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五五、前夜
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修太朗は、その大きな手から伸びる長い指で、まだ小さなひなたの頬をなぞるように撫でていた。健やかに眠るひなたの無邪気な顔を見ながら、しづかの言葉を思い返していた。
「神は成長が遅いって言っていたな」
しづかによれば、人間の一歳になるために神はおよそ一〇年かかる。三歳になるのに三〇年、五歳になるのに五〇年かかるとのことだった。
「もうこの黄泉に来てから数年経つけど、見た目はまだまだ一歳児なんだよな」
その時、ユリの嫋やかな細い指が、修太朗が撫でている頬の反対側をなぞりだした。
「ですから、人間界に生まれた神は早世させて、親代わりの神が引き取り育てます。人間の寿命では神は育てることができません」
「確かに、そう言っていたね」
「……はい」
「そういえば、新右衛門とユリは再生して修太朗とユキになっていて……修太朗とユキは人間だから……」
「はい……事故がなくてもそのままだとひなたは早世していたでしょう……」
「ひなたが早世……」
「おそらく、死産したように見せかけて御霊は親代わりの神が引き取ったかと……」
修太朗は黙り込んでしまった。仮に事故がなくてもひなたが死産したことになると、修太朗とユキの間の大切な一粒種はこの手の中にはいなかったのである。そう思うと、胸を締め付けるような苦々しく切ない感情がこみ上げて、言葉が出なかったのである。
黙り込む修太朗にユリが囁く。
「……嫌だった、のです。離れたくなかった」
ユリの頬を一筋の涙が流れ落ちる。
「私は……修太朗さんを……だましていたのかもしれません。人間に再生すれば子がとられる。ならば、修太朗さんを黄泉に連れてくることが出来れば……残滓を残しておけば、次の世は、……我が子をこの手で抱けると……そして、夫とも一緒に居られると……」
ユリは大粒の涙を修太朗に隠しもせず流しながら、
「浅はかな女とお笑いください」
そう言うと、嗚咽をもらしだした。修太朗はユリの肩を抱き、背を撫でて言った。
「もし、自分がユリだとしても、同じことを考えただろう」
と。そして、
「それに、心残りがあるんだ」
と、ユリに言った。
「心残りですか?」
「新右衛門が言ってたよ。祝言を挙げていないって」
「私が地球に押しかけ女房をしに行って、そのままでした。そのうち陽日を妊娠しましたので、祝言などは忘れておりました」
「ユキとも結婚式を挙げてないんだ」
「そうなのですか?」
「式場の予約はしたんだけどね……コ〇ナウィルスが流行って、人が集まれなくなったからキャンセルして、そのまま何もせずに入籍だけ済ませたんだ」
「……そうだったのですね」
「だからユリ、約束だ。ユキの魂を取り戻したら今度こそ結婚式を挙げよう」
「……ありがとうございます、修太朗さん」
そう約束しながら、修太朗とユリはひなたを間に挟んで川の字になると互いに抱き合いながら静かに眠りについたのであった。
次の日の朝はいつもより慌ただしかった。出陣は正午、そこに向けて準備を進めていた。外に出て最後にユリが自宅を亜空間収納にいれた。更地になったその場所を修太朗は万感の思いを込めて眺めていた。
「修太朗さん、私もひとつ心残りがあります」
ユリが修太朗を見上げると、そう言い続ける。
「新右衛門様が大天狗にやられた日、私は妻として出陣前のまじないをすることができませんでした。それゆえに敗北されたのではないかと気に病んでおりました」
「……気に病むことではないかと思うけど」
「いいえ、妻としての勤めです」
そう言うと、修太朗に背を向けるように促した。
いつものように、右肩に軽く触れる気配がしてから、背後で「かちかち」と音がする。その後、ユリは修太朗といつもより長く口づけた。そして、
「この度は、『いってらっしゃいませ』とは申しません。どこまでもお供いたします」
そう言うと、艶やかな黒髪を見事に結い上げた日本髪に大きな白百合の簪をさし、華奢な体を修太朗とお揃いの絣の着物に身を包んだ愛すべき稀代の女剣聖は、ひなたを背負った修太朗の手に嬉しそうに指を絡めた。
その手を握りしめた修太朗は、
「どこまでもついてこい」
と、力強く頷き、その手を引いて歩き出したのであった。
「神は成長が遅いって言っていたな」
しづかによれば、人間の一歳になるために神はおよそ一〇年かかる。三歳になるのに三〇年、五歳になるのに五〇年かかるとのことだった。
「もうこの黄泉に来てから数年経つけど、見た目はまだまだ一歳児なんだよな」
その時、ユリの嫋やかな細い指が、修太朗が撫でている頬の反対側をなぞりだした。
「ですから、人間界に生まれた神は早世させて、親代わりの神が引き取り育てます。人間の寿命では神は育てることができません」
「確かに、そう言っていたね」
「……はい」
「そういえば、新右衛門とユリは再生して修太朗とユキになっていて……修太朗とユキは人間だから……」
「はい……事故がなくてもそのままだとひなたは早世していたでしょう……」
「ひなたが早世……」
「おそらく、死産したように見せかけて御霊は親代わりの神が引き取ったかと……」
修太朗は黙り込んでしまった。仮に事故がなくてもひなたが死産したことになると、修太朗とユキの間の大切な一粒種はこの手の中にはいなかったのである。そう思うと、胸を締め付けるような苦々しく切ない感情がこみ上げて、言葉が出なかったのである。
黙り込む修太朗にユリが囁く。
「……嫌だった、のです。離れたくなかった」
ユリの頬を一筋の涙が流れ落ちる。
「私は……修太朗さんを……だましていたのかもしれません。人間に再生すれば子がとられる。ならば、修太朗さんを黄泉に連れてくることが出来れば……残滓を残しておけば、次の世は、……我が子をこの手で抱けると……そして、夫とも一緒に居られると……」
ユリは大粒の涙を修太朗に隠しもせず流しながら、
「浅はかな女とお笑いください」
そう言うと、嗚咽をもらしだした。修太朗はユリの肩を抱き、背を撫でて言った。
「もし、自分がユリだとしても、同じことを考えただろう」
と。そして、
「それに、心残りがあるんだ」
と、ユリに言った。
「心残りですか?」
「新右衛門が言ってたよ。祝言を挙げていないって」
「私が地球に押しかけ女房をしに行って、そのままでした。そのうち陽日を妊娠しましたので、祝言などは忘れておりました」
「ユキとも結婚式を挙げてないんだ」
「そうなのですか?」
「式場の予約はしたんだけどね……コ〇ナウィルスが流行って、人が集まれなくなったからキャンセルして、そのまま何もせずに入籍だけ済ませたんだ」
「……そうだったのですね」
「だからユリ、約束だ。ユキの魂を取り戻したら今度こそ結婚式を挙げよう」
「……ありがとうございます、修太朗さん」
そう約束しながら、修太朗とユリはひなたを間に挟んで川の字になると互いに抱き合いながら静かに眠りについたのであった。
次の日の朝はいつもより慌ただしかった。出陣は正午、そこに向けて準備を進めていた。外に出て最後にユリが自宅を亜空間収納にいれた。更地になったその場所を修太朗は万感の思いを込めて眺めていた。
「修太朗さん、私もひとつ心残りがあります」
ユリが修太朗を見上げると、そう言い続ける。
「新右衛門様が大天狗にやられた日、私は妻として出陣前のまじないをすることができませんでした。それゆえに敗北されたのではないかと気に病んでおりました」
「……気に病むことではないかと思うけど」
「いいえ、妻としての勤めです」
そう言うと、修太朗に背を向けるように促した。
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「この度は、『いってらっしゃいませ』とは申しません。どこまでもお供いたします」
そう言うと、艶やかな黒髪を見事に結い上げた日本髪に大きな白百合の簪をさし、華奢な体を修太朗とお揃いの絣の着物に身を包んだ愛すべき稀代の女剣聖は、ひなたを背負った修太朗の手に嬉しそうに指を絡めた。
その手を握りしめた修太朗は、
「どこまでもついてこい」
と、力強く頷き、その手を引いて歩き出したのであった。
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