99 / 154
第14章 誠と正義と
15
しおりを挟む
いつものお勝手。
薫が台所に立つよりも早く、お手伝い衆の方が先に食事の支度を始めているようだ。
「先に準備ありがとうございます。」
東雲殿、と振り返って薫を見たのは、今は亡き安藤早太郎だった。
「安藤さん?」
いるはずのない人が台所に姿を見せたことで、薫の足は止まった。
「こちらに来てはなりませぬ。」
「どうして?」
違う方から足音がして、もう一人の男の人影が現れた。
「貴方がここにいるのは、死ぬ前に私が貴方を恨んだせいでしょう。」
その人影は先ほど薫が命を絶った河合のものであった。
「河合さん。」
「私があの時貴方に相談していなければ。
私がお手伝い衆でなければ、とね。」
でも、と河合は続ける。
「もうすべて終わったことです。」
河合は、竈の中に吸い込まれていく。
「お行きなさい、東雲殿。
副長を悲しませてはいけませんよ。」
薫は得心がいった。
安藤は、河合を迎えに来たのだ。
竈はきっと死出の門。
そして、私は死と生の瀬戸際にいるのだ。
薫は安藤が竈に吸い込まれていくのを見守るや否や、台所と反対方向に全力で駆けた。
安藤に助けられた命だ。
まだ、死ぬわけには行かない。
無我夢中で走っていると、意識が遠のき、気づけば布団の上だった。
見慣れた杉の木目の天井。
現代のマットレスが恋しくなる敷布団。
五感で感じる全てが薫に生きている実感を与えた。
戻って来たのだ、幕末に。
薫は、布団の中で手を結んだり開いたり動かした。
私は、生きている。
「ようやく目が覚めましたか。」
声のする方を見ると、布団の横に座る沖田の姿があった。
「私は…」
はっきりしてきた頭でこれまでの経緯を思い出す。
そうだ、私が河合さんの介錯を務めたのだ。
骨を断つときの鈍い感触が、薫の手に未だ残っている。
副長に報告しなければと、布団に手をついて体を持ち上げようとしたが、
沖田に制され再び薫の体は布団の上に収まった。
「何日も眠っていたのです。急に体を動かすのは良くない。」
「でも…。」
「土方さんなら、来ませんよ。」
沖田は冷たくそう言い放った。
どうして、と問い詰めたかったが、
それは沖田を傷つけるような気がして寸での所で抑えた。
きっと隊務で忙しいのだ。
夜になればきっと顔を出してくれるはずだ。
「粥を食べてください。」
沖田の温かい手が薫の背中に回された。
そして、空いている片方の手で匙に注がれた一口分のお粥を薫の口の中に流し込む。
ドロリとした液体とも固体とも似つかない塊が体の中を通っていくことを感じた。
薫が喉を鳴らしてごくりとお粥を飲み込んだのを確認すると、
沖田の顔は少しだけ綻んだ。
「見事な介錯でした。」
沖田の言葉に、その瞬間がフラッシュバックする。
薫が刀を振り下して浴びた血飛沫。
鈍い音を立てて落ちる首。
落ちた首が薫の方を見ている。
河合の目には無念が込められているような気がした。
薫を憎む目。
恨めしい目。
「うあああああ!」
薫は髪をかきむしるように頭を両腕で抱え込む。
「か、薫さん!」
発狂する薫を抑えることは沖田にはできなかった。
どんなに抱きしめても、薫は取り乱したままだ。
そのとき。
障子が勢いよく放たれた。
戸惑う沖田を薫から引き剥がし、命一杯の力で薫を抱きしめる。
すると、突然薫は落ち着きを取り戻したのである。
「薫。」
「歳三さん…。」
乱れていた薫の呼吸も、段々と穏やかなものになっていく。
「すまなかった。」
薫にだけ聞こえるような小声で土方は囁いた。
「私は私のすべきことをしたまでです。」
隊の結束のため、河合さんに詰め腹を負わせるというのなら、
河合さんの介錯を請け負う。
土方が鬼になるというのなら、私も鬼になる。
それが薫の覚悟だった。
その光景を見せつけられ、沖田はその部屋から退出する他なかった。
「目を覚ましたか。」
廊下の柱に背を預けて庭を眺める齋藤が部屋から出てきた沖田に声を掛けた。
「こんな思いはもうしたくありません。」
「嫉妬か。」
「違いますよ。
薫さんに人を斬る方法を教えてしまったことを後悔しているのです。」
沖田は普段と変わらない笑顔を浮かべたが、どこかぎこちない。
「何故だ。」
「人を斬るのは私だけでいい。」
そよ風が廊下を吹き抜けた。
後ろにまとめられた沖田の髪が風で揺れる。
「人はそれを恋と呼ぶ。」
齋藤は独り言のように呟き、そしてどこかへ消えた。
薫が台所に立つよりも早く、お手伝い衆の方が先に食事の支度を始めているようだ。
「先に準備ありがとうございます。」
東雲殿、と振り返って薫を見たのは、今は亡き安藤早太郎だった。
「安藤さん?」
いるはずのない人が台所に姿を見せたことで、薫の足は止まった。
「こちらに来てはなりませぬ。」
「どうして?」
違う方から足音がして、もう一人の男の人影が現れた。
「貴方がここにいるのは、死ぬ前に私が貴方を恨んだせいでしょう。」
その人影は先ほど薫が命を絶った河合のものであった。
「河合さん。」
「私があの時貴方に相談していなければ。
私がお手伝い衆でなければ、とね。」
でも、と河合は続ける。
「もうすべて終わったことです。」
河合は、竈の中に吸い込まれていく。
「お行きなさい、東雲殿。
副長を悲しませてはいけませんよ。」
薫は得心がいった。
安藤は、河合を迎えに来たのだ。
竈はきっと死出の門。
そして、私は死と生の瀬戸際にいるのだ。
薫は安藤が竈に吸い込まれていくのを見守るや否や、台所と反対方向に全力で駆けた。
安藤に助けられた命だ。
まだ、死ぬわけには行かない。
無我夢中で走っていると、意識が遠のき、気づけば布団の上だった。
見慣れた杉の木目の天井。
現代のマットレスが恋しくなる敷布団。
五感で感じる全てが薫に生きている実感を与えた。
戻って来たのだ、幕末に。
薫は、布団の中で手を結んだり開いたり動かした。
私は、生きている。
「ようやく目が覚めましたか。」
声のする方を見ると、布団の横に座る沖田の姿があった。
「私は…」
はっきりしてきた頭でこれまでの経緯を思い出す。
そうだ、私が河合さんの介錯を務めたのだ。
骨を断つときの鈍い感触が、薫の手に未だ残っている。
副長に報告しなければと、布団に手をついて体を持ち上げようとしたが、
沖田に制され再び薫の体は布団の上に収まった。
「何日も眠っていたのです。急に体を動かすのは良くない。」
「でも…。」
「土方さんなら、来ませんよ。」
沖田は冷たくそう言い放った。
どうして、と問い詰めたかったが、
それは沖田を傷つけるような気がして寸での所で抑えた。
きっと隊務で忙しいのだ。
夜になればきっと顔を出してくれるはずだ。
「粥を食べてください。」
沖田の温かい手が薫の背中に回された。
そして、空いている片方の手で匙に注がれた一口分のお粥を薫の口の中に流し込む。
ドロリとした液体とも固体とも似つかない塊が体の中を通っていくことを感じた。
薫が喉を鳴らしてごくりとお粥を飲み込んだのを確認すると、
沖田の顔は少しだけ綻んだ。
「見事な介錯でした。」
沖田の言葉に、その瞬間がフラッシュバックする。
薫が刀を振り下して浴びた血飛沫。
鈍い音を立てて落ちる首。
落ちた首が薫の方を見ている。
河合の目には無念が込められているような気がした。
薫を憎む目。
恨めしい目。
「うあああああ!」
薫は髪をかきむしるように頭を両腕で抱え込む。
「か、薫さん!」
発狂する薫を抑えることは沖田にはできなかった。
どんなに抱きしめても、薫は取り乱したままだ。
そのとき。
障子が勢いよく放たれた。
戸惑う沖田を薫から引き剥がし、命一杯の力で薫を抱きしめる。
すると、突然薫は落ち着きを取り戻したのである。
「薫。」
「歳三さん…。」
乱れていた薫の呼吸も、段々と穏やかなものになっていく。
「すまなかった。」
薫にだけ聞こえるような小声で土方は囁いた。
「私は私のすべきことをしたまでです。」
隊の結束のため、河合さんに詰め腹を負わせるというのなら、
河合さんの介錯を請け負う。
土方が鬼になるというのなら、私も鬼になる。
それが薫の覚悟だった。
その光景を見せつけられ、沖田はその部屋から退出する他なかった。
「目を覚ましたか。」
廊下の柱に背を預けて庭を眺める齋藤が部屋から出てきた沖田に声を掛けた。
「こんな思いはもうしたくありません。」
「嫉妬か。」
「違いますよ。
薫さんに人を斬る方法を教えてしまったことを後悔しているのです。」
沖田は普段と変わらない笑顔を浮かべたが、どこかぎこちない。
「何故だ。」
「人を斬るのは私だけでいい。」
そよ風が廊下を吹き抜けた。
後ろにまとめられた沖田の髪が風で揺れる。
「人はそれを恋と呼ぶ。」
齋藤は独り言のように呟き、そしてどこかへ消えた。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説


【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる