんとか乗り切れた。
表には「都合により本日は予約のお客様のみとさせていただきます」という貼り紙をしておいたおかげで、予約以外のことは考えなくて済んだ。
バイト二人たちに賄いを出し、自分も軽く食事をすることにした。
「トモさん、今日デートだったんじゃないんですか」
バイトの男子学生が言た。
男子大生一人、女子大生が一人、今日は入ってくれている。
「なんで知ってんだよ」
「いや、日曜に休み取るって初めてだなって……。彼女さんのためだろうなってのは想像ついたんで」
「まあ外れてはない」
トモは他愛のない話をした。
「どんな彼女さんなんですか」
「女だ」
「いや、それはわかってますけど」
男子学生のほうは、苦笑した。
「夜も頼む」
「もちろんです」
女子大生のほうが頷いた。
(聡子と同じくらいか……)
もうすぐ就活だと言っていたので、恐らく大学三年生、聡子の一つ年下くらいだろう。
この二人なら、なんとなく男子大生のほうが幼い印象だな、とトモは感じた。
トモが朝起きると、店のオーナー兼店長から電話の着信があることに気付いた。メッセージが入っている。
起きたら電話をくれないか、と。
昨日は遅くまで今日の準備をしたため、帰りがいつもより遅くなり、つい寝過ごしてしまいそうになった。
「もしもし、影山です。お電話があったのにすみません」
『いや、こっちも夜中にごめん。寝てて当然だ』
店長からの電話に内容に、トモは言葉を失い掛けた。
家族が倒れたということで実家に戻らなければならないという。自分のかわりを任せられるのはトモしかいない、ということだった。
「今のおまえなら出来る」
臨時休業でもいいが、人数のある予約分だけはキャンセルをこちらから伝えることができない。「本日貸切」にして、昼十一時半に来られるそのお客様たちだけはもてなしてもらえないか、という店長の要望だった。ギリギリまで店長は準備をしておくから、と話した。今も店にいるらしい。店長の妻も、店でデザートの準備をしているとのことだった。
「わかりました、店長、早くご実家に帰ってあげてください」
『本当に申し訳ない、彼女とデートなのはわかってんだけど……』
「いやいや、それはいいですから。自分の予定は今日でなくてもいいけど、お父さんのことは今行かないと、取り返しつかないことになってほしくないですから」
『本当にすまない』
「自分も支度して、すぐ行きますから。早く」
仕込みのことや、出す料理のことは昨日聞いていた。聞いて一緒に仕込みをしたわけだが、聞いていてよかったと思った。念のため、注意事項はメモをしておく、と店長は言った。
伝言を託かったトモは、支度をすると聡子のアパートへ向かった。
聡子の部屋を訪ねると、彼女は準備をしているところだったようで、ドアを開けると、
「あっ、もうそんな時間ですか!? 早いですね」
と驚いた。
朝の七時だ。それは早いに決まっている。
「あと詰めるだけですからね! もうちょっとだけ待っててくださいね」
「いや……その、聡子」
「はい」
「悪い……」
トモの顔に、聡子は真顔になった。
「今日のことなんだけど。ごめん」
謝るトモに、聡子はいくらか察したようだった。
事情を話すと、聡子の表情は完全に消えた。
「ほんっとに悪い……!」
「……悪くないですよ」
彼女は精一杯表情を作っているようだ。
「店長さんのご家族のほうが大事に決まってるじゃないですか。大事にならないといいんですけど……」
彼女ならそう言ってくれると思っていた。
「それに、不謹慎かもしれませんけど、店長さんのかわりを任せられたなんて、すごいじゃないですか」
思っていたからこそ心苦しい。
こんな感情が自分にあったことも不思議だった。
「あ、ああ……そう、なの、かな」
「じゃあ早く行かないと。仕込みもあるんですよね!」
「大方の仕込みはしてる。あとは、まあ、準備しないといけないな」
「じゃ、早く早く、こっちのことはいいですから」
「あの……弁当、もう作ったんだよな」
せっかくなら持って行ってみんなで食べるよ、とトモは提案した。
「そんな、料理人さんたちに食べさせられるようなものじゃないから」
「けど、たくさん作って……」
「いいんです! こんなの食べさせたくない!」
聡子が叫んだ。
思いがけず大きな声が出たことで、彼女は口元に手を当てた。
「あ、いえ……恥ずかしくて見せられるものじゃないし……。智幸さんのためだけに作ったものだし……」
「悪い……だったら、俺が昼に食べさせてもらう」
「いいです、別に。智幸さんのところ、賄いあるんですよね。これ、わたしがお昼と夜に食べますから」
「けどこんなに……」
「わたしが食べるって言ってるんです! もうほっといてください」
聡子はヒステリックに言った。
(やっぱり、すっげえがっかりしてるよな……)
今回こそ大丈夫だ、と言ったのに。
しかし彼女はトモを責めることはなかった。
「本当にすまない……」
「謝る必要なんてないですから、大丈夫ですよ」
乾いた笑いだった。いつもの喜怒哀楽の表情がない。怒りも哀しみも見えなかった。
「早くお仕事行かないと」
「お、おう……」
「店長さんのお父さん、大事に至らなければいいですね」
「……うん」
「店長さんから連絡あったら、状況教えて下さいね。お会いしたことがなくても、わたしだって心配ですから」
聡子はトモを玄関先で見送る。
両手で、行ってらっしゃいと手を振ってくれたが、顔には陰があった。
頭をぽんぽんと撫でたが、やはり顔に色はない。キスをしようとしたが、すっと避けられてしまった。
トモがドアを閉めてややあと、ドンッと激しく何かをぶつけられる音がした。
(え)
彼女がドアに向かって何かを投げつけたと思われた。
(怒ってる……そりゃ、そうだよな……)
***
聡子は、トモの予想通り、落胆していた。
ぶつけようのない、怒りのような、もやもやした気持ちが溢れていた。
(せっかく、朝早起きして作ったのに……)
ぽろぽろ涙を流す。
(仕方ないってわかってるし、納得も出来るるけど……)
なんでいつもいつも、と聡子がは苛立つ。
普通の恋人同士がしているようなことをしたいだけなのに。
***
トモは忙しく働いた。
聡子の悲しそうな顔を思い出しては、申し訳なさでいっぱいになる。
無事に昼の営業時間を終えた。
ひと組とはいえ八人のグループ、予めランチのコースを予約されていたので、店長と自分の仕込み、バイトの助けでなんとか乗り切れた。
表には「都合により本日は予約のお客様のみとさせていただきます」という貼り紙をしておいたおかげで、予約以外のことは考えなくて済んだ。
バイト二人たちに賄いを出し、自分も軽く食事をすることにした。
「トモさん、今日デートだったんじゃないんですか」
バイトの男子学生が言た。
男子大生一人、女子大生が一人、今日は入ってくれている。
「なんで知ってんだよ」
「いや、日曜に休み取るって初めてだなって……。彼女さんのためだろうなってのは想像ついたんで」
「まあ外れてはない」
トモは他愛のない話をした。
「どんな彼女さんなんですか」
「女だ」
「いや、それはわかってますけど」
男子学生のほうは、苦笑した。
「夜も頼む」
「もちろんです」
女子大生のほうが頷いた。
(聡子と同じくらいか……)
もうすぐ就活だと言っていたので、恐らく大学三年生、聡子の一つ年下くらいだろう。
この二人なら、なんとなく男子大生のほうが幼い印象だな、とトモは感じた。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです
冬野まゆ
恋愛
経営難に陥った実家の酒造を救うため、最悪の縁談を受けてしまったOLの千春。そんな彼女を助けてくれたのは、密かに思いを寄せていた大企業の御曹司・涼弥だった。結婚に関する面倒事を避けたい彼から、援助と引き換えの契約結婚を提案された千春は、藁にも縋る思いでそれを了承する。しかし旧知の仲とはいえ、本来なら結ばれるはずのない雲の上の人。たとえ愛されなくても彼の良き妻になろうと決意する千春だったが……「可愛い千春。もっと俺のことだけ考えて」いざ始まった新婚生活は至れり尽くせりの溺愛の日々で!? 拗らせ両片思い夫婦の、じれじれすれ違いラブ!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
無表情いとこの隠れた欲望
春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。
小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。
緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。
それから雪哉の態度が変わり――。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ
慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。
その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは
仕事上でしか接点のない上司だった。
思っていることを口にするのが苦手
地味で大人しい司書
木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)
×
真面目で優しい千紗子の上司
知的で容姿端麗な課長
雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29)
胸を締め付ける切ない想いを
抱えているのはいったいどちらなのか———
「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」
「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」
「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」
真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。
**********
►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる