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第三章 懲悪する惡

第二話 アメールピコンハイボール

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 珍しく、朝の早い時間に男がマスターの店を訪れていた。

「マスター」

「なんだ?」

「”なんだ”は酷いな。今日は、依頼者を連れてきた」

「ふん」

 マスターは、男には顎で合図をして、奥のカウンターに座らせる。

 奥から二つ目の椅子に座る。真新しい、殆ど使われていない一番奥のカウンター席には、男が”RESERVE”の札を置く。

 男の後から入ってきた、男性は男の隣に座る。

 男性の前にマスターは、コースターを置いた。

「マスター。彼には、アメールピコンハイボールをお願い」

 マスターは男の注文を聞いてから、男性を見る。
 男性は、男の注文を聞かされていたのだろう。頷いて肯定する。

「わかりました」

「彼の会計は、僕のデポジットからでいいよ」

「わかった」

 マスターは、奥の部屋から、アメール・ピコンを持ってくる。
 ボトルを、男性の前に置いた。

 冷えたグラスに、アメール・ピコンを適量45ml注ぐ。グレナデン・シロップを3dash加えてから、ソーダでグラスを満たす。ビルドを行ってから、男性の前にグラスを置いた。

「バーテンダーさん。彼にも、同じものを、お願いします」

「わかりました」

 男性が、コースターの下に一枚の1万円札を置いているのに気が付いていた。

 マスターは、男性からの注文を受けて、男にもアメールピコンハイボールを作る。

「ありがとう」

 男の前に、出来上がったアメールピコンハイボールを置くと、男性がマスターに頭を下げる。

「マスター。彼は、このままでは、アメールピコンハイボールを飲めない。助けてあげて欲しい」

「珍しいな」

「うーん。今回は、彼にも責任はある。だから、彼を連れてきた」

「そうなのか?」

「うん」

 男は、飲み終わったグラスにSDカードを投げ入れる。
 マスターはグラスを片づけて、SDカードを取り出す。

 SDカードを読み取って、資料を開く。

 新聞の切り抜きと、男性の履歴が掛かれた資料が開いた。
 一通りを読み終えて、次の資料を開く。

 そこには、男性と女性が並んでいる写真があった。

「そうか・・・」

 マスターは資料を読み込んで、男性が女性の信頼を裏切る形になってしまったのだと悟った。

 資料を読み終わって、マスターがカウンターに戻ってきた。

「それで?」

 資料には、概要と現在の状況だけが書かれていた。
 男性が、産業スパイに情報を渡してしまった事が書かれていた。女性は、男性を信頼していた。同じ会社に勤めていて、違う部署だが、交流があった。実際に、恋仲にもなっていた。
 その時に、発生したのが産業スパイだ。最初、女性が疑われた。女性の部署の情報が流出して産業スパイの手に渡ったからだ。しかし、女性に掛けられた嫌疑はすぐに晴れた。男性が、自ら会社に名乗り出たからだ。自分が騙されて、端末を盗まれてしまったこと、盗まれた端末に彼女の情報が入っていて、そこから産業スパイが情報をハッキングしたのだとわかったからだ。

「貴方はどうしたいのですか?」

「マスター!」

 男は、慌てて、マスターを静止しようとしたが、マスターは手で男を制して、男性をまっすぐに見つめる。

「彼女の信頼を・・・。は、私が自ら誠意を持って行わなければならない」

「そうですね」

「でも、私から、端末を盗んだ奴が許せません」

「それは、警察の仕事では?」

「・・・。警察は動きません。盗んだ物は、拾得物として、警察に届けられています」

「ほぉ・・・」

 マスターは、男性を見る目線を逸らさない。
 男は、”しまった”という表情を一瞬だけ見せるが、すぐに普段の表情に戻る。マスターが、男性に突っ込んでくるとは思わなかった。この仕事は、男の組織としては動きにくい。しかし、断りにくい筋から仕事なので、マスターへの紹介までは行った上で、仕事を断る方向に持っていきたかった。そのために、マスターが仕事を受ける要素になりそうな情報は、載せなかった。

 マスターの声は、批判の声ではない。
 事情がわかって、男へのプレッシャーを与えるための声だ。男は、マスターの言葉の意味を正確に理解した。

「マスター。諸経費は、全部、こちらで負担する」

「わかった。それで?」

 マスターは、男性から視線を移動することなく、男の提案を承諾する。諸経費とは、マスターの報酬を含んだ金額を指す。男性には、解らないやり取りだが、マスターと男の中で成立した取引に変わった。

「それで?とは?」

 男性は、マスターの言葉を、質問で返した。
 褒められる行為ではないが、他に、聞きようがない。

「女性へのケアを、ご自分でやられるのなら、残っているのは、貴方から荷物を盗んだ奴に対する事柄だけです。なので、盗んだ奴を、どうしたいのか?です。貴方の話では、盗んだ相手はわかっているのでしょう?」

「はい。相手はわかっています。彼女の父親の弟・・・。叔父です」

「そうですか・・・。それで?」

「叔父は、そこまで頭のいい人ではありません。こんな産業スパイなんて事が思いつくとは・・・」

「その人物に知恵を授けた者がいると思うのですね?」

「はい。そんな人物が居たら、私も、叔父さんを許せると思うのです」

「わかりました。もし、叔父さんの単独だと判明した場合には?」

「その場合には、叔父に責任を取ってもらいます。叔父さんに知恵を付けた者が居たのなら、その者を・・・」

「殺しますか?司法に渡しても、起訴できるとは思えません」

「はい。なので、何らかの形で・・・。罪を・・・」

「わかりました。マスターにお任せします」

 男性は、まっすぐに見つめられていたマスターの視線が和らいだと感じた。
 実際に、鋭く睨むような視線は、和らいだのは事実だ。

 マスターはコースターの上に乗ったアメールピコンハイボールを男の前に置いて、新しく作ったアメールピコンハイボールを男性の前に置いた。

「ありがとうございます」

 男性は、今度はグラスを持ち上げて、マスターと男にグラスを掲げるような仕草を見せてから、一気に飲み干した。

「彼女と・・・。彼女の家族と、分かり合えるように頑張ってきます」

「わかりました。もう二度と、このバーの扉を潜る日が来ないことを祈っています」

 男性は立ち上がって、頭を深々と下げてから扉から出ていく、明るく日光が差し込む繁華街に出て行った。

 男性が、階段を上がる音がしなくなってから、マスターは男性が置いていった一万円札を、男に渡す。

「うん。処理は、いつもと同じでいい?」

「あぁ」

「わかった」

 男は、マスターから渡された一万円札を自分が使っている札入れには入れないで、持っていた別の封筒に大事にしまう。

「おい」

「はい。はい。せっかちな男は嫌われるよ?」

「いいから出せ」

「わかっているよ。でも、マスター。お願いだから、先走らないでね」

 マスターは、男から別のSDカードを受け取る。
 そこには、マスターが男性から聞いた話を裏付ける情報が書かれていた。

 そして、男性を騙した叔父に指南した人物が特定されていた。

 指南したと思われる男は、ある組織の下っ端だと推測されていた。その男を捕えて、組織との繋がりを調べる事が望ましいと閉められていた。

 そして・・・。

「おい」

「マスター。落ち着いて、ね。お願い。お願いだから・・・。落ち着いて!」

「大丈夫だ。俺は、落ち着いている。大丈夫だ」

「本当に?今から、飛び出そうとしているように見えるよ」

「そんなことはない。お前を殴りたい気持ちはあるが、まだ状況が不明確な段階で動いて、知られるわけにはいかない」

「うん。うん。マスターが冷静でよかったよ。だから、殴らないでね。殴ったら、殴った手も痛いよ」

「そうか?確認の為に殴っていいか?」

「ダメ。ね。マスター。お願いだからね」

「・・・。それで?」

「マスターが動くのなら、住処は突き止めている。どうする?」

「捕える」

「わかった。今日の、営業が終わったら行こう」

「わかった」

 男は、それだけいうと、帯が付いた札束をカウンターに置いた。

「追加しておく」

「うん。お願い」

 男は、残っていたアメールピコンハイボールを喉に流し込む。

「夜の帳が降りる頃に来るね」

「わかった。下町だから、相応しい恰好に着替えておいて」

「あぁ」

 夜に営業が終わってから、現れた男からマスターは一つの資料を渡された。
 資料には、下町で火事が発生して、焼け跡から身元不明の男性の焼死体が発見されたと出ていた。

「先に手を打たれたよ」

「そうか・・・」

 マスターは、アメールピコンハイボールを作って、1/3だけ注いだグラスを奥の席に、1/3を男の前に、そして残りの1/3を注いだグラスを持ち上げた。

 二人は、黙って液体を喉に流し込む。
 飲み終わったグラスを、奥の席に並べて置いた。
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