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第16章 終わりの始まり

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祭の出店で買った金魚柄の風鈴が心地よい風に吹き誘われて、カランカランと音を鳴らす。

照りつけるような夏空の下、均等にわけられたスイカの実が青い陶磁器の皿に行儀良く並べられている。

中庭に面した廊下には一人男が腰掛けていた。


薫はその姿を認めるや、男の名を呼ぶ。

自分の名前を呼ばれていることに気づいていないのか、

男は庭に咲いた青紫色に染まる桔梗の花を眺めたままだ。


「スイカ召し上がらないんですか、山南先生。」


山南の横に腰掛けると、薫は皿のスイカを一つ手に取ってかぶりついた。

淡い甘さが口の中に広がる。


「今は目で楽しみたい気分なのです。」

ようやく山南は薫の方に向き直り、腕を組んで微笑を浮かべた。

美味しそうにスイカを頬張る薫をまるで父親のように見守っているかのようだ。


「こんなに美味しいのにもったいない。」

薫はまた一口スイカをかじる。

「皆は元気にしていますか。」

「元気です。

近藤先生は胃痛持ちですけど、薬を飲んで何とかなっているみたいだし。

副長は副長で相変わらずだし、沖田先生はいつも摘み食いするし、

原田先生は子供が産まれたのに島原通いやめないし。

井上先生は少し老けましたかね。

永倉先生は一人でいることが増えて、」

藤堂先生は、と口にしかけて止めた。

近頃の藤堂はあまり元気がない。

原田や永倉と一緒にいることはめっきり減ってしまったし、

伊東の側にいるときもどこか苦しそうな表情をしていることが多い。

「藤堂先生は、二人の師匠の狭間で苦しんでいます。」

薫の言葉を聞いてもなお、山南は笑顔のままだ。

二人の間に沈黙が広がる。


「薫君。風が変わろうとしています。」


唸るような音を立てて強い風が二人を襲った。

砂埃が舞い上がり、目の前にいるはずの山南の姿を捉えることすら難しい。

薫は腕で顔を覆いながら、必死に山南の顔を見ようとした。


「あなたは土方君の側にいてください、どんなことがあっても。

これが師として貴方に言える最期の言葉です。」


砂埃に覆われていく山南を引き止めようと薫は腕を伸ばした。

しかし、その腕が男の姿を捕らえることはついになく、気がついた時には真夜中の部屋の中にいた。



どうやら、夢であったらしい。

そう気づいたのは眼前に遥の顔が現れたときだった。

布団から起き上がり心配そうにこちらを見つける遥の姿があった。


「薫さん、うなされてましたけど大丈夫ですか。」

「お孝ちゃん、大丈夫。」


遥は深雪大夫の妹として「お孝」の名を名乗っている。

深雪大夫が最期に託した名を遥は受け入れ、この時代を生きていくことにした。

そして、「お孝」のお腹には今新たな命が宿っている。

安定期に入ったお孝の身を案じて、屯所に詰めなければならない近藤の代わりに薫が面倒を見ていた。


「大好きな人が夢に出てきたの。」

薫は瞼を閉じて先ほどまで見ていた夢の中身を反芻する。


「起こしてごめんね。もう一眠りしましょう。」

薫は優しくお孝の体に触れると赤子をあやす様にトントンと拍子をとった。


授業では一行にすぎない歴史上の出来事が今、自分の身に降りかかろうとしているのだ。

到底一行では済まされないほどの血とこの身を引き裂くほどの辛い別れが。


薫は不安を振り切るように強く瞼を閉じて、深い深い眠りの中に落ちていった。
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