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第18章 幸せの定義

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暮れも押し迫った師走の半ば、暗い話が続いていた新選組に吉報がもたらされた。

新選組局長、近藤勇とお孝の間に女の子が誕生したのである。


寒空の下、醒ヶ井の邸宅には赤子の泣き声が響き渡る。

産湯につかった赤子は自分の存在を誇示するようにギャアギャアと泣き叫び、

手足をバタつかせては薫の着物を濡らした。

薫の腕の中に納まった皺だらけの赤子をお孝の前に差し出すと、お孝は目だけを赤子に向け微笑んだ。

「お孝ちゃん、おめでとう。」



医療体制の充実した現代社会と異なり、この時代のお産は文字通り命懸け。

無事に生まれた後も乳児の死亡率を考えると油断はできない。

産婆さんから産後の経過に関する注意書きを受け取ると、薫は早速その通りに家事をこなしていく。



「薫さん、何から何まですみません。」

「いいの、気にしないで。お孝ちゃんはしっかり休んで。」

はい、というか細い声が部屋から聞こえてから暫くすると、寝息が聞こえてきた。

八木家の女将さんの話では出産してから一週間、母親は寝てはいけないという風習があるらしかったが、

薫とお孝の二人しかいない今、薫はそっとしておくことにした。

赤ちゃんも疲れたのか、すやすやと眠っている。

顔を向き合わせて眠る二人は親子と言うよりむしろ姉妹のような姿だ。



私よりもうんと若いのに、お孝ちゃんは立派な子供を産んだのね。

もしこんな所にタイムスリップしてこなかったら、今頃私にも子供がいたのかな。

もし新選組に居なければ、私は…。

安定した職についた男性と結婚して子供を産み育てることが女の幸せだと現代でも言われていたけれど、

「東雲薫」としての幸せは一体何なのだろうか。

考えても仕方がないとわかっているものの、もしも、もしもと色んな考えが浮かんでは消えていく。



「お孝でかしたぞ!」

俄かに玄関先が騒がしい。

どうやら、知らせを聞きつけた近藤が屯所から急いで戻って来たようだ。

薫は眠っていたお孝を揺り起こすと、お孝に赤子を持たせた。

「勇さん・・・。女の子でした。」

「なんて可愛らしい子なんだ。」

部屋にやって来た近藤は一目散にお孝の元に駆け寄って赤子の顔を覗いた。

「鼻は勇さんにそっくり。」

「ぱっちりな目はお孝に似たな。」

互いに顔を見合わせ笑う二人の様子に自分はどこか不釣り合いな気がして、薫は静かに部屋を辞した。



お茶を淹れないと。

そのためには、まずお湯を沸かさなきゃ。

そう、私には私の役目がある。

同じ現代からやって来たお孝の姉貴分として。

新選組賄い方として。

副長の腹心として。



なのに、どうしてだろう。

赤ちゃんとお孝ちゃんと近藤先生の仲睦まじい姿を見ると胸の奥がざわざわする。

黒い何かが薫の心に沈んでいくのを感じる。

本当は嬉しいはずなのに。

喜ばなければいけないことなのに。



「薫君?」

いつの間に台所に現れていたのか、近藤に名前を呼ばれてようやく我に返った薫は

鍋が噴きこぼれそうになっているのを慌てて防ぐ。

「す、すみません。考え事をしてました。」

「お孝につきっきりで世話をしてくれて本当に助かったよ。礼を言う。」

近藤が余りにも深々と頭を下げるので、頭をお上げください、当たり前のことをしたまでです、と答えた。

「思えば、行く当てがないからとはいえ、薫君には苦労を掛けっぱなしだな。」

「私が好きで選んだ道です。」

後悔はありません、と付け加えれば近藤は豪快に笑い声を上げた。

「君は本当に、武士そのものだな。」

言葉とは不思議なもので、近藤のたった一言で先ほどまでの暗い感情が吹き飛んでいく。



そうだ、私は誠を貫くと山南先生に誓ったのだ。

どんなことがあっても、歳三さんの傍に居ると。



「だが、薫君が望むならトシと夫婦になってもいいんじゃないか。」

近藤からの突然の提案に、手にしていたお茶筒を落としてしまい、

深緑色の茶葉が台所の地面に散らばってしまった。


「し、失礼しました。今、片付けます。」

動揺を隠すことはできないまま、薫は箒を取りに行こうと勝手口に向かって駆け出そうとした。

「トシは頑固で天邪鬼の所もあるが、薫君を大事に思っている気持ちは誰よりも強い。」

薫の背中に投げかけられた近藤の言葉に足が止まる。

「薫君だって同じだろう。」

「副長のお傍に居られればそれでいいんです。」

「だったら…!」

「私は河合さんの首をはねました。」

土方歳三という男の正義と誠を貫くために、刀を手にした時点で女の幸せを望むことは許されないのだ。

「薫君!」

近藤は薫の前に立ちはだかり、両肩を掴んで言った。

「トシは頑固だ。きっと私がこの話を彼にしたところで、駄目だとつっぱねるだろう。

でも、トシだって薫君だって心のどこかでそれを望んでいるんじゃないのか。」

近藤の真っすぐすぎるほどの瞳を薫は直視することができなかった。

「考えてみます。」

それだけ言うと、薫は土色の地面に散らばったお茶葉を片付け始めた。

近藤もそれ以上、薫に詰め寄ることはなく、お孝のいる部屋へ戻って行った。



かつて江戸へ下った折に、歳三の姉・ノブから言われたことが思い出される。

―世の中が落ち着いたら、ちょっと考えてみてほしいの。―

平穏な時代が訪れるのは、土方や近藤が死んだ後の世界。

きっと、薫と土方が幸せになることを時代が許してはくれないだろう。



「折角良い宇治茶だったのに。」

土にまみれた茶葉はもう使い物にならない。

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