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第14章 誠と正義と

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日の当たらない、謹慎部屋。

薫は河合と対峙していた。



「飛脚は、まだですか。」



未だ、50両を持った飛脚は屯所に現れていない。

薫は静かに首を横に振る。

日に日にやつれていく河合の姿を、薫は直視できなかった。

今日、ここを訪れたのは大事なことを伝えるため。

中々言い出せない薫は大きく息を吸い込むと口を開いた。



「切腹は明日の、暮れ六つと決まりました。」



河合の息遣いが薫の元まで聞こえてくる。

彼は生きている。

そして、その命を薫が奪うのだ。



「不思議なものですね、人の世とは。」

静かに、河合は語り始めた。

「米問屋の倅が腹を切るのですから。

こんなに不思議なことはありません。」

河合は振り返って格子窓を見た。

「もうすぐ桜が咲く頃です。」

窓から桜の木が蕾を幾重にもつけていた。

「今年の桜は見れるのでしょうか。」

河合の独り言のようなつぶやきは部屋の中で霧散した。




謹慎部屋から出てきた所に、同じお手伝い衆の蟻通とすれ違った。

「東雲。」

薫は立ち止まって、蟻通の方を振り返った。

「飯は俺に任せろ。」

仲間思いの彼らしい言葉が聞こえてきた。

「だから、苦しませるなよ。」

言葉とは裏腹に蟻通の顔には泣き腫らした跡が痛々しいほどに残っていた。

「わかりました。」

薫は笑顔なのか、無表情なのかよくわからない表情を浮かべて答えた。



薫はこの十日でめっきり腕を上げた。

沖田の鬼のような稽古の甲斐もあって、刀を振り下ろす動作も様になっていたし、

何より動きが変わった。



「明日の暮れ六つか。」

齋藤は刀に軒先で打ち粉をつけながら言う。

薫も齋藤から教わったように打ち粉をつけていく。

切れ味が落ちないよう、刀の手入れの仕方を齋藤から教わっているのだ。

「決まったわけではありませんが…。」

「飛脚は来ない。」

「どうして、そう思うのですか。」

「それがあいつの運命だからだ。」

「さだめ…。」

「何人も人を斬って来たが、いつの頃からか、こいつもうすぐ死ぬなとわかるようになる。」

「齋藤先生には、河合さんの死ぬときがわかるのですか。」

「私はそう思う。」



そしてその日も飛脚は来なかった。



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