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第14章 誠と正義と
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嵐のような日々は嘘だったかのように、薫は毎日賄い方の仕事に精を出していた。
飯を炊き、洗濯物を洗い、そしてまた飯を炊く。
その繰り返しの日々である。
帰ってきたからと言って、土方は相変わらず薫に容赦はなかった。
二か月も敵陣に潜り込み、命を危険に晒して情報を掴んできたのだから、
少しぐらい優しくしてくれたって罰は当たらないと思う。
だというのに、帰って来てかけられた言葉は、ご苦労、の一言だけ。
部屋に帰っても、以前にも増して書類仕事に没頭しているし、
屯所の中では声を掛けようものなら斬り殺されるのではないかと思うほど尋常ではない殺気を発している。
「なんだか歳三さん、冷たい。」
薫は西本願寺の本堂の軒先に腰を下ろし、一人呟いた。
「二か月ぶりの再会なのに、どうしたんですか。」
子供たちと遊んでいた沖田は手を止めて、薫の方へ近づいてきた。
「人は変わるのかな。」
「近藤先生が広島に行ってしまわれましたからね。
自分一人で新選組を支えなくてはと気負っているのでしょう。」
それに、と沖田は青空を見上げながら、続けた。
「変わらない人なんていませんよ。」
「沖田先生も変わるんですか。」
ふふふ、と笑みをこぼして沖田は答える。
「今の所、変わらなくても十分やっていけますから。」
「沖田先生は変わらないでいてほしいです。」
西本願寺の境内にも沖田を慕って子供たちが集まって遊んでいる。
その時の沖田の表情は、壬生にいる頃から一つも変わってはいない。
軒先に座る薫の隣に沖田は腰かけ、そして優しく薫の頭を撫でた。
「薫さんが望むなら、私は変わりませんよ。」
口説き文句のような言葉に、薫は顔を上げて沖田を見た。
沖田は子供に向ける表情と同じ、優しい目をして薫を見つめている。
「総司。」
ドスの効いた低い声が頭から降って来た。
声の主の顔を見るのも恐ろしいほどに、声に含まれる怒りはすさまじいものがあった。
「おっと、邪魔者は退散かな。」
おどけた風に沖田は肩をすくめると、子供たちのいる境内へ駆け寄った。
子供たちは鬼ごっこに興じているらしく、境内中を走り回っている。
「土方さーん。」
本堂に仁王立ちする土方の名を呼ぶと、沖田はいたずらっぽい声で続けた。
「大事にしないなら、私が攫ってしまいますからね。」
「総司!…ったく。」
土方は何かを言いかけたが、沖田は既に子供たちの輪の中に入ってしまっていて、
土方の説教が届くことはなかった。
「し、仕事に戻ります。」
説教の矛先が薫に向く前に、薫は急いで立ち上がり己の仕事場である、台所へ向かおうとした。
「待て。」
そう言われては、薫は止まるしかない。
「旅の疲れもあるだろう。二、三日休め。」
土方はそれだけ言うと、屯所の方へ身を翻し、スタスタと歩き始めた。
違う。違うんだってば。
薫は叫びたかった。
叫んで、わめいて、土方に抱きつきたくて仕方がなかった。
彼は個人としての、土方歳三としての感情を押し殺しすぎて、
新選組の副長としての仮面を外せなくなっている。
こんな時、強く思う。
近藤が傍に居てくれたなら、と。
土方は今、新選組の全てを一人で背負おうとしている。
頼ってほしい。
何が出来る訳ではないけど、私の前だけでも
その仮面を外してありのままの土方歳三でいてほしい。
けれど、今の薫にはその手段を見つけられずにいた。
飯を炊き、洗濯物を洗い、そしてまた飯を炊く。
その繰り返しの日々である。
帰ってきたからと言って、土方は相変わらず薫に容赦はなかった。
二か月も敵陣に潜り込み、命を危険に晒して情報を掴んできたのだから、
少しぐらい優しくしてくれたって罰は当たらないと思う。
だというのに、帰って来てかけられた言葉は、ご苦労、の一言だけ。
部屋に帰っても、以前にも増して書類仕事に没頭しているし、
屯所の中では声を掛けようものなら斬り殺されるのではないかと思うほど尋常ではない殺気を発している。
「なんだか歳三さん、冷たい。」
薫は西本願寺の本堂の軒先に腰を下ろし、一人呟いた。
「二か月ぶりの再会なのに、どうしたんですか。」
子供たちと遊んでいた沖田は手を止めて、薫の方へ近づいてきた。
「人は変わるのかな。」
「近藤先生が広島に行ってしまわれましたからね。
自分一人で新選組を支えなくてはと気負っているのでしょう。」
それに、と沖田は青空を見上げながら、続けた。
「変わらない人なんていませんよ。」
「沖田先生も変わるんですか。」
ふふふ、と笑みをこぼして沖田は答える。
「今の所、変わらなくても十分やっていけますから。」
「沖田先生は変わらないでいてほしいです。」
西本願寺の境内にも沖田を慕って子供たちが集まって遊んでいる。
その時の沖田の表情は、壬生にいる頃から一つも変わってはいない。
軒先に座る薫の隣に沖田は腰かけ、そして優しく薫の頭を撫でた。
「薫さんが望むなら、私は変わりませんよ。」
口説き文句のような言葉に、薫は顔を上げて沖田を見た。
沖田は子供に向ける表情と同じ、優しい目をして薫を見つめている。
「総司。」
ドスの効いた低い声が頭から降って来た。
声の主の顔を見るのも恐ろしいほどに、声に含まれる怒りはすさまじいものがあった。
「おっと、邪魔者は退散かな。」
おどけた風に沖田は肩をすくめると、子供たちのいる境内へ駆け寄った。
子供たちは鬼ごっこに興じているらしく、境内中を走り回っている。
「土方さーん。」
本堂に仁王立ちする土方の名を呼ぶと、沖田はいたずらっぽい声で続けた。
「大事にしないなら、私が攫ってしまいますからね。」
「総司!…ったく。」
土方は何かを言いかけたが、沖田は既に子供たちの輪の中に入ってしまっていて、
土方の説教が届くことはなかった。
「し、仕事に戻ります。」
説教の矛先が薫に向く前に、薫は急いで立ち上がり己の仕事場である、台所へ向かおうとした。
「待て。」
そう言われては、薫は止まるしかない。
「旅の疲れもあるだろう。二、三日休め。」
土方はそれだけ言うと、屯所の方へ身を翻し、スタスタと歩き始めた。
違う。違うんだってば。
薫は叫びたかった。
叫んで、わめいて、土方に抱きつきたくて仕方がなかった。
彼は個人としての、土方歳三としての感情を押し殺しすぎて、
新選組の副長としての仮面を外せなくなっている。
こんな時、強く思う。
近藤が傍に居てくれたなら、と。
土方は今、新選組の全てを一人で背負おうとしている。
頼ってほしい。
何が出来る訳ではないけど、私の前だけでも
その仮面を外してありのままの土方歳三でいてほしい。
けれど、今の薫にはその手段を見つけられずにいた。
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