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少年篇

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 稲穂畑を抜け、小川を渡り、東に進むと大きな壁で囲われた街が現れる。ここは、バロール帝国の首都モン・サ・ラ・ピテロと呼ばれる城塞都市。バロール帝国は、グローリア大陸の4分の1の地域を領地とする軍事国家だ。僕たちの村も、リオが働く鉱山も、すべてバロール帝国の領地だ。そのため、僕がここで商売をやる許可をもらうのは、簡単である。


「よう、クルト。今日も駄賃稼ぎか?」


 街へ入る西側の橋にある検問待ちの行列に並んでいると、不意に後ろから声を掛けられる。振り返れば、大きな袋を何個も携えた青年が立っていた。僕より50センチは高い長身で、服の合間からは、細身の割に筋肉がしっかりとついているのが伺える。短く整えられた茶色の髪は、自分で整えていると自慢されたこともあった。人から好かれる愛嬌の良いサファイアの瞳は、その奥に情熱を飼っている。彼の名前は、ルーク。街と街を渡り歩く行商人である。


「ルーク兄。駄賃なんて言い方、やめてくれよな。僕だって本気で稼ぎに来てるんだ。」


 そりゃあ、帝国領地すべてを渡り歩く凄腕の行商人には敵わないけれど。分かりやすく眉を顰め、むすーっとした態度をとれば、さらにカラカラとした笑顔でルークは続ける。僕は、ルークが苦手である。顔を合わせれば、いつもこうやってからかってくるんだ。


「なーに言ってんだ。毎回売れ残っては泣きべそかいて、かぁちゃんのところに逃げ帰ってるくせによ」


がしがし、と頭を撫でくりまわされ、僕は声を上げる。


「もう!やめろよ!!僕はいつまでもお子様じゃないんだぞ!」


「たかが10年ちょっとしか生きてない分際で、もう大人気取りか!」


あはは、と大きな声でルークが笑えば、列に並んだ他の大人たちもみな笑う。悔しい。僕の身長があと10センチでも高ければ、その顔に一発パンチでも食らわせられるのに。むきき、と膨れながらルークの腰に頭突きを繰り返す僕に、急にルークが笑顔を消す。何、と問う間もなく、ルークの声が響いた。


「クルト。人生なんて、子供でいられる時間の方が圧倒的に短いんだ。甘えられる場所、帰る場所がある内に沢山遊んでおけよ。」


 先ほどとは違う、優しい手つきで頭を撫でるルーク。僕はルークが苦手だけど、嫌いじゃない。周りの行商人に比べて若く、見た目もかっこいいルークはみんなの憧れで。なぜか僕にだけすごく意地悪なのに、皆には優しいし。だけど、そんな優しさもなんか擽った過ぎて、僕は頭に乗せられた手を退かしながら聞く。


「それよりさ、僕もルーク兄みたいに沢山客が欲しいんだ。どうすればそんなに人が集まるんだ?」


 いつもなら、そのままルークから逃げてまわる僕だけど、今日はリオのこともあって、前に進みたい気持ちが大きかった。野菜を売り切れるヒントがルークからもらえないかと、ダメ元で尋ねてみる。


「ああ、商売のコツか。あんまり教えたくないんだけどな…。」


 その顔には、嫌悪感はなく、むしろ少し嬉しそうに綻んでいる。これは…、押せばいけそうだな。


「お願い!世界で一番かっこいいルーク兄ちゃん!!」


 いままでルークには見せたことのないキラキラの笑顔で、指を顔の前に組み、おねだりポーズをとる。恥ずかしいけれど、大人にいうことを聞かせる媚び顔は、母からリオと遊ぶ許可を得るために、何度も練習したのだ。まぁ、コーチであるリオの方が何倍も上手なのだが。


「し、仕方ないなぁ。そこまでいうなら少しだけ…」


 よっぽど、頼られて嬉しいのか、顔を真っ赤にさせたルークは、俺の耳元までしゃがみ、ひそひそ声でいう。ルークの荷物で僕たちの姿が隠れて、良い感じの壁になる。


「いいか。まず最初に新しい客をとること。そのためには人とは違うことをするんだ。取り敢えず、目立て。インパクトを与える様な事や、客の利益になる事を必死に見つけて、アピールする。」


 目立つ。例えば、場所を工夫するとか、宣伝をうまくやる、とか、珍しいものを仕入れる、とかそういうことだろうか。


「ふんふん、それで?」


「次に、その客を定着させる。そこで大事なのが、品質の向上だな。ずっと同じじゃ飽きちまうし、品質がおちれば客はいなくなる。この店で買えば大丈夫っていう安心や信頼を買わせるんだ。」


「それは、自信がある!僕の母さんが作る野菜は、世界で一番おいしいからね!」


 一度手に取ってもらえれば、食べてもらえれば、この野菜の良さが伝わるはずなんだ。自信満々に答える僕に、ルークも嬉しそうに笑う。


「そうか!なら、まずは新規の客だな!」


 頭を使って考えろよーと、また僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。もう、とルークの顔を見れば、しゃがんでいるせいで絡みつく視線に、なんの文句も言えなくなった。サファイアの瞳が、なぜかとっても悲しい色に見えてしまったから。僕の頭を杖替わりに立ち上がるルークに、僕は小さく問いかけた。
 
「…ねぇ、ルーク兄は、どんな方法で新規のお客さんを見つけてたの?」


「それは…」


 少し困った様に、頬っぺたを掻くルーク。そして、急にパッと笑顔になったかと思うと、僕の身体をくるり、と半回転させる。と、もう間近に迫った検問所が現れた。


「時間切れだな。」


 少し勝ち誇った様に、ルークが言う。この後、ルークは貴族との謁見があるらしい。街に入れば、既に使者が待っていることだろう。市場にいく僕と話している暇なんて無いのだ。


「次の人」


 ぶっきらぼうな憲兵のおじさんの声が、ルークとの時間の終わりを告げる。ルークは早く早く、と僕を検問所へ推し進める。


「えーーー。いいところだったのにぃ」


 後ろ髪引かれるように、ルークにぶつくさ言いながら、荷物のチェックを受け、検問所を通過する。多少の名残惜しさを残しつつ、僕は街へと足を踏み入れた。


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