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【第1部】7.誘惑
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駅でトモと別れてから、二ヶ月を経過した。
季節はもう春だ。
この店でアルバイトを始めて一年近くになる。
目標金額まではまだまだなので、しばらくは掛け持ちを続ける予定だ。
トモは来ないが、川村光輝は時折やってきて「ミヅキ」を指名していく。先輩たちは、
「絶対ミヅキに気があるよね」
と言うが、あろうがなかろうが「客」でしかない。
忘れた頃に、一緒に出かけないかと誘われるが、なんとかかわしている。
「ミヅキ、指名よ」
「はい」
また川村光輝が来たんだな、と聡子はエントランスに出迎えに向かう。
「え……」
トモだ。
二ヶ月前と変わりない姿のトモだ。
「お久しぶりですぅ」
聡子は、今までに出したことのないような鼻にかかる声でトモを迎えた。
「こちらどうぞ」
顔が引きつっていないか心配だったが、気にしないように目一杯営業モードで振る舞うことにした。
いつものように、隅のテーブルに案内し、飲み物を確認して作る。
「お久しぶりですね」
「ああ」
「また来て下さいねって言ったら『気が向いたらな』っておっしゃってましたよね。てことは、気が向かなかったんですね」
冗談っぽく言い、グラスをすっと差し出すと、
「そういうわけじゃない」
彼はぶっきらぼうに応えた。
「忙しかっただけだ」
「そう、ですか」
「俺が来ないと寂しいか?」
「え……」
色気のある視線と台詞にドキリとする。
グラスを口につけ、少し飲み、彼は聡子を見た。
「それは、まあ、少しは」
「指名料入らねえからな」
「ち……違いますよ! そんな人を金の亡者みたいに言わないでくださいよ」
聡子は少し頬を膨らませ、トモを軽く睨んで否定した。
「冗談だよ」
悪かったよ、と小さく笑うトモに、聡子はほっとした。
(あの時のこと、もう怒ってないかな……)
「妹」という存在のことを口にした時に、彼はひどく立腹した様子だったことを思い出す。
(タブーみたい)
「ちょっとは寂しいとでも思ってくれたかと思ったけど」
「寂しいと思ってましたよ。だってトモさんは、わたしを指名してくださったお客様ですし、特別っていうか……」
特別、という言葉に自分の気持ちをこっそり忍ばせてみる。気付いてはもらえないだろうけれど。
「……そうか」
やはりトモは素っ気ない。
(ですよね)
お店に来て指名してくれても、何の得もないはずだ。永遠に「見習い」の聡子と楽しく酒が飲めるわけでもないし、ただお互いの話をして帰っていくだけで。きっとここに来なくても、彼にとってはもっと楽しいこと、つまりは複数はいるであろう女性達との時間のほうがきっと濃密で満足できるもののはずなのに。
(ちょっとは期待してたんだろうな……でもトモさんはわたしのことはなんとも思ってないんだよね)
「どうした、黙り込んで。働き過ぎか」
「違います。ちょっと考えてただけです」
「客を前にして上の空かよ」
別に怒って言っているわけではなさそうだ。聡子が、百面相をしているのが面白かったらしい、失笑されていたのだった。
「恥ずかしっ」
「いいんじゃねえの。面白いし。お高く止まってるよりか、楽しいよ」
「ほんとですか? なんか嘘くさいですね」
「なんだよ、嘘だと思うならそう思っとけ」
なんですかそれ、と聡子はくすくすと笑い出した。
トモと以前のように話が出来ることに安心した。
足が遠のいていた期間の間に何をしていたか、トモが話をしてくれた。本当に忙しかった様子だ。働いている飲食店には、料理人のオーナーとその妻がいるらしいが、妻が入院することになり、人手が不足する分をトモがカバーするなどしていたらしい。
(もうヤクザ辞めちゃったのかな? ちゃんと働いているって前から言ってたし)
「お忙しかったんですね……」
「ま、いい経験になった。奥さんも無事退院出来たし、今は落ちついた」
「よかったです」
(嫌われたわけじゃなかったんだ……)
また来てもらえるかな、と思ったが今日は口にしないでおこうと思った。
今度は気持ちを伝えよう、と決意もしていたが、しばらくは置いておくことにした。
「なあ、このあとラーメン食いに行きたい」
「はあ」
「つきあえ」
「は、はい」
「おまえは無理して食わなくていいけど。締めのラーメンみたいな気分だからさ」
「わかりました」
きっとラーメンを食べることになるだろう、と予測した。でもまた食べきれずに、トモが平らげてくれるのは予想できた。
季節はもう春だ。
この店でアルバイトを始めて一年近くになる。
目標金額まではまだまだなので、しばらくは掛け持ちを続ける予定だ。
トモは来ないが、川村光輝は時折やってきて「ミヅキ」を指名していく。先輩たちは、
「絶対ミヅキに気があるよね」
と言うが、あろうがなかろうが「客」でしかない。
忘れた頃に、一緒に出かけないかと誘われるが、なんとかかわしている。
「ミヅキ、指名よ」
「はい」
また川村光輝が来たんだな、と聡子はエントランスに出迎えに向かう。
「え……」
トモだ。
二ヶ月前と変わりない姿のトモだ。
「お久しぶりですぅ」
聡子は、今までに出したことのないような鼻にかかる声でトモを迎えた。
「こちらどうぞ」
顔が引きつっていないか心配だったが、気にしないように目一杯営業モードで振る舞うことにした。
いつものように、隅のテーブルに案内し、飲み物を確認して作る。
「お久しぶりですね」
「ああ」
「また来て下さいねって言ったら『気が向いたらな』っておっしゃってましたよね。てことは、気が向かなかったんですね」
冗談っぽく言い、グラスをすっと差し出すと、
「そういうわけじゃない」
彼はぶっきらぼうに応えた。
「忙しかっただけだ」
「そう、ですか」
「俺が来ないと寂しいか?」
「え……」
色気のある視線と台詞にドキリとする。
グラスを口につけ、少し飲み、彼は聡子を見た。
「それは、まあ、少しは」
「指名料入らねえからな」
「ち……違いますよ! そんな人を金の亡者みたいに言わないでくださいよ」
聡子は少し頬を膨らませ、トモを軽く睨んで否定した。
「冗談だよ」
悪かったよ、と小さく笑うトモに、聡子はほっとした。
(あの時のこと、もう怒ってないかな……)
「妹」という存在のことを口にした時に、彼はひどく立腹した様子だったことを思い出す。
(タブーみたい)
「ちょっとは寂しいとでも思ってくれたかと思ったけど」
「寂しいと思ってましたよ。だってトモさんは、わたしを指名してくださったお客様ですし、特別っていうか……」
特別、という言葉に自分の気持ちをこっそり忍ばせてみる。気付いてはもらえないだろうけれど。
「……そうか」
やはりトモは素っ気ない。
(ですよね)
お店に来て指名してくれても、何の得もないはずだ。永遠に「見習い」の聡子と楽しく酒が飲めるわけでもないし、ただお互いの話をして帰っていくだけで。きっとここに来なくても、彼にとってはもっと楽しいこと、つまりは複数はいるであろう女性達との時間のほうがきっと濃密で満足できるもののはずなのに。
(ちょっとは期待してたんだろうな……でもトモさんはわたしのことはなんとも思ってないんだよね)
「どうした、黙り込んで。働き過ぎか」
「違います。ちょっと考えてただけです」
「客を前にして上の空かよ」
別に怒って言っているわけではなさそうだ。聡子が、百面相をしているのが面白かったらしい、失笑されていたのだった。
「恥ずかしっ」
「いいんじゃねえの。面白いし。お高く止まってるよりか、楽しいよ」
「ほんとですか? なんか嘘くさいですね」
「なんだよ、嘘だと思うならそう思っとけ」
なんですかそれ、と聡子はくすくすと笑い出した。
トモと以前のように話が出来ることに安心した。
足が遠のいていた期間の間に何をしていたか、トモが話をしてくれた。本当に忙しかった様子だ。働いている飲食店には、料理人のオーナーとその妻がいるらしいが、妻が入院することになり、人手が不足する分をトモがカバーするなどしていたらしい。
(もうヤクザ辞めちゃったのかな? ちゃんと働いているって前から言ってたし)
「お忙しかったんですね……」
「ま、いい経験になった。奥さんも無事退院出来たし、今は落ちついた」
「よかったです」
(嫌われたわけじゃなかったんだ……)
また来てもらえるかな、と思ったが今日は口にしないでおこうと思った。
今度は気持ちを伝えよう、と決意もしていたが、しばらくは置いておくことにした。
「なあ、このあとラーメン食いに行きたい」
「はあ」
「つきあえ」
「は、はい」
「おまえは無理して食わなくていいけど。締めのラーメンみたいな気分だからさ」
「わかりました」
きっとラーメンを食べることになるだろう、と予測した。でもまた食べきれずに、トモが平らげてくれるのは予想できた。
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