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第15章 前世と来世

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伏見は大坂と京都を川でつなぐ渡し船の要所。

今日も伏見は川岸を行き交う人々でごった返している。

川岸で待ち合わせては顔の知らない者同士では見つけられないからと、

土方が寺田屋に一室間借りしていたようだ。


寺田屋の暖簾をくぐろうとした矢先、薫はある男の声で足を止めた。

「こいは、奇遇でごわす。」

野太い、男の声。

足音を立てず歩く所を見ると、やはりこの男は余程の使い手なのだとうかがい知れる。

「中村殿。」

薩長同盟は既に成立したのだろうか。

歴史に疎い薫にはわからなかったが、いずれこの男は敵になるのだ。

用心するに越したことはない、と薫は笑顔を浮かべつつも男の一挙手一投足、間合いですら敏感になる。

「わざわざ伏見まで何か大事なお役目でごわすか。」

「まさか、只の雑用ですよ。」

「おはんは先生方に気に入られている様子じゃっで、てっきり大事なお役目かと。」

「ただの一隊士です。気に入られていることは決して…。」

ありません、という薫の言葉は中村の囁きにより遮られた。

「わざわざ女子の格好をしてまで、近藤先生のお傍におられるほどに。」

ドキリ、というまるで漫画の擬音のような音を立てて、薫の心臓は跳ね上がった。

否定しなくてはと言い訳がましい言葉を探したが、鋭い中村に通用するような答えは見つからない。

「また酌をしてくいやんせ。」

それだけ言って、中村は薫の返事を聞くより前に人ごみの中へ消えた。

薫はやり場のない悔しさを下唇に押しつけ、人ごみを睨みつけた。

今の薫にできる精一杯の抵抗であった。


改めて寺田屋の暖簾をくぐると、深雪太夫とその連れは既に伏見に到着していたらしく、

薫は女将のお登勢の後ろをついていく。

スッと開かれた障子の先に凛とした美しい女性が部屋の中央に座っていた。

花君さん姉さんと同じような品のある佇まいだ。

「これは、近藤先生の使いの方。」

隣に座る初老の男性が深々と頭を下げたのに対し、

深雪太夫はこちらに目線をやるだけで頭を下げることはなかった。

しかし、口元を柔らかく緩ませ、微笑んでいる。

その笑顔が同性であるはずの薫でさえ一瞬で絆されるほど、可愛らしかった。

それが深雪太夫という女の武器だった。

生きるか死ぬかのやり取りが繰り広げられる日々の中で殿方に癒しを提供してきた。

そして、その癒しはこれからずっと近藤だけのものになるのだ。

近藤の心中は如何ばかりかと、薫は思わずにはいられなかった。


「お初にお目にかかります。

会津藩お預かり新選組副長小姓の東雲薫と申します。」

「新選組ゆうたら、強面の人たちばかりやと思てましたけど、そうやないんやなぁ。」

初老の男性は拍子抜けしたのか、思わず本音がこぼれてしまったようだ。

「東雲先生に失礼やで。」

深雪太夫は口調こそ柔らかかったものの、ぴしりと連れの男を窘める。

深雪太夫の反応が意外だったのか、男もそれ以上は何も言おうとはしなかった。



「駕籠を用意しております。

深雪太夫には、そちらに乗っていただいて近藤先生の休息所まで来ていただきます。」

「お幸、です。」

薫の瞳を深雪太夫はしっかりと捉えた。

まるで、仕合っているかのような、真剣な眼差しだ。

しかし、男性のそれとは違い、口元の柔らかさがそれを打ち消す。

「もう身請けされたさかい、うちはお幸です。」

ほな、旦那はん、失礼します、と連れの男に頭を下げると、お幸は立ち上がって薫の後ろについた。



薫は休息所へ向かう道すがら、お幸と他愛もない話をした。

他愛もない、というにはお幸の人生は余りにも壮絶だったが。

それでも、暗い気持ちにならずに話を聞けたのは、お幸の持前の明るさのおかげかもしれない。

「お父上はお家騒動に巻き込まれ、お取り潰しに。

兄妹を食べさせるには私が売られるしか他になかったのです。」

それでも、とお幸は続ける。

「近藤先生に見つけていただいて、私は果報者です。」

伏し目がちに話すお幸は気品がありながらも、妖艶であった。


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