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第16章 終わりの始まり
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しおりを挟む「断る。」
珍しく土方の部屋を訪れた伊東の提案は内海の予想通り、土方によって却下された。
「君だって知っているだろう。此度の戦は御公儀の負けだ。」
「まだ負けていない。戦が長引けば征伐軍に有利だ。」
「果たしてそうかな。米の値段は高騰し大阪では既に打ちこわしが起きていると聞く。」
「御公儀が…負けるなどあってはならんのだ。」
「現実を受け止めるのだ!土方君!!」
伊東の怒号が部屋に響き渡る。
静まり返った部屋の中で土方は膝の上で拳をわなわなと震わせた。
「君が一番理解しているはずだ。
このまま戦が長引けば打ち壊しや一揆が起こり、御公儀は戦もままならぬ状況に追い込まれる。
これまでのように将軍家だけで国を動かすことは不可能だ。」
「だからと言って、何故薩摩におもねる必要がある。
我々は会津藩御預かりだ。」
「以前にも話したように、これからの政事は御公儀だけで決めるのではない。
天子様を中心に長州や薩摩、会津といった力のある勢力も一緒に政事を進めていくのだ。
次に打つ手は薩摩や土佐といった雄藩と繋がりを持つこと。
東雲君は以前に西郷殿に面会したツテもある。
此度の役目に東雲君以上の適役はいない。」
風が変わり始めていることを一番実感しているのは土方だった。
見廻りから戻った組長からの報告によれば、
米の値段は跳ね上がり、世直しと称した強奪が横行しているという。
更には京に程近い神戸の開港を巡って諸外国からの圧力、朝廷との折衝についても上手くいっていない。
全ての懸念を払拭できるほどの力を幕府は既に持っていない。
にもかかわらず、役人達はハリボテの権力を笠に着て醜態を晒し続ける。
幕府に対し何の希望も持てないのは土方も同じであった。
「しかし、薩摩は長州と手を組んだという噂もある。
あいつらは腹の中で何を考えているのかわからん。」
「では、私が確かめて参りましょう。
東雲君は間者としての経験も豊富で、きっと有用な情報を得られるはず。」
苦肉の反論が伊東に見事に論破されると、土方は苦虫を潰したような表情を浮かべた。
「わかりました。
東雲の帯同を許しましょう。
だが、今回限りだ。」
「貴方ならわかってくれるはずだと思っていましたよ。」
微笑む伊東を尻目に、土方はぬるくなったお茶を一気に飲み干した。
障子に人影が映り、土方の部屋の前で止まった。
静かに障子が開けられると、現れたのは渦中の薫だった。
「すみません、大事な話をされていたんですね。失礼しました。」
「待て。お前に話がある。」
障子を閉めようとする薫の手を土方が制する。
ここへ座れと言わんばかりに、土方は顎で畳を示した。
伊東も居合わせる中、一体何の用事だろうと不思議に思いながら示された場所に薫は正座した。
「伊東と薩摩の連中に会いに行け。」
「え?」
「一度山南さんと行っただろう。
お前がいれば顔が効く。」
「でも、」
薫はいいのですか、という意味を込めて伊東の方を一瞥した。
ことあるごとに反駁した相手である伊東と土方が手を組むということが想像もつかない。
「新選組の行く末を決める大事なお役目だ。
君以外に適任者はいない。」
伊東は眩しいほどの笑顔を薫に向けた。
世の女性達が見れば卒倒するかもしれないが、薫は複雑な心境でその笑顔を受け止めた。
「薩摩は長州と手を結んだという噂もある。
用心してかかれ。」
「わかりました。」
「では、これにて。」
伊東は薫君よろしく頼むよ、と言い残して土方の部屋を去っていった。
残された二人は人形のように固まっていた。
ちらちらと土方の方を見れば苛立っているのか、眉間に深い皺が寄っている。
どうして話を受けたのですか。
土方に尋ねたかったが、聞いて教えてくれるような雰囲気ではない。
薫は諦めて賄いの仕事に戻ろうと、畳から立ち上がった。
「お前は薩摩をどう見る。」
「どうって…。」
薫は返答に窮した。
薩摩は既に長州と手を結んでいます。
そして、幕府を裏切り将軍も大名もない、真新しい近代政府ができるんです。
答えは分かりきっているのに、知らないふりをするなんて
まるでカンニングをしているような罪悪感に苛まれる。
今この瞬間を生きる人に未来を伝えることはその人の生き様を冒涜するようなものだ。
「薩摩は、風を見極めようとしているのではないでしょうか?」
「風?」
「風が変わり始めている、と夢の中で山南先生が教えてくれました。」
ふっ、と土方は笑みをこぼす。
「うまいことを言うもんだ。」
わずかに開いたままの障子の隙間から覗く朧月が乾いた笑いを浮かべ座る土方の姿を照らしていた。
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