歴戦の勇者

北きつね

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誰かが僕を

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 この話は、バブル経済が弾けて3年が経過した頃の話だ。
 IT業界は、バブル経済の残滓を感じながら、消えゆく泡を追いかけていた。業界は冷え込みを予測していたが、人材の不足が顕著になってきていた。企業がこぞって経費を削減する為に、システムの導入を考える。
 システムを作る業界は、安い受注金額でシステムを作る必要に迫られていた。
 効率がいい開発を行うために、優秀な人材を集めていた。

 人材を求めて、業界が蠢いていた時。

 私は、チームリーダーになり、業務に伴う権限を拡大していた。目出度い事ではない。雑用が増えて、意味の無い会議や残業が増えた。それに反比例するように給料が減っていた。

 そんなある日、同じ会社の別の部署の人から相談を受けた。

 相談者は、A君の上司である。私の同期だ。
 このA君は、最近この業界に転職してきた.転職組で、転職前の職業は、営業を行っていたのである。

 相談は、A君の言動が最近”変”だと思われる事だ。
 意味が不明の言葉を、呪詛の様に呟いていたかと思うと、会議の内容を諳んじているらしい。

 このA君は、次の年度から私がまとめている部署に配置換えされることが決定していた。

 理由は、よくある話です。
 A君が所属していたチームのリーダーが引き抜かれて退社することが決定したのです。そして、リーダーが引き抜かれたのが、A君のチームが担当していた客先です。リーダーはチームの中から優秀だと思われる者たちを引き連れて、客先のシステム部門に移籍したのです。

 A君は、自分に声が掛けられなかったのは、自分が仕事のミスをしていたからだと勝手に思い込んで、落ち込んでいたようなのです。
 事実は、わかりません。しかし、A君の経験では、連れて行くのは難しいと判断されたと考えるのが妥当でしょう。連れて行くとなると、責任が発生します。

 A君は、直属の部下ではありませんが、私が管理している部署に配属されて、一つのチームを任される予定だったので、ここで精神が壊れてしまうのは困ってしまう状況です。A君の素質は、同僚から聞いています。
 A君は、確かに開発は出来ますが、客との折衝やトラブル時の応援要員としての素質があるように思えました。

 会社に申請して、A君への事例を早めてもらう事にしました。
 A君が所属するチームの解体が決まっています。主要なメンバーは引き抜かれます。ここで、会社がチームのメンバーを引き上げても、客は文句を言わないでしょう。仁義を欠いたのは先方なのです。A君たちの年度末までの予算まで先方に保証させました。これで、A君たち残留組は、客の予算で年度末まで他の部署で働けます。A君も同じです。私の部署は、少しだけ変わった部署なので、慣れるまでの時間が欲しかったので、渡りに船状態です。

 私は、正式には新年度から加わるA君を”部”の歓迎会に誘いました。
 話を聞く為です。その上で、A君が抱えている不安感を払拭するのが目的です。

 歓迎会の前に、打ち合わせを行いました。仕事の内容や、A君に期待することを伝えて、A君からの質問を受けました。
 問題になりそうな言動はなく、雰囲気も落ち着いていました。

 歓迎会でも大きな問題はなかったと思います。

 私も、A君と軽く世間話をしたのですが、他の者たちと同じように食べて飲みながら雑談に応じている。
 もしかして、部署が変わって、次の話が動いていることが解って安心したのかもしれない。

 歓迎会は二次会に突入した。
 私がよく行っている店を貸し切ってある。全員では店の広さが足りないので、二次会にセッティングをした。
 繁華街から少しだけ外れた路地にある店だ。焼き鳥が美味しい店だ。

 そこでも、A君は聞いているような発言はなかった。

 二次会は、結婚する者が合流したので、盛り上がった。終電の時間が近づいてきたので、解散することにした。繁華街でも、裏路地に属するような場所では、他の店は閉まるのが早い。

 途中で帰ってもよいとは伝えてはいたが、A君は、最後まで付き合っていた。

 私が会計を済ませて店を出ると、A君と各チームのリーダーだけが残っていた。私を入れて、6人で駅に向かうことになった。
 幸いなことに、全員が同じ駅からで、終電には余裕があるメンバーだ。

 暗くなった裏路地は、100メートルくらい続いている。

 それが悪かった。

 急にA君の様子が変わった。
 暗闇だが、繁華街だ。周りからの明かりで十分に見えるし、本当の暗闇ではない。

 しかし・・・。

 最初は、空耳かと思えるくらいに小さな声だった。

『やめろ!出ていけ!』

 しかし、次第に声が大きくなり、A君が頭を両手で挟むようにして、上を向いて怒鳴り始める。

『解る!俺には解る!隠れているのだろう!なんで、俺を、俺を狙う!俺の頭の中に入ろうとするな!』

『来るな!』

 大声を上げて走り出した。
 壁に当たって、道に散らばっている何かを蹴飛ばしながら走り始める。

 慌てて、A君を追いかける。

 10メートルくらいの場所で、今度は弱弱しい声で、”やめてくれ!俺は悪くない!悪くない!来るな!”と繰り返している。

 裏路地と言っても繁華街です。
 表通りまで距離があっても、人は居ます。

 A君の絶叫を聞いて、人が路地を覗き込みますが、酔っ払いの喧嘩かなにかだと思われたようです。

 うずくまってしまったA君を立たせて、歩かせようとしますが、数歩でまたうずくまってしまいます。

 そのうち、A君は呪詛のような言葉を呟き始めます。
 日本語ではないので、何を言っているのか判断ができない言葉です。

『(聞き取れない音)』

 ときおり、呟いていた言葉を天に向かって唱えるように絶叫します。

 A君が、別次元の何かに話しかけていると言われても信じてしまいそうな状況です。

 私たちが話しかけても無視している状況ではなく、私たちが認識されていないようにも感じます。
 リーダーの一人が近くの店から水を貰って渡し、受け取って飲みます。しかし、軽く頭を叩いても反応はない。立たせてもダメ。すぐに座り込んでしまう。

 そして、A君が座り込んでから10分くらいが経過した。
 何度か、立たせて無理矢理にでも歩かせた事で、路地に明りが差し込む場所にまで移動が出来た。

 明るい場所に来て、さてどうしようか考えていると・・・・。

「あれ?どうしました?」

「え?」

「大丈夫ですか?あっ、終電の時間が近いですね。僕は先に行きます。お疲れ様です。今日は、御馳走様でした」

 A君は普通に立ち上がって、唖然とする私たちに、挨拶をして走り去っていきました。

---後日談

 A君は、暗闇の事は覚えていなかった。
 私たちが固まっていたのは、終電が近いけど、飲みなおそうとしていると思ったが、自分は帰りたかったので、終電を理由に走り去りたかった。らしい。

 同僚に聞いたら、元の職場は節電の為に、残業時間になると電灯を消す習慣があったそうです。
 A君は、残る必要が無いのに、”皆が”残っていたので、残って作業を手伝おうとしていたようです。そんな事が繰り返されると、チームリーダーからA君は先に帰って良いと言われてしまいます。
 それがトリガーになってA君が問題になるような言動を発するようになった。

 後日、A君の現チームリーダーと社長と私とで、この話をしたのです。
 社長の見解は、それだけでは会社として対策を立てることは出来ない。本人が、気がついていない以上は、会社から何か言えるわけではない。

 A君は、親元から通っていたので、”親御さんなら何か心当たりがあるのではないか?”と、聞くことに決まった。A君が出社している時間に、親御さんに話を聞く為に会いに行きました。私は、参加しませんでした。社長と私の同期が話を聞くことにしたのです。

 その席上で、どんな話が交わされたのかは、知りません。知りたくもありません。

 私の同期とA君が同時に会社を辞めた事なら、話し合いの過程で何かあったのでしょう。

 今、A君が何をしているのかは知りません。
 風の噂で、この業界から足を洗って、別の業界に就職したと聞きました。

 その方がよいのでしょう。
 A君の今後を、A君が信じる神に祈る事にしましょう。
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