大人の恋愛の始め方

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【第1部】8.都合のいい女

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 二人は食事を終えると、車に向かった。
「うわっ」
 何かに躓く聡子を、川村が支えた。
「すみません!」
「大丈夫?」
「大丈夫です……」
 川村が聡子の手を取り、車へ促した。
 助手席に乗り込むと、ドアを閉めてくれた。
(紳士だ……)
 トモにしてもらったことはない。
(なんでトモさんと比較しちゃったんだろ)
「あの……手を握ってもいいかな」
「え……?」
「いや、な、なんでもないよゴメン」
 じゃあ行こうか、と言ったが、車を発進させず、聡子を見た。
「どうしました?」
 運転席の川村は、
「やっぱりこうさせて」
 と恥ずかしそうに聡子の手を取り、握った。
(トモさんと手つないだことないな……)
 彼氏彼女でもないし当然だよね、とひっそり嘆息する。
(でも、川村さんもだけど……手、握ってる)
 しばらくの後、車は走り出した。これから待ち合わせた駅まで送ってくれるという。
「今日は楽しかったなあ」
「そう、ですね……」
 聡子は話しているうちに、運転が心地よく、少し眠気をもよおした。
「眠くなったなら寝ていいよ。着いたら起こしてあげるから」
「すみません……」
 すぅー……と意識を手放した。


「ミヅキちゃん、ミヅキちゃん」
「ん……んん……」
 優しい声に、ミヅキは目を覚ました。
(トモさん……?)
「起きた?」
「……川村さん……。あっ、すみません!」
 川村の車のなかで寝てしまっていることを思い出し、慌てて目を開いた。
「慌てなくていいよ」
 川村が笑っている。
 周囲を見渡すと、駅の景色ではなかった。
 目の前に工業地帯の灯りが見える。
(埠頭の公園かな……)
 駅はもう少し街中のほうだ。
「あのう……」
「ちゃんと駅まで送る。ちょっと話がしたくて」
 昼間から食事時まであんなにしたのに、とは言わなかった。まだ何か話し足りないことがあるのだろうか。
「話、ですか」
「お店じゃ話せないことで」
 川村の顔が強ばっている。
(どうしたんだろう……)
「あのさ、ミヅキちゃん」
「はい」
「俺、君とつきあいたいんだ」
「え」
「本気だ」
 こちらを向いて、真剣な眼差しで聡子を見つめている。
(俺? 本当の一人称は「俺」なんだ)
「付き合っている人は……」
「いません。でも好きな人はいます」
「そっか……」
 川村は残念そうな表情だった。
「その人に告白したりは?」
「しません。してもしなくても、その人とどうにかなることはないので」
 聡子は正直に答えた。
「俺は本当に本気なんだ。最初は、店に可愛い女の子が入ったんだなって思っただけで……。でも、ほかのテーブルの接客をする姿を見て、気が利くなって思ったし、俺も話がしたくて、ママにはだめだって断られたけど、話をしたらわかると思って。そうして話をして、君はその辺の女の子とは違うって感じて……オフの君も知りたいって、もっと好きになったんだ」
 川村はそう言った。
「だから、通って……心を開いてもらえたらって」
 本気だよ、と距離を詰めて来られる。
 自分のなかの危険感センサーが赤く光った。紳士だと思った川村ではない。
「ミヅキちゃん。好きなんだ。君と付き合いたい」
 手を握られるどころではない距離だった。
「その人のことを忘れられないなら、それまで待つよ。待てる自信はある」
 どんどんその距離が縮まり、顔が近づいてくる。
 キスをされ、一度は離れたが、聡子が硬直しているのを「是」と捉えたのか、またキスをした。服の上から胸を触られ、余計に身体が強ばって動けない。
 トモとはこれ以上のことをしてはいるのに。
「このまま……ダメかな」
「……いやっ」
 服の中に侵入を赦してしまい、聡子はやっと悲鳴を上げた。
「やめて下さい!」
 トモとはもっと先のことをしているのに、今こうして他の男に触れられるとおぞましい。触れられたくない。
「ご、ごめん!」
 川村の胸をどんっと押し、ガチャガチャとドアを開いた。
(トモさん! 助けて……!)
 今までピンチの時はトモが助けに来てくれたのに。
 ──おまえは隙だらけだ。
 トモの台詞が過る。
(また、わたしに隙があったの……?)
 そう、隙があった。
 自分の過失だ。
 車から降りると、聡子は駆けだした。
「待ってミヅキちゃん!」
 川村が追いかけてくるのがわかり、全力で逃げた。
 相手の足音が消えた。恐らく車に戻ったのだろう。車で追ってくる可能性がある。駅までの道は大通りを避けて歩いた。
「トモさん……」
 今日はトモの助けはなかった。
 いつだってトモが助けてくれたが、それは運が良かったのだ。
(トモさんに会いたい……)
 隙だらけだというトモの忠告もきかないで、男性と出かけるからこうなってしまった。
 スマホを開き、
『会いたいです』
 トモにメッセージを送った。
 暫く画面を見つめていたが、既読にはならなかった。
(そりゃそうだ……料理人さんって言ってたし……。まだお仕事してるかもしれないし。今日は土曜日で……別の人と……)
 最近の土曜日は毎週のようにトモに呼ばれていた。しかし今日は事前に「予定があるので」と伝えていたし、別の人と会っているかもしれない。
 ナンパをされないように気をつけながら駅に向かった。

 電話が鳴っている。
 慌ててスマホを開くと、トモからの着信だった。
「もしもし」
『ミヅキ? どうした? 今どこだ?』
「トモさん……」
 トモの声を聞いて、安堵した。
『今どこにいる』
「トモさん……会いたいです……」
『どうした』
「会いたいです……」
『今……今どこだ、言え。早く。今すぐ行くから、場所言え』
「駅の、近く……」
『駅? どこのだ? 店の近くの駅か?』
「うん……」
 鼻をぐすんと鳴らしてしまったせいか、
『すぐ行くから、そこ動くな。駅で待ってろ、すぐ行く』
「うん」
 プツッと電話は切れた。
 聡子は駅へ向かった。送迎車スペースの近くのベンチに座り、トモが来るのを待つ。
 本当に来てくれるだろうか。
 しかし電話の声は、聡子を心配してくれているようにも思えた。

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