大人の恋愛の始め方

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【第1部】6.恋心

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 またホテル街を通ることになる。
 駅へ向かうにはこのルートが最短なのだ。
「トモさん」
「あ?」
「いえ、なんでもないです……」
 名前を呼んで、心が弾む。
(トモさんの名前、なんて言う名前なのかな。苗字は『影山』さんだってママが言ってたからそう呼んでたし……。下の名前はなんていうんだろう)
 トモの少し後ろをひょこひょこ歩きながら、ぼんやり思った。トモは歩くのが速い。足の長さもあるだろうが、あまり後ろを気にしないようだ。
 トモはジャケットの入った紙袋を持っている。少し邪魔そうだが、彼はちゃんとそのまま持って帰るらしい。
「おートモ!」
 トモが誰かに名前を呼ばれ、立ち止まった。
 またしても知り合いに遭遇したようだが、今度は男性だった。三人組のチャラそうな、聡子の苦手なタイプだ。
「最近つきあい悪いと思ったら、新しい女連れてんのかよ? 見る度に違うもんなあ?」
「おまえんとこ、どうなった? ちゃんと堅気の仕事してんだろ?」
「平和ぼけしてこれからお楽しみか? おいおい羨ましいぜ」
 トモの後ろの聡子に気付いて、そんなことを言われた。
 聡子は顔を真っ赤にさせる。
 一人が聡子の前に立ち、
「トモはすぐ飽きるからさ、トモなんてやめてオレなんてどう? オレなら何度でもイカせてあげられるよ? あ、でもトモのほうが回数はすごいか」
 顔を覗き込んできた。思わずトモの後ろに隠れる。
 トモの周りの人は下品な人が多いのか、と赤い顔はおさまらない。暗がりで見えはしないだろうけれど。
「トモの女好きもここまできたか? 派手な女ばっかかと思ったら、普通に可愛い子じゃん」
「おい、そのくらいにしとけ。この子はそんなんじゃねえ」
「この子?」
「なになに、ついにマジ恋?」
「ちげえよ」
 おまえらには関係ねえよ、とトモは面倒くさそうに制した。
 三人は冷やかし、聡子の顔をなめるように見た。
「……まさか」
 相手の三人組は無言になる。
「まさか噂の妹かよ」
(妹?)
「……違うよ。もういいか? またな。別の女紹介するから」
 行くぞ、と聡子の手をひいてトモは歩き出した。いつかのように、聡子はぺこりと頭を下げてトモについていった。
(妹って……?)
 トモには妹がいるのだろうか。
(噂の、っていうのはどういうことだろう)
 トモが手を離した。
「悪かったな。俺の周りはああいう連中ばっかりだ」
「いえ……大丈夫です、何かされたわけじゃないですし」
 その後は無言で、駅まで歩くことになった。
 せっかくトモとラーメンを食べて、嬉しさに浸っていたというのに。
(また駅まで送られてお別れか)
 と聡子は寂しくなる。
「あの、トモさん。妹さんがいらっしゃるんですね」
 とふいに話題を振ってトモの隣に並んだ。
「それともわたしのこと妹だと言ってるんですか?」
 と聡子は無邪気に言ったつもりだった。ただトモのことをもっと知りたい、と思ったから。
「黙れ、口塞ぐぞ」
 トモは一気に不機嫌になった。
 急に立ち止まったトモに口元を掴まれ、聡子はその冷たい目に驚いた。
「ご、ごめんなさい……」
 聡子はその場で立ち尽くす。
(怖い……)
 ぎゅっと口の端を掴まれていたが、
「悪い」
 トモはすぐに解放してくれた。 
 そして、また無言のまま、重苦しい空気で駅まで行くことになった。
「ほら、駅に着いた。気をつけて帰れ」
「……今日も、ありがとう、ございました……」
 一瞬にして冷酷な表情になったトモに、聡子はほろりと涙をこぼす。
「じゃあな」
 踵を返したトモに、聡子は何も言えなかった。
 聡子はその場から動けない。
(NGワードだったのかな……だって知らなかったんだもん……あんなにキレなくてもいのに……知りたかっただけなのに……)
 帰らなきゃ、と思った聡子の前に陰が出来た。
「お姉さん、なんで泣いてるのー」
「俺らが慰めてあげよっか」
 聡子の前に二人の男が立ちはだかったのだ。
 夜になるとチャラい頭の悪そうな男の出没率が高くなるのだろうか。
「いえ、結構です。もう帰るので」
 ナンパか、と聡子は踵を返して逃げようとするが、両脇を掴まれてしまった。
「ちょっと! 離して!」
「遊びに行こうよ、慰めてあげるからさ」
「人を呼びますよ!」
「こんな遅くじゃナンパ待ちかナンパしかいないよ?」
「離せ!」
 男の足を蹴りあげると、
「足癖悪い女だな!」
 と一人が聡子を突き倒した。
「いたっ!」
 どすんと尻餅をつき、痛みに顔をしかめる。
「おい、てめえら、何してやがる」
 その声にハッとする──トモだ。
「あ? おまえには関係ねえよ」
 倒れた聡子を引っ張り、二人組は連れていこうとする。
「俺の連れに何しやがんだ」
「は? 連れ? 嘘つけ」
 聡子はぶんぶんと腕をふって逃れようとする。
 聡子は男の股間を蹴り上げた。
「このアマ……何しやがる」
 聡子は別の男に手をあげられそうになったが、トモがその手を止めた。
「女に手をあげるとはクズな野郎だな」
「いでっいででで」
「あ? なんだてめぇ」
「てめぇらここがどこの誰のシマかわかってんだろうな」
 トモを見て、二人がサッと顔色を変えた。
「やべ、ヤクザの女に手ぇ出したら命ねえぞ」
 二人組はものすごい早さで逃げて行った。
 聡子ががっくりと膝をつく。
「大丈夫か?」
「大丈夫です……」
「おまえは隙だらけなんだよ」
「すみません……」
「心配だから家まで送る」
「いえ、結構です」
 聡子は手をふりほどいた。
「また男に声かけられんぞ」
「平気です」
「強情だな」
 二人は無言で歩いていく。
 もう聡子から口を開くことは出来ない。
 また口を塞がれ、あの冷たい目で見下ろされるのだから。

 自宅の最寄り駅まで彼は送ってくれた。
 ここからは自転車だと伝えると、今度は大人しく引き下がってくれた。
「本当に大丈夫なのか」
「はい」
「気をつけて帰れよ」
「……はい。ご迷惑をおかけしました」
 ああ、とトモは冷たい瞳で聡子を見た。
「あの」
「なんだ」
「また……また来て下さいね」
 おずおずと見上げる。
 茶化したことを言える雰囲気ではない。
「ああ、気が向いたらな」
(気が、向いたら……)
 この前とは応えが異なっている。前回より冷たく思えた。
「じゃあな」
「ありがとうございました」
 トモが踵を返すと、聡子もくるりと向きを変えて駐輪場に向かった。
(嫌われたかな……)
 嫌われたも何も、好かれてもいないのに。
(もう、来てもらえないんだろうな……)
 涙が零れそうになる、
(わたし、最近よく泣くなあ……)
 家路を急いだ。

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